千恋*万花~福音輪廻~ 作:図書室でオナろう
歩く、歩く、歩く──
憑代を抱えた芳乃ちゃんを追いかけ続ける。意識が無いはずなのにしっかりとした足取りで動くのは如何様なものか。
いや、そんな不条理が神秘って奴かね。
「しかし、何処まで行くんでしょう」
「欠片のところまでとかじゃないかな」
「さぁてね。知るのは憑代だけだ」
そんな会話をしながら追いかける。
しかし、彼女の獣耳が出っ放しというのが気がかりだ。朝からずっと……いや、恐らくは昨日の夜から、か。
何に反応した、というのがわからないのは困る。
「ムラサメちゃん、祟り神の気配は?」
「すまぬ。憑代の反応が強くて見えぬ」
「……こっちもダメだ。憑代がデカすぎてウンともスンとも言わねえ」
まぁ、実際を言えば殺戮衝動を送る虚絶がいない所為で、わちゃわちゃと頭の中で騒ぎ立てる奴らの声がもっとうるさいのだが。
おかげで何も感知できん。
──コロセ! コロセ! ウラギリモノヲコロセ!──
──ヒトツニモドセ、カイホウセヨ。オワラセルノダ──
……ただまぁ、何か変化があったらしく、正反対のことを言っているのが気がかりだ。
なんとなく、事情が読めてきたような気がしないでもないが……しかし、これでもし上手く行ってしまえば、真実を知ることができなくなってしまうのか……
いや、何を考えている。
呪いの終焉は喜ばしいことだ。終わらなきゃいけないことなんだ。
確かに探究心はあるのは否定はしないが……
雑念を払い、意識を戦闘用に切り替える。
人には見せられない、暗い焔が灯る。俺も戦いに餓える心があるのか、そうした場に暗い愉悦を見出すこともある。
だがそれ以上に俺は稲上だ。
殺すべきものを殺し、破壊するべきものを破壊する。ただそれのみ。
そんな風に思いながらも追跡を続けていたが、ある時ふと彼女の足が止まった。
「動きが止まった……? 将臣、ムラサメ様。準備を」
「わかった。ムラサメちゃん」
「うむ、ご主人」
叢雨丸の神力が解放され、同時に茉子もクナイを構える。俺は虚絶を鞘に入れたまま、すぐに抜刀できるようにする程度で済ます。
芳乃ちゃんが憑代を掲げるような動作をする。すると一瞬だけ極光が生まれ──何も起きていない。
「……今のは?」
「大きな気配が広がったな」
疑問だらけの将臣の声に答えるムラサメ様。
しかし、俺にはわかった。
……間違いなく、想定通りだ。
──確実に憑代の性質と、祟り神は別物だ。今まで術式起動かと思っていたが違う。憑代と差別祟りと無差別祟りの関係性は複雑だということくらいしかわからんが……少なくとも、呪いも祟りも、元に戻したら終わりそうなのは確かだ。
俺は専門家じゃないんで、どうのこうのは言えないが──
「──来る」
瞬間、気配を感知する。
近すぎる……しかし虚絶は何をしている? まさか、同意したことを破ったのか? まぁそれならそれで構わないが……アレが何故姉君と呼ぶのかが謎のままってのはモヤつく。
「朝武さんを頼んだ。祟りは俺が」
「わかりました」
「必要ならフォローに回る」
前に出る将臣。
対峙するように木々を掻き分けて現れる祟りが一つ……一つ?
奇妙だな。俺すら呼び出すようなもので、一つ……? 疑問が頭を支配する。だが現実は刻々と時を刻んで進んでいる。
「シ──ッ!」
将臣は触手を斬り払い、続けて接敵。素早く袈裟に斬り下ろし、逆袈裟に斬り上げる。二撃を使用するようになったのは、確実に仕留めるという意思表示か。なんにせよ、これほどまで育っているなら心配はいらなそうだ。
「欠片を回収したぞ」
「よし。様子を確認する」
芳乃ちゃんに目を向けると、その様子に一切代わりはない。だが憑代は赤く光り、耳も出たまま。
どうしたものかと少し頭を悩ませるが、続けてみるか。
「……待ってください。今、何か音が──」
作戦継続を提案しようとした瞬間に、茉子が告げる警告。
その言葉は秒とかからず実現する。ゆらりと木々の奥から姿を現わす祟り。その数は……二つ。
「二体か……っ! ええぃ、骸に集るハイエナの真似事か!」
「二つ? ややデカめの祟りにしか──」
「バカ言うな将臣! こいつら重なってるだけだ! ──茉子、後ろを確認しろ!」
「来てますっ!」
俺たちが祟りに気を取られている隙に、最悪の形で予想が現実になった。俺すら呼び出すほどの力で一や二で終わるはずがない。こうなるのはなんとなく察していたが、それにしたって早すぎる。何処から来てるんだか──!
「嘘だろ、数が多すぎる……!」
「呑まれるな! 有象無象だ、強力な個体はいない! だが、このままではまずい! ムラサメ様、数は!?」
「十や二十では足りぬ!」
「下手するとそれ以上ですか……」
周りを見渡しても祟り、祟り、祟り、祟り、祟り──それこそ百や千の祟りがいると言っても過言ではない。まだ囲まれてはいないが、時間の問題。
即座に切り抜ける為の案を出しては切っていく。残ったのは囮か、上に逃げること。俺や茉子なら上に逃げられるが、将臣と意識の無い芳乃ちゃんには難しい。──却下。
囮作戦なら俺が行けばいい。注意を引いて適当な場面で撤退。後日また挑む……だが虚絶がいない以上、祟りを利用した力の制御効率が落ちている。使ったところで半ば暴走しているようなものだ。
意志を以って捩じ伏せる──? まったく無茶を言ってくれるっ!
「逃げるしかない……っ! ムラサメちゃん、案内頼んだ!」
「了解した! 全員、こっちだ!」
将臣は芳乃ちゃんを抱えて駆け出す。もちろん俺たちも遅れは取らず、同化を解いたムラサメ様に先導される将臣を追いかける。
「有地さん、叢雨丸はワタシが!」
投げ渡される叢雨丸を受け取る茉子を狙った触手の一閃。
──無論、反応可能だ。踏み込みに転じ、射線に飛び込みながら抜刀し、刀身で強引に狙いを逸らす。
「殿は俺がやる! こういう時の為にいるんでな……っ!」
そう宣言しながら、逃げる四人より少し離れた位置で祟りからの攻撃や、抜けようとする祟りを片っ端から迎撃する。
できるできないのではない、やると決めたならばやるのだ──高まる意志に呼応して性能をそれなりに引き出した肉体で、発生する代償を無理矢理に踏み倒しながら、まだだと内に燻る亡霊どもを焚き付ける。
「食い殺されるためだけにいるなら、俺に大人しく食い潰されちまえよ浅ましい亡霊ども!! それが嫌なら奪って、殺して、食い尽くせ──!!」
襲いかかる祟りどもを後退しながら迎撃する中、叫んだ声に応えるように闇夜が蠢き出す。
暗い黒の沼が俺の足元に広がり、そこからまるで冥府に垂らされた一筋の糸を掴むように無数の白い腕が這い上がり、祟りに襲いかかる。
叩き潰し、引きちぎり、抉り、分解し、吹き飛ばされて、破壊の渦を巻き起こす。白と黒が交わり、凄惨な殺し合いを作り出す。
それを確認しつつ、速度を一定のまま保とうとした時、俺目掛けて飛んできたのは──
白い腕。
暴走したか!? と動揺してももう遅い。しかしそれはまるで俺を突き飛ばすように押し、再び祟りの足止めに戻っていった。
体勢を元に戻して、全速力で将臣たちを追いかける。
「無事か!」
「そっちは!?」
「踏み倒した! あと囮を少し置いてきた!」
「……あれ? 私、部屋で寝てたはずなのに……?」
撤退戦をしながらあれこれ報告をしていたら、芳乃ちゃんが起きた。
「えっ、ええっ!? な、なななんで有地さんが私を抱き抱えて──っ!? ちっ、近いです! 離れてください!」
「さ、騒がないで! 緊急事態! 舌噛むよ!」
「芳乃様、落ち着いてください!」
「お主ら状況がわかっておるのかのぅ……」
やれやれ、締まらないのはいつものことか。
割と窮地のはずなんだがと、漫才のようなやり取りをしている三人を見て、少し安心しながら、俺たちは逃走を続けた。
「ここならしばらくは安全だ」
「はぁ……っ、はぁっ……はぁ……っ」
「大丈夫かご主人」
「怪我は、無いから大丈夫……だ」
しばらく逃げ回り、ムラサメ様の誘導でかなり離れた場所まで来た。将臣の呼吸が荒いが、まぁ人一人抱えてあんだけ走り回ったんだ。無理も無い。
「あの……大丈夫ですからそろそろ下ろしてください」
「あっ、あぁごめん。嫌だったよね」
「別に嫌というわけでは……助けていただいて、ありがとうございました」
なんか甘酸っぱいやり取りしてるなぁと腰を下ろして眺めていると、茉子が近づいてくる。その視線は血塗れになった俺の身体に向けられていて、あぁまた小言かと苦笑する。
「踏み倒したし、戦闘には支障無いさ」
「……心配なものは心配なんです」
「悪いな、そういう仕様だし」
何処か不満げな顔をする茉子を宥めながら、未だ帰ってこない虚絶に不安を覚える。
──俺たちはレナさんの記憶を読み取るつもりだった。
彼女が欠片を家族代々受け継いでいるのは聞いたが……祟りが彼女を見て姉君と呼ぶのが気がかりだった。だから虚絶を飛ばし、その記憶を全て見て彼女の側に何かあるのかだけは探りたかったのだが。
駒川の調査も進展は無いらしく、最終手段として取ったが、何があったやら。
「私が眠っている間に、一体何が?」
「芳乃は憑代に身体を動かされ、山に向かった。そして憑代が一際強い信号を飛ばしたのだ」
「それで出てきた祟りを倒したんだけど、二体三体……いやそれ以上に増えて逃げ回ってたんだ」
「すまぬ、吾輩の考えが浅はかだったのだ。こうなるとは思わなんだ……」
謝罪するムラサメ様。
黙っていても仕方ないと思いつつ、立ち上がって隠し事を喋り出す。
「まぁ、現実ってのは往々にそんなもんだよムラサメ様。俺も薄々と予想していたけど黙ってたし」
「馨、お主なぁ……」
「俺を呼び出すほどの信号なら、多分とか思ってたんだ。黙ってて申し訳無い。確証も無かったから悪戯に不安にさせたくなかったし」
バツが悪いので視線が合わせられない。
「……しかし、虚絶が来ないな……志那都荘に向かわせたが、何かあったと見るべきか」
「虚絶……? そういえば、確かに彼女が出てきそうなのに静かですね。それよりも志那都荘に向かわせたとは?」
「レナさんへの疑いが晴れなくてな。白のはずなんだが、祟りに姉君と呼ばれて欠片を持っていた黒だ。虚絶に記憶を一通り見てきてもらおうかと」
「……馨、それ本気で言ってるのか?」
将臣が静かに問う。
「無論、本気だ」
「お前な……っ!」
胸ぐらを掴まれるが、俺は態度を変えない。変える必要も無い。
「人情に流されるのは良いことだが、俺は生憎と手段を選ぶつもりはあまり無い。それに記憶の読み取りに関しては彼女に一任している。何も来ないということはやってないということだ。億が一も想定して飛ばしていた」
「言い訳のつもりか」
「好きなように取れ」
「──そうかよ……っ!」
手が離れ、吐き捨てるように将臣はそう呟いた。
今は仲間割れをしている場合ではないが、事実報告を欠かすと面倒なことになるのは実践済みだ。
「だがお前の怒りはもっともだ。俺は最低なことをしたと自覚している。が……彼女はきっと、何かしらの関係があるか、あるいは彼女そのものに、なんらかの秘密が隠されている。それは間違いなく叢雨丸や俺たちの知らない歴史に通じているものだろう」
「だからって!」
「知れれば良し、知れなければそれまでだ。ついでに虚絶の人間性も──」
そこまで言いかけて、頬に鋭い痛みが走る。
「ご主人!? 怒りはわかるが何を──!」
ムラサメ様の驚いた声が聞こえる。芳乃ちゃんと茉子の息を飲む音が聞こえる。
「……殴ったな」
「殴って悪いか」
どうやら俺は、将臣に殴られたようだ。奴の表情は怒りに満ち溢れている。
「気は済んだか? 今バカをやっている暇はあまり無い」
「……少しはな。でも俺は今のお前の行動を許せそうにない」
「そうか。すまなかったな」
「謝るなら俺じゃなくてレナさんに謝れよ。それで俺は許してやる。向こうがどうかは知らないけどな」
「……じゃあ、そうするよ」
やはりこうなったか。
バカ正直に話すんじゃなかった。面倒な流れになった。
しかし場を持ち直さねば。俺の所為で崩れたのならば、俺が直すのが筋というものだろう。
「それで、どう見る。虚絶から何の返事も無いことはレナさんに何かしらあったということかもしれん。それにあれだけの量だ、全ての欠片が祟りになった可能性もある」
「ならあれを全部片付けたら欠片も全部集まるってことだよな」
「ご主人、前向きが過ぎるぞ。いや、吾輩の言えたことではないが」
「むしろ現実逃避では?」
などと俺たちは好き勝手に言っているが、将臣の発言に同調したのは芳乃ちゃんだった。
「でもどうにかしなければならないのは事実です。それに、戻るにしてもこのままじゃ……」
そう、一番の問題はそこだ。
放置するには危険すぎる。かといって正面から挑むには足りない。
八方塞がりだ。捨て身以外に方法は無い。
「神力を俺に流して一気に……」
「ダメだご主人。あれはもうやらんぞ」
「なら俺が燃料を使い切る勢いで……」
「馨くんは死ぬ気ですか!」
「ムラサメ様、何か目くらましみたいなことできましたよね」
「うむ。それで数を減らしつつ、朝まで耐えるか」
結局出たのはゲリラ戦。
しかし、ゲリラ戦をやるには戦力が足りなさすぎる。
だが、次の瞬間──
「──ァッ!?」
茉子が、何かに吹き飛ばされた。
そのままその何かは素早く将臣に接近、一瞬で吹き飛ばす。
完全に虚を突かれた俺は何もできず、それの接敵を許す。
それは、深紅の瞳をしたレナさんで。
その赤は憑代のものと同じで。
──虚絶の気配を内包していた。
思考が停止した。理解が追いつかない。そんな風に隙を作ってしまい、胴に拳が突き刺さる。
ガクンと崩れ落ちる身体を振り上げられた奴の右脚が弾く。その振り上げられた脚は高速で振り下ろされ、左肩を引き裂かんと衝撃が走る。無理矢理に地に伏した俺を跳ね飛ばす二連撃の蹴り。空に打ち上がって、落ちてきたところを容赦無く突き刺さる掌。
「──ご、は……っ!?」
無様にゴロゴロと転がりながら、なんとか視線を向け、どうなっているのかを目にする。
「レナさ──」
「ヨコセ……!」
芳乃ちゃんから憑代を引ったくり、彼女は掲げる。
それに呼応するように周りから祟りどもが現れる──が、しかし。
祟りは溶け落ち、黒い沼のように広がってレナさんの周りに集まる。彼女の影からも黒い泥めいたものが溢れて、意識を失ったのか倒れ伏した。
そして、倒れた彼女を守るように。
その泥は形を変えていく。
そうして姿を現したのは、巨大な黒獣。
いや────狼のような姿をした、祟り神だ。
「合体した!?」
茉子が身体を起こしながら驚愕する。
そりゃそうだ、前例が無い。
「なんと……っ! 一つに束ねおったか!」
「このようなことが……!?」
ムラサメ様も芳乃ちゃんも、祟り神は単騎という認識からその事実にただただ驚愕するしかない。
だが──
「将臣、お前の案が通りそうだぜ。数の有利を捨ててくれて助かった」
「まったくだな。向こうから勝手に一つになってくれるなんて」
立ち上がりつつ、さっきまで喧嘩してた奴に声をかける。
「身体は?」
「問題無いな。レナさんの身体だし、全然」
「なるほどね……俺も連撃をもらったが、全く問題無い」
「──ムラサメちゃんッ!」
「応さ!」
再び神力が迸る。
ならばこちらも負けてられんと黒い焔を燃やし尽くす。
あれからは神力を感じられない。祟りとして完璧になった所為か……まぁ、殺しやすいのならば問題は無い。
──怨みの叫びを轟かせろ。苦しみ嘆けと呪いを紡げ。お前らはそういう存在だろうが。
内側に意識を向ければ、更に奴らが狂い哭く。殺せと、奪えと、絶望させろと。そこに束ねられるは終末を求める意志。嘆きか怒りか、憎悪か復讐か。
──だがどうでもいい。
暗い力が氾濫する。いつぞや診療所で発現したほどの出力ではないが、むしろ食い潰されるほどの過剰出力でないことが助かる。
「え、三人ともちょっと!? 何いきなり戦意を漲らせてるんですか!」
「「「──速攻で落とす」」」
芳乃ちゃんが慌てているが、実際冷静じゃないのはこっちだ。
祟りが動きを見せないうちに、速攻で仕留めなければマズい。いつレナさんに攻撃するかもわからないし、時間をかければ不利になるのはこっちだ。
「挟む!」
「あいよ!」
右に展開した奴に合わせ、左に展開する。速度は将臣に合わせた。
そのまま間合いを詰め、踏み込む。刀を滑らせ、ほぼ同時の攻撃──!!
さぁ、どう出てくる……っ。
刹那、黒獣が動いた。
身を回転させ、触手のような尾を引力に任せて振り上げる。
「──くっ!?」
膂力が違いすぎる。
宙を舞う俺たち。呆然としている将臣を見て幾分か冷静さを取り戻す。空中の無防備な状態から、燃料をブースターのように噴射。将臣を抱えつつ着地し、殺気を背後から感じる。
「チィ──ッ!」
舌打ちをしつつ、今度は右側から噴射しつつ後方に噴射。180度ターンを描きながらザリザリと靴底を擦り減らしつつ、飛び込んできた黒獣を回避する。
振り下ろされた前脚によって地面は砕け、土の下地が剥き出しになっている。
「前脚一本であれだけの膂力かっ」
「パターンも能力も増すよなそりゃ……っ!」
将臣を下ろし、その場に佇む黒獣と睨み合う。それは低い唸り声を上げ、俺たちを威嚇するようだ。
「破壊力が桁外れ……だがそれでもレナには傷一つついてない。吾輩たちを引き離すのが狙いか?」
ムラサメ様の言う通り、レナさんから引き離された形になる。
だがそれにより、奴は明確に獣の形をしているというのがわかった。
「将臣、明確な形だよなアレ」
「だな、おかげで動きが見えやすい」
「と、なれば生前のクセも抜け切っておらんと見て間違いない。吾輩のように」
まだ虚絶を呼び戻すタイミングじゃない。彼女は最後の切り札だ。最高のタイミングで確実に仕留めるためにも──
黒獣が頭を低くする。
そして尾を揺らめかせ、こちら目掛けて攻撃を仕掛ける。打ち下ろすようなその攻撃は、あまりにも速く──故に見切り易い。
「芳乃様、少し乱暴ですけど……っ!」
「きゃっ!?」
茉子が芳乃様を抱え、ひょいひょいと避けている傍で、俺はむしろ接敵していく。将臣たちは後ろに下がっているが。
「ドっチだ、お前ハ──!!」
俺の声に俺でない声が混ざる。
その声は自分が何をしたいのかと問う自問の声にも似て、だがしかし、自責の声にも似て、そして嚇怒と憎悪に塗れたもののような、そんなもの。
接近すると同時に振るわれる前脚。
その場で跳躍する──身体を回転させながら抜刀。素早く尾を切断。額に裂傷が生まれる。踏み倒しつつ、返す刀で横に振り抜く。
ギンっという音を立てて噛み止められる。
その紅蓮の瞳と目が合う。
流れ込む意志──それはシンプルに。
──アネギミデハナカッタ。ユエニ、リヨウスル──
あぁ、なんだ。つまり。
散々騒ぎ立てていたのは人違いで、しかもガワを利用する……ねぇ? 俺が人の事を言えるほど偉い立場ではなく、むしろ記憶を覗き見るという最低なことを企てた。
しかしそれでも──
「用がアルのハ、ガワだケか──!」
振り切る。代償で骨が折れるがすぐに元に戻る。
ガワにしか用が無いのなら、死に絶えろ。個人に用が無いなら、その怨念を抱いて消え果ててしまえ。
どうせ死にたがっているんだろう? だったら死ね、今すぐ死ね。
殺意が渦巻く。
憎悪が燃え上がる。
嚇怒が咆哮する。
刀を振るう。
黒を切り裂けば赤が吹き出す。段々とレナさんが倒れている位置まで移動しながら、俺は黒獣に猛攻を仕掛ける。
いつの間にか尾が再生している。封じるには切り落とさない程度に留めるしか──!?
そこまで考えた時、複数に増大した殺意を感じる。視線を動かせば、虚空に浮き上がるいくつかの黒い刀。
即座に後退すると同時に、すぐ前まで俺がいた場所に黒が降り注ぐ。
──判断が遅れていたら死んでいた。無茶をすれば死ななかったろうが。
「一人で突っ込むな! 死ぬ気か馨!」
「あんなもんで死ぬならとっくに死んでる……それよりも、あの尾が厄介だな。生え変わるとは」
ムラサメ様の小言に反応しつつ、さっきまでの戦闘で得た情報を整理する。
「叢雨丸や虚絶では斬り落とせるから実質的に効いてない。更に致命打を叩き込まない限り、奴の再生の方が早い──」
「なら、俺か朝武さんがその致命打を打ち込めばいいんだな」
「そうなるが……茉子、頼めるか?」
振り向いて茉子に尋ねる。
ダメならダメでなんとかするだけだが。
「──わかりました。ワタシが止めます。それに、一つ策が思いついたので」
「ありがとう。任せる」
随分と頼もしい声と表情で買ってでくれた茉子に感謝を伝えると、将臣と芳乃ちゃんに声をかける。
「膳はこっちが揃える。確実に仕留めろ」
「はいっ」
「あぁ」
返事を聞いて構える。
恐らく、次の行動は──
「──!!!!」
黒獣が吼える。空気にすら轟くその叫びは、本能に眠る絶対的恐怖を呼び起こす。
それは月を喰らう冥狼の咆哮のようで、死界の底で慟哭を上げる者にも見える。
しかしそんな感傷は一瞬にして消えた。
──疾い。
黒獣が突撃してきた。そのまま尾を劔のように揺らめかせる。膂力がなによりも違いすぎる。回避しかない。
身を動かすと同時に、確認する。
「茉子!?」
芳乃ちゃんの叫びが響く。
茉子は立ち止まり、完全に立ち向かうつもりだ。俺はすぐに動こうとして──
茉子を信じて、動くのをやめて、こっちのことに集中した。
「茉子、ダメ──ッ!!」
振り下ろされるその一撃は、地面もろとも砕いた。
何を?
そう、丸太を。
意識があるなら、変わり身すら通用する──なるほど、あいつのセンスはキレがいい。なら俺がやるべきことは──
上空から現れた茉子が、クナイで尾の根元を突き立て止める。
「芳乃様! 先端を!」
「えっ、あっ、はいっ!」
動きを完全に止めた黒獣に近づき──
「やぁぁぁぁっ!」
鉾鈴をその先端に突き刺した。黒い煙が吹き上がり、悲鳴のような叫びが木霊し、黒獣は無理矢理にでも動こうとする。その膂力で振り切るつもりだろうが……
「──そいつを」
俺が呟き、黒獣の背後で寝てた"彼女"が起き上がり引き継ぐ。
「マッテイタ──」
刹那、俺は地面に刀を突き立てる。
「虚絶ッ!」
「サァ、ヨモツヒラサカガキサマヲヨンデイルゾ!!」
黒獣の足元に黒い沼が広がり、そこから突き出るように現れたのは真っ白な無数の腕。それらが黒獣にまとわりつき、その動きの一切を封じる──!
将臣が駆け出した。
そして一切の抵抗を許さずに、叢雨丸を、その脳髄に突き立てる。
ドロリと祟りは溶け落ち、穢れのような黒を撒き散らして──消えた。
それは一瞬だったのか?
あるいはもっと時間があったのか?
わからないが、地面に転がる大きな憑代の欠片が目につく。
つまりは、終わった……ということだろう。
「ご主人! 大丈夫か!? 穢れに飲み込まれたかと思ったぞ!」
「なんとか未遂で終わったよ……」
なんかスゲー怖い会話が聞こえてくるが、まぁ俺も似たようなものかと切って、大人しく虚絶を中に呼び戻す。
何があったんだろうか。
──あの衝動に飲み込まれたりひてなうあーに取り憑き、家に戻そうと思ったのだがな。失敗したので我は咄嗟に身体を動かす方向に変えたのだ──
なるほどね。
道理で返事もしなかったわけだ。
「もう、茉子! そういうことならそうって言ってよ!」
「申し訳ありません、芳乃様。流石に時間が無くて……でも怪我するつもりもなかったんですよ」
ポコポコと茉子を叩きながら心配して損をしたみたいな感じの態度を出している芳乃ちゃんを見てほっこりしていた。が──
──端末よ──
あぁ、わかってる。
あとで片付ける。
連鎖反応的に現れたアレをあとで処理せねば。
「……しかし、これで終わったんでしょうか? ムラサメ様」
「うむ。祟りは消え、穢れも祓った。憑代も落ちているし、芳乃の耳も消えておる」
「あ、ホントだ。なら……」
そうして彼女は憑代を拾い合わせ、一つに戻す。
極光が収まった時、そこには──
「……あれ?」
やけに響く、将臣の間抜けな声。
「一個、足りない──!?」
おかしなことに。
憑代は完全な形を取り戻していたが。
一箇所だけ、欠けていた。
どうやら俺たちはまだ、この件を解決したわけじゃないらしい。
■
朝武家に戻り、茉子と馨は自宅へと帰る。
衝動に連れてこられたレナを泊めるというアクシデントこそあれど、今日のところは一応これで、ということで終わった。
しかし。
「──ククク」
悍ましい笑いが山奥より木霊する。
ゆらりと姿を現わす黒い人型。その右腕には刀が握られ、物騒な雰囲気を漂わせている。
さぁ殺しに行こうと歩を進めて──
「待てよ、亡霊」
殺し屋に呼び止められる。
バカな、殺し屋は帰った筈──亡霊の意識は混乱した。
そんな様子を呆れるように見つめながら、殺し屋はその左手に携えた妖刀を握りしめる。
「何ビビってんだよ。俺が何かを忘れたか? はっ、復讐一色なんてご苦労なこって。ま、そうだな……奴が出てくるならお前も出てくる、だろう?」
だからなんだと言うのだ。
亡霊は刀を構え、殺し屋と対峙する。
あくまで自然体の殺し屋と、完全に殺すための体勢である亡霊。
勝ち目はどちらにあるのか、火を見るよりも明らかだ。
「シネ──!」
踏み込む。
こちらの方が疾い。
そのヘラヘラと笑う顔を凍り付かせるべく、首を狙った一閃を──
「話にならん」
放とうとした両腕が切り飛ばされた。
黒い刀が何処へと飛ぶ。
神速の抜刀術──後の先を取る居合の本質。
刀を上に振り抜いたまま、極大の殺意を宿した視線と怯えた視線が交差する。
「──もういい。消えろ」
そのまま振り下ろされ、一刀の下に断ち斬られる。
ズルズルとその黒が刀身に喰らわれ、それは一つの燃料と化す。
殺し屋の肉体に裂傷が生まれるが、それはすぐに塞がる。
「さて、帰るか」
殺し屋は静かに刀を納め、帰路に着いた。
その刹那の殺人を見ていたのは、輝ける月夜のみ……