千恋*万花~福音輪廻~   作:図書室でオナろう

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朝できたので昼投稿です


魔人/交差

「どうした? 何をそんなに恐怖している」

 

 冷たい声が響く。

 

「先程も言っただろう。私が殺せるのは馨のみだ。馨を殺さねば、馨の呪縛から解放されん」

 

 淡々と真実が述べられる。

 

「お前は死なぬよ。私か馨のどちらかが消えねばな」

「……」

「それとも、この場というのが気がかりか? この田心屋に私がいるというのは」

 

 そして此処は田心屋。

 閉店ギリギリではあるが、それでもこの奏は芳乃を連れて無理矢理に押し入り、そして言い放った。

 

「馬庭芦花、京香に言っておけ。借りてるぞとな」

 

 ──一方的な言い草。しかしそれは当然だ。奏にとって穂織などすべからくどうでもいいのだ。ただ一人、同族を除けば。

 そうして芳乃は、魔人と対峙している。

 

「何か喋れよ。つまらんだろう」

「……どうして、あの時……」

「それか? 真実を知ったお前が苦しんだ顔でも見せてくれれば腹が膨れるのでな。その下準備だ」

 

 ただのそれだけ。

 馨や京香と同じ顔で、しかし正反対の言葉。人間的行動とは裏腹に理解できない魔物の感性。

 芳乃の疑問にすらつまらなさそうに答えた奏は、背後から睨みつける芦花に視線を向けた。

 

「いつまでそうしている。茶くらい出せ。客だぞ私は」

「……姉上」

 

 芦花と京香が切り替わる。

 その声を聞いた途端、不快そうに顔を歪めながら彼女は言った。

 

「私をまた殺すのか」

「何度だって殺してやる」

「ククッ……あぁ、一つ教えてやろう。今私は適当な憑代を使っていてな。私を殺せば憑代も死ぬぞ」

「チッ……」

「安心しろ。お前への再戦は後で申し込むさ。今は何もできん。で、だ……茶を出せ」

 

 そうしてまた切り替わり、無言で芦花は茶を出す。湯呑みを手に取り、優雅な動作で一口飲むと、再び芳乃へと視線を向けた。

 

「あの後、大事は無いか。あの時は魂を転生に囲って繋ぎ止めたが、もしもということもある」

「特には、何も」

 

 素直に答えたのは、敵意も何も無い純粋な疑問だったからだろうか? あるいは彼女にもわからぬ別の理由なのか。何かそこだけ、奏ののっぺりとした悍ましさは無かったと、そう言える。不思議なことだが。

 

「ならば良い」

「何が目的なんですか」

 

 ──意を決して尋ねた。そしてその表情がまったく理解できないと言わんばかりに変わり果て、そしてしばらく黙った後に、再びの無表情に戻って、一言。

 

「目的など無い。強いて言えば生きるだけだ」

「……生きる?」

「馨と同じようにな、私も人を殺めねば生きていけぬのさ。殺さねば、殺したくない、だけど殺さねばならない、生きるためには死が隣にいなくてはならない」

 

 そうして紡がれたのはまったく理解できない、したくない、根本から外れた生命としても歪な本能。

 

「言い方を変えれば……自分が最も生きていると感じることに、死がなくてはならない。わかりやすいのは馨だな。愛おしい者の側にいる時が最も満たされるが故に、その者を殺さねば気が済まない」

 

 暗い愉悦を満たすだけで生きていけるのが彼女と同じ性質を備えた人間だが、魔人たる奏は暗い愉悦を満たした後に人を殺さなければならない。それを彼女は当たり前のように受け入れたから、他者だけでなく肉親を殺し始めた。

 

「必要なのは生と死、その二種類が同時に存在する矛盾した螺旋」

 

 生を実感する行動を取ったと同時に命を手折らねば気が済まないし、その行動を止められない。余程特異な状況でもなければ。それが魔人の宿痾であり、同時に魔人足り得る由縁。伊奈神が抱え続ける永遠の呪縛。

 

「殺さねば生きていけない。生きるためには殺さねばならない。宿痾に呻くのが魔人の宿業だからな。ま、世界の何処に、自ら餌を全滅させる捕食者がいるのかという話だが。言うなれば桜の木か、我々は。周辺の植物を毒殺し、辺り一面の栄養を我が物としながら全身に殺意という害虫を潜ませ人間に迷惑ばかりかける……見た目だけは良いのもまた同じだな」

 

 種を繋ぐなどという行為は初めから存在しない。この一族は生まれながらに滅び行く者であると──芳乃はその事実すら心底からどうでもいいという態度を崩さずに話した奏を見て、確信した。

 そして彼女にとって大事な弟分である馨もまた、これと同じである……と。

 

「──そうだ。思い出したか? 神と人の小さな愛の物語を」

 

 唐突に、奏がそう尋ねた。

 確かにすべて思い出した。所々は朧げだが、目の前の女から神と人の小さな愛の物語と、その裏側でとばっちりを食らった者がいる……というのは聞いた。そしてそのとばっちりを食らった側の存在であるとも。

 

「それが何か」

 

 だから芳乃はその先を考えないようにしていた。

 

「最近そんな話を聞かなかったか? 例えばそう……女神と侍の恋物語と、それ見続けた犬神の話とかなァ……」

 

 そして奏はそれを知っている。知った上で教えたのだ。そういう顔が見たいから。そうなるとわかった上で、そうしたのだ。当然、腹が膨れるから。芳乃であろうと茉子であろうと、誰であっても馨以外ならその真実を言えば、後々伝えられるであろう真実と勝手に合わせて勝手に考えて勝手に苦しんでくれるから。

 

「っ!? それがなんだって言うんですか!」

 

 聡明な芳乃がその答えに至らない筈がない。邪悪に笑う奏が、心底から意外そうな顔をして嘲るように言葉を紡ぐ。

 

「クッ、クハハハッ……! どうした? 何故そんな顔している!? そんな、まるで己こそが全ての元凶であったと言わんばかりの顔を! そして何故それを教えたのかという顔を! なんだ? 私はあくまでも似たような話としか言っていないぞ? 何と何を結び付けてそんな考えに至ったんだ? 教えてくれよ、私にはわからないからなァ! カカカッ、ハッハハハッ!」

 

 わからない? 嘘を吐け、知っているからこそ、このようになるように教えたのだろうが──!! 芳乃は目の前の存在を、心の底から憎悪した。その反応からして己の推測が正しかったのだろう。でなければこんな楽しそうに、こんなにも邪悪に、その顔をここまで歪めることは無い。

 

「姉上!」

 

 その反応に何か憎悪めいたものを宿したのか、芦花から強引に切り替わって吐き捨てるように京香はそう叫んだ。

 

「……チッ、水を刺すなよ」

「あんたが憑代を借りてるっていうのなら、戻さないと面倒じゃないのか」

 

 心底から嫌そうに吐き捨てた奏に対して、至極真っ当な言葉をかける京香。彼女らがここで戦闘をしないのは、将臣と違って自身が誰かを救える存在でないことが大きい。本音を言えば、憑代ごと殺してしまいたいほどなのだが。

 ただ時間的にはかなりギリギリ。陽が沈むのもそう時間はかからない。

 

「それもそうか……代金は馨から毟っておけ。生憎無一文でな。ではさらばだ。また会おう」

 

 さらりと最低な事を言ってから、芳乃へと視線を向ける。

 

「……本当に、大きくなったわね。芳乃……」

「え……っ?」

「ククッ、なんでもない」

 

 何か小さく呟いた後、奏は何処かへと去って行った。芳乃もいい加減に戻って晩御飯の支度をしなくてはならないのだが、生憎と彼女には確かめなければならないことがあった。

 

「……馬庭さん」

「ちょっと待ってて。──京香さん?」

 

 意を汲んだ芦花が声をかけると、切り替わるのではなく直接京香は現れた。

 

「知ってるんですか、全部」

 

 思い至った答えが正しいのか。それを確かめなければならない。そしてそれが正しいのならば、自身はどうすればいいのか。芳乃はある意味では罰を求める罪人のように尋ねた。

 

「あぁ」

「初めから?」

「あぁ」

 

 帰ってきたのは、肯定の言葉。

 感情は一瞬で昂り、掴みかかってまでその先を求めた。

 

「なら私の考えてることは──!」

「私にとってはどうでもいい。姉上にとってもどうでもいい。そして馨にとってもどうでもいいことだよ」

 

 だがなんでもない表情と共に、なんでもない声色と共に語られたのは、心底からどうでもいいというある種の答え。それを背負うことそのものが間違っているという、とばっちりを受けた側なりの気遣いなどではない。純然たる答えとして、京香は言い切った。

 そして彼女は、それら全ては過ぎ去ったものに過ぎず、その罪科など問う必要は無いと、手を払いながら更に続けた。

 

「福音が生み出した輪廻の中で、怨恨の輪廻は渦巻いた。もし神サマって奴に博愛精神と平等さって奴があれば、私たちイナガミは矛盾螺旋の宿痾を抱えずに生きていけたんだろう。キミたちとも会わずに、決して交わることもなくね。

 

 ──でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、芳乃ちゃん。だからこの話はここでお終いなんだ。誰の所為でもない。間が悪かったか、これも運命だったか。本当に、それだけのことなんだよ」

 

 ……朝武/常陸と久楼/稲上は表裏一体。片方が無ければ片方も無い。穂織に二者が集ったのはある意味で運命だったとも言えよう。

 だからこそ京香は憎まない。子孫の友人を身勝手に憎むなど、そんな鬼のようなことはできない。罪の無い者を憎むなど、そんな事ができるはずがない。

 

「こんなこと背負うな、芳乃ちゃん。キミたちに罪が無ければ罰も無い。誰も悪くないんだ。じゃあ芦花ちゃん。フォローよろしくね」

「えっあっちょっと!? ……はぁ、戻っちゃった」

 

 しかし、本人たちは全力で否定するだろうが、言いたいことだけ言ってさっさと戻るのは姉妹してよく似ている。全くどちらがどちらに似たのやら……と半ば呆れながら、唖然とする芳乃に対するフォローという無理難題を押し付けられた芦花は一つため息。

 

「はぁ……あの人は本当に。巫女姫様、気にしたって仕方ないですよ、こればっかりは」

「そんなことはできません! だってあの子は、馨君はずっと悩んでた! 私たちの知らないところで苦しんでた! その原因が私たちなら……!」

 

 ……そう言って、芳乃は初めて気が付いた。自分に何ができるのかと。その答えは単純。

 

 ──何もできない。

 

 罪というほど罪ではない。

 そもそも芳乃が悪いわけでもないのだから。誰が悪い? 誰も悪くない。良かれと思ってやったことが、裏目に出るなどよくあること。ただ後味と胸糞悪さだけが残る。不毛な空回り。原因など何処にもいなかったのだ。

 彼女の表情に影が差し、曇り果てる。

 そんな様子を見て、芦花はやはりこうなったかと内心面倒なものを押し付けられた気がしてならなかったが。

 

「……気になるなら、言えばいいんじゃないですか? なんとなくどうなるかはわかってるんでしょう?」

「そう、ですけど……」

「そんなに不安なら、まー坊に相談すればいいんですよ。アタシはほら、又聞きですから」

 

 不安そうな彼女を安心させるべく、笑顔を見せているが──

 

(ごめん、まー坊。アタシ……巫女姫様の事よく知らない……!)

 

 シンプルに、無理難題であった。

 考えてもみよう。普通、友人が幼馴染に関しての負い目を持ったとしても……互いを知って間も無いのであれば、然るべき言葉をかけられるだろうか? 否、無理だ。

 よって無理難題を強いられている芦花はそうするしかなかったし、それを察した芳乃もまた、芦花に無理をさせたくはなかった。

 

「……すみません、馬庭さん。お時間を取らせてしまって」

「いいんですよ。アタシ、お姉さんですから」

「……芦花、お姉さん……」

 

 芦花お姉さん、ちょっといいかも……

 それはある意味、一種の下心めいたものだったかもしれない。

 

「はい?」

「あっ、いえ! 別になんでもないです! あと私のことは気軽に呼んでください。巫女姫様とか呼ばなくていいですからっ」

「????」

 

 何気に歳上の女性に甘えるというのは彼女はあまり経験したことはない。その上、歳の近い、それこそお姉さんのような存在というのは中々にレアだ。

 なるほど、これは馨が姉性を求めるわけだと一人納得し、不思議そうな芦花に誤魔化しつつ、家に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 ピンポーンと、インターホンが鳴る。

 急いで玄関に向かうと、そこには茉子がいた。

 

「……遂に?」

「何が遂になのかは知らないけど迎えに来たよ」

「ちょっ、ちょっと待っててくれ。上がってていいから、オレ少し髪だったりとか服だったりとか整えてくる!」

「あっ……行っちゃった」

 

 ドタドタと戻りつつ、お気に入りの紺色のジャケット(実は茉子の忍び装束と同じ色で同じのを何着も持っているのはナイショだ!)を着て、鏡を見て髪を少し整えて──そして向かうと。

 

「……その髪型、似合ってないよ」

 

 不思議そうに見つめられながら、そんなことを言われた。

 

「マジ?」

「ホント。いつものが一番いい」

「そっか。じゃあ……」

 

 ブンブンと頭を振って普段の髪の配分(?)に戻す。元々髪の毛の量が多く、人より伸びる速度が早いので、こんな風に頭振るだけで普段の髪型に戻るのだ。

 

「こう?」

「そう」

「そっか」

「うんっ」

 

 短いやり取りを終えて、家の鍵を閉めてから手を繋いで道を歩き始める。ただどうしても緊張してしまい、それが態度に現れて強く握ってしまう。

 そんなわけで、茉子から途轍もなく訝しんだ目を向けられているのだ。

 

「……そんなに緊張しなくても」

「わっ、わかってるけど。オレ彼氏だし。オマエ彼女だし。彼女の両親に挨拶行くような感じだし」

「考えすぎじゃない?」

 

 ジト目を向けられた挙句にこの言い草。いやキミね、オレ異常者よ、狂人よ。だから色々怖いのよ。

 

「まぁ、考えすぎでもいいけど。ワタシは馨くんといられるだけで幸せだし、もしお父さんとお母さんが反対してもワタシから馨くんに向かうから」

「お、おう……頼もしいな」

「ま、二人ともそんな気全然無いと思うけどね。話振ったら大喜びだったし」

「マジで?」

「うん。そんなのだからお母さん、今日の晩御飯は気合入れて作っちゃってる」

「そっか」

 

 なら大丈夫かな……?

 まぁ大丈夫だろう! 茉子の事だ、言ってない筈がない! きっと言った上でそういう反応だったんだろう間違いない! あはははは! はははははは……、はは……怖い。

 

「で、結局泊まるの?」

「いいや、泊まる気はあんまり。一応泊まっても問題ないようほっぽり込んであるけど」

 

 かけてある小さめのバッグを持って軽くアピールし、しかしそこまで考えていないと言うと、しょぼんとしたのは一瞬。すぐになんでもないように振る舞った。

 そんな様子が大変可愛らしくてケラケラ笑うと、ムスッとした顔が向けられる。

 

「何その顔」

「怒るなよぅ」

「怒るよ」

「許してくれって」

「泊まったら許してあげる」

「うーん、真剣に考えさせて」

「あんまり待てないよ」

「言い方」

「言い方?」

「うん、気になるんだ」

「あは、気にしちゃうんだ」

「だってなぁ……いやわかるだろ」

「わかるけど……終わったじゃん」

「──待たせてごめんな」

「──いいよ全然」

 

 次待ってもらう、待たせる時は必ずすぐに……小さな決意を、この手の温もりに誓って。仕方なさそうに微笑む彼女は何より愛おしく感じて、お互いに強く、ぎゅっと繋いだ手に想いを乗せた。

 二人で夕闇の残る空の下を歩く。それは特別な時間。楽しそうな彼女を見て、オレも微笑む。

 そうして歩き続ければ、自然と茉子の家に辿り着く。

 

「ただいまー。連れて来たよー」

 

 普段ならまったく聞くことのない調子の声。こんな茉子を見れるのはオレだけだろうと思うと少し優越感が湧く。そして足音が聞こえてきたので、深呼吸を一つ。なんて言おうか。お付き合いさせていただいてます? それとも将来を前提としています? ……うーん。

 ──だが、しかし。現れたおじさんとおばさんは……

 

「久しぶりだな馨。どうだ、調子は」

「久しぶりね馨君。また大きくなった?」

「あ゛っ」

 

 ……その、師匠(せんせい)

 手に持ったクナイはなんですかね……? あとおばさん。その握り拳は一体……?

 

「馨くん、上がらないの?」

「……わかった」

 

 ──死が、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

「……あー……美味しかった。けど妙に疲れた」

 

 ご飯食べて、茉子の好意で彼女の部屋に入れてもらい、ものすごくぐったりしていた。

 

「お父さんもお母さんもどうして威圧するのかなぁ」

「オレおばさんに「義母さんでもいいのよ?」なんて言われた時にはおじさんの視線怖くて愛想笑いしかできなかったよ」

 

 どう考えてもオレを葬るための必殺技の準備してたってアレ……

 

「お母さんは割と本気だったと思うけど」

「……マジかァ……」

 

 ……まぁ、別に何をされた訳でもなく、付き合いは順調かーとか、最近元気かーとか、そういう話題だったし、疲れはしたが久しぶりに会って色々話したりすると、やっぱり楽しいもんだ。

 勝手にオレがビビってただけだし、二人は昔のように、暖かく迎えてくれた。おじさんは相変わらず不器用で、おばさんは相変わらずおっとりしていた。──昔と何も変わってない。

 ……オレたち子供には、そういう面を見せないようにしてくれていたのだろうか。そう思うと、感謝の念しかない。

 ただ疲れたのも事実。ので、ここは一つ至福の時を過ごさせていただこうかな。

 

「茉子、膝貸して」

「いいよー。……はい」

 

 正座した茉子の膝に頭を乗せて膝枕。あぁ、素晴らしきかな。眼福。そのたわわな果実の双丘を下から見るという幸せ。頭の下に感じる程よい弾力と柔らかさ。そして何よりも彼女の匂いがすごい。幸せ……

 

「顔、だらしないよ」

「えっ、ホント?」

「ホントホント。ワタシ以外にそんな顔見せちゃやだよ?」

 

 ちょっと拗ねたような感じで、そんなことを言われたが、だらしないというよりも幸せ雰囲気たっぷりの顔されながら言われても説得力が無いから、ついつい笑ってしまう。

 茉子も釣られて笑っていて、まったく如何に自分たちが完全に心を許しきっているのかをしみじみと理解させられる。嫌じゃないけど。

 

「な」

「ん」

「決着着いたらさ、オマエと行きたいところがあるんだ。穂織の外で」

 

 ──そう、オレは決着を着けたら行かねばならない場所があるのだ。魔人の末裔として、稲上の末裔として、彼の地にだけは必ず行かねばならない。

 ……まぁ、それだけではないのだけれど。

 

「デートのお誘い?」

 

 あっさりの内心を見抜かれ、優しい顔をした彼女にそう言われてしまう。

 

「それもある、かな」

「わかった。一緒に行く」

「ありがとう」

「ワタシ、楽しみにしてるから」

「あぁ。裏切らない」

 

 頭を撫でられながら、というのであまり格好は付かないが心地良いから仕方ない。眠くなってしまいそうだ。このまま一眠り、というのも悪くない。

 だが、茉子は覚えていて、オレは忘れていた。

 

「で、結局どうするの?」

「あっ」

 

 ──緊張で全然考えてなかった。

 事実なのだが言い訳じみていて、こんなことを茉子に言ってしまえば一体どんな報復が来るか想像するだけで恐ろしい。

 ささっと身体を起こして、きょとんとした茉子を見つめながら、動揺を完全に隠しつつ、意地悪彼氏ムーブで誤魔化そうと決めて。

 

「……茉子は、どうして欲しい?」

 

 ゆっくりと頬に両手を当てて、左手はそのまま肩へと流し、右手は彼女の長い髪に流す。

 じっと見つめてみれば、困ったように、照れたように視線を逸らされる。なんだか複雑そうにきゅっと結ばれた唇は、呆れとか嬉しさとか色々な表情を見せている。

 

「……イジワル」

 

 そして、大変可愛らしい抗議の声。

 そんな様子を見せられては、コッチも色々と思うものがある。そう、内心に湧き上がる加虐心とか。

 右手は髪から離して、彼女の手を握る。すると強く握り返されて──

 

「帰って欲しくないに決まってるじゃん……馨くんのバカ」

「ごめんごめん。もう意地悪しないからさ」

 

 ……いっ、言えねぇ……

 実はただの緊張で完全に忘れてたことの誤魔化しでしかないとか絶対に言えねぇ……ごめんよ茉子。手を離しつつ、肩に流していた左手はそのままにしておいた。

 でないとあんまりにもあんまりだろう。オレはとても酷いことをしたのだから。

 

「泊まることは後で二人に言わないとな。んで、オレどこで寝りゃいい?」

「ワタシの部屋でいいでしょ」

「まぁそうなんだけどさ……」

 

 なんでもないように言ってくれたが、しかしキミ……オレが男だってこと忘れてないかね。確かに初体験とかもう終わったし、今更そんなことを気にしてもって話なんだけど、けどその……ね? ムラったら……ね? 割と自分の抑えが効かないのはこの前知ったし。

 

 ただ少し、怖いのが。

 

「オマエ、オレが寝てる隣でオナるなよ?」

「あはは、する訳ないじゃん……ってナニ言ってるのっ!?」

 

 バッと距離を離されて、顔を真っ赤にした茉子に思いっきり抗議される。が、こっちとしては芳乃ちゃんちにいた時、人の枕勝手に持って行って慰めてた話があるのでそれくらい普通に警戒する。盛られても困るし、それに彼女の両親がいる中でヤるのは……ねぇ?

 

「ナニの話」

「上手いこと言ったつもり?」

「ごめん」

「よろしい」

 

 しかし、恋人になってもこういう風にやり取りが一瞬で終わるのも昔と変わらない。

 さて話題も無くなり、さっさと泊まる旨を伝えるかなぁとか考えた時に、不意に気になったことがあった。

 

「なぁ茉子。この前大艦巨砲主義の話したらオマエ蹴ったろ」

「そうだね」

「気にしてんの?」

 

 ……比べる相手が悪い気がするというか、別にオマエの胸が小さかろうと構わないのだが、何故あの場で蹴ったのか。それが不思議でならなかった。

 一方、問われた茉子はしばらく黙った後、少し面白くなさそうに呟いた。

 

「だってさ、あの時ってえっちした後でしょ。それでアナタに基本的にそういうものだからって言われたら思うものあるよ」

「そういう嫉妬かいな。可愛い奴。じゃあなんだ、大きさ云々は気にして──」

 

 と、言いかけて言葉が止まった。

 ほんの一瞬の事だった。一瞬で、オレの右手に衣服越しの柔らかな感触が生まれた。

 ……見れば茉子がオレの右手を掴んで自分の胸に押し当てている。

 

「ワタシだって……結構あるんだよ」

 

 ちょっと照れくさそうに、けれどふふんと勝ち誇ったように。そんな事を言った茉子が、普段以上に可愛く思えて。

 

 おかしいな……茉子の胸を触った回数は結構あるし、なんなら裸も見たしそれ以上に乱れた姿だって見たのに、どうしてオレは今こんなにも照れているのだろうか。

 冷静に考えればこれ以上のことをしたのに、なんで今更こんな……とか色々と頭の中に生まれては消えて──右手に感じる結構な大きさの果実の感触が余裕を全て奪ってく。

 

「ほ、ホントだ……茉子、着せ痩せするタイプだったのな」

「あは。夢中だね。やらしー顔してるよ」

「うっ、うっせ! だって……」

「なーにー?」

「だって、今まで意識したことなんてなかったし……」

 

 というかオマエ、忍者で胸も尻も結構あってキュートでセクシーな太もも持ちとか最強かよ。なんてことだ、素晴らしいじゃないか。やばいなオレの彼女。

 とかなんとか考えてたら、茉子は不思議そうにしていた。そして一言。

 

「押し倒さないの?」

「いやあくまでも胸の大きさを知るというだけだから。これそういうことじゃないから。オレはあくまでも胸の大きさをオマエに教えられただけだから」

「あは、やーらーしー」

「どこ見て言ってる!?」

 

 ええい、オレは誘われてるのか!? からかわれているのか!?

 楽しげに目を細めながら、ニンマリとして猫みたいな口をした茉子の態度からは全く読めない。だけどそういうやらしいことではなかった筈だ。そもそもこれはただ単に胸の大きさを教えるための行動であってだな……

 

 まぁ、互いに変なスイッチが入っていたのは事実だろう。だから普通なら気付くはずの足音に気付けずに──

 

「ねぇ茉子、馨君は結局どうする……って……」

「──あっ」

「……へ?」

 

 普通にオレが空けていると思っていたのだろう。何のラグも無しに入ってきたおばさんが目を丸くしている。

 

 当たり前だ。

 娘の部屋で、娘が自分の胸を彼氏に掴ませているのだから──!!

 

 しばらく視線が行ったり来たり。

 オレたちは固まったまま。何も言えず何も出来ず。そして──

 

「うわぁぁぁぁっ!?」

「はにゃぁぁぁっ!?」

 

 大急ぎでバッと離れたのだが、おばさんはとても優しく微笑んで。

 

「ごめんなさい、お邪魔しちゃった」

「ちっ、ちがっ!? お母さん違うからね!? これ全然そういうことじゃなくて下心なんて何もないから! 馨くんからも何か言ってよ!?」

「えっ!? あっ、いやその……本当に違うんです! あと泊まります結局!」

 

 ……おばさんの誤解を解くのが大変だった。オレたちの反応から本当にそういうものではないと察したおじさんのフォローが無ければ、どれだけ大変だったことか。

 そうして結局、オレは短い間だけとは言え世話になることとなった。

 

「……茉子はさ、あの時どうして欲しかったんだ?」

「んー、内緒っ」

「えー」

「乙女の秘密だよ、あはっ。じゃあ電気消すねー」

「はいはい。おやすみ」

「おやすみ」

 

 ……本心は分からずじまいだが、いいさ。

 たまにはこういうのも、悪くない。

 

 

 

 

 

 ──何故、祈りと呪いは表裏一体なのか。

 芳乃の語った言葉を聞いて、将臣もムラサメも頭を抱える他なかった。

 

「……なんだよ、それ」

「なんじゃ、それは……」

 

 ……ままならない現実。

 どうしようもない福音という名の呪い。

 

「……芳乃。馨はきっとこれを知っても、常陸さんのことも、芳乃のことも憎まないよ」

「なんでそう、言えるんですか?」

「……俺はあいつがどうして自殺しようとしたのかを知ってる。馨は人間として生きて死ぬ、それが出来ないと悟ったから死を選んだんだ。理想像になれないのならば死ぬべきって」

 

 いつぞや聞いていたことを、ここで話すことになるとは。中々に因縁を感じつつ、稲上馨という男の芯の部分を語ってみれば、そんなことを全く知らない芳乃とムラサメは目を丸くする。

 当たり前か、と思いながら将臣は言葉を続けた。

 

「──あいつは多分、自分でも止められなかったから死を選んだんだ。止められたら死ぬ筈なんかない。今は止められるし、全てに意味があったと悟っている。だから憎まない。俺はそう信じている」

 

 もちろんそれが無責任な言葉であると知っている。

 

「もし違ったら、俺を恨んでくれていい。嘘つきだと罵ってくれていい」

 

 だからそうなったら、遠慮無く拒絶してくれと、真剣な顔で伝えた。

 

「ムラサメちゃんも、そう思うだろ?」

「まぁ、そうじゃな。馨は魔人ではあるが、抱える宿痾を除けば人だ。芳乃を憎むことはなかろう。それに、裏返せば朝武がいなければ稲上も存在しないのだし、言ってしまえば茉子やお主もいないのだ。お主らを大切に思っておるあやつが、そんな理由で意見を変えるものか」

 

 そもそも馨が殺そうと思って殺すのは愛おしい者だけであり、それ以外が普通である彼の精神性と性格から考えれば、例え恨んだり憎んだりしても特に何かということも無い。

 そして馨は、そんな根本的に誰にもどうしようもなかったものを、血族だからと言って責任を追求する人間ではないと二人は信じている。

 

 だから二人は、芳乃が相談したのはごく単純に不安だからという理由であると即座に理解した。弟分のような幼馴染が苦しんだ理由は自分の血にあった、と言われれば責任感の強い彼女が悩むのは必然。

 

「芳乃、このことは馨に伝えよう。多分あいつにとっても、芳乃にとっても、それが一番だ」

「そう、ですよね。私の知ってる馨さん……ううん、馨君ならきっと──」

 

 許す許さないのではなく、認めた上で、受け入れた上で、さてどうするかを考えるのだろう。彼はそういう人だから……

 

「決まりじゃな。しかし……魔人が知っていたということは、白狛たる犬神が知らぬ筈も無かろう。つまり向こうが伝えてる可能性があるのじゃが」

「「あっ」」

 

 ……そもそも知っている可能性を考慮していなかった為、二人して間抜けな表情を見せてしまう。そんな二人に少し呆れ、しかし事情が事情だしと納得しながら、ふとムラサメは気が付いた。

 もし言ってなかったとして、だ。

 ……言ったところで信じてもらえるかということである。奏の戯言と取られてしまえば、騙されているんだ気にするなで流されて終わりである。

 

 将臣とムラサメは信じれる材料を持っていて、芳乃は奏の反応が根拠となった。だが実際に記憶を見ているわけでもなし、その上奏と直接相対したことのない馨がこれを信じるかと言われれば……

 

「物事には順序が、ということじゃな。吾輩たちが語るより、まずは実際の真相を伝えた上で白狛たる犬神から伝えなければ、馨がまず信じないじゃろう」

「も、もしかしてムラサメ様。これって……」

「魔人の手のひらでいいように転がされた形になるか。悪趣味な輩め……」

 

 悩みそのものは確かに早急に解決しなければならない問題だったが、伝える伝えないの話に移行した途端に、そもそも信じてもらえるだけの材料を相手が持ってないという点が浮き上がる。

 だが芳乃ならばそれに気付かないと踏んだ上で伝えたのだろう。なんと悪趣味な。

 

 がっくりと肩を落としてもたれかかる芳乃と、それを受け止めてまあまあと慰める将臣を横目に、ムラサメの心には一つの疑問が浮かび上がっていた。

 

(魔人とは黄泉の杭と鎖を宿すが故に生と死の矛盾螺旋を求める……じゃが、確かに千景にはそんな宿痾は無かった。馨が突然変異を起こした形になる)

 

 父である千景は魔人ではなかったのに、子である馨は魔人であった。つまりその魔人の宿痾は確実に消え去りつつあったというわけだ。

 ならば何故、馨は魔人として生まれたのか──

 

(馨が魔人である理由とは、なんじゃ……?)

 

 人に返りつつあった稲上が、突如馨の代で魔人に回帰した理由。そこだけが見えないことに、更なる闇を感じずにはいられなかった。

 特に、芳乃が悩んでいた事などが比較にならない程に、身近な闇を……

 

「そ、それで将臣さん。今日も一緒に寝ていいですか?」

「全然平気だよ」

「やったっ」

(なんでこんなにまだ初々しいのかのぅ……?)

 

 そしてそれとは別に、結構経っているのにまだまだ初々しさの消えない将臣と芳乃の恋人関係に、色々と思うものがあった。もちろん後は気を使ってさっさと退散したが、ちょこちょこ覗きに行ったのは言うまでもない。

 ムラサメは馨の評価通り、エロオヤジ気質なのだ。


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