千恋*万花~福音輪廻~ 作:図書室でオナろう
直すべきかな
結局、事がどうなったかと言うと。
有地将臣は婚約者になった。
芳乃さんの。
……安晴さん、芳乃さんから言うなと言われていたんだろうな。それで頭回してこのような形になった、と。
それにしたっていきなり同居ってのはやりすぎなんじゃねーかなァ。娘さんの友人になってくれそうだからっても、ちとねぇ。
それが昨日の顛末だ。
俺への仕事の話は特に何も無し。本当に知っておくだけで良かったらしい。まぁあと、俺が彼を記憶しておくというのも一つの目的だったのだろう。顔と名前と声が一致しないと、色々と動き辛いのもある。居場所も分かってれば、何の問題も無い。
……もしかして、俺の仕事が無くなるのか? 神刀の効力がどれほどのものかは知らんが……そうしたら安心して任せられる。
それなら、俺は────
「……ねみィ」
さて、今は早朝。
何処かへ行かれる前に、顔だけでも合わせておくべきかと行動したのだ。俺にしては比較的早く起きた所為で眠くて仕方ないのだが、あの場には『掃除屋』として……『イナガミ』としていた。
公私を別けねばならぬとは昨日言ったばかりだし、昨日が公なら今日は私だ。それに掃除屋の名前は好きじゃない。
家に帰って死にたくなって、思わず包丁に手を伸ばしてしまったほどだ。が、あの女との約束もあり思い止まった。
──せめて、二十歳になるまでは生きろ──
……あの女は幼少の頃、"仕事"を知って絶望し、入水自殺を試みた俺を助け、頬を引っ叩き、そう言った。
答えを出すには早計だ。だから人生をもっと送ってみて、その上で考えろ。最低でも20になるまでは絶対に死のうとするな……だったか。
親に伝えられ、えらいことになってしまったが……今思えばこの約束も案外バカにできなかった。
確かに生きることは楽しい。でも生きていれば生きているほど、自身の罪深さが重くのしかかってしまう。
伝える事もできない。嫌われるのは嫌だ。だけど死んだら喜んで欲しい──我ながら支離滅裂な感情だ。
だからこそ、答えは変われない。
死なねばならないんだ、俺は。
「……む、もうか」
負の感情と過去の出来事を処理していると、あっさりと神社の横の朝武家に着いた。何もしたくない何も考えたくない静かに朽ち果てたいと思うようなズボラ男であるこの俺の歩行スピードは遅い筈だが……はて? まさか茉子の飯に惹かれているのか? タカリに? ダメじゃん。
でも今の時間なら飯は食い終わっている筈だ。奴の前で素直に食べたいなどと言えばからかわれるのは目に見えている。
「呼び鈴は……あったあった」
呼び鈴を鳴らしてしばらく待つ。
するとドタドタと音が聞こえる。まるで急いで来るように。
……あれ?
ガラリと扉を開けて現れたのは、茉子だった。
……口の横にご飯粒付けてるけど。
「馨くん? どうしたの?」
「いや、挨拶をと思って……あ、ご飯粒ついてるぞ。悪いな、終わるまで待ってる」
「あはは……すみません」
ガラガラと扉を閉める茉子を見送るが、何故すみませんなのかが分からない。というかどれだけ件の彼が起きるのが遅くても、普段の流れから考えてみて、ここまで遅くなることはないはずだが……はてさて、何があったのやら。
「お邪魔します」
「珍しいですね、馨さんがこんな朝早く起きてるなんて」
「挨拶しなきゃと思ってね」
開口一番それかよと思わなくもないが、俺の朝のだらしなさは芳乃さんもよく知るところ。仕方ないことだ。
「挨拶って、俺に?」
まだ慣れぬ立場だからか、おずおずとそう尋ねる有地将臣。
「ああ、そうだ。はじめまして。俺は稲上馨。君の事は廉や小春からよく聞いてたよ、有地将臣君」
軽く挨拶をして、握手の意味も込めて手を差し出す。
「どうも、稲上……さん?」
握り返しながら、やや困ったように俺の名を呼ぶ有地将臣。
ふむ、ここは助け舟を出すか。
「呼び捨てでも、馨でも構わないよ。俺もそうする。廉の従兄弟だしさ」
「もしかして廉太郎の言ってた気の合う奴って、お前?」
「如何にも。どうせ結構な頻度で顔を合わせるんだ。これからよろしくな、有地」
「将臣でいいよ。俺も馨って呼ぶし」
「じゃあ、お言葉に甘えて将臣と呼ばせてもらうとするか」
しかし……どうしても気になることがある。今朝この家で何かがあった。でなければ飯の時間が終わっていないはずがない。
茉子の家事技術はかなりのものだ。一人分増えたところで俺が遊びに来たのと変わらん。と、なればやはり……
「安晴さん、茉子のこと伝えました?」
「あはは、言いそびれてたんだ」
「なるほど……じゃあお前裸見られたってことかァ?」
あ、お茶を飲んでた将臣と茉子がむせてる。しかも顔真っ赤。ビンゴ、だな。
「大方、意識飛ばしたりとかして遅れたんだろ」
「なっ、なんでそこまでわかるんですか!?」
「風呂好きのお前のことだ。簡単に想像できる。朝風呂で全裸二人が相対すりゃあ、そりゃ一悶着ってものさね」
「違います! ワタシはともかく有地様は裸じゃありませんでした!! あと見られてませんから!!」
「ちょっと常陸さん!? やめてくれ!」
「ふーん、裸だったんだ、茉子。じゃあ、胸でも当てられたか。これでからかうネタが一つ増えたな」
「最低です馨くん!」
「最低だよ、男だもん」
ガーッと摑みかかる茉子にテキトーな返しをしつつ、体勢的によく見える胸を楽しませてもらった。役得役得。
と、そこへ。
「で、あなたは邪魔をしに来たんですか」
やけに冷たい芳乃さんの声。
そんなに嫌かね婚約者ってのは。どう見ても将臣は良物件だと思うんだが。
「挨拶だよ」
「その割には無駄話が多すぎです。話が終わったなら帰ってください。というか昨日もいたでしょう」
「立場が違うんだ。昨日は公、今日は私」
「そうですか。では私は舞の練習をしますので」
そう言い切って居間を出る芳乃さん。ふむ……これが単に嫌悪感から来ているのか、それとも巻き込むまいとするものか。恐らくは後者と見るが、さて。
「あんな冷たかったか? 彼女」
「頑なですね……」
「一体誰に似たのやら」
あんたとあんたの奥さんだよ、なんて軽口を言う気も起きない。あそこまで頑固になられちゃお手上げだ。劇物であれこれ、ともならなきゃ。
「さて、じゃあ僕もお仕事してくるかな。将臣くんはくつろいでていいよ」
「あの、なんかそれだとバツが悪いんで、何かお手伝いとかさせてもらえませんか?」
「境内の掃除くらいしかないけど、頼めるかい?」
「はい。わかりました」
いい奴じゃん。廉、小春、お前らの従兄弟めっちゃイイ男やぞ。
「……あとでぎゃふんと言わせます……」
後ろで初対面の男に胸を押し当てた挙句気絶させた痴女が何やらほざいているが、気にしなくていいだろう。
「あ、そうだ馨くん。どうせ暇だろ? 将臣君の話し相手になってくれないかい? 僕らは仕事あるし、茉子君は茉子君で色々あるし」
「ムラサメ様もいるでしょうが……わかりました。やりますよ」
まぁそういうわけで今日は朝武家に世話になることとなった。茉子の飯が美味いのが悪い、うん。
……いや本当にあいつが悪い。マジで。
そして昼過ぎ。ギスギスした雰囲気で昼を食ったりし終えたら、境内で掃除をしている将臣と、腰掛けて見る俺とムラサメ様という奇妙な構図が出来ていた。
「……帰りたい」
まぁ、将臣の呟きにも同意できる。俺も初めは都会の利便性から田舎の単純性に映ったときは嫌になったもんだ。ま、面倒が少なくて済むからすぐ田舎万歳になったんだが。
「女だらけは辛いか? 将臣」
「そっちは平気だけど。朝武さんの態度が……けど仕方ないってわかってるんだ。いきなり婚約者なんて、誰でも嫌だろ」
「芳乃は決して悪い人間ではない。だが少し頑固が過ぎるというか、頭が硬いというか……普段なら友である馨にあんな態度は見せないから、色々と思うものがあるのだろう」
「あとテレビのチャンネルが少ないのが一番辛い」
「ご主人……真面目に言ったのがバカらしくなったではないか」
案外能天気なんだな、こいつ。ま、事情もロクに話さず囲い込みなんてだいぶ無茶が過ぎる。娘に甘いのも考えものだ。だが最低でも夜の山に入るな程度は言ってあるだろう。
祟りが活発になるのは夜の山のみ──力を貯めればその限りではないが。
「して、ムラサメ様──数百年ぶりに男と触れ合った気分は如何に?」
「馨、主はそんなに軟派な性格であったか?」
なんとなくムラサメ様に振ってみると、帰ってきたのは純粋なる疑問。コテンと傾げた首が可愛らしい。
そういやそうか、見られていたのは主に安晴さんとの真面目な会話や、茉子や芳乃さんとあったときに、絶妙に壁を作っている会話くらいか。
俺の素、というものは知らないのだろう。
「残念、俺は元々こんな奴だよ? アレも含めて全部俺さ」
「……難儀な奴よのぅ」
ジト目で睨まんでください。ぼかァそーゆー人間なんですー。
ムスッとしてると将臣はあぁ、と呟いてから。
「馨ってムラサメちゃんが見えるのか?」
──なんだと?
「……ムラサメちゃん?」
「えっ、あぁ俺はそう呼んでるけど」
ムラサメ様がムラサメちゃん。
ムラサメちゃん……ムラサメちゃんだと? この威厳たっぷりで笑えない経緯を持ちながら、神刀の管理者であるムラサメ様がムラサメちゃん?
「くっ、くくくく……っ! む、ムラサメちゃ……ぷふっ、ムラサメ様がムラサメちゃん……アッハハハッ、ハハハハハ!」
「ツボるな!」
「いやギャグだろ!? 由緒正しき、正真正銘の神刀である叢雨丸の管理者がちゃん付けって笑うしかねぇだろ! やべっ、お前最高だよ将臣! 天才! さすが廉の従兄だ!」
「んん? んー……ありがと?」
なんで俺がウケてるのかわからないらしいが、単に外の人間にかかれば神刀の管理者もただの女の子扱いっていうのが面白かっただけだ。
それほどまでに無関係、だからこそ気軽に接せられる。俺もそうでありたかったものだ。
さて、質問には答えねば。
「ひー、笑った笑った……んで、質問は見えてるのかだよな? 答えはイエスだ。が、俺は資格を持っていたり、朝武の血筋というわけでもない。ちと例外的な方法を使っているんだ」
「例えばどんな?」
「メガネみたいなものだ。茉子が忍者であるように、俺にも別口の職業がある。それの関係で見えたり喋ったりできるようになってる。接触はできんが」
「へぇー。穂織には結構な頻度で来てた筈なんだけど、その手のことがあるなんて知らなかったなぁ」
「知らせる必要も無いからな」
大声で言うようなことじゃないのは事実。稲上にしろ常陸にしろ朝武にしろ、表立って何かやってますなどとは口が裂けても言えない。
伝説とは伝説であらねばならない。あやふやであることが望ましいのだ。
「必要無い……か」
将臣のため息は深い。しかし能天気だなんだと表現はしたが、こりゃ存外逸材やもしれん。探りを必要以上に入れず、必要事だけは知っておく……よくできた男じゃないか。
「まぁ、気にするな。男女仲など得てしてそんなもの。廉のように軽い立ち回りをしなければ、お互い落ち着くとこらに落ち着くさ。安心しろ」
「そこまで重く考えてないよ。そういや馨と常陸さんってすごく仲良さそうだけど、実は付き合ってたりすんの?」
「あ? 俺と茉子が? おいおい冗談はやめろよ」
次に将臣から聞かれたのはそんなたわいのないこと。
こちらは面白くもなんともない。返すべき答えは用意してある。
「俺も茉子もそういう関係じゃないし、意識もしてない。せいぜいが絡みやすい友達程度だ。それにあいつのことだ。惚れる男がいるとすれば、俺なんかよりもいい男だろう」
他の奴らにはこれを何回も言った。きっと茉子も同じ返しをする。
「本当にそうかなぁ。ムラサメちゃん的には?」
「何故吾輩に振るか気になるところではあるが……まぁ、あの二人が交際してないのは事実だ。ただ、側から見るとまるでそういう関係かのようなやり取りで、差し障りの無い会話をしているといったところかの」
「うわ、タチ悪いな」
「言ってくれるじゃねぇか」
ケタケタ笑いながら、伸びを一つ。
疑いの視線と呆れた視線を受けながら、身体をパキパキと鳴らす。何もせず話し相手になっている、というのはなんとも楽だが、これはこれで落ち着かない。
「んー、ちょい便所行ってくる」
一言断ってから、神社の便所へ向かう。
用を足して出てくると、何やら急いで去る様子の女性が見えた。はて、なんだ、迷い人か? トコトコ出て行き、おそらく事情を知っているだろう将臣に問う。
「何があった?」
「子供が迷子になったんだって」
「サツには?」
「これからってさ。俺も俺で見てみる」
ふむ、迷子か。穂織の地は狭い。山に入らなければ、と付くが。しかし将臣を外に出して迷われたら困る。ので街を見に行くとしたら俺だな。
「……なるほど。子供探しは難しいが、俺は街の方を見よう。あれ、ムラサメ様は」
そういえば姿が無い。
さっきまでいた筈だが。
「子供が隠れそうなところを見てもらってる」
「手が早いな。あんまり出歩くなよ? 迷子が増えても困る」
「わかってるよ」
そうして子供の特徴を聞いてから、俺は将臣と別れて街に出る。
しかし、正直なところを言えばほとんど俺の出る幕は無い。放っておいてもすぐに解決するだろう。人探しにおいて人海戦術に勝るものなど無い。ことネットワークが人間関係程度の田舎では。
だが、山に入られてると厄介だ。祟りと遭遇されていると困る。
「……あまり気は進まんが、山に行くか」
お荷物が一人程度なら、祟りに襲われても問題は無い。まだ有象無象だろうし、楽に"殺せる"。
街は警察に任せ、俺は山を見るとしよう。
神社手前の山道を通り、辺りを見回す。当然だがいない。声をかけるという手もあるが、事情を知らぬ子供には不審者に見えるだろう。何も知らぬ体を装い、街に戻すだけだ。
奥へと進み、更に見て回るも成果は無し。獣道には進まないだろうから切り捨て。俺のように慣れていなければガキが山奥で入水自殺などできやしまい。
となればやはり街、か──
しかし山に行って戻るだけで相当な時間を食う。気付けばもう黄昏時、そろそろ祟りが蠢き始める頃だ。離脱しよう。
街に戻り、それとなく顔見知りの人々に話を聴くと見つかっていたらしい。一件落着というわけだ。俺の仕事はなくなったし、神社に戻るとしよう。もうすぐ宵の口だしな。
「……ん?」
ちょうど境内に戻るべく歩を進めていると、人が山道を進んでいる痕跡を発見した。俺の靴跡ではなく、別の靴跡だ。しかも真新しい。穂織で夜中に山に入ることを許されているのは巫女姫──つまり芳乃さんくらいなもの。だがこれは芳乃さんのものでも茉子のものでもない。というか彼女たちはここからは入らない。
「……まさか言ってないのか? 冗談だろ?」
如何に土地知らずの観光客と言えども、普通は夜に山に行こうなどとは思わない。ただでさえイヌツキだの何だのと白い目で見られてるんだ。
もし行くとすれば、何も知らない奴か余程の阿呆か──
「前者だな……ッ!」
もはや一刻の猶予も無い。伝えたところで装備に時間がかかる。準備する必要も無く行動できる俺が行くしかない。死なれても困るし、それに祟りに喰われて祟りになられても困る。なっていたら──『処理』するまでだが。
祟りとは人の憎しみなどを核として現れる怨霊めいたものを製造する術式の類。起動させた者が不在となり、行き場を無くしてからが本題となる厄介な奴だ。
だが核が無ければ現れることはないし、長く続いても五十年程度だ。しかし穂織の祟りは百も続く。ともなればとても強力な核があるのだろう。
──そして、祟りに攻撃された人間には穢れが留まり、その人物の暗い感情を糧として新たなる祟りとなる。祟り殺されるとはこういうことだ。この地の祟りはやや異なり、特定の対象しか襲わない上、そこまでの伝染性は無いようだが。
それを祓い還すのがこの地では朝武と常陸。
だがそれだけでは対応できぬ事態や、最悪の事態が発生した時に──稲上の仕事がやってくる。
稲上の仕事はごく単純。
朝武か常陸のどちらかに予期せぬ異常が発生した時、代わりに祟りを"滅する"こと。
次に人間が祓い戻せないほど侵食された場合、これを迅速に処理すること。
最後に……朝武か常陸、その両家の内どちらかから魔を是とする者が発生した場合、これを抹殺すること。
万が一の事態──断絶などが発生したとき、穂織を滅ぼし無に帰すこと。
──俺より前の代では必要無い話だ。
何故なら他の血と混ざり、薄れた稲上の血ではせいぜいが第一の仕事くらいしか果たせないから。
……だが、俺だけは違う。
全てできてしまう。それに適した肉体と性質を持って産まれ落ちたのだから。先祖返りによって魔を殺すための魔に近しいものとなり、そして魔を殺すためだけに古き稲上が残した"アレ"に選ばれるどころか接続されてしまうほどの適合──俺の意志はそこに無い。無い上に"アレ"が……妖刀『虚絶』が、俺の肉体を勝手に動かして殺すだろう。
……なんと罰当たりな存在なのだろうな、俺は。
友人を殺せてしまう、無辜の生命をも殺せてしまう上に、肉体すら殺すことのみに特化した存在。真に討つべき敵はもはや無く、存在価値の無くなった時に生まれ落ちてしまった。父母の希望を裏切り、友人なのに殺せてしまうなどと裏切り、殺すことを是とし殺すためだけに存在するなどと生命すら裏切る。
この世に生まれたことが罪であり、俺の罪は死を以てして償われる……だが。
「来い、虚絶──」
あの女とは二十歳まで自決しないと約束した。父と母も生きてくれと言った。ならばこそ、最低限約束は守るべきだ……
どす黒い光と共に、左手に鞘に収まった一振りの日本刀が現れる。
虚絶──邪悪を以て邪悪を征するための呪物。魔を殺すことを可能とする代わりに担い手に傷を与え、祟りや魂を喰らい溜め込み、それらを燃料としてより絶大な力を発揮する……
虚絶を呼び出すのは術の類。俺に習得するだけの環境も無いのだが、初めてこいつに接続されたとき、勝手に落とされていた。
強く握りしめて、地を駆ける。そのまま木々の枝を足場に跳躍──これも虚絶が勝手に落とした技術だ。昔の稲上にとって、場を最大限活用した高速移動は基本技能だったらしい。
そして絶えず頭の中に響き渡る、衝動。
──殺せ──
──我が敵を殺せ──
虚絶の根底にある、始まりの稲上……その憎悪と殺意。それが現れたということは、間違いなく祟りが現れている。
早めに人を探したい俺の意志に反して、虚絶の声に従う肉体は祟りへと向かって行く。どうやら比較的近くにいるようだ。まっすぐ向かっている。
「……ミツケタ……!」
俺であって俺でない声が狂喜の感情を告げる。視界に捉えるは漆黒の塊……祟りだ。
そこからの行動は素早い。
──敵は黒い靄を触手めいた形状に変化させ、俺目掛けて飛ばしてくる。
やる気の無い直線的な殺意など……
「ふん……」
虚絶を抜刀し、これを二連の袈裟斬りで迎撃。着地と同時に納刀。脚に力を漲らせ解放。敵の懐へと跳び込みつつ、横薙ぎの斬撃を放った。
「──死ネ」
俺と虚絶が混ざり、絶対の殺意と共に呟く。
斬り抜け、斬撃射程範囲内で踏み止まり、その勢いを用いて180度旋回。祟りが霧散したのが見え、即座に柄を逆手と順手の中間に持ち替えて納刀──同時に右腕に痛みが走る。裂けたか? まぁ、あとで確かめればいい。
とりあえずは片付けた。まだ出ていなければだが。衝動が送られてないあたり、一応は安全だろう。
周りを見渡してみると、血が続いている。辿っていくとある一箇所で途切れているが、何かが転がっていったのか、不自然に荒れている坂があった。
鬼が出るか蛇が出るか……人であればいいが、などと思いつつ滑り降っていく。多少の怪我なら放っておいてもすぐ治るのが我が身──何も問題は無い。
そうして滑り降り切ると、真っ先に目に入ったのは倒れた人影と、それに寄り添う人影。
この感覚は……
「ムラサメ様と……将臣!? 無事か!?」
予想外の展開であり、予想通りの人物を見つけた。痛む腕を無視して駆け寄り、事情を聞く。
「ご主人には山に入るな、とは言ってなかったのだ……それでこうなってしまった。吾輩が言っておけば……」
「後悔は後にしろ。それより先に山から担ぎ出す。報告は?」
「すでに済ませた。だが持てるのか?」
「言ったろ、担ぐんだよ」
虚絶を家に転送し、流血し始めた右腕も動かして気絶している将臣を左肩に担ぐ。
ぐっ、流石に重いな……
「馨、その腕はどうした!?」
「虚絶の代償だよ……っ……!」
バランスが崩れる。だが問題は無い。
「最短で跳ぶ。先導頼んだ!」
「任されよ!」
浮遊して進むムラサメ様の後を、将臣を落とさぬよう慎重に跳躍して追う。時折腕が痛みを告げるが無視するしかない。流血が祟って意識も少し鈍い。
痛みと重さに耐えながらも、何とかして山から抜け出すことが出来た。
「……馨君かい!? 将臣君は!」
山道を抜けてすぐに慌てた表情の安晴さんと会った。
近くには完全武装の芳乃さんと茉子もいて、これから乗り込むつもりだったのだろう。
「肩に、担いでますよ……頼めます?」
「すまない、ちゃんと伝えていればこんなことには」
「謝るなら、将臣にしてくださいよ。俺は仕事を果たしただけですから。祟りが出てましたが、殺っておきました……っぉ……!」
将臣を渡しながら答えていたが、痛みの所為で呻き声が漏れてしまう。指を伝って流れた血が、下の小さな血溜まりに落ちて水音を立てたのか、後ろの二人もギョッとした目で俺を見ていた。
「馨さん、腕が……!」
「気にしないでくれよ……こんなもん、ツバ付けときゃ治るから」
「でも、そんなに血が流れて──駒川さんに診てもらった方がいいですよ!」
「芳乃様もそう言ってますし、それに全然大丈夫でもなさそうですよ? 結構やせ我慢してるんじゃないんですか。怪我人は大人しくしてて下さい」
「あ、ちょっと……!?」
帰ろうとしていたら、茉子と芳乃さんに捕まえられて、俺まで朝武家で待機していた駒川の下へと連れて行かれてしまった。