千恋*万花~福音輪廻~   作:図書室でオナろう

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死闘

──夢だ。

穏やかな森の中で白い狼と金髪の女が見える。

その狼はただ、その女の側にいれるだけで幸せそうだった。

 

──違う夢だ。

何処か見覚えのある場所で刀を携えた二人の男が見える。

双方共に怒りを宿し、殺意を向けてあって相対している。

 

──更に違う夢だ。

光の中に優しい笑顔をした子が見える。

はて、あれは……誰だったか……?

 

──また違う夢だ。

闇の中に困った表情の男と引き止める子供が見える。

あぁ、これを忘れてはならない。忘れてなるものか。

 

 

──やっと会えたな──

 

 

深い奈落の底から声が二つ響く。

それは再会を祝した歓喜の声なんかじゃない。憎悪と殺意だけだ。

何故、何故、何故、何故、何故、何故──!!! 疑問と嚇怒、憎悪と殺意、方向の違う二つの呪い。

 

俺はそれを知っている。知らない筈がない。

 

──アネギミノイノリヲケガスフトドキモノメガ──

──ケツゾクゴロシドモヲシュゴスルジャシンメガ──

 

叫ぶ呪い、響き合う殺意。

生と死の輪廻。呪怨と福音の狭間。

 

──愛と憎しみの名の下に。

いざ、この祟りを、成立しせめん──

 

 

「……なんだ、あの夢は……」

 

普段の朝は、頭の巡りが悪い筈なのだが、今日は妙な夢を見た所為でやたらと回っている。

──しかし、なんだ? 何故かはわからないが胸がざわつく。頭にざらつきがある。それだけじゃない、何処かに行けば何かに会えるという確信と、何処かに行かねばならないという強迫観念がある。

 

──我が憑代の中に眠る祟りの中でも、特に強力な反応を示すものが二つ──

 

虚絶が言うには二つの反応。

二つ……つまり、祟りは一つではないということか……?

実のところ、穂織にある祟りの始まりを俺はあまり知らない。常陸の始まり……つまりは殺された方の朝武が呪詛を残したということだけだ。

 

……祟りを起動するには、まず聖邪どちらにせよ力ある物体が核とならねばならない。その後怨念を残せば何かしらの形となって祟りは起動する……

 

何かしらの形を指定することは誰にもできない。祟りに近しい虚絶ですら、この形になったのは想定外だったのだから。それが本当に呪いなのか、あるいは害なす存在を生み出すのか……

 

そこで、朧げな記憶から二つの事例があったことを思い出した。

俺が殺してきた祟りの姿形はそう変わらない。泥の塊めいたものだ。しかし──祟りには二つの行動パターンがあった。

 

一つ、朝武か常陸の者……あるいは、将臣のように特殊な関係者だけを狙う祟り。知らずに夜山に入ったバカ共を守るために何度か出撃したときに目撃していたし、ここ最近はこちらばかりだ。

 

二つ、無差別に攻撃する祟り──これはとてもレアなケースだが、こいつに限っては並みの祟りを超えるほどに強力だったことが多々ある。

大抵、バカ共の救出時に俺が重傷を負うのはこいつが出現した時だった。だがそれは奇妙なことに、芳乃さんが出てくると単調な攻撃しかしてこなくなった。

……俺は殺す者だからいいとしても、何故か茉子にも苛烈な攻撃を仕掛けていたが。

 

──祟りには謎が多い。

この虚絶もそうだが、穂織の祟りに関しても。

 

……何故だろうか、今日はとても嫌な予感がする。

 

 

「我を呼び出してやることが料理とはな」

「お前の飯が美味いのが悪い」

「童のようなことを」

「童だよ俺は」

 

昼になってもざらつきとざわめきは止まらない。それどころか更に酷くなった。頭の中で聞こえる言い争いは更にはっきりとして聞こえ、俺の中に俺以外の何かがいるような気がしてならない。

気持ち悪ければ、一人だと気が狂いそうなので虚絶を呼び出して会話して気を紛らわせているが、いつまで持つやら。

しかめっ面と共に、虚絶の作った昼飯を食べていると、珍しく虚絶が感情らしい感情を見せてこう言った。

 

「……不味かったか」

 

それはなんというか、子供の嫌いなものをうっかり出してしまった母親のような、そんな感覚を覚えるもの。

子孫だからか? あるいは、彼女とつらなる存在だからか? いいや、俺の中に彼女の子供の残滓でもあったのか? 理由は知らない分からない分かりたくもない。俺なのに俺じゃない奴らが騒ぎ立てていて気持ち悪い。

殺せだけじゃない。守れとか助けろとか見届けろとか呪えとか奪えとかとかとかとか……

 

「いや、美味い」

「そうか。ならばいい」

「……けどな、悪い。今日は騒がしくて仕方ない。どうしたらいい」

「方法は二つ。元凶を排除することと──己が意志を以ってして捩じ伏せることだ」

「捩じ伏せる……」

「だが百の年月を背負う怨念を、たかが二十も生きていない小僧が捩じ伏せることなど到底できん。ただ一つ、それを味方にするほどの……暴走するほどの意志が無ければな」

 

暴走するほどの意志──不可能に近い。

 

「だが貴様は魔に近しい存在。死を認めぬのならば潜む祟りを食い潰してまで肉体は生にしがみつくこともできる。全ては心一つなり……我が千年、"私"であれたのもそれが所以」

「つまりなんだ、祟りみたいにその場限りの燃料でも諦めなければなんとかなる……とでも?」

「極論はな。頭を悪くして言えば、気合いと根性で不可能を可能にする……と言ったところか」

「バカだな」

「だがそれがまかり通ることもある。いわば祟りとは、行き場をなくした強すぎる執念だ。貴様にもあるのではないか。深遠に沈んだ、誰にも穢されることを許さず、そのためだけに生きて死ねるような何かが」

「……そんなもん、あるのかねぇ」

 

考えてみれば死のう死のうとバカをしていた俺に、そんなものがあるのかなど、鼻で笑えてしまう。

まぁ、その時になってみないとわからないか。そうそう死ぬつもりはないが。

 

「まぁ良い。それでどうする、夜になればはっきりと知覚可能にはなるだろう」

「答えは決まってる──人ン中で騒ぎ立てやがって。殺す」

「それでこそ、我が端末だ」

 

はっきりとした答え。それは殺すこと。殺さねばならない。

たとえそれが嘯きに唆されて決めたことでも、人の頭の中でギャーギャー騒がれては、家主も怒るというものだろう……

 

虚絶を封じている部屋に行く。

呼び出すのではなく、これを直接家から持ち出すというのは何年ぶりだろうか。

いやそんなことはどうでもいい。

 

──殺すべし。

──現世に迷い出る悍ましきものは殺すべし。

 

今はそれが正解だ。

 

 

夕刻。

日も傾いて来た。

それと同時に声が響く。虚絶だけではない。

 

──あの忌まわしき裏切り者を殺せ──

──あんな過去の遺物なぞ殺してしまえ──

──我が敵を殺せ。無念を晴らせ。殺せ、殺せ──

 

虚絶を片手に携え、元凶がいるであろう場所を目指し始める。

人通りも少なくなってきたので刀を持ち歩いていても問題はあるまい。いざとなれば祟りを用いて過負荷をかけ、記憶をあやふやにしてしまえばいい。

 

しかし山に向かうはずの足は、街中を進み続ける。

……まさか、祟りは街に出たのか? だとしたら、何故──?

 

頭が冷える。

嫌に冷静になる。

まさか、まさかと思いながら衝動の導きに従って歩き続ける。歩いて、歩いて、歩いて──たどり着いた先は。

 

「駒川の、診療所……?」

 

どういうわけか駒川の診療所だった。

衝動が更に深まる。それと同時に嫌な予感が脳裏をよぎる。冷たい汗が頬を伝う。

戸を開けようとして、すんなり開いた戸。鍵はかけられていない。あり得ない。この時間ならば既に──

 

なんだ、つまりは──

 

「駒川ァッ!」

 

あの女の名前を叫んで、勢いよく診療所内に侵入する。衝動が示す場所は、駒川がよくいる部屋で。

 

「──」

 

それを見たとき、自然と頭が冴えた。

部屋はめちゃくちゃだ。本棚は倒れ、壁や天井は傷だらけ。ガラス窓も割れて、無残な姿を晒している。

けれどそんなことはどうでもいい。

 

重要なのは、部屋に当然のように佇む、獣にも見える形状にまで変化した祟りと。

そんな部屋の隅で倒れ込む駒川。

 

……あぁ、そうか。そういうことか、

すんなりと響く声どもの雑念が消えて行く。虚絶を握る手に力が入る。

脚に力を込めて、祟りが俺に気付くと同時に────

 

「、テメェェェェェェェ──ッ!!!」

 

高速を以て踏み込み、一瞬で奴の懐に飛び込む。

 

"何があっても、こいつはここで殺す"

そんな思いが爆発するように、俺の中から殺意が溢れ出す。

何もさせずに殺してやる──! そうした感情が俺を突き動かし、流れるように抜刀。

神速の居合は信じられないほどに祟りの胴に刀身を食い込ませた。

 

が。

 

「──ッ!?」

 

食い込んだまま終わった。

斬れていない……! 祟りを斬る祟りであるはずのこれが斬れないとなれば、出てくる答えはただ一つ。

この祟りは、邪なる存在であるにも関わらず()()()()()()()()()()

その事実に固まり、展開された触手への対応が遅れる。

 

「チィッ!」

 

舌打ちをしつつ、食い込んだ刀身を引き抜いて後退する。

飛んでくる触手を迎撃し、再び踏み込んでもう一撃と睨んだ瞬間。

 

「ガッ……!?」

 

代償で膝が、破損した。

それだけではない。左腕の肩関節に裂傷が入ったらしい。ダラリと垂れ下がる。

それを逃すほど祟りは優しくない。

続けて放たれた第二射は、あっさりと俺の心臓と右腕を貫き、そのまま壁に叩きつけた……

 

 

 

崩れ落ちる馨。

どしゃりという音を立てて、自らが生み出した血溜まりに沈み込む。

 

祟りはそれを無感情で眺めながらも、反射的に殺してしまった存在に対して少し、罪悪感めいた視線を向けた。

──いやまさか、殺せてしまうとは。

 

祟りの素体となったものに引き摺られたのか、祟りは動きを完全に止めて──

「いや、まサか……心臓ヲ潰サれるトはハナ──」

 

その死体が起き上がったことに驚愕した。先程貫いたはずの穴は完全に塞がり、傷があったという証拠は服に空いた穴と着いた血だけが物語る。

男女の声が混ざりながら、それは祟りに対して容赦無く告げる。

 

「──ダガ、我ト俺ノ意志ガ合一シタ今……ソノ程度デハ死ニハシナイ」

 

そう。

心臓を貫かれる直前、馨は願った。

 

──こんなところで死ねるものか。奴を亡ぼすまでは死ねるはずなど無い。生きると約束し、彼女に生きてと願われたのだから──

 

それが彼と接続する祟りたちの共通の祈りである、まだ終われないというものに呼応し、突き立てられた触手を分解し再構成。更に魔に近しい肉体と祟りを燃料として、死ぬ前に心臓を再生させるという荒業を以ってして死を回避した。

たとえどれだけの再生能力を持っていたとしても不可能な話だが、馨の肉体とは──魔とはそういうものだ。不条理を不条理のまま成し遂げる。

人間寄り過ぎる馨であっても、数多の怨念を束ねてしまえばそれすらも可能とする。

要は、気合いと根性で不可能を可能にしたのだ。

虚絶との合一が深まり、今の馨にはその祟りがどういうものなのかをよく理解できる。

 

「ヤハリ"マトモ"カ。理性モ有レバ思考モ動イテイル。ダガ同時ニ──オ前ヘノ尽キヌ憎悪ガ俺ニ燻ッテイル。我ラニ由来セヌ、俺タチ以外ノ憎悪ト嚇怒ガ二ツ……憑代ナル剣ヨリナ」

 

その祟りは何らかの物によって呼び出されたのか、粗雑なものではない。混ざりっ気のない、純粋な祟りだ。

更に個我のようなものがあり、こちらを明確に観察している。つまり人間と同じようにまともに頭を動かしている。

祟りに近付いた馨にとって、その程度は手に取るようにわかる上、刀の中にいる祟りの中でも、特にこの祟りに対して凄まじい憎悪と殺意を束ねる存在が、これを今すぐに殺せと叫んでいる。

しかし神力を宿している以上、この獣めいた祟りの正体はもしや、哀れにも呪詛の憑代にされてしまったものかもしれない。

 

「言葉ヲ使エヌ獣……ソノ神力ガ泣イテイルナ。サゾヤ名ノアル者ノ成レノ果テガソレトハ、アマリニモ無残。デ、アルノナラバ──」

 

しかし、馨はそんなことはどうでもいいとばかりに刀を拾い上げる。

虚を絶つ刀を抜刀し、逆手に持ち変える。

 

──数年ぶりに。

 

自罰意識の塊と、他罰意識の塊が、その意志を束ね極大の殺意を持って神力を宿す獣の祟りと向き合う。

 

「我ガ、俺ガ。ソノ宿痾ヲ一時ノ眠リヘト誘オウ。ソレニ──」

 

虚絶に食われていた祟りが燃料として消費され、刀身はまるで創作物の光剣のように黒い光刃を纏う。更に赤黒い稲妻を迸らせる刀が、その素晴らしき本性を剥き出しにする。

 

「──ナンダ、案外俺モ情ニ流サレル人間ラシイ。ソコデ寝テル女ヲ傷ツケタ以上、オ前ニドンナ事情ガアロウトモ……ソノ首、一度落トサナキャ気ガ済マナイ──!!!」

 

だが素晴らしき本性を剥き出しにしているのは、間違いなく。

──馨なのだろう。

 

夜の診療所にて、人知れず闇の戦いが幕を開けた。

 

 

──荒れ狂う触手。

──それらを全て迎撃する刀。

 

触手が千切れて溶け消える度に、馨の肉体を虚絶の代償が蝕み、流血が弾ける。しかしそれが発生した瞬間から祟りと意志力によって高められた修復力が瞬く間に再生させ、その代償を踏み倒す。

触手より早く動き、祟りを断ち切きらんと刀を振るう。しかし神力という相反する性質を有する祟りには通らず、あくまでも食い込むに留まる。知ったことかとそのまま切り裂くが、浅い。

 

祟りはたまらず大きく後退し、束ねた触手を刀のような形状に変化させて無数に展開。斬撃の暴風となって襲いかかる。

黒い刀はそれらを全て見切り、効率的に破壊していく。更に切った触手を喰らい、その場で燃料を調達する。それどころか馨の中で暴れている二つの殺意がまだだと言わんばかりに暴走し、神力すら押し切らんと出力を増大させる。

 

奇妙な話だが、祟りの方がこの戦いにおいて理性的に対応していた。一方の馨は、みづはに被害が及ばぬようにと場所を選ぶだけで、あとは何も考えずにひたすらに死ねと言わんばかりに斬り込むのみ。

防御を捨てた、完全なる捨て身の剣は荒れ狂う祟りを真っ向から圧倒するほどの暴虐を示すものの、いかんせん相性の差だけは覆せず、防御の上から叩きつけることで無理矢理にダメージを通しているに等しい。

 

だが。

 

「──マダダ」

 

自らを蝕む代償を踏み倒しながら、馨はもっと寄越せとばかりに自らの内に接続されている祟りどもを燃やし尽くす。

千年の蓄えを贅沢に飲み干しながら、自らの怒りすらも薪をくべるが如く燃やし、更に目の前の怨敵から食った部品すら使い潰す。

これほどまでの大盤振る舞いであっても、この祟りに対して意志を滾らせる二つが全てを賄い切ってしまっている。千年の呪いに匹敵するどころか超えるほどの極大の出力を生み出す二つの意志が、馨と虚絶を通してその殺意と憎悪を存分に見せつける。

 

しかし祟りも押されるだけではない。近くにあった棚を拾い上げ、投げつける。無論それを両断し、突撃する馨。

だがそこに投げつけられる薬品瓶。回避は出来ない。かといって受ければ祟りに一撃を許す。

で、あれば──

 

大きく頭を振りかぶり、薬品瓶に叩きつける。頭突きによって破壊されると同時に傷が修復。更にその勢いを利用して空中で一回転。順手に持ち替えた刀を大きく振りかぶり、叩き斬るように振り下ろす。

ゾブリと食い込む刀身。しかしどれだけ出力を上げても食い込むだけに終わる。

生じた隙を逃さぬとばかりに迫る凶手──引き抜きが間に合わず、全弾が直撃する。人間が立ててはならない音を立てながら吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

バキリと、嫌な音が左腕の肩関節から鳴る。関節が外れた上に、どうやら左腕の骨が折れたらしい。妙に痛む。だがしかし、放っておいてもすぐ治るもの。どうやら神力が通ってしまい、やや速度が低下しているが、これならば裂傷が治るのと同じ程度で済む。

 

ならばと彼は器用に立ち上がり、食い込んだ虚絶を右手に呼び出す。

 

「否、マダ足リナイ。力ヲ、モット力ヲ──」

 

呼応する祟りたち。

今や爆発的に増大した出力は可視化されるほどに膨れ上がり、黒い靄が身体から立ち上るほど。

──人が見れば正しく魔人だと言わんばかりの外見。

 

再び壮絶な激闘の開始点と化す両者。黒と黒がぶつかり合い、鮮血が舞って傷は塞がる。辺り一面には鮮血の溜まり場と斬撃痕、あるいは破壊痕しか残らず、そこが先程までは静かな診療所だったなどとは想像もつかないほど荒れ果てていた。

 

無尽蔵に回復し暴虐の限りを振るう馨と、理性ある故に押されてしまい、祟りを流し込まれ、食い千切られる度に獣の姿から通常の黒の塊に弱体化を始めてしまう祟り。

正しく消耗戦。だがそれでもなお、三十分以上も戦況が拮抗しているのはひとえに神力を宿すが故に。

永遠に続くかと思われた膠着は、祟りの一手で大きく変わる。

 

「──!!」

 

祟りが咆哮し、打撃と斬撃の結界を生み出す。死を回避するなど不可能。対処はできても確実に致命打が通る──事実、一本の刀では対処しきれない。特に神力を通されて幾分か能力が低下しつつあるこの状況では。

 

しかし、それを覆してこその千年の復讐。

 

刀を横に一閃──それと同時に空間に斬撃が生まれる。無論、漫画のように一閃で無数の斬撃を発生させたわけではない。単に祟りが触手を生み出すのと同じこと。

斬撃の属性を帯びた祟りを空間に出現させて全てをぶった切った。

 

だが、流石に無理が祟ったのか。

肉体の至る所に裂傷が生まれ流血する。特に内蔵の類もやられたのか、吐血し、反応が先程までに比べてコンマ数秒単位で遅い。

 

──その遅さが命取りになった。

 

祟りは素早く接近し体当たりを食らわせる。ゴッ、と鈍い音がして馨の肉体はまるでボールのように飛び、部屋から玄関の方まで叩き出された。

大きな物音を立てて、戸に激突する。当たりどころが悪く、肋骨が一や二は逝ったらしい。が、問題無い。

治って当然という思い込みと意志力が驚異的な速度で傷と肋骨を修復する。痛みが走るものの、ただ痛むだけ。呻き一つも上げる価値は無い。

ジリ貧とはいえこちらが有利。更に出力を引き上げれば相性ごと粉砕できる。こちらの肉体が過負荷で停止する前に仕留めればいい。殺られる前に殺る、なんと単純なことか。

決断的に出力を更に引き上げ、損壊を再生で踏み倒し──見知った気配を察知して、困惑からか出力が低下していく。

バカなと思考が告げて、その一瞬だけは、魔人は人間に戻った。

 

が、それも刹那のこと。

魔人に再び回帰し、彼は泥仕合に身を投じる。

自身でも止め難い殺戮の意に従って。

 

 

……それとほぼ同時。

 

先日、単独行動をしていたムラサメが発見したもう一つの欠片を回収した将臣たちは、それをみづはに届けるべく彼女の時間が空いている夜中に診療所へと向かっていた。

しかしその途中、霊的存在に関わりがある……それこそムラサメが見える者にしか見えないはずの、祟りに反応して現れる芳乃の獣耳を見えている上にムラサメまで見えているレナを、あれこれ言われても困るからと連れてきて。

 

「有地さん、先程から何か……」

「……扉が開いてる」

 

辿り着いた彼らを迎えたのは、開きっぱなしになった扉。

そして──

 

「これって……血、ですよね」

「だの。しかも何かが叩きつけられたのか、異常な形に凹んでいる」

「──まさか!」

「おい待てご主人!」

 

血と凹んだ扉。

いても立ってもいられず、土足のまま診療所内へと踏み込む将臣。

開けようと、扉に近づいた瞬間──

 

「──え」

 

扉を内側からぶち破って何かが通路の壁に激突した。埃が舞ってそれが何なのかはわからない。

だが、聞き覚えのある声が届いた。

 

「──シブトイ」

 

その聞き覚えのある声は間違いない。それを確かめる前に影は部屋の中に突入し、床や壁を削るような音が聞こえる。

 

「ご主人! 急に走るでない! 何があるか、わぷっ!?」

 

立ち尽くす将臣に追いついたムラサメが衝突し、妙な声を出す。

それとほぼ同時に、黒い塊が壁を破壊して別室へと吹き飛ばされる。それを追撃する人影。

──間違いなく、馨だ。

 

「かお……っ!?」

 

その名を呼ぼうとしたとき、黒い塊──祟りから刀のような触手が将臣めがけて飛来する。

 

(しまった……!)

 

化け物みたいな速度で動く馨に意識を取られたからか、触手に反応できなかった。その全てが心臓、肺、頭部、腿を狙った射線。受ければ即死する──!

 

だがそれら全てを弾き返す一陣の風。

──茉子だ。

 

「早く下がって! 祓えるものが無い以上、ここはワタシが……!」

「邪魔ダ、茉子!」

 

時間稼ぎの殿を担当しようと声を上げたが、代わりに飛んできたのは邪魔だという声。殺意のままに出力を引き上げて動く馨が尋常ならざる速度で祟りへと接敵。再び最大接近距離での、一撃絶命の威力を秘めた暴虐同士の応酬が始まる。

 

黒が飛べば赤が舞う。赤が飛べば黒が舞う。共に爆ぜながら一刻も早く相手を滅ぼすために力を振るう。

関節が外れ折れっぱなしの左腕を揺らしながら、己の身を赤く染め、燃え尽きる祟りを迸らせた魔人が黒の獣と身を削り合う。

 

「オ前ハ、俺ガ──!!」

 

憎悪を纏った声と、声なき咆哮が響き渡る。

 

「なんなのですか、あれは……!?」

 

怯えを纏ったレナの言葉。

闇と闇の潰し合いは、何も知らぬ者に恐怖すら抱かせる。こと憎悪や殺意と言った黒い感情を糧として破壊的な戦闘行動をするそれに怯えることを、誰が責められようか。

 

「今の馨とあの祟りに近づくな! もはや祟り同士の戦いにすら等しい……!」

「いいですかレナさん。私から離れないように」

「は、はい……」

 

一方前線にいる将臣と茉子は、損傷と再生を繰り返して祟りと激突する馨の状態が目に入る。

 

「常陸さん、あれ……」

「左腕の関節が外れて、骨が折れてるみたいですね……普通なら痛みで動けないはず。膝が壊れていたようにも見えますし……本当に、何が……」

 

祟りを祓う武器を持っていようとも、常人では入れぬその死の舞踏に竦んで立ち尽くすしかない。

彼らは故を知らぬから、何故か虚絶に耐性のある祟りとしか映らない。しかしその膠着状態に変化が生まれる。

逆手と順手を駆使した猛攻によって徐々に追い詰めていく馨──虚絶が食い込む頻度は下がり、往来の斬れ味を取り戻していく。

 

退がる両者。

跳ぶ馨と迎え撃つ祟り。

刀を杭の如く突き立てんとするが、落下より僅かに早く迎撃が命中する。それすら無視して、突き立てて──

 

しかし、馨はここに来て失敗を一つ犯した。

再生による代償の踏み倒しは、損傷が生まれた瞬間に再生させることで行われる。

つまり、生まれた後に広がってしまった損傷は、踏み倒しが間に合わない。なので何処が壊れてもいいように、自身に集中する必要がある。が──

 

相打ち狙いのカウンターであっても、先に攻撃されたからと言っても、なによりも優先すべきは己の代償────だがここで彼は、受けた攻撃からの復帰を優先した。

故に。

 

「──、あ」

 

爆発的出力を引き出し運用していた代償がここに来て現れる。

──右腕がひしゃげた。血飛沫が弾け、神経と肉が壊れ、皮膚は裂傷によってズタズタになる。骨も砕け、常人ならば腕を捨てるしかない状況であっても、高まった再生が後出しの形で強引に元通りに修復していく。

 

しかし早かったのは、痛み。代償を修復するため痛覚抑制に回していた出力が離れ、脳に損傷を伝える。

出力が基準値まで低下し、先程までの爆発的出力は影も形もない。それどころか再生に回ってしまった全出力による強制修復に由来する痛みが、破壊の痛みと共に馨の内で暴れまわる。

 

「──ッッッ!?!?」

 

声にならない雑音が如き絶叫。

無理な体勢で対応し、踏み倒すべきものを間違えたことから彼は空中で制御を失って床に墜落する。

 

「馨くん!」

「ク、るナ……ァッ!!」

 

割って入ろうとする茉子を言葉と視線で止めた瞬間、祟りが倒れ伏した馨めがけて無数の触手を飛ばす。

だがこれに対して身体を無理矢理起こしながら、なんと同じく黒の触手を影から展開することで完璧に防御──できていない。

続けざまに繰り出された本体の突進を受け、無様に吹き飛ぶ。ゴロゴロと転がりながら、倒れた家具にぶち当たり、山積みになっていたそれらがガラガラと落ちてしまう。

当たりどころが悪かったか、頭を切って流血しながらもなんとか意識を保った馨は、自身が挟まってしまったのを悟る。同時にジェネレーターである虚絶から離れて、コンデンサである肉体に残留していただけの祟りを、強制的な出力上昇による無茶苦茶な運用した所為か、完全に平時の状態に戻り切ってしまった。

 

今頃になって外れた関節の痛みと折れた腕の痛みが襲うが、今なお破壊的な激痛を生む右腕に比べればなんのその。

しかし動けぬ、何もできぬ。無力を噛み締めて見ることしかできないのか──

 

「──いいや、まだだ……!」

 

否、断じて否。

腕が折れた? 使えぬほど傷んでいる? ジェネレーターが無い? コンデンサに燃料が残ってない? 出力不足? そんなものはやる気の無い奴の戯言だ。本気を出せるだろう。まだ頭が回って身体が動くならやれることはまだまだある。

 

──()()()()()()()()()()()()

 

幸い燃料の原材料はここにある。それを使えば肉体再生分は賄える。限界まで、いや限界以上に引き出せば戦闘も可能だろう。

だからと心の奥底に潜む、馨自身が持つ激情を燃料に──

 

──ヤメロ、カエッテコレナクナルゾ。ヤミニミヲヤツスツモリカ。アネギミヲマモルノダ──

 

その時、昼間まで頭の中で騒ぎ立てていた声の一つが、やけに落ち着きを払った声で彼を諌めた。

いや、諌めるどころではない。気付けば接続されていたものの大半が切断され、残っているのは虚絶とのラインのみ。

 

……本人は認めたくないだろうが。

今、稲上馨はこの場にいる誰よりも無力となった。

 

「──虚絶! レナさん(姉君)を守れ!」

「ギョイ──」

 

だがただでは終わらない。終わるはずもない。内なる声が示す、レナを守れという言葉に従う為に千年前の亡霊を呼び覚ます。

床に刺さった刀より黒い泥が現れ、人型を形作り、それは響是津京香を名乗ったヒトガタとなる。

 

「……使えぬか」

 

端末の損傷具合から刀を使える状況でないと判断し、祟りからの猛攻に対し防戦で応じる茉子の援護へと向かう。

 

「常陸の末裔、この場は我と貴様で耐えるぞ」

 

荒れ狂う触手を素手で叩きのめし、本体を殴りつけ、鉄山靠めいたタックルからの勢いをつけた回し蹴りによって吹き飛ばし、距離を無理矢理に会得しつつ、虚絶はそう言った。

 

「構いませんが、どれほど」

「管理者が神力を担い手に流し込むまでだ」

「ふざけるな! 人の身に神力を流せるものか! 吾輩が何故こうなっているのかはお主もよく知るところであろう!」

「ふざけているのはそちらだ。足手纏いが二つ、死に体が一つ、半端者が一つ、戦力が一つの現状で取りに戻れなど無茶を言う」

 

ムラサメの言うことはもっともである。人の身に余る力を流せなどと宣う虚絶の言を採用できるはずがない。

だがこの場において虚絶の提案は合理そのものであった。

 

「貴様とて選択肢が無いことはわかっておろう。それにりひてなうあーの存在は未知数だ。そんなものを抱えて皆死ぬなど認められまい。二つに一つだ」

「ふぇ? ……わたしです、か?」

「りひてなうあー、我が端末……馨の近くにいろ。あの状態ではほとんど役に立つまいが、盾にはなる。行け」

「で、でもキョーカ……」

「行け!」

 

声を貼る虚絶に押され、オズオズと家具に動きを封じられた馨の近くに向かうレナ。

それを見て虚絶は更に言葉を続ける。

 

「担い手。貴様はここで終わりたくあるまい」

「当然だろ……! それしかないならやるしかない」

「彼に戦う力を与えろ管理者。ごく僅かな時間であれば問題あるまい。それに通せるものなど他にはないだろう。あれは神力を宿しているが故、我らでは通りが悪い。あそこまで追い込んだが……」

「──来ますっ!」

 

茉子の警告。

殺意の軌跡を描いて向かう触手。それらを素早く二人は迎撃──したが故に暴れ回る触手が室内を破壊し、埃を撒き散らす。

 

「……視界が!?」

 

視界を奪われた茉子は、次いで放たれた触手の一撃に対応できずに吹き飛ばされ、壁に激突した後、床に倒れ伏した。

 

「茉子!? しっかりして、茉子!」

 

倒れ伏した茉子に駆け寄る芳乃。それを逃さず触手はまとめて始末せしめんと飛来する。

 

「戦場で情を先走らせるな!」

 

それに対して同じように触手を伸ばした虚絶が防ぎ、最悪の事態は免れる。だが致命的な隙を晒した虚絶に対して、増やした触手で襲いかかる。それを庇って吹き飛ばされる将臣。

 

「ご主人!?」

「大丈夫、まだ──!」

 

そうそう何度も受けられないとは分かっているが、あと二発程度ならなんとか……攻撃を分析しながら、同時に不利であるこの状態を打開するにはと考える。やはり虚絶の言う通りに……

 

「担い手、今すぐに神力を宿せ。時間が無い」

「何があったんだよお前」

「我はあくまで"私"を中核とした憎悪の結晶……端末に燻る憎悪も、食らった憎悪も高まりつつある。そこまで我が我を保っていられん」

「──ムラサメちゃん!」

「だがご主人の身が……」

「やるんだ!」

 

もはや一刻の猶予も無い。

将臣の決意を組んで、だが渋々といった様子でムラサメは提案を飲み込んだ。

 

「少し時間を稼げ、虚絶。レナ、芳乃! なんでもいいから物を投げて牽制しろ!」

「わ、わかりました!」

「ええっと……ええ〜いっ!」

 

その辺にあったものを掴んで投げつける二人。それは攻撃ではなく牽制。祟りは馨との戦いで理性がほとんど失われたのか、反射的にそれを迎撃し続ける。その隙間を縫うように虚絶が攻撃を仕掛け、祟りを釘付けにする。

 

「覚悟しろよ、ご主人──!」

 

その間にムラサメは将臣の頭をひっ掴み、突然唇を重ねた。

 

「──?」

「ん……っ」

 

いきなり何をしているやらと、意識を保ちながら事態を見ていた馨は思うが、すぐにそれが間違いであったと気付く。

神力の譲渡なのだ、これは。

……にしては、少し美味しすぎると場違いな感想が出てくるが。

 

しかし流された本人にしてみれば、体内に炎を宿されたようなもの。絶対的な力が体内で荒れ狂い、解放を求めて絶叫している。なるほどこれはそう長くない──だからどうした。

 

将臣は祟りへと踏み込む。

虚絶と目が合う。

 

"あとは貴様が仕留めろ"

雄弁に語っているその目に応え、大きく右腕を振りかぶる。

が、ここに来て祟りは狙いをレナに変えた。

 

「──ひっ」

 

芳乃が気づくより、ムラサメが反応するよりも早く、触手がレナの喉めがけて突き進む。

それを防ぐのは──

 

「させるか……っ!!」

 

動けないはずの馨が、レナの盾となるように前に立った。

自らの内に語りかける声が、守れと強く念じたが故に、彼はその一時のみ出力を増大させ、挟まった状態からその脚力のみで脱出。咄嗟にレナの元へと向かったのだ。

しかし、馨の右腕は使用不能。左腕は折れっぱなしで役に立たない。まともに使えるのは脚だけだ。

であればどうするか──必然である。

 

「ごめんよ!」

「へ? ──ひゃぁっ!?」

 

レナに足払いを仕掛け、コケさせる。

すると彼女目掛けて飛んでいた触手は空を切り──

 

「くたばれェ──ッ!!」

 

将臣は叫びと共に、その右腕を祟りにぶち込んだ。ズブズブと入り込み、祟りは苦しみのたうち回りながら、その黒を霧散させていく。

 

「……祓え、た……?」

「本当に、祓えたんですね……」

「ご主人、すぐに抜き取る!」

 

ムラサメによる再びの接吻。

炎が引いて、唇が離れたときに残るのは激痛。だがそれよりも先に右腕に見えた黒が、将臣の意識を塗り潰していく。

崩れ落ちる将臣に駆け寄る三人。

一方、馨は尻餅をつくように崩れ落ちると、虚絶に声をかける。

 

「……腕」

「痛むぞ」

「両方ダメなのは癪だ」

「わかった」

 

虚絶は折れた左腕を掴み、それを容赦無く力ずくで曲げた。変な方向に曲がっていた腕は元の形に戻るが──

 

「────ッ、ォァ……ッ!!」

 

如何に痛みに慣れたとはいっても、ズタズタの肉体では負荷が大きすぎる。そのまま肩関節もはめ直され、激痛によって辛うじて保たれていた意識は途切れはじめて──

 

「後は、頼む」

「御意」

 

意識が切れる直前。

茉子を助けている虚絶の姿が、彼の目に妙に残った……


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