千恋*万花~福音輪廻~   作:図書室でオナろう

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今回は分割した結果、前半であるこの回において馨視点が極端に少なくなってしまいました……


混線

 いつものように見る、過去の夢。

 ただ今日は、二人の纏う雰囲気が違っていた。黙々と刀を振るうことも、それを延々と眺める光景も無かった。

 

 はて、と首を傾げながら様子を伺うと、女神が口を開いた。

 

「賊の征伐、ですか」

「えぇ。某も行かねばなりませぬ」

 

 時代的にはよくあることだ。

 取り立てて騒ぐ事でもない。だというのにまるで今生の別れかのような、そんなものを感じずにはいられなかった。

 

「賊は手練れらしく、無事ではすまぬと考えております。生きて帰れるかも怪しいかと」

「……っ」

 

 当然彼女は知っている。

 彼が征伐せねばならない賊は戦いに強いのではなく、戦が上手い。正直な話、侍の所属する郎党の征伐隊ではかなり危ういであろう。死が大口を開けて迫っているのと変わらない。

 それに侍とは言えども言わば雇われのようなものだ。逃亡し野盗に落ちて生き延びることも珍しくない。

 

 ──彼の落ちぶれた姿なんて見たくない。

 ──彼に死んで欲しくない。

 ──どうせなら、いっそ……

 

 危険な考えが脳裏をよぎる。

 神の力を持ってすれば、"その程度"は容易い……が。

 

 ──神は人に関わってはならない。

 

 わかっている。それが彼女を戒める。だがそれならば何故、このように会話を楽しみ鍛錬を眺めて悦に浸り、あまつさえたった一人の人間を一柱の神が"心配"しているのか……この感情を、何だと言うのか。

 何故、何故、何故──

 

「……いつ、出向くのです?」

「明後日には」

 

 感情を押し殺して尋ねても、帰ってくるのは硬い決意のそれ。一体頭領にどんな恩義があるのかは知らないが、侍は命の使い所であると考えているようだ。

 

「雲行きが怪しくなってきたですね」

「うん。こりゃ死に所って考えてるのと生きて欲しいって考えてるのでまーたなんか面倒そう……」

 

 それを眺める将臣とレナだが、このチグハグな食い違いはよく知っている。どっかの二人がやってた食い違いだ。

 

 女神はただ無言を貫き、侍もまた無言を貫く。しばらく無言で見つめ合った後、女神が小さく、呟いた。

 

「……明日も、来てくれますか」

「望むのならば、暇を見つけて」

「ならば必ず来てください」

「は……」

 

 そうして別れた二人だが、女神は犬神と山中で佇んでいた。

 

「ねぇ、コマ。あの人はきっと……」

「姉君、それほど心配であるならば手元に置けば良いでしょう」

「ダメなの、それじゃあ。手元に置いて愛でたいんじゃないの。でも、死んで欲しくないの」

「姉君……」

 

 なんでなのかしらね……と寂しげに呟く女神の姿は、誰がどう見ても恋する乙女だ。犬神はその真意を察したのか、黙ってしまった。

 そうして沈黙が支配した後に、彼女が呟いた。

 

「……我が身より剣を削り出せば、守り刀として誤魔化せるわね」

 

 肉体が玉石で出来ている女神にこそ許される荒技であり──同時に、神が身を削るなどというのは中々に珍しいこと。故にさしもの犬神とて動揺を隠さずに尋ねた。

 

「自身を削ると言うのですか」

「他に方法があるとでも?」

「止めませぬ、が……」

 

 それはあなたの主義に反しているのではないか。我々が関わり過ぎてしまっているのではないか。様々な言葉が反復しては消えて行く。やがて続ける気を失い、犬神はただ何でもありませぬと続けて、女神の行為を止めなかった。

 

「すごい……」

 

 レナがそう呟くのも無理は無い。人の身体であるというのに、本当に玉石で出来ていたのだから。凄まじい光景だ。身を削るというのは痛みを伴うだろうに、呻き一つ出すことなく削り出して刀を作り上げる。

 

 そうして生まれた刀は──

 

「なんだか、ムラサメちゃんの刀そっくりですねぇ」

「確かに。でもあれは大太刀の類……あぁ、色々刀には種類があって、叢雨丸は短めの打刀に区分されるから違うと思うけど」

 

 叢雨丸を大太刀に変えたような、そんな刀。

 馨の振るう虚絶/転生のような異形刀ではなく、正真正銘の大太刀。見る者を圧倒する美しさを備えたそれは、紛れも無い神刀であった。叢雨丸と比較しても劣ることは無く同等かそれ以上の格であろう。

 

 そうして夜が明けて──一人と一柱はまた再び、山中に現れた。

 

「……姫君、その剣は」

 

 当然ながら影も形もなかった刀なぞ持って現れた女神に驚く侍。だが女神は忽然とした態度でその刀を差し出した。

 

「我が家に伝わる守り刀です。あなたに、持っていていただきたく」

「っ!? 何故そのような大切なものを某なぞに!」

 

 そりゃそうなるだろうという当然の反応。こればかりは見ている二人もウンウンと頷く。よくわからない姫君が下っ端の自分の鍛錬を見に来た挙句に、賊の征伐に向かう前日に家に伝わる守り刀まで渡してくる。いやいくら世間知らずと言っても無理があるというもの。

 

 が、女神はムッとした雰囲気で言葉を続けた。

 

「かっ、勘違いしないでくださいっ。別にあなたに差し上げるというわけではありません! 単に私の暇を潰す存在がいなくなっては困るから、死なれるよりマシだと思って貸して差し上げるのです!」

「は、はぁ……」

「ツンデレ?」

「ツンデレ」

 

 超が付くほどわかりやすい、テンプレを極めたようなツンデレ。感心するほどにツンデレ。

 一方、鈍感な侍といえばやはり何処か納得の行かなさそうな顔したものの──ふっ、と笑ってその刀を受け取った。

 

「ならば必ずや生きて戻り、この刀をお返しいたしましょう。そう言われてしまうと、断れませぬ故」

 

 そうして少し刀を振るい、その見事なまでの業物ぶりに感服した後、静かに尋ねた。

 

「この刀の名は?」

「名などありませんから、好きに名付けてください」

「ふむ……ならば、この刀は"叢雨"と。そう呼びましょう」

(ムラサメだって!?)

 

 さらりと命名されたそれが、今自分の手元にある神刀である……というのは、物凄くなんとも言えない。その中で将臣は、いつぞや馨が自分に言ったことを思い出す。

 

 ──選り好みをしてるんだとさ──

 

 全文は違ったが、おおよそそんな意味だった気がする。つまり自分が叢雨丸に選ばれたのは、この侍と似ている部分があって……そして叢雨丸とは、元々はたった一人を守るためだけの、ある種純粋なまでに研ぎ澄まされた愛情(狂気)の刃であるということ。

 

 ……ただそれでも、将臣はこの叢雨丸を尊いものだと思った。誰かを愛することを、罪だとは思えなかったから。

 

「──マサオミ」

 

 同じことを察したのか、レナが静かに声をかける。

 

「あぁ。打ち直しされたのか……じゃあ、あれが叢雨丸の最初の姿で……この女神様は多分、建実神社が祀ってる神様だ」

「なるほど。何やら複雑な経緯というわけでありますね。女神様から生まれたものが、このおサムライさんに渡って、何処かで祀られて、ヨシノのおうちの一件で渡ったという形でしょうか」

「多分ね。まぁ……その辺りは聞いたり見たりすればいいんじゃないかな」

 

 絶妙に不透明さが残るものの、ある程度の全容が明らかになってきた。ただ何処かに違和感があり、どうしても素直には受け止められない二人。

 しかし侍と女神の会話はまだ続く。

 

「……貴女の、名は?」

 

 ──高貴な女性に名を尋ねること。

 それは途轍もない"無礼"である。夫以外には本名を名乗らないのが当然故に。

 それを知らぬ侍ではない。だが無礼を承知でそうしたのだ。衝動に逆らうことなく。

 

「──叢雲」

 

 そして、それをわからぬ女神ではない。

 ──だがそれでもと、彼女は己の名を……神の名たる叢雲を告げたのだ。それがどれほど己が定めた戒めに反することかを知りながら、その名を告げる。

 

「とても、良き名でありますな」

「ありがとう。それで、貴方は?」

「某は……■■■■と申します」

 

 ──破壊的なノイズ。

 雑音すら壊れた何か。主観となっているのは犬神の見たものと憑代が記憶しているものなので、触れられたくないものだけは、どうしてもそうなってしまう……と、二人の頭の中にそんな知恵が流れ込んだ。

 

「……良い名ですね」

 

 二人はそれきり話さず、ただ無言で別れた。

 

 

 

 ──そして侍は生き延びた。

 生き延びて、首級を取った。

 

「……姉君より生まれし剣があるのであれば、その程度は当然か」

 

 その様子を見ていた犬神は、さもありなんと言わんばかりに呟く。面白く無さそうな雰囲気の中で、しかし、一筋の迷いのあるその様子。

 

「コマ、あの人は!?」

 

 一方の叢雲は女神としての威厳など捨て去った、"女"としての面を剥き出しにしている。分かりきったことを何故そこまで気にするのか……その辺りだけはイマイチわからないものの、姉の想い人の現状について教えねばと、彼は語った。

 

「無事ですよ、その上大将首を取る大手柄だとか」

「首なんてどうでもいいの! ……よかった、無事で……」

「──姉君……」

 

 この時から薄々と犬神は勘付いていた。

 首を取る、手柄を立てるということは、つまり──姉たる叢雲とあの侍が、無意識の内に心惹かれ合っていたとしても──侍には縁談の一つや二つがいつかは流れるであろうということを。

 

 そして彼はそれを叢雲に言いに行くだろう。更に言えば叢雲はきっと、それを知れば身を引くだろうし、あの侍もまたその意を汲んでしまうだろう。

 

 ──想い合うが故に拒み、想い合うが故に去る。

 

(……私は、どうすればいいのだ……)

 

 犬神には──コマには。

 ……恋などわからぬ。したこともない。ただ姉と朽ち果てるその時まで静かに暮らしていれればそれでよかった。姉の悲しむ姿など見たくなかった。

 

 だから彼は──"黙った"。

 ちょっと考えれば、姉も分かることだろうとして。

 

 ……恋は盲目、という言葉がある。

 叢雲にしろ、侍にしろ──"それ以外考えたくない"から"そうならない筈"と思うのも、無理はなかった……

 

「叢雲さんの恋、か」

「……わたしの国でもそうですが、神様と人の恋とは大抵悲恋に終わってしまいます」

 

 異種の愛は成就しない。

 ──そして叢雲が現代どころか、過去の記録にすら存在しないこと。

 将臣もレナも……この過去の思い出は、苦い記憶になりそうだと思った──その時である。

 

 突然その世界は変わった。

 

「……ここって、前にマサオミたちと行った川でありますね」

「そう、だね」

 

 唐突に変わったその場所は、穂織の山中であるものの、先程まで見ていた太古のものに比べれば見覚えのある光景になっている。

 そして目の前には底の深い川。そう、ちょうど"子供一人が沈んだら死んでしまいそうな"──

 

(──待てよ……? 馨は確か、入水自殺って言ってたよな……)

「マサオミ? どうしたんです? そんな怖い顔して」

「あぁ、いや……えっと」

 

 不思議そうにするレナは馨の過去は知らない。だから言うか言わないかを迷って、どっち付かずの中途半端な態度を見せてしまう。何かを隠している──途端レナの様子が不機嫌な物に変わる。彼女自身でも驚くほど、黙っていられるというのは中々に気に食わないらしい。それも、自分を気遣ってというのは──

 

「マサオミ、何か知ってるんですね」

 

 なら教えてください──そう、続けようとした刹那。

 

 ……ゾブリと、川底から黒い腕が二本生えた。

 

「──ッッ!?」

「ひっ!?」

 

 心底からの恐怖。強張る身体。漏れたのは祟り神に殺意を初めて向けられた時と同じような情けない声。

 その黒は闇より深く、そして恐ろしい。あまりにも恐ろしい黒。禍々しい黒の腕が、川の淵を掴んで這い上がる。

 

 ザパァ……と音を立てて這い上がった腕の持ち主は──十代程度の少年であった。茉子の忍び装束の紺色によく似た色のジャケットを着た少年。全身はずぶ濡れて、空気を求めて咳をしている。だが背中から悍ましい黒の腕を生やしていて、それは紛れも無く魔人以外の何者でもない。

 

「──……おいおい」

 

 そして紡がれる声は幼いものの、聞き覚えのある声。

 腕が動き、少年は地面へと降り立ち──そしてその左腕に、打刀とも太刀ともつかぬ異形の刀を赤黒の光と共に呼び出して。

 

「魔性と向き合って死を選ぶか、小僧。故に転生は私を目覚めさせ、生存させた……と。ふむ……放っておいては死を選び続けるな」

 

 ゆっくりと振り向いた少年は──幼い馨だというのに、魔人……奏に取り憑かれた小春と酷似した様子を持っている。

 

(……おかしい。馨の過去と辻褄が合わない……)

 

 その様子を見て将臣は冷静に矛盾を理解する。この夢で見た光景と馨が語った過去は辻褄が合わない。

 これは恐らく奏が起こされて自殺をやめたのだろう。だが本人はみづはに救われたと言っていた。ならばこれは──

 

「ま、マサオミ……? カオル、でありますよね? あの、男の子は」

 

 そこまで考えて、恐る恐るとした声が耳に入って──見れば心底から理解できない。否、理解したくないという表情をしたレナ。

 当然だ。いくら自己否定を拗らせていたとは言っても、自殺を選ぶほどではなかったのに……と。いやそれ以前に友人が自殺を選んでいたなどと誰が知りたいだろうか。

 

「それ、は──」

「……キョーカの姉のカナエは、その……マジンなるものでしたよね。なら、カオルも……? 二人が似ているのは偶然ではなくて……」

 

 二人の思考はまとまらない。答えを出すことを拒絶している。

 だが渦中の馨らしき人物は──

 

「しかし、愛するが故に殺すとはな……小僧、お前も中々に魔人足りうるということか。そんなにもその"茉子ちゃん"なる女を殺したくないか。いやはや可愛いな、健気だよ」

 

「──ならば、生きろ。そして苦しみ続けろ。それが私の生になる」

 

 その言葉を最後に、二人の意識は強烈な程に覚醒へと誘われた──

 

 

 そして、同時刻。

 

 

「──こんな所にあったとはな。なるほど、見つからぬわけだ」

 

 黒、あるいは魔人。

 そうして呼ばれる者。星の光を喰らいて生きる、絶叫する奈落の使徒。

 

 ──その名は伊奈神奏。

 

 黒い貴族的な、だが動きやすさを考慮した和装を纏った、色白の黒髪黒目の女。馨と酷似している……否、馨が酷似しているそれは、建実神社の本殿、御神体の前にいた。

 しばらく眺めていた奏は、その詳細を察して腕を組んで頭を悩ます。

 

(……確かに器だ。私が求めているものだ。だがこれでは貧弱すぎる、動かしているだけで殺してしまうな……やれやれ、使い物にならないと知っていたら、ああも使い捨てはしなかったというに……)

 

 過去にやってしまった分体の使い捨てを悔やみつつ、奏は一体どうやって最高の愉悦を味わおうか、どうやって楽しんで、どうやって手折るべきかに思考を向けた。

 

(方法としては色々あるが……やはり明確な敵として現れた方がよかろう。憑代を人質とするなど品が無い。それに今は神と人の恋物語を追っている最中、しゃしゃり出るのもつまらんだろう)

 

 影となって外に出て、再び人の姿を取る。月光に照らされるその姿は、正しく男女どちらとも取れる魔人。他を圧倒する死を振り撒く者。──あるいは怪物。

 

「……ならばあれしかないか。京香、私とお前は姉妹だ。家族というものは困っている時に助け合うし、それに……何をするにも遠慮は要らん仲だろう」

 

 悍ましい企みを呟きながら闇に、黒霧として溶ける……見つめるのは月光のみ。

 

(……しかし困ったものだ。私は美しいものより醜いものが好きだが、それを殺さねば生きていけぬ。この身は馨に縛られている以上、他者を殺せぬが……それがこうまで口惜しいとはな。生み出すものを殺してしまっては、いずれ餓死するだけであろうに)

 

 生きる為には死を求めねばならない。

 だが死を与えれば必然的に他者を喰らえない。

 初めから滅亡するしかない、異形の血族。

 

(まぁ、生きてやるさ……まだ私はこの世にいる。なら生きるだけだ。馨──お前と同じようにな)

 

 そんなものは関係無いとばかりに斬って捨てる。

 奏は生きる。他者の苦痛という星の光を喰らい、そして殺してまでも。必ず。徹底して。そんな彼女を、今の穂織では祓えない。倒せない。勝てない。──出来るのは、殺すことだけ。

 もっともそれさえも、出来る者が限られるのであろうが……

 

(傍迷惑な愛を美化して感動でもしててくれ。私は理解したくもないし、考えたくもないが)

 

 魔人が這い上がり眼前に現れるまで、あと僅か。

 

 

 

 ──そしてセピア色の世界。

 ──古い記憶の、似姿となるもの。

 茉子は自分の意思でもって、この世界に降りてきた。ここへ来たいと強く願ってみれば存外、潜ろうと思って潜れるものだなと感想を抱きながら、意外そうな雰囲気を出している犬神と向き合った。

 

「お前から出向くとはな」

「何か、知っているんじゃないんですか?」

 

 何故。

 何故そうなったかの理由。

 彼はそれを知っている筈だと……茉子は覚悟を持って尋ねた。それがどれだけ残酷なことであったとしても、魔性を抱える彼を愛した一人の女として、それを知る必要がある……と。

 

「……何故も何も、それが……あの一族の宿命だからだ……」

 

 帰ってきたのは普段とは全く違う、歯切りの悪い、悪すぎる言葉。

 あぁそうだ、犬神は否定した。否定してしまった。戯言であると。ところが出てきた真実は戯言と切ったもので、そして魔人の正体を知った今、黄泉の鎖と杭を宿す存在──つまりイナガミが何故生まれ、この一件がどうして起きたのかを悟り……何も言えなくなった。

 

 真相にいち早く辿り着いてしまった犬神には、どれが善くてどれが悪しきかなど定義できなくなっていた。

 全てたらればの話、誰が何と言おうと起きてしまったものは起きてしまったのだ。それも……最悪な形で。

 

 誰が悪い?

 誰も悪くない。

 誰がというものでもない。

 起きてしまった事実、生まれてしまった事実、そしてそうなってしまった事実……

 

(姉君……私は、何と伝えれば良いのでしょうか……この事実を……)

 

 もはや遥か古に消え去った姉に尋ねてしまうほどに、犬神は悩んでいた。"それ"を言ってしまえば……彼女たちは己を責めるかもしれない。もう呪うことなどしたくない。守ることなどしたくない。疲れ果てた。ただ真実を知らせ、後は虚に溶けて眠りたい。後世に遺恨など残したくない……が。

 

 遺恨が自分からここにいるのであれば、どうしたら良いのか。

 

 もしあの男に"それ"を伝えたら……己の首を斬るだろうか? 憎まれて当然だが、しかし……

 

「──ままならんな……」

「え?」

「……いや……因果なものだと、思ったまでだ。お前たち一族も、奴らも、私も、姉君も……」

 

 ──罪深き宿痾。

 ──呪わしき因果。

 ──忌まわしき輪廻。

 ──悲しき福音。

 

 いくらでも言葉を尽くせば出てくる。

 誰もが被害者で、誰もが加害者であるこの虚しさ。罵詈雑言を吐かれるだけの者はいて、吐くだけの者もいる。ただそれだけ。罪の在り処は問えず、ひたすらに間が悪かった。

 纏う沈黙が今までの物とは違う……鋭敏に感じ取った茉子は、思わずこんなことを口にしていた。

 

「犬神様……大丈夫ですか?」

(神様……だと?)

 

 ──そんな風に、この血筋に言われるのはもう何百年ぶりだろうか。実に懐かしい。この懐かしさを選んだ理由はなんだったか。そうだ、それも全て誰の為でもなく──

 

(私は、私の為すべきことを為したのだったな……)

 

 為すべきと思ったことを為す。

 本当にただそれだけ。

 ならば、今の自分が為すべきことは何か……その答えは自然と出てきた。言うべきこと、伝えるべきこと、そして──清算するべきこと。

 

 クツクツと笑う彼を、心底不思議そうに見つめる茉子。そんな様子がおかしくって更に笑いそうになるが、何とか堪えて──

 

「問題無い。魔人に……伊奈神奏に気を付けろ。それだけだ」

 

 そんな風に、茉子を心配した。

 

「はいっ、わかりました」

 

 その態度に何を感じたのか、けれど確かに暖かさだけでも感じたのだろう。茉子はとても柔らかく微笑んで、犬神はプイとそっぽを向いた。

 

 

 

 

 

 

 ──人肌の温もりで眼が覚める。

 柔らかな香りが鼻腔をくすぐり、規則正しいすやすやとした寝息が聞こえる。

 

「……」

「すぅ……すー……」

 

 所謂、朝チュンという奴だ。

 朝一で茉子の寝顔が見えるというのは二度目だが、中々慣れない。ボヤけた頭がすぐにさっぱりしてしまう。

 ……というか、今日は布団洗わなきゃ……色々とマズい。この布団で寝れるのかオレ……

 

「……うわ……違和感ありまくりだァ……」

 

 下半身に慣れない感覚が未だに残ってる身を動かして脱衣所へ向かう。シャワーを浴びて出てきた後、リビングで時間を確認。……普段通りだな。睡眠時間的には普段より少し遅く寝たくらいか。まぁ昨日の夜って言っても、往復挟んでそっからだから……盛り過ぎだろオレたち。

 

 ……まぁ、いいか。

 今日はオレが全部、やるとしよう。茉子にはゆっくり眠ってもらって──

 

「かおるくん……どこー……?」

「……やれやれ」

 

 寝惚けた茉子の声が、遠くから響く。

 

 まったく……寝ててくれないのか、コイツは。世話も焼かせてくれないなんて、本当に酷い彼女だ。

 きっと苦笑しているのか、頬が緩んでいるのを感じる。アイツの着替えは……あったあった。渋々ではなく嬉々として、オレは着替えを片手に部屋に戻るのだった。

 

 

 

 

「まっさかオマエ、風呂場で呼ぶから何事かと思えば身体拭いてだ下着着けてだ……寝惚けて甘え過ぎだろ」

「うぅ……しょーがないじゃん。こんなに甘えるのアナタだけだもん」

「……それでいいのかねェ?」

 

 普段通りの……もう慣れてしまった茉子との通学の最中、誰もいないからと今朝の一悶着というか何と言おうか……とにかく、起きたコイツに散々甘えられて驚いた時の話題を振ってみたら、バツの悪そうな態度された。

 

「ダメ?」

「ダメじゃないけど」

「そっか。うん」

 

 拒む理由も必要も無ければ、オレが拒みたくない。全然ダメじゃない。……むしろ何故拒まれると思ったのだろう、茉子は。

 握った手をより強く握って、彼女もまた強く握り返してくれる。

 ただ──

 

「ね、馨くん」

「なんだよ茉子」

 

 ニコニコと微笑みながら首筋に視線を向ける茉子。硬く慣れない、新品の予備制服の息苦しさとは別に、もう一つ普段と違う理由がある。

 今日に限って、第一ボタンを留めているのだ。このオレが、である。

 

 ……実はその……今朝シャワーを浴びるべく脱衣所に向かった時に気が付いたのだが、どうも……付けられてたみたいで、キスマーク。首筋に薄く浮かび上がる桃紫の唇の痕──最愛の女からの接吻、独占欲の証明。これを嫌がる男もいるまいて。

 が、しかし……今日は普通に学校がある。首元を開けていると完全に見えてしまう。閉じておけばギリギリ見えはしないが……かと言っていつも開けてる俺が閉じれば、それはもう異常なわけで。

 

 ──どうしたもんかな、と悩んだ末に閉じることにした。

 

 おかげでこうしてニコニコと微笑まれながら視線を感じる羽目になった。

 

「隠しちゃうんだ」

「……まあ」

 

 堂々とできるほど、度胸があるわけではない。それが分かっているのに、茉子は残念そうに言った。意地悪な……好き。

 

 そんな時、急に茉子が近寄ってきて、首元のボタンを外す。視線がキスマークまで移り……彼女は蠱惑的な微笑を浮かべた。

 

「あは……」

「えっと、なんか、楽しい?」

「うん、楽しい」

 

 まぁ、茉子が楽しそうならなんでもいいか。いそいそとボタンを留めつつ、茉子に手を引かれながら、いつか必ずオレが世話を焼いてやるのだと心の中で気合を入れるのだった。

 

「でもなんで急に付けたのさ」

「ん〜……マーキング?」

 

 悩みながら帰ってきたのはそれだった。悩んでいる様子も大変可愛らしいのだがマーキングってオマエ……もうちょいなんかなかったのか。

 

「オマエ以外の所になんて行かないよ」

 

 オレが惚れた女はオマエだけだ、と伝えてみても何故か信用無さげな視線をぶつけられる。なんかもうちょっと可愛がったりするべきかなぁ? とか考えていたら──

 

「でも鼻の下伸ばしてたじゃん」

 

 ジト目。

 ひどい話である。というか鼻の下の話はややこしんだがとりあえずこれだけは言わせてくれ。

 

「誰にだよ」

「レナさんとか柳生さんとか」

 

 ……あの二人はクラスの中でも一、二を争うほどで……いや、そうじゃない。ここで言うべきはそうじゃない。色々と言いたいことはあるが、兎にも角にも本音を──!

 

「……男の子は基本的に大艦巨砲主義なんだよ」

「ていっ」

「あだっ!? 蹴った! つま先で脛を蹴った!」

 

 無慈悲が過ぎる。遠慮無く蹴りやがったコイツ。そういうところも好き。ちょっと膨れた頬に加えて如何にも「ワタシ怒ってます」みたいな雰囲気、嫌いになれない。好き。そして彼女は拗ねた口調でこんなことを言った。

 

「ロリモノ持ってるくせにっ」

「あ、あれは描いてる先生が好きなんだよ! オレにそっちのケは無い! オマエ一筋だ!」

「ありがとう! 好きだよ! でも比率的にはロリ3、妹2、姉2、巨乳3じゃん!」

「ほとんど見てんじゃねぇかオマエェーッ!!」

 

 なんだか途中ですごいこと言われた気がするけど、茉子の言葉を聞いて思わず動揺して吠えてしまう。

 いやだって……な? つまり……オレが隠していた『お義兄ちゃんとイケナイ関係』とか『白衣先輩』とか、『ぺたんこ! ギターレッスンパート』とか『全力発情魔女さんのヒミツ〜図書室の机の角編〜』とか『従姉妹の味』とか『三味線の練習だったのに!?』とか……全部見られたってことじゃん!?

 

 け、けど内容が過激な『いっぱい食べる君が好き〜男の娘とア××トラル〜』や『抑えのなっていない生意気オナ忍者をわからせるだけの本with緊迫敗北プレイ』とか『幼妻よ永遠なれ』とか『地味なあの子がイメチェン! やらしい巫女服、婦警服に……?』とか『巨乳のすゝめ──来世の分の乳まで借りた女──』とか『無乳のすゝめ──前世に来世の分の乳まで持っていかれた女──』とか『同級生の素晴らしい性癖。または私が如何にして男装女子に目覚め、彼女にバブみを見出したのか』とか、その辺のは見られてないっぽいし……首絞め全般はバレてないみたいだな……うん。まぁバレたって構わないんだけど。理解あるし、茉子は。

 けれども中々に見せたくないというか、なんというか……

 

「馨くん?」

「あっ、いや……家の薄い本、どれだけオマエにバレてねーかなーって……」

 

 うっかり呟いてしまった後で気付いた。途端、茉子の表情はニンマリとした意地の悪い笑顔で──

 

「ふーん。ふーん?」

「もう好きに見てくれ……」

「見られて困るものは上手に隠してるくせに」

「じゃあかしぃ! マジエロ茉子め!」

「んなぁ!?」

「うっさいぞそこのバカップル! ウチの店の前で痴話喧嘩するんじゃねぇ!」

「「すっ、すいません!」」

 

 ……怒られちゃった。

 

 

 ……学院に着いてから、チラチラとレナからの視線を感じる。何か心配するような、あるいは──まぁ、意外にもオレの記憶でも垣間見たのか。

 虚絶はオレの一部も持っている以上、そうしたものを見ても不思議じゃない。何を見たのかは知らないが、オレの過去なら隠さず伝えよう。

 

 ──ただそれ以上は何もなかった。

 これはオレから行くしかないか。茉子に後で言っておこう。

 

 しかし何とも言えない時間は中々に過ぎてくれないもので、昼飯を食い終わってボーッとしていると、同じく暇そうにしていた将臣が意外そうな顔をして覗き込んできた。

 

「お前がボタン閉めてるの珍しいよな」

「まぁ、な……廉は、近くにいないな?」

「え? そうだけど、どうした」

 

 プチプチとボタンを外し、首元をチラリと見せる。

 

「これ」

 

 オレの肉体が人外れた性能である所為で若干消えつつあるが、しかししっかりと証拠は残っているという有様。将臣も実際に見るのは当然始めてだからか、ガン見してるのがよくわかる。

 

「キスマーク、だな」

「昨日……二人で寝たんだけど、そん時に付けられた」

「つまりその、アレ……?」

「そうなる……んで、隠してた」

「満更でもなさそうだよな」

「惚れた女に独占欲ありますって示されて嬉しくない男がいるか」

「わかる。俺も芳乃にそんなことされたら、すごく嬉しい」

「だろ?」

 

 ボタンを閉めながら少し茉子に視線を向ける。

 ──視線が合う。

 微笑まれる、微笑み返す。

 

「将臣」

「なんだ馨」

「心が溶けるぞ」

「マジか」

「……でもオレたちみたいになんだかインモラルな雰囲気と行為はやめといた方がいい。些細なことでも温もりを求めたくなる」

「ナニがあった」

「オレと茉子は……姉弟か兄妹みたいな関係性だったからな……ちょっとその、互いに、温エロを求めているようなフシもあって……」

「あー、そういうことか」

「けれどそのぉ……まぁ、ちょいな……啼かせ過ぎたり、貪られたり、貪ったり……うン」

「──あいっ変わらず参考にならねぇなお前」

「マジで参考が欲しけりゃ廉に聞け。恋人に首かぷかぷされるのも可愛くていいぞ」

「インモラルめ」

「じゃあかしい。……で、レナがなんかよそよそしいというか視線感じるんだけど何か知ってる?」

「あー……それはお前の過去を見たんだ、夢で。しかも一番アレな場面」

 

 バツの悪そうな小声で言われたのは予想通りにして中々に予想外な話。うむむ……誤解されてる? やっぱオレから行かなきゃな。

 だが。

 

「どの道ほら、見た記憶についても言わなきゃいけないからそっちは平気だと思うけど……」

「あ?」

「……お前の自殺、みづはさんに救われた筈なのに自力で助かってたぞ」

「何……?」

 

 ──悩んだ顔してる将臣から言われたのは、そんなこと。辻褄の合わない記憶。辻褄の合わない展開。おかしい。

 ……問い詰めてみる、か。

 

「わかった。それは駒川に聞くさ」

 

 まさか……なぁ……

 

 とかく、信じれるものを信じるしかない。優先順位はレナだ。

 友達だし、隠し事は無しで行こう。それがいい。


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