千恋*万花~福音輪廻~ 作:図書室でオナろう
──肺炎。
てんで病という物に縁の無いオレだが、婆様が終わり側に患っていた病であるが故に、その存在は深く印象に残っている。
あの後、肉体に帰還したムラサメ様は激しく咳き込んで事態は一刻を争うものへ。心配のあまり将臣は着いて行ったが、待機したオレは大方そんなこともあろうかと予測してあらかじめウチが懇意にしているタクシー会社に連絡をして既に車を回していた。
それにさっさと連絡できるように茉子の影に虚絶を潜ませていたのも吉と出た。
そんなわけで駒川の所には移動中に急患だと告げておいて、到着次第診てもらったところ、ムラサメ様が患っていた病が合併症まで起きてる肺炎だと判明したのだ。
ただ比較的深度は浅かったのか、現代医学ならば投薬しつつ一ヶ月程安静にしていればなんとかなるという。──医学の進歩は素晴らしいものだ。
しかし時間を巻き戻すかのように作用していた神力の影響なのか、それとも……まぁとにかく、なんというかざっくり言えば奇跡のような状態を保てていたということらしい。
なおオレの件については一言。「覚悟しておけよ」と。……はい。
「とりあえず、ムラサメ様はまだ重病人だ。薬でだいぶ楽になることを考えると、治る兆しは十二分にある。けど衛生面にはきっちり気を使ってくれ。風邪なんてもらって来られたら本当に困る。私も定期的に診に行くよ」
「はいっ」
駒川の報告と警告に勢いよく返事をする将臣。実のところ、滅茶苦茶に動揺していたのはコイツだった。それはもうすごくて芳乃ちゃんが微妙な顔をして妬くくらいには動揺していた。
というか仕方ないことなのだが、朝武親子はこういうことに嫌な慣れ方をしているので自然と冷静になるのだろう。
オレや茉子は……冷静を失ってはならないと幼少から叩き込まれていたのが原因か。
「けど、よかった……本当によかった、ムラサメちゃん」
「ご主人。そんなのでは芳乃に妬かれるぞ?」
「俺はお前の相棒なんだぞ。心配に決まってるだろ」
「まぁまぁ。さて、虚絶を貸し出しゃあ大体の問題は解決できるな。いつまでもオレたちが一緒って訳でもないし」
「そうじゃな。しかし吾輩、何処で安静にしておればよいか。馨の家はそもそも遠いし汚いしエロ本転がっておるし」
「言わないでぇ!? 掃除するから! 後で手伝って茉子ぉ!」
「わかってるから大丈夫だよ」
しょうがないなぁ、といった感じの優しい表情の茉子とは対照的に、いい加減にせんか阿呆、と言わんばかりの表情をしているムラサメ様。いやホントごめんなさい。ズボラでごめんなさい。あとエロ本についてはスルーしてください。
「まぁ、この面子の中だと僕らの家だろうねぇ。遠いことには変わりないけど。部屋は……」
「将臣さんの部屋でいいんじゃないかしら」
安晴さんの言葉に反応したのは芳乃ちゃん。しかし一人部屋と言わずに将臣の部屋をチョイスするとは中々意外というか。そんな感じで視線を集めているが、彼女は至って普通に。
「だってムラサメ様、一人だと不安でしょう?」
「芳乃……お主……」
「私と将臣さんが隣にいますから」
とても綺麗な笑顔でムラサメ様に語りかける芳乃ちゃん。善意100%なのは目に見えてわかるのだが、彼氏彼女の男女に面倒を見られるというのはムラサメ様的には色々あるようで、相棒である将臣と一緒にいられる嬉しさを見せるものの、なんとも言えない複雑な色もある表情に。
「吾輩ダシにされてるような気がしてならないのじゃが」
「ダシ……?」
「忘れるのじゃ」
芳乃ちゃん……キミって奴は……
見ろ、安晴さんなんてなんて言ったらいいかわからない顔してるぞ。オレと茉子? 面白いからニヤついてる。
──おい、良いのか。あの女が人に戻れば私と京香を消すことも、ましてや転生をどうにかすることも困難になるぞ──
その件? とうに代役は決まっただろう。そんなに嫌なのか?
──いや、別に……──
煮え切らない態度。同情なぞしないが気持ちはわからんでもない。
「オレはオレで色々やらなきゃな」
「ん? あぁそうか。千景さんまだ戻れないんだっけ」
「ああ。数が結構多いって話だからな、今年の秋口にゃ帰ってこれるらしいけど……ウチは現状役立たずだ。話は流してるが、さて」
しかし、諸問題が解決してムラサメ様の一件も終わりを告げたなら、今度こそ向き合わなきゃいけないのは穂織の今後だ。
そもそも現状ですら目玉の刀がなくなって客足が遠のいている以上、全く楽観視はできない。
さて、どうしたものか……オレも会議に顔を出さなきゃならなくなってきたし、茉子に黙ってることで邪推されるのも面倒だな。
「なんの話だ? 馨」
「ま、後で。とりあえず今はムラサメ様が先だ。安静にしてもらおうぜ」
だが余裕の無さで言えばムラサメ様の方が余裕無い。実際優先するべきはムラサメ様だろう。
そんなわけでオレたちはまたタクシーで戻るのであった。
しかし──
「ご主人、大丈夫じゃと言っておろう」
「でも心配なんだ。いいだろ?」
家に戻っても将臣はムラサメ様に付きっ切り。心配性というか、甲斐甲斐しいというか。
布団にねっ転がったムラサメ様が苦笑しているのに、将臣と言えば本気でハラハラしているというかなんというか。一緒にいる芳乃ちゃんも少し困ってる。
「もう将臣さん、心配すぎですよ」
「けど芳乃、ムラサメちゃんは病人なんだし……」
「ご主人、落ち着け。吾輩はここにいる」
「いや、だってさ」
オロオロとしている将臣だが、見てる分には微笑ましい。だがまぁ笑い事ではないのはオレもわかる。
弱い面を見てきた相棒が再び肉体を得て病と向き合うのだ。そうした場面になれば、多分オレだって色々気になってウロウロする。一瞬茉子が風邪引いた姿を想像したがそれだけでだいぶ焦りを感じるんだし。
ムラサメ様の手を取り、頭を撫でてる将臣だが、良き兄貴分に見える。もしかしたら小春ちゃんが風邪引いたりしてた時なんて、廉と一緒にこんな風に看病してたのか。
キュッとムラサメ様は手を握り返し、少し照れ臭そうにしながら、ちょっと芳乃ちゃんに対して申し訳無さげに──
「なぁ、ご主人。……"綾"、と呼んでくれぬか」
「──綾ちゃん?」
「ちゃんは要らぬ……と言いたいが、あぁ、これは心地良い響きじゃ」
満遍の笑みでそう言うムラサメ様は、心の底から安心しているような雰囲気だった。本当に安心し切って、とても心地良さそうに。
「ほれ、芳乃も呼んでくれぬか?」
「綾様……でいいですか?」
「硬い。もっと茉子や馨に呼びかけるように柔らかくじゃ」
「あ、あ……綾、ちゃん……?」
「うむ。うむ。ありがとう、芳乃」
恐る恐る、と言う感じに。だけど何処か嬉しそうに。
またムラサメ様が笑顔を見せて──今度は離れて見守るオレと茉子に視線を向けた。
「馨も茉子もじゃ」
「綾ちゃん?」
「ふふっ、良いぞ良いぞ。さぁ茉子」
「では、綾さんと」
「むっ、少し他人行儀な……いや、これはこれで良いぞ」
更に顔を綻ばせるムラサメ様だが、ウトウトし始める。
「吾輩は少し、眠る……」
「うん。わかった」
「あぁ、こうして人に見守られながら眠るなど……もぅ……ないかと……」
そうしてスースーと可愛らしい寝息を立てて、満足そうに眠るムラサメ様を見て、将臣は頭を撫でながら穏やかな顔で一言。
「──おやすみ」
様になっている将臣と芳乃ちゃんを眺めながら、オレは横にいる茉子に声をかける。
「いやぁ、すごいな。ものすごく兄貴か親父って感じ」
「本当に板に付いてるというか、すごいよね。なんだかお父さん思い出しちゃった。今日は寝付くまで頭撫でてくたりする?」
「するよ。手も握るし、添い寝だってする」
「ふふ、ありがと。あはっ」
嬉しそうに微笑む彼女がとても可愛い。
オレの彼女がこんなにも可愛いらしいのは天使の生まれ変わりか何かなのですか?
茉子たそや、あぁ茉子たそや、茉子たそや。
愛おしい程殺したくて、彼女を愛したくて仕方なくて、とても愛おしくて仕方ない。
……支離滅裂だな。いや狂気なんだからそんなもんか。
「……寝ちゃいましたね」
「俺はもう少し側にいるよ。芳乃たちは戻ってていいから」
「いえ。私も側にいます。約束しましたから」
「ならオレらは撤退するか。お邪魔虫だし」
「だね。ではお三方、ごゆっくりー」
そんなわけで顔を赤らめた二人に手を振りつつ、オレたちは居間に戻る。
そして気になったことを尋ねる。
「えっと、オレんち?」
「? お掃除するんでしょ?」
「んまぁ、それもそうか。パンケーキ、作るよ」
「あとでムラサメ様にも作ってあげてよね」
「わかってるって」
甘い物を食べられることからか、茉子は中々見れないほどに喜んでいる。
食事も久方ぶりなんだ。いい具合に飯が食えるようになったら作ってあげよう。それに芦花さんに頼んでパフェとかいいかもなぁ。ま、その辺りは将臣が甲斐甲斐しくやるだろうな。
……本当に、人生何があるかわからないモンだ。
複雑に絡まってた糸は解けたし──その途中で余計なモノまで出没したが──一筋縄ではいかなかったが、しかし良い方向に向かって行ったし、これからも向かって行くだろう。こうなった理由と言えば将臣の登場であって……ふむ、運命の思し召しという奴かなコレは。
だが事態をややこしくしたのはオレたちでもあるから少しこう、詫びたい。
そんな感じで思考を回していると、ヒョイと顔を出した安晴さんが声をかけてきた。
「あ、馨君。千景からは?」
「持ち帰って伝えてますが、浮かぶのは採算が取れないものばかりと」
「そっか……まぁ難しいよね。古いのがウリなところで新しいのって言ったってねぇ」
「あの、二人は何のお話を?」
「その件だけど、茉子君。晩御飯の時にムラサメ様も交えて話をするよ。それでいいよね、馨君」
「流石に硬直してしまってますしね。少しでも視点が欲しいのは確かでしょう」
さっくりと話をまとめて、直後自分もここで晩御飯を食べることになっていることに気が付いたが、流石にこのタイミングで色々突っ込むのは野暮ってモノだろう。というか前にも似たようなことがあったが、あの時と違って敢えて離れる必要も無い。
「隠さないでよ」
……が、隠し続けるわ一人で抱え込むわの実績をほぼ常に積み重ね続けて生きていたオレなので、茉子から物凄いジト目と低い声で念を押されてしまう。自分の蒔いた種とは言えども頭が痛い。
「ちゃんと話すから勘弁してくれその顔は。……でも掃除とパンケーキは後日な」
「あ、それもそっか。でも別に今日お泊りしてもいいよね。着替え置きっぱだし」
「もうウチ住むか?」
「あは。まだ心の準備出来てないから、待って」
可愛らしいウィンク付きのお願い、という両手を合わせたジェスチャー。同居がダメで泊りが良い理由がイマイチわからないが……こんなにも可愛い彼女のお願いだ。受け入れる以外などあり得ない。
「はいはい」
わかってますよという意を込めて、苦笑するようにそう言ったが──しかし何故、笑いながらこう言うと茉子は決まって、何処か楽しそうな顔をするのか。
いや楽しそうというか、満足げというか嬉しそうというか……なんて言うか、ネコが足にスリスリし終わった後の雰囲気というか。そんな感じの顔をしている。
……もしかして、オレがはいはいって言うの……好き、なのか? 不思議だなぁ。オマエのバリエーション豊かな「あは」より可愛くもなければレパートリーも少ないんだが。
……ま、ヒトとは不思議なものであるってとこか。
そんなわけで夕食。
実はオレ、お粥というものを食べたことがほとんど無いにんげ……魔人だ。
七草粥かレトルトのお粥しか食べたことがなく、体が弱ってる人にお粥を作る場面を見たことはあれど、そういう風に作ることも食べることもしたことはない。
──なので朝武家で食べる茉子の作ったお粥というものは、貴重な体験だった。
「それで安晴、話とは?」
とても安心した雰囲気のムラサメ様(綾ちゃんと呼ぼうとしたら「言いづらいじゃろうから今まで通りで構わぬぞ」と言われたので遠慮無く様付けさせてもらってる)は、特に何も聞いていないので真っ先に疑問を投げかけた。
「今までは事が事でしたし黙ってましたが、実は穂織の経済が右肩下がりでして」
困ったように言った安晴さんのその言葉に、一気に衝撃を受ける面々。知ってるオレは別に驚くことでもないのでお粥を食べ続ける。
「まだ深刻ではないけど、楽観視はできない状況です」
「な、なんと……そのような」
「穂織がそんな状況だなんて……早く教えてくれてもよかったのに」
「これより大変なことがあるお前に、余計な重荷を背負わせたくなかったんだ」
「それもそっか。ありがとう、お父さん」
……笑顔が多くなったな、芳乃ちゃんも安晴さんも。
オレの中で見てるあの人は、満足そうだが……決して姿を表すことはないのだろうな。それくらい、許されるだろうけれど。けど、彼女はきっとそうしたら……
──何考えてんだろ、オレ。
言わないって約束した。だから流石にこれだけは黙る。それだけの筈だ。だっていうのに、どうしてオレは……この人に、秋穂さんに、もう一度って……そんなことをしたら、彼女に迷いを生んでしまう。彼女の決意を汚してしまう。だから、だから……
チャンネルは向こうが合わせる気が無い。だからこの思考は通じてない。でも、だからって約束を反故にするわけには……
「馨くん?」
「あっ、いや……ごめん。美味くってボケっとしてた」
訝しむ茉子を適当に誤魔化しつつ、また悩みがちな自分に嫌気が差す。クソッ……ままならねえ。
とりあえず、あの件は……京香を引っ張り出してレナと芦花さんと話させてから、ムラサメ様の事が落ち着いてからだ。そうでもしないとオレがパンクする。これこそ余計な話だ。
とりあえずのゴールを定めて無理矢理に様々な念を振り払い、飯と話に集中する。
「その原因って?」
「あー……これ将臣君に言うのも、あれなんだけど……実は叢雨丸のイベントが失くなったからなんだよねぇ……」
「え゛」
申し訳なさに満ち溢れた一言を受けてピタッと固まる将臣だが、冷静に考えれば当たり前のことだ。いくら古く芸術的な町並みや景色、独特の雰囲気に文化、中々にすごい温泉と言ったところで……アクセスが最悪という一点で競合他者に敗北する。
小京都と呼ばれる町並み? ──なら京都で良くね?
独特の雰囲気と文化? ──いや大正浪漫的なモノが欲しくても他で手に入るし?
温泉? ──日本は温泉の名所いっぱいあるよ?
舞? ──他でも見れるじゃん?
……ぶっちゃけ、贔屓目に見ても穂織という土地に魅せられた人々がリピーターになるくらいで、基本は物好きの来るド田舎という評価からは逃げられないだろう。住めば都とは言うが、他の田舎と比べてやや不便であるのも否定できん。それに田舎だからな……人間関係も閉鎖的だ。比較的人付き合いの下手くそなオレですら、穂織に住む人間の顔と名前は完全に一致させることば容易い。
しかしそんなアクセス最悪で他所でもそれなりに見れたり楽しめたりする物だけだとしても、唯一無二の存在がある。
それが叢雨丸を引き抜けるかチャレンジイベント──まぁ実情は一気に神力、生のエネルギーを溜めるためにやってただけなんだが……とにかく、岩に刺さった由緒正しい神刀に触れる機会など、世界の何処を探したって一握りの筈だ。伝説の一端に物理的に触れる事ができる……これが穂織の唯一の長所にして、最大の武器だ。
この最強の剣が、舞と温泉と景色と雰囲気と独自文化と悪魔合体することによって圧倒的なパワーとお得感に繋がり、アクセスの悪さを踏み倒してまでもかなりの観光利益を産んでいたのだが……それが失くなればただの京都のような町並み、美しい景色と温泉、大正浪漫的な服がまとめて楽しめるだけの、アクセス最悪のド田舎である。
言ってしまえば、穂織に利益をもたらしているのは、穂織という歴史そのものなのだ。
その歴史の一つが……しかも最大戦力が欠けた。それが穂織の今だ。
「……そっち、だったのか……っ」
「そっちだったんだよねぇ……」
それくらいしかないからそれら全てが大事。しかしどれが一番比重を置いていたのかは失って初めて気が付いた。
こういうと格好いいが事態は全く笑い事ではない。別の意味で存続が難しくなりつつあるのだ。
唖然とする将臣とそんな将臣を見てオロオロするムラサメ様。かける言葉が見当たらないという奴か。
しかし、この話を聞いた直後から沈黙を貫く芳乃ちゃんの表情が、何処か決断的だったなど、お粥というものを夢中で食べるオレは気付くよしもなし。(よし、だけに)
多分、久方ぶりの生身での食事に舌鼓をうつムラサメ様と同じくらいには、夢中だったんじゃないかな。
一方で茉子は箸を止めてオレを見た。
「もしかして馨くん、ワタシが子犬になる前の、あのお祝い宴会の時くらいから知ってたの?」
「具体的には憑代完成の前から知ってたぞ。オレ、親父とお袋の代理だし」
「そっか。そうだよね。だから茶封筒をあの時──」
「そういうこった」
ま、言うつもりは毛頭無かったが。
だってオレはあくまでも代理。決定権も何も無い。イタズラにタチの悪い法螺を吹くのは得策じゃないし。
──一難去ってまた一難。無情な現実よな──
オマエよりタチ悪りぃよ。
──ま、殺せば済む私と比べて、永劫的に向き合わねばならぬというのは確かにそうだな──
で、京香は?
──ダメだ。物は試しと罵詈雑言をぶつけてみたが、うんともすんとも言わん。完全に閉じ籠ってる──
はぁ、わかった。
「楽観視はできないけど、頭を回している最中さ」
「そうだったんですか」
「迷走してるのは否めないんだけどね。ははっ」
「笑い事ではなかろう。いや笑わねばやれんのか……ともあれ、穂織のその後か。難題じゃのう。茉子、おかわりを──」
「ダメです。いくらムラサメ様の肉体が当時そのままだとしても、万が一肉体と精神の齟齬が起きては困ります」
「そこをなんとかっ。そうだ、後でお主の知らない馨の可愛いえぴそーどを教えるでどうじゃ」
「じゃ、じゃあ……ちょっとだけですよ?」
「ちょっと欲望に素直過ぎないかしら。茉子」
「仕方ないじゃないですか。だって、恋人の話ですよ?」
ん? なんかオレの話題で買収されたような。いや、気の所為だな。
■
運命とは皮肉なものだと。
──伊奈神奏の人生もまた、皮肉に満ちていた。
自分の為に肉親を殺してみたら、血を分けた妹に、彼女自身の為に殺された。死んだと思えば何故か幽霊になって生きているし、その後を追ってきた妹に封印される。
そして実に千年ぶりに目が覚めてみれば、殺す為ではなく反対の生きる為に求められる。何やら無念を抱えた残留思念が虚絶転生にいたから無理矢理に核にしてみれば、その核となった残留思念は自身の対となる一族の者。
……一々数えてたらキリが無い。
そう思い、思考を打ち切る。
(しかしお前はいいのか? 別に、ガワを作り表に出て声をかけても、誰も文句を言わんだろう)
ただ、その核とされた者──すなわち朝武秋穂は、徹底して表に出ることはなかった。たった一度だけ出て、それで終わりである。なんのかんの言って十年の付き合いで、自分という魔人との賭け……穂織は愛されるか否か……に勝った勝利者。その勝利者が報われること無い、というのは奏としては気に入らない。
全ての行動には、それ相応の対価と報酬が与えられるべきである。それこそが彼女の根幹だからこそ。
(別にいいの)
(何故だ? 会いたいのだろう)
(ええ。でも会ってはいけない)
(なんだ意固地か。どいつもこいつも……)
(そういう訳ではないのよ)
京香を引っ張り出すことに疲れ、やってられるかとくつろいでいる中で不意に当たった疑問。誰だって大切な者と再会したいだろうと語る奏だが、秋穂はそれを否定した。
(たった一度だからこそ、尊いものでしょう?)
(わからんでもない。が……だから諦めるというのか。お前とて本心はそうではなかろう。会えるならば会いたいはずだ)
(そうやって会ってしまえば、貴女たちが眠ることもできなくなるかもしれないわ)
(脅す気か)
現状この穂織に存在する亡霊たちは皆、全て虚絶転生と紐付いている。聖邪問わずだ。それもその筈、虚絶転生は単なる妖刀ではない。
確かに生まれながらに呪いを込められ、数多の命を喰らい祟り神にすら通る刃となったが、そもそもその刃が殺めたのは黄泉の魔人。その魂──すなわち黄泉の杭と鎖が宿るモノなど、もはや一種の冥界と言っても過言ではない代物だ。
虚絶転生もまた負の方向性とは言えども正真正銘の神刀である。それ故に断ち切ればその対価を求め、敵手だけでなく担い手すら蝕み破壊する。
本来ならば一殺に一生の終焉を求めてなお有り余る死神の刃、死の権能……それが誰が使おうとも肉体の損傷で済んでいるのは、その対価を蓄積された魂たちが支払っているからに他ならない。
──ただ、完全なる魔人として在るイナガミならば、その対価を払うことすら必要無い。黄泉の魔人が何故、その杭と鎖の力を振るうのに対価を支払わねばならぬのか。
……それ故に、虚絶転生がある限り不穏の芽は摘まれない。奏と京香もまた、虚絶転生がある限りこの世に存在するし、狂った死の輪廻渦巻くコレに呼応して、稲上が魔人として完全に回帰しかねない。
──朝武にかけられた呪いによる、壊れた生死の輪廻の積み重ねにより覚醒した馨のように。
この神代の遺産を消さない限り、真にこの一件に纏わる負の面を消すことはできない。そしてそれができるのは、はるか格上でより純度の高い神の骨そのものとなる叢雨丸以外存在しない。
だがその管理者たるムラサメ……いや、綾は遂に解放されている。よってその真の能力を使うにはまた再び人柱が必要になる。
その人柱を、秋穂を統括人格とした、虚絶転生の中に潜む巫女姫の残留思念たちが代行する。しかし代わりに、自身のことは決して語るな──それが馨と秋穂の交わした"契約"である。
流石に生き恥ならぬ死に恥ばかり晒して、いい加減死にたい奏も、その奏を消して死にたい京香も、この"契約"を破って死にそびれるのはごめんだ。だからこのように脅しだなんだと言葉が出てくる。
(……まぁいい。おい、お前も手伝え)
(京香さん、か)
(あぁ。罵詈雑言飛ばしても出てこないならどうすればいい。煽ればいいか)
(私が言っても聞かないだろうし、さて困ったわね)
内面に潜む者たちもまた、そうした者固有の悩みを抱えるものだ。
(それと……念入りに、不意に繋がらないようにしておかないとな。流石に私とて出歯亀するつもりはない。お前だって、流石に自分の娘の友人たちの夜の営みなぞ見たくないだろう)
(それは……ええ。そうね)
そして現在宿り木となっている馨が、茉子ガチ勢すぎるというのもまた、一つの悩みだ。
■
その後は別に何かあったわけでもない。
ものすごく名残惜しそうなムラサメ様に後ろ髪引かれつつも、オレと茉子は朝武家を後にした。
「ムラサメ様、やっぱり寂しかったんだね」
「だろうな。見えても触れられない、見続けるだけの人生だったわけだし」
「思いっきり甘えてたよね」
「そうだな。甘えてたなぁ」
「良いのか? 泣くぞ? 吾輩泣くぞ?」と言いながら将臣と芳乃ちゃんとで、三人で川の字になって寝ることを要求するムラサメ様を思い返すが、滅茶苦茶張り切ってるというか、甘えてるというかなんというか。
……とかく、楽しそうだったのは事実だ。
「馨くんだって、甘えてくれていいのに」
そんなムラサメ様と比較してか、オレに対して抗議したそうな視線とムスッとした表情を浮かべてくる茉子。
「そりゃあ……アレだよ。オレほら、存在そのものが傍迷惑だったからさ」
きっとオレは、困ったような顔をしているのだろう。
人を頼ったことはあれど、真の意味で人に助けを求めたことはない。自分にできないことならできる人間を頼ればいい。挑戦して助けてくれ、なんて言ったことはない。
むしろ助けを求めるくらいなら万全を期すのが手間が省ける。実にドライな思考だ。
その上、他人に相談したところで元々どうしようもないものと昔から付き合ってきた。他者と致命的に異なる部分のことで助けを求めたとしても、どうやって助けたものかと向こうを悩ませるだろうから言わない。
ホント、よく今まで生きてこれたと自分でも感心するし、よく今まで見捨てられなかったと安心する。そして、茉子がこんなオレのことを好きでいてくれたことに心から感謝している。
けど口では、きっと愛してくれてありがとうなんて言えないんだろう。茉子だけじゃなくて、親父とお袋にも。
「……まぁ、これからやってみるさ。オレなりに」
今でもたまに夢に見る。
もしも自分が至って普通で、魔人なんかじゃなかったらって。けどオレもようやく心底から渇いていた"普通"をこの手に掴めたんだ。やれてないことを、ゆっくりとやっていこう。
──歩くような速さで。
「でも掃除とかはもう明日な。流石に遅い」
ただし。結構遅くまで居て風呂まで借りたのだ。後は寝るだけ。
茉子と同じ風呂に入るのも、回数を重ねれば何とも思わなくなってくる。少し寂しいが、少し嬉しい。彼女の側にいるのが当たり前になってきているのだから。
だが茉子はなんでもないように、シレッと。
「パンケーキ」
「言いたかないけど太るぞ」
「有地さんは良くてワタシはダメなんだ」
「……わかったよぅ」
意地悪な笑顔で、意地悪な言葉に、意地悪な声色と、意地悪な仕草。
そんなことをされたら断れないって知ってるだろうにそれをしてくるなんて、ホント困った
「しょうがない、夜更かしだ。付き合えよ」
「うんっ」
オレはつまらないことしか言えないけど、彼女はとても可愛らしい笑顔を向けてくれる。
──恋人との夜更かしか。
今日もいい思い出に、なりそうだ。
ちょっと本文の解説が分かりづらいかなと思って軽い解説入れときます
虚絶転生の変異について
呪いを込めた生まれ→大量殺人により魂を喰らう呪物としてまず変異→奏の杭と鎖および本人の魂を喰ったことにより神力を宿す→そこに京香が入ることでもう一つ杭と鎖が追加→百年後にはもう擬似的な冥界に
秋穂について
本人ではなく、本人の無念と後悔を宿す残留思念が虚絶に宿った程度の存在を、同じように宿った歴代の巫女姫たちが各部を補強して、取り憑いた安晴の記憶にあった秋穂の性格を再現したもの。本人だが本人ではない不思議な立ち位置。
奏の核
京香は魂を持っているので核は要らないのだが、奏は魂が半分溶けているので補強する核が必要だった。目覚めたのが秋穂が亡くなる前だったので、亡くなった直後の残留思念を核とすることで自律行動を可能とした