千恋*万花~福音輪廻~ 作:図書室でオナろう
朝、妙な温もりと重さを感じて、将臣は目覚めた。
「──は?」
訂正。
目覚めたと同時に思考が停止した。
だって目の前に、何故か芳乃がいるのだから。
(なんで?)
寝惚けた、にしてはおかしい。抱きつくような姿勢なのは、単に寝相の問題だろう。だがしかし、一度居間を通らねば将臣の部屋には行けない。
つまりは何かしらの異常か何かがあったと見るのが妥当で……
(……女の子だ)
しかし健全な男子はどれだけ頑張っても桃色な思考には勝てない。いや勝とうと思えば勝てるが、芳乃と過ごす日常がもはや根付いていた彼には、その誘惑に耐えきれなかった。
無防備が過ぎる──なんということか。けしからん。バカなことしか考えられない。
(い、いや待てっ。この状況を誰かに見られたら事情説明がややこしくなる! だったらここは、一旦抜け出して──)
身体を起こしてとりあえず時間を確認──普段起きる時間よりやや遅い。習慣付けているのに、何故? とも思うが、これも何か原因があってのことだろうか。
……そこまで考えて、何かが視線の先を横切った。
──違う、何かが落ちている。
黒い、黒い雫が。
「──ッ」
すぐさま枕元に置いてあった叢雨丸を手に取り、臨戦態勢を取る。
黒い雫はシトシトと落ちて、沼のように床に広がり……その中からゾブリと腕が生えてくる。まるで地面から何かが這い出でるように、それは現れた。
「──ム? ナゼココニワレガ……?」
刀を携えた、和装の男。
しかしその声は男女の声が混じった歪な声。
──それはいつかの夜に見た、復讐の化身。
将臣の記憶に新しい、千年前の亡霊。
「虚絶……なのか?」
「ニナイテ? ナゼワレガキサマノモトニイル? ナニガアッ……タ……?」
虚絶の表情が、信じられない形へと変わる。そう、それはさながら意地の悪い表情を浮かべた茉子のような……そこまで理解して、将臣は目の前の存在が、"あの"馨の祖先であるのだと思い出した。
そして、やばいと本能的に悟った。
なんだかんだ言って、この女は──
「ソウカ……ヨルノイトナミヨリメザメタバカリダッタカ。イヤ、スマナンダ。ワレハカエロウ。アトハ、トシワカキダンジョダケデ、ユルリトアイヲムカエニオチルトイイ」
あのろくでなしの祖先であり、復讐の化身であっても、根っこはそう変わっていないのだ。
一人だけシリアス担当みたいなポジションだったのに、こんな根っこだったとは……絶望しながらも一筋の望みを託して挽回をする。
「いや待ってくれ! そういうのじゃない! むしろやばいんだ! 助けてくれ!」
「ナニッ? マサカ、キサマサクバンコヲシコンダノカ……!? ヤルナ、ニナイテヨ。イヤハヤ、コレハセキハンガヒツヨウダナ。マッテオレ、ヨウイシテクル」
「そうじゃなくて! 何か妙な事が起きてるみたいなんだよ!」
このポンコツ妖刀めと内心毒づく将臣だが、一方わざとらしい勘違いをしながらも、虚絶はこの事態の異常性は理解していた。
時間をおけば馨が起きるかとも思ったが、中々起きて来ない。しかも熟睡してるのか、呼びかけても「比奈ねーちゃん……もぅ子供じゃないよぉ……」とか寝言を発するのみ。
使えん奴だと思いながらも、さてどうにかしてやるかと優先順位を立てる。
「トニカク、キサマハミコヒメヲオコセ。ワレハカンリシャトヒタチノヲヨンデクル。タンマツハネテイルノデシバシマテ。カマワヌナ」
「あ、あぁ。任せた」
部屋を出て行く虚絶。
とにかく起こさねばと、叢雨丸を床に置いた時、妖しい赤に発光する憑代を見た。
(赤……? そんな話は聞いてない)
みづはからの報告では黒の筈だ。なのにこれは──
その謎を解明するためにも、今は彼女に起きてもらわないと。
「おーい、朝武さーん?」
「……すー……」
「起きてってば」
「……ぅ、ぁぇ……?」
あっさり起きたが、しかし、今二人の顔は近い。
だから状況を確認した芳乃はズザーっと身を離してから、一言。
「よ、夜這いですかっ!?」
「違う!」
……何故こんなことになったのだろうか。誰か俺を助けてくれと思いながら、落ち着いてもらうためにも状況を説明する。
「多分、朝武さんが俺の部屋に入ってきたんだよ。理由はわからないけど」
「……あっ、本当だ。私の部屋じゃない……でも、どうしてだろう……?」
「夢遊病じゃないよね」
「そんなことは今まで一度も無いですね」
「憑代が赤く光っているのも、何か関係があるかもしれない」
「確かに、赤いですね」
むぅ、と頭を悩ませているとドタドタと足音が聞こえ、バタンと大きな音を立てて扉が開かれる。
現れたのはとても素晴らしい笑顔をした、ムラサメと茉子────
「ご主人! 昨夜はお楽しみだったな!」
「ワタシお風呂の支度をしてまいりますので、どうぞごゆっくり」
呼んでくる、とは言っていたが。
手段を選ばないとは言っていない……ということであろうか。
「あの……すっとこどっこいッ!! 何を言い触らしたんだよォ──ッ!!」
将臣の叫びが、朝の静寂を切り裂いた。
■
「……なんで俺、君の家にいるの?」
目が覚めてみれば寝間着のまま朝武家の居間にいた。
いや、意味がわからん。しかも何故か虚絶の本体がある。
「実は私も知りません。有地さんは?」
「なんか、黒い雫が突然垂れてきて、それが広がった沼みたいなところから、刀を持った虚絶が主体の馨が出てきた」
将臣の言葉に引っかかりを覚え、合点がいった。
ということは、虚絶が呼び出されたのか。なら俺にも教えろと声を向けてみるが、返事が無い。つまり何処かへ行っているということか。
でも何処へ……
「虚絶ならば、レナを呼びに志那都荘へ向かった。どうも憑代が奇妙な状態でな。確認の意を込めて呼んできてくれと頼んだのだ」
「なるほど。あいつなら適当に殻を被って誰のフリでもできるからな。適任ってもんか。で、俺から離れてったと」
ムラサメ様の言葉から状況を整理しつつ、一人だけ寝間着というのは恥ずかしさを感じる。
「連れてきたぞ。あと端末よ、服だ」
「サンキュー……そしておはよう、レナさん」
服を受け取って挨拶をしてから居間から出て着替える。
ものの数秒とかからずに終えて、寝間着は畳んで手に持っておく。再び居間に戻ったとき、場には神妙な雰囲気が満ち溢れていた。とりあえず虚絶と同期し、記憶ややり取りを確認する。
……なんだか愉快なことになっていたらしい。俺も見たかったし混ざりたかった。まぁ余談だろう。
これからは真面目な話だ。そんな和気藹々としたものは、その辺にでも捨て置けばいい。
さて、と一つ起き、ムラサメ様は切り出した。
「レナ、今身体に何かあるか?」
「うーん……ここにいると耳鳴りがしますね。あ、でもそれだけですし、それに全然気にするほどでもないのですよ」
そう笑うレナさんの様子に嘘は見えない。ならばとムラサメ様は視線を芳乃ちゃんと将臣に向けた。
「二人はどうなのだ?」
「俺はなんか熱っぽいかな」
「私もそうですね。熱っぽくて、それで夜中には乗っ取られたみたいで」
熱っぽい、耳鳴り、症状はバラバラだが、芳乃ちゃんに耳が生えていることを考えれば、憑代が原因となるだろうことは簡単に予測できる。
「馨はどうだ? 突然現れたようだが」
「俺らは別で考えてくれ。少しややこしい。だけど、憑代に呼ばれたのは確かだ────何が、かはわからないが」
そう言いつつ、虚絶と確認を取り合う。
実際、俺が呼ばれたか虚絶が呼ばれたか、それとも燃料の祟りが呼ばれたのか……検討が付いていない。虚絶もそのようで、少なくとも俺たちは該当していないとのこと。
咄嗟に俺の身体を動かしていたようだ。妙な呼び出し方をされた所為でまた祟り寄りに変質したかとも思ったが、そんなことはなく、そのままらしい。
まったくもって謎が多い。
「憑代が元に戻った所為で、呪いが強くなった?」
「呪いに変化は無さそうだ。どちらかといえば、これは憑代が何かしらの力を散らしているのだろう」
「──恐らく、集合の波長のようなものか。端末と我がここに呼び出された由縁から鑑みれば、そういうことであろう」
「やはりな。と、なれば意識が無くなった肉体を、憑代が操作していたというのが正解か」
「じゃあ、昨日のあれは憑代の所為だったのね……よかった」
昨日? 昨日何かあったのか?
しかし二人の様子から見ても、何かがあったようには見えない。ムラサメ様は少し暖かい目線を送っているが……まぁ、つまりはそういうことなのか。
「けれど、どうしたらいいんだろうか?」
「それなんだが、これを利用できると思えるのだ」
ムラサメ様が我に妙案有りといった様子で、そんなことを言った。
そうして夜になった。
「憑代に身体を明け渡すって、大丈夫かな」
「あくまで操作させるだけだし、問題はないよ。俺と虚絶の関係性のようなものかな、端的に言えば」
学院から戻った俺たちは、朝武家に集合し、憑代の習性を利用することにした。具体的には、憑代に操作させて欠片を集めるという作戦だ。
不安そうな芳乃ちゃんを眺めながら、俺は刀をクルクルと弄ぶ。
が、しかし。
彼女らに黙ってとある仕込みを行なっておいた。
虚絶と俺だけがなんとなく察している事実がある。運が良ければ、あるいは悪ければ、真相を知れるやもしれん──とも思ってな。
俺たちの想定通りなら……確実に、釣れる。
片方の内、どちらかが……
「馨? 黙ってどうしたのだ」
「いや、なんでも」
思考の渦から引っ張り出され、今回の俺の仕事を再確認する。
芳乃ちゃんを囮に欠片を探す作戦において、戦闘を主に担当するのは将臣と茉子だ。では俺は? となるが、これは単純。俺の仕事はシンプルにイレギュラーが発生したときの対処のみ。
実に──わかりやすくていいじゃないか。
元よりそっちが本業だ。まぁ、大規模な戦いになるかもしれんが。何が起きるか全くわからない以上、一切の油断は許されない。
「さて……んで寝たの? 芳乃ちゃん」
「これから寝るところです」
一応用意しておいた布団に巫女服のまま入って、瞼を閉じていた彼女に声をかけたら違ったらしい。
「子守唄でも歌ってやろーかー?」
「結構です。茶化さないでください」
「へいへい」
怒られちった。
また刀を弄りつつ睡眠を待つ。
しばらくして、今度はムラサメ様が。
「眠ったかの」
「……まだです」
あ、これダメな奴だ。
皆が漫才みたいなやり取りをしていらのを横目に、俺はそそくさと部屋を抜け出す。そのまま居間に戻り──
「虚絶」
「承知した」
極秘裏に、俺個人の意思でやるべきことをやり始める。
分離して目的地に向かう虚絶を見送り、座り込む。さて、どうなることやら。上手く行ってくれればいいが。
まず間違いなく、これが露見した場合俺は非難されるだろう。だが、それでも、確かめねばならぬことなのだ。あの祟りはどっちで、奴の真意は何なのか……それを知れれば良い。足手纏い一人を守る程度、何の問題も無い。
……そんな思考があっさりできる自分が憎い。だがこれしかない以上、手段は選んでいられない。
あの憑代が、俺の想像通りの効果をもたらし、そしてあの中にいるものが俺の想像通りならば──間違いなく、今日は、決戦になる。
だが確証は無い。
少なからず不安を抱えながらも、茉子から芳乃ちゃんが虚ろな目で動き出したと聞いて、それを追いかけ始めた。
狩りになるか、それとも──
全ては神のみぞ知る、か…………
■
一行が、動き出した芳乃を追っているのとほぼ同時期のこと。
街から一つ、フラフラと歩きながら山へ向かう人影がいた。
「行かなくちゃ……」
譫言のように繰り返されるその言葉。
確かに、彼女の意識は存在する。
しかしそこには人間性と呼べるものがない。あるのは、強烈な衝動に突き動かされる自我のみ。
行かなければ、行かなければ、行かなければ──何故?
即座に思考が停止する。そうしてまた再び衝動が突き動かす。フラリ、フラリと歩きながら、譫言のように繰り返し、山を目指す。
……それを見る影が一つ。
「……これは、想定外だな。単に連れてくるだけであったが」
影は一人頭を抱える。
「仕方あるまい……結果良ければ、という奴か。なんとかして、無事に帰してやらねばな」
影は打算のみで動き、端末はそれに同調した。が、これは彼らの目的を達成しつつも、まったくの別方向に動いたことには動揺を隠せない。
「ガワか、それとも中身か……どちらに用があるのだ? 貴様は──」
そう呟くと、影は闇に溶けていった……