千恋*万花~福音輪廻~   作:図書室でオナろう

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ゆずソフト新作「喫茶ステラと死神の蝶」は12月20日に発売……

つまりこの作品を12月20日までに完結させないと一年以上の連載になってしまう……

頑張らないといかんぞ


逢魔

 夢を見る二人の前に現れたのは、戦場跡に一人佇む黒衣の女であった。

 ──馨と酷似したそれは、魔人たる奏。血塗れの姿である彼女は、まるで総てから外れて忘れられた、螺子の一つのような雰囲気を纏っていた。

 

「……これは、魔人の記憶……? 叢雲さんや白狛さんは出てこないな」

「何故マサオミまで? わたしだけが見るのでは?」

 

 うむむと二人とも、何処と無く気持ち悪さを感じながら、一応見続ける。

 

「つまらないな……」

 

 退屈。そして飢餓。

 自分の生を実感するほどのことではなくなってしまった。ならばやってないことをやるしかない。

 ……父母を喰らってみたい。

 その感情が芽生えた瞬間に、彼女は帰郷した。

 

 ──そうして、帰郷してから瞬く間に屋敷の人間に対して殺戮の限りを尽くした奏は、静かにその中心にある大部屋へと向かった。

 もっとも、殺戮をした場面は見ていないが、血の海に倒れ伏した人間を無視して歩く場面を見れば、想像に難しくないだろう。

 火の手が周り、パチパチと焼ける音が響く中、太刀とも打刀とも付かぬ異形の刀『転生』を携えて、静かに。

 

 その足がピタリと止まる。

 

 視線の先には正座をして待つ壮年の男性。傍らには太刀を置き……それはまさしく、老けた馨と言っても過言ではない見た目だが──

 

「奏よ」

 

 声は、人の温かみなど持たぬ鬼のそれ。悪鬼羅刹、冥府魔道に生きる怪物。人ですらないナニカ。馨と比較するのが失礼なくらいのもの。ガワだけが同じに過ぎない。

 魔人の理解不能さと比較してもなおおぞましい。歪んでいるのに真っ直ぐだから。様々な物に絡み付いて真っ直ぐではなく、根本から歪んでいる。理由などなく、そういうものだから。

 

「やはり、そう"成った"か」

「父上」

 

 ゆっくりと太刀を携えて立ち上がり、その狂気のみを宿した鬼が魔人を楽しげに見つめる。

 

「──至りしお前を斬れば、儂は更なる人斬りの極致に達せる……そう思ってはいたが、我が大願は成就せりということか」

「なんだ、更なる進化の為に母上も弟子も斬り捨てたのか。なぁ父上、私も大概外道であると理解しているが……それ以上の魔物、鬼だなそれは」

 

 戯けたように肩を竦めつつ、心底から軽蔑した態度を取る奏だが、理解できない魔人の言葉には同意しかできない。

 しかしそんな言葉を一切聞こえていないかのように、静かに太刀を抜き──絶対の殺意と更なる高みに至りたいという、臭気さえ放つような深く濃い執念を、複雑に混ぜ合わせてぶちまけた声で。

 

「さぁ……斬ってやろう、魔物よ。我が糧となる栄華と共に死ね」

 

 人を捨て去った鬼に、完全に成り果てた。

 

「笑えない冗談だ、魔物はそっちだろう。滅びよ、ここはお前の住む世界ではない」

 

 そう吐き捨てて、転生を構え直す。

 横に流した無形の構えを持つ鬼と魔人が立ち合う。

 一際炎が燃え盛り、その刹那。

 

 炸光する火花、弾け飛ぶ対の魔刀(きば)

 荒れ狂う炎と死に彩られた白黒の思い出で、歪んだ求道鬼と真っ直ぐな魔人が──趣味と義務が、激突した。

 

 

 

 

 紅蓮に染まる中で鬼の爪牙と魔人の爪牙が金切り音を鳴らしては離れる。

 互いに全く同じ動き──しかしその攻撃の中に潜む妄執は桁外れに違う。それこそは、ただ生きる為に他者を殺すしかない魔人と、更なる高みへ登る為に望んで他者を殺し尽くす鬼の、文字通りの次元の違いだ。

 

「フンッ、ハァァァァァ──ッ!!」

「ク、っ……ちぃっ!」

 

 渾身の上段唐竹割りを防いでなお放たれる上段唐竹割り。一刀両断……その二連という魔剣を、呼吸をするかのように繰り出す雅隆。──あの奏が、魔人が、顔を歪めて必死になって応戦している。

 

 刀や鎧、果ては兜や馬ごと叩き斬って死に至らしめるような、恐ろしいまで無駄を削ぎ落とした一太刀一太刀を、これまた無駄をそれなりに削いだ軌跡で迎撃するが──

 

(……レベルが違う。この二人の戦いは、見た目通りの年齢で行えるものじゃない……!)

 

 その剣戟を見る将臣の心中に渦巻くは、恐怖。

 疾く死ね、我が糧となれという我欲と妄執を隠さぬ悍ましく醜いが故に美しいその太刀筋と、ただひたすらに生きることに専心を置いた、がむしゃらなまでに真っ直ぐな太刀筋のぶつかり合いは、彼らの見た目で行えてよいものではない。

 

 奏の年齢を、京香の享年から逆算して行けばわかるが、彼女は30代にも満たない。芦花とそう変わらないか、一つ下くらいの年齢だ。それに彼女の父政隆もまた、40代に入ったばかり程度。

 そうでありながら、神々の闘争が如き魔技のぶつかり合いを見せている。

 

「し──ッ!」

 

 剣戟の最中に放たれる、不意を突いた筈の突き。奏の動きは見事だった。的確に隙を突いて重い一撃を差し込む。実に基本に忠実で、見ている将臣もレナも感心するほどに綺麗な動作だった。

 流麗という言葉を尽くしてなお足りないほどに流麗──

 

「ぬゥァッ!!」

 

 だがそれを、雅隆は防ぐのではなく攻撃の軌跡で叩き落とした。逆袈裟の斬撃で突きを"破壊"し、更に横薙ぎの素早い二連撃。これを弾いた奏に──息を吐く間もなく放たれる流れるような背撃が襲いかかる。

 

(この動き、馨の──)

 

 トレーニングの最中に馨の放ってきた技と全く同じ動作。馨は対人においてこれを好んでいるが、なるほど、流れるように放つのであれば確かに有用だと感じる。

 しかし、過去に見たそれとは完成度は段違いだった。

 いいや、同じ技なのかどうか一瞬だけ迷った。

 

 何故なら──起こりが、無い。

 

(……怪物め)

 

 斬撃から背撃に繋ぐには、どうしても身を捻る必要がある。だというのに、その捻りが瞬間と瞬間の隙間で発生して目視で確認した時には既に"()()()()()()"。

 

 なんだそれはと。

 

 理不尽だ。人間の為せることでは無い。どれほどまでに極めても、見えないほどの速度で行動するのは困難を極める。現実でそんなことをやれば、何十年かけて形になるか……

 

 人刀一体という境地、それをも超えた人間という名の刀。この男は、最早鬼でも人でもない。伊奈神雅隆(生きた妖刀)という一振りと化している。

 

 その背撃が奏をくの字に折り曲げる。苦悶の声が一瞬だけ漏れるが、彼女はギロリと眼前の鬼人刀を睨み付けて踏み止まり──

 

 刹那、流れる動作の中で、雅隆の空の左手が何かを撒くように動く。それは──炎。呆気に取られる奏。炎を撒くなどと、まるでフィクションから飛び出してきたタチの悪い現実だ。タチの悪い現実である魔人すら唖然とする怪物がここにいる。

 

 そうして撒かれた炎をなぞるように、刀身が滑る。すると如何なる魔技か、炎が炸裂し爆発を生んだ。

 

「……は?」

「え、エンチャントファイヤーでありますか……!?」

 

 爆発する剣閃。

 粉塵爆発とかいう話ではない。

 魔技すら既に通り越した。

 ──これは、ただの不条理だ。

 

「む……」

 

 だがその爆発剣の後には、影も形も無い。

 ──いや、違う。

 黒い霞が頭上を取っている。

 それが人の形を取り……奏を作り上げると同時に上空からの勢いを付けた兜割り。当然ながら落下スピードの方が早い。さしもの雅隆もこれには大きく飛び下がり──畳に斬撃痕が刻まれた。

 

「また妙な術を使うものよな……」

「炎を操るか、妖め……!」

「貴公ほどではない──」

 

 奏が踏み込む。

 掬い上げるような力強い斬り上げが、斜めに防ぐ刀身に、ガキンと音を立てて噛み合う。そこで離れることはなく、むしろ滑らせて刀を自由にして──更に素早く連撃を重ねる。

 真空波すら生じると誤認しそうな高速怒涛の剣舞。袈裟に横薙ぎ、逆袈裟だけだが、たったその三つも極めれば絶死の爪牙と成り得る。

 ふわりと浮くように、舞うように、しかし敵手を八つ裂いて殺すように。

 

 ──一撃。

 ──二撃。

 ──三撃。

 ──四撃。

 ──五撃。

 ──六撃。

 

 全て防がれる。弾かれる。その精度、その無駄の無い動き、全てが異次元。普通高速で放たれる連続攻撃を完璧に防ぐことなど不可能だというにこの怪物はやってのけた。

 

 だが、しかし。

 

 放たれる渾身の七撃目。

 回転しながらの逆袈裟斬り──その刀身に、黒い輝きが宿った。

 

 それは闇の焔。

 喰らい殺した魂の怨恨。

 死の炎を操る鬼を超えるべく無意識に編み出した、闇の焔。

 

 その刃が太刀に激突した時、雅隆は太刀ごと吹き飛ばされた。いや、吹き飛ばされたというには語弊がある。防いだものの、威力を殺し切れずに後ろへ押されたのだ。

 

「はぁぁぁ──ッ」

 

 その隙を逃す奏ではない。

 神速で踏み込み、転生を構え直し──突き入れる。

 

「ぐ、──ッ!?」

 

 突き入れられた刀身が鮮血に彩られ──る前にその刀身を掴み心臓に直撃する軌跡をズラしたのだ。正に神業。浅い入り、そして仕留めそびれたと判断するや否や引き抜き、二者は大きく距離を取る。

 いくら魔人とは言えども、身体に刀を突き入れては損傷が大きい。ましてや、馨のように再生手段が無いとなれば……

 

「まだだっ、奏……!!」

 

 刹那、雅隆が吼えた。

 吼えて耐えた。出血と痛みすら気合と根性で耐えて、そのまま太刀を大きく振り回す。すると刀身に炎が巻き付き、大きく構えて。

 

「でェェェェェェァッ!!」

 

 ──それを、振り下ろす……!

 

 炎の太刀が地面に着いた瞬間、炎は線となって奏に襲いかかる。それを大きく横に跳び回避し、直後跳んで接近する。刀身に宿る闇の焔と共に、勢いに任せた、大振りの袈裟斬りが振り下ろした隙を狙って差し込まれる。

 が、これを身を横に逸らす事で回避する。しかしこの斬撃を完全に回避したというわけではない。着物に斬痕が生まれ、微かに血が溢れる。

 

「は──!」

 

 続けて横薙ぎの斬撃を放つ奏。

 闇の焔が刀身に迸り、それは光波となって放たれる。魔技の中の魔技。それに対抗するのは──

 

「かァッ!」

 

 炎を纏った上段唐竹割りが、光波を両断する。

 

「せェィッ!」

 

 そして間髪入れずに繰り出される大振りの横薙ぎ。しかしその横薙ぎの軌跡を追って、地を焼き払うように、炎が荒れ狂う。

 受けを選択せず、雅隆の背面に飛ぶ奏。すかさず雅隆が太刀を横に構えて、振り抜く。ただ踏み込みながら横に斬るというだけの単純な動作ながら、まるで漫画のワンシーンの、長い距離を斬り抜けるかのようだ。

 両者に再び距離が開く。畳には夥しい量の、双方の血がへばりついている。

 

「……マサオミ、これと同じことをカオルもできるのですか?」

「多分、もっとすごいことできると思う」

「わぁ……マジン、まるでマンガであります」

 

 レナは本気の殺し合いを見ながらも、その現実離れした光景故になんというか正気のようなものを保っている。

 一方将臣は、魔技に隠れた圧倒的なまでに研ぎ澄まされた技の数々に魅了され──同時に、恐怖していた。

 

(……俺はこんなものにはなれない)

 

 たとえ、剣士としての才覚に優れていようとも。

 このような怪物には成り果てたくない……心の底からそう感じた。それならばまだ魔人でありたい。"人"でありたいと……

 なるほど、馨の気持ちがよくわかる。

 

「し、ィィィィ──」

 

 斬り抜けた体勢から素早く納刀。

 抜刀術を繰り出すべく力を込めるものの、その太刀に炎が集まっていく。

 そして。

 

「はァ──ッ!!」

 

 周辺を薙ぎ払う、長射程の抜刀回転斬りが繰り出された。

 信じられないほどの射程。炎を纏ったその斬撃により、屋敷に広がる炎が更に荒れ狂う。

 ……その魔技に対応できたのは、奏の凄まじい生存本能によるものか。咄嗟に転生を構えて、その一撃に大きく吹き飛ばされながらも耐え切ってみせた。

 転生を地面に刺して勢いを殺しながら、ギリギリと踏み止まる。

 

 刹那、踏み込み一つで距離を潰してその勢いのままに斬りかかる雅隆の姿。刃が奏に通る前に、黒霧となって消え、奏は斜め左後方に出現。斬りかかるが凄まじい精度で弾かれ、続け様に放たれる掌底からの突き。それを後方へと跳んで避けて、素早く納刀し、踏み込んで十字斬りを放つ。

 

 あまりにも疾すぎる十文字。

 雅隆であっても防ぐことができず、傷を負う。だからそれでも倒れない。

 そして大きく彼も跳び離れ──

 

「……もうなんでもありだな。お前もそうだったな馨……」

「あ、マサオミが遠い目を……」

 

 思わずそんな会話が発生するような、異常が起きた。

 左上段からの横薙ぎの構えを空中で取り、刀身に炎が巻き付いて巨大な炎熱刃を形成した。それは神の如き炎の剣。

 

 ……魔人の破茶滅茶さが群れをなして押し寄せている。理解などしたくない。

 

 そして対する奏は左下段からの斬り上げの構えを取って、その刀身に闇の焔を──否、怨恨の瘴気を滾らせて死滅の奔流による赤黒の大刃を形成する。

 

「おォォォォォ──ッ!!」

「はァァァァァ──ッ!!」

 

 咆哮と共に振るわれる炎熱の大刃と瘴気の大刃。異形の鍔迫り合いが発生し、しかしあまりにも絶大な、一撃絶命の威力を秘めたその大技故に一度の衝突で双方の大刃が崩壊する。

 

「ふんッ──」

 

 素早く着地した雅隆は、続く二の太刀で仕留めんとした……その時。

 彼の視界に入ったのは、転生を右に構えて突進してくる奏の姿。

 着地してから、というシングルアクションを要求される政隆よりも疾く、鋭く──踏み込んでの突きを選択していた。

 

 繰り出される絶死の一突き。

 それをいなせたのは、剣鬼としての経験故か。

 ……だが、人を足場に飛ぶ、などという荒業は想定することは、できなかった。

 

「これで──」

 

 雅隆を踏み付けて中空に飛び上がる奏。

 僅かな時間で赤黒の瘴気を刀身に迸らせ、大刃は作らず純粋な威力向上に用いる。

 

「──倒れろ」

 

 降下しながらの回転斬りを叩き込み、大量の鮮血が舞う。胴を深く斬り裂かれたのだ。しかも威力を引き上げられた刃で。

 

「ひ……っ!?」

 

 レナの悲鳴が小さく漏れる。

 

「見ちゃダメだ!」

 

 すぐさま将臣は彼女の前に背を向ける形で立って、それを見せないようにした。そしてそれは正解だったと、すぐに思い知った。

 

 崩れ落ちるのを踏み止まる雅隆だが、着地と同時に奏は勢いのままに突撃。咄嗟の反撃として放たれた突きを、更に裏に回り跳び込む形で回避しながら、素早く転生を振るい右腕を斬り落とす。そのまま流れるように左胸から首にかけてを斬り裂きながら背後に着地し、逆手に持ち替えた転生を、心臓へと突き立てた──

 

「鴉崩し……手向けと知れ」

「お、のれ……」

 

 ──お前が教えた技で死ぬ気分はどうだ?

 ──最悪だ。

 

 そういうやり取りだったのであろうか。転生を引き抜くのではなく、心臓から左脇まで引き裂くように斬り抜いた。

 

 ……屋敷は更に荒れ狂う炎に包まれ、奏はふらふらと部屋の出入り口へと移動する。

 雅隆は確かに剣鬼だった。他を圧倒する魔人だった。が、しかし、一線を退いて自分好みの強者を探るべく指導者となっていた彼には、戦場に出て殺し合いをする……その感覚が鈍っていた。

 奏はそれを理解していて、敢えて大技を使い体力を消耗するように仕掛けて──まんまと乗ってくれたので、こうして殺せたのだ。もっとも、炎を操るのは想定外であったが。

 

「……っ」

 

 あまりにも現実離れした殺人劇。

 そんなものを直視してしまった将臣は、なんとかあくまでも夢だとして処理しても──誰かと触れ合って、忘れたかった。幸い朝はトレーニングがある。相談も忘れることも、しやすいだろう。

 

 そして、二人に背を向けて佇む奏。

 

「あぁ……」

 

 漆黒の和装に、漆黒の髪は闇の中でもなお黒い。

 その黒に浮かぶ白の素肌はまるで白夜のよう。

 妖しくも神秘的な刃紋は炎によって映し出されている。

 

「私は今……生まれたんだ」

 

 楽しげな、愉しげなその声と共に、その刀を軽く振る。

 それは血振りにして杜撰で格好をつけたものだが、奏が行うことであり得ない程に恐怖を掻き立てられるものになっている。

 それを何と表現すればいいのかを問われれば、きっと──魔人以外の何者でもない。

 

 浮上する意識の中で、魔人の背中は、彼と彼女の瞼に、鮮明に焼き付いた──

 

 

 

 

 雨音の響く朝。

 窓の奥の曇天を寝惚けた目で見て、此処にはいない温もりを求めて、動かした手が冷たい床に触れて意識がぼんやりと浮き上がる。

 

「……まこ……」

 

 狂おしく愛おしい彼女の名前を呟いて、重い体を動かして──

 

「茉子……」

 

 この腕の中に、その温もりが無いことを……オレは、不安を感じた。

 

 ──オレが死ねば奏が自由になって殺し始める。

 ──奏が死ねばオレが完全回帰して殺し始める。

 かと言って奏を放置してはならない。ヤツはオレだけは殺せるのだから。恐らくオレに引っ張られているのだろう、この辺りは感覚でわかる。理屈ではない。

 

 オレが奏を殺し、回帰したオレを将臣が倒す。なんとしても成功させなければならない。これに失敗すれば、穂織に未来は無いから。そしてオレにも未来は無い。

 

 ……茉子と芳乃ちゃんが出るような事態になったら詰みだ。彼女らではオレを倒せない。打ち合える茉子は根本的な対処法が無く、根本的な対処法を持つ芳乃ちゃんは打ち合えない。そんな隙だらけの布陣、愛す(殺す)ことを目的としたオレが喰い破れない筈がない。

 

 ──失敗は許されない。

 恩人と、恋人と、友人と、家族とで、先に進む為に。未来を掴む為に。この地を守る為に。約束を果たす為に。

 

 ……だからオレは不安だ。みんなを信じることはできても、合理が嫌な事ばかりを考えさせる。茉子と共に……いや、誰かと一緒なら、そうならないのに。ああ、まったく……嫌な性格だ。

 

 茉子のいない食卓──

 茉子のいない玄関──

 茉子のいない時間──

 茉子のいない空間──

 茉子のいない……

 

 雨は通り雨で、あっさりと止んだが──オレの中の曇天と通り雨は晴れていない。

 フラフラと外を出歩きながら、ぼんやりと散歩をして気を散らせようとしていた。苦痛ではないが、とても気が重い。

 というよりも、先述の理由からとにかく他人と触れ合いたい。そうすれば何も考えずに済むから。……そうか、虚絶と──

 

 内面に声を送る。

 けれど帰ってくるのは何も無い。何故かと考えて──今の虚絶には統括人格を起動させるだけの核が無いことに気が付いた。そうか、そうだよな。オレのパーツも、奏も京香もいないんだ。当たり前だよな……

 

 一人を無数に分割して、何人もいるように見せかけていただけ。実際にいたのは、オレと奏と京香と……あとは犬神くらいか。あとは有象無象の亡霊たち。なんて虚しい人形遊び。

 もう一度、オマエの機械的な声が聞きたい。なァ、オレの端末よ──

 

 いや、ダメだ。

 人の普通ってのはこういうのなんだ。無心でいろ。茉子のことを考えろ。茉子のことだけを。そうして逃れろ、心中の不安から。

 ──オレがこの地を愛して(殺して)しまう可能性から……

 

「ちくしょう、どうしてこうも……」

「どうしたの?」

「大した話じゃない」

「全然そんな顔してないよ? 大丈夫?」

「大丈夫だけど……オレ、どうしても嫌な想像ばっかり頭に浮かんじまう。嫌なもしもばかり考えちまうんだよ。しかも先の事で」

「そっか……でも、そればっかりは仕方ないよ。ワタシだってそういうこと、考えちゃう時あるから」

 

 空いている手に彼女の手が絡み、彼女の温もりを感じる。途端安心する自分に、なんだかなぁという自嘲が溢れて──

 

「「「じー……っ」」」

「なっ!? いっ、いつからだオマエら!? てかトーテムポールスタイルやめろ! 怖い!」

 

 いないと思ってた三人がトーテムポールでコッチを見てるのに気が付いてビビった。いやもっといいのなかったのかね……

 

「馨さんの柔らかい雰囲気が見たいって将臣さんが」

「馨のデレた姿が見たいってムラサメちゃんが」

「馨の昔みたいな空気が見たいと芳乃が」

 

 シレッと全員が全員、「私関係ありません。どうしてもって言うから付き合ったんですー」みたいな捻た口調とおちょぼ口で、かつ下手くそな口笛吹きながらそんなことを抜かしやがった。

 ため息を一つ吐いた後、茉子に視線を向ける。オマエは? と……

 

「ワタシは特に理由無いよ。だって馨くんと話したかっただけだし」

 

 なんでもない様に言って、小さく微笑む茉子。とても可愛い。

 

「茉子は許す。でもオマエら後で覚えてろよ」

「なんでだよ馨!?」

「横暴です!」

「吾輩たちに何の否がある!」

「うっせぇ! 弱みを見せるのは茉子の前だけって決めてたのにィ!」

「そういうところですよ馨さん! ちゃんと相談とかして下さい!」

「そうじゃそうじゃ! お主、本当にそういうところじゃぞ!」

「いい加減、もっと周り頼れよ馨……」

 

 ……まぁそうだな。

 コイツらの言う通り、もっと他人に弱みを見せたっていいんだよな。

 

「……で、休日なのにオマエら何しに来たの?」

「買い物をしてたら、シケた顔したお前を見かけて声かけただけだ」

「そうか」

 

 ゾロゾロと大人数なことで。

 

「つーか、茉子はなんでいるんだよ。オマエ土日は休みだろ」

「馨くんに会いたかっただけだよ」

「……ありがと」

 

 ……嬉しい。けど恥ずかしい。

 ムラサメ様めっっっっちゃニヤついてる。そんなにこんなオレがおかしいか。おかしいな。

 

「……」

 

 けど、まだ昼前だ。

 ──あの日は、昼過ぎからデートした。初めて身体を重ねた時は……時間なんてほとんど忘れてた。どうしようかな。本当に。

 また茉子とデートするのは悪くない。

 

「なぁ茉子、今日……」

 

 そこまで言いかけて、不意に茉子だけじゃなくてもっと多くの人と話していたいという本心に気が付いた。

 だからそこで言葉が途切れると、少しだけ茉子は不満そうにしたけれど、昨日の事で不安があるとわかってくれてるのか、続きを促すように優しく待ってくれてる。

 

「……いや、それは後でいいや。今日は特に何もしない。オマエらについて回って買い物でもしようかねェ。そのほうが、後で茉子に色々作ってやれる」

「パンケーキとクレープ、忘れてないからね」

「はいはい……というわけで同行させてもらうぞ。お三方」

 

 まぁ幸い財布は持ってきた。

 ややボロっちぃジーパンにテキトーなTシャツと、ちとだらしない格好だがまぁいい。和装? いやあれは果てしなく面倒なので。羽織とか色々持ってるし、廉が着てる甚兵衛みたいなのも持ってるけどさ。着るの面倒だもん。

 洋服みたいにさっさか着れるかどうかで言えばあんまりそうじゃないし。別に着流したっていいけど。

 

「後……ごくり」

「ちょっと芳乃ちゃん?」

「えっ!? あっ!? なんでもないわよ!?」

「……あ、そ」

 

 大丈夫かこれ……と、何やらとても微妙そうな顔をしている将臣とムラサメ様に視線を投げてみたら、そっぽを向かれた。オイ。

 

「ま、昨日の体験が強烈だったんでしょうね」

「聞かないつもりだったのにィ!?」

 

 やめてくれ茉子。

 どうやら巫女姫様は幼刀の精霊と同じくらいムッツリスケベだったようだ。

 ……てか、さ。

 オープンスケベオナ忍者にエロオヤジムーブの精霊にムッツリスケベの巫女姫、そして目玉焼きに練乳をかける胡散臭くないんだけど胡散臭いのが似合いそうな神主……うわぁ。

 オレの属性過多が軽く見えるぞぅ。

 

 そうして買い物に同行したのだが──

 

「馨、大丈夫か? 吾輩の目にはかなり重そうに見えるのじゃが」

「魔人舐めんな。オレぁ魔人だぞ。刀だって片手でぶん回せるんだぞ。この、オレが……!!」

 

 ……物を、買いすぎた。

 いや、単純な話で外に出て「あれなかったなぁ」「これ減ってたなぁ」と思い出して買って買って……そして気付けばムラサメ様に心配されるくらいに両手がふさがった。

 重量配分の関係上、非常に重い。手が疲れてくる。

 

「ぐぬぬぬ……っ」

「なぁ馨よ、適当に置いて待ってても問題無いと思うのじゃが」

「ダメですムラサメ様! これは意地なんです!」

「意地じゃと!? お主そんなきゃらか!」

「こんなのですよオレは!」

 

 本気で心配しているムラサメ様にそんな反応をしつつ、うおおおおおおと力入れてキャベツとか大根とか卵とか小麦粉とか薄力粉とか肉とか長持ちするおかずとか後々の為の米とか色々入ってる複数のビニール袋を持ち上げる。クッソ激烈に重い。

 

「お待たせ……って、何してるのよ馨さん。そんな脂汗流して」

「ハッハッハッハッ。芳乃ちゃん。よくぞ聞いてくれました。漢には意地張る時ってものが──」

「茉子ー。持ってあげたら?」

「そうします」

 

 そして戻ってきた芳乃ちゃんたちに呆れられながら、有無を言わせず茉子がオレの片手からより重い方を奪い取る。

 唖然とするオレに微笑みを向けるがはてさてその感情は如何に……

 なおニヤニヤしている将臣とムラサメ様は言うまでもない。芳乃ちゃん? いやぁ、ナニ想像してんだかって感じ? なんかもう巫女姫様って感じじゃなくてニヘラ……ってしてるよね。だらしないよね。

 しかし重かったのか、茉子の微笑みが一瞬で崩れた。

 

「うわ、重い……どれだけ買ったの?」

「そこには米と大根とネギと後縦に入る諸々が入ってるから割と重いって。今日使ったり明日使ったりあるいは生活必需品なりが入ってるコッチ持て。な」

「……ありがと」

「気にすんな。そういうのはオレの仕事だ」

 

 ちょっと不服げな茉子だが、オレの性能で重いって言ってるんだから軽い方取って欲しかったなぁ……と思うのは少しアレだろうか。

 

「あ、そうだ馨くん。買っておいてなんだけど晩御飯、ウチで食べない? お父さんとお母さんが話あるって」

 

 そして唐突な処刑宣告である。

 ……逃げるという選択肢は、当然ながら無い。そしてSHINOBI EXECUTIONがオレを待っている。オレが二度死ぬ三度死ぬ。茉子の作ったおはぎ食べたい。言えぬ、開かせぬ、できませぬ……がちょっとでも通ればいいな。

 

「……こりゃ本当におじさんとおばさんに殺されるかもしれんな……わかった。行くよ」

 

 恐怖心を押し殺しつつ頷けば、花の咲いたような笑顔を見せてくれる。あぁ、その笑顔さえあればオレはそれでいい。

 しかしそんな会話があった所為か、先頭を歩く女子がガールズトークを開始している。オレと将臣は所在無さげに後ろに着いて歩いているだけだ。

 途中、こそこそと声をかけてきた。

 

「なぁ常陸さんのご両親って怖いのか?」

 

 ……聞いてやがったな。

 

「いや全然。お袋さんは少しおっとりしてて、親父さんはぶきっちょで口数が少ないってくらいかな。ま、二人とも立派な親バカだよ」

「ならなんでそんなビビる」

 

 将臣は何もわかっていないようだが、そもそもおじさんもおばさんも忍びである。あの二人が本気になればオレ程度ものの数秒で始末するであろう。なんでも最近衰えてきたとかなんとか聞いたけど……

 

「……いいかそもそもな。茉子の師匠なんだぞ、二人は。オマエも知ってるだろ、茉子の凄まじい技術の数々。それら全てを叩き込んだのがあの二人なんだぞ。そしてオレは娘の命を手折ろうとすることでしか愛せないおかしな彼氏。ここまで言えばわかんだろ」

「……そうかぁ? 考えすぎだろ」

 

 考えすぎと言われても正直困る。

 それにもし実際に会って交際に反対されたらどうしようか……い、いや朝帰りは伝えて引き止められなかったみたいだから認められてはいるんだけど……

 

「怖いもんは怖い」

「そっか。で何処行ってるんだ?」

「さぁ? 案外足りないものとかあって買いに行くとか。もしくはついでになんか買うとか。何も聞いてねえ」

「ま、荷物持ちでもいい修行か」

「ポジティブな。オレぁ家帰りたいよ」

「常陸さんと一緒じゃなくなるぞ」

「そりゃ困るな。帰れない」

 

 ケラケラと笑い合いながら、彼女たちの後ろを着いて歩く。そうして本屋やら何やらを回って、今は適当なベンチに腰掛けているところだ。

 

「昼どーすっかなァ」

 

 外にするか家に戻って作ってしまうか。幸い帰って作り始めても凝ったものでなければ問題無い。

 しかし、ここで別れる必要も──ということであり、かと言って大量に色々持ってるわけだし。すぐに帰って来れるんだが、さて。

 

「思えば俺、外で食ったことはあんまりないなぁ」

「あくまでも将臣さんは泊まりに来てただけですもんね」

「そうそう。だからどっかでこっちの外食をもう少し開拓したいところなんだけど……」

 

 横から聞こえてきた言葉にそういえば……とあることを思い出す。

 ふむ、たまにはいいかもしれない。

 

「芳乃ちゃん、将臣とムラサメ様借りていい?」

「わたしや茉子には内緒で美味しいところに連れてくんでしょ」

「まぁそーだけどさ。てか何、その顔」

 

 大変不服そう、というかとても複雑なものだ。なんというか、微笑ましい思いがあるけどそれはそれとして私の彼氏を取るなみたいな。

 

「私の将臣さんなのに」

「だとよ彼氏殿」

「なんか、恥ずかしいな……じゃあ、何? 俺の芳乃って言えばいいのかな」

「ふふっ、嬉しいです」

 

 あ、二人の世界入った。

 

「茉子ー」

「なにー」

「構ってー」

「吾輩にも構えっ」

 

 刹那、つまらなさそうな声と共に小さい手刀が頭に落とされて──

 

「いった!? ……は?」

「……え?」

「……馬鹿な」

 

 訳が、わからなかった。

 

 ──ムラサメ様は、オレに触れたのだ。オレは特に何もしていないのに、ムラサメ様に触れられたのだ。恐る恐る振り向けば、彼女もまた動揺を隠すことなく見せている。普段なら滅多に見られないものが……と茶化すところだがそうはいかない。

 

「ム、ムラサメ様……何か、した?」

「何もしてないぞ! そ、そうじゃ茉子。茉子は──」

「……手をすり抜けましたね」

 

 茉子がダメで、オレは触れられた。

 将臣は憑代を腹の中に宿していた所為だからというのはよくわかる。そしてレナもまた憑代に近かったからこそ見えるというのはよくわかる。

 ……では何故オレは触れられたのだ? しかも、今更になって。いいや、実はオレたちが知らなかっただけで、最初から触れられた……? ではそうするとオレも何か、そうした神の時代の遺物を腹に宿していることになるが……

 

「? 何かあったの?」

「ご主人、芳乃。吾輩が馨に触れられたのだ。しかし茉子は無理だった」

「馨さんが……? それは不思議ですね。だって触れられるのは将臣さんだけなのに」

「何か当ては──って、無いよな。ムラサメちゃんだって触れられないものだとばかり思ってたわけだし」

 

 全員が全員頭を悩ませる。

 が、即座に悩もうがもうどうしようもないとオレは理解したのでベンチから立ち上がった。

 

「帰る。飯食う。もう知らん」

「ちょっと待て、お主それでいいのか!?」

「お腹空いた。そっち大事」

「えぇ……」

「あー、ムラサメ様。疲れたり面倒になったりした時の馨くんはこんなのです」

「つーわけでさいなら」

 

 そうして茉子が持ってるビニール袋を回収して帰ろうとしたのだが──

 

「あっ、待った馨。飯食い行く。ムラサメちゃんも連れて」

「なんでさ」

「色々実験」

「あー……うん。わかった。でもとりあえず物を冷蔵庫とかにしまってからな。合流はここでいいか?」

「おう。そういうわけだから、芳乃。埋め合わせは後で」

「わかりました。──絶対ですよ?」

「うん」

 

 微笑み合う二人。本当に絵になる。オレみたく変に拗れないで本当に良かった……しかし所構わずお熱くなれるのはちと思うものがあるのですが。ねぇ? ムラサメ様物凄い顔してますよ。「吾輩のご主人じゃぞ。兄か弟のような相棒じゃぞ。たとえ芳乃とてもうちょっとこう」みたいな。

 

 とか思ってたらそっと側に寄って来たのは茉子。

 

「時間になったら電話入れるね」

「ああ。ま、テキトーに待ってる」

「泊まってもいいんだよ?」

「……考えとく」

 

 それだけ言って、彼女は離れた。

 ……相変わらずドキドキさせてくるなぁ。

 

 

 その後、一旦帰宅して物をしまってオレは将臣とムラサメ様を待つ。

 

「待たせたな」

「気にすんな」

 

 軽く言葉を交わして案内を始める。その道中、ついでだからと何を実験する気なのかを尋ねた。

 

「何するんだよ」

「馨は魔寄りだって言ってたよな。だからもしかしたらムラサメちゃんにスプーンとかで食べさせられるかなぁって」

「聞いたかよムラサメ様」

「まぁ、ご主人とて流石に恋人の前で、相棒とは言え他の女に指を咥えさせるのは気にするのじゃろう」

「いや、そうじゃない」

 

 ──しかし将臣はこれを否定した。

 そういうくだらない理由じゃないというのならばなんだというのだろうか。そうして怪訝な顔をしてみれば、帰ってきたのはとても真面目な顔。

 

「……俺の身体の中には憑代があったからムラサメちゃんに触れられた可能性がある。なら同じように触れられて、かつ俺の上位互換みたいな性質を持っていたとすれば、馨の"中"により純度の高い何かあるんじゃないかな……って」

「なるほど。確かに」

「それに俺とレナさんは見たんだ。今日……お前の先祖の夢を。京香さんの姉が……奏が実の父を殺す場面を」

 

 だから買い物の最中もちょくちょく玄さんに電話かけてレナの様子はと聞いていたのか……納得。そしてコイツなら間違いなく──トドメを刺す場面は直視させてないだろうな。

 けど話を聞くに、レナはあんまり覚えてなかったとか。何か超次元バトルがあった、くらいしか記憶が無いらしい。

 

「そこで父親の方は太刀に炎を纏わせていたり自在に操ったり、奏の方もまだ呪物になっていない虚絶で瘴気の大刃を形成したりしてた。だからこう、何かそういう不思議なものを為せる理由は虚絶だけじゃないと思ったんだ」

「ご主人の言う通りじゃな。というわけで馨よ。色々試してみるがいい。じゃが何処ぞの無礼者の様に人様の胸を触っておきながら硬いとか抜かすなよ?」

「うぐ……っ」

 

 いや何やってんのよ将臣クン。キミそんなセクハラしてたの? なるほどなるほど……これは芳乃ちゃんにメールしておこ。あ、帰ってきた。なになに……? 「ありがとう。後でちょっとお話するわ。あと意外とすごいのね、最近のその……えっちな本って。参考のために読んだのだけれど、おススメないかしら」……はい?

 

「……こんなところでそういうの知りたくなかったよぅ

 

 とまぁ、内容はとにもかくにも一応和気藹々としながら、店に着く。オレ……というか、親父とお袋が30年近く通っている店だ。よってオレも顔見知り。奥の方の目立たない席を選んでも文句を言われないというのは、今は都合が良い。

 

「何屋なんだここ」

「一応定食屋」

「どう見ても居酒屋みたいなメニューしてんだけど」

「……あの人オレに甘くてな……」

「納得。夜のメニュー出されてんのな」

 

 そしてオレはサバ味噌定食を頼み、将臣は唐揚げ定食を頼み、ムラサメ様にスプーンが当たることはなかった。どうもオレも将臣と同じらしい。原因は違えど。

 ちなみに初めてムラサメ様に物を食べさせたが──とても犯罪的であった。あまりにも犯罪的だった。何か別の、とんでもないものが目覚めそうになった。それほどまでに可愛かったのだ。

 

「ムラサメ様って……大変、可愛らしいんですね」

「なんじゃ急に」

 

 食べ終わった後、店を出て思わずムラサメ様に向かって笑顔で言ってしまった。

 

「ぷにぷにしてて、手のひらとか柔らかくて暖かくて……でもちょっと指を咥えてる姿がとてもその……全体的になんていうか、ロリオカンって感じで……」

「馨ってロリコン?」

「オレは茉子一筋だ!!」

「そうじゃろそうじゃろ。吾輩は柔らかいのじゃ。ぷにぷになのじゃ。わかったかご主人。硬いなどとふざけたこと抜かしおってからに」

「えっ、俺が悪いのこの流れ」

「オマエ女の子に向かって硬いはねーだろ」

「だって胸が……」

「馨」

「御意」

 

 怒り心頭のムラサメ様の意に従って将臣の腕をキメる。

 しばらくは将臣の叫びが響いていた。

 

 

 

 

 ──急な連絡だった。

 帰ってきた将臣を弄りつつ、そして午後のトレーニングの時間になればちょっとでも一緒にいる時間が欲しくて送って行き、さて戻るかと芳乃が帰路に着いた時だった。

 

 唐突に、レナから電話が入ってきたのは。

 

「もしもし? どうしましたか、レナさん」

『……』

「レナさん?」

『あっ、間違い電話です。ごめんなさい、ヨシノ』

「気にしないでください」

 

 その短いやり取りで電話が終わったが、芳乃の胸には小さな疑問があった。

 

(レナさんが間違い電話なんてするかしら)

 

 いくら急いでいても現在のスマートフォンでかけ間違いなどするだろうか? レナはしっかり者だ。間違いに気付けばすぐに訂正する性格なのに、芳乃の声を聞くまで返事は無かった。

 

(間違い電話っていうには、何か不思議ね)

 

 間違い電話と言ってもだ、声が聞こえた段階ですぐに反応できるし、かけてきたんだから何か先に言っても不思議ではないのに、まるで確かめるかのように待っていた。

 ──こんな話、前に何処かで聞いたような……

 

「おや、ここにいたか──」

 

 刹那。

 ゾワリと、異質な……けれどごくごく平凡な声が耳に届いた。

 聞き覚えは──当然無い。

 

「久しいな、朝武の倅よ」

 

 この平坦で、冷酷で、恐ろしい程に俯瞰して達観して超越した声。

 聞き覚えなんて無いはずなのに、身に覚えの無い感覚が脳内を駆け巡る。

 

 振り向いて見れば、そこにいたのは──

 

 黒、黒、黒、黒、黒……そして白。

 

 貴族的な意匠を持ちながら動き易さも考慮された黒い和装、暗闇の如き黒い目、濡鴉の如き黒い髪──不気味なほどに美しい色白の素肌と相まって闇に浮かんでいるような、あるいは光が蝕まれているような、そんな感想すら覚える。

 そんな、黒衣の女。

 

 黒衣の女が、夕闇の空を背負って佇んでいる。

 

(……あれ? この人の顔、何処かで見たことがあるような……? 憶えがある……けど)

 

 奇妙なことに、この女性の顔に見覚えがあった。

 もちろん、芳乃はこの女性とは初対面だ。だが何故だろうか、何故か憶えのある顔だった。とても身近に感じるような、そんな面影が見える。

 しかし、知り合いではないのもまた事実。奇妙な感覚だ。

 知っているのに知らない、知らないのに知っている、見たことがあるのに見たことがない、見たことがないのに見たことがある。

 

 そして。

 

 その女は、

 

「──"あの川"以来だな。あぁ、お前には彼岸の茶屋と言った方がわかりやすいか?」

 

 そんな意味不明なことを言って──軽く、笑った。

 刹那、脳髄を掴み引き摺り下ろされるが如き異物感。

 魂が拒絶する、心が恐怖する、理解出来ない何故何故何故──!?

 

 この女は、会ったことがある。

 

 芳乃の中に、現世と常世の狭間での記憶が再生される。怨霊祓いの鍔際、死にかけた時に見た、あの──!!

 驚愕に染まる表情と、それを楽しげに見つめる表情が交差する。

 

「あな、た……は……っ!?」

「思い出したか。縁が深くなければ持ち帰れぬ、と言ったろう? そもそも我々の縁はその始まりからして深きもの……こうなるのは必然だ」

 

 クツクツと笑うその女。

 今ならわかる。その顔が一体誰に似ているのか。

 

「……なら、なら何故! あなたと馨さんはそんなに似ているの!?」

 

 ──馨だ。

 この女は、馨に酷似している。女体化した馨と言っても過言では無いし、この女が男体化したのが馨と言って過言では無い。

 相互補完するかのような噛み合う陰陽──まるでそれは対極の如きもの。

 つまりその正体は……

 

「気付いていないのか、知らないふりをしているだけなのか。どちらにせよ、ならばよかろう。我が名を知るがいい──」

 

 不敵な笑み。

 正気(きょうき)の瞳。

 それは正しく──魔人の貌。

 そして、まるで歌い上げるかの如くその名は紡がれた。

 

「我は久楼否神公暁が孫、伊奈神雅隆……その娘が一人、伊奈神京香の姉にして、稲上馨の祖なる者」

 

 他者の死を転じて己が生と成す者。

 星の光を喰らいて生きる、人と相容れぬ怪物。

 曰く、破綻者。

 曰く、否神。

 曰く、魔人。

 肉親を殺し肉親に殺され、子孫と繋がった呪物によって、何の因果かこの現世に舞い戻った闇。他者を貶めねば生きていけぬという宿痾の持ち主。人にして人ならざる、決して相容れぬ異端。

 

「我が名は奏。

 

 ────伊奈神奏」

 

 その名は伊奈神奏。

 鬼殺しの魔人。命を感じる為に命を手折り、死の中に生を見出し生の中に死を見出す矛盾螺旋の体現者。妖刀転生の担い手。

 

「穂織に潜む否神(いながみ)の魔人だよ。朝武芳乃」

 

 玉石の女神──叢雲の起こした行動により生まれ堕ちた絶叫する奈落の使徒。否神(いながみ)を名乗る異形の血族にして黄泉の鎖と杭を宿す者。あるいは禍津の尖兵。

 穂織を滅ぼすと予言されし存在が、逢魔時に巫女姫の前に姿を現した……


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