千恋*万花~福音輪廻~   作:図書室でオナろう

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長らくお待たせいたしました……
あ、今回もちょい性的な事柄出ます。ご容赦


暴走

 今日もまた夢を見る。

 そしてすぐに入ってきた光景が穂織の山中ともなれば、自然と共に見る人も想像が付く。

 

「マサオミー」

「あぁ、うん。なんて言えばいいのかな」

「おはよう、は違いますでありますからねぇ」

 

 なんて挨拶したものか、と頭を悩ませつつ、記憶の再生が始まるのを待つ将臣とレナ。

 そうして一際大きなノイズが走ると、そこには犬神と玉石の女神の姿が。

 

「姉君、怯えることもありますまい」

「わかってる……わかってるわよ」

 

 犬神の言葉に頷いてゆっくりと歩いて、コソコソと隠れながら山中でも明るい場所に向かっていく女神。その姿は全然神様らしくない、まるで初心な少女のような。あるいは、何処かのヘタレで告白も中々できない男のような。

 それほどまでに親近感の湧く、そんな姿であった。

 

「神様って人間臭いもんなんだな」

「なんというか、とても可愛らしいです」

「うん。これは可愛いよね」

 

 威厳無く、なんというか、可愛い。

 そうして女神はおっかなびっくり移動して──目当ての場に着いたのか、チラチラと木の陰から様子を伺い始めた。

 将臣もレナも、彼女に倣って様子を伺ってみるとそこには……

 

「……は? 俺?」

「おぉー……」

 

 もう一人の将臣がいた。

 いいや、正しく言うなら将臣とよく似た人物がいたと言うべきか。

 意味不明な光景過ぎて訳がわからない。開いた口が塞がらないし目を丸くしてもし足りない。

 将臣に比べて髪は乱雑でボサついていて、顔立ちは似ているんだか似ていないんだか。目つきは鋭く、よりがっしりとした身体、着ける衣服はみずぼらしい和装で、握る刀は太刀の類。

 

(俺に似てるってことは、鞍馬のご先祖様か? いや、でも……)

 

 確かに似ているのだが、何故か根本的に違う何かを感じる……不思議とそんな感情が湧き上がる。さっぱりよくわからないが、恐らくこの侍が女神の──

 

「……む」

 

 愚直に素振りを続ける侍が、チラリと女神の姿を捉える。視線が合えば、彼女はすぐさま隠れてしまう。

 

「そこの御仁」

「……っ」

「……ふむ、狸にでも化かされたか。まぁ、よい」

 

 いやよくねぇよと言いかけて、これが記憶の再生であることを思い出した将臣は、大きくため息を吐いた。

 ……絶対これ面倒臭い奴だ、と。

 

「ねぇ、レナさん」

「はい」

「俺、なんだか先が思いやられるよ」

「奇遇でありますね。わたしもですよ」

 

 真顔。

 初心すぎる女神の行動を見せつけられるのは、御免被りたいが……それが全てというなら見るしかあるまいて。

 

 チラリと女神が覗く。素振りを止めて男が視線を向ける。女神は慌てて隠れる。怪訝な顔を見せてから素振りを始める。

 覗く。向ける。隠れる。素振り。覗く。向ける。隠れる。素振り。覗く。向ける。隠れる。素振り。覗く。向ける。隠れる。素振り──

 

「鬼ごっこかな」

 

 なんだろう、この隠れんぼ。

 恋愛劇の類ではと思っていたが、これでは小学生が気になる子にチラチラと視線を向けている絵面と何が変わろうか。

 それから何分、何十分その光景を見せ続けられたのだろうか。だいぶ気が重くなってきた頃、侍は素振りをやめ──去っていった。

 

「帰っ……ちゃったでありますね……」

「帰っちゃったね……」

 

 女神は止めない。ジッと見ている。

 そうして見送った後に──

 

「……ど、どうしたらいいのかしら。あんなの初めて……」

 

 初心も初心かよ。

 二人はポカンと口を開けて、間抜け面を晒した。

 女神はあたふたとしながらも山中へ戻り──それから、二人(?)の奇妙な関係は始まった。

 

 侍が素振りをしに来るのを覗き見る女神。

 それが何日も何日も続いて──一月にも及ぼうかというくらいに時間が経ってから、彼女は漸くもう一歩踏み出してみようと考えた。見るだけでも楽しかったが、その先が欲しいという心に従った。

 

 しかし。

 

「……」

 

 ──不動。

 その有様は岩石の如く。

 覗き見たまま動かぬ。

 

 最早何と言ったものか。

 ……恋するが故に恋に臆病過ぎる少年とも言えるようで、あるいはヘタレの中のヘタレとも言えるようで。いやはやその様、何処ぞの稲上さん家の馨君が一番拗らせていた頃にかなり似ている。

 こっちの方がかなりマシだが。

 

「……ねぇレナさん」

「ジゴクでありますかね。恋愛的な」

「地獄か。地獄だな」

「おや、おサムライさんが気が付いたみたいですね」

「あ、ホントだ」

 

 二人はそのなんとも言えない感じな大昔の方々に目を向ける。

 

「──そこの御仁。ここのところ毎日のように見かけまするが、某に何かご用がおありでしょうか」

 

 遂に侍が女神に声をかけた。

 大方、気が散って仕方なかったのだろう。狸に化かされているわけでもなしと判断して声をかけたのだ。

 すると女神はおずおずと木の陰から現れて、威厳を保つように佇まいを直すと彼に問いかけた。

 

「何をしていらっしゃるのですか」

「ご覧の通り、剣術の鍛錬を」

「……何故鍛錬などするのかと聞いています」

「某は郎党。一度主命が降れば戦にて敵を討つ故、備える必要があるのです」

「やはり、この近くの者でしたか」

 

 ──郎党。

 の、割にはかなりみずぼらしい。

 当然ながら女神と並ぶと雲泥の差だが、これでは普通に郎党の中でも下っ端の類だろう。

 だからこそであろうか、侍は物凄く怪訝な顔をしながら女神に尋ねた。

 

「しかし……やんごとなき姫君とお見受けしましたが、女人一人で山中とは危険でありましょう。某でよろしければ、お帰りになられる道中、ご同行いたしますが──」

 

 が、女神はさっきまでの恋愛弱者的な態度とは一変してきっぱりと。

 

「結構」

「……ええと」

「結構だと言いました」

 

 まぁ当然のことだ。何せ彼女は神。神とは人智で測れぬからこその神であり、そもそもこの山は彼女の庭。危険など荒神でも現れぬ限り存在する由も無い。

 ただそれを言うにはあまりにも突拍子が無いので、このような態度になったのだろう。この辺りに神の人の差を感じるレナと将臣であった。

 

「それにそなたがいるではありませんか。日がな一日、剣を振るう剛の者。危険が迫ったとて、問題無いでしょう」

「某は未熟者ですぞ? 姫君、本当に帰らぬのですか」

「ええ。帰りません」

「見たところで何も無いですぞ」

「それでもいいのです」

「……わかりました。ならば何も言うますまい」

 

 侍としてはこの気が散る奇妙な相手を、さっさと帰らせて素振りに集中したかったのだが、生憎と女神はそういう彼の姿が見たいので……それっきり二人は話すことなく、奇妙な状況のまま、時間が流れていく。

 

「……そういえば、某が鍛錬を終えるのは夕刻手前なのですが……」

「問題ありませんよ。私は」

「姫君、少々危ういのでは……?」

「わかっています。夕刻であろうとも平気です」

「姫君」

「それよりそなた、鍛錬は?」

「あっ、いえ、はい……?」

 

 なんだろうか、このデコボコ感。

 見てて微笑ましくて、けれど何処かもどかしい。

 二人はこうして初めて言葉を交わした──

 

「なんていうか、あったかい雰囲気にやっとなってくれたなぁ」

「そうでありますね。けど……」

 

 あの犬神が「恋を知りたい、そこから得られるものを知りたい」という理由。

 ……そして女神は現代には存在しないこと。

 

 恋に纏わる何かで、恐らく……女神は。

 

 引き戻される意識の中で、二人はこの恋がせめて穏便に終わっていればいいと、次に待ち受ける恐怖を忘れるように、既に終わったことだというに、祈っていた。

 

 

 

 ……目が覚めた。

 深呼吸を一つ。

 瞼を閉じた瞬間、思い描かれたのは茉子の白く細い──首。

 情動にも等しい殺意/愛情が湧き上がるのを感じるが、愛するのだとねじ伏せる。

 

「……いかんな」

 

 困った。

 蓋が蓋として、そこまで機能してくれていない。無いと困るのだが、これでは有って無いようなものだ。湧き上がるのは気持ちだけで、それをねじ伏せるのは容易くまた実行に移さない程度なのが救いか。

 

「……今日はオレか」

 

 少し方向性を変えておこう。

 オレのやり方を徹底して叩き込めば、オレを打ち破るのはそう難しくない筈だ。更に言えば相性そのものも最悪。受けに回れば潰されるのが目に見えている。

『オレならこうする』『だからこうすればオレを倒せる』──その思考を鍛えねば。たぶん、魔人はオレと京香で当たることになるからな……当てたもの勝ちの将臣を消耗させる訳にはいかん。

 むしろオレが消耗していれば万々歳だ。魔人を葬った後には恐らく、暴走するだろうし、その点を考えればこれがベストだろう。

 

「……行くか」

 

 なればこそ手を抜けん、ということか。

 アイツを、全力で鍛えてみせるさ。

 ──オレを、倒せる程に。

 

 

 

「よう、将臣」

「おう、馨」

 

 ムラサメ様を連れて現れる将臣。

 夢見は……良さそうで何よりだ。寝不足といった様子も無い。

 ──まぁ、オレの方はわかりやすかったんだろう。ムラサメ様は怪訝な顔を少しだけ見せて、だがそれも一瞬で消えた。

 

「馨、話せよ」

 

 ……訂正。

 この場で聞くことをやめただけだった。まぁ別に、喋らない理由が無いし、むしろ喋らなくてはならないことだし、必ず話すつもりだったが過去の自分の言動故にこんなセリフを言われるのだろう。

 

「わかってるさ、ムラサメ様」

「……? なんのこと? ムラサメちゃん」

「後でわかる。気にするなご主人」

 

 腑に落ちなさそうな将臣だが、仕方ない。話せば恐らくこの鍛錬の時間が丸々なくなっちまうからな。竹刀を投げ渡しつつ、オレは自分の竹刀を──構える。

 

「構えろ将臣。小技は後で教える。昨日まででどれだけ変わったか見せてみろ」

「急だな」

 

 そんなオレに対して不思議そうにしながらも構え──全身から闘気を漲らせる。その闘気の中に『こいつものすごく面倒くさい奴だから何が何でも聞くぞ』というようなものを感じる。

 ……そんなにオレ信用無いかねぇ? 信用ねぇわ。それも将臣とムラサメ様からここまで思われるくらいなら、茉子と芳乃ちゃんは──あぁ、考えたくないなァ。二人には悪いことをし続けたし……

 

「……馨? いつやるんだ?」

「へ? あぁ、うん。じゃあムラサメ様。審判を」

「よかろう。では──始めっ」

 

 凛とした声と共に、オレたちは駆ける。

 ──いや、オレが早かったが、これは将臣が遅かったんじゃない。"遅らせた"んだ。受けに回るということは、シンプルに一手遅い。だがその遅さを逆手に取って、殴り合いに有利に立つ。とてもわかりやすい戦法だ。

 

 ……オレは受けが下手だからなァ。先手を取ってから戦術を組み立てる。

 茉子に攻められてても途中で妙に負けん気が湧き上がってこう……じゃねぇ!!

 

 さぁ、どうする将臣──!!

 

 ……そして。

 朝の打ち合いは。

 大体オレが悪い方向な結末を迎えた。

 

 

「ねぇ馨くん」

「何か」

「なんであんなに有地さんとムラサメ様は微妙そうな顔してるの?」

「……それは、ええっと……」

「やりすぎたとか」

「うん」

「そっかぁ」

 

 通学路。

 主にオレの所為で微妙な顔をしている将臣とムラサメ様を見て、茉子がなんだか呆れてんだかよくわからない顔をする。

 ──ニコニコと、芳乃ちゃんが振り向いてやけに明るい声でオレに尋ねる。

 

「馨さん、私の彼氏に何したの?」

 

 怖い。

 

「何もしてないよ!? ただちょっと……素手で竹刀を破壊して驚かせただけで」

「馨さん」

「はい」

「鍛錬なのに何故竹刀を破壊するって言葉聞こえるのかしら」

「……ごめんなさい」

 

 折られた。

 こういうところ、子供の頃変わってないよなあ。ホント、姉貴みたいに中々頭の上がらない人だよ。というわけで茉子に慰めて欲しくて視線を向けたのだが──生憎と更に微妙な顔をされた。

 

「茉子、オレに優しくしてくれ」

「いや全面的に馨くんが悪いから」

「茉子……」

「そんな捨てられた子犬みたいな声と目と表情されても困るよ」

 

 本気で困ったと言わんばかりにスタスタと先に歩いて行ってしまう茉子を、あぁ待ってくれと追いかけつつ、その通りすがりに幼刀主従へ向けて。

 

「マジごめん」

「いつか仕返ししてやっからな」

「許して」

「吾輩はどうでもいいのじゃが、ご主人」

「許さん」

 

 どうやらご立腹のようで。

 いやまぁ、確かに無手にされたからって竹刀をへし折って刀身もぎ取ったオレもオレだが、いいじゃん別に……

 うむむと唸るオレ。知らんと拗ねる将臣。知ったことかと先に向かうムラサメ様。実にオレららしくない光景だ。

 

「将臣さん、置いていきますよ」

「先行ってるよ馨くん」

 

 途端無言で走り出すオレたち。

 彼女に置いていかれるのは、少し嫌だ。将臣がどうなのかは知らんが、とにかく嫌なのは確かなようだな。じゃなきゃあオレより早く行く理由も無い。

 

 

 それから何事も無く過ごして、昼。

 オレと茉子はいつものように二人きり。学院の裏山で腰掛けながら、飯を食べていた。

 だが──

 

「茉子」

「なに?」

「いや……その、アレだ。スカートの中、見えそう」

「下着なんていくらでも見たよね。なんで今更恥ずかしがってるのかな」

「学院、だし」

「ふーん」

 

 なんでも無いようにふーんとだけ。あとは知らんと箸を進める。

 コ、コイツ……!!

 オレを誘ってるのか、あるいは本当に気にしてないだけなのか。いや恐らく茉子のことだ、気にしてないのだろう。だってコイツ家の中じゃだらしないタイプだし。まっさか、オレの家とは言えどもパンツ一丁で過ごされるとは思わなんだ……

 無防備すぎる。心配だぞオレ。

 

「……あ、先食い終わっちまった」

「中々馨くんと同じ速度で食べれないね」

「オレが早すぎるだけだよ。いいじゃないか、ゆっくり食べたって」

「ただお弁当食べてるワタシを見ても面白くないでしょ?」

「? オレは茉子を見てるだけで楽しいけど……」

「ワタシが気にしちゃうかな」

「わかった」

 

 困ったように言われては、目を逸らすというもの。オレは茉子が食べ終わるまで周りの景色を眺める。

 ……しかし、実際落ち着くな。木々の揺れる音、川のせせらぎの音、鳥の飛ぶ音、虫の鳴き声……なんというか、いい具合に心地良い騒々しさがあって好きだ。

 

 いいな、本当に。

 

 まぁでも、結局オレは茉子との二人きりの時間が欲しくてたまらないのであろうが。そんなわかりやすい自分を自嘲しつつ、チラリと茉子を覗き見る。

 ……別段何か変、というわけでもない。普段と何ら変わりない茉子の姿だ。

 視線を戻し、空を見上げる。

 いつかの空のように、青い空。

 人の悩みも何もかも、知らぬとばかりに澄んだ青空。

 

「何見てるの?」

「空」

「……とっても青くて綺麗だね」

「そうだな。綺麗だ」

 

 ここでオマエの方が綺麗だよなんて気取ったことを言うのは三流だ。人の話を聞いていないのか……自己満足だとか、そういうことだと取られても不思議じゃない。

 

「食べ終わったのか?」

 

 声をかけてきた茉子だったが、オレは特に何も知らないのでとりあえず聞いておく。

 

「うん。だから……こうしちゃう」

 

 そうして返事と同じくらいに、彼女がオレの膝……というか腿に頭を乗せてきた。えらく幸せそうな顔している。男の膝枕なんて、面白くもなんともないと思うのだが。

 茉子の髪を崩さないように気を付けながら、ゆっくりと撫でる。サラサラとしていて、いつまでも触っていたい気分だ。

 

「茉子、オレの膝でいいのか?」

「全く良くないね」

「おい」

「冗談だよ。あは」

「……オマエの冗談は判断に困るよ。んで、どうなんだ実際」

「んー、有り難みがよくわからないかな……」

 

 頭撫でられるだけなら、そう変わらないし……と複雑そうなことを言いながら、けれども言葉とは裏腹に割とだらしない顔でスリスリと顔を寄せる。しかしながら技術の無駄遣いを感じる身体の倒し方だ。

 ……おかげで色々大変である。

 

「なぁ、楽しいのかそれ」

「全然」

「だろうな。……ほら」

 

 いい具合に寄りかかれそうな木が後ろにあったので、少し背を預けつつ軽く腕を広げる。それを見るや否や、茉子は身体を起こし、姿勢を変えてオレの胸に顔を沈めてきた。

 ……暖かい。茉子の温もりだ。

 

「馨くん」

「どうした?」

「呼んだだけ。あは」

「そーかい」

 

 視線を落として、目が合う。

 吸い込まれるような瞳に見惚れていたら、茉子が微笑む。そんな様子がとても愛おしくて、ぎゅっと抱き締める。

 

「……ふふっ、すりすりーっ。……あは」

 

 スリスリと胸板に顔を寄せて楽しげにしている茉子。何が楽しいのかわからないけれど、きっとオレが茉子の胸に触れている時のようなものなのだろうとテキトーに考えておく。

 

「えへへっ、あったかーい。馨くんの温もり、大好き」

「そうか? 自分じゃよくわからん」

「ワタシはどう? あったかい?」

「あぁ。とってもあったかい。安心する」

「そっか」

「うん。あと柔らかい」

「やらしいよ」

「やらしいさ」

 

 だがオレは失念していた。

 あくまでも奴の分体は、薄い蓋。

 本来の蓋である魔人は外れかかっている上、京香に至っては完全に外れている。

 故に増幅された魔性が、オレの魔人としての望みを叶えようと蓋を通り抜けてくる可能性もある、と。

 何せ自死を選ぶほどにどうしようもなかったものが、そのままオレと繋がっている。当たり前なのにすっかり失念していたとは何と情けない。

 だが、魔人対策も考えれば虚絶との接続を断ち切るのは……危険だ。

 

「? 馨くん?」

「……っ」

 

 意志に反して手が伸びる。

 肩を押して、少し離して、彼女の、茉子の首元に。

 そのキョトンとした顔が、すっぽりと腕の中に収まる身体が、彼女という存在そのものが──たまらなく愛し(殺し)たくて仕方ない……!

 

 マズい、マズい、マズい、マズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズいマズい──!

 

 いいや何がマズいのか。

 マズい理由などないじゃないか。

 彼女はオレを愛している。

 オレも彼女を愛している。

 ならばやることはたった一つだろう。

 愛されるより愛したい。

 さぁ、早く、彼女を、愛さ(殺さ)なければ──

 

 その先はダメだ。

 してはいけないなるものか。するなどという選択肢は無い。

 彼女を人として愛するのだと決めた、その決意を以って強引にこの愛情(殺意)を捩じ伏せる。

 そうして、ピタリと首元まで伸びた手が止まる。だが止まって……そこで終わった。

 

 意志一つで捩じ伏せるのは容易いことだが、しかし綱渡りなのも変わらない。一体いつ襲いかかってしまうのかという根本への対処法がない。

 どうすれば──!?

 

 ──その行為を他のに置換するんだ──

 

 その時、兄弟の声が聞こえる。

 置換、置換……この感情は愛情なのだから、逆を言えば──そうか。

 

「ごめん、茉子──」

「急にどう……んっ……!?」

 

 有無を言わせず抱き寄せて、唇を重ねる。あまりにも急なことで、いつもなら茉子だって応戦してきたり身を寄せてきたり……とにかく恋人としてのアレコレな感じなのに、今回に限ってはひどく驚いた顔で、オレにされるがまま。別に舌を突っ込むわけでもないけど。

 ……まぁ当然だ。

 普段は控えめだし、オレ。

 行為の時くらいしかがっつかないと思っていた茉子が驚くのは当たり前だ。

 

 ──愛情に由来する殺意なれば、愛情に由来するものに置換すれば一時的に解消される。愛情に由来する独占欲とか、性欲とか。とにかく何でもいいから愛するが故に何かをすれば良い。

 ……なんてことはない、普通に愛することこそが魔性を消し去る唯一の方法、という訳か。

 

 ゆっくりと唇を離し、ジッと茉子の瞳を見つめる。……落ち着く。魔人としてのオレは鳴りを潜め、人としてのオレが戻ってくる。

 ……参ったな。魔人を葬るためとはいえ、オレが茉子を殺める危険性があるなんて。こればっかりはさっさと言わなければならない。

 

「……びっくりしちゃった。どうしたの? 急に。今日はすごく情熱的だね」

 

 頬を朱に染めて、瞳は少し潤んで、驚きながら、けれども満更でもなさそうな微笑みを浮かべて、ちょっとだけ身動ぎして、優しく問う茉子。

 いやホント、度し難い魔性を持って生まれ出てきてしまったものだ。家族愛、友愛、異性愛──ありとあらゆる愛情が殺しによってしか表現できないし、表現してしまうなど。神話の登場人物か何かかオレは。

 

「あー……悪い、我慢できなくなった」

「珍しいね」

「オレだって男だぞ?」

「……なんだか、雰囲気変わった?」

「変わったというか……」

 

 少し、言い淀む。

 けれども、いつかは言わなきゃいけないこと。それに──茉子を、愛しているから。

 

「……オレ、さ」

 

 ……ゆっくりと、意識を整えるように言葉を紡ぐ。

 

「実はその……人とは愛するってことが微妙に違って……」

 

 そうして紡がれた言葉は、あまりにも抽象的すぎて茉子もさっぱりわかっていない。

 だから勇気を込めて──

 

「ええっと、その……愛しているからこそ殺したいっていうか、殺し愛というか……とにかく、オレの魔人たる由縁はそれなんだ」

 

 オレのハラワタの中に潜む、最も悍ましい感情を、告白した。

 不思議なものだ、一度語ればスラスラと言葉が出てくる。それこそ罪の自白のように。

 

「悪いことだと分かっている。してはいけないと知っている。けれどそうするのが普通で、そうしなければ生きていけないからやってしまう。でもそれは人の生き方じゃないし、生きるのならばそれを貫き通してしまうから、死を選んだ」

 

 キミと同じで人として生きて人として死にたかった。

 キミと同じ世界に生きて死にたかった。

 ──けど、できないからオレは……

 

「……まぁ、まさか虚絶によって生存の邪魔だからって大半を持ってかれてたなんてのは、気付なかったけどサ。だから虚絶と接続している限り、完璧な形でこの魔性は存在する。自分で止められるけど、茉子を(殺そ)そうとする衝動そのものは消えない」

 

 結局オレは死ねなかった。

 虚絶によって生かされた。

 そして、宿痾は遠くへ。しかしオレを蝕み、様々なものを捻じ曲げて補完し、核心を隠しつつ、確かにそうである理由をオレは与えられた。

 それが巡り巡って……こんな風になろうとは。止められるけど消えないまま。オレは彼女を、愛そう(殺そ)としてしまう。

 

「つまり、馨くんはワタシを殺したいの?」

 

 なんでもないように、確かめるように、茉子は真剣な声色で問う。

 だがその答えは決まっている。悩むより先に、言葉が出てきた。

 

「バカ言うな。オレはオマエを愛している。だからこそ愛し(殺し)たいとほんの少しだけ思ってるだけで、けれどそうしたらオレは人として生きられないし、オマエを人として永く愛するって決めたし、人として死ぬんだって決めてるから、茉子を殺すなんて有り得ない。絶対にしない。する筈がない」

 

 ……とは言ったものの、先ほど手を出しかけた。

 

「……信用、できない……よな」

 

 そんな男を、どうやって信用も信頼もできるというのか。

 

「怖いなら逃げてくれ。オマエの選択だ、オレは納得する」

 

 ゆっくりと彼女を押し、身体を離しながら、逃げたって構わないと、彼女とずっと一緒にいたい本心を押し殺して言う。

 一秒か、十秒か、一分か、十分か──わからないくらいに長くて短い時間が過ぎ去って、それこそオレは今にも首を斬られる罪人のように、彼女の言葉を待つ。

 そうして。

 

「答えなんて決まってるよ」

 

 なんだか予想と違ったことが聴こえて。

 

「それが、どうしたの?」

 

 ──は?

 

「……えっ?」

 

 いやそれがどうしたって……

 さも当然のように、というかむしろなんでそんなことで悩んでいるんだオマエはみたいな雰囲気でさっぱり斬られてしまった。

 その証拠に茉子は一切離れることもなく、普段通りの雰囲気で、ジッとオレを見つめている。

 

「だって馨くん、これって前にあったことじゃん」

「いやでもそれは──」

 

 それはオマエを殺すための存在だからというだけであって、いや確かに殺せてしまうからと遠ざけていたけれど。理由が違う。こっちはウン十倍も気持ち悪い。

 パラノイアすぎる。

 

「愛しているから殺したくて、でも愛しているから殺したくない……ワタシにはさっぱりわかんないけど、状況そのものは告白する前となんにも変わってないよ。だから気にしないで。悩まないで」

「茉子……あのな」

「だって、愛は狂気なんだもん。愛する者に正気なんてない。ワタシもアナタも、お互いがお互いに狂ってるから」

「けど……オレは……」

 

 そう言われてもと、言葉を詰まらせてしまう。

 だから──

 

「……あは」

 

 そんな小さな呟きは聞こえなかったし、彼女が首に手を回してきて、距離をゼロにするなんて、想像もしていなかった。

 

「──」

 

 予期せぬいきなりの行動に、オレは唖然とする。

 そして数秒だけ重なっていた唇を離して、茉子は微笑んでいた。

 

「……オマエ、何してんだよ」

「少なくとも公衆の面前ですることじゃないこと」

「そうだけど意味は」

「したいからした、それだけだよ。馨くんのそれと同じ。止めようと思えば止められること」

「だからって──」

 

 確かに問題としては同じだがレベルが違う。そういう域ではない。キスしたいという衝動と愛し(殺し)たいという衝動では話が違いすぎる。

 だから言い淀んでいると、茉子は拗ねたような顔をして、オレに向かってこんなことを言った。

 

「……というかワタシの目が曇ってるって言いたいの?」

 

 ……全然そんなつもりなかったけど。

 更に言い淀む。茉子は続ける。

 

「ねぇ、目を見てよ」

 

 言われた通りに合わせてみるけど、罪悪感がすごい。

 

「馨くん。好きだから、愛しているから殺したいんだよね」

「そうだけど、気味悪く思わないのか」

「思わないよ。そんなもので離れるくらいなら、あの日ワタシはアナタに、あんなダメな告白してない」

 

 あれは、堕天のお誘いだ。

 想いを伝えるには自分は呪いを振り撒きすぎている。だからせめて、お互いの気持ちに気付いてるから、時折だけ、愛し合おう──一歩前に踏み出せなかった茉子なりの告白。

 

 ……だがあの時受け入れたのは処刑人のオレで、このオレの魔性については話が違う。

 

「けどな茉子、オレは──」

「ワタシの知ってる馨くんは、手を出せないヘタレだけど、約束はちゃんと守ってくれる人。だからもう気にしてない」

「言い方がひでぇな」

「でもこれくらい言わないと、馨くん信じてくれないでしょ」

「……」

 

 ぐうの音も出ない。

 

「止められるんだよね」

「ああ」

「なら、心配なんてしてないから。信じているから」

「それでいいのか?」

「それでいいんだよ。でもワタシを信じてくれなかったのは、ちょっとショックだったなあ」

 

 悪戯っ子のようなニンマリとした笑み。

 はてさてどうしたものか……どうやったら許してもらえるものか。

 

「何をどうしたら許してくれるんだ」

「ワタシ、元気が欲しいな。愛情(殺意)だけじゃなくて、もっと別のもので……ね?」

 

 より身体を寄せながら、蠱惑的な言葉が紡がれる。

 甘い吐息混じりの、耳元で囁かれるその言葉。

 さて、オレだって男だ。そんなことをされてしまったら当然。

 

「論理的に意味がわからん」

 

 茉子はオレが彼女を信用、信頼していなかったことにショックを受けた。そしてオレはどうやったら茉子に許してもらえるかを聞いた。

 なのにどうして元気が出てくるのか。まっっったくわからない……

 

「アナタがそれを言う?」

「なんで元気が欲しいなんだよ。そっちだよ。オレの思考が論理的に意味がわからん代物なのは分かりきってる」

 

 とりあえず素直に言っておく。

 そうしたらよりぎゅっと抱き着かれたので、応えるように抱き締める。

 

「……変なところで馨くんって真面目だよね」

「そっちで拗ねるなってば。というかいきなりキスしてごめんな。あぁでもしないといつ爆発するかわからなくて」

「ふーん……?」

 

 背中に回されていた手が、頬に添えられる。からかう時の声色のまま、茉子は都合が良いと言わんばかりに──

 

「じゃあ、何の問題も無いね」

「いや問題だらけだろ主にオレ」

「全然無いよ。だって馨くん、そういうことで爆弾にならずに済むんだから」

「……そうだけどさぁ」

「ね、もっと顔を見せて。ワタシ、馨くんの目が見たい」

「どーぞ」

 

 直後もう一度、唇を重ねられる。

 甘い味だ──溶け落ちる程に甘美な、愛の味。

 茉子のいい匂いがグズグズと理性を崩していく。

 ……つか、顔を見せろと言っておいて目を閉じてるのはツッコミ待ちなのだろうか。なんか舌突っ込んできてるし、オレが無防備に受け入れてばっかだし。

 

「ん……は、む……ん」

 

 あのさぁ、茉子。

 おかしいなあ、シリアスな流れだった筈なのになんで普段イチャついている時みたいになってるんだろう。

 ……まぁ、それがオレも彼女も望んでいること。したいこと。欲しいこと。魔性なんか忘れて、溶け落ちるまで愛し合いたい……それが結局答えだった。

 

 考えてみればそうか。

 茉子がこの程度でオレから離れるのなら、彼女が犬になった時点でもう離れている。

 ……みんなオレと違うのに、ついついオレの思考をベースに考えてしまうのは悪い癖だ。

 

「ん……ぁ、馨くん……」

 

 ゆっくりと離れる、ちょっと蕩けて薄赤くなった茉子。

 ──流石にもう無理だ。ここまでされたら応えざるを得ない。火が入った。据え膳食わぬは男の恥……というよりも、オレがただ単に茉子の蕩々になった顔が見たい。

 

「ん……っ」

 

 三度目はどちらからともなく、言葉もいらない。

 貪り喰らうように唇を重ねて、舌と舌を絡めて、自分色に染め尽くしてしまいたい、相手色に染め上げられてしまいたいと唾液を交換しては飲み干して──

 

 もっと、もっとと言葉無く互いを貪る。淫らな水音が響いて、喉の鳴る音がする度に掻き立てられるものが、意識を塗り潰していく。

 この先にある、汗に濡れた身体で蕩けた"女"の顔をした茉子が見たいと……そのまま喰らい尽くしたいと……そう思って、呼吸の為にキスを止めた時押し倒そうとして。

 

 キンコンカンコンと、聴き慣れすぎた音が耳に入った。

 

「今のは……チャイム? ってことは、昼休み終わった?」

「あ……あ、あは〜……お、終わっちゃったね……」

 

 急いで身を離して、顔をお互いに真っ赤にしながらなんとも言えない感覚に蝕まれる。

 身体はその気なのだが、心は完全に平時のそれに戻ってしまった。心と身体が矛盾している所為で、この狂熱の行き場がすっかりなくなっている。しかもここから授業続きで、更にオレは将臣との鍛錬があって京香からの報告で……ひどいおあずけである。

 

「なんか不完全燃焼だな」

「そうだね。授業、また遅刻になっちゃった」

 

 女の顔と少女の顔──色々とそういう意味では扇情的な顔をしながらも、モジモジと身じろぎしながら、困ったような表情の茉子に、オレも苦笑しながらポリポリと頭を掻く。

 

「ま、しょうがねえさ。オレたち、バカだもん」

「もっといい言い方無いの?」

「無い」

 

 遅刻になってしまったし、冷静に考えると制服でヤってしまえば物凄くその……後の授業もそうだが制服のスペア的な意味で大変だ。愚かな男としてはそうした背徳感も楽しみたいところではあるが、まぁここは大人しくお預けを食らっておこう。

 ──そんなわけで、お互いに渋々と、食後のデザートを食べるをやめて弁当箱を回収して校舎に向けて歩き出す。

 

 しかし……あのままチャイム聞こえてなかったら多分……ヤっちゃったんだろうなぁ。幸か不幸か言い訳はあったことだし……学院の裏山で、授業サボって青姦とか業が深過ぎるだろおい。

 

「夜、いい?」

 

 途中、顔も合わさず彼女は言った。

 

「あぁ。行けばいいか?」

 

 ──断る理由など無い。

 

「うん。迎えに来て」

「わかった」

 

 これから張り切れそうだ。

 なおこの次は比奈ねーちゃんの授業だったので、オレだけこっ酷く叱られた。邪推できるようなことをするなとか何とか……大きなお世話と言えないのも事実なので素直に受け止めた。

 

「──馨? 聞いてる?」

「中条センセ、学院っスよ」

「あらやだ……とにかく、二人とも気を付けてください」

「申し訳ございません」

「へーい」

「稲上君っ」

「わかってるよ比奈ねーちゃん、それよりほらさ、授業」

「稲上君、学院ですよ」

「おおっと……とにかく、すみません。以後気を付けます」

 

 ちなみに比奈ねーちゃんは足を引っ掛けて転んで短時間気絶したという体で駒川が誤魔化してくれた。

 ……いやぁ、確かにオレもやったけどさァ……転んでちょっと気絶。

 無理ねぇか? 駒川ァ。

 

「……くくっ」

「……あはっ」

 

 チラリと目が合って、茉子と笑い合って──

 

「二人とも?」

 

 また、怒られた。


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