千恋*万花~福音輪廻~   作:図書室でオナろう

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温度

……痛む身体によって意識が浮上する。

不自然な右腕の痛み、反応の鈍い左腕、なんとも言えない息苦しさめいた感覚。

見覚えのある筈なのに見覚えが無い天井。少なくとも自宅ではない。

 

「……何処だ……?」

 

弱った身体を布団から起こし、まずは自分の肉体を確認。目立った傷は特に無い。──右腕を除けば。

巻かれた包帯をめくり、様子を見る。裂傷の痕に新しく出た皮膚によってやや変色している。まるで火傷の痕のようだ。これまた放っておけばどうとでもなる類だが、しかし右腕を動かそうにもあまり言うことを聞かない。

いや、動くと言えば動くのだが……動かす度に痛みを伴う。しばらくは使い物にならないだろう。

 

辺りを見回す。その景色を見て完全に思い出した。朝武家の空き部屋だ。

なんで俺の家じゃない? 虚絶がいるんだから送ったって……しかも服も変えられてるし。血塗れだとまずいのはわかるが、誰がやったやら。

……どうせ虚絶あたりだろうが。

 

騒ぎ立てていた声は静まり返っている。少なくとも平時と同じだ。虚絶は眠っているのか、うんともすんとも言わない。

頭に違和感を覚えたので左腕の確認がてら触って確かめる。折れた骨も元通り、関節も問題無し。普段なら二日三日跨がないと完治しないが、どうやら寝ている間に燃料でも使って治したのか、すこぶる好調で健康体の腕そのもの。完治している。

ただギャップがあるので、反応がやや鈍いが。

 

「……頭に包帯?」

 

痛みも何もないので引っぺがし、近くの窓に映る自分を見て確かめる。結果は当然何もない。勝手に治る程度の浅い傷だったのだろう。

一つため息を吐き、どうしたものかと頭を悩ませようとしたとき、何かを忘れていることに気が付いた。

 

「……シャワー、浴びよ」

 

頭が重い。

シャワーでも浴びよう。右腕の傷はほぼ塞がっている。染みることはないだろう。

よっこらせと立ち上がり、バランスが取れずフラフラと歩きながら風呂を目指す。何度か世話になっているので場所自体は覚えているのだ。

しかし、誰もいない。将臣の奴はこっちに担ぎ込まれているだろうから、そっちの対応に────

 

いや待て。

あいつ、神力を流し込まれてなかったか? 虚絶という制御装置無しで祟りを扱うようなものだぞ? 無事なのか? 死んでないよな? それに茉子は大丈夫だったのか?

 

……急に怖くなった。

 

俺が無力だったから、こうなった。誰の所為だと言われたら誰の所為でもないのだろうが、俺は俺を責めなきゃ気が済まない。

兎にも角にも頭の眠気を取り払うのが先決だ。

だから意を決して、脱衣所の扉を開けて──

 

「あっ」

「えっ」

 

……全裸の茉子と、目が合った。

 

 

 

「……ごめん」

「……油断し切ってたワタシの落ち度ですから、お気になさらず」

 

その後。

着替えた茉子に、居間で正座しながら謝罪した。

そんな謝罪はあっさりと流され、茉子はクシャッとその顔を嬉しさと悲しみの混じった表情に変えた。

 

「でも、本当によかった……心配したんですからね」

「ホント、ごめんな。無茶苦茶やって。けどお前たちが無事でよかった……それで、将臣は?」

 

ここで尋ねておかないと、間違いなく俺は逃げるだろう。自ら逃げ道を断つべく、死刑を待つ人間のような心情で聞いた。

 

「……怪我自体はそう重くないですが、まだ目が醒めてないんです。まる一日寝ていて……」

「……そう、か……」

 

俺の失態だ。

俺がもっと手段を選ばず迅速に片付けていたら──こんなことにはならなかった。

 

「けれど、虚絶の言葉を信用するなら、そこまで時間はかからず目が醒めるだろうって」

「奴の言うことを信用するなら、か……起きたら無茶させたことを謝んないとな」

 

胡座に戻しつつ、虚絶に起きろと声をかけてみるが反応はやはり無いまま。よっぽど出られない理由でもあるのか、ここまで沈黙しているのは珍しい。いや、反応している最近が異常だったな。

 

「一先ず、芳乃様とムラサメ様を呼んできます」

「あぁ、頼んだ」

「……それと。馨くん、もうあんな無茶しないでください」

「……善処するよ」

 

釘を刺されちった。

まあ実際死にかけたのだ。これからは気をつけるとしよう。

……我ながら、食らった一撃を分解してそれを含めた燃料で死ぬ前に再生させるなんて意味不明な方法だと思うのだが。

 

待つというほど待たずに、二人はやってきた。安堵の表情を浮かべる芳乃様に対して、複雑そうな表情を浮かべるムラサメ様。やはり虚絶が神力の流し込みを強要したからだろうか。

 

「目が醒めたなら、呼んでくれたらよかったのに……」

「ごめんね、基本的に傷は翌朝には治ってたものだから、つい」

「つい、で腕の傷もそのままに湯浴みをしようとするものがおるか。バカ者」

「返す言葉もございません……」

 

愛想笑いで誤魔化すと、三人揃ってため息を吐く。それほどまでに俺がアレなのだろうか。アレだわ。

さて、本題に入ろう。

 

「それで、ムラサメ様。あんたのその険しい表情は不甲斐ない俺への怒りかな」

「そうではない。あの状況ではあれが最善だったとわかっておる。だがな馨。吾輩の表情は心配事に由来するのだ」

「将臣のことだろ?」

「それもそうだが……お主のことだ」

「俺?」

 

なんとも言えない表情のまま、ムラサメ様は心配事の一つが俺にあると言った。また小言かなと思うが、しかし違う。芳乃さんも茉子も、真剣な表情に変わっている。

それほどまでに重要な何かがあるとでもいうのか。

 

「馨、お主は今──人よりも祟りに近づいておる。虚絶曰く、少しばかり出力を上げ過ぎたのが原因とのことだが……」

 

出てきたのは予想していたことであり、だがとても重要なことだった。

 

「あー、駒川が倒れてるの見たのが切っ掛けだったかな。あの時確か、心臓潰されたけど死ぬより早く治したからそれが原因かも」

「心臓……!? 馨さんまさか、死んで──!」

「修復自体はものの数秒で終わったから別状は無いよ? でなきゃもう死んでる。まぁそういうところから祟りに近づいているってことなんだろうさ。で? それからなんだって?」

「そういう訳で奴はお主を人に戻すべく、しばらくは刀に篭って中にある祟りの接続を解除する……と言って消えていった」

「なるほど。さっきから声かけても起きないわけだ。祟りを喰らう祟りであるアレでどうにかなるなら安い話だな」

「だが今のお主が力を振るえば更に祟りに近づいてしまい、やがては帰ってこれなくなる。よって馨、これからしばらく戦闘行動は厳禁だ」

「へいへい。大人しく人間生活を楽しんでますよ」

 

あの声が言っていた、戻って来れなくなるってのはそういうことかと一人納得する。道理で接続が強制解除されたわけだ。それでも、言った張本人がレナさん(姉君)を守れと接続してきたのは笑え……ないな。

 

「ま、本気で大人しくしてるから安心してくれ。よっぽどのことでもない限り何もしない」

「なーんか、怪しいですねぇ」

「正直、馨さんってわりと嘘つくからあんまり信用できないのよね」

 

ジト目で好き勝手言ってくれる主従二人。が、反論できないレベルで騙したり嘘ついてたりしたから何も言えない。言えるとしたら文句だけだ。

 

「ひでぇなお前ら。まぁいいや、それで、駒川は無事か? 大した傷は無かったように見えたけど」

「みづはさんなら、もう回復して診療所を開いてますよ。とはいえ、まだ診療所の修理は先で、部屋が少ないと言っていましたが」

「なるほどね……ま、あの女が生きててよかったよ。で、なんであの時レナさん(姉君)がいたの? 確かに怪しいとは睨んでたけど」

「……姉君? 一体誰を言ってるの?」

 

不思議そうに呟く芳乃さんを見て、思った以上に流されていることに気がつく。これはマズい。大真面目に大人しくしているとしよう。

祟りに近くなるとこうまで影響が出るものか。虚絶の存在の大きさを改めて実感する。

 

「レナさんのことだよ。どうも、同居人の一人が彼女を姉と勘違いしてるらしくて。俺もその影響を受けて、妙な発言をしちまうのさ」

「本当に大丈夫?」

「うぉ、あんまり近づかないでくれ。いい臭いがしてどうにかなりそうだ」

「からかわないで。こっちは真面目なの」

「あれ、芳乃さん昔みたいな口調だね。どしたの」

「……」

 

ズイと迫る芳乃さんの口調が柔らかかったもんだから尋ねてみたが、彼女はピタリと固まってしまった。よく見ればやや顔が赤い。

 

「い、意識したら恥ずかしくなってきちゃった……」

「あ、わかる。俺も芳乃ちゃんって言うとなんか気恥ずかしい」

「と、とにかく大丈夫なんですか。そっちです」

「多分ね。人と話して自分を見失わなけりゃ、そうそう堕ちることもない筈だよ」

 

対処法は頭に入っている。

なので問題はない。それよりもレナさんのことの方が気になる。

 

「それで、レナさんのことでしたよね」

「うん。何があった?」

「どういうわけか、私の耳とムラサメ様が見えたんです。それであれこれ言われても困るからと、連れてきたら巻き込んでしまいました」

「見える、ね。ますます怪しい。何がどうなってるやら。将臣と同じパターンだと何かしらの関係者という線が濃厚だけど……ま、その辺は本人にも聞いてみるしかないか」

 

とにかく、レナさんは黒だったようだ。それから話を色々聞こうとしたが、怪我人は寝てろということなので渋々部屋に戻り布団でぐったりすることにした。

 

「馨くん? 入りますよー」

 

しばらくすると、何故か茉子が入ってきた。

 

「もうお昼が近いですから、軽めの食事です。お昼ご飯は少し遅めになりますけど」

「昼が近いのになんで風呂入ってたのさ」

「あのですね。ワタシと芳乃様は、昨日から付きっ切りで有地さんとあなたの看病したんですよ」

「お前だって怪我してたじゃん」

「あの程度怪我にはなりません」

 

おにぎりが乗った皿を畳に起き、えっへんと胸を張る茉子に、ふーんと返事をしながら腹に手を当てる。

された側はピシッと固まってしまっているし、なんか顔も赤い。既視感がすごいぞ。

 

「……一体何を」

「硬いな。サポーター入ってんだろ。無理するなよ」

「無理をする馨くんには言われたくないです」

「じゃあ反面教師にしろ。というわけでお前も休んでおけ」

 

雑に言い放ち、気にしても仕方ないと左手に持って食べる。前に右腕をやられた後、気になって調べたのだが要はいつもの宗教的屁理屈だったらしい。仕方ない理由がある俺には関係無い。

しかし、俺が気にせず食っていると、茉子はどうにも浮かない様子だった。

 

「どしたよ」

「休むって、どうしたらいいんでしょうかね」

「布団でぬくぬく、せんべいもしゃもしゃしながらゴロゴロするとか。お前だったら何も気にせず少女漫画読むとかになるんじゃないか」

「何も気にせずとか無理ですよぅ……だって芳乃様が家事やって怪我しないかとか気になっちゃって」

「過保護な親かお前は。昔っからの付き合いだし、結構前から世話してるから気になるのはわかるさ。俺だって急に芳乃さ……芳乃ちゃんが自分で家事やり始めたとか言ったら驚くし心配だよ。器用なのは知ってるけど」

 

まあこいつにとってみれば、一から五まで世話してた大切な人が急にその一から五をやるわけだ。そりゃ気になるってものよな。

というか、まだ俺がこいつらを年上だと思ってた頃から茉子の過保護は割とあれだった気がする。イタドリの酸味は毒性に由来するとかトリカブトとヨモギはよく似ているとか……思い出したらなんか母親みたいだなあとか色々感じる。

残ってた分を食べ、ありがとうと言う。

 

「でも、ワタシは平気ですから。心配しないでください」

「その言葉が現在進行形で説得力を失ってるの自覚してないのか茉子」

 

そんな屈託の無い笑顔で言われても、こちらとしては非常に疑ってしまう。

いや疑わしい俺が何を言っているやらだが、しかしそれにしたって割と茉子は無茶を是とするから疑わないという選択肢が無い。

 

「あは〜」

「可愛く首かしげても騙されんぞ」

「だけど無茶が必要になることがあるじゃないですか」

「そういう言い方は嫌いだよ、大人っぽくて」

「同じこと言ってたの忘れたんですか馨くん。しかもその返しワタシ言いましたよ」

「うぐっ……」

 

確かにそんなことを言ったし、言われた記憶がある。無茶だなんだの話は俺に対するブーメランになるから嫌いだ。

だがとにかくこいつを休ませなければ。俺より治りが遅いんだ。無茶をするからこそさせないようにしなければならない。

 

しかし……どうやったらこのワーカーホリックを止められるのだろうか。従者面を引っぺがして、ただの常陸茉子にして休ませるには何が──

 

そこまで考えて。

いっそ困らせてみてはどうかと、閃いた。

 

茉子をこの部屋に引き止め、何かするのを諦めさせる方法は……あるな。

だったらそれを、最適なタイミングで行うだけだ。

 

「まぁなんでもいいんだ。とにかくお前も休め。胴への一撃は内臓や骨に影響が出ていてもおかしくはない。駒川の目を疑うわけじゃないが、念には念というだろ」

「ワタシにとって芳乃様のお世話は日常なんです。それを休めと言われても……」

「わかったわかった。もう言わない。好きにしろ」

 

とはいえ初期段階の説得は失敗。

何処かの誰かに似て、だいぶ頑固になっちまった。

 

「さて、ワタシそろそろお昼の準備をしますね」

「あ、待ってくれ」

 

と、去ろうとする茉子を呼び止める。

不思議そうに立ち止まる茉子を見て、この作戦に対する恥ずかしさが出てくるが仕方ない。

やらねばこいつは止まらない。

 

「……えっとさ、少しの間でいいんだ。手を──握ってくれないか」

「なんですか急に。あは、もしかして甘えたいんですか〜? 可愛いですねぇ」

「まぁそうとも言う」

「……え?」

 

意地の悪いにやけた表情から一転、本気で困惑している茉子を見て、作戦の成功を確信する。

どうだ、割と重傷だった俺に手を握ってくれないかと言われるのは思いの外、困惑するだろう。

するにしろしないにしろ、少しくらいはこの部屋に留まらせることはできるだろう。世話をさせてやるものか。

 

「だからその……いや、やっぱ、なんでもない。気が向いたらでいいよ、うん……」

 

だがしかし。やはり年頃の女の子に対して手を握ってくれなんて頼むのは恥ずかしくて、どっち付かずの妙ちくりんな態度になってしまった。

なんだか顔を合わせられなくなって、布団に潜り込んでしまう。なんと情けないことか。

 

……いや、正直本気で恥ずかしい。

 

幼馴染の女の子に、一般に青年と呼ばれてもおかしくない年頃になって、手を握ってくれとかさ。どういうプレイなんだとか思われかねない。

悶々とした羞恥心に苛まれ、どうしたものかと顔を埋めて困り果てる。

 

「……もぅ、しょうがないなぁ」

 

何処か呆れたような、けれども優しい声が聞こえたと思ったら、被ってた布団に隙間が生まれるのを感じる。

 

「よいしょっと……これでいい?」

 

そのままモゾモゾと布と布が擦れる音がしたと思ったら、背中からダイレクトに人の温もりが伝わる。

まるで子供を宥める大人のような優しい声色と、茉子に包まれているという状況から余計に羞恥心が生まれて、もっと顔を埋める俺は、なんか色々と違う状況になってしまったことに対して──

 

「お前……何してんの?」

 

本気で困惑する以外の方法はなかった。というか、今気付いたが茉子の敬語が外れてる。本当に素の茉子だ。

 

「後ろから抱き締めてあげてるだけだけど」

「手を握ってって言っただけじゃん……」

「嬉しくないの?」

「いや、嬉しいけど……なんか、恥ずい」

「この前したし、それにもっと前には、馨くんは抱き締めてくれたじゃん。それと同じことだよ」

「……耳元でそういうの言うのやめてくれない? 卑怯だぞ」

「あはっ、照れちゃって……そういうところは昔から変わってないんだね」

「頭、撫でるなよ……」

「ふふふっ。ワガママなんだから」

 

ああ言えばこう言うとは正にこれか。暖簾に腕押し感が凄まじい。あと胸が当たってもっと恥ずかしい。

てか、他人の家で何してんだろ俺たち……

 

「ねぇ、いつまでこうしてて欲しい?」

「それは……少し昼飯が遅くなるくらいでいいよ」

「──あぁ、そういうことだったんだ。素直じゃないし、卑怯だよ」

「卑怯なのは茉子だ、こんなの……」

「わかっててやった馨くんの方が卑怯じゃん……」

 

──近い。

こんなに茉子が近くに感じるのは初めてだ。

茉子の温もりが、茉子の柔らかさが、茉子の吐息が、茉子の臭いが、茉子という存在が、今抗えぬ魔性めいてそこにある。

 

全然思考がまとまらないし、ずっとこのままがいいと考える自分もいる。まるで母と手を繋ぐ幼子のような安心感さえ覚える。

 

だけどこれ以上は男として、理性的なブレーキがマズいという確信もある。一体どうすればいいのか。希望と絶望の狭間、あるいは天国と地獄の狭間か。

 

好きでもない女に、半ば欲情しつつ姉性めいたものを感じるなど──あぁ、まったく……俺はとんだインモラルらしい。人のことを笑えないレベルでアレだ。我ながら度し難い男だこと……

更に茉子と俺の距離が縮まり、心臓の鼓動すら聞こえてきそうな程に密着する。大真面目にどうにかなりそうだ。

 

「……馨くんの臭いがする」

「そういうの、やめない?」

「やめちゃって、いいの?」

「………………いや、その、他人の家で何やってんだろなー俺たちって思っただけで……」

「──あ」

 

そう言った途端、茉子はマヌケな声を出して──

 

「ぁ、あはは……あ、あはー……なんちゃって……?」

「疑問形にしたところで遅いってば」

「あわわわっ……!! いい、今すぐ離れます! 今すぐうどん用意してきます! というわけでワタシはこれにてドロンです!! はいっ! ま、また来るね!」

「あのさ……ありゃ、行っちゃったよ」

 

電光石火の如く茉子は布団から脱出し、顔を真っ赤にしながら敬語と素が混じっている中、何をトチ狂ったかまた来るなどと言って去ってしまった。ちゃんと皿も回収している辺り、らしいと言えばらしいのだが。

 

「これ、寝れるかな」

 

芳乃さんの家で、茉子に抱き締めてられて、彼女の香りに包まれた布団──絶対に寝付くなんて無理だ。

 

「……女の子って、すごいや」

 

ボヤきながら、布団を直して横になろうかとした時。

部屋の隅から頭だけ出していたムラサメ様を発見した。ちょうど俺の頭の向きとは真反対で、あぁ、つまり、なんだ。死角にいた彼女からしてみればさっきまでの醜態を見せられていたわけで。

 

それを如実に語る小悪魔的微笑を見てしまえば、諦観と悟りが飛来するのも致し方あるまいというもの。ため息を吐きながら、俺はこの幼刀に一言。

 

「スケベ女」

「表出ろお主」

 

────喧嘩を売ることにした。

 

「うるせえこの覗き魔め。あの醜態をずっと見てやがって」

「見てるこっちが背徳感に満ち溢れるほどお主らのやり取りはイケナイ香りがしていたぞ。単なる添い寝が、どうしてあそこまで淫らな雰囲気になるのか。吾輩にはわからんなァ?」

「お子ちゃまにはわかりませんよーだ」

「はっ、甘え上手でまるで童のような馨に言われたくないわ。なんなら、吾輩が甘やかしてやろうか? 幼い肉体に対して見合わぬ精神、これをギャップもえ……? というのだろう」

「まーた将臣から変なこと学んだな……」

 

ムラサメ様のポンコツ化が深刻すぎて俺には何も言えない。しかしニヤニヤしながらその幼い姿のまま、まるで意地悪な姉のように振る舞われるのは……うん、大変そそってよろしい。

 

姉貴みを感じる。

 

──じゃなくて!

ええい、クソ! 色で頭がバカになったか!? 何をトチ狂ってるんだ俺はっ。

姉性フェチとか業が深すぎるだろう……!! そんなんだから茉子に弟気質とか言われるんだ!! 愚か者め!

 

「クククッ、面白い顔をしておるぞ〜? それほどまでに嬉しいか」

 

挑発するようにニヤニヤと近付いてくるムラサメ様。

ちくしょう、この……ロリババァ! ──なーんて思うわけでもなし。この幼刀にどうやって一泡吹かせるかは単純だ。

からかうのが好きなら、素直になればいい。茉子がよく使うテクニックだ。

 

「じゃあ、膝枕してよムラサメ姉さん」

「のじゃっ!? 急にムラサメ姉さんとか言い出してどうしたのだ」

 

そら、面白いように動揺した。

へへへっ、甘いんだよムラサメ様。からかいにおいて俺に勝てるのは茉子くらいだ。

 

「んー? いやロリオカンに甘えてみるのも一興かと。する側でいると楽しいけど、される側になるとダメなんて、まだまだ鍛錬が足りないなァ?」

「ロリオカ……っ!? わ、吾輩は叢雨丸の管理者だぞ! もう少し威厳のある言い方をせんか!」

「はっ、悔しかったら物理干渉を可能にして膝枕の一つや二つでもできるようにしてみろっての。この出歯亀幼女が」

「ぐぬぬぬ……っ、覚えておれ〜!」

 

悔しさのあまり捨て台詞を言って何処かへと向かっていくムラサメ様。

ふっ……勝った。完全勝利だ。

 

 

 

「そういえば、馨君は今日どうするんだい? 流石にその腕じゃ一人で身の回りをやるには不便だろう」

「あー、考えてみりゃそうですな」

 

昼飯のうどんに悪戦苦闘し、持ってきた茉子に食べさせてもらった後、仕事が一息ついた安晴さんがやってきて、そんなことを言った。

 

「まぁでもそこまで世話になるわけにはいかないし、晩飯だけいただいて帰宅しようかなと思います。風呂は……どうしましょうかね」

「傷があるし、一応入っていったらどうかな。傷口自体は塞がってるわけだし、お湯であっても問題は無いと思うけど」

「じゃお言葉に甘えて」

 

「けれど、血塗れでウチに来た時は驚いたよ」とボヤく安晴さんに「すみません」と返しつつ、確かに血塗れだったなぁと回想する。

話を聞くに、あの後目覚めた駒川によって怪我人三人の処置を迅速に開始。

将臣が意識が落ちていたので最優先、茉子は意識がまだあったので手当てをした後安静に、そして俺はしばらく虚絶が肉体を動かし、朝武家についたら身を清潔にしたり服を借りたりなんだりしたようだ。

 

「しかし、これは人の手には余る代物だ。昔、僕も虚絶を担いで挑んだことがあったけど、あの時は確か内臓──心臓と肺がボロボロにされた挙句、腕や膝も代償で破壊されてね。でも目が覚めたときにはほとんど治ってた。あの時は秋穂に泣きつかれちゃったし、千景や遙香さんにも殴られたなぁ……」

「親父やお袋に殴られるって何してんですか。あの人たち手を出すことは滅多に無いのに。ってあれ、安晴さん……虚絶を使ったってどうやって?」

「いやぁ……秋穂にばかり任せてられないって、千景からぶんどって無理矢理使ったんだ。その時に中に何かいるってのは知ったんだけど、まさか君のご先祖様だったとは。彼女から見て、僕はだいぶ印象に残ってたみたいでね。会ったときには妙な反応をされたよ」

 

妙な反応? と首を傾げる。

あの殲滅にしか興味無さげな奴が何故安晴さんに反応したのだろうか。

 

「確か「無念を抱える者よ、我はそのような悲劇を二度と無いようにせねばならない。望むのならば再び求めよ。さすれば、我は貴様を鏖殺の刃とせしめよう」──だったかな」

「俺だけ使ってりゃいいものを……! あの女、コナかけやがってっ!」

「まぁまぁ。彼女、求めるものには与える性格みたいだし、いざとなったら求めろよくらいだと思うよ? そんなに気にしないでほしいな」

「ですがあいつは貴方を使い潰す気で──!」

「使い潰すなら、僕はとっくにあの時死んでるよ。あの時に代償を治癒したのは間違いなく彼女だ。その意志は殺戮に塗れていても、何処かに人の心がある。間違いなくね」

 

心当たりはあるが、信用ができない。きっとこの人もそうだ。奴を信用するなんてリスクが大きすぎる。

 

「まぁ、君もあれだ。少し芳乃たちと触れ合って、昔みたいにのんびりしなさい。最近は色々あって疲れただろう?」

「まー、そうですね……何も考えずにのんびりしますよ」

 

そう結論を出すと、仕事に戻る安晴さんを見送った。

もうやることもないので、布団で横になる。

 

「……茉子の臭いだ」

 

是が非でも想起させる、昼前の何とも言えないあのやり取り。

あの時は、本当にどうかしていたのだろう。お互いに……

 

 

結局、陽が落ちるまで悶々として過ごした俺は晩御飯にやはり苦戦した。何せ右利きである。掴めはしても細かい作業は無理だ。刀を振るだけなら例外だが。

また茉子に助けてもらいながら、晩飯も終えて風呂に入る。その程度であれば片手でも十二分だ。

 

……湯に浸かると、まず痛みが先に来た。どうやら祟りに近づいた影響とでも考えればいいのか。それとも単に傷口が痛むのか。

存外、定義とは往々にして曖昧である。

 

「……ふぃー」

 

痛みとは言っても、熱いお湯に浸かったみたいなヒリつく痛みだ。それほど気にするものでもない。

烏の行水と親に言われるほど、そこまで長くは入らない。とっとと上がって着替えてしまう。

右腕を動かしたくない為、左腕しか袖が通っていないが問題あるまい。

 

「お世話になりました。おやすみ」

 

貸してもらった服は洗って返すと伝え、心配そうにする芳乃さんと安晴さんに別れを告げて帰路に着く。

 

「今日はえらく着いてくるな」

「片手しか使わないんでしょう? ワタシが一応いないと、いざってときに不便ですよ」

「ごもっともで」

 

家まで茉子に送られたが、それは些細な問題。

帰宅した後、服は畳んでおき、転がってた寝間着の単衣に着替えて布団に入る。

慣れ親しんだ布団だが、しかし……人肌に触れすぎたからか、やけに冷たく感じた。


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