千恋*万花~福音輪廻~   作:図書室でオナろう

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激突

──またこの夢か。

動けぬ身体と奇妙な浮遊感。

二日目にして将臣は呆れるほどに対応していた。

 

(……ここに来る前はこういうのに遭遇したら絶対に慌てたんだけどなぁ……)

 

慌てる理由も無いというか。

いや、恐らくは最初に祟り神と会ったのが効いているのだろう。

……もしかしたら編笠被ってた馨を、叢雨丸を折ったあの日に見たからかもしれないが。

 

(あれ怖かったな……真剣に殺されるかと思った)

 

将臣にとってみれば、馨こそが非日常への誘いだったというのが事実だ。叢雨丸も婚約も、まだありそうな──それにしたってだいぶ都合がいいが──話で済んだ。

ところが編笠被った和装の自称掃除屋など、これを非日常以外の何者と言えばいいのか。

ま、中身はだいぶ可愛い奴だったが。

 

そして──

 

──愛を喰らえ、我欲に塗れろ、恋心を満たせ、猛毒が満ちる──

 

(……今度はハッキリとしてるな。この声、何処かで……)

 

先日とは違い、怨念の中の恋歌がハッキリとしている。響き渡る狂気の恋歌の声には憶えがあるのだが、しかし何故か釈然としない。

そして何よりも──

 

(理解できない)

 

その恋歌は本当に愛している相手へと向けられる、確かな愛情がある。

だが確かな愛情があるのに狂っている。それは愛故に狂うなどという生半可なものではない。

……それが、この恋歌にとっての正常なのだ。

 

故に理解できない。

将臣の持つ芳乃への愛には、その異常性が存在しない。

支離滅裂な恋歌は、更に響き渡って止まらない。

 

──永遠の楽園を奪われて、鎖と杭は我が身に融けた。愚かなり、蒙昧なる玉石の女王よ。交わらざる愛の名の下に、我が心の拠り所を何故貴様は奪ったのか──

(鎖と杭……? 玉石の女王の交わらざる愛って、比喩か何かか?)

──この魂に刻まれし(やみ)を見るがいい。血の輪廻に刻まれし怨恨の福音を知れ──

 

……その声は、恋歌は、近づいている。

まずいと思った時にはもう遅い。貌の無い鎧武者は眼前に存在している。ジッと覗き込む赤光が、ありとあらゆる熱を奪い去って止まらない。

 

──(くら)きかつての幸福が、光の果てと消え去った。ああ、悍ましき魑魅魍魎よ。どうか我が身を愛して欲しい──

(……え?)

 

愛して欲しい。

それは誰しもが抱く願い。寂しい想い。そして──

 

──女神の笑顔、我が初恋よ。何処へと消えたのか。どうか嘆きに応えて欲しい。今一度其方と合間見えたい──

 

"それ"は、将臣の中に暗い奔流となって流れ込んできた。

 

──逃がさない、逃がさない──

(来るな……っ!)

──あの日からずっと、その願いは──

 

「──この願いは、俺のモノだ」

 

その奔流の中に、ハッキリと"男"の声が聞こえる。

それは怨念の声などではない。その声は──

 

「なぁ、俺を見ろよ■■。■■になったと見惚れてくれ。俺はお前を愛している。だからこの声に応えて、振り向いてくれ────」

(──お、ま……え……!?)

 

記憶が塗り潰される。

想いが塗り潰される。

思考の中に憎悪が滾る。

憑代を砕け、神を穢せ、人こそ支配者、石と獣が何をほざこうが知ったことか。

誰だって殺している。何かを殺している。お前らだって十や二十なぞ軽く超えているのに、どうして俺だけが悪鬼羅刹などと呼ばれねばならんのか。

残虐を好んで何が悪い? お前たちとて簒奪者の末裔だろうが。今なお簒奪しているだろうが。

何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故──

 

──いいだろう。

望むるならばなってやろう。

 

我は悪鬼羅刹。

神に唾吐く魔人。

血も涙も無ければ、義無く仁無く死虐に悦を見出す真正の外道と成り果ててやる。

 

……俺を愛さぬ家族など、俺を魔人だと非難する弟など死に絶えろ、総て残らず冥府へ堕ちてしまえ。

元よりそこが生まれ故郷だ。

 

獣の分際で何が守護名代だ。

その女は我々など愛していないだろうが。

愛していたのは始まりだけだろうが。

そしてお前はその女しか愛していないだろうが。

 

愛していない獣なぞに守られる一族など、愛されねば生きられなかった一族など、死んでしまえばいい。

誰かに導いてもらわねば歩めぬ人間なぞ、すべからく滅んでしまえ。

 

そうだ。

 

この怨念は、朝武の長男は、別に暴君でもなんでもない。

ただの……その時代として見れば普通な、しかし現代的にはまさしく暴君のような人間だったが、その時代として見れば人ができていた弟や先代と比べられ、ならばと堕ちたのだ。

誰の所為でもなく、自然と。より際の際へと目指す。ただそれだけ。

ただそれだけの意志を貫き呪い続けていた。

 

そして消え行く意識の中。

怨念の声とはまた別の、あの恋歌の声が聞こえてくる。

 

「もちろん、お前も愛してるよ……将臣」

 

吐き気すらする穏やかな声。

愛情と殺意が同時に存在する狂った声。

──そこで、やっと理解した。

 

愛憎は表裏一体。

コインの表と裏。

 

……だが狂気さえあれば。

いかなる狂気であっても、それを繋ぐ狂気であれば。

 

それは同時に存在できる。

矛盾を内包しながら、魔性として。

 

狂気に塗り潰された彼の意識は、闇の底へと消え去った──

 

 

──それはいつかの記憶。

怨恨の炎の中で外道と犬神は対峙している。

 

「では仲良く恨み憎み合おうじゃないか。久遠の怨恨を、後世に響かせよう」

「やめろ……やめてくれ! 私ならばいくらでも構わぬ! だから姉君だけは──」

「クククッ、ハハハッ……では向こうでその姉君に伝えるのだな。

 

──何故己を愛してくれなかったのかと!

 

──何故人間なぞ選んだのかと!

 

──名代を務めた己が馬鹿を見たとな!」

 

「まぁそもそも……誰が守ってくれと? 誰が一族を愛してくれと? 誰が名代など務めてくれと? 誰も頼んでいないのだがなァ?

 

──現実を知れ、■■■■■。

 

姉君とやらのおかげで俺のような外道が生まれただけでなく──」

「……まさ、か……っ」

「真実、黄泉より這い上がった者……神が如き者も生まれている」

 

「さぁ喜べ! そして呪え! いずれ穂織には絶叫する奈落の使徒が来たりて!」

 

「貴様の姉の恋──万の徒花に終わったそれが、やがては億の死を咲かせるのだ。そいつはきっと狂い咲かせることだろうよ」

 

「さて、外道と共に呪い続けようじゃあないか犬畜生。死の花が咲き誇り総てが死に絶える、その日までな……」

「ふざけるなっ、ふざけるな──!!」

 

 

 

……目が覚めた。

とても頭がすっきりしている。気分が良い。

為すべきことを為すだけ。

さぁ、行こうか。

 

刃を携えて歩き出す。

そして向かうは本殿──

 

「よぉ、朝っぱらから物騒なもん担いでどうした? 将臣」

「退け馨。俺は諸悪の根源を壊す」

 

の、前に立ち塞がるのは稲上馨。

やれやれ、といったような表情と態度のまま、彼は言葉を続ける。

 

「憑代壊せば丸く収まると?」

「要らないだろ、あんなもの」

「……はぁ、暴走してるのかァ。よりにもよって面倒くせぇ」

「二度は言わない、退け。俺は芳乃と幸せになる為に、憑代を壊す」

 

叢雨丸を構えて睨みつける。

内心に燻る呪いの残骸に囚われた将臣にとって、憑代はなによりも消すべきものだ。

それを感知した馨はため息を吐き──

 

「犬神に頼まれてここにいたが……どうやら呑まれすぎてるみたいだな。いつぞや俺のようなものとなれば、引き摺り出して鎮圧するか……」

 

腰に携えた、その刀を引き抜く。

その表情は冷たく、無慈悲に──

 

「暴れるお前相手じゃ、ムラサメ様や芳乃ちゃんだと分が悪い。茉子は……ちょっと心配だ。とりあえず、落ち着くまで遊んでやるよ将臣」

「言ってろ……!」

 

踏み込んで斬りかかる。

普段よりも、何よりも調子が良い。過去最高の踏み込みと剣の軌跡。

 

だが、しかし。

 

ギィイン……と鈍く、また高い金属音が響き渡る。

叢雨丸の刀身と噛み合う虚絶の刀身──鍔迫り合い。

二人の視線が交差する。

片や敵意、片や呆れ。しかし場を支配し、そして全てであるのは、この瞬間は力のみ。

 

「邪魔をするな──」

「贖罪を穢すな──」

 

鍔迫り合いから離れて、向かい合う二人の好敵手。

例え今は狂気に突き動かされようとも、その事実は変わることない。

 

「馨ゥ──ッ!」

「将臣ィ──ッ!」

 

吼える二者。

蒼天の下、神前において行われたのは、呪いに突き動かされてしまった友人を止める為、そして最愛の女とその主人の贖罪を穢させない為の戦いであった。

 

 

「せ──っ」

 

袈裟斬り。

 

「ふん……」

 

それに対し、流水の如き刀の軌跡が刀を弾く。

 

「へぇ、弾きってのはこういう感覚か……」

「遊んでんのか!?」

「これを戦いと呼ぶのかよ?」

 

独り言に返された激昂を、挑発を以って切り返す。

最初の激突から既に数分。攻めるのは将臣だが、守る馨がその場の主導権を握っていた。

 

将臣と馨──その力量そのものは拮抗しているが、性能だけで言えば馨に軍配が上がる。しかし武器の相性差を考慮すると将臣に軍配が上がり、そして馨が本来の得物である小太刀を持てばまた馨に軍配が上がる。

 

奇妙な構図ではあるが、その奇妙な構図が崩れることがあるとすれば、外的要因に他ならない。

……今回のように。

続く将臣の剣撃、それを馨は危な気に弾いていく。

 

(……疲れさせろってもねぇ)

──しょうがないでしょ。呑まれてるんだから──

 

袈裟からの振り上げを、初段は弾き、しかし次段は横に身を逸らすように移動して回避。反撃に軽い斬撃を放ち、それが叢雨丸によって流される。

 

(言って聞かねえ。本人の意志になっている以上は荒っぽい手段にならざるを得ない……やっぱりムラサメ様の神力散らしで様子見た方がよかったんじゃねぇか)

──いや、キミと同じで同調している。彼の暗い部分が怨念との同調により増幅されている以上、ほとんど効果は無い。やるんだったらキミが同調を断ち切ってからだね──

 

将臣を肉体的に疲労させ、その隙に怨念との同調を切らねばならない。

内面に潜む京香の言葉に、あまりにも面倒だとも思いながら、けれどそれで済むなら良いものかとも考え直し──

 

(……なら攻めるのみ)

 

ここで自分から攻めるという選択を、取った。

しかし馨は峰打ちなどという器用なことはできないし、そもそも彼の膂力で鉄の塊を振り回せば普通に死にかねない。故に守りに徹するというのは正解であり、攻めに回るともなれば流しやすい攻撃に限定されてしまう。

 

と、なれば危険も少なく疲労を蓄積させられるのは──

 

「──」

「居合か……っ!」

 

静かに鞘に刃を収め、じつと構える。

後の先を取る──その宣言は硬直を産む。迎撃か強襲か、双方の択は二つに一つ。

 

一拍、そして。

 

「、は──っ」

 

馨が、跳んだ。

 

(疾い……だけど居合斬りなら確実に横薙ぎになるから──!)

 

客観的事実に基づく考えに従い、ここは素直に受ける──そう選択した。

受けて弾き飛ばされるまでは計算済み。受けた後の動き次第でこちらの動き方を決める。

怨念と同調しているとはいえ、将臣の判断は正しかった。

 

「え──」

 

横薙ぎの斬撃に対応する為に動かした腕が、ぬるりと突き出された馨の手に掴まれる。

 

────そう、正しかったのは剣での戦闘に限った話だ。

 

現実では距離を詰められ、腕を掴まれ、虚絶は抜かれてもいない。

つまり、馨は将臣を疲労させる為の攻めに肉弾戦を選択したのだ。

抜刀術とその為の接近すらブラフ。

それにそもそも、馨はこっち(殴るだ蹴るだ)の戦いの方が得意だ。子供の頃から身体を十全に使った戦いばかりしていたのだから。

 

「そォ、ら──ッ!」

 

ぐるりと視界が蒼天を映し出す。

投げられた……その現実よりも先に背中から激痛が走る。意識の外から地面に叩きつけられることは二度目だが、これはあらゆる痛みを凌駕する痛み。

 

「か、は……っ!?」

 

困惑と共に呼吸が完全に乱れる。

増幅された痛みが身体中を駆け巡って、ダメージよりも精神的な疲労感をもたらす。

それは痛めつけ、肉体を疲労させる為の投げ技。腕や足を破壊する、意識を刈り取るなどという直接的なものではない。

 

──激痛と共に彼我の差を明確にする為、その為だけの技。

 

競い合う、殺し合う為の技ですらない。ただひたすらに弱者を嬲る為の技だ。

 

そして将臣の視界に入るのは、軽く跳ねて勢いを付けた脚を落としてくる馨の姿。

無様だろうと意識を落とされてはならない──そう判断してコロコロと横に転がってそれを避ける。反撃とばかりに叢雨丸を操り、逆袈裟斬りを見舞うが、いつの間にか取り出され、左手に逆手で握られていた小太刀により受け流される。

 

続く斬撃の嵐を、巧みに小太刀を操って防ぐ。一撃、二撃、三撃──それはまるで舞踏のよう。

 

(やっぱり馨の方が上……なら無理矢理にでも……!)

(あの投げ方でまだここまで動くか。予定変更、一気に決める)

 

だがその舞踏の中で両者は戦闘が長引くことを嫌い、短期決戦を選択。

やはり先方は将臣。内に燻る衝動に身を任せたような、圧倒する無数の剣撃を押し付ける。対する馨はそれを的確に迎撃し、その一瞬の隙を伺う。

 

刃と刃の応酬、金属音と共に睨み合う二人。

 

叢雨丸が軌跡を描けば、それを押し留めるかのように小太刀が動く。何度も何度も、輪廻のようにそれらは繰り返される。

が、その合わせた剣が百となろうかという時に。

 

「──そこだぁっ!」

「っ!?」

 

その軌跡と傾向を見切った将臣が、叢雨丸を巧みに操り、遂に小太刀を弾き飛ばした。

──それは素人の偶然ではなく、こんな形とはいえ、有地将臣の持つ才覚が発揮されたことに他ならない。

 

予想外の一撃。

馨の思考と動きが停止する。

 

そして将臣は、二度と邪魔されぬよう殺してしまおうと思い立ち、叢雨丸を構え直して、渾身の突きを放つ。

如何に馨が魔人と言えども、これならば対応できまい。勝利を確信し、後はその白銀の刃が彼の胸を貫くだけ──

 

そして腕が伸ばされ始めた時、ガクンと切っ先が地面へ突き刺さる。

何が起きた──?

 

「……な……っ」

「甘い」

 

それは馨の脚。

渾身の突きを、なんと刀身を脚で踏みつけて撃ち落とすという神業。

そして馨の姿が消え、背後からタン……と何かが堕ちたような音。

 

飛ばれた──! 振り向いたと同時に、胸に圧力を覚え、力もうとも身体は倒れ行く。仰向けに倒されたと同時に目に入るのは、またしても馨の脚。

踏み倒されたと同時に空いていた左脚で叢雨丸を持つ右腕が踏み付けられる。

 

(──やば……っ)

 

詰みだ。

そして馨は、まるで死神のように虚絶を抜刀する。

 

「少し静かにしてろ」

 

冷たく見下ろしながらそう言い放ち、虚絶を構え突き下ろす。

それは喉目掛けての一撃。確実に殺す為の一撃。

 

だからそれは困る。

そうされれば、憑代が破壊できない。

だから逃げてしまおうと、将臣の身体から黒い人型のようなモノが抜け出ようとして──

 

「捕マエタゼ、コノクソ野郎」

 

ピタリと止まる刀身。

伸ばされた左腕が、その人型の胸倉を掴み上げて、まるで引き摺り出すように持ち上げる。

混ざる男女の声。今の馨は、魔人を殺す魔人としてそこにある。

 

「邪魔スルナヨ、オ前。コノ時間ナノニ茉子ノ飯ガ食エナイダロウガ──ッ!!」

 

そして。

彼らしい咆哮と共に、その刀身を人型に突き入れた。

 

 

 

 

人の形を失いながら将臣の中に戻る黒を見て、上手く行ったかと安心する。

──将臣を殺そうとすれば、同調を解除して逃げ出す筈だ。だからそこを狙って釣って沈黙させる。

 

殺すようで殺さない制御は虚絶に。

引き摺り出すのは俺が。

 

疲労で引き摺り出しても良かったが、時間をかけすぎると面倒になるという理由もあってこちらを選んだ。

 

で、やったことと言えば将臣を動かしていた怨念の持つ回線を切り離しただけだ。これで表層に上がりつつも、将臣の意識に働きかけるのは時間をかけねば不可能となった。

 

「……俺は、なんてことをしようとしたんだ……っ」

 

正気に戻った将臣が、懺悔するようにそう吐き出す。その罪人のような表情は、まるでいつぞやの俺を見ているようだ。

将臣の上から降りて、とりあえず声をかける。

 

「気にすんな。そういう時の為に俺がいる。未然で終わったんだぜ? 安心しろよ」

「わかってるけど……やっぱり……」

「自分を責めんなよ。んな大事でもあるまいし。操られて憑代を破壊しようとしたって程度でそんなに──」

 

そこまで気にするなよと言葉を続けたのだが、将臣からすればどうもそういう訳にはいかないようで。

 

「違うっ! 俺はお前を殺そうとまで考えたんだぞ!?」

 

まだ身体も痛むだろうに、上体を起こしてそう叫ぶ。悲痛な顔だが、正直な話そんなことで何故悩むのか。

 

「……しょーがねーだろ、そればっかは。操られてた時のことを我が事と思うなよ」

「でも!」

「将臣っ!」

 

もうあんまりにも見ていられないので、将臣の言葉を遮って名を呼ぶ。

そのまま視線を合わせて、胸倉を掴み上げるような形で無理矢理立たせる。

 

「いつぞや俺はお前に斬りかかった。そして今度はお前が俺に斬りかかった。そんだけだ、それで終わり。思うものあるなら芳乃ちゃんにでも泣きつけ。俺は気にしてねぇ。むしろお前を止められてホッとしてるよ」

「馨……」

「しょげた顔すんな。んなキャラじゃねぇだろお前は。そういうのは俺の担当だっての。それを見てテメェは喝を入れる方だろうが」

「……っ」

「ご主人! 何があった!?」

 

そんなやり取りをしていると、ムラサメ様が近くに寄ってくる。

 

さて問題。

今俺は将臣の胸倉掴み上げてるし、将臣には土汚れが付いている。

近くには叢雨丸と虚絶が転がってるし、しかも俺が仕込んでいる小太刀まで転がっている。

 

ここから導き出される答えとは──?

 

「お、お主ら……っ!」

 

ムラサメ様はそれらを視認した途端に怒りを露わにする。

あっ、やべ……という顔をする将臣が見ものだが、俺も多分そういう顔してる。

そして──

 

「何故何も言わずにやったのだ馨!」

「俺ェ!?」

「大方、怨念の影響を受けたご主人を止めたのだろう!? それは感謝しよう! よくやったとも! だが何故それを吾輩に伝えなかったのだ!」

「だって攻撃する将臣だよ!? 荷が重いでしょ!?」

「目眩しの一つや二つ吾輩でもできるわ戯け! というかその方が手っ取り早かろう!」

「……あ」

 

──実は。

人が気分良く寝ていたら、茉子の中にいる犬神が「あの者が呪いに突き動かされている。止めろ」とか叩き起こしたのだ。

まぁそりゃ仕方ない話。

……ただ寝惚けた頭で虚絶を担いでさっさと本殿に向かった後に、誰にも報告してないことを思い出したのだ。

ただ京香の見立てから判断して少し荷が重いだろうと思い、俺一人で当たってしまった。

 

つまりなんだ、俺のミスだ。

必要以上に将臣を痛めつけたのは。

 

「おい、馨……」

「い、言うなよ将臣……ごめんて。そのなんだ、踏み倒したりだ投げ飛ばしたりだして……」

「いいけどさ。それより離してくれ」

「悪い」

 

掴んでいた手を離すと、将臣は一つ深呼吸をしてから俺を改めて見る。

……やっぱこいつ、顔がいいな。

 

「助かった。ありがとう」

「本業だからな。それより平気か? 一応、痛みだけデカイのを選んだんだが」

「ん? まぁあれくらいならなんとか」

「ダメだご主人。駒川の者のところで診てもらえ。如何に加減しようとも馨の技だぞ」

「過保護だなあ、ムラサメちゃんは」

「心配しているのだぞ」

 

そんな風に笑顔で話し合う二人を見て、これでとりあえずひと段落かと一息つく。

……正直、小太刀で弾いた所為で腕が結構痛い。ま、ほっときゃ治るだろ。

そして散らばった武器の類を回収して家に戻れば、既に待機している皆様方。

 

「──というのが事の顛末ですね」

「将臣が暴走させられて俺が殴った。以上」

 

朝食の席……の前に事後報告。

ムラサメ様ももちろん一緒だ。あとさっきムラサメ様から「一人で解決しようとするな。如何に本業と言えどもな」と苦言を申された。仰る通りで……

 

「吾輩は今夜、祓魔を決行するべきだと思う。表層に上がりきったのであれば、早急に対処するべきだ」

 

ムラサメ様の提案に反対する理由も無い。実際全員が首を縦に振った。(安晴さんには芳乃ちゃんが通訳してた)今日は学院があるが、休んでしまえばそれでいい。

というかもう学院どころでは無い。必要なのは早急なお祓いだ。

 

「手法としては前回、憑代をご主人から出した時と同じ形になる。引き剥がしてしまえば、清められた憑代に戻ろうとも受け入れられないからな。馨も同行しろ、万が一に備えてだ」

「任されて」

「吾輩が言うべきはそれくらいか」

 

沈んだ空気が一旦消える。

俺も本当に一息つく。……色々疲れた。

 

「俺ちょっとシャワー浴びてくる。後でみづはさんのところ行ってくるよ」

「そうした方がいいですよ。馨さんに投げられたりしたんですから」

「おぉふ、芳乃ちゃん。あんまりその複雑そうな目を向けんでくれ。俺も反省してるんだ、真面目に」

「私が言えた義理じゃないけど、馨さんはできるとわかってるなら黙って解決しようとするの、よくないと思うわ」

「……はい。申し訳ありません」

 

芳乃ちゃんにも素直に頭を下げておく。確かに寝惚けた頭で、とはいえどもスマートな解決法ではなかったのは事実。甘んじて責められるとしよう。

さて──と視線を向ける。

 

既にここに来るまでに覚悟は決めた。

 

俺の大好きな彼女様は、一体どのような──

 

「まぁ事情は知ってます。彼から教えてもらいましたから」

「あっ、うん」

「その上で言うとすれば、やっぱり一人より複数の方が良かったかと」

「うん……それだけ?」

「それだけです」

 

なんか、腹決めて損した。

なんでもないようにサラッと流した茉子に毒気を抜かれてしまい、俺もなんか肩の荷が降りた。

至ってフツーな態度の茉子が不思議ではあったが、まぁ、いいか。

 

 

「なぁ馨」

「んだ将臣」

「お前って、何が得意なんだ?」

 

朝飯食って、俺は茉子の味噌汁が飲めたことにホクホクしてのんびりしていたら、横で身体を休めている将臣からこんな質問が。

 

「得意って、何がよ」

「技の話」

「あー」

「投げたり踏んだり飛んだり短刀使ったり……お前ってもしかして万能?」

「いや全然。どれも平凡だよ」

 

将臣の疑問はもっともだろう。俺自身、始末屋で刀を使うとは言ったが、実際の得物は何かと言われれば全部としか答えられない。

切った張ったにルールなど無い。

故にありとあらゆるものを使い倒す──それが俺の知る限りの全てだ。

 

「俺にそっちの才能はあんまり無くてな。殺しは上手いが、戦闘はダメダメだ。身体の性能差で有利に立っているだけだし」

「あれの何処がダメダメだよ」

「刀の扱いだって上手くねーぞ? 踏んで突きを止めるなんて茉子の親父さんの猿真似だ。俺より茉子の方がスムーズにやれる」

 

突きを踏んで止め、そこから背面に回って攻撃するのが忍者の技だ──とはいつぞやあの人と立ち合った時に言われたこと。実際に喰らってみればわかるが、あれは意味不明だ。

今回は咄嗟に出た手だったが、リスキーが過ぎるぞアレ……よくまぁ茉子もできるもんだ。

 

「京香も言ってたろ、俺は暗殺者向きだって。性能のおかげで使える技が多いだけで、所詮三流だよ」

「お前が三流なら俺はどうなるんだよ」

「そもそもお前、普通に俺と打ち合えるって異常だからな? しかもベースは剣道だぞ、才覚は俺よりあるだろ」

「……言われてみれば」

 

こちとら魔人の膂力で殴ってるのに平然と打ち合うのは自信無くなるから勘弁して欲しい。まぁこっちも慣れないことしてるから……ってこれじゃ言い訳だな。

実際短刀を弾かれたのは想定外だし、そこで踏み飛びを使わされたんだ。俺が侮り過ぎていた。

 

──しかし気になるな。

もし俺が殺す気でやっていたら、将臣も十全な状態でかかっていたら、一体どっちが勝ったのだろうか?

一人の男として、この好敵手との決着は真面目に着けてみたいところだ。

 

──おっ、なんか少年マンガみたいな雰囲気だね──

 

内面からおちょくられる。

うっせ、気になるんだよ。

 

──ま、昔みたく小太刀と無銘刀による二刀、そしてあらゆる手段を講じてでも殺すスタイルに戻れば勝てると思うよ私は──

 

ロクな思い出が無い時期じゃねぇか。

やめろや、その頃の話を持ち出すのは。

 

──無心で徹底した殺しを成し遂げる魔人……"勝つ"為ならこれが一番だよ。でもね、キミはこのままでいいんだ。そうなる必要なんか無い──

 

……まぁ、な。

 

──頼むよ馨、人として幸せになってくれ。英雄にも魔人にもなるな──

 

わかってるよ。

俺は……茉子と普通に生きるって決めたんだ、人間として。

幸せにできるかどうかはわかんないけど、とにかく努力する。

 

「魔人ってなんだろうな」

 

不意に、何かを考えるように尋ねられる。

魔人とは何か──その答えなんて人それぞれだが、俺の意見を上げるとすれば。

 

「人にして人ならざる者だろ」

 

ただそれだけだ。

人ではあるが、人ではない。

 

「俺、怨念の記憶を少しだけ見たんだ。あいつは魔人だって自分を定義していた」

 

……ふぅむ。

そう言われたってなぁ、京香。

内面の彼女に聞いてみると、即座に実体化し、しかめっ面で吐き捨てるように語り出した。

 

「バカ言わないでよ将臣君。あんな出来損ないが魔人なワケないじゃん。所詮一族を呪っている程度で終わってるし、自分の行為を棚上げしてんだからただのガキよ」

 

……どうも本物と会っている所為か、その辺りの定義は厳密らしい。というよりも魔人やなんたるかを知らぬ奴が魔人を語るのが我慢ならん……って感じか。

 

「本物の魔人ってのはね、同情を引くようなモノは何一つ無いの。理解出来ず、相容れず、そして生物として異質で、人である筈なのに人として生きる上で何かが致命的に破綻しているし、それを自覚して秩序で見れば悪だと理解しながらも絶対に止まることない怪物」

 

その判定で行くと他ならぬ京香自身もまた魔人となる……とは本人の内心だ。中途半端に流れ込んできやがる。全部流れるかいっそ流れなければ特に無いというに。

実際、京香的には数千も呪い続けて挙げ句の果てに意識を気合と根性一つで保ち続けながら、一応は正気──とは言えども、復讐の衝動が増幅されてしまえば誰しもを魔人殺しに変えてしまう程に壊れているが──な自分など魔人に他ならないのだという。

……復讐者なのだから魔人とは違う気もするが。

 

「先天だろうと後天だろうと、人という生命体の基本から見て根本的に狂ってる──それこそが魔人。バカなクソガキと魔人を一緒にされちゃ困るわ」

 

どれだけ憎もうが死を望もうが、所詮一族"だけ"しか呪わず、土地を殺すわけでもなく"人間"の絶滅を望むわけでもない。

……あぁ、まったく……"クソほども魔人でもないゴミ"だな。

魔人とは人と相容れず闇の奥底より咆哮を上げる者。死を狂い咲かせろ。凶星(ならく)より来たる魔物とは、すべからくを■してやる(■してやる)くらいの度胸を見せてもらわねば。そうだ、魔人とは、魔人というのは──

 

「……だからこいつは所詮その程度。よくある頭目争いに負けて恨み節をぶち撒けてる敗北者が、魔人を自称しただけの話」

 

その通り。

結局のところ、やったことは呪いを謳い上げることもせず、精々が短命にする程度。そんなものは魔人などではない。"俺以下の負け犬"だ……

 

──強制停止──

──強制切断──

──反転……収束……回線変更……──

 

「無価値だし無意味な、とてもくだらないことだよ」

 

そう言い切った京香の表情は、哀れむようにも、あるいは憎むようにも、そして軽蔑するようにも見える。

複雑であり、同時に単純。もはやそれは人間の持つあらゆる感情を単一に凝縮したような有様だ。

 

「おぉっと、そろそろ時間じゃないかな二人とも。診療所に行った方がいいと思うけど」

「あ、ホントだ。どーする? 芳乃ちゃんは舞の奉納だし、茉子は茉子で忙しいし、空いてるの俺だけだけど」

「じゃあ頼む。流石に一人だと不安だ」

「へいへい」

 

 

 

 

「よくもまぁこんな器用にやるもんだね」

 

診療所で診てもらった将臣だが、さしたる異常は無かったようだ。一安心。しかし医学的にはかなりおかしな状態なので、駒川は頭を抱えながらため息を吐いた。

 

「……地面に投げ付けられて痣も無ければ骨の類に異常無し。馨が後頭部を叩きつける投げをしなかったから背中に集中している筈なんだけどねぇ。まぁとりあえずあまり運動はしない方がいい。殺る気無く加減したものとは言っても、その本質は人体破壊術の類だ」

「しばらくはトレーニングを休みますよ」

「それと経過も見せてくれ。そうだな……一週間見せに来てくれ。有地君はどっかのバカと違って逃げないから平気だろうけど、釘は刺させてもらうよ」

「言われてるぞどっかのバカ」

「どっかのバカって誰ですかねー? ちゃろー☆」

「「馨」」

「ひでぇ」

 

まぁそんなのはどうでもいい。

というかあの技って……誰のだろうな。咄嗟にできたというか、あの場面ならあの技だって即決したんだよな。

……確か京香は黙ってたよなあ。ウチの一族のものかね?

 

「それで馨の方はどうしたんだい」

「付き添い」

「あぁ、なるほど」

 

粗方話は通してある以上、あーだこーだ言わなくていいってのは楽な話だ。

とかなんとか考えていると、急に駒川はこんなことを言った。

 

「しかし、これで有地君の祓魔が無事終われば、君もあの家にいる理由が無くなるな。常陸さんが子犬になる理由も無くなったわけだし」

「……あっ」

 

そういえばそうだ。

確かに……俺がいる理由が無くなってしまう。茉子と離れてしまう。

それは嫌だが、仕方ないことだとは理解している。けれども俺は茉子の側にいたいし、茉子に近くにいて欲しい。お勤めは大事だ、彼女はきっと芳乃ちゃんの側にいることを望むだろう。

 

……あぁ、こういう時に将臣が羨ましい。四六時中一緒にいれるなんて。

 

俺だって叶うなら茉子と一緒にいたい、ずっと……ずっと。

なんか、近いのに遠距離恋愛みたいな雰囲気だな。

 

「おっと、何やら甘酸っぱい感じの雰囲気だね馨」

「そっか、お前帰っちまうと常陸さんと過ごす時間減るもんな」

 

そんな微妙な変化を察してかニヤつかれる。ちくしょう。

 

「うっせぇな。俺だって年頃だ、恋人と長くいたいんだよ」

「これは真面目に芳乃と説得して常陸さんを自由にするべきか……?」

「まぁ、なんだ。その辺はじっくり話し合うといい。もうみんな、呪いだなんだのとは別れを告げるべき頃合いだろうし」

 

駒川の言う通りだが……不穏な気配はまだある。

特に京香が起きるだけの理由──恐らくは破綻者も何処かにいるのだろう。だがこれは俺の……俺たちの血筋の問題だ。

呪いとか仕事とか一切関係無い上に、そもそもこの話はウチが原因だからな。関わらせる訳にもいくまいて。一人で解決しようとすれば頼れと言われるが、こればかりは言う訳にはいかない。

 

人の中でも最もタチの悪い人種と会うんだ。祟りと向き合うよりも遥かに辛い。

 

……俺らだけで、殺る。

目には目を、歯には歯を──魔人には魔人を。

 

それが終われば、きっと俺は……

 

 

 

「おかえりなさいませ、二人とも」

 

帰って来れば、手が空いていた茉子が出迎えてくれる。

 

「ただいま、常陸さん」

「ただいま……茉子」

「有地さん、どうでした?」

「全然痣もできてなくて、医学的には不思議極まりないからしばらく見せに来てくれって」

「なるほど。今のところは大事ではないと」

「……そうだ、ちょっと台所借りていい? 作りたいものがあって」

 

……ふぅむ。

案外、芳乃ちゃん用のプリンかな。

 

「はい、構いませんよ〜」

「ありがとうね。あとは二人でごゆっくり」

 

スタタタと台所へ向かう将臣。

……診療所での話の所為かね? まぁいいか。

 

「あは、気を遣われちゃいましたね」

「だな」

 

えへへと笑う茉子。

……柄でもないが、たまには思ったことを素直に言うとしよう。その方が多分……この話には一番良い。

トコトコと居間に移動してから、腰を下ろして向かい合う。

 

「毎日お前の飯食ってってやってると、なんか……夫婦みたいだな」

「言われてみればそうですね」

「あー、まぁ……なんだ。その、いつまでこうして一緒に暮らせるかね」

 

そう言ってみれば、キョトンとした顔になった後、納得したような雰囲気を見せてから、優しく尋ねてきた。

 

「寂しいの?」

「あぁ、とっても寂しい」

「そっか」

「……お前がそうしたいってわかってるんだけどさ」

 

実際あの日、彼女はそれを確かめたし、俺はそれで構わないと言った。

納得はする、理解もできる、けれど感情は歯止めがかからない。愛情とは極めて困った感情だ。

 

「でも……叶うなら、俺は……お前の側にいたい。だから──」

 

そんな困った感情に突き動かされながら──

 

「……もぅ」

 

困ったような、呆れたような、けれど仕方ないって感じがする彼女の声。

結局、その温もりを手放したくなくて、抱き締めてしまった。

 

「ちょっとでいいんだ。ちょっとだけ、こうさせてくれ。じゃないと寂しくてしょうがないんだ……」

「別にこの生活が終わるって決まったわけでもないのに」

「常識的に考えて俺がこの家に世話になり続ける方がおかしいだろ。将臣のような大義名分があるわけでもなし、ただ恋人がそこにいるから俺もいたいなんてさ」

 

こんなもの、子供のワガママだ。

それでいいと納得した癖に、今更になってやっぱりヤダと思っているなど。

 

「終わったらさ、色々話そうよ。ワタシたちはどうするかとか、そういうの」

「お前はどうしたいんだ」

「ワタシ? ワタシは……お勤めも大事だけど、やっぱりアナタと一緒にいたいかな」

 

背中に手が回されるのがわかる。

……お互いにお互いの温もりが欲しくてたまらないんだろう。

 

「お昼、どうしよっか」

「昼? 悩ましいよな。何がいいかな」

「夜に脂っこいものは違うでしょ? かと言ってお昼に回してもいいけどそこまで、って感じじゃん」

「なら材料見て悩もうぜ。俺も付き合うよ」

「ホント? ありがと」

 

 

「で、二人はいつまでそうしてるのかしら? 私お腹いっぱいなんだけど」

 

 

ギギギと二人して声の主を見る。

巫女姫姿の芳乃ちゃんが、とんでもなく呆れた顔でそこにいる。

──茉子と即座に顔を見合わせる。

 

(……将臣の姿を見せるわけにはいかないよな。足止めするぞ)

(うん。芳乃様はしばらくここで足止めしないと)

 

小声で話し、そしてそのまま、また芳乃ちゃんの方を向く。

抱き合ったままなのはまぁ……うん。

 

「ん? 恋人に甘えちゃダメかな、芳乃ちゃん。舞の奉納お疲れ様」

「私だって将臣さんに甘えたいのに、二人は気を抜いた途端にすぐそうするんだから。見せられる側にもなってよね」

「あ、あは〜……申し訳ありません芳乃様。ついつい馨くんがいると、こう……」

「わかる、わかるわ茉子。好きな人がすぐ隣にいたら自分だけを見て欲しくてついつい甘えちゃうわよね。うんうん、すごくわかる」

 

お、お……?

なんか我が意を得たりみたいな感じの、超納得してる表情の芳乃ちゃんがうんうんと頷きながらそんなこと言ってる。

足止め成功かこりゃ……?

 

「でも私思うの。たまには将臣さんから甘えて欲しいって」

「あー、確かに将臣の奴は全然甘えるタイプにゃ見えないよね。俺じゃあるまいし」

「茉子、馨さんは参考になる?」

「なりませんね。馨くんは基本的に甘えん坊の寂しがり屋なので。でも大丈夫です。きっと有地さんに芳乃様から甘えてもいいんだということを伝えれば、弱音の一つや二つ言ってくれますよ」

 

うぐっ……いくら事実でも他の誰かにそれを実際言われると羞恥とか色々湧き上がってくる。

そして離れようとすると茉子がぎゅっと抱き締めてくる。しまった、こいつも成分補給しているのか……!

 

「も、もういいだろ?」

「ワタシがまだ足りないんです。あとたまにはカッコいいところ見せてください」

「芳乃ちゃん助けて」

「自業自得でしょ」

「なんか雰囲気昔みたいに戻ったね。俺への態度とかも」

「あんまり気を張る必要も無くなったから、かしら」

「の割には将臣に硬くない? 敬語使ってさ。ああ、昔みたいに馨君って呼んでくれてもいいんだぜ?」

「茉子の為に遠慮しておくわ。そんな風に呼んだらどんな顔されるかわからないもの。硬く見えるのは馨さんが私にそういう印象を持ってるからよ」

「ま、今の君とあの頃のわんぱくお嬢様は結びつかないからね。根っこが変わってないのはわかるんだけど、口調だけで硬く感じちまう」

「ところで私ばっかり構ってていいの? 茉子がすごく可愛い顔してるけど」

 

そんな指摘に身体を離して顔を見る。

ムスッとした顔に、ちょっと膨らんだ頬。もっと構ってという色の見える視線に、どこか不満気な目つき。

──大変可愛らしい。

俺の彼女がこんなにも可愛い……いやマジで可愛いなコイツ。

 

「妬いてる?」

「面白くないだけだよ」

「妬いてるじゃん」

「妬いてないもん」

「可愛い奴。そういうとこ好きだぜ、俺」

「……イジワルっ」

 

そそくさと離れてプイッとそっぽ向かれてしまう。

そんな様子がおかしくってついつい笑いながら、けれどなんて声をかけようかを悩む。気の利いたことを言ってやりたいところだが。

 

「……何してんの?」

「あ、将臣。こりゃな、茉子に拗ねられちった」

「? 拗ねてるようには──」

 

と将臣が言いかけた途端、急に黙りこくる。何事だろうかと思ったが、多分知ってはいけない乙女の秘密なのだろう、うん……

 

「野暮用はもういいのか?」

「あぁ、終わった」

「野暮用……? 将臣さん、何を?」

「ま、ちょっとしたことだよ。それよりお疲れ、芳乃。向こうでお茶でもしよっか」

「はいっ」

 

そうニコニコと笑い合いながら、少し離れたところに行く二人……っておいおい!? 俺放置!? 待って! 助けて! お願いします!

そうした視線を投げかけてみれば、「あとは頑張れ!」みたいな感じの視線を投げ返してくる二人。そのまま居間から出て行ってしまい、多分どっちかの部屋に向かったんだろう。

 

「……はぁ」

 

茉子に拗ねられるのは初めてだ。

いまいちどうしていいかわからない。

……というか、どうやって宥めたものか。

 

「茉子」

「……」

「こっち向いてくれない?」

「ヤダ」

「悪かったって。なんかもうちょっとやりようあったよな」

「……」

「あのぅ、茉子さん? 俺お前に嫌われたら明日からどうやって生きていけばいいかわかんないんだけど」

「昨日までの生活に戻ったら?」

「もう忘れたよ」

 

ダメだな。圧倒的に拗ねてらっしゃる。

もうこうなったら──

 

「茉子、今日は一緒に寝ようか」

「そこまで子供じゃないよ!?」

 

ガーッと吠えるようにこっち振り向いてそんな事を言う。

……なにもそう拒否しなくても。

ちょっとショックだ。

 

「……まぁ、馨くんから誘われるのは、嬉しいけど……」

「あ、そうなんだ」

「でもここでそう言うのはどうかと思うよ、ワタシ」

「ごめん、本当にどうしたらいいかよくわかんなかったんだ」

「知ってる。でも、妬いてるお前も好きだとか言われたら、どうしたらいいかわかんないじゃん……」

「──茉子は可愛いなァ」

 

すると顔を真っ赤にして、台所へと向かって行ってしまった。

頬がだらしなく緩んでいたのは、黙っておいてやろう。


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