千恋*万花~福音輪廻~ 作:図書室でオナろう
──俺を鍛えてくれ。
……急な話だった。
あまりにも急で俺は思わずこんなことを言ってしまった。
──むしろ俺が鍛えて欲しいんだが。
というのが昨日の、俺と将臣のやり取りだった。急過ぎる。
原因は恐らく魔人であろう。だが、俺が鍛えると言っても……いや別に出来るっちゃ出来るんだが……?
まあ基礎は入りきっているし、要は戦い方の話であろうと予想を付け、一応二つ返事で了承したのだ。
そんなわけでらしくなく早朝に起きて学院に向かう。
プラプラと猫背で歩いていると、見えてきたのは当然ながら将臣とムラサメ様。そして玄さん。
……てっきり茉子辺りも呼んでいるのかと思ったのだが、用があるのは俺だけらしい。
「鍛えろって具体的には?」
とりあえず鍛えろとしか言われてないので、玄さんに尋ねる。
「どうも将臣は実戦での勝ち方を考えた打ち合いをしたいらしくてな。その辺りだ」
「まぁた難しいな……てかあなたでも十二分に教えられるのでは?」
「ワシは向いとらん。お前も知っていよう」
「まぁ、そうですな」
実際、玄さんが剣術を仕込むとなると長くなる。魔人は殺せずとも嬲れる以上、早急に対応が必要だ。ならば俺に白羽の矢が立ったのは必然とも言えよう。
と、なれば……
「ムラサメ様、あんたは将臣と一緒に色々考えてくれ」
「? 考えるとはなんじゃ急に」
「そりゃ決まってるだろ」
そしてさっぱりわかってなさ気な二人に向かって、俺はふっと笑うと得意気に言い放った。
「殺す相手なりの──殺し方って奴だよ」
瞬間、三人からの視線が冷めたものになる。具体的にゃつまらないことを気取った風に言われた時の茉子みたいな感じ。
いや確かに思ったよ? カッコつけ過ぎだって。でも俺だって年頃だよ、カッコつけたいと思う時くらいあるもん。それに加えて実際、殺す相手なりの殺し方を探らなきゃいかんのだし。
「ま、まぁそのなんだ。とりあえず打ち合うぞ。戦いと殺しってものの違いというか、小細工絡め手なんでもありの感覚をまずは憶えなきゃならんし」
「おう」
「というわけでお二人とも、色々見て気付いたことをよろしくお願いします」
「吾輩が力になれるかはわからぬが、わかった」
「うむ」
お互いに構えて向かい合う。
芯入りの竹刀だから……手本を見せるくらいはできるか。
「──始めっ」
玄さんの号令に合わせて、先手必勝と言わんばかりに将臣が突っ込んでくる。下に竹刀を向けているのなら、振りは逆袈裟か横薙ぎか。
二つに一つ。よってここは何をするべきか。
答えは単純──
「──ふっ」
刀を持った右腕で、肘打ちをすること。ガスッと、将臣の右肩に肘が刺さる。体勢が崩れ、向こうの右腕が動く前に左腕を動かし──短刀を取り出す。
「なっ……!?」
奴が驚愕するのと同時に、
「そこまで。将臣の負けだな」
玄さんが勝敗を告げた。
ムラサメ様は「なるほど」、なんて呟いているが本当にわかっているのだろうか。
将臣に視線を向けると、とても抗議したそうな視線を向けてくる。
ので、ドヤ顔をしながら。
「理解したか? これが、殺す相手なりの殺し方ってことだ」
「これのどこが俺の殺し方なんだよ。ただの初見殺しじゃねえか」
「はははっ、そう怒るなって。確かに短刀を仕込んでるとは言ってないが、立派にお前対策だよ」
不服そうな将臣から短刀を外しつつ、適当な段差に腰掛けて解説を始める。
「俺はお前より才覚は劣る。剣の腕だけで見たら、お前の方が軍配が上がる。ならどうするのか。答えは簡単、剣戟に付き合わない」
「納得いったけど、それなら素直に退いたらいいんじゃないのか?」
「ダメだ。踏み込みの方が早い。迎撃で一撃必殺を狙うのが一番いい」
「……まぁ要は相手が対応できない攻撃を如何にして繰り出すかってことか」
「正解。ま、こんな風に剣戟拒否でもいいし、剣戟に付き合う中で疲弊させて生じた隙を突いて殺ったっていいわけだ。更に言えば、別に勝つ必要は無い。逃げたっていいし、殺しに繋いだっていい」
何も一つの土俵に上がる必要は無い。要は生き残ればいいのだ。目的を定めてこれを達成するには如何にして動くか、ということに違いがある。勝ち負けなぞ二の次、必要なのは目的を達成することだ。
「そうじゃな。技の良し悪しではない、如何にその場の最適解を判断するかということじゃ」
と、ムラサメ様が将臣に言っているが、まったくもってその通り。自分に出来ること、出来ないことを把握しておけばあらかたなんとかなる。もしそうならないのならば、その時はその時だ。
「けど俺の下地は剣道だぞ? 馨みたいに手数があるわけでもないし、結局は剣戟に行くしかないと思うんだけど」
しかし、将臣の言葉はもっともだ。
剣戟せざるを得ない武器であるし、剣戟に特化しているからこそ強い。ならばどうやって択を増やすか。
そこで出番となるのが、小細工だ。
段差から降りて、竹刀を構えて将臣に声をかける。
「よし。じゃあ将臣、上段唐竹割りを打ってみろ。それを俺が防ぐ。そして防がれた時に、お前はどうするか。まずはそれからだ」
よくわからなさそうな表情をした将臣だが、急に真剣な顔をすると、遠慮無く竹刀を振り下ろしてきた。それを難無く竹刀で弾き──お互いに動きを止めた。
「ここでまず二択ある。腕が上に行ってるからな」
「二択?」
「一つは玄さんにやられた初見殺し。弾かれても身体を揺らすことなくもう一撃振り下ろす」
そう言った途端、ピンと来てなさそうな将臣の表情があまりにも愉快な物へと変わった。横のムラサメ様は呆れた顔で話題に上がった剣鬼を見ている。
「祖父ちゃん……ホントに人間?」
「バカを言うな将臣。あんなもの実戦でそうそうできるものではない。偶然力を上手く受け流せたから、少し馨を脅かしてやろうと思っただけだ」
「初太刀を防いだら初太刀と全く同じ軌道で間髪入れずに二撃目が飛んできた俺の身にもなってくださいよぉ……」
受けた側は冗談では無い。
完全に防ぎ、生じた隙を逃さず抹殺する気で短刀を振るったというのに、視界には一切姿勢をズラす事無くもう一撃振り下ろさんとする玄さんの姿。
唖然としたね、ホント……
その後? もちろん後退は間に合わなかったよ。力を入れて離すより振り下ろしの方が早いのは必然だ。
……昔、茉子と模擬戦をした時は、クナイと短刀なので必然的に中間距離からの踏み込みが多くなる形だった。体術を交えた戦闘になり……まぁ、その時に初めてあいつの胸をうっかり触っちまったなぁ……あの風呂場で触ったのはノーカンでもあるが、実は二度目だ。
ちなみにだが、茉子がクナイを基本的に使うようになったのは俺の所為だとこの前のピロートークで判明した。なんでも昔見た短刀捌きがカッコよくて真似してたら、おじさんに本格的に教えてもらったとか。あいつ刀もぶん回せるのに、わざわざクナイにこだわるのは利便性というよりも、俺への感情が結構を占めているらしい。
「まぁワシのことは置いておけ。次に移ったらどうだ」
「おっと。ごもっともで。もう一つはすぐに体勢を変えて斬り返すこと。防がれたら防がれたなりに勢いを利用してって具合にな」
「要は更にもう一撃か、それとも縦がダメなら横にみたいなもんか」
「そうそう。とはいえ前者なんてとんでもない技だ。さて、お前ならどうする? この二択だったら」
「後者だな。確実に打てるもの、確実に俺が出来る方法で堅実に行きたい」
なるほど。実に堅実な選択だ。悪くない。だが堅実過ぎれば対処を簡単なものとしてしまう。
かなり綺麗なフォームで切り返してきたので、これまた丁寧に防ぎ、構えを解いて向き合う。
「さて将臣。こんな具合なんで、俺が鍛えるというよりも玄さんと実戦向きのトレーニングに変えた方が効果的だろう。まずはな」
「で、ある程度入ったらお前から小細工なりなんなり教えてもらうと」
「いや、平行して行う。多少の体術と短刀捌き、それから投擲くらいは仕込んでやるさ。で、それを玄さん相手に使ってみてあれこれ考えてみろ。やれることは沢山あるんでな」
「それでなんとかなるもんかな」
こいつはすっかり忘れているようだな。実戦で振るう得物が、二人三脚であるということを。つまるところは、だ。
「そこでだ。将臣、ムラサメ様。神力を斬撃から放ってみないか?」
俺が呪力をベースにあれこれできるのだ。彼らだってできて当然だろう。
「のぅ、馨。吾輩たまにお主のことがわからなくなるぞ」
「いや待ってムラサメちゃん。いけるかもしれない」
「ご主人まで乱心したか」
なんか目ェキラキラさせながら、「やってみようぜムラサメちゃん!」みたいな雰囲気を醸し出しつつ、きっと内心ではバトル漫画の主人公のようにカッコよく斬撃波で締めるシーンでも思い描いているのだろうか? ま、男として憧れるよな、ああいうの。
「できるじゃろうが、そう無尽蔵にあるわけでもない。修行というにはいかんだろう。それより刀身に神力を纏わせての剣閃で、射程と威力を伸ばした方が堅実かつ無駄も無くて良いじゃろう」
が、しかし。
ムラサメ様はかなりバッサリと、呆れながら切り捨てた。確かに百年程の蓄積はあろうが、バシバシ使っていたら如何に神力と言えども空っぽになりかねんのだろう。
だが纏い斬りはいい案だ。今度俺も採用してみるか。カッコよさそうだし。
「……そ──っ、か……」
「そこまで凹むか、ご主人よ」
そして見事に燃え尽きたような将臣。こんなに凹んだこいつの顔を見るのは初めてだ。そんなに飛ぶ斬撃撃てなくて悲しいか。
ムラサメ様の発言、裏を返せば実戦なら飛ばせるっちゃ飛ばせるってことなのに。いやでもわかるけどな。憧れるけどな。俺もやったよ、やれたけど。
横目で確認すると、ムラサメ様の言葉に将臣がグァーッと反応している。
「だってさ! カッコいいだろ! 便利だろ! 飛ぶ斬撃って! 斬撃波は男の子の憧れなんだよ! なぁ祖父ちゃん!」
「は? あ、いや、まぁ落ち着け将臣。確かに便利ではあるが、ムラサメ様にもムラサメ様の事情があるだろう。それにお前は、今は小手先の技より択の話をしているのだし、それは置いておけ。…………まぁ、カッコいいし練習したいのはわかるが」
「おい玄十郎!? 吾輩の味方ではないのか!」
「玄さーん。ムラサメ様が裏切り者ってさー」
「違います! ただその……男子たるものカッコいいモノには憧憬を抱くのは必然なのです! だから決して裏切りなどでは……」
「馨! お主はどうなのだ!」
「ん? カッコいいのは好きだよ?」
なんか急に振られたけど、誤魔化しても何も面白みがない。ここは一つ、本音を言うことにした。
別に本音を言ったところで俺に不利益は──
「ぐぐぐ……っ、芳乃と茉子に言いつけてやるからな! お主らが吾輩を泣かせたと!」
「やめてよムラサメちゃん!? 芳乃に怒られるのだけはダメだ!」
「あっ待ってそれ卑怯ですよ!? 茉子だけは堪忍して下さい!」
……朝からみんな元気だなぁ。
──オマエもじゃないか、兄弟──
あ、虚絶。
何しに来たの?
──クククッ、オレが用も無く会いに来ちゃダメかよ?──
可愛くない。
──ひどいな、馨──
それだけ言うと奴は引っ込んだ。
何しに来たんだとも思うが、しかし……なーんか、違和感あったような。気のせいか?
それからしばらくは将臣とわちゃわちゃやってから、家に戻って飯食って学院へ向かう。
「はい、馨くん。今日のお弁当です」
「ん、ありがとな。茉子」
教室で弁当を茉子から受け取る。
うん、実に楽しみだ。
そんな風にホクホクしていると、横からヒョイッと顔を出した芳乃ちゃんが不思議そうな顔をして俺に言った。
「あれ、馨さんってお弁当自分で作るとかこの前言ってたような」
「ん? あぁ昨日ね、お前の飯が食いたいって言ったんだ」
「ほーん……?」
あっ、このなんとも言えない顔、変なこと考えてるな。
その予想通りに──
「もういっそ住み込みでいいんじゃないかしら」
「それ見たことか! 君は相変わらず変なところですごい子だよね!」
「茉子はどう思う?」
「ワタシそんなことされたら明日からどうやって生活すればいいのかわからないですよ。あは」
「昨日までの生活に戻ればいいんじゃないかしら」
「馨くんみたいな返しはやめて下さい、お願い致します」
「ちぇ」
ちぇじゃないよちぇじゃ。
というかなんで彼女こんなに荒ぶってるんだ。お前の嫁だろなんとかしろ将臣ィ。
と、視線を投げるが……
「……ムラサメちゃんと芳乃には不評……飛ぶ斬撃。安晴さんと祖父ちゃんには合意を得れたのに……馨もできるのに……」
朝方の件を未だに引きずってた。
……そんなに否定されて悲しむなよ。たかが相棒と彼女に理解されなかっただけじゃないか。理想を目指して何が悪い。男の子なら憧れて当然だろ。
「あー……将臣?」
「あ、馨」
「……そのだな。芳乃ちゃんが拗ねた顔してるぞ」
「将臣さんってば私より飛ぶ斬撃に気を引かれてるの、男の子って感じですけど複雑です」
「……ごめん」
えっ!?
そっちなの!?
困惑する俺を置いてけぼりに夫婦漫才が繰り広げられる中、チョイチョイと肘で突いて何があったのかを知りたげな茉子。
というわけで事情を説明すると微妙そうな顔をされた。
「そんな三角関係の少女漫画みたいなことになってるなんて」
「少年漫画みたいなことをしたい男の子らしい健全な悩みと言ってやれよ」
「いや、なんかもうワタシには何が何やら」
何が何やらってまぁ単なる修行の筈なんだが。
しかし、もうすぐ授業も始まる。
……不思議なもんだ。
茉子と話したら、少しでも遠くに行くことが嫌になる。それほどまでに離れたくない、彼女を感じていたい。
……誰も見てないし、どうせなら──
「茉子」
「なんです──」
彼女を呼び止めて、ほんの少しの間だけ、唇を重ねる。
一瞬だけ見えたやけに驚いた顔は、なんだかおかしくって。一秒にも満たない時間だったけど、永遠のような……
離れると、顔を真っ赤にしてあわあわとしている茉子。
だからだろうか? 前に向こうからこんなことをされたなと思い出して──
「……
つい、そんなことを言ってから、自分の席に戻る。
「……馨くんの意地悪」
後ろの方からそんな可愛い文句が聞こえたが、ワザと聞こえないフリをしてみるのだった。
「朝の、卑怯だよ」
「いつぞやお前だってやったじゃん」
昼間。
学院の裏に移動して、二人きりで食べていると、朝のキスの件を掘り返された。
不満げな顔している茉子が大変可愛らしい。
「誰も見てないからって、あんな風にされたら……ワタシだって、欲しくなっちゃう」
そんな風に言われたら、どうしていいかよくわからなくなる。どういう意味で欲しいのか、という点においてだが。
「今日お休みにしてもらうんだから」
「だいぶ積極的だよな。誘い受けだけど」
「そ、そういう意味じゃないよ!?」
「わかってるって」
流石にそこまで盛っちゃいない。
……むしろ毎夜毎夜オナ陸さんしてそうな茉子の方が我慢できるのだろうか。いや本人がえっちだよって言ってた以上はとやかく言うつもりは無いのだが……求められたら応えるけどさ。
あ、そうだ。茉子に渡そうと思っていたものがあったんだ。
一旦弁当を食べる手を止めて、ポケットの中から贈り物を取り出す。
「ほら、やる」
「……鍵?」
怪訝そうに受け取った茉子がマジマジと俺の渡した鍵を見ている。何の鍵か想像も付かないのか、まったくピンと来てないようだ。
ので、伝えてあげよう。
「合鍵。ウチの」
「合鍵かぁ。なるほど……へ? 合鍵って……えっ、合鍵?」
何言ってんだこいつと。驚愕した表情を向けられてしまうが、仕方ない。
そもそも合鍵を渡すというのは、昨日の夜中電話をかけてきたお袋に相談して決めたのだ。ちなみにその時初めて茉子と付き合っていることを報告した。
そしたら一言。
「茉子ちゃんに合鍵渡したら? 今あんたの合鍵使ってないでしょ」と。
それでいいのかお袋よ。
確かに使ってないし、今はオリジナル使ってるけどさ。そんな簡単に渡せって言っていいものか。
……まぁ親に認められているのだ、いいやと思って持ってきた。
で、いざ渡してみれば信じられないものを見るような目を向けられる。……ちょっとショック。
「あー、なんだ、その、あれだ。来たくなったら勝手に入ってていいから。好きにしてくれ」
「そ、それってその……同居しようって、こと……?」
──仄かに赤く染まった頬と、行為の最中に見せた、潤んだ瞳をちょっとだけ向けてくる茉子。
そんなことを言われて、俺は──
「は?」
真剣に理解できなかった。
真顔で、そして即答。
さっきまで可愛らしかった茉子の表情が、唖然としたものになるのも必然だった。
……こいつは何を言ってんだ?
呆れた顔の俺を見て、茉子はさっぱりわからなさそうに問う。
「えっ、違うの? だってほら、青い緋衣草とかのことから考えて、遠回しなそういうことかって思ったんだけど……」
「いや、ただ普通に合鍵を渡したかっただけなんだけど……」
茉子はそういうことだと思っていて、俺はまったくそういう意図はなかった。
恋人になっても、まだそんなところですれ違い続ける。小さなすれ違いだからから、あるいはお互いに何とも言えないすれ違いだったからか。
ジッと見つめ合って──
「あはっ」
「ククッ」
「あはははははっ!」
「ははははっ!」
どちらともなく、お互いに笑ってしまった。なんてバカらしいんだろう。合鍵一つでこんな漫才ができるなんて。
ひとしきり笑った後、普段の調子に戻った茉子が、笑顔を見せる。
「うん。じゃあ、遠慮なく家に行くね」
「あぁ。好き勝手使ってろ。文句は言わないから」
それから後はまぁ、あーんしたりなんだりで楽しく過ごした。
……けど、すごいな。茉子と過ごす時間は。彼女の表情を見るたびに、彼女の言葉を聞くたびに、彼女の側にいるだけで、心中の愛おしさが溢れ出して止まらない。
あぁ茉子、茉子……俺の茉子、愛しい茉子……けれど直接愛してるとは中々言えない自分が憎いというかなんというか。
「馨くん」
「ん?」
「なんでもない」
「そっか」
食べ終わってから何をするわけでもない。ただ横で寄り添う茉子の頭を撫でながら過ごす時間が、たまらなく心地良い。
彼女の温もりを感じる生活でありたいとすら思う。
けれども彼女の生活がある。俺ばかりが彼女を独占する……というのも、少し気が引ける。でも、ずっと隣にいて欲しいと思うのは彼女の恋人としての独占欲だろうか?
「ね、馨くん」
「なんだ?」
「放課後、馬庭さんのところで甘いもの食べない? ワタシ、アナタと行きたいなって」
「遅れるけど、いい?」
「あれ、何かあるの?」
意外そうな顔。
まぁそりゃそうだろう。俺の用事は基本的に存在しない。だからこれまで放課後の空き時間はほとんど茉子の為に使うことができた。そんな俺が遅れると言えば意外に思われるのも当然のこと。
「お見舞い?」
「いや、あいつらは今日家に戻ってくるらしいから、顔を見せるのは明日でいいだろうって。ただ放課後は──」
そう、何も朝だけではない。
……というか、朝だけでなんとかなるほど、訓練というものは甘くはないのだ。
そしてそれを聞いた茉子が、面白くなさそうな表情を見せてから抱き付いてきたのは、彼女の妬心が可愛い形で現れた……と見て間違いないだろう。
……茉子は可愛いなぁ。
■
──放課後は将臣に付き合わんとならんのさ。
……男って。
いや、なんか悔しい。なるほど、芳乃様も微妙な顔するわけだ──と、彼女は理解した。
「面白くなさそうね、茉子」
「だって仕方ないじゃないですかぁ、芳乃様。合鍵くれて、キスまでされて、今日は一緒がいいって思わせるようなことしてくれたのに、オチがこれって……」
「そんなに将臣さんと馨さんが目の前でイチャつくのが嫌?」
「別に嫌というわけでは。ただなんだか馨くんを取られたみたいな感じで。というかその言い方やめてください」
おはようからおやすみまで一緒にいられる二人が羨ましいと思いながら、目の前でじゃれ合いという名の実践的トレーニングを行う男二人を見る。
放課後の公民館、竹刀片手にギャーギャー言い争いながらじゃれ合っている将臣と馨──茉子は大きくため息を吐いた。
「ほら見ろ! お前に時間割いてる所為で茉子がため息吐いたじゃねぇか!」
「見てねえのになんでわかるんだ気持ち悪いぞ!? てか言い出しっぺはお前だろ! なんで朝より本気なんだよ!」
「お前を早くのしたら、その分だけ茉子と長くいられるからに決まってんだろうが! 墜ちろよォッ!」
「クッソ腹立つ! 意地でも落ちてやんねぇ!」
……聞こえてきた言葉はバカ満載だ。芳乃も茉子も、呆れるしかできない。結局のところ、あの二人は野郎と打ち合うよりも彼女とイチャコラしたいのが本音であり、けれどやると言った以上やらないのもどうかと思って、こうして放課後の公民館でバカらしい言い争いをしながらトレーニングに励んでいる。
なんと間抜けなことか。
「男ってバカじゃのぅ……なぁ、玄じゅ……あやつめ、逃げおったか」
「玄十郎さんならさっき「付き合いきれん……あとで戻ってまいります」って私に言って廉太郎さんと小春ちゃんのところに向かいましたよ」
「どーせそんなことじゃろうと思ったわ」
ムラサメの呆れ返った言葉には全面的に同意する茉子と芳乃だが、渦中の男たちと言えば。
「なんで防いだのに突きが飛んでくんだよ馨! 早い横薙ぎ二連から繋ぐものじゃねぇだろ!? 斬撃から背撃に繋いだりとか反則だろソレ!」
「んなもん身体の芯を揺らさないだけだっつーの! 散々言ってるだろうが! 手足を有効に活用しろって! そういう時は掌底なり肘鉄なり打ち込むんだよ! 動きの起こりは見えんだろ!」
「届かねえ!」
「置け!」
「無茶言うな!」
「近接戦なんだからわかりやすいだろが!」
(あ、将臣さんが吹っ飛ばされた)
(うっわぁ、馨くん結構えげつないのを加減して打ってる)
横薙ぎの斬撃から、勢いを利用して蹴りに繋ぐ──当たりどころが悪ければ骨をやられるものを、極限まで加減して放つ。もちろん対処はできず飛ばされるし、追い討ちと言わんばかりに飛び込み斬り。それをなんとか避けて、またもギャーギャー言い争いながら徹底して実戦を染み込ませる作業に戻る。
無茶な注文に対してできるわけないだろという当たり前の反論しながら防戦一方。勝負というより最早八つ当たりでは? 茉子は訝しんだ。
茉子もまた、馨とそれなりに手合わせしたことがあるが、彼との戦いにおいては『何をしでかすかわからない』という最強の敵が存在する。投げたクナイをキャッチアンドリリースされた時など変な悲鳴が出たし、鎖鎌を使ってみたら鎖部分を引っ掴んでくるし、手裏剣は斬り払うわ、鉤縄と鉄線を利用した三次元攻撃に対しては身体力一つで応戦するなど、かなりやりたい放題やってくる。
魔人の力を振るってくるのは構わないのだが、ゴリ押しを通り越した何かはやめて欲しい……茉子のささやかな願いである。
「冷静さを失うなご主人。如何な猛攻と言えども、必ず付け入る隙がある。流れを掴むのじゃ」
「わかってるけど! そうさせてくれないっ!」
「それを奪い取るのがお前のやることだろが! 寝言言うな!」
「マジでお前廉太郎に有る事無い事吹き込んでやるからな!?」
「はァッ!? ふっざけんな! あのヤローのからかいはクソウゼェんだよ!」
「知るかバカ!」
「んだとバカ!」
「──隙あり!」
「のわぁっ!?」
「元気ね」
「元気ですね」
「元気じゃのう」
アホアホ男組は多分、どちらかが倒れない限りこのままであろう。
「テメっ、汚ねえぞ将臣ィ!」
「なんでも使えって言ったのは馨だろがッ!」
もう放っておこう……彼女たちはそう決めた。
ところが、ここでムラサメに電流走る。
……あの二人、どこまで進展したものか? なにやら今日のやり取りから考えて、より深まった気がしてならない。
のであれば。
「茉子よ」
「はい、なんでしょう?」
「お主、馨にホクロの位置を知られたか?」
「ホクロ? 馨くんに?」
さっぱりわからない。
急にニヤニヤした顔で、ホクロの位置を知られたかどうか、と聞かれても意図を図りかねる。ただホクロに纏わる話題と言えば……と茉子は思考を回転させる。
(ホクロ、ホクロ……あのニヤニヤした顔と浮ついた声から判断して、ムラサメ様は多分くだらないことを聞いてますね。ワタシと馨くんの話題で、ホクロの位置だから──)
と、そこまで考えてはたと気がつく。
ホクロの位置を知るというのは、ホクロの位置を知られるというのは、絶対的に裸を見なければならない。……顔や手足を除けば、だが。
つまりムラサメの問いとは、暗に「茉子、馨とまぐわったじゃろ」ということを指していて──
カァッと頬が熱くなる。この幼女はいきなり何を聞いてきてるんだとか色々とあれこれ湧き上がるが。
「なっ……なんてことを聞くんですかムラサメ様ぁ!? そそっ、そんな破廉恥な!」
あたふたと慌てながら思い切り抗議する。
横からそのやり取りを見ている芳乃は、ホクロの件がわかってないのか「ホクロ……ホクロがなんで破廉恥?」と呟いているのだが、今の茉子は気付かない。
ただムラサメとしては、破廉恥なと言われても主の横で夜な夜なオナ忍者な茉子の方が破廉恥なわけであって。
「破廉恥なのはお主じゃろ!? 毎夜毎夜慰めおってからに! 芳乃に泣き付かれた吾輩の身にもなってみろ!」
「へっ!? き、気付かれていたんですか芳乃様!?」
「……うん? 気付いてたって、何が? 茉子、何か私に隠してたの?」
ムラサメからの一撃を、うっかり芳乃へとキラーパスする茉子。
まさか、夜中の自慰がバレていたのかと焦りのあまり自爆しながら渡されたパスを、ホクロについて考えるあまりボンヤリと受け取って、芳乃は言葉を咀嚼し始める。
(気付いていた? 私が……茉子が隠すような……いや待って。破廉恥という言葉から考えていけば、もしかして──ー!?)
訂正。
咀嚼どころではなく、綺麗に飲み込んで消化したレベルで理解していた。
そして……自爆した。
「まままままままさかそんな! 気付いてないわよ!? 私ぐっすり熟睡してたもの! だから横から聞こえてきた発情期の猫みたいな鳴き声とか切なげに馨さんの名前を呼ぶ声なんて聞いてないからね茉子!?」
「バッリバリ起きてるじゃないですかぁ!? 芳乃様の嘘つきぃっ!」
嘘が下手で、中々言えないのは美徳だけれど、せめてここは見て見ぬフリか忘れていてくださいよぅ──いくら我慢できずに致していた自分が悪いとは言えども、流石に全部知ってますというのを白状されるのは辛い。泣きそうだ。
二人して顔を真っ赤にしながらお互いを見る。横から見ているムラサメは楽しげだが、アホアホ男二人はそんなことはまったく知らず、相も変わらずギャーギャー騒ぎ立てながら鍛錬を続けている。
「遅すぎるんだよ! 突くにしろ斬るにしろもっと疾く! 鋭く!」
「無茶言うな!」
「日頃から叢雨丸を使っておけ! 素振り藁斬り型の研鑽を積み重ねろ! 一矢でダメなら二矢三矢、討ち滅ぼすは敵手の未来だ!」
「簡単に言ってくれるなァ!!」
……実に元気そうである。
一方、芳乃と茉子は知られたくない真実の件でお互いに赤面して目を伏せるしかできていない。沈黙の痛みが長く続く中で、やっとのことで芳乃の口を開いた。
「あの、茉子……?」
「はっ、はい……」
「栗を剥くって、何?」
「芳乃様にはまだ早いです」
(初日からですか!? 馨くんがワタシが致していたことを知った時に微妙そうな顔をしてたのってもしかして──うわああぁぁぁ!? 教えてよぉ!)
芳乃は環境もあってか、性知識にかなり疎い。一方茉子はいらん事まで知っている。そんなのだから馨からエロ忍者とか言われるのだが、彼女がそれに気付くのは果たして。
ムスッと不満気な顔をしている芳乃の夢を壊さない程度に、どうやって伝えたいものか。茉子は、初体験の時とほぼ同じくらいにガチガチに緊張していた。
主にバレた件で。
「振った吾輩が言うのもあれじゃが、一応声は潜めてな」
「本当にどうかと思いますよムラサメ様……なんでワタシ、こんな辱めを受けなきゃいけないんですかぁ」
「すまぬ。でもやめられぬのだ。楽しくて」
ロクデナシめと、初めて茉子はムラサメへの悪態を内心でついた。
しかし意を決して全てを飲み込み、大人しく芳乃と普通の会話をしようと決めた途端──
「……それで茉子、馨さんと……え、えっ……いや、えっと……す、スることシたの?」
「へ? ……あっ……」
向こうから仕掛けてきた。
……ここで嘘を言っても仕方ないし、もう諦めてしまおう。色々と疲れ果てた茉子は、後で絶対に馨に癒してもらおうと考えながら、
「……シ、シちゃいました……えっち……あは」
小さく、それを認めた。
言ってしまうと案外気楽なものだが、しかし、恥ずかしいものは恥ずかしい。頬が熱いし視線は上げられない。というかなんでワタシは芳乃様からこんな辱めを受けなきゃいけないのか──真面目に馨に泣き付かないとやってられない。
ただ一方、芳乃は興味津々であった。なにせいつか自分たちが致すであろう行為を先にやった先達なのだ。
「どどどど、どっ、どうだったの!?」
そりゃあ赤面しつつも、どもりつつも尋ねてしまうわけで。
「どどどどどどど、どうって言われましても!?」
深掘りされることは一切想定しなかった茉子は言葉を濁す。誰だって自分の性体験を赤裸々に語りたい筈もない。
「私その辺り全然知らないけど! でもなんだか痛いとか聞いたことはあるわ!」
「確かに痛かったですけど!? でもそれ以上に、それ……以上に……ぅぅ……っ」
興味津々の目。
好奇の熱がしっかり宿っているそれ。そんな目を向けられては……従者としては……そして何より愛しい人に抱かれた一人の女としては……目の前の人に素直に伝えたっていいかなぁとか思ってしまうわけで。
「幸せ……でした……」
……茉子は遂に折れた。
「そ、そうなんだ」
「……はい」
「……どうやって持ち込んだ?」
「こ、恋人らしいことをもっとしたいって言ったら……向こうから、誘ってくれました……」
「ふむふむ。それでどんな風に始まったの?」
「キス、からです。そのえっと、舌を入れる方ので……うぅ、ここで話す話題じゃないですから、そのぅ……またいつかでお願いします。せめて二人きりとかで」
「あっ、そ、そうよね! ごめんなさい、茉子。私ったら好奇心が勝って茉子にとんだ辱めを……」
「い、いえいえ。大丈夫です、大丈夫ですよ芳乃様。ワタシちょっと涙目になって馨くんに甘えたいくらいボロボロになっただけですから」
「重傷じゃないっ」
疲れ果て、涙すら浮かべた茉子に対して芳乃はひたすらに慌てながらあれこれと慰めの言葉をかけるも効果は無し。火種となったムラサメは──
「茉子、すまぬ。芳乃の見くびっておった」
「ふふふ……ムラサメ様も芳乃様に振り回されましょう? あは」
「いかん。早急に馨成分を摂取させねば。じゃが──」
なんとかして元の調子に戻してやりたかったのだが、しかし。
「だーかーらー! なんで突きに刀身を滑らせて鍔迫り合いに持ち込まないんだよ!」
「んな人外技できるわけねぇだろ! 俺は普通だっての!」
「俺なんてお前より才覚ねーぞ!?」
「嘘だ絶対に嘘だ! 俺よりよっぽど強いじゃないか!」
この有様である。
「……あれでは、向こうも落ち着くのに時間が必要であろうなァ……芳乃。とりあえずあの二人を止めるのじゃ。吾輩が馨を止めるから、芳乃はご主人を頼む」
「はい、わかりましたっ」
そして二人がそう決めた瞬間、またアホアホ男どもは竹刀片手にギャーギャー言いながら鍛錬という名の八つ当たりを始めようとして──二人はため息を吐いたとさ。
ちなみにこの後、馨は茉子を慰めるために全力を尽くしたという。