千恋*万花~福音輪廻~   作:図書室でオナろう

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急展開に見えるかもしれませんが、伏線は張ってあります。
ただだいぶ前の話なので、急展開に感じるかもしれません。ご了承ください。


魔人/遭遇

(またこういう夢ですか……)

 

 夢の中。

 レナはあの燃え盛る屋敷に似た、古い屋敷を見ていた。

 

「姉様!」

「まったくはしゃいで……どうした?」

 

 その中には二人の幼い子供がいる。

 一人は落ち着いた紺色の質素な和装をした、少年とも少女とも取れる人物。黒い髪に黒い瞳、そして白い素肌はどこか神秘的にすら感じる。

 もう一人は馨の祖先、京香を一回りも二回りも幼くしたような少女。

 

「父様が呼んでたよ?」

「ん、わかった。あぁそうだ、さっきまで稽古してたみたいだが、怪我はないか?────京香」

 

 そして少年のような少女は、妹と思われる幼い少女を京香と言った。

 

(キョーカ……ということは、これは……キョーカの幼い頃の……?)

「うん。全然怪我なんてないよ!」

「そうか……いやよかった。お前は綺麗だからな、一生物の傷が出来ては、姉としても頭を抱えるよ」

(かなえ)姉様は本当に心配性なんだから、もぅ」

「クククッ、仕方あるまい。お前は私の大切な妹なのだからな。大事さ」

 

 奏と呼ばれた少女の姿は──馨によく似ていた。

 性別や口調などは違えど、全体的な雰囲気として、さながら女版の馨と言っても過言ではない。

 だが本来、血の流れ的に言えば馨が奏の男版なのだろう。京香の姉である奏は先祖に当たるのだから。

 

「まぁ良い。父上に会いに行ってくる。その後に構ってやろう」

 

 それからしばらくして奏が戻ってくると、また京香はトテトテと歩いて彼女を笑顔で迎える。

 

「奏姉様」

「なんだ京香」

「んー、奏姉様は好きな人とかいるの?」

「むぅ、恋煩いの話か……さて、な。私は今まで尊敬こそすれど、愛情を抱いたことは無い。独り身というのも悪くないが、私とて女だ。男に求められ愛されたいと思う気持ちに偽りはない」

「ならどんな殿方がいいの〜?」

「そうさな。自分の弱さと真っ向から向き合って、例え間違っていたとしても、はっきりと一本、筋の通った答えを出せるような人間……かな」

 

 ほのぼのとした話題だったが、刹那。

 

 ──そう、我が憧憬こそがかの魔人よ……──

 

 低く、狂気を纏った声が、レナの脳裏に響き渡った。

 

 ──迷わず、正面から向き合って答えを見出した。あれは強く、そして優しすぎる男だ、とても。でなければ自死を選べない──

 

 狂気の中に見える、確かな尊敬の念。

 憧れという言葉に偽りはないはずなのに、だが何処か不気味なものを感じずにはいられない。

 理解できるはずなのに理解できない。

 徹底して相容れないそれ。

 

 ──その覚悟、その意志の頑強さ、素晴らしい。尊敬に値する──

 

 だけど、その敬意は本物だ。

 本物だからこそ、理解できない。本気で魔人に憧れている。本気で魔人を尊敬している。

 恋煩いなんてものじゃない。

 そんな次元を超えている。

 

 ──だからこそ、挑みたい。挑ませてくれ。魔性を飲み干した私と、魔性と向き合ったお前……どちらがより正解に近しいのかを確かめる為に──

 

 

 ──だからその為にも、まずは鬼からだな──

 

 

「……また、こういう話でありますか」

 

 起きて、伸びを一つ。

 早朝に起きるのは慣れてきたとは言えども、理解できないもので叩き起こしてくるのはやめてほしい──レナはそう内心で愚痴りつつ、身体をパキパキと鳴らした。

 

「キョーカのお姉さん、カナエ……カオルそっくりな、いえ、カオルがそっくりな人」

 

 馨と奏。

 似た響きの名前に、よく似た外見と雰囲気。内面はわからないが、外見だけで言えば生き写しのようにそっくりだ。

 

「……わたしは、何も知らないのですね」

 

 考えてみれば。

 レナは知っているようで知らない。当然だが、彼女は永続的にこの地に留まるわけでもない。だからこそ最低限のことしか教えられていない。

 過去の因縁も、裏で行われていたことも。

 

「もっと、知りたい」

 

 故に孤独を、今更になって感じた。

 どこまで行っても部外者でしかなくて、お客さんでしかない。自分は渦中にいるはずなのに、渦中には混じれない。

 ……混じらない方が幸せなのだろう。それは分かっていても、巻き込まれたのならば最後まで付き合いたいと願うのがレナ・リヒテナウアーだ。

 

「わたしも打ち明けて、もっと仲良くなりたい」

 

 家族に会いたいという帰郷感。

 友人と更に仲を深めたいと思う感情。

 何が起きて、何があったのかをもっと知りたいという孤独感。

 

 それらを糧に、更に馴染みたい。

 だからレナは、ちょっとくらい素直になってみようと思った。

 

 

(……具体的に素直に、とは言っても如何にしたものでしょうか?)

 

 仕事をする中で、そんな疑問にぶつかった。

 

(素直になった人……カオルは参考になりませんね)

 

 あれは素直過ぎる。

 というか、あんな出来損ないのツンデレみたいな対応しかできないほどに根が素直で可愛らしい子だ。

 結構本心を隠すことが上手なレナには参考にできない。

 

(素直……素直……マコ?)

 

 馨つながりで茉子もまた最近素直になった組であると思い出す。

 ……確かに彼女なら何かヒントがと思ったのだが、ここでふと気が付いた。

 

(あれ? 考えてみればヨシノだって最近素直になったのでありますから……つまり、もしかして参考になる人は、いない……?)

 

 基本的に鞍馬兄妹やその他クラスメイトを除けば、自分が友好関係を深めている人間の大半は最近素直になった割には素直になり過ぎているタチであると。

 

 しかもその理由の大半が『気を病む事情が無くなった』だったり、『素直に自分の気持ちを受け入れた』だったり、『一歩前に出てみようと勇気を出した』だったり、『茉子可愛いよ茉子』だったりとか、特に一人は参考になるならないを通り越した、そういう次元の話である。

 疎外感というよりも、自分自身への不信などに由来する心の壁だ。まぁ、将臣は例外的な存在だが。

 

(ふむ……となれば)

 

 壁ではなく、純粋に知らないという点が自分の引っかかっている点なのだろう。疎外感の中でもわかりやすい、自分以外が知り合いだからというものだ。

 あぁなんだ、そうなればやることは単純だ。

 

(より深いところに行けば良い、それだけですね)

 

 つまり、またみんなでワイワイ遊べば良いということだ。

 ならばまずは──と、思っていたところで。

 

「……コハル?」

 

 早朝、本来なら全く見ることのない時間に小春の姿を見た。

 私服に着替えているが、彼女らしからぬ落ち着いた配色の服装で、穂織らしい和洋折衷感は無く、純粋な和装。

 そして髪は首元で、ヘアゴムによって一纏めにされているだけ。年頃の女の子らしくこの辺りに気を使う彼女にしては珍しく雑だ。

 

 仕事の関係で早朝から外に出た時に、そんな違和感しか存在しない小春。しかも中に入るわけでもなく、建物の正面に立って無表情でいるだけ。

 

「コハル?」

 

 気になって声をかけてみると、ハッとしたようにすぐさま普段通りの彼女らしい活発な表情に戻る。

 

「……あっ、レナさん。おはようございます」

「おはようございますですよ。あの、つかぬ事を聞きますが何故ここでボーッとしていたのでありますか?」

「元々祖父に用があって、さっき終わって門を見上げてたら色々思い出してたんです」

「おや、そうだったのであり……ますか……?」

 

 違和感。

 小春と過ごした時間が少ないレナですら感じる、あまりにも強い違和感。

 全体的に鞍馬小春らしくない。どこか硬い。元々小春は人懐っこい性格で、そういうところは廉太郎によく似ている。呼び名は硬くても、態度そのものは非常に柔らかい子であるというのに。

 

 この硬さ……覚えがある。

 これはまるで──

 

(最初の時の、カオルみたいな……)

 

 芳乃と茉子の距離感とは違う。

 彼女らは遠慮される側なのだから、わからないが故に硬いといった印象を受けた。

 対して馨は親密な距離感を知っているのに、敢えてその距離に踏み入らない硬さがあった。今の小春から感じるのは、そういった意図的に硬い態度だ。

 

「おっと、そろそろ朝餉の時間かな。じゃあ、私はこれで。さよなら、レナさん」

「? はい。オタッシャデー」

 

 しかしそんな違和感塗れの小春は微笑みながら手を振って帰路に付く。

 

(……本当に、コハルでありますかね……?)

 

 思わず仕事の手を止めて、彼女は本当に"鞍馬小春"であったのかを考える。あの行動はまるで、"誰か"が鞍馬小春を"演じている"かのような──

 

「……まさか」

 

 そこまで考えて、刹那、祟り神や犬神の存在を思い出す。

 そして──あらゆるものが解決する中、解決していない劇物は何か……そこまで至った。至ってしまった。

 

 ──我が名は虚絶。千年の憎悪を束ね、鏖殺の刃にて復讐と絶滅を目的とする残影なり──

 

 レナは深層までは知らなくとも、稲上家と虚絶にまつわる話は聞いている。そして虚絶は毒を以て毒を制す類のものである、と。

 つまり、唯一終わっていないこと。

 この穂織の中に潜む火薬は────

 

 途端、仕事を投げ出して自分の部屋に戻る。

 途中で女将に呼び止められたような気がしたが、無視して部屋に駆け込んで携帯で電話をかける。

 

「──レンタロウ!」

『……レナちゃん? どうしたんだ?』

「コハルが! コハルに何かいるであります!」

『……っ!? マジで言ってんの?』

 

 焦るレナに対して、その尋常ならざる焦り具合を言葉に垣間見た廉太郎もそちらの、知らなかった事情の方だと察すると同時に──

 

『確か小春の奴、散歩してくるとか言ってたって聞いたっけ……それで祖父ちゃんとこ行ってたんだな。まだ時間はあるから、どんな様子だったのかを教えてくれ。それから将臣たちにも連絡を……』

『ただいまー』

『っ!? 帰ってきやがったか……っ。祖父ちゃんとかは任せた! また連絡する!』

「あっ、レンタロウ!?」

 

 プツリと切れた電話。

 確証は無いが、何か嫌な予感がする。

 それも強大な狂気が渦巻いているような──

 

 だが今はそれどころでは無い。

 知っている人々に伝えなければ……

 

(もっとみんなと仲良くなるためにも、これを早く何とかしないと……!)

 

 焦りの中に見える孤独感。

 レナはそれを押し殺しつつ、すぐさま情報を回し始めた。

 

 

 

 

 小春ちゃんに、何かが取り憑いている──

 

 早朝、電話をしてきたレナから聞かされたのは、背筋も凍るような話であった。

 

 ──……恐れていたことが現実になった……ってところか──

 

 京香も普段のちゃらんぽらんな雰囲気は何処へやら、冷徹な面を出して俺と会話をしていた。

 

 ──しかし小春ちゃんに取り憑いたのがアレとは限らないし……でも出る時になったら私は出るよ──

 

 それは構わないのだが……心配事と言えば鞍馬家そのものである。小春ちゃんの中に何者かが潜んでいるのであれば、いつあの家族に危険が及ぶか分かったものではない。

 ただ取り憑いているものを剥がし殺すだけならば容易い。小春ちゃんの肉体であればそこまで苦労はしないだろう。

 

 ……問題は人質を取られた時なのだがな。

 

 ──迂闊な行動はできない。だから……私もそろそろ、器を借りるとするよ──

 

 借りる相手の候補はあるのか?

 

 ──ある。こと守ることに適した人選だし、あれだけ成長してれば私の技術を使っても問題ないだろうしね。じゃ、ちょっと行ってくる──

 

 気を付けろよ。

 

 ──あぁ。キミもな──

 

 京香の反応が無くなると同時に、廉に飛ばしたメールの返信が未だに帰ってこないことに気が付く。

 ……廉、小春ちゃん。無事であってくれ。

 

 

 昼間を過ぎて、夕刻に差し掛かって、そして夜に。

 

 恐ろしいほど何もなかった。

 廉に送ったメールに返信は未だに無い。

 ……茉子は何かあればすぐに駆けつけられるように芳乃ちゃんの家にいる。俺は相変わらず自分の家だが、しかし最も早く駆けつけられるのも事実だ。

 

「……ん? 返信……」

 

 やっと来た返信を見て、目を見開く。

 

 ──『こいつは、小春じゃない。小春がやるであろうこと全てをやってない』

 

 シンプルに、あの廉が小春ちゃんではないと言い切った。

 それほどまでなのかと、思わず電話をかけてしまう。

 

「……廉、大丈夫か?」

『正直キツい。段々と俺にも探りの視線を入れてきやがる……あぁ、あんまり長いのは勘弁してくれ。あいつに更に探られる』

「なぁ廉。無理するな、俺たちがいる。何かできることはないか?」

『……馨。どうもあいつ、外に出たがってるみたいだ。夜分遅くに出て行くと思う。場所はわかんねぇけど、多分……巫女姫様のところかもしれねぇ。先に将臣には伝えておいた』

「俺はどうすればいい」

『後、着けてみる。着けるときには電話かけっぱなしにしておくから、頼む』

「わかった。気を付けろよ、親友」

『あいよ』

 

 そうして、更に静寂の深まった頃に。

 

 廉から電話が、来た。

 

 

 

 

 夜分遅くに、小春は私服に着替え外へ出て行った。

 無論それを見逃す廉太郎ではない。電話をかけっぱなしにしつつ、その後を追い掛ける。

 

(この方角、やっぱり巫女姫様の方の──)

「もぅ、何さ? 出てきなよ」

「っ!?」

 

 気付かれた──!?

 基本無力である廉太郎には、見なかったことにして去るという選択肢がある。故にここは、大人しく出て行くべきだろう。

 

「……おい、何も言わずに出てくのはねーんじゃねーか?」

「しょうがないじゃん。だってほら、夜這いみたいなものだし。だからお兄ちゃん、見逃してくれないかな?」

「"お兄ちゃん"……ねぇ?」

 

 更に確信が深まる。

 レナからの報告以来、廉太郎はひたすらに小春を演じている何者かを観察してきた。

 故に──

 

「なぁ知ってるか? 小春はな、小生意気にも俺のことをお兄ちゃんとは呼んでくれねえんだよ。あいつは俺を廉兄って呼ぶし、お兄ちゃんって呼ぶのは将臣だけだ。

 

 それにな。あいつは俺がだらしなくしてると苦言を言うし、ついでに言えば俺と些細なことですぐ言い争いになる。

 

 今日は驚くほど何もなかった。

 ……おかしいんだよ、それ」

 

 これは、小春ではないという明確な材料を全て揃えていた。

 大事な妹に何をしたと、怒気を交えながら睨みつける。

 

「テメェ、俺の妹に何しやがった。今すぐに小春を返しやがれ」

 

 すると、"それ"は虚をつかれたような驚いた表情を見せて──

 

「ク──ッ」

 

「クククッ、ハハハハッ!!」

 

 小春の声と、知らない女の声が混ざった声で、嗤った。

 自嘲の笑いどころではない。ありとあらゆるものを笑う、悍ましい嗤いだ。

 ひとしきり嗤った後、小春に潜む"それ"が姿を現わす。

 小春の瞳が、闇の中でもなお黒い、闇を宿した瞳へと変色する。

 

「コレガ麗シイ兄妹愛トイウモノカ。イヤハヤ、良キ兄ヲ持ッタモノダナコノ童モ」

「……っ!?」

 

 狂気。否、そんなものではない。

 それが纏う雰囲気は、徹底して相容れない、生物として本能が拒むもの。決して理解できず、相容れず、同情の余地すらないナニカ。

 小春の中に潜む者は、あらゆる人間から外れたところに存在している──!

 

「サテ、妹ヲ返セ……ダッタカ。イヤスマヌナ。私トシテモ、コノ童ノ肉体デ荒事ハシタクナイ。ダカラコソ、私ハ巫女姫ノ住ウ地ニ存在スル器ガ欲シイノダ。ソノ脚トシテシカ使ワヌ。妹ハ無事ニ返ソウ」

「器が手に入らなかったらどうするんだよ」

「無論、使ウサ」

「……やっぱか」

「元来デアレバ、ダガナ……オ前ノソノ覚悟ト、ソシテ馨ト仲良クシテクレテイル礼ダ。素直ニ帰ソウ」

 

 嘘を言っているようではない。

 実際、何を感じるわけでもない。本当にそうなのだろう。

 

「……マダ、足ハ多少アルシナ。コノ童ダケハ、今宵ノ結果問ワズニ返ソウ。ソレダケハ真実、コノ地ノ神ニ誓オウ。明日ニハコノ娘ヨリ去ル」

「本当、なんだな……?」

「アア。コレダケハ偽リニハセン。疑ウノデアレバ存分ニ疑イ、何度デモ問ウガイイ。ダガ、ソレナリノ対価ハ払ッテモラオウカ──」

 

 瞬間、廉太郎の視界に映ったものは鮮血と夜空。

 

「が、──は……っ!?」

「ドウモオ前タチハ馨ガ殺スナト言ウノデナ。精々腹ニ杭ヲ撃チ込ム程度デ済マセテヤロウ。安心シロ、死ニハシナイガ気絶シテモラウ」

 

 理解できないという表情をしている廉太郎を見て、それはとても楽しげに笑った。

 その表情は好きなものを見る子供のように純粋で、あるいは──

 

「アァ、ソノ表情コソ……生キテルッテモノダ……」

 

 生き甲斐を見つけたかのような表情。

 

(……ちく、しょう……しくじった……)

 

 廉太郎の視界が黒く染まると同時に、小春は背を向けて立ち去るのだった──

 

 

 歩き、歩き、歩き──遂に彼女は建実神社の鳥居をくぐった。

 その奥に待ち構えているのは、将臣と茉子。その姿を見た小春は訝しげにした後、何か納得したように──

 

「ナルホド。始メカラ気付カレテイタカ。マァ、ソウコナクテハナ。デナケレバ張リ合イガ無イ」

 

 ニィ……と、凶悪な笑みを浮かべた。

 

「お前……廉太郎と小春に何をした!?」

「マタソノ手ノ質問カ。見テ分カラヌカ? 借リテイルシ、兄ノ方ニハ対価ヲ払ッテモラッタ」

「何者ですか、アナタは──」

 

 牽制するような茉子の問いに、小春は───否、その中に潜む者は声高らかに宣言する。

 

「我ハ魔人……汝ラノ死ヲ転ジテ、己ガ生トナスモノ」

 

 古の、魔人であると。

 

「オ前タチハ退イテクレナイカ? 器ダケガ欲シイノデナ。無用ナ争イハシタクナイ」

「……断る! ムラサメちゃん!」

「応さ!」

 

 無言で構える茉子と、神力を解放する将臣。それらを見て、ため息を一つ吐いた後、魔人は小さく呟いた。

 

「フム、馨ニハ悪イガ……早メノ味見ト洒落込モウカ。京香ニ気付カレル前ニ、奪ワセテモラウトシヨウ」

 

 そうして、魔人の周囲に黒い幻影の刀が二本生まれる。それはいつぞやの、祟り神が一度だけ使った刀を飛ばすものと全く同質のもの。

 つまりそれはあの日祟り神の中にこの魔人が存在していたということの証明に他ならぬ。

 

「サテ、ヤロウカ」

 

 今宵。

 

 魔人が、人に牙を剥いた。

 

 

 

 

 自在に動く刃──とは、それだけで脅威となり得る。

 更に本体もそれなり以上に動くのであれば、尚のことだ。

 

「ち、ィ──!」

「ホゥ……ヤルナ」

 

 一撃を当てれば終わりであるはずなのに、まるで霧を掴むかの如く。

 将臣の剣戟が如何に素直なものと言えども、それを百も繰り返せば一撃当たる──が。

 

 魔人は小柄な小春の身体、そして彼自身が従姉妹に刃を振るうことを躊躇していることを最大限に活かして、迫り来る刃を一つ一つ丁寧に避けて、受け流していた。

 

「素質ハ確カ、シカシ実戦ガ足リヌカ。コレデハ求メル域ニ届カヌナ……」

「何を!」

「我ガ憧憬ノ魔人ガオ前トノ戦イヲ望ンデイル以上、私ハオ前ヲソレナリノ域ニ押シ上ゲテヤラネバナ……有地将臣ィッ!」

 

 理解できないその言葉、しかし何処か心当たりがあるような、無いような。

 しかし将臣の斬撃を、徹底して防御に徹する魔人は全て回避、流していく。それこそは圧倒的な差。強者と弱者の間に存在する、超えられない壁。

 

 魔人と人との差ではなく──これは達人と素人の差。

 

 小春の中にいる魔人は、魔人である以前に達人なのだ。その老境に至った技の数々は、玄十郎の技にも通じる無駄を徹底して削り取ったもの。

 技の起こりを見据えて、一つ一つを丁寧に潰し、そして必殺の一撃を見舞う……小春の身体で放たれる拳はあまりにもか弱いが、これを蓄積されれば間違いなく突破される。

 

 こと、この魔人は"戦闘"という行為において他の追従を許さぬ才覚を持っていると言えよう。

 

(ご主人! この者……尋常ではないぞっ)

(だろうな……っ! 当たらない……!)

「ソラ、次ダ」

 

 指をパチンと鳴らすと、今まで茉子が抑えていた自立する幻影刀がクンッ、と向きを変える。

 

「っ! 有地さん! 来ます!」

 

 人の何倍も早く動くそれと競う時、如何に忍者とて初速で上回ることは、全力の魔人を速力で上回る事と等しく不可能である。

 よって茉子の声を頼りに彼女の方を向くと、尋常ならざる速度で迫る幻影刀。将臣がその奇襲に、咄嗟に反応できたのはある意味奇跡的だった。

 

 手脚を狙った二本を避けるために、後ろにひとっ飛び。先ほどまで手脚があった場所に突き刺さる二本。

 そして再び茉子は将臣の隣に位置を戻し、体勢を立て直す。

 

「……コノ杭、便利デハアルガ加減ガ効カヌ。ナレバ、コチラカ」

 

 そんな様子を見て、魔人は加減の効かぬ杭を消し、拳を構える。

 

 ──黄泉の杭……何故こやつが──

(黄泉の杭とは、一体)

 

 刹那、茉子の中にいる犬神が反応する。黄泉の杭……それは初耳だ。こちら側にいて茉子も長いが、そんな単語は初めて聞く。

 

 ──黄泉の神々が気に入った子供を逃さぬように打ち込む杭だ。これなくば黄泉の深淵に堕ちかねん。だが、何故この魔人なる者がそれを持っているのか……──

 

 犬神の脳裏にある光景が思い浮かび、そして──まさかと。

 あの時、炎の中で嘲笑と共に言われた言葉。

 

『真実、黄泉より這い上がった者……神が如き者も生まれている』

 

『さぁ喜べ! そして呪え! いずれ穂織には絶叫する奈落の使徒が来たりて!』

 

『貴様の姉の恋──万の徒花に終わったそれが、やがては億の死を咲かせるのだ。そいつはきっと狂い咲かせることだろうよ』

 

 それを否定したくてたまらなくて、そんな馬鹿なと言いたくて。だが神としての知恵がそれを告げている。この魔人は、間違いなく姉の行動の結果生まれ堕ちて覚醒した個体であると。

 

 ──だが、今は考えても仕方あるまい……我が力の断片を振るえるようにはした。これで隙を作れ──

 

 しかしその思考を打ち切り、茉子に自分の力──祟り神として影を操る程度のものだが──それを与えて補助に徹する。

 

「……デハ行クゾ!」

 

 二対一という不利な状況で、加減が効かないという理由一つで有利すら捨て去った魔人が、前方に跳んだ。

 疾い、疾すぎる。遅れて音がやってくると錯覚するほどに桁外れの速度。不慣れな小春の肉体でありながら、さながら馨の踏み込み……いやそれ以上の"跳躍"。

 

 更に跳躍で前方に踏み込むだけではない、前方に踏み込みつつ更に地面を蹴って空へ飛んでいる。そのままなんと身を軽やかに動かして、右脚を撃ち降ろす──!!

 

 狙いは、将臣。

 当然ながら魔人にとって一撃必殺である叢雨丸を封じるのは理に適っている。そしてそれを二人も察している。

 

 故に将臣は──敢えて前方に転がり込んだ。

 

「ム……!」

 

 股の下を抜ける形。

 空を切る脚が地面に叩きつけられると同時に、茉子が動き出す。

 腕を掴んで、最小限の動きで拘束せんと身を動かす。本体を気絶させてしまえば──という事だが。

 

 腕を掴み返される。

 そして茉子が拘束の為に力を入れるより早く、魔人が不安定な体勢から──投げた。

 

「ヌゥァッ!」

「く──ぁっ!?」

 

 激痛と共に呼吸が完全に乱れる。

 増幅された痛みが身体中を駆け巡って、ダメージよりも精神的な疲労感をもたらす。

 それは痛めつけ、肉体を疲労させる為の投げ技。腕や足を破壊する、意識を刈り取るなどという直接的なものではない。

 

 ──激痛と共に彼我の差を明確にする為、その為だけの技。

 

 競い合う、殺し合う為の技ですらない。ただひたすらに弱者を嬲る為の技であり、かつて馨が使った技。

 

 しかしこの程度の痛みが何というのだと、茉子はついぞ影を動かす。蛇の顎を模った黒い影が手を掴む魔人へと迫るが、魔人は離して大きく後ろへ飛び、着地と同時に今度は将臣に狙いを変えて再び跳んだ。

 

(来るぞご主人!)

(迎え撃つ!)

 

 一点に集中。

 迫る敵との距離、起こりを見ろ。

 後の先が出来るだけの距離はある。故にこの場は有利。

 小春を救う為に集中しろ、集中しろ──!

 両手で持ち、正眼に構える。

 

「抜刀ノ真似事カ? ……笑止ッ!」

 

 それを嘲笑う魔人は、拳を腰だめに構える。その一撃、当たれば肋骨の一つや二つは折れかねない程の速度だ。打つ側も無事では済むまい。

 だが魔人の魔人たる由縁は、それすらも人間の身体で負荷無く打てるという、とんだ反則技にある。

 

 そして──

 

 魔人の横から、四枚の手裏剣。

 ──刃を潰されていない、本物だ。

 

「ッ、貴様──ァ」

 

 進行方向に来る以上、そして何より魔人は小春の肉体を傷付けずに返すと誓った以上、それに対処せざるを得ない。

 ……そう、廉太郎は電話を二本繋いでいた。

 

 結局魔人は、小春の携帯電話を持っていなかった。

 

 既に魔人と廉太郎のやり取りは、将臣と茉子に伝わっている──!

 

 急停止。そして迫る手裏剣を幻影刀で迎撃……すると同時に、将臣が踏み込んだ──

 

 上段唐竹割りの構え。

 防ぐには下がるか、先に一撃当てるか。だが背後からは蛇が迫り、前に踏み込むしか無いのに、前には今に振り下ろされんとする叢雨丸。

 

 上空に飛ぶ? 無理だ。飛べば茉子に隙を晒すことになる。

 既にここまでの戦いで小春の肉体には恐ろしいほどの疲労が蓄積されてしまっている。特に蹴り降ろしを外したのは痛い。

 

(くっ、誓った以上無下にするのは私の信条に反する──かと言ってここで終わるのも……だが、これ以上は)

 

 迫るそれらを前に、魔人は迷った。

 迷った末に、一撃必殺を避けることにした。

 後退──刹那、無数の蛇が左腕に噛み付き、肉体から引き剥がされる感覚を覚える。

 

(まさか、この蛇……!! 犬神はそちらか!)

 

 悟ると同時に、小春の肉体から完全に引き剥がされる黒い人型。

 蛇はそのまま小春を茉子の元へと運び、彼女が抱き止める。

 

 そして──

 

「……は?」

 

 もう一度、一撃を当てようと迫っていた将臣の動きが止まった。

 

「え……っ?」

 

 "それ"を目撃した茉子もまた、動きを止めた。止めてしまった。

 

「ふん……惑わば死ぬる、それを心がけていた筈なのだがな。この私も鈍ったものだ」

 

 黒い人型が、闇の中に浮かぶそれは、刹那の内に姿を変えていた。

 それは──黒衣。

 貴族的な意匠を持った、しかし動きやすさを第一にした黒い和装。単衣の類であるが、着物そのものに黒の美がある。

 

 そしてその顔は、馨と酷似したもの。

 いいや、馨そのもの。

 ──稲上馨と瓜二つの黒衣の人物が、そこにいた。

 

「か、おる……?」

(なっ……!? この者、何故馨の姿を……?)

「は、はは……何かの間違い、ですよね……?」

 ──バカな……──

 

 彼らの反応を聞いて、初めて魔人は自己の顔を認識したのか、とても意外そうにした後、宛ら英雄に焦がれた少年のように顔を綻ばせたと思いきや、一瞬でその顔を嫌悪に歪ませる。

 

「……同じ顔を取ることになろうとは……我が転生といい、私といい、これでは彼の選んだ女より我々の方が闇を担う半身として相応しいと主張する間女のようではないか……!」

 

 魔人にとってそれは許し難い何かであり、吐き捨てるようにそう叫んだ。

 聞いたとしてもまったく理解出来ない。理解出来ないが、兎にも角にもこの魔人は本気でこの現状に怒り狂っている。

 尋常ならざる怒気と尋常ならざる失望。それらが混ざりに混ざって自己への憎悪として現れている。

 

「あぁまったく、吐き気がする……しかし、この場は私の敗北だな。有地将臣」

 

 突然将臣に呼びかける。

 ハッとなって改めて叢雨丸を構え直すが、魔人に戦意は無くむしろ讃えるような雰囲気すら感じられる。

 

「それなりの才覚を活かして私と渡り合うとはな。褒美だ、残滓とはいえ我が首、断つが良い。そして常陸茉子、如何にして我が誓いを知ったかは知らぬが、あの場の一撃見事だった」

「「……は?」」

 

 ……急に褒められた。

 さっきまで退かねば斬ると言わんばかりの魔人は、急に二人を褒めた。

 廉太郎に対価を払えと杭を打ち込み、そして小春の肉体を何の躊躇いも無く乗っ取っていた魔人が、である。

 

(ご主人、罠かもしれんぞ)

 ──気を抜くな。自称とはいえ魔人だぞ──

 

 内に潜む二人が警告するも、二人としては「いや、どう見てもやる気ないけど」としか反応できない。

 そんなやりとりをしている内に魔人は既に正座を組み、斬首の時を今かと待ちわびている。

 

「……む? どうした? 兄のことであれば問題無い。腹に杭を打ち込んだとは言えども、所詮幻影。後も残らなければ出血多量ということもない。後遺症も無いと見て間違いないだろう。それにあの場ならすぐ気付くであろうよ」

「て、抵抗……しないのか?」

「私は敗れた。ならば敗者らしく潔く斬られるまでよ。それにそもそも、私はお前たちを殺せないのでな。この穂織に住まう者の内たった一人を除いて、殺すことは絶対的にできぬ身だ」

 

 故にやれ、と。

 それならせめて顔を変えてくれと将臣は切に願うし、それに偽物と言っても茉子とムラサメだって馨の斬首が見たいわけでもない。

 ただ魔人はどうも納得いかないのか、訝しげな顔をしながら……

 

「どの道、この顔を斬ることになるのだぞお前たちは。予行演習と思ってやっておけば良い」

 

彼らにとって、全く理解できないことを、さも当然のように言い放った。

いの一番に反応したのは茉子。その表情を驚愕に染めて、声を上げる。

 

「それは……どういう意味ですか!?」

「そのままの意味だ。お前たちが見た輪廻、福音の中の呪いを断ち切るその最後に立ち塞がるのは稲上馨──彼もまた、お前たちに刃を向ける魔性を内包しているが故にな」

「──ふざけるな! 馨は魔人なんかじゃない! 人間だ!」

「……さて、どうかな? 常陸茉子よ、お前は心当たりがあるのではないかな」

 

 将臣の反論をどちらともつかない態度で流しつつ、その視線を茉子へと向ける。

 愛しい彼と同じ目なのに、それはあまりにも生物として相容れない異質な目。

 けれどそんな目で見られたことは、決してない……そう言い切れる。だが心の何処かで、かつて一度だけ見たような気さえもする。

 

 ──戯言に惑わされるな! お前の愛した男が魔性を備えていないことなど、お前が一番知っているであろう!──

 

 犬神が惑わされるなと声を上げる。

 その声に迷いを断ち切り、茉子はしっかりと魔人を見つめて、言い切った。

 

「アナタの言ってることは違う。馨くんに、そんなものなんて何一つ無い」

「……言い切るとはなァ。いやはや、それほどまで愛しているのか、それほどまで知っているのか……まぁ、よい」

 

 返答に満足したのか、魔人は目を伏せる。しかしそれと時を同じくして、その身より霧散する闇が現れる。

 まるで崩壊するかのように。

 

「……ちっ、せめて等級を上げさせてやりたかったが、時間切れか」

 

 正座から立ち上がり、二人を改めて見据えて魔人は言い放つ。

 

「因果だ。お前たちが相対するは因果の鎖、因果の杭だ。次なる私がお前たちと刃を交えるかは知らんが、いずれ来たる決戦──その時まで己を鍛えておくといい。敗者からの助言だ」

 

 それは宣戦布告。

 それは勝者への忠告。

 その発言にはこの魔人の持つ精神性がはっきりと現れていた。

 

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 魔人であると名乗り、実際に魔人が如き所業をしながらも()()()()()()()()()()()()()

 

 気色が悪い。

 なんだそれは。理解できない。

 

「あぁ、そうだ。その娘はさっさと医者に見せてやるといい。割と雑に動かしたからな」

 

 そう言い残して、魔人は闇へと霧散した。

 後には、戦闘の跡しか残っていない。

 

「茉子! 将臣! 遅れて悪い! 無事か!?」

 

 意味深な発言に心を悩ませ、顔を暗くしていると、馨が遅れてやってきたのだった──


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