千恋*万花~福音輪廻~ 作:図書室でオナろう
こんなんじゃ新作発売までに絶対終わらねえって……
今日もまた夢を見る。
前回とは異なり、それは誰かの見た記憶。入り混じった呪わしく罪深き記憶ではない。
あの侍が、上司であろう人物に呼び出されている場面であった。
「……縁談? 某にでありますか?」
「うむ。貴様も覚えていよう、あの家からだ」
「──彼女ですな」
彼の実直で誠実な人柄に対して、当然ながら好感を持つ者が多い。あの叢雲がそうなったように、人の中でもそうなった者がいて当然だ。それに功績も上げれば、まぁそれは必然的に縁談の一つや二つ上がるわけで。
「……考える時間をくれませぬか?」
「よかろう。急な話なのは変わらぬからな。だが、無礼はするなよ」
「しかと存じております」
そうして彼が穂織の山へと向かうのを見ながら、二人はさてこれが誰が見ていたものなのかと、少し疑問に思った。
「土地神がそう簡単に動けないだろうから、これはあれかな、使い魔的な存在が見てたのかな」
「ツカイマ? ……実は空から見てたとか、そういうものではないのでしょうか。って、あっ」
そうレナが驚いたのに合わせて、将臣も彼女の見ていた方向を見る。すると如何なる術か、空に浮かんでいる叢雲の姿が。つまり彼女は想い人に縁談が行くのを直に見たわけであって……
(しんどいだろうなぁ)
(思うものがあるでしょうね)
そういう答えに行き着くのも、必然であったろう。それほどまでに、"そんな口元"をしていたのだから。
まるで腹を貫かれた痛みを噛み締めて耐えるような──
そうして二人は久し振りに顔を合わせた。
叢雲にとって、それは眩い幸福だった時間なのに、今は闇の底へと消え去った。まるで罪を懺悔するように、心と呼べるものが痛みにのたうち回って狂い哭いている。
それでも、平常である己を仮面として貼り付けられるのは、彼女の芯の強さの証明であろうか。
「──叢雲殿」
「■■……」
なんて事の無い名前の呼び合い。
「我が妻になってくれまいか」
そして切り出される本題。単刀直入な入り方に、思わず「おぉ……」と感心してしまう。雄々しさというのものは、見る者を圧倒するだけでなく一種憧れめいたものを心中に息づかせる。
「……」
「突然で大変申し訳ない。無礼であるのも承知の上。しかし某は、そなたこそ運命だと感じたのだ」
真剣に告げる彼に対して、彼女は如何なる思いを抱いて何を考えたのか。それは恐らく、犬神ですらわからないだろう。彼女にしか、その全てはわからない。
ただ──
「……はっ、下賎な輩が何を言っているやら。あんな無名のなまくらを渡して、暇潰しに使っただけで何を勘違いして──愚かしい」
偽悪的に告げられたその言葉から理解できたのは、拒絶の意がある……ということのみ。これには見ていた二人も首を傾げる。なるほど、付き合いが浅ければこれで激怒して帰ってくれるだろうが……その男が彼女が無理をしていることを察せない程の鈍感であろうか?
「偽悪的に振る舞うのはよしなされ。叢雲殿がそのような悪女などになれぬことを、某が見抜けぬとお思いか」
答えはもちろん、否。
「拒絶するならば、せめてそなたの本心からの言葉で拒絶してもらえぬか」
ただ彼は汲み取ってしまった。前へ進まなかった、
彼女の意志が否定する側であるが故に、言える部分だけでいい。せめて真相を教えてくれと留まった。
ある意味ではそれが、お互いの決定的な別れになったのかもしれない。
「……遅すぎたのです、何もかも」
「遅すぎた? それは……」
「私には私の道があって、あなたにはあなたの道がある。私たちは決して交わってはならなかった──」
「何を……!?」
悲しげに紡がれた言葉に、何故だと問うべく一歩進んだ途端。
「来ないで!」
叢雲は、まるで懇願するようにそう叫んだ。
ただならぬ声故に、侍もまた止まってしまう。
「叢雨はあなたが、あなたの思う使い方をして……それがせめてもの……」
「叢雲殿……」
「あなたは、人間の中で生き続けて。私たちは二度と会うことも無い……触れ合うことも無い……それで、いいのよ」
──心中に渦巻く想いは、語れずじまい。
夢が終わり、夜が明け、朝に目覚めるように。
「承知した……それがそなたの望みならば」
互いを想うが故に、彼らは身を引きあった。
「さよなら、■■」
「さらば、叢雲殿」
(きっと……初恋だったわ)
(恋というものであれば、叢雲殿が初めてだったろう……)
人と神は交わってはならない。
言いたかった言葉は決してこんなことではなかった。だがこうしなければならない。
永遠に広がる苦い味と共に、彼らの初恋は夏の雪に溶けて消えた……
「何故です姉君っ。あの男はあなたを求めていた、あなただってあの男を求めていたっ。だというのに、たかが想いを寄せる一人が現れるだけで何故そんな簡単に諦めてしまうのです」
「だって、だって……」
全てを見ていた犬神は、侍が去った後、叢雲に尋ねた。背を見せ続ける彼女の表情はわからない。
「……私は、あの人に相応しくない。あの人の伴侶には、なれないのよ……女として子を産むこともできない、夫を支える妻にもなれない。私は神で、あの人は人。そして何よりも……私は玉石なのよ、コマ」
人には人の生活が、神には神の生活が。そんな当たり前の事を考えた途端に、冷たい身体を持つ自分が暖かい身体を持つ人間の隣にいることは、絶対的に不可能であると、彼女は悟った。彼女自身が言っていた、『必要以上関わるべきではない』という言葉が、まるで戒めのように彼女を押し潰している。
「抱き締めても温もりを感じさせてあげられない。冷たい玉石の身体を持つ人外の存在が、人間の伴侶として相応しいとでも? ……無理よ、相応しくない。私はあの人を騙し続けるのも、あの人を不幸にするのも、あの人の血を絶やすのも……そんなことなんて、したくないの……っ!」
そしてなによりも、本気で幸せを願える相手に対して自分と共に不幸になってくれなどと、彼女には言えなかった。
「姉君……」
犬神は、彼らの行動が理解できなかった。
身を引き合う男女。求めれば答えるのに、互いを思いやるが故に傷付き合って離れていく。
何故だと問おうにも、叢雲は相当に無理をしている。だから彼は、後に尋ねようとした。
──そして侍は、縁談を了承し結婚した。
無論、彼女もそれを"見ていた"。"見続けていた"。名残惜しむように。祝福するように。あるいは、それらを反転させるように。
「異なる種族で、命の連続性を考えたから身を引くか……」
「一つの愛の形だと思いますですよ。自分とでは幸せになることはできない。だから身を引くというのは」
「そう、だね」
世の中には色々な愛の形がある。
異形の愛もあれば、ごく普通の形の愛だってある。将臣もレナも、それがわからぬ子供ではない。
薄れ行く意識の中、その失恋に対する悲しみが、小さく心中に生まれた──
……目が醒める。
ゆっくりと瞼を開ければ、規則的な寝息を立てて眠る──馨の姿。
「……あは……」
甘い声と共に笑みが零れたが、さして気になるものでもない。このままチラリと肌を覗かせる胸元に顔を埋めて二度寝と洒落込んでもいいのだが……
「……」
茉子は、深呼吸を一つ。
愛おしい彼の匂いに満たされる。なんと、心地の良いことか。
「寝顔、昔から何も変わってないね」
馨の寝顔を見て、優しく頬に触れながら人知れず呟く。
「ホント、可愛いのは寝顔くらいなんだから……」
昔からそうだ。茉子が見る馨の可愛い姿など寝顔か甘える時くらいしかない。まだ彼が茉子のことを茉子ちゃんと呼んでいた頃からそこだけは変わっていない。
(あ、でも可愛いところと言えば子供の頃夢がお花屋さんになりたい……とかかな?)
なんでも花を育てるのは嫌いじゃないし、自由気ままに咲いて枯れる姿が美しいとかなんとか……今思えば魔性の片鱗が見えていたのだろう。そうしたやり取りに。
「……ワタシより、ずっと大変だったんだね」
お疲れ様、と労うと同時にそんなことしか言ってやれない自分の無力を痛感する。だが、他に何が出来たかと言っても何も出来ない。だからそのことに気を病むのは、お門違いというものだろう。
そう、わかっているのだが……それでもと。
暗い気持ちを振り払うべく、胸元に顔を埋めて馨成分を補給。そして不意に、過去の事を思い返していたからか、茉子は馨との思い出を再生し始めた。
(一時期、常陸って呼ばれてたっけ)
秋穂が亡くなってからしばらくの間、馨は芳乃と茉子から距離を置いていた時期があった。その時から急に『芳乃ちゃん』『茉子ちゃん』と呼ぶことはなくなり、彼は意図的に冷たい声で『芳乃様』『常陸』と呼ぶようになった。
そんな様子に寂しさを覚えて、いつだったかは忘れたが、こんな風に迫ったことがあったのだ。
──そんな辛そうな顔してワタシや芳乃様の名前を呼ばないでよ、馨くん──
思い返すだけで恥ずかしくなってくる。茉子だって自分の素を見せないように努めて、馨相手にすら敬語を使って猫を被っていたのだが、あの時はそれすら投げ捨てて迫った。
以来馨は芳乃だけはさん付けだが、茉子だけは呼び捨てにしていた。
思えば、自分は猫被りのままで彼だけに素を求めるのは卑怯だった。あそこでもっと素直になれていれば、とも思うが……
「大変だったりしたけど……ワタシ、幸せだよ」
それだけ大変だったのは過去の話だ。今はとても幸せで、まるで暖かな夢のようだ。少しばかり問題があるが、それは必ずなんとかなると信じている。
根拠なんて、好きな人の言葉だけで十二分だ。
前なら、色々と根拠が無ければ何とかなる、なんて考えもしなかった。けれども今は根拠の無い自信であっても信じられる。なんていうか、楽観的になってしまったような気がする。でもそれが心地良い。
そうなってしまったのは全部馨の所為だ、ととりあえず押し付けて、ついでに顔を埋める。
(……またキスマーク付けちゃおっかな)
別に平気だとは知っているが、乙女心とは複雑なもの。独占欲に従って付けても向こうが満更でも無いのは知っている。さて、どうしたものか。
「かーおーるーくーんー……?」
「……」
起きない。
ツンツンしてみても、起きない。
起きてくれたらそれで終わりだったが、起きてくれないとなればいたずら心に火が付いてくる。
「……えいっ」
寝間着の中に手を突っ込んで直に背を触ってみる。
……なんていうか、殿方って感じだ。
感動はしなかった。ある意味で夢が壊れたかもしれない。馨の見た目は細いのだ。
──おい──
(どうしました?)
そんな風に色々と幸せタイムを過ごしてはいたが、唐突に犬神が声をかけてきた。その声はやけに真剣で、彼にとって何か大切なことを語る時のそれと同じだ。
──魔人……何故奴らがそうであるのかについて、私はこの男に話さねばならぬ──
(ならないって、なんでそんな責任あるみたいな言い方を)
──あるのだ。私には。……姉君の名代としても、この男には……イナガミ一族には伝えなければならぬし、その果てに私を殺すというのであれば、甘んじて受け入れなければならない──
……どういうことだ、と叫びそうになった自分を止められたのは、ある意味ですごいことだったかもしれない。先程までの幸せ時間は何処へやら、茉子の表情は、祟り神と立ち合うそれとなんら変わりない。
(どういうことなんですか、それは……!? だってアナタは穂織の土地神でしょう! なんで京都の伊奈神一族が魔人である責任が、アナタにあるんですか!?)
──神に距離など関係無い。あるのだ。私には。気付いてやればよかったのだ。目を逸らさずに……──
動揺を押し殺して当たり前の何故を問えば、神の不条理が答えとして返ってくる。その冷たく、しかし確かな決意を秘めた声は、彼にとって一つ、ある種の後悔を意味していた。
──背負わなくていい苦労を背負わせた挙句、姉君の献身があまりにも美しかったから、そんなものはいないに決まっていると判断して気付きもしなかった──
(……気付いたところで、何かしてあげられたんですか。人を殺さなければならない宿痾を持つ、魔人に)
──少なくとも、その魂に刻まれた宿痾を和らげ、黄泉の杭と鎖を取り除いてやることくらいは──
つまるところは。
犬神が気付いてさえいれば、伊奈神と稲上で起きた諸々の悲劇は無かったこだと。
故に彼は罰を、裁きを求めている……茉子にはそんな風に感じられた。彼は姉を、叢雲の恋するが故の行動を止められなかったことに悔いがあったのだろう。そしてその死を無価値にしたくなどなく、名代を務めていたのだろう。だがその果ては酷い裏切りと、彼自身が怨嗟の魔物へと成り下がるという悲劇。
やがてそれなりの誠意を見せられて、多少なりとその怨嗟を沈めれば、かつて見た美しい献身の眩しさ故に見えぬフリをした現実が最悪の形で現れて──
(アナタは……)
何も悪くない。心がある以上はそうなってしまうのだから仕方ないのだ、と続けようとしたのに、言葉は紡げなかった。
それら全てが、最愛の人が人として生きられずに絶望して死を選んだ理由なのだから。心の何処かに暗い炎が燻るのを理解する。が……
(……ワタシは、何も言えません。アナタが悪いだとか、そういうのは。ただそれを伝えた結果、どうなっても構わないと?)
──そうだ──
(ワタシは……アナタに消えて欲しくないと思ってます)
──……………………は?──
あ、こんな声も出せるんだ……なんて、場違いな感想が浮かぶほどにその声はあまりにも唖然としていた。威厳ある神とは思えないような、ちょうど彼の姉である叢雲の見せた醜態の時のような声で、茉子も意を決して本音を伝えたというのに、ついクスッと笑ってしまった。
(だって、やっと訪れた機会ですよ)
──そうなのだが。いやそうなのだが。お前、私がどういう存在かわかって言っているのか──
(わかっています。わかっているけど、それでもワタシはアナタと過ごした時間もあって、アナタに消えて欲しくないと思ってるんです)
──……──
一体どんな表情をしているのかは皆目検討もつかない。だけど茉子には、何故か本気で困惑している彼の姿を鮮明に思い描けた。
正直に言えば、友達のような感覚があるから……というところだろうか。茉子自身もよくわかっていない。ただ消えて欲しくないと、そう思った。そして馨が彼を斬るならば、それを止めようとも。
確かに恨めしくは思うところはあるが、しかし諸々が重なってこの現実に辿り着けたのだと考えると、不思議と負の感情は湧いてもすぐに消えるのだ。
犬神はしばらく黙った後、少し感心したような声で言った。
──まぁ、お前の意見は頭の片隅に置いておこう。だが、私が奴に真実を伝えた時、奴がどうするかは知らぬ──
(そう、ですよね……)
──……あの男が、伊奈神馨が例え私を斬っても、恨むなよ。奴にはそれだけの権利と義務がある──
そんな内面を見抜いたのか、告げられた言葉はシンプルなもの。恨むな──とは、簡単に言ってくれる。あぁ、まったく……どうしてワタシばかりこういう板挟みに。と嘆いたのは一瞬、茉子は確固たる信念を、"そうなったら止める"と定め、その話は切った。
の、だが──
「……なぁ」
「……なに」
「いつぞやみたく寝惚けてる訳でもなさげだから聞くけどさ」
「うん」
「いつまで人の寝間着に手ェ突っ込んで背中を直に触って、顔を胸元に埋めてんの。ちょっとさ、そういうことされるとオレも我慢できなくなってくるんだけど。誘われてるの? これ」
「……は? いやいやなに言って……」
なに急に訳の分からないことを、と目を合わせた。
──そう、目を合わせた。茉子は、目を合わせたのだ。誰と? もちろん、いつの間にか起きていた馨と。どこか呆れた表情でありながら、少しばかり餓えた狼の面が覗いている馨と。
頬が急に熱くなる。
もっと恥ずかしいところを見られたことがあるのに。それ以上に熱くされたり、蕩々になった顔を見られてイジワルをされたことだってあるのに。何故か、その時以上に恥ずかしさを覚えた。
プイ、とそっぽを向く。とにかく顔を見られたくない。
「おい」
「うっさい」
「……ヘソ曲げるなよ。しかも急に。なんだ、可愛い茉子にゃんはくんくんしてたら馨君起きて拗ねちゃう茉子にゃんなのか」
「……」
だいたい当たってるのがムカつく。
──どうした?──
(いえ。そこのアホに内心当てられてプンプン茉子にゃんなだけです)
──しっかりしろ。傷は浅いぞ──
(……ワタシ、何言ってんでしょうね……)
──いや私に聞くな──
(ですよねぇ)
犬神の物凄く困惑した声を聞いた後、茉子は……
「……にゃ」
「うぁ……っ!? どこ触ってんだっ」
ちょっと、かりかりと引っ掻いた。
猫みたいに。
■
……朝っぱらからペタペタ触られて気が気でなかったし、よりにもよってアイツ……ええぃ、茉子に弄られて最近妙に感度が良いんだよ……
なーにが「馨くんも胸感じちゃえばいいんだ」だ。おかげで次の日色々辛いんだよ。コッチはオマエのそこ弱いからってあんまり弄らないのにまったく。
……今度する時は開発し返してやる。先っぽだけで下が啼くまでやってやる。「ゴメンナサイ」って泣きながら言うまでやってやる。
なんというか、二度目でだいぶ攻めてくるようになられた。往来の悪戯っ子精神やらやや強めの姉性やら、あるいは甘えん坊な面やら……とかく、受け攻め両方ともお望みなもんだから、付き合うコッチも大変だ。
ま、そんな茉子が好きなんだから別段、大変とは言っても本当にそういう訳ではない。むしろばっちこいだ。
「……けど、急にどうしたの? 家に帰るって」
「色々思い出したことがある。だからそれを確かめたいんだ」
常陸家で朝飯を食ってゆっくりしていたが、昼前にはおじさんとおばさんにお礼を言ってから帰宅することにした。相変わらず茉子は着いてくるが、別に何かエロ本処理とかそういうのではないのでモーマンタイという奴だ。
家に着いてさっさと書類置き部屋に行き、ガサゴソと漁り始める。
年代的には古いから、あるとしたらここにしかないんだが……
「茉子、探すのにだいぶ時間かかるから、帰ってていいぞ」
「一人で平気?」
「いつまでも、オマエに甘えるオレじゃないさ」
「そっか。じゃ、またね」
「あぁ。また明日」
フリフリと手を振る茉子に手を振り返し、気合いを入れ直す。さぁて、どれがどれやら。オレの探す物は、過去の記憶と照らし合わせれば、いくら古い物とは言えども確実にあるはずなのだが……
「どこだァ……?」
漁る。漁る。漁る。漁る。
探して探して探して、埃まみれになっても魔人の性能に物を言わせてごり押していく。花粉症にだって滅多なことではならないし、風邪だって引いたことは全くない。筋肉痛とだって無縁だ。
昔、ばぁちゃんが言ってた。この部屋にはご先祖様の残した日記のようなものがあると。それも、この地に来た時のご先祖様の物が。
……今のオレなら、何かわかる気がして仕方ない。だからこうして漁っている。見たら、きっと理解できるのだと確信しながら。
だがしかし、やはり見つかりにくい。棚をひっくり返すように、書類の古さから逆算して何年くらいだと推測。そして一番古そうなのを取って──あとは感覚に頼る。
何故感覚? と思うかもしれないが、オレと虚絶は言ってしまえば表裏一体。身体が覚えている、みたいな感じでなんとなく「これはそうだ」「これじゃない」とか、わかるのだ。そういうのが。
便利なレーダーという程でもないけどな。
さて、そんな感覚に従って多分これ、というものを集めたところで我が身は埃まみれで腹も減った。ので軽くシャワーを浴びてから着替えて飯を作り、食って休んで……そして再開する。
もちろん古文が全部読めるとかそういうわけではない。いくら様々な亡霊より技を盗めると言ってもベースがオレなんだから無理なものは無理だ。もちろんこれまたなんとなくわかるレーダーに頼るしかない。
「……これか」
目当ての書物を発見したのは、再開してから一時間と十五分程度であった。随分ボロボロになっていて、内容が読めるかどうかも怪しい。フィーリングで読み取れるとは言っても、「文字が見える」は何よりの前提条件だ。それができないのならば、当然何もわからない。
「頼むぜ……」
中身の無事を祈りつつ、まずは捲って文に目を通して──
はぁ? と。
オレは、心底から困惑した。
想像できるだろうか。京都生まれ京都育ちのご先祖様、つまり現代的には都会っ子の定義に当てはまる存在が、だ。
『ビバ穂織。実家に帰ってきたような安心感と帰郷感に満たされて幸せである。約束が意味をなさなくなっても我が血骨は穂織に埋める。穂織バンザイ』
……意味は大体こんな感じ。
あとはつらつらと穂織バンザイとか結婚した町娘の可愛さとかが書いてある。それでいいのかご先祖様。あ、祟り神についてはっけ……
『なんか黒いのいた。実家からかっぱらってきたあの無銘の名刀で斬ったら殺せた。ヨシ! 報告しとこ』
いやなんかもう……フリーダムだなこのご先祖様……
『なんか神様なんだから祀ればなんとかなるんじゃね? とか抜かしてたのでお前ら建実神社に祀ってる安産の神様に祟られてんじゃねー。無理っしょって言ったら城下町から出てけって言われた。うっせー! 出てってやるよ! 俺はあくまでも穂織にいたいだけだからな! 常陸殺さねーからな!』
不敬すぎる。
そりゃ城下から出てけ言われるわ。首切られんだけマシだわ。
『なんか朝武の姫さんに犬耳生えてたらしい。きっと長男の祟りに違いないとか言ってる。いや知らんがな』
まぁこっちに言われてもだな。
『訳もわからず朝武の姫さんがぽっくり逝ったそうな。あー、こりゃ常陸に疑いかかるかなぁ? なんか黒いのも最近昼間見かけるようになったからそっちに因果関係あんじゃね』
そうでしたね、はい。
『なんか鎮まりたまえ踊りしてた。そんなんで鎮まるなら誰も苦労はしねーっつの。滅ぼうがどうでもいいわ。土地に殺されるなら、土地から生まれたものとして本望だろうよ。殺されるなら穂織がいい。穂織バンザイ』
……うわ口悪いなコイツ……
てか穂織への執着心がすごい。……ん? 何か、違和感が……
『最近、頭領が神刀とやら担いで新しい姫さんが巫女の真似事、そして常陸が忍びとしてあの黒いの……祟り神とやらを祓ってる。ごくろーさん。俺? 要請来たけど本業常陸の監視と処刑なんで知りませーんって突っぱねた。どうでもいい。そんなことよりウチの嫁と息子が可愛い』
根に持ってんのか。
『なーんか祟り神殺したくなったんで殺しに行ったら助ける形になった。べ、別にあんた達を助けようと思って無銘刀持ち出したんじゃないんだからね!! ……まぁ出来んのにしないってのも気分悪りぃし、手伝ってやるか』
将臣みたいなこと言ってるけど心に響かねえ。
『神刀の為に人柱使ったとか草。もう妖刀じゃん。その人柱もきっと化けて出るぜって言ったら「彼女はそんなことを言ってない」とか言ってやがった。遂に頭まで逝ったかァ?』
本当にいるんですよ……
『いや聞いたけど草しか生えねーわこんなもん。兄貴が傍若無人だから当主にしなかったら他国に唆されて下克上しましたとか当たり前じゃん。なんで殺さなかったの? ウチの一族なら嬉々としてぶっ殺してるねまったく。あー、なんで穂織にこんな奴らいんだろ。俺の楽園が……』
恐らくこうなったのは、奏の件が尾を引いてると見た。しかし、穂織が本気で好きらしい。だがそこを治めている人間に対する不平不満が強すぎる。異常だぞ、何か。
『鞍馬んとこを筆頭に祟り神の為の人柱になれとか言ってきやがったから居合でビビらせたら尻尾巻いてさっさと逃げやがった。草。これだから時代遅れの田舎侍どもは……
追記 朝武の頭領が謝りにきた。やけに焦った様子だったが内部分裂でもしてるのかね。謝られても溜飲は下がらない。何故?』
……なんだ、なんでコイツはこんなにも朝武を嫌っている……?
それからしばらく読んでいても、穂織への強い執着心に、穂織に住む人々……というよりも、朝武を始めとした上位階層への異常なまでの嫌悪感が綴られている。最初の頃は何処の家の誰々さんが優しかったとか書いてたのに、途端に無くなっている。奥さんについてもだ。
そして、あるところでオレの手が止まった。
『遂に頭領がくたばった。流行り病でぽっくりだ。それにここ近年ずっと朝武は女子しか生まれてない。つまり断絶の危機だ。
──素晴らしいじゃないか。
早く死んでくれ。穂織諸共滅んでくれ。我々に謝罪しながら死んでくれ。死に絶えろ、死に絶えろ。総て残らず塵と化せ。
我らに宿痾を与えながらのうのうと生きてきた一族に相応しい末路だ。自分たちの神を殺したが故に神に祟られて消える。こんなにも面白いとは。
あぁ、惜しいな。俺の身体はもう持たん。歩くのも億劫だ。刀も握れぬ。息子に伝えなければ。孫に伝えなければ。我が伊奈神の真なる使命を。
かつて我ら魔人の始祖、久楼否神公暁が探していた影なる我らと対となる光なる一族……朝武と常陸こそがそれであるのだ。そして我らと奴らは同じ始まり──だが奴らには宿痾はなかった。我らだけに埋め込まれた。
ならば真なる使命とは、その滅びを見届けて溜飲を下げることに他ならない。奴らの死に様を見つめ、嘲笑し、助けを求める手を斬り飛ばせ。そして残った草の根の一本に至るまで死滅させ、我ら伊奈神の復讐を成し遂げるのだ。
もし神に滅ぼされぬのであれば、我々が滅ぼしてやろうではないか。
だから奴らに
──赤子の赤子、ずっと先の赤子まで。
……しかし何故あのような女に子を孕ませたのか。穢れた血だと知っていれば、他を選んだものを。
まぁいい。
これより我が伊奈神一族は、神人恋花を殺す永劫の病とならん』
……なんだこれは。
狂気だ。あまりにも恐ろしい狂気だ。信じられない。何かに取り憑かれたように、ひたすらに穂織と朝武常陸両家が滅亡することを望んでその狂気をぶちまけている。こんな悍ましいものを、オレは望んでいたわけではない。
自身の先祖、その変貌ぶりに恐怖しながら残された古い書物の数々に手を伸ばし、中身を見れば全て同じだ。同じように穂織への強い執着心と朝武常陸両家に対する奇妙な嫌悪感、そして最期には滅亡に取り憑かれて己が血族に、恋花の終滅を見届けて溜飲を下げろと語っている。
子を成した相手を穢れた血と呼び、死後にすら会いたくないとまで言い放っている。
……だが、明治くらいから狂気に塗れた呪いを書き綴ったものが途端に少なくなって……やがて大正となった途端にそれはなくなった。
……皆が同じことを言っていた。
宿痾があるのは、魔人なのは朝武と常陸が悪い。だから奴らは滅ぶべきだ。自らを守っていた神の手によって滅ぶべきだ。その終焉を見届けてやっと溜飲を下げてやろう。もし終わらぬのならば我ら伊奈神が終わらせるのだ……
しかし、明治初期から段々と本当にそれが正しいのかという疑問を抱き出して、それを確かめるのだという言い方に変わり、宿痾から解放された大正初期のそれはこう書いていた。
『もはや我らが呪う理由などない。溜飲は遥か過去に下がっていたのだ。もはや滅亡を望み続ける伊奈神ではない。穂織と共にある稲上を名乗ろう。我々も本家も、もはや魔人ではないのだ。忌まわしい歴史は消さねばならない。先祖たちの世迷いごとも、何もかも。
──せめてこれからの子供たちだけは、この怨恨の輪廻から外れますように』
……呪いが祈りになった瞬間だったとも言えよう。200年以上の歳月をかけて、稲上は魔人から人へとなったのだ。
だが、現にオレは魔人として生まれた。何故、今更になって……
それに伊奈神はずっと、朝武常陸を呪い続けていた……それは魔人の宿痾が奴らにあるからと。でも、何故そう言うんだ。始祖 久楼否神公暁が探していた光なる一族だとなんでわかったんだ? コイツらは何を見てそうなった?
何もわからない。何もわからないが……だけどオレにわかることが一つだけある。
コイツらは魔人として覚醒していない。魔人としての宿痾が中途半端に覚醒し、それが穂織への憎悪という形で現れたんだろう。やるやらないではなくて、やってしまうのが魔人だ。本物の魔人なら、既に穂織を滅ぼさんとしても何もおかしくない。
オレでさえ、幼少期に茉子への強烈な
……だが、何故皆、朝武常陸が悪だと断言しているのだろうか。オレには彼らがそうしている理由が、何も理解できなかった。
未完の魔人だからだろうか? いいや……それだけじゃない筈だ。もっと大きな、何か理由がある筈なんだ。
「……聞く、か……」
本音を言えば、少し怖い。
自分もそうなるのでは? と思ってしまうところもあるだろう。
だが、オレはそれ以上の
オレの半分は、芳乃ちゃんと茉子のものだ。
彼女たちの望みを叶える為に、彼女たちにできないことがあるのならば、オレが実行しよう。
オレは
オレは
最初にガツンと決めたことを、徹頭徹尾貫き通す。そうしなければオレの気が済まないから。
人としては生きられなかったが。
だがそれでも、この誓いだけは決して破らない。
オレがオレである以上、どれほど誰に何を言われようとも何を知ろうとも、揺らぐ事のない絶対的な答え。ならば迷う必要も無い。オレは、オレの為すべきことを為すだけだ。狂い哭いて死んだ先祖たちなど関係無い。オレが
「答えてもらうぞ、犬神」
そう呟いて、心中は決意で満たされた。
逃げる必要も、言い訳も要らない。そうと決めたら、貫き通す。ただそれだけ。
オレはもう悩まない。前に進むだけだ。
失われし楽園の一つ、それは好きな人との時間。