千恋*万花~福音輪廻~   作:図書室でオナろう

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双影

「ふむ、外れか」

 

黒は奪い取った憑代の調子を確かめて、静かに自分の期待から大きく外れていたことを落胆する。

 

「倅であるのならば、と思ったが……基礎も出来上がっていないとは」

 

やれやれとため息を吐きながら、むぅと唸る。この性能では確かに満足しないが、必要分は十二分に備えている。夜遊びとでも言い訳しながら調査をするには、ちょうどいい憑代だが──

 

「近過ぎる、というのも難点だな。さてどうしたものか……とりあえず、今日はこれを使う──いや、待て」

 

そこでふと、自分があの存在から奪い取っていたものを思い出す。

そうか、あれを使えば都合良く動かせる上に、拠点としている憑代に危険が及ぶ訳でもない……

 

「これを手足として扱うのは、目を逸らさせてからだな……」

 

ポリポリと頭を掻きながら、憑代の身内が接近してきたので、意識を即座に戻して、自身は闇へと沈んでいった──

 

──やはり、私では奴のようにはいかんな──

 

──実体の無い虚絶だからこそできる芸当、そして虚絶の外殻である京香だからこそできる芸当……なればこそ、殻の器が余計に欲しくなる──

 

──どうやって開けたものか──

 

 

──そして、我が剣をどう取り戻したものか──

 

 

 

 

帰ってきて、お湯かけて、それでいつも通りな朝武家の居間で俺たちはとてもぐったりしていた。

 

「……なぁ、茉子」

「何?」

「なんか、ごめん」

「いいってば。ワタシだって子犬になっちゃったんだし……」

 

──ぐったりしながら、お互いになんかもう……萎えてた。

茉子の顔を見れば、完全に疲れ果てているのが如実にわかる。あと可愛い。俺は早急に茉子ニウムを摂取しなければ死に至る。が、茉子ニウムを摂取しようとすると社会的死が待っている。悲しきかな。

 

「アホなこと考えてるでしょ」

 

ムスッとしたジト目と心底呆れた声。

そんなにわかりやすいかなぁ、俺って。あ、わかりやすかったわ。恋心バレバレだったわ。うん……

それよりも萎えに萎えまくって全然キスの雰囲気でもないんだが、どうしたものか。

 

「キスどーするよ」

「今日一日は恋人、つまり午前零時を超えなければセーフだから」

「夜這いしろと?」

「なんでそうなるの!?」

「いやご先祖様が前々から夜這いでもした方が早く済むぞって五月蝿くて」

「まぁ、でも……夜這い、してもいいけど……」

「お前な、困るよそういうの……」

 

彼女の満更でもなさそうな困り顔は、淡い朱色に染まっている。声そのものは渋々といった感じだが、視線は若干の期待と俺に対する「どうせ夜這いなどできないのだろう」という呆れに満ちていて、君が好きになった男がこんなにも情けない男ですまない……と真剣に思う。

 

──というか、いざそういう関係になった時、据え膳を用意されても食えない男じゃなかろうか、俺よ。

なんか、全然手が出せない気がする……大丈夫か? こんな男で失望されてそう。

 

「まぁ夜這いかどうかはともかくとしてだ。だって芳乃ちゃんの部屋だしできることならしたくない」

「ワタシが馨くんのいる部屋に移ればいいだけなんだけどね」

「それじゃ逆夜這いだ、はしたないからやめろ。第一夜這いってのは基本的に男からするものだっつーの」

「なんで詳しいの」

「ご先祖様」

「でもいざそういう時になったら夜這いしてくれるの? 馨くん絶対できないでしょ」

「……否定はしない。でも絶対は訂正しろ。俺だって男だ。それなりに欲求は……あー……どうだろ」

 

ちょっとそういう場面も想定してみる。……うん、全然手を出せなくて逆に茉子に食われそうな気がしてきた。

まぁ色々あったとは言え、俺も年相応の男。致したことの一度や二度は必然的にあるが……基本的に逃避目的だもんなァ。

なんか、まともに性欲に従ったこと自体が無いからどうしたらいいのかね。

 

「ごめん、期待に添えないかも」

「どーせそんなことだろうと思ってた」

「……まぁ食われたら食い返してやるさ」

「受け身なのは変わらないんだ。あは、可愛いね。そういうこと」

「うっせーやぃ。で、真面目にキスはいつするんだよ」

「うーん……夜?」

「夜這いじゃないならおやすみのキスでもすりゃいいのか俺は」

「あ、ちゃんと唇だよ? 頬とか額とかで日和らないでね?」

「わかってるよ。流石に日和らない」

 

……流石に、そこは彼女の求めている行為を理解しているつもりだ。

しかしまぁ……夜……ねぇ? ムードこそあれど、ちと難しいような……いやでも茉子が欲しがってるんだし頑張るぞ俺。やるぞ俺。

もう見られても仕方ない。兎にも角にもキスをするぞ。

……いやそれでいいのか? 茉子のそういう顔を誰かに見られるのは嫌だな……

 

「……ちょっと考え過ぎて疲れた。茉子ニウムを摂取させろ」

「なにそれ」

「なんか」

 

茉子ニウムなる未知の物質を聞いたご本人、大変奇妙な顔をなさっている。それまるで、そう……なんだろう。憧れの人の私生活がだらしなかった時みたいな、ジト目ともなんともつかぬそれだ。

だが次の瞬間には、そんな呆れた状態から一転、まるでネコの口のように口をニンマリさせてから、両手を広げて──

 

「はい」

「はいじゃないが」

「好きなだけ摂取していいんだよ」

 

え? ……いいの? マジで?

俺合法的に茉子ニウム摂取できるの?

許されるのか?

 

「じゃあ……うん。摂取する」

 

しかし考えてもみて欲しい。

自分が本気で好きになった女が、蠱惑的かつ魅力的な、赤みの差した優しげな表情と共に両手を広げて待っている……これに抗える男がいるか?

 

──いやいない。

 

そして俺も抗えず、素直に茉子に近づいていく。そのまま彼女との距離がほとんど無くなった時────

 

「……っ」

 

意を決して、俺から茉子を抱き締めた。

 

「あ……」

 

小さく溢れた、唖然とした声。

けれどそれよりも早く、俺の背に手が回されている。

 

「なんか、いいな、これ」

「うん」

「……あのぅ、俺に摂取させてくれるんじゃなかったんですかねェ? だいぶだらしない顔してるぞお前」

 

顔を合わせてみると、茉子の蕩けた表情がよく見える。さっきまでの誘う表情とは大違いだ。

……まったく、これじゃどっちが摂取しているのかさっぱりわからんなぁ。

 

「好きな人を間近で感じられるんだから、当たり前だよ。あは」

「……やっぱホントごめんな、カッコつかない男で」

「ちゃんと見せるべきところで、甲斐性を見せてくれると嬉しいな。主にワタシ相手に」

「頑張る」

 

けど……茉子の匂いだ。

茉子の匂いしかしない。心地良い。

叶うならずっとこのまま……

 

──そんな時だった。

机の上に置いてある俺の携帯電話が鳴り響く。

特に離れることなく、俺は彼女の背に回していた腕をそっちに伸ばして確認する。

 

……電話の主は将臣。

 

「もしもし」

 

少しばかり声が強張る。

まさか、まさかと心が焦る。

 

『馨、今いいか』

「どうした」

 

やけに呼吸する音が聴こえてから。

 

『……芳乃に、耳が生えた』

 

──言葉の理解を、脳が拒絶した……

 

 

 

日も暮れる頃。

将臣とムラサメ様と共に帰ってきた芳乃ちゃんの頭には、犬耳が生えていた。

 

「……何があったんだ?」

「え、えっと……」

「その、なんと言いますか……」

 

何かあったのかと聞いてみれば、二人して赤面して顔を逸らす。

ふむ、と一つ呟き、隣にすわ……いや待て、何故お前は腕を絡めてるんだ茉子。いいけど。まだ恋人だからいいけど。いっそ毎日やってもいいけど。

 

「茉子さんや」

「なんでしょう馨くん」

 

気を取り直して彼女と顔を見合わせながら尋ねる。

 

「A?」

「B近くのAかと」

「細かいな」

「芳乃様は結構スケベなので」

「茉子!? 私そんなじゃないもん!」

「ていうかちょっと古い気がするなぁ、恋のABCって……」

 

わちゃわちゃした雰囲気に早変わりしながらも、しかし、俺たちの間には何とも言えない空気があった。

実際、恋人関係になったことで、将臣と芳乃ちゃんの心労は測れないものとなっているだろう。

だが、キスでもして耳が生えたと仮定するならば……

 

「ムラサメ様、多分これは肉体的接触による反応だと思うんだけど……将臣ってなんか穢れと近かったことあった?」

「いや、あの夜の後であっても湯はしっかりとかけた。残っている筈もない。それよりも馨、お主の方は何かあったか?」

「俺こそ何も……けど、何か忘れているような……」

 

確か俺は核心に近づいたことがあった筈……だ。

思い出そうとしても、思い出せない。

あの憑代を一つに集めようとした夜のことが何故か、異常なくらいに朧げになっている。

覚えているのは操られたレナと、無数の祟りに……それから狼型の祟りとの戦闘くらい。

 

……何か、確信を得ていた筈だ。

でなければレナの記憶を見ようとはしない……のに、何故だ? 何かが足りない。

 

俺の記憶は何処へ消えた?

いや情報は覚えている……なら思い出せ、整理しろ。

犬神、長男、二つの祟りに性質の違う呪い──!?

 

待て。

待てよ待てよ。

 

声は二つあった。

祟りへの殺意は二つあった。

 

……俺たちは根本的に、間違っていた……?

 

「……殺された犬神を奉って鎮めただけで……長男の呪いそのものはどうにかしてない……?」

 

ふと漏れた呟き。

けどそれはしっかりと響いていた。

でなければ、将臣も芳乃ちゃんも茉子もムラサメ様も、こんなに驚いた表情はしない。

 

「一つの憑代、出てきた犬神らしきもの……あの憑代は清められてるのは事実。と、なれば……消されかけてる呪いが何処かの何かを通して干渉して来ている……?」

 

そこまで言って────

 

「……そもそも……」

 

茉子が。

 

「……なんで殺されたのは犬神だと、資料には書いてあるんでしょうね……?」

 

──俺が知りたかったことを、呟いた。

 

犬神。

祟り神となってしまった神。

朝武の長男に殺された存在。

……だが何故、俺たちはそれを自然に受け入れていたのだろうか?

 

呪ったのは長男で、憑代を一つ戻せと怒り狂っていたのは犬神。

──根本的な話だが。

 

どうして殺されたのが神だと、はっきりと記されているのか?

 

 

「……なるほどね。確かにそれは疑問だ」

 

仕事を終えて戻ってきた安晴さんも交えての、再びの意見交換。

 

「言い方は悪いけど、将臣君と接触した事によって芳乃に耳が生えた……という事だね?」

「はい、確かにそうなんです」

「前例なんてあるわけがないけれど……耳そのものは穢れに反応するものの筈だ。普通なら……でもそれはあり得ない」

 

──穢れが存在しない筈の将臣との接触によって発生するなどあり得ない……

渋い顔をしながら、安晴さんは茉子を見る。

 

「茉子君、君は本殿で犬神の形を取り戻した祟り神と接触した」

「はい」

「……そして、馨君。君は呪いそのものはどうにかしてない可能性がある、と考えている」

「……そうです。巫女姫が短命である事と祟り神の存在は、同じものが根底にあると辻褄が合わない」

 

沈黙が居間を包む。

 

「でもムラサメ様によれば憑代の穢れは祓われ、呪いと呼べるほどのものもなくなっている……そうだね芳乃」

「うん。だからどうしても答えが見つからなくて……」

「正直、この辺りの事柄が専門外な僕が言うのもアレだけど……芳乃に干渉している、というよりもこれはサインなんじゃないかなと考えているんだ」

 

サイン?

……それは考えたことがなかった。

確かに俺たちは呪いだとばかり考えていたが……言われてみれば不思議なものだ。

意外そうにする俺たちを見て、安晴さんは言葉を続ける。

 

「祟り神が強力になればなるほど、耳も実体を得ていくけど、別にそれが生活に支障が出るほどの問題をもたらした……というわけじゃない。イヌツキは周りからの評価だしね。確かに秋穂も、誰にでも見えるようになったことが一度や二度あったけど、それで何か、という事はなかった」

 

彼の言葉を黙って聞き入る。

 

「楽観的と言われればそこまでだけど、それは……ある意味で犬神からの警告なんじゃないかな。終わっていないとかそういう。耳と祟り神は連鎖していたこと、そして憑代は清められた結果、祟り神ではなく犬神の意志を持ったものが現れたことから考えて、つまり……」

 

そこで一旦言葉を区切り、とても言いづらそうにしながらも、しかしその迷いを飲み込んで──

 

「将臣君に何か、良からぬものが隠れているのかもしれない可能性もある。正直疑いたくなんてないけどね……可能性は可能性だ」

 

彼なりの考えを述べた。

それを聞いて将臣は重い顔をしたが、しかし次の瞬間には迷いを捨てるように言った。

 

「俺、一旦この家を出て行った方がいいですかね」

「っ、ダメです!」

 

誰よりも早く、芳乃ちゃんが将臣の手を取ってまで止めた。

焦り切った表情というよりも……これは腹を決めた表情だ。

 

「出て行ったら余計に苦しむだけだから、ダメですっ」

「でも……」

「でもじゃありません! そもそも私は巫女です! 確かにあなたの恋人……ですけど、それ以前にお祓いとかそういう事には慣れてます!」

 

なーんか、お熱い雰囲気。

 

渋る将臣を逃がさないとばかりに顔を近づけて芳乃ちゃんは続ける。

 

「そんなに信用無いですかっ」

「そういうわけじゃない! でも俺に何かいるなら──」

「何かいるからこそ私の側から離れないでください! 離れたら相談に乗ることも、祓ってあげることもできないじゃないですか!」

 

……あっ、これ俺たち蚊帳の外だわ。

面白くなさそうだけどまぁ……みたいな顔をしているムラサメ様が怖い。

 

「将臣さんから離れたら……寂しいんですよ、私だって……」

「芳乃……」

「──だから、今ここではっきり言います。責任も何も感じないで、ただ私の側に……ずっといてください。恋人として、婚約者として」

「……わかった。俺いるよ、ずっと」

 

……顔を見合わせてちゃってさ。

人の恋路をマジマジと見つめることになろうとは……って奴だが、こりゃ砂糖吐きそうだ。

芦花さんには悪いことしたなぁ。後で謝らないと。

 

「あの、お二人とも……? 顔を近付けるのはどうかと……」

「わぁっ!?」

「ひゃっ!?」

 

茉子に水を差されて、二人の世界から帰還する。顔を真っ赤にしてまぁ可愛らしいこと。

そんな二人を見て、それから俺に視線を向けて呆れ返る茉子。ムラサメ様は色々と複雑そうな顔をしているが、それでも何か嬉しそうだ。

んで、目の前で娘が彼氏とイチャついている姿を見た父親殿は。

 

「うん、二人とも熱くなるのはいいんだけど、時と場所を考えた方がいいよ?」

「ご、ごめんなさい」

「別に謝らなくてもいいよ。あっ、ここはあれかな? 君なんかに娘はやらないぞ! って典型的な親バカをやればよかったかな?」

「お父さん、そういうキャラやっても全く似合わないと思うけど……やってみたかったの?」

「え? そうかい? ……そっかー、似合わないかー……」

 

訝しむ芳乃ちゃんに、ショックを受ける安晴さん……楽しそうだなァおい!

肩身狭いぞ俺たち。

 

「まぁ、なんだ将臣君。ちゃんと芳乃の側にいてあげてくれよ?」

「もちろんです。俺は彼女の婚約者なので」

「ううっ、なんか恥ずかしくなってきた……」

 

向こうでは男二人がガッチリと握手して、渦中の芳乃ちゃんがさっきの言動を思い出してか顔を赤くしている。

なんだこれ。

そんな風にボケーっとしてると、ムラサメ様がいきなり眼前に現れる。ムスッとした顔は何処か面白くなさそうで、まぁつまり妬いているのだろう。ジェラってるのだろう。可愛い。

 

「馨、吾輩に構え」

「茉子みたいなこと言わんでくださいムラサメ様!」

「吾輩は寂しいと消えるのだ」

「俺じゃなくて将臣に言ってくれよ!? 」

「今ご主人は芳乃とねんごろじゃ。ふりー……? なのお主だけじゃろ」

「それは、まぁそうだけど……そうなんだけど……ちょっと待っててくれよ。ムラサメ様」

 

フリー……とは言い難い。

何せ俺は茉子に予約を取られた、というかほとんど茉子は俺を取る気だ。

多分早めに甲斐性を見せないと、男が格好付けるべき場面全てにおいて俺が茉子の男にされる。

……いや何言ってんだと思うかもしれんが、これは極々単純な男心の話だ。

 

好きな女にはカッコいいとこ見せたいという気持ちに偽りなど存在しないのである。

 

けれどまぁ、醜態を晒しまくってるんたけどネ……

 

「……まぁ諸々の理由含めて、将臣はこの家にいた方がいいのは事実か。お前、自分が厄ネタだと思ってるみたいだが、元々そっちのお祓いだなんだの方が専門だしな、ここ」

「そうなんですよね。忍者が従者ですけど」

「ま、何かあっても馨も常陸さんもいるし、確かにここにいた方がいいんだろうな」

「元々出てけなんて言うつもりもなくて、この家にいた方がいいって言うつもりだったけどね」

 

……決め手は芳乃ちゃんの言葉だろうけどな。俺も茉子にあれ言われたら落ちる。

 

「まぁ今日はとりあえずみんな休んだ方がいい。明日からはまた資料だなんだと頭を回すことになるからね。それにまだ茉子君の問題も……」

 

何故かそこで安晴さんが言葉に詰まった。

 

……あ。

 

今更思い出した。

俺たちのデートの成果、完全に言うの忘れてた。

 

「ご、ごめん二人とも! 芳乃と将臣君の事で頭が一杯になってたんだ」

「いえ、別に謝らなくても。ワタシより芳乃様と有地さんの方が大事ですし」

「して、お主らでーとしたのだろう? どうであった。何か変化は?」

 

急にジッと視線が集中してきて身構えてしまう。芳乃ちゃんも興味津々といった感じだ。耳の問題はどうした。

いや、何か変化は……というか変化しかなかったんだけど……

 

困りに困って茉子を見る。

茉子も俺を見て、仕方ないと言わんばかりにため息を吐いた後──

 

「あは、皆さん聞きたいんですかぁ? やらしーですねぇ……」

「………………………………………………え待ってくれ茉子」

 

蠱惑的な表情でそうぶっ放したので、思わず口を挟んだ。

 

「なんですか? そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」

「そんなことなかったじゃん」

「ふーん、そんなこと言うんだ。色々したし、してくれたのに?」

「主語を入れろ主語を! 無駄にエロチックに物を言うんじゃない!」

「でも一番肝心なことはしてくれなかったよね」

「なっ!? あっ、いや、それ……は、そのぅ……えっと……し、仕方ねーだろ……っ」

 

顔が熱い。

プイとそっぽを向いてしまう。チラッと視線で四人はどう反応してるのかを見てみたら。

 

──無言。そして視線が痛い。

普段通りのやり取りでしかないからか、判断に困っているようだ。

 

……ならば、ここは俺のプライドを守るために──

 

「まあ本当の事を言いますと、ワタシたち友達からやり直すことにしました」

「……うん? それだと常陸さんと馨が付き合ってたような……?」

「えぇ。代理とは言え一日は恋人ですので」

「待って茉子。もしかして肝心なことって……」

 

更に視線が集中する。

……やばい、バレかけてる。どうしよう。こうなりゃヤケだ。

有る事無い事言いまくってやるぜェッ!!

 

「いやほら、恋人なんだから区切りは必要じゃん? だから改めて友達からやり直しましょうってお話であって……」

「はーん……?」

 

芳乃ちゃんの相槌が怖い。

 

「だってよ、今までは姉だか兄だか弟だか妹だかよくわからねえ立ち位置なわけじゃん。そいつをはっきりさせようとしただけだよ。それに加えて恋人との別れもやっときゃ、犬神もなんかアクション起こすだろうって算段さ。なぁ茉子」

「……ヘタレ

「あ?」

「なんでもないっ」

「……変な茉子だな」

 

……ヘソ曲げちまった。

茉子もプイとそっぽを向いてしまう。実際胸張って恋人になりましたとは言えないわけだし、何も変な事ではない筈だが……?

 

「今のは馨君が悪いね」

「うむ、馨はもう少し察してやるべきだ」

「よくわからないけど、なんか常陸さんに謝っておいた方がいいんじゃないか?」

「ほーん……」

 

なんでか知らんが安晴さんとムラサメ様からは俺が悪いと言われ、将臣からは妥当な案を言われ、芳乃ちゃんは低い声とジト目で俺を見るばかり。

 

……いや、ホントなんで?

 

 

結局その後、将臣と芳乃ちゃんは存分にイチャついて、俺たちは砂糖を吐きながらそれを見ていた。

……いや、暗い雰囲気は何処へやら。何が起きようとも絶対に解決してみせるという意気でなんかもう熱血的な。

 

芳乃ちゃんだって耳なんざ大して気にしてないし、将臣だってなんか覚悟決まってそうだし。

で、俺はというと風呂から出て後は寝るだけなので、今は借りてる部屋でボケーっとしてる。

 

いや。

 

ボケーっとしている、というよりも。

 

本気で夜這いするかどうか悩んでいるのだ。

だって、結局キスは有耶無耶なままだし。

 

……どう思うよ。

 

──それ私に聞くゥ?──

 

いや、だってさ。したいし、するつもりだよ俺。でもよ、無理だろ。今は。

茉子は芳乃ちゃんの部屋で寝泊まりしてるんだぞ? いくら将臣と芳乃ちゃんが完全にイチャコラ決めて同じ部屋に行ったとしてもさ。

 

──いいじゃん。その隙狙ってさ──

 

……何してんだろって気になるでしょ。流石に俺、幼馴染の女の子の部屋で恋人とイチャつきたかねぇよ。

 

──あー、まぁ……うン。そいつぁアレじゃん? お疲れ?──

 

だぁーから聴いてるんだよ!

別に連れて来たっていいんだけどさ、なんかそれだと……うん。情けない以前の話じゃねぇかなと。

 

──ムード無いのは事実だね──

 

だろ?

だから困ってんだよ。

 

──ふーむ……っと、来客みたいだよ?──

 

はぁ? と聞き返す前に音も無く扉が開く。そんなことが出来るのは忍者くらいなもので、まぁつまり──

 

「来ちゃった。あはっ」

「来ちゃったじゃねぇよ、ったく……」

 

寝間着姿の茉子が視界に映る。

悪戯っ子のような笑顔を見せて、片手に枕を持って……枕ァ!?

いや待てお前ここで寝る気かよ!?

 

「……寝るの? ここで?」

「ダメ?」

「っ、好きにしろよ」

 

不安そうな声で言われてしまえばもう断れない。

落ち着け俺……俺はヘタレだ、バカだ、肝心なところで送り狼になれないチワワだ……女の子にカッコいいところを見せられない子犬なんだ……よしっ!

 

──何がよしだよお前!?──

 

うっせぇ!! 今の俺は完璧だ! 無敵だ! 最強だ! 女の子に手を出せない、据え膳出されても食べられないダメ男なんだぁーっ!!

 

──どう考えても食う場面だろここォ!?──

 

芳乃ちゃんと将臣大変!

茉子も大変!

そしてまだ正式に付き合ってもいない!

一日恋人とは言えども限界はある!

あと俺は今日はそういうことしないって決めた!

以上!

 

──律儀! もっと男見せろよ!──

 

だァってろーォッ!!

 

「よいしょっと……」

「と、隣か……」

「恋人だからね」

「だな、うん」

 

当然だが、布団の上に座ってボケーっとしていたので、茉子が俺が使っている布団の上に、しかも俺の真横に座ることとなっている。

……めっちゃいい匂いする。

それよりも、寝間着の茉子を見るのは初めてだけど──なんだろうか、普段より無防備に見えて、女の子って感じがする。

 

「……」

「? なあに?」

「いや、見惚れてた」

「あは。素直だね」

「……二人きりだし」

 

クスクスと笑う茉子。

こんなにも可愛いが……いやマジで可愛いな。

窓から差し込む月明かりが普段とはまた違った魅力を引き出している。

 

──急に肩に重みを感じる。

きっといつぞやのように寄りかかっているのだろう。

 

「馨くん、首筋噛んでいい?」

「なんだ急に。猫みたいだな」

「猫……あむっ」

 

寄りかかっていた体勢を崩して、そのまま俺の正面からもたれ込むようにして、首筋を噛んでくる。ガジガジ噛まれるというか、甘噛みだなこりゃ。

 

「本当に噛む奴がいるか」

 

……でもまぁ悪くない、かな。うん。

ゆっくりと左手で彼女の髪を撫でて、不意にそのおみ足が目に入る。

悪戯心に火が付いた、とでも言えばいいのか? ともかく俺は無心にも等しい精神状況でゆらゆらと足に指をつーっと這わせた。

 

「ひゃぁ!?」

「おっ、いい反応」

 

噛むのをやめて離れる茉子。

足を触られるのは恥ずかしいらしく顔が赤い。けれど噛む方がよっぽど恥ずかしいと思うんだが。

 

「もぅ! 女の子の足に気軽に触っちゃダメだよ」

「いや理不尽だな。お前噛んでるんだから足触っても文句ねぇだろ」

「うっ……でもワタシが気になるの」

「気にする仲かねぇ? ほら、こっち来いよ。意地悪しないからさ」

「……ホント?」

「やらないって」

 

またおずおずと隣に……ではなく正面に戻ってきてやっぱりもたれかかってくる。やっぱ猫みたいだなと思いながら、彼女の背中に片手を乗せる。

 

「……好き、大好き」

「そっか」

「やっぱり待てないかも。言葉にしたら溢れ出して、止まらなくて、溶けちゃいそう」

「そりゃ困るな。カッコつけられない」

「でも馨くんのカッコつけてるとこ見たい」

「じゃ我慢してくれ。な」

「……うん、ちょっとだけなら」

 

……あぁ、そういやなんかもう色々と順序があれだけど……どうせ二人きりだし。

 

今……かな。

 

「茉子」

「?」

 

彼女と目が合う。

相変わらず吸い込まれるように綺麗な目だ。

 

「あー……っと、そのさ、ほら。約束」

「……約束?」

「言い出しっぺのお前が忘れるかね」

「あっ! ごめん、すっかり忘れてた。芳乃様の耳の話が、やっぱり強くて」

「まぁそうだよな。てことはあれか? お前もしかして……来たいから来たのか?」

 

そう尋ねれば、すぐに顔を真っ赤にしてモジモジとしながら、視線を逸らして小さな声が聞こえる。

 

「そっ、それもあるけど……ほら、恋人同士のお二人だからワタシお邪魔かなぁって。有地さんにお側にいてあげたら? みたいなこと言ったし……」

「まぁ、あの二人踏み切れば躊躇い無くなるのに、するまでが長いもんな」

 

いや待て。

それなら、将臣がそうしなかった場合はどうするんだ?

けど茉子はこの家で一番早くに起きる。ならバレもしないか。

 

「……ま、いいよな」

「うん……」

 

どちらから、というのは野暮な話だ。

気持ち的には俺からだった筈だけど、実際にはなんてわからない。

 

「……んっ」

 

気付けば茉子の香りと、茉子の感触しかしてないんだから。

唇に暖かい感触。

強いて言えば、茉子の味がした。

 

とても一瞬で──けれど永遠とも思えるような。

 

この歪だった関係に別れを。

もう一度歩き出す為に。

 

必ずの再会を誓って。

今更だけど、やっと。

 

「あは……キス、できたね」

「……そう、だな……できたな」

 

ゆっくりと離れる。

はにかむ彼女が可愛くて仕方なくて、もう一度と求める気持ちもあるけど、それを何とか押し留めて身体を横にする。

……ただ恥ずかしくて、顔が合わせられないけど。

 

「おやすみ、茉子」

「おやすみ、馨くん」

 

隣に温もりを感じながら、瞼を閉じて、なんとかして寝ようと努力した。

 

 

 

 

 

……茉子は確かに完璧に抜け出した。

音も無く抜け出したが、一つだけ失念していた。

 

(……茉子がいない? 何処へ? ……まさかね)

 

何の偶然か、芳乃が目を覚ます可能性があったことを。

もちろんデートで何もなかったなど毛頭考えていないので、芳乃はいそいそと寝室を抜けて向かう。

 

もちろんその先は……

 

「将臣さん? 起きてます?」

「……んん? そろそろ寝るつもりだったけど」

 

将臣の部屋だ。

何のためにと問われれば。

 

「茉子が抜け出して、多分馨さんの部屋に行ったと思うんですけど」

「見ちゃうの?」

「何もなかったみたいな雰囲気でしたけど、絶対に嘘です。二人きりになった茉子が行動しない筈なんてないんだから」

「確かに。まぁ見るだけ見てみようか」

(……ごめん常陸さん、馨。好奇心には逆らえない)

 

こうして共犯者を一人確保した芳乃は、将臣と共に静かに移動する。

 

「……ほう、何やら面白そうなことになってるのう」

 

そんな二人に気が付いたムラサメもまた、二人を追いかける。

ここに三馬鹿結成せり。何の障害も無く部屋の前まで辿り着いたが、扉は閉まっていて、開けようにも気付かれないようにというのは難しい。

 

「ひゃぁ!?」

(今だ──!)

 

中から茉子の嬉しいのか恥ずかしいのかわからない悲鳴が聞こえた瞬間、神がかった技と速度を以ってして隙間を作り上げる。

少しというには結構な幅だが、この部屋の扉はやや調子が悪く、ただ雑に閉めただけではこれくらいの幅ができるのが普通だ。

 

(わぁ……俺は芳乃を甘く見ていたかもしれない)

 

かなりアグレッシブな芳乃を見て、もっと色々な芳乃が見てみたいと思う自分が如何にバカかを自覚しつつ、まるでトーテムポールのような構図になりながら覗き込む。もちろんムラサメは宙に浮かんで覗いている。

つまり芳乃を一番下に、将臣、ムラサメという構図だ。

それでやることが覗き。実に年相応のバカバカしさに溢れた事だ。

 

そしてそのやり取りを見続けるということは──

 

必然的に彼らが唇を重ねていることも目撃するのであって──

 

 

「……えっ、何あれ。なんでそんなにラブロマンスみたいな感じでキスができるのよ茉子〜!」

「ま、まぁまぁ落ち着いて。多分寝たと思うけどほらさ」

「わかってますっ。わかってますけど! 私たちはほら、なんというか……」

(まぁ言っちゃああれだけど、やらしい……と言えばそうだったなぁ)

「いや、接吻でやらしくなるなどどういう接吻じゃったのかお主ら。ご主人、まさかと思うが舌を入れていないじゃろうな?」

「入れてない! というかそんなことなんてまだできない!」

 

結局。

居間に戻った三人は、ある意味で衝撃的な光景を見て思ったことだの自分たちはやれどうだっただとかを粗方喋った後、初めて(意識がある時に)二人同じ部屋で眠るという貴重な経験をしたのだった。

 

「……で、結局あの二人、本当に付き合っているのかのぅ? 茉子と馨じゃぞ」

「「あっ」」

 




俺初めてまともにキスシーンなんて書いたよ。

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