「……ぅ、いてぇ」
肌寒さをおぼえたはやては目を覚ます。あおむけに倒れていたようだ。目を刺すようなまぶしい光源がいくつか見えて、下方に向かって何かを探すように動き回っている。ステージ上のスポットライトのようだとはやては思った。
今は夜なのだろうか、と思いながら流れる雲と空を眺める。背中に感じる金属の感触、海上を進んでいるかのような浮遊感、さらに頭を動かしてみると、はやては海の上にいることを確信し、おおよそ原作と同じ流れで、アルベド族の船に乗れたことを理解した。
気絶するはやてを監視していた2人のアルベド族が銃を装備したまま話しかける。銃口は向けられていない。はやてはゆっくりとした動作で上体を起こす。
「トチサオア」
「トエ、ワシチム モンベルウボ」
「モノキル」
男たちは二言三言言葉を交わすと、片方は船の中に戻っていった。はやてが目を覚ましたことを中の者に伝えに行ったのだろう。おそらく、アニキとリュックがやってくるはずだ。
「たしかそんな感じだったか……、うっすらとしか覚えてないぞ」
あぐらをかいて、ため息をはくはやて。
「トミ、トヤネ」
はやてのそばに残った男が話しかける。
「ん?」
「トヤネ、トエサヒオ ヨソザダ カアウオア」
「あー…ごめん、アルベド語は分からないんだ」
首を横に振る。
「ヤワ、カアナンモハ……」
アルベド族の男ははやてがアルベド語が話せないことを理解したのか、残念そうに首を振る。それからは会話しようとしても無駄だと考えたのか、はやてに話しかけることはなかった。はやても、余計なトラブルを招くことがないよう静かに待機していようと黙ってしまった。
「早くリュックこないかな」
思わずつぶやいてしまう。そして遺跡で出会った時のリュックを思い出した。あの時は呆然としてしまって、なにを言ってしまったのか覚えていない。ただ、はやての言葉がリュックの癇に障ったことは間違いないだろう。怒りに顔を染めて蹴りをかましてくる彼女は記憶に新しい。何を言ってしまったのかまるで覚えていないはやてだったが、きちんと謝罪しようと思った。
しかし、それにしても。
リュックが自分の知っている彼女よりも幾分幼いということが何を意味するのか。はやてはこのことについて、あくまで推測に過ぎないが、おそらく原作よりも何年か前にこちらに来てしまったのではないかと考えた。原作のように表現するならば、1000年後ではなく997年後とか、そんな感じになるだろう。ずいぶんと中途半端というか、なんとも惜しい数字である。
正確な年数は後程確認するとして、はやては原作よりも早くこちらに来ていることを喜んだ。もし、原作と同じタイミングでこの世界に来ていたら、元居た世界とこちらの世界の違いに圧倒され、さらに飲み込む時間がないまま「物語」が進行していたかもしれない。ユウナのガードとして原作に突入するかどうかは一先ず置いておき、どのタイミングで「物語」が始まるのかきちんと把握し備えておくことは、はやて自身の生存率を高めるためにも必要となってくることだろう。原作が始まるまでに、必要な知識と経験を得ていこうと決めたはやてであった。
はやてがこの先の計画を立てようとしたとき、船の中へ向かったアルベド族が予想通りアニキとリュックを連れて戻ってきた。はやては、よし、と思って立ち上がり、二人と対面するが、どうも様子がおかしい。
アニキは何とも言えない表情で、なんというべきか言葉を選んでいるように見え、リュックは頬を膨らませて顔を背けている。ぷんすか!という擬音語が目に見えて浮かんでくるようだった。
「あ、あ~…、ええっと」
はやては大いに焦った。リュックが間違いなく怒っているからである。やはり、自分は彼女に対して失言をしてしまったのだと理解した。リュックがいなければ、アルベド族とスムーズなコミュニケーションが行えない。アルベド語を通訳してもらわなければ、はやてはこの船でやっていけないのだ。可及的速やかに、謝罪しなければ。
そこからはやての行動は実に迅速でなめらかなものだった。まず始めに床にひざまずき、おしりをかかとの上に載せ、足を伸ばし、おしりの下にかかとがくるようにする。手は控え目にひざの上におき、背中をまっすぐ伸ばし、やや首を垂れる。
見事なまでの、正座である。
一度や二度ではない。生まれてきて早20数年、数えきれないほどこの一連の動作を繰り返してきたはやては、いつしか、無意識下で完璧な、誰にとっても見本となれる美しい正座を習得していた。さながら、切腹前の武士のような潔さと気高さがあった。流れる水のごとくなめらかに、きれいな姿勢で首を差し出すあまりの潔さに、男どもは皆見惚れてしまったほどである。
唯一リュックだけはやや冷めた目で見ていた。
はやてに正座のイロハをたたき込んだ姉と妹と、全く同じ目をしていた。
「ごめんなさい」
「……変態」
ジト目でつぶやくリュック。
はやてはなにを言ってしまったのか。自分で自分を問いただしたい気持ちになった。
「申し訳ありません」
しかし、はやてにできることは真摯に謝罪することだけである。釈明が何一つ意味をなさないことは自身の経験において大変よく理解していた。
「ふつう、初めて会った女の子に小さいとか言わないよね?」
「いいません」
「馬鹿にしてる?」
「してません」
「……いまから大きくなるもん」
「おっしゃるとおりで」
「うるさい!!」
「すみません」
それからはやてはリュックの気が済むまで正座させられ、お説教されたのだった。
その後、お説教で気が済んだのか、はやての「小さい」が身長を指すことだと理解したのか、リュックははやてを解放し、はやても無事アルベド族が所有するサルベージ船に雇われることとなった。原作のティーダがよく「シンの毒にやられて頭ぐるぐる」とごまかしていたことを思い出したはやては、それを踏襲してそれらしいストーリーを作り上げ、海の遺跡にいたことの釈明とした。
はやては説明した。自分には記憶がないこと、唯一思い出せることは、妹と海で魚釣りをしていたら、海中から山と見間違うほど大きな魔物が現れ、妹を庇った自分は海に落ちてしまったこと、目が覚めたらあの遺跡にいて、途方に暮れていたこと。
アルベド族について、機械について知っているかと聞かれた際は、
「よくわからない、でも、金髪で緑の瞳の妹を思い出す。どこか、懐かしいと思った」
などと悲壮感たっぷりにのたまった。はやての髪色は黒である。アルベドの種族的特徴をもった「妹」がなぜいるのか。アルベド族の子供が保護されたのかと考えたが、ヒト族はアルベド族を嫌うし、アルベド族の子供が行方不明になったという情報は入っていなかった。アニキたちははやての話に疑問に思ったが、何をきっかけにしたのか、もしや我々アルベド族に拾われたヒト族…?!と誤解し始め、最後にははやての過去は都合よく解釈された。
はやてははやてで、これ以上設定を細かくしてしまうと後々齟齬が生じるかもしれないと考え、後の質問にはよく分からないと答えることにした。
アニキたちははやての境遇(笑)を聞いてあっさりと信じ込み、おいおいと泣きながらはやてを抱きしめ、あれだけ怒っていたリュックも「かわいそ~」と涙を流し、なぜかはやての頭を撫でた。妹がいること以外嘘をついているはやては罪悪感を感じたが、仕方ないことだと飲み込み、あえて気丈に振る舞う様子を見せる。そんなはやてに余計憐憫の情を抱いたアニキたちは、しばらく自分たちと行動を共にして、ゆっくりと思い出していけばいいと、はやてをサルベージ船の一員として迎えたのだった。
憶測が憶測を呼ぶ形となり、アニキたちが想像するはやての過去はとんでもないことになっていたが、好意的に捉えてもらえるのであればそれに越したことはないと、はやてはそれ以上考えるのをやめた。
「アルベド族か。原作でも、たしか召喚士を保護するために活動してたっけか。基本的に良い人たちなんだろうな」
仕事は明日からだから、今日のところはゆっくり休めとアニキに言われたはやては、あてがわれた部屋でのんびりしていた。他の者たちは2か所ある広い寝室に固まって、それぞれハンモックをひっかけて寝ていたのだが、はやてにはどういうわけか個室が与えられた。簡易ベッドと、小さいながらも机まで用意してくれた。
アニキには皆と同じようにハンモックをもらえればいいと辞退しようとしたのだが、この個室、どうやら物置としてすら使われていないらしく、完全に船のデッドスペースになっていたらしい。リュックに話を聞いてみると、この個室には幻光虫が出るという。はやては、虫なら退治すればいいと言ったのだが、少しかわいそうな者を見る目を向けられた後、幻光虫は虫でも生き物でもなく、生命エネルギーの塊の様なもので、人間も含めた万物に宿ると言われる、いわば人の魂のようなものであるとリュックは説明した。水中にも幻光虫が含まれていて、そのおかげで訓練すれば水中で長く息を止められるようになるのだそうだ。
では何が問題なのかと聞くと、この部屋に限って幻光虫が現れることが不気味らしく、害はないと分かっていても、なんとなく、嫌なのだとか。理屈ではない、という事なのだろう。調査も行ったらしいが未だ原因不明で、機械に多く触れるアルベド族の多くは「不気味」を嫌うため、今ではだれもこの部屋に近寄ろうとしないらしい。リュックもそのうちの一人らしく、幻光虫自体少し苦手だと恥ずかしそうに教えてくれた。
アニキが机やベッドを用意したのは、そんな部屋にはやてを押し込んでしまうことの罪悪感からだったのかもしれない。
そんなわけで与えられた個室だが、確かに先ほどから、ちらちら幻光虫が現れては消えている。部屋に揺蕩う幻光虫を眺めていると、ふと、部屋の隅に例の置物がある事に気がついた。海の遺跡で見た置物、水色の土星のようなそれが、いつのまにかポツンと存在していたのだ。少し驚いたはやてだが、それよりも気になることがあった。どうも置物全体が薄いというか、ぼやけて見えるのだ。
おそるおそる近づき、手をかざしてみる。すると、海の遺跡の時と同じように、疲れが吹き飛び、はやては自分の「何か」がそこに残された感覚を覚えた。
「セーブポイント、かな。やっぱり」
何故か薄ぼんやりしているが、機能としては問題ないらしい。自分の何がセーブされているのか分からないが、こちらの世界でも世話になりそうだと笑うはやてだった。
「ハヤテん、いる? 紙とペン持ってきたよ~」
ノックと同時にリュックの声がドアの向こうから聞こえてきた。部屋の案内役を務めてくれたリュックに、申し訳ないとお願いして書くものを持ってきてもらったのだ。
「いるよ。入って、どうぞ」
「おじゃましまーす」
「悔いあら……いやマズイかいろいろ」
「ぅん? 何が? ていうか、部屋の隅で何やってんのさ~?」
入室早々妙な事をのたまうはやてに首を傾げたリュック。
はい、と言ってお目当ての物を渡すと、はやては指で擦ったり弾いたりして観察したあと、なるほどねと呟いた。
「ありがとね、リュック。助かりました」
「ふふ、いいよー。そのかわり、面白いことしてくれる約束だよね」
「面白いというか、まあ便利になるのかな? これで意思疎通が少しでもマシになればいいんだけどねえ」
「いしそつ? どゆこと?」
興味津々ですと言わんばかりに目を輝かせるリュックをなだめ、はやては机に向かう。リュックには理解できない何かの記号を規則正しくたくさん羅列した後、今度はリュックに紙とペンを渡してきた。
「もうひとつ、お願いしていいかな。リュックって名前、アルベド語で紙の裏に書いて教えてくれない?」
「えっ!い、いいケドさ~、あたし、字ぃきたないよ?」
アニキや仲間達に読み書きは教えて貰ったけど、普段文字を書くことが少ないリュックはエヘヘと苦笑いして難色を示した。
「大丈夫大丈夫。さ、気楽に書いてくれたらいいから」
それでもはやては紙とペンをやんわり押し付けた。未だ渋るリュックだったが、リュックにしか頼めないんだと言われてしまうと、しょうがないなぁという気持ちになってしまう。
出来るだけ綺麗に書こうと意識して、それでもやっぱり自信なさそうに、紙の隅に小さく「リュック」と書いた。その文字をしげしげと見つめるはやて。なんだか細かくチェックされているようで落ち着かないリュックである。
「ど、どうかな…?」
躊躇いがちに、はやてを見上げる。
「…うん?あぁ、女の子らしい文字で可愛いと思うよ」
「えッ?! そ、そう?」
「うん」
「そ、そっか。それなら、うん。大丈夫かな? ……えへ」
はやてはリュックにひとつ頷いて、また紙に目を向けた。
「ところでさ、これって他の文字でも「リュック」って書ける?」
「えへへ……、あ、いや、うん。か、書けるよ!でも人の名前のときは、そうやって書くんだ。無理やり書くなら……はい!こんな感じ!」
そう言って、リュック今度は少し大きく「ニュッル」と書いた。
「なるほどね。ニュッルか。ニュッル」
「にゅるにゅるいうな~」
リュックにとって、そっちの読み方は語感が可愛くないからあまり好きではなかった。
からかわれているのかと思ったリュックは両こぶしを揚げて断固抗議しようとしたが、はやての真面目そうな顔を見て、挙げたこぶしをさ迷わせる。
はやてはひとつ頷いて、また妙な事を言い出した。
「リュック、最後にもう一度だけお願いしたいことがあるんだけど」
「ん? なになに?」
「僕が今から言う言葉を、アルベド語で復唱してほしいんだ」
「アルベド語に言い直せばいいの?」
「うん、そういうこと。お願いできるかな」
「いいよ!まっかせなさ~い」
リュックはドンと胸を叩いて了承した。
「ありがとう。それじゃあ、いくよ。あ、い、う、え、お」
「ワ、ミ、フ、ネ、ト!」
はやての言葉をリュックがアルベド語で復唱する。はやては毎度、紙に何かを書き込みながら、言葉を変えて何度か繰り返した。そうして何かを書きあげたらしいはやては、うん、とひとつ頷いて、紙を片手にリュックと向き合う。
「? どうかしたの?」
「えー、こほんこほん。『リュック、ヌチハ サゼコオマ ハンベヌア?』」
「わ!? しゃ、しゃべった!」
リュックがはやてのわざとらしい咳にクスクス笑っていると、突然、はやてがアルベド語を話し始めてしまったものだから、大きく驚いてしまう。はやては少し得意げな顔をしていた。
「ドルマ トヌキ ダ ヌチベヌ」
「すごいすごい!!『ワサキマ ニンゾ ダ ヌチ! 』トヌキってなーに?」
「あ、ごめん、これ受け答えはできないんだよね。トヌキは、おすしってやつだね。出来そうなら今度作ってあげる」
そう説明しながらはやては紙をリュックに渡した。見ると、初めにはやてが羅列した謎の記号の横にアルベド語が一文字ずつ書かれていた。
「これ、どういうこと?」
「まあつまり、辞書みたいなものを作ったのさ。あいや、早見表かな」
「この記号は?」
「あー、それは…えっと、ひらがなって言う僕の地元の文字かな。見たことある?」
「ううん、はじめて」
「ん、そっか」
このスピラにはいろいろな言語があることはリュックも知っていた。アルベド語やスピラ語、召喚士や寺院の人が好んで使う文字など、いろいろと見かけたことがある。けれど、はやてのいう文字はまるで見たことがなかった。
「その早見表は、僕が見ながら話したり、書いたりする分には多少役立つけどね、即興的な言葉の応酬には向かないんだ」
「……?」
「アルベド語で楽しくおしゃべりするには、僕が頑張って勉強しないといけないってことさ」
そういって、はやてはからりと笑う。その明るい笑顔を見て、リュックは手元の紙に再度目を落とす。はやては、アルベド語を覚えようとしているらしい。それも、自分たちと楽しくおしゃべりするためだという。
「たの、しく?」
「そう、楽しく。時間はかかるかもだけどね。いや、音声が一致して、しかも文字自体はカタカナ。なれれば案外早いかも—――」
「どうして?」
「しれな……ん?」
「どうして、アルベド語を覚えようとするの?」
「……リュック?」
「だ、だめだよ、アルベド族はみんなにきら、きらわれてるんだよ?」
リュックは思い出していた。これまでヒト族に投げかけられた数々の暴言を。心無い言葉の暴力を。周りの仲間たちはスピラ語をあまり理解していないから、さほど気にならないらしい。だけど、リュックはある女の子のためにスピラ語も学んでいた。彼らの言葉を理解できてしまっていた。
髪を馬鹿にされた。目を馬鹿にされた。服を馬鹿にされた。機械を馬鹿にされた。仲間を馬鹿にされた。
生き方を、アルベド族の誇りを馬鹿にされた。
アニキたちは「なんだか馬鹿にされてるな」程度にしか理解していない。でも、実際はそうじゃないのだ。言葉というものはこれほどまでに汚くなるのかと、人の心を傷つけられるのかと、数えきれないほど思い知らされた。
アニキたちが自分たちに投げかけられている言葉の真意を理解したら、間違いなく怒り狂うだろう。二度とヒト族と分かり合おうとしなくなるに違いない。怒りに身を任せ、機械に命じて大変なことをしてしまうことは想像に難くない。
だから、リュックは飲み込み続けた。ヒト族の悪意に晒され、心が傷ついても、仲間を想って我慢し続けた。時々どうしても我慢できなくなって泣いてしまったり、アニキに当たったりしたこともあったけど、そんなときは反省し、できるだけ明るく振る舞おうと心掛けた。
仲間の為に、そして、
けれども、外でヒト族に会うたびに、リュックは傷つけられる。
自分一人だけ、深い傷を負う。
とても苦しい。とても悲しい。とても辛い、とても孤独、とても、とても、とても。
「みんな、アルベドが大っ嫌いなんだよ……」
今はもう、ヒト族に会うことが怖かった。外で会えば、いつも傷つけられる。
だから、リュックは海が好きだった。泳ぐことが大好きだった。
水中では、言葉が伝わらないから。
「…………」
はやては何も発しない。ただ、深い、深い、海の底のような黒い瞳で、リュックを見つめる。
「アルベド語なんかしゃべったら、はやてまで嫌われちゃうんだよ!!」
ぐしゃり。はやての作った早見表がリュックの手によって歪められる。
思えば、はやては最初からおかしかった。
海の遺跡を仲間と一緒に探索していたら、仲間の一人がヒト族がいるとアニキを呼んだ。
(ヒト族……)
リュックは立ち止まり、歩き出したくなくなってしまった。けれど、アニキがヒト族の下へ向かうというからリュックも覚悟を決めて付いていった。
本当は嫌だった。また、傷つけられるんだ、馬鹿にされるんだと思った。
けれど、そこで目にしたのは、アニキを嬉しそうに見つめる青年。後ろの方で聞いていたが、どうやらアルベド族に対する反応が他とは違うらしい。彼は、まるで見知った友人に出会えたかのような、親しみのある表情を向けていたのだ。
あの子とあの子のお父さん以外で生まれて初めて出会った、悪意を向けてこないヒト族だった。
一見してアルベド族だと分かる集団に、銃口を向けられてなお、アニキに、アルベド族に友好的だったのだ。
だから、リュックは話してみたいと思った。
この人と、お話したいと、思った。
結局いろいろあって、リュックははやてを気絶させてしまったが、アニキたちに頼んでサルベージ船に運んでもらった。目を覚ましたはやては何も言わず謝ってくれたし、話を聞いて、彼がかわいそうな境遇にあると知ったリュックは彼をなんだか放っておけないと思って彼の頭をなでてしまった。不思議そうにしていたけれど、はやてはその手を払わなかった。
最後には、アニキの鶴の一声で自分たちの仲間になった。
彼はきっといいヒトなのだろう。アニキは、彼はアルベド族に拾われた孤児かもしれないと仲間たちに言っていた。だから、アルベド族に友好的なのだと、機械に抵抗感を抱かないのだと言っていた。そうかもしれないけど、リュックはそれでも不安だった。彼はシンの毒気にやられている。記憶がないのだ。アルベド族との思い出を無くしている。心の中ではアルベドを嫌っているのではないか、いい顔をしているだけなのではないか、そんな不安を取り払えなかった。
だから見極めてやろうと思っていた。
仲間の為に、あの子の為に、
自分の為に、見極めたいと思っていたのだ。
「…リュック」
「ぐすっ、うぅ、おぼ、おぼえないほうがいいよぉ、ぐすっ、みんな、みんなアルベドが大嫌いなんだよぉ」
「リュック」
「ハヤテがヒト族に嫌われたら、ハヤテまでアルベド族が、きらいになっちゃうじゃん!」
「リュック!」
「ハヤテがみんなの悪口いうところなんて、
「リュック!!!」
はやては狂乱状態に陥ったように泣き叫ぶリュックの顔を両手でパン!と挟んだ。
痛くはなかったが、急に顔を勢いよく包まれたリュックは一瞬我に返る。その一瞬で、はやてはリュックを優しく抱きしめた。
「…リュック、」
「………」
はやては、リュックを抱きしめたまま、優しく背中をなでた。
そして、とても優しい声色でささやいた。
「つらかったね」
「………っ!!!」
はやてはリュックの体がこわばるのを感じた。しかし、構わず背中をなでる。
「くるしかったね、かなしかったね、こわかったね」
いつの間にか、リュックの手がはやての服をつかんでいた。あまりにも弱々しくつかむその手を、はやてはとても危ういと感じた。
リュックははやてのお腹に顔を押し付ける。
「僕は、リュックが、どんな言葉をかけられたのか、よく知らない」
「僕は、リュックが、どれだけ傷ついているのか、よく知らない」
「僕は、リュックが、どれほど仲間が好きか、よく知らない」
「僕は、何も知らないね。あぁ、でも。これだけは分かることがある」
はやての服をつかむ手が震えていた。お腹がじんわりと暖かい。
リュックに応えるように、はやてはリュックを強く抱きしめる。
「リュック……」
「よく、がんばったなあ」
う、ふぐっ、ぐ、
必死に嗚咽をおさえる声が響く。
うぐぅ、う、う、うぇ、
リュックの背中を、優しく、ゆっくりと、なでる手があった。
はやての服をつかむ小さな手は、はやての背中まで周り、必死に握っているせいか、真っ白に染まっている。
この幼い女の子を放ってはおけない。独りぼっちの子供だ。
悪意に晒され、傷つき、それでも仲間の為に、心を砕き続けるなんて。
救わなくては。子供を救うのは、いつだって大人の義務である。
この子が陥っている
「リュック」
撫でながら、はやては努めて優しく呼びかける。
リュックは動かない。しかし、それでいいと、はやては言葉を紡ぐ。
「リュックが、みんなを守ったんだ。みんなを、いろんな悪いモノから、一生懸命守ったんだ」
「すごいなあ、リュックは」
嗚咽はいつしか泣き声に変わる。
「リュックが皆を悪いモノから守ったから、僕はあそこで殺されなかったんだよ。僕は怪しかっただろう? 殺されてても不思議じゃあなかった」
「だけどリュック、リュックが皆を優しいままにしてくれてたんだ。だから、僕はみんなに助けられた」
「わかるかい、リュック。君は、僕を助けてくれたんだ」
「君のやさしさが、頑張りが、明るさが、想いが、ぜんぶ、ぜんぶ」
「僕を、救ってくれた」
リュックは、自分の内側から湧き出る感情を留めることができなかった。留めようともしなかった。
「だから、リュック」
「助けてくれて、ありがとう」
「優しいままでいてくれて、ありがとう」
「みんなを守ってくれて、ありがとう」
リュックはスピラ語をとても流暢に話す。会話をしていて、その言葉に全く違和感を感じないのだ。周りの仲間たちがアルベド語を話す環境下で、スピラ語を母語とする者と全く同じように話せるようになるなど、並大抵の努力ではなし得ない。しかし、その努力は報われるどころか、悪い方向へ作用した。ヒト語を学べば学ぶほど、アルベド族への差別を強く感じるのだ。暴言の内容が内容だ。アニキや仲間には相談できない。でもスピラ語を学ぶことは止められない。止めたくないのだ。
はやくにお父さんを亡くし、お母さんを亡くし、悲しむ間もなく従召喚士として訓練を始めた女の子。
ヒト族とアルベド族のハーフとして生まれ、きっとこれからとても辛い人生を送ることになる大切な従姉妹の力になるために、リュックはスピラ語を学び続けた。
リュックが心に受けた傷は、はじめは浅かったのかもしれない。しかし、繰り返し傷つけられるにつれて、傷の数は増えていき、深くなり、気が付けば、リュックの心はズタボロになってしまっていた。
それを隠すためにリュックは笑った。とにかく明るく振る舞った。ニギヤカ担当を自称し、皆を支えようと必死になって。
そうしていつのまにか、リュックは底なしの崖に足をかけていた。
リュックは泣いた。
機械の暴走事故で母を亡くして以来たまりにたまりつづけた心の負担が、堰を切るように涙となってあふれ出るようだった。
自分の進んできた道は、間違いではなかったのだと知り、その証拠がここにある。
はやては「ありがとう」と言ってくれた。今までのリュックがあったから、仲間たちが救われていたと言ってくれた。これまでの行いが、巡り巡ってはやてを助けたのだと言ってくれた。
初めて理解してくれた。共感してくれた。深い、深い深海を、どこへ向かうかもわからぬまま、ただ一人螺旋を描きながら沈み続けてさまよう自分を、はやては見つけてくれた。螺旋を断ち切り、明かりの下まで引き上げてくれて、よくがんばったと、ほめてくれた。
リュックはいろんな感情が絡まり合って、自分でも何が何だか分からなくなっていた。
ただ、そこにいるはやてにしがみつき、あふれる想いにただただ流されることしかできなかった。
「大丈夫、もう大丈夫だ」
自分で自分がコントロールできない。
こんなことは初めてだった。
だけど、リュックはそれを少しも嫌だと思わなかった。
全てを受け止めてくれるような安心感に包まれていれば、何も怖いモノなんてないって。
そう思えたのだった。
涙を流し続けるリュックと、支えるようにリュックを抱きしめるはやての周りを、ふゆりふゆりと幻光虫が漂っていた。