千恋*万花~福音輪廻~ 作:図書室でオナろう
……不意に目が覚めたと同時に、奇怪な感覚を覚えた。
これは夢だ、というあり得ざる確信。夢を夢と断定できるには、中々に苦労するものだ。夢と現実、その境に気が付くのは大抵が遅くになる。
故に。
何者かに夢を見せられている、と言ったところであろうか。
(……なんで俺ばっか?)
だからこそ将臣は決まって俺だよなぁ……とも思う。適任は他にも沢山いる筈なのに、なんでか単に叢雨丸の担い手に過ぎない自分ばかりそんな役割。
「……マサオミ? マサオミでありますよね?」
「あれ? レナさん?」
そんなところに現れたのはなんとレナ。
彼女もまた誰かに夢を見せられている感覚を覚えながら、しかし何故か夢であるのにも関わらず明確に意識があった。
夢の中に男女二人。まったくもって不思議なものである。
……さて、この状況とはなんだろうか。
レナも将臣も、お互いに同じ夢を見る接点が無い。だからこそ二人は困惑するし、この状況に気味の悪さを感じる。
「……あれ? ここは……森の中でありますか?」
「これは森じゃなくて山の中だよ。それしたって、何処かで見た覚えがあるな……」
二人の視界に映るものが、突如として山中の景色へと変わる。しかしその山中の景色は、過去に二人が見てきたものとは比べ物にならない程に、幻想的であった。
文字通り、完成された光景。
絵画か何かと言われても何の違和感無く受け入れられる程の、美し過ぎる光景。
神秘、あるいは幻想。神の領域──そんな感想が浮かんでは消える。
その中に浮かび上がるように佇んでいるのは、深々と編笠を被り、垂れる布故に顔が見えぬ一人の天女が如き人物と、一匹の純白の大狼であった。
「マサオミ、もしやあれが……」
「うん。祟り神になる前の犬神と、彼の姉だろうな」
「姉、でありますか」
そういえば、茉子から「ちょっと夢見が不思議かもしれません」と昨日の朝に言われていたことを将臣は思い出す。その上で、犬神の姉についてもちょこちょこ、芳乃と共に教えてもらっていた。
彼が恋に何かを探る、その大きな理由である……と。
それを軽くレナに説明しつつ、一匹と一人の様子を伺っていると──
「……姉君、こう言うのはなんですが、そろそろあの侍を覗き見して悦に浸るのはおやめになりませんか」
「コマ!? いきなりひどいわね!」
「毎度毎度、姉君から如何に、直接会って話したこともないあの侍が誠実な人間かを聞かされる身にもなってください。あなただって言葉を投げたこともありますまい。それに朝起きてから夜寝るまで見続けるというのは、獲物を観察する狩りの主が如き有様。少々、苦言を申させていただきます」
((……は?))
生前(?)の犬神から放たれた言葉は、あまりにも人間臭くて、恐らくは女神であろう存在が、特定の人間をストーキングしているという事実で、もはや何がなんだか。
というか、更に二人を混乱に落としているのは話される言葉、そして聞こえてくる言葉そのものは大仰で古風なものであるというのにも関わらず、意味は現代語で理解できるというある意味の気色悪さだ。
「何故あの侍の前に立つことを避けるのですか」
「いいのよ、あれで。私はそれでいいの」
「側から見れば狂人か何かですよ」
「いいったらいいのっ」
「姉君、人を装えば良いではないですか」
「そういうわけではないの!」
「ではどういうわけなのです!」
とても仲の良い姉弟だ。
こんなデコボコ加減は二柱が神であることすら忘れてしまうような、それほどまでに微笑ましいものだ。
困った顔の女神に向かって、呆れた表情の犬神は告げる。
「確かに姉君は、種の営みに深く関わることなかれ、と申されました。人が獣を喰らうように、獣もまた草木を食み、時には同族を食む。この自然輪廻に神とて口を挟むことはできぬと。必要以上に感情を入れるべからずとも」
などと言っているが、大半不服そうな犬神の表情から、二人は彼がとても眷族想いであることを察する。恐らく侍という言葉から判断するに、犬追物などを見て心を痛めているのだろう。
反面、この犬神の言葉を借りて判断するなら、女神は眷族と人との関わりを必要なものと切って捨てられる、我慢できる精神性をしていると言ったところか。
どこまでも正反対な二神である。
「ですが姉君、あなたも存じておりましょう。生きている以上死は絶対なのです。死すれば黄泉の国へと魂は導かれてしまいます。彼の国へ降りるのは我ら神とて何が起きるかわかりませぬ。故に生きている内に、何を心に秘めているかはわかりませぬが、それを確かめに接するというのはいかがでしょう」
「ううっ……でもコマ、私は──」
「玉石より生まれた神だからと言って、何もそこまで冷え切る必要もありますまい」
悩む姉の背を押すような言葉の数々。しかしながら犬神の纏う雰囲気は完全に疲れ果てた苦労人のソレで。
つまるところ、これは──
「マサオミ、この犬神さま、もしやおノロケされてて面倒だからお姉さんをその人と会わせようとしているのですか?」
「あぁ、多分……そうだろうなぁ。ほらあれだよ、俺たちが馨と常陸さんの中途半端な関係をむず痒く思ってたのと同じでさ」
「納得しました。あの二人のアレを……あぁ、確かにわたしもそうしてしまいそうです」
馨と茉子の関係性でえらい目にあったレナだからこそわかった。なるほど、これはこの犬神を責められない。砂糖を直接食べてもなお足りない甘い惚気を聞かされて疲れ果ててしまったのだろう。
そしてこれが、彼が祟り神になる由縁──その始まりであるのだと、何故か本能的に理解すると同時に浮遊感が二人に纏わり付く。
これは夢から覚める時の感覚に似て、だがどこか異なるもの。景色も白くなりつつあり、この記憶の再生が終わろうというのか。
「ええっと……とりあえずレナさん。また学院で」
「はい、またでありますよ。マサオミ〜」
夢の中でまたねというのは奇怪な感覚だと、二人は笑い合いながら、古い記憶の夢から現実へと目覚めるのであった。
■
ヘコんだ茉子というのも新鮮だったが、あまりにも見てられなかったので愚痴を聞きつつ、田心屋に行って甘いものを食べたりしたりで、早く元気になって欲しくて送ったりなんだりしてたのだが。
「ヘコみすぎたからって着替え持って寝泊まりしに来るかフツー」
送った後、家に帰って汗を流して一息ついたら、急に玄関の鍵が開いたのだ。てっきり親父とお袋が帰ってきたものと思い、パタパタと走って向かい──
『おかえりっ。父さんっ、母さんっ』
なーんて言った、のだが……いざ目の前に現れたのは驚いた顔の茉子で。
ついつい小っ恥ずかしくなって、照れ隠しのように視線を逸らしながらこんなことしか言えなかった。
『……ウチに、何……しに来た?』
『お泊り』
そして真顔で即答された。
……それが昨日の全てである。
同じ卓で飯を食って、同じ風呂に浸かって、同じ布団で眠った。
「だって、やっぱりワタシおやすみからおはようまで一緒にいたかったんだもん」
「嬉しいけどさぁ。まぁ、色気もクソも無い理由なのは、ちょっと」
そして朝。
同じ布団で目が覚める。
横で寝っ転がったままの茉子は、そんな俺の言葉に不思議そうに首を傾げた。
「ダメなの?」
「俺だって年頃の男の子だぜ? 自分の彼女が家を尋ねてくる理由に夢を見てもいいだろ」
「あは、可愛い人」
「ククッ、可愛いだろ?」
「笑い方が悪いから可愛くないよ」
「ひでぇな。まっ、いいさ」
よっこらせと身体をおこして、伸びを一つと深呼吸。茉子の匂いと共に朝の部屋の匂いが身中に染み渡って色々と滾っていたものが落ち着いていく。
ふぅ、と一息吐くと共に、布団を出て──
「ん、起こして」
笑顔で手を伸ばしてくる茉子の姿を見ることになった。大変可愛らしく、その上困るほどに愛してしまいたいほどだが、生憎そこまで世話を焼いてられるほど俺は優しく……
「お前なぁ……」
「いいじゃん。馨くんにしか言わないよ、こんなの。それに起こしてくれたらワタシ、もっと好きになっちゃうよ? 馨くん」
「ああもぅ! ほら、手ェ貸せっ。必要なら風呂まで着いて行ってやっからさっ」
そんなことを言われてしまえば、俺はもうこんな具合に手を引っ張って茉子を起こすしかできない。
惚れた弱み……だろうか? いやもう、茉子ならなんでもいいや。
「俺ももっと好きになるから……だからその……困ることはやめてくれっ。どうしたらいいか、わかんなくなるからさ」
「ありがとっ、馨くん」
「……茉子なんか大好きだ」
「嫌いって言ってくれてもいいのに」
「嘘でもお前を嫌いになんてなれるかっ」
そんなやりとりをしつつ、もう茉子に裸を見られたっていいやの精神で寝間着をその辺にほっぽり投げる。後ろから「もぅ」という声が聞こえるが無視しつつ、とりあえず風呂場へと向かおうとしたら、ヒョイと下着だけになった茉子が隣を通り過ぎる。
「んぁ?」
「ワタシもシャワー浴びるから」
「襲われても知らないぞ」
「襲ってくれるの?」
「……ごめん朝からは無理」
「……そういう返しされると逆に困るよ」
「とりあえず、沸かし直すか」
「そだね」
なんだっていいかと、俺たちは風呂を沸かし直して、また同じ風呂に入るのだった。
……昨日、別に何かあったわけでもないぞ?
「あ、それ取って」
「ああ」
茉子と二人きりで朝飯を食べるというのは初めてだ。ましてや自宅と付けば、更にあり得ない話ともなる。それがまさかこうもなろうとは……
茉子がわざわざ俺の為に作ってくれた麩の味噌汁に喜びながら、二人で作った朝飯を食べる。それなりに時間はあったから、和物を揃えるのも楽勝だった。
あぁ、将臣の鍛錬は俺と玄さんの代わりばんこでやることになっている。昨日が俺だから、今日は玄さん。よって今日はフルで一日を茉子のために使うことだってできる。
「相変わらず美味いな、茉子の飯は」
「それ毎回言ってない?」
「毎回言いたくなるんだ」
「けど馨くんの作った卵焼き、妙に美味しいんだけどどうしたの? 普段は甘いか辛いかの二択なのに」
「お前と一緒だから気合入ったんだろ」
「そっか。馨くんは可愛いね」
てっきりからかって流すと思っていたものだから、優しくはにかむ茉子にどう対応したものか悩みつつ、箸を進める。
……うん、美味い。
「あー、そういやさ。昨日の夜中、お前犬神がレナと将臣に夢を見せるとかなんとか言ってたけど、本人たちには伝えたのか?」
「有地さんには伝えたけど、レナさんには……あっ」
「……お前なぁ」
はぁ、と一つため息を吐いてから、もう起きちまったものはどうしたようもないと割り切ってしまう。後で伝えりゃいいだろう。
「とりあえず、事後承諾だなこりゃ。今日ちゃんと謝っておけよ」
「うん、そうする……昨日ヘコみすぎて忘れちゃってた」
「……まぁ、ありゃヘコむわな」
何が悲しくて自分の性事情を話さねばならないのか。とんだ辱めである。おかげで茉子がとことんまで甘えてきてホントにもう……役得だった。
元気になって欲しいと思って茉子の好きなおかず作ったり、茉子好みの風呂の温度にしたり、茉子に求められたら応えてみたり……なんか看病してるみたいだったが。
「ふぅ、ごちそうさま」
「ごちそうさまでした。……洗い物は?」
「家帰ってからやる。流石に朝やると時間がもっとギリギリになるし」
朝飯を真面目に用意して、その上弁当まで真面目に作った以上、学院までの時間を考えると楽勝で遅刻しかねない。だったら水に浸けて帰ってからの方が確実だ。
「んじゃ、支度すっか」
「うんっ」
やっぱり、茉子の笑顔は素敵だ。
「茉子」
「なに?」
「いや、呼んだだけ」
登校するいつもの道。
けれど唯一違うのは、茉子がいること。手を繋いで歩く道すがら、彼女の名前をただ、呼んでみた。
……なんと狂おしいほどに、愛おしくてたまらない響きなんだろうか。茉子が俺の名前を呼ぶだけの気持ちが理解できる。なんかこう、呼ぶだけってのも悪くない。
しかし、言われた彼女と言えば──
「あはぁ〜」
それこそ花の咲いたような笑顔を見せながら、口癖を一つ。
……とても可愛い。
「なんだよ」
「やっぱり、可愛いね」
「……うっせ」
照れ臭くなって微笑む彼女から視線を逸らして、けれどギュッとより強く手を握る。
……あぁまったく、なんて愛おしいんだろうか。
愛おしい、愛おしくしてたまらない。
言葉を尽くしてもなお足りない、行為を尽くしてもなお足りない。そうだ、
心中から溢れ出す愛情が、狂おしいほどに
──兄弟? おい兄弟、しっかりしろよっ。そこまで堕ちちゃあいないだろ──
……刹那。
──何のためのオレだよ。そういうのはまだオレに任せて、オマエはただ茉子を愛していればいい。オレの役割だろ? なぁ、馨──
兄が弟を宥めるような、あるいは弟が兄を窘めるような、優しい声。自分によく似て、だが決して違う何かを秘めた声が己に響き渡る。
燻りが消え果てる。
愛情の中に眠っていた闇の情動が静まり果てて、気付いてはならぬものがまた再び気付けなくなっている。
……あぁ、そうか……なんとなく、魔人の言っていたことが理解できた。
俺に眠るものが何なのかは知らないが……そういえばそうだ。
俺は殺せてしまうからと言って、しかし小春ちゃんを殺そうとも思わなかった。
──矛盾している。
幼少の頃、俺は確かに魔人であると理解したからこそ己を殺そうとした。
何故俺は
俺は何を、
「馨くん……?」
不安げな表情の茉子が、俺の顔を覗き込む。あっと驚いて一瞬手を離しかけてしまったが、気を取り直して笑顔を作りつつ手を握り直す。
もちろん疑問に満ち溢れた視線が投げ返されるので、ここは言葉で示すとしよう。
「大丈夫だ、茉子」
「ホントに?」
「あぁ。マジだ」
「……ちゃんと言ってよね」
「わかってるよ。もう隠し事はしない。ただ今やっと気付いたばっかりなんだ。整理するのに時間をくれ。な?」
それなら……と渋々な雰囲気を隠すことなく納得してくれた。色々、茉子を不安にさせてばかりだからな。どこかで安心させないと、彼女に好かれた男として面目が立たない。
……しかし、俺の過去か……
あの日、入水自殺を決意した理由である筈の
やはり、
俺が魔人だと己を確信して、人として決して生きられないから死ぬとまで考えた理由は何処だ?
さて、そんなこんなで学院の時間が流れていく。
そして昼休み、復帰した廉と小春ちゃんも混ざっていつもの面子で飯を食べる。──実に平和だ。
「ふぃ〜、いや非日常から日常に戻るとトコトン安心するなァ……」
「ホントね〜……いたたっ、あの人私の身体でどんな動きしたのかなぁ。まだちょっと痛むんだけど」
「んー、漫画みたいな蹴りとかしてたぞ。小春」
「うわぁ……」
多少の痛みこそあれど、健康体も健康体。むしろ色々肩のコリとか吹っ飛んで快調も快調らしい。逆に怪しく思えるが本人たちがピョンピョン跳ねて証明したんだから納得するしかない。
と、ボケーっと眺めながら自分の弁当を突っついていると、隣に座って弁当を食べている茉子にレナが声をかける。
「あ、そうだ。マコ、今日夢を見たんです。あの、コマの」
「コマ……? あっ、あぁ! ごめんなさい! ワタシ昨日すっかり伝え忘れてて!」
「いえいえ。大体はマサオミから聞いたので問題無いでありますよ。夢の中で人と会うというのは、中々に無い体験でした」
ニコニコとしながら言うレナだが、彼女中々に適応する速度早すぎないか?
ふーん、将臣が夢にいたね。こりゃ詳しく聞く必要ありそうだな。駒川も呼んで、色々と資料持ってきてもらって……かな。場所は──芳乃ちゃんの家が一番都合良いか。
てことは、放課後……だな。
「なぁレナ。放課後空いてる?」
「はい。そうであろうと思って既に報告してありますから、時間ならたっぷりと」
「よし来た。こりゃまたみんなで作戦会議だな。聞いた? 芳乃ちゃん」
「もちろん。私から将臣さんとムラサメ様に伝えておくから」
同じ教室にいるのに何故将臣はこの話を耳にしていないのか。実にシンプル、従兄妹に構っているから以外の何者でも無い。一番気が気でないのはあいつだったということだ。それが分かっているからこそ、この時間は触れ合いに使って欲しい。
何せ午後は長い作戦会議なのだから。
……ところが。
「……あ、カオル。キョーカに姉がいることをご存知ですか?」
「は? いや、初耳だけど」
予想外のところから、予想外の話題。
一瞬固まってしまった。京香に問い正そうにも、肝心の京香は仕込みの関係から今はいない。
だから真偽の確認はできない……じゃなくて!
肝心なのはどうしてレナが
辻褄が合わない。
神関連ならわかるが……何故伊奈神の過去を知ることができた?
怪訝な顔を隠さず、不思議そうな彼女に尋ねる。
「なんでそれ知ったの」
「夢を見たんです。コマの夢を見る前、コハルが操られていた日の夢で……」
「……不思議だな。そっちも詳しく。本人も呼んでこう」
あいつに姉がいたなんて初耳だぞ……一体何を俺たちに隠しているんだ、京香。
──いや、まさか……そうありがちな話というわけではあるまいて……
事実は小説より奇なり、とは言うが。
流石にそれは都合が良すぎるというよりも、それが仮に事実であった場合、どこもかしこも同じようなことばかりだな……と。
ただ魔人の系譜とそれが可能な筋を考えて、仮に魔人がそうであるならば。
確かに辻褄は合う。俺が敵になる理由も、魔人と京香の関係も。
魔人と京香は近すぎる────そう思えてならないんだ。
そして、放課後。
なんだか実家みたいな気分になってしまうほど馴染んでしまった芳乃ちゃんの家で、この件について情報を握っている面々が集まる。
長く過ごしたというほど長く過ごしたわけではないのだが、しかし……濃密だったのは間違いない。
……だって、ねぇ? 色々忘れられんて。
「……という具合でありましたね」
「あとは俺たちの見たものが本人の記憶と合っているかだけど、常陸さんどう?」
「大体合っているそうです。そういえばそんなきっかけだったーとかなんとか。……え? この記憶は重要じゃない? その後が大事?」
話を聞いてみたが、確かにきっかけの話で、ここから先が重要であるのは間違いないだろう。
俺として気になるのは──
「茉子、元から二柱は穂織にいたのか?」
「はい。同じくして穂織の自然から生まれた。自分は獣たちより、彼女は玉石より生まれた神……です」
「恋が知りたいっていうのは、その姉貴殿が恋に纏わる何かで何かを犬神に与えたからか」
「おおよそは。本人曰く色々と複雑らしいですけど、理解する分にはそれで良いと」
「まあ納得」
つまり事はより大きかったというわけだ。不敬も不敬、なんて領域で済む話ではない。由緒正しい土地神様をぶっ殺して彼の持っていた神器すら砕いたのだから。
……よくもまぁやったものだ。それほどまでに憎かったのか。俺には理解できないが。
「そういえば、何故わたしなのです?」
「あっ、それは金髪というのが大きいですね。記憶映しは対象者を選ぶので、金髪である女神を連想させるのはレナさんだけですから」
消極法かい。
それなら操られた件も納得行く。恐らくは姉を求めていたのだろう。……なんか俺みたいだな。意味は違うけど字面がね。
でもそれなら、彼の姉──玉石の女神は何処へと消えたんだ? 犬神は祟り神となってなお確かに残っていたのにも関わらず、女神は完全に犬神だけが知っていた。
つまり人の記録からは忘れ去られているということ。犬神は近代まで残っていたのに、まるで女神は古代で消滅してしまったかのようだ。
「髪は金色の黄翡翠、瞳は天藍石、肉は石灰に瑪瑙、骨は鉄、肌は白……言わなくていいって、なんでですか? 自慢の素敵なお姉さんで──あぁちょっと!? 拗ねないでください! 真面目な話に戻しますから!」
本当に玉石より生まれた神ということを解説してくれた茉子だったが、中にいる犬神的には何か引っかかるものがあったのか、あるいは単に恥ずかしいのか。恐らくは後者と見た。
……まぁ、とにかく抗議を受けた茉子を見て場が和やかになるというのは良いことだ。
しかしここでムラサメ様、何かを思い至ったようで──茉子にえらく真剣な表情で問うた。
「茉子よ。吾輩は叢雨丸が一体何故朝武が古より持っていたのかを知らぬ。だが皆があれを神刀と呼び、そして神社に納められていた。吾輩の古い記憶が確かなら、神社で奉られていた神は──安産の神であった……筈だ」
……めちゃくちゃに初耳である。
芳乃ちゃんも茉子も目を丸くしている。
だがそんな様子も関係無く、ムラサメ様は言葉を続ける。
「……あの刀の方が先にあったとすれば、玉石の女神が土地神であったとすれば、神刀叢雨丸とは、もしや──」
「ソノ先ノ答エハ記憶ノ中ニアルゾ、人柱トナリシ少女ヨ。焦ル事ハナイ。全テ知ルノデアレバ、纏メテ知ッタ方ガ良カロウ……」
しかしムラサメ様の追求に対して、茉子──ではなく犬神が彼女の声を借りて確実な答えを知るべきだと答えた。つまるところ、彼は確実な答えを知っているということになる。
「……とまぁ、無理に言葉にするよりも自身の魂に刻まれた記憶を見てもらう方が早いので……ムラサメ様、もうしばらくお待ち下さい」
「わかった。確かにそうじゃな、気長に待つさ。吾輩、待つのには慣れている故にな」
「けど不思議なものですね。犬神の存在は昔から知られていたのに、何故玉石の女神の存在は現代に伝わっていないのでしょうか。みづはさんに色々聞いてみようかしら」
「それがいいと思うよ、俺も」
芳乃ちゃんの提案には将臣だけでなくみんなが全面的に賛成だ。やはり正しい形で神を祀るのは当然故に。
そして──ある意味ではここからが本題だ。
俺は改めてレナと向き合い、口を開く。
「レナ……京香の姉ってのはどういう事だ?」
京香の姉。
本人は何か用事があるみたいで、また来るのに時間がかかるそうだが、とりあえず聞くだけ聞いておこう。
「いえ、よくわからないのですが……キョーカは姉、カナエがいるというか、いたというか。その人はカオルによく似ていたんです」
「俺に……?」
カオルとカナエ。
確かに響きも似ている。性別だけは違うが、レナの言葉を聞くに俺と似た外見をしていたんだろう。……まぁ、確かに俺は線の細い男だからな。女装しても見分けはつかんだろう。
「……そういや、全然京香さんって家族については教えてくれないよな。夫と子供の事はそりゃ魔人関連だからって言うけど、父親とか母親とかは」
「何か複雑な事情でもあるのでしょうか? 特に姉妹……まぁ、私の家の場合は兄弟でしたが、そうした身内であるからこそ言えないこととか。ねぇ、茉子」
「いやまぁ確かにワタシたち身内みたいなものですけど……レナさんその辺知らないから可愛い顔してますよ?」
目を丸くしているレナはとても可愛らしくて、ついつい頭を撫でたくなる小動物的な愛くるしさがある。
……おい、聞いてるのか? 京香。
──京香?
……京香!!
おかしい。
返事が何も無い。何一つ帰ってこない。
そんなことはあり得なかったのに、今日に限って何一つ無い。
そんな俺の焦燥が表に出たのか、将臣とムラサメ様が真剣な表情で視線を向けてくる。
「馨、街の中を探すか?」
「吾輩が見てきてやろうか?」
「え? カオル、キョーカがどうかしたのですか?」
「返事が無い……芳乃ちゃんとレナはここにいてくれ。俺が見てくるから。茉子、将臣、そっちは任せた」
「あっ、ちょっと馨さん!?」
後ろから聴こえてくる芳乃ちゃんの驚きの声を無視して俺は朝武家を飛び出す。
──さっき黙っていたが、人払いの結界の起動感覚がした。
つまり……魔人がいると見て、間違いないだろう──
■
「……人払いの結界、か。知識では知っているが実物を見るのは初めてだな」
路地裏、同時刻。
「何処に行くつもりだ? 逃しはしないぞ」
「ふん、どうやら鬼のお出ましか。──久しいな、京香」
鬼と魔人が、憑代となる人間を通して対面していた。
「アンタと話すことはない。再び闇に帰ってもらう」
「クククッ、つれないのも変わらずだな。まぁその方がらしいというものか」
共に憑代となる人間に、自身の狂気を束ねた刀を持たせている。
だが魔人は戯けるように、京香へと語りかけた。
「その憑代──確か馨が懐いていた馬庭芦花という女子のものか。まったく、お前も相変わらずだな。無関係なものを巻き込むのは本当に上手だ。そういうところだけは、父に似たか?」
「黙れ。この子はお前と違って、有無を言わさず憑代になってもらったんじゃない。丸一日話をして、その上で納得してもらったんだ」
……馨から抜け出した京香は、芦花を尋ねた。事情、己の正体、魔人のなんたるか──知り得る限りを全て話し、そこから丸一日話し合った結果、ある条件を付けて芦花はそれを受け入れた。
『必ず、守ってください。まー坊たちを』
必ず守れ。
実にシンプルかつ実に難題だ。
もっとも、堕ちるところまで堕ちた魔人であると己を定義する京香にとって、ありとあらゆる手段を使ってまでこの魔人を葬り去るのは決めていたことだ。
それこそが守ることに繋がる、と。
だからこそ京香は魔人を睨みつけ、言い放つ。
「お前こそ、無理矢理に奪い取ったみたいだな……よりにもよって馨にとって大事な、中条比奈実の肉体を」
「あぁ、これか? たまたま近くにいる機会があってな。その折に借りた。別に馨には迷惑となっていまい」
そう言って魔人は、比奈実の顔で邪悪に笑う。
その様子に燃え盛る憎悪が極限にまで達し、京香は芦花の肉体を駆り、抜刀する。
そんな彼女に呆れるようにため息を一つ吐いた後、魔人は比奈実の肉体を駆り、抜刀した。
「再び鬼を──斬ることになろうとはなァッ!!」
「今度こそ殺してやる──!」
叫び合い、駆け出す。
そして鬼と魔人の、千年ぶりの殺し合いがついぞ始まるのであった──