千恋*万花~福音輪廻~ 作:図書室でオナろう
それから三十分とかからない内に、レナさんは見舞いにやってきた。
ついでに、あのすっとこどっこいツンデレ兄妹も来たので、何もすることのない将臣にはちょうどいい刺激だろう。
……廉が持ってきた紙袋の中が気になるが、いやまさか……いつぞや、エロ本を貸してやるとか言ってたが。
「最近、ここも賑やかになってるよな」
「いい傾向ですよ。色々な意味でも」
「だな」
隣に座っている茉子とそんな感想を呟きながら、さぁて家事をするかと意気込んで、いざ動こうとしたのだが。
「あ、私がやりますからいいですよ」
「いやね、芳乃ちゃん。俺ァ君に世話になったんだし、その礼も兼ねてだね」
「あなたの世話はワタシですよ」
「じゃかしいっ。とにかく、何か手伝わせてくれ。じゃないと気が済まないんだ」
「でも怪我は治ったばかりだし、それに今はお客様です」
「俺と君は友達だろ。たまには頼ってくれ」
「普段頼ってばかりですから、そこまで迷惑はかけられません」
と、芳乃ちゃんと平行線の会話を続けるハメになった。もちろん、お互いに一歩も譲らないのでああでもないこうでもないと言い争いめいたやり取りが続く。
「二人は何をしてるんだ」
「あ、将臣。芳乃ちゃんが俺に家事を手伝わせてくれないんだ」
「有地さん、昨日治ったばかりの馨さんが家事を手伝わせてと言ってくるんです。どう考えても静かにしていた方がいいでしょう」
「なるほど。色々あるのはわかったよ。でも俺の一番の疑問は……」
見舞いに来た連中を連れて現れた将臣は、言い合う俺たちからやや視線を外して、ちょうど俺の足に目を向けた。
胡座をかいているが、左膝辺りには──
「なんで常陸さんは馨の足を枕にして横になってるの?」
「なんか重いと思ったらお前、ホント何してんの」
「にゃーん」
なんか知らぬ間に茉子に膝枕として使われてた。しかも使いやがってる張本人は、猫か何かのような態度を見せるばかり。
猫……猫か。思い立ってプラプラと茉子の顔の近くで指を揺らしてみる。するとペシッと叩かれて、ああ猫だと理解する。
「おい茉子にゃん、重てえから退け」
「デリカシーが無いですね。恥ずかしいから退いてくれくらい言えないんですか? 昨日みたいな可愛げ見せてくださいよ〜」
「はぁ? 誰が見せるかメス猫め。あんなもん眠気に当てられておかしかっただけだ。てか客に失礼だろ客に」
「……あっ、皆さんこっちに来ていらしたんですね」
状況を確認すると、いそいそと身体を起こす茉子。まだ来てないと思ってダラけてたのかこいつ。
まぁ……素はかなりアレだしな、茉子は。俺といい勝負してるんじゃないか?
「そういえば、なんで馨さんが巫女姫様の家にいるの? 学校休んだって聞いたけど」
「あぁ、それね。小春ちゃんはどうして将臣が怪我したか知ってるかい?」
小春ちゃんの疑問と、カバーストーリーを知るべく尋ね返してみる。辻褄を合わせないと面倒だしな。
「診療所で本棚の下敷きになったのは知ってるよ」
「オーケー。そこまで知ってるなら話が早い。元々、診療所に向かってたのは俺の所為なんだ。山に用事があって色々やってたんだが……落石を避けたら落ちて気絶してな。偶然、近くにいた将臣たちに連れてかれた」
「あー、お前の家遠いもんな。だから担ぎ込まれたのか」
「その通りだ廉。将臣は本棚の下敷き、茉子はそれを庇って負傷とまぁ、三人まとめて怪我人に早変わりだ」
スラスラと吐き出した嘘は、言葉を変えて真実だ。だから芳乃ちゃんに生暖かい視線を向けられても俺は嘘"は"言ってないし、本当の事を黙りながら言葉を変えているだけ。孵化器がやるのと同じテクニック──と言えば聞こえが悪いな。
が、しかし知らなくていいことは知らせる必要も無い。知られたところで問題無かったりあったりするものだが、それはそれこれはこれだ。
「んでまぁ、昨日までここで世話になってたが、目が覚めて帰ってな。今日は様子見がてら休んでたら、そこの寝坊助が起きたと聞いて冷やかしに来た」
「お前のおかげで寝坊したんだけど」
「そりゃ悪かった。だが美人の介抱は美味しかったろ? それでチャラにしてくれよ」
お互いに軽口を叩きながら、一応追求はされても平気なようにしておく。レナさんがやけに妙な視線を向けてくるが、多分真相や何が起きてるかを理解しているのだろう。
だがしかし、何故将臣が起きてきたのかが謎である。わざわざ連れて来てまで。これではまるで何か目的があるかのようではないか。
と思って話を聞くと、どうやら玄さんから見舞いがてら家事の手伝いをするようにと言われていたレナさんが、その旨を伝えに来たとのこと。
しかし頑固者の芳乃ちゃんはこれを遠慮する。
「つーかさ、芳乃ちゃんは何を意固地になってるんだよ。人の好意は素直に受け取るもんだぜ。というわけで俺にも手伝わさせろ」
「あ、馨さんは茉子と一緒に休んでて」
「えー。なんでさ」
「そうですよ芳乃様。ワタシは普通に動けますよ」
「「茉子は休んでて」」
「えー……」
さっきまで涙目だったアホの子が何か言ってるが無視だ無視。無言で背中をど突いてくるが無視だ無視。
「しかし、大旦那さんからはマコに家事を任せていると聞きましたよ? それにカオルは……うん、何か信用できません」
「酷くないかな、あね……レナさん」
「そもそもカオルは自分が怪我をしていたということを忘れてませんか」
「いいんだよ俺は。頑丈だし」
そう言い放つと、全員がため息を吐いた。そこまで俺は変なことを言ってないつもりなのだが。
呆れ返った廉は、仕方ないといった様子で俺に尋ねる。
「なぁおい馨よ。お前は山の斜面を転げ落ちて丸一日寝てたんだよな」
「そうだな」
「常識的に考えれば自分が滅茶苦茶なこと言ってるってわかんない?」
「動くし痛みも無い。休んだのはあくまでも様子見だから問題無いなら家事程度いいじゃん別に」
二度目のため息。
何がいけないのか本気でわからない。
「なら家事ったって何やるつもりだったよ」
「風呂の支度だろ、飯もだな。あとは洗い物に掃除と……まぁ概ね全部? 茉子の代わりをやろうとしてたし」
「テメェ病み上がりなの完全に忘れてるな! マジで動くなよ! 巫女姫様、レナちゃん、このバカに働かせちゃいけない。こいつ間違いなく頑丈だとかすぐ治るからでかこつけて無理しようとするって」
なんか罵倒された。
病み上がりなのは昨日だし、もういいと思うんだけどなぁ……
「なぁ小春ちゃん、俺なんで罵倒されてんだろ」
「普通の人はいくら一宿一飯の恩義があっても、病み上がりに家事を全部やろうなんて発想しないよ」
「そうかあ?」
「廉兄でもそんなことしないよ」
「……そっかぁ」
「おいそこの二人、ナチュラルに俺を貶すな」
廉が指差してくるがまぁいいだろう。つまり俺はよくわからんが間違えてるということらしい。しかしこれだと来た意味が無いというか、なんというか……
「とにかく、いくらそう言われてもお客様に手を煩わせるわけにはいきません」
往来の頑固さで話をまとめようとした芳乃ちゃんだが、ここでレナさんはすかさず一手を差し込む。
「ヨシノ、料理のさしすせそを知ってますか?」
料理のさしすせそ……って、なんだっけ?
聞いてる俺がなんだっけとなってしまうが芳乃ちゃんの様子に変わりはない。つまり覚えているということか。
でも芳乃ちゃんだしなぁ……
「知ってますよ。砂糖、醤油、お酢、せ、せ、せ……は、ええっと……背脂? ソース?」
「随分味が濃さそうだね。日本的とは言い難い」
将臣の毒舌が光る。
……で、本当のところはなんだっけ? ろくろを回しながら俺もボヤく。
「砂糖、塩、酢──までは覚えてる。せがなんだったかは忘れた。そは……ソルト?」
「なんで英語なんだよ馨。味噌だろ」
「お兄ちゃんの言う通りだよ。ちなみにせは醤油ね。確か、古い読み方に由来してるんだったっけ」
はえーと感心しながらえへんと胸を張る小春ちゃんに拍手をする。
が、背脂にソースという都会でしか見かけないような味マシマシの発言をした芳乃ちゃんはというと。
「ぐっ……確かに料理の経験はほとんどありません。でも、私はいつまでも茉子に頼ってられないし、こういう時こそ役に立ちたいんです」
「なるほど、ヨシノは可愛いですね」
ニコニコしながらそんなことを言うレナさんだが、それはなんというか口説き文句めいたというか。彼女は天然タラシという感じだな。
「では手慣れた人とやってみたらいいですね」
「けれどやっぱり迷惑じゃ……」
「友達とは助け合いですよ、ヨシノ」
「芳乃様、別に一から十まで任せるというわけでもないので、意固地になる必要もありませんよ。というよりも、流石にここまで硬いと失礼かと」
「……わかったわ。よろしくお願いいたします」
レナさんの説得もあってか、やっと折れた芳乃ちゃんを見てこの頑固さはどこから来たものやらと少し疑問に思う。今まで頼られる立場だったからなのだろうか? 兎にも角にも将臣が芳乃ちゃんにとって対等の存在となってくれるのを祈るばかりだ。
「んーと、じゃあ俺たちは撤収した方がいいかな? 流石に多くて邪魔だろうし」
「生憎、わたしは料理に関しては修行中なので、そちらを頼めますか?」
「ありゃ、そうだったんだ。よし、じゃあ小春と俺で巫女姫様のサポートだな。腕の見せ所ってね」
と、自信満々に言う廉を見てふと疑問が浮かぶ。こいつが飯を作っている姿が想像できないのだが、いやまさかそんなペンギンが空を飛ぶよう真似はできまい。
「将臣、あいつ料理できたっけ?」
「確か旅館の手伝いがてら仕込まれてたと思ったけど。小春も同じでさ」
「……マジか。ちと信用できねえ」
「料理だけは私より上手なんだよね、廉兄って。お姉ちゃんのところでバイトしてるのに」
「小春は割と不器用だもんな。いや、不器用は言い過ぎた、うん。覚えが悪いだな」
「むっ、何さ。料理スキルをナンパのためだけに向けてる廉兄に言われたくないよ」
「今時は飯の一つや二つ作れないと女にモテねーっての」
そんなこと言ってるクセに童貞卒業した時は人にうるさく感想言ってきやがったんだよなぁ。いや誰が友人の性事情を聞きたいかってーの。
……しかし、俺はどうしたものか。一応料理はできるし。
「なぁ、俺は──」
「あ、馨さんは茉子の監視がてら休んでてください。この子ったら、隙あらば仕事しようとして……」
「あは、そういうわけでワタシに構ってくださいね。馨くん♪」
「……はーい」
どうやら俺は、茉子にゃんの飼い主役らしい。ショボくれながら返事をすると、芳乃ちゃんは一安心といったように肩を撫で下ろした。
なおその時の俺は、まるで母親に怒られた子供のようだったと、後日レナさんが呟いていた。
鞍馬兄妹と芳乃ちゃんが料理担当、レナさんが将臣のベッドメイキング……いや、布団メイキングか。まあそんなこんなで別れることになった。俺はさっき言った通り、茉子にゃんの飼い主役なので居間からキッチンを眺めている。
さっきチラッとレナさんを連れて外に向かう将臣が見えたが、裏仕事関連だろう。
食材を見て何をするか〜とか、色々聞こえてくるし、何より廉と小春ちゃんが的確に芳乃ちゃんをフォローしてるしで、俺としては一安心だ。
そんな感じで眺めていると、ズボン越しに爪を立てられる痛みが走る。見れば茉子にゃんが不服そうに見つめてきている──下から。
まぁ、つまりなんだ。また膝枕してると言えばいいのか。甘えられてると言えばいいのか。
「なんだよ茉子にゃん」
「昨日の続きをしませんか」
「見られるよ」
「見せつけるくらいで行きましょう」
「おーいお二人さーん。エロチックな会話は控えてくれると助かるんだけどー。小春が真っ赤になったし、巫女姫様も動揺しちゃってるしで俺が大変なんだけどー」
「へーい」
「申し訳ありません」
怒られちったなー。ねー。と適当にやり取りをしながら、この猫の頭を撫でてやる。くすぐったそうに目を細めながら、髪型が崩れると文句をつけてくる茉子に、さてどう反応してやったものかと苦笑しながら撫で続ける。
「茉子」
「なんですか」
「やっぱなんでもない」
「あは、変な馨くん」
会話も続かない。
たまに寝返りを打つ茉子の頭を撫でているだけ。
手を止めて、悪戯してやろうと腕を膝まで動かそうとして、その手を握られる。
「昨日の続きってそういうことかよ」
「あは、本当にするわけないじゃないですか。それとも……言えないことを想像してたんですか〜? やーらしー」
「やらしくない男なんていません」
「お見舞いに官能小説持ってくる人に言われても説得力無いですよ」
「それは……」
ニヤニヤしながらゴロゴロと寝返りを打ち、言葉で丸め込んでくる茉子。そろそろ足が痛くなってきた。
「ごめん、足痛い」
「じゃあ添い寝してください」
「……ダメだ」
「なんで?」
「ダメったらダメだ」
「あは、恥ずかしいんですか〜?」
「他人の家でなんでこんなことやってるんだろうって気にならんのかお前はっ」
「あ……」
「今更顔を赤くしても無駄だぞ。俺の家かお前の家ならともかく、流石にだな……」
顔を赤くしながらスススッと離れていく茉子を呆れた目で見る。
「いやな? 確かにお前にとっちゃ自宅みたいなもんだよなここは。でも客もいれば個室でもないんだし、こういうのやめない? 別に付き合ってもないんだしさ。ガキの頃の姉弟関係めいたものを引きずるのもさ」
「それ、そういう関係になりたいってことですか」
「いや全然。恋愛とか面倒くさそうだし、別にいいかなぁって」
そんな風に返すと、なんだかその返答が気に入らなかったのか、なんとも言えない表情を見せた後、茉子は「面倒くさそうって……」と呟いて口を聞いてくれなくなった。
──俺は何かしたのか? でも単なる個人の感想みたいなものだし、した覚えもないのだが。
恋愛に関して、茉子の地雷を踏んでしまったのかもしれないが、何が悪かったかわからないので謝るのはやめておこう。下手に面倒なことになっても困る。
それから晩御飯が出来たりなんだりするまで、茉子は不貞腐れたように俺を無視し続けた。
帰り道ですら無視。そこまでするかと思ったが、彼女にとっての地雷を踏み抜いたのは確かなようだ。
■
──茉子が馨と出会ったのは、幼少の頃のこと。その初対面は、彼の両親が穂織に戻ってきたとき。
帰ってきたという報告回りで、常陸家に顔を出した千景と遙香の陰に隠れるように、背の低く気弱そうな少年──つまりは馨がいた。
今からでは考えられないことだが、幼少の頃の馨とは喋らなければ動きもしない、何を考えているかも分からず、ただ仏像か何かのように佇む、不思議な人物であった。
どれだけ声をかけてもウンともスンとも言わず、父母から何か言われても一言二言で終わる。実に困った少年……そんな印象を受けた。
ただ茉子にとっては所詮その程度の存在であり、馨にしてみても所詮その程度。お互いに両親が知り合いだから知り合っただけの、すぐに消える縁であろうと見ていた。
学校が一緒でクラスが一緒であろうとも、虚無がそのまま形となったような馨に触れることもなかった。
そんな関係が一変したのは、馨が朝武家に訪れたときのこと。あまりにも静かすぎる馨を見兼ねて芳乃が遊びに連れ出したのだ。もちろん、茉子を連れて。
そこで彼女は初めて、困ったような顔をする馨を見て、こんな顔もできるんだなと思ったのだ。芳乃が連れ回し、困ったような顔をしつつも、やっと笑顔を見せるようになった頃、茉子は納得した。
「この子は放っておいたらダメな子だ」と。
段々と口数が多くなった彼から話を聞くに、どうやら両親の鍛治仕事の関係やあまり他人と接する環境でもなかった上に、そもそも他人と接するのが面倒だとか思ってたようだ。
「……何もしたくないし、考えなくない」
とは本人が常々思っていることらしく、今考えてみれば虚絶の呼びかけがあったからかもしれない。
だがそんな馨が気に食わなかった茉子が、一度だけ彼を家から引っ張り出したときがあった。
そのときの彼は、ひどく驚いた顔をしていたのを覚えている。もっと笑えと、こんな風に笑ってみてと、笑顔を見せた。
……そこまでは覚えているのだが、そこから先は朧げだ。
ただいつの間にか廉太郎と意気投合して友人になっており、いつの間にかあんな風な性格になっていた。
長年の付き合いのある茉子であっても、何があったのかがわからない。とりあえず、殺人の使命と殺せてしまう己で狂気を抱いていたのは確かなのだろうが……どういう化学変化が起きて、ヒヨコみたいに後ろを着いてきた男の子が、あんな飄々とした男になってしまったのか。想像もつかない。
「……最低だよ馨くん」
……帰宅した後、茉子は布団の中で一人愚痴る。
過去に、呪いが終わったら何がしたいかと馨から尋ねられたことがあった。その時茉子は、「恋をしてみたい」と言った。それは今でも変わってないし、普通の女の子らしいこともしてみたいと思っている。
「いいんじゃないか? 楽しそうでさ」
あの時はそう笑って肯定した彼が、そう、よりにもよって肯定した彼が、そんなことは忘れたと言わんばかりに微妙な表情とどうでもよさげな態度で面倒くさそうだしと言ったのがショックだった。
「あのアホ、どうしてやりましょうか……?」
茉子は決意した。
必ずかの邪智暴虐なすっとこどっこいに仕返しをしなくてはならないと決意した。
具体的には、どちらが本音なのかを聞き出してやろう……とか。