千恋*万花~福音輪廻~   作:図書室でオナろう

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遅れてずびばぜん


飴玉

 ──人間、不思議とダメな時はダメである。

 

 朝遅くに起きて、毛布踏んで滑って、弁当作ってたら指を切って(血を舐め取る間も無く治ったが)、家を出た瞬間つまづいて、通学路半ばで弁当を忘れたことに気が付いて戻り、その気になれば余裕で行けるにも関わらずなんか眠いからと遅刻して、朝一で茉子の顔を見れない。

 

 何か良いことないかしら、とか呟きたくなるついてなさ。今日は朝から自分の血の業を見せられているようだ。……まぁ少し言い過ぎだが。

 

「……むむむ……」

 

 そして。

 

「レナ、レナ」

「? カオル?」

「……これサルミアッキ?」

「はい、サルミアッキでありますよ」

 

 おぉ、神よと頭を抱える。

 ──今日、レナが持ってきたのはサルミアッキやベリーソースなどであった。理由は穂織のアレコレについて何かこう、料理面から参考になるかという話のタネついででしかない──つまり特に理由は無い。彼女的には色々な事へのお礼程度でしかないのだろう。

 

 が、サルミアッキ……サルミアッキとは。

 

 何処ぞの阿呆がレナの記憶を引っ張ってオレに流し込んだ所為でわかるのだが、世界一不味い飴とされるサルミアッキの味は想像を絶する。

 疑似体験も可能と言えば可能なのだが──それをやってしまうと恐らく……

 

「どうしたの馨くん。そんなにしかめっ面して」

「サルミアッキ、サルミアッキかァ、サルミアッキねェ……サルミアッキぃ……」

「馨くんってば」

「──ん? あっ、うん。ごめん。ちょっと」

 

 そんなオレの内面もつゆ知らず、茉子がヒョイと覗き込んできた。適当に反応しつつ、本気で悩む。

 

「お兄ちゃん、廉兄。アレ本当に飴なの? なんかヘンな臭いが……」

「気の所為じゃないか?」

「気にしても仕方ねえと思うぞ」

 

 何もわかっていないすっとこどっこい兄妹+αは楽しそうだが、しかし……しかしだ。

 この飴の恐ろしさを、誰かが示さなければならない。

 ……いや向こうの納豆的ポジションと同じようなモノだろうが。

 チラッと芳乃ちゃんに視線を向ける。

 

「馨さん、これ知ってるの?」

 

 無垢な瞳がオレを見ている。

 ──嘘は言えない。

 

「……知ってる。巷じゃ世界一不味い飴って噂だとさ」

「世界一……で、ありますかねぇ? 変な味なのは否定できませんけど、そこまで言われるほどではないと思うでありますよ」

 

 何とも言えない顔で言ったらしい。でなければレナが宥めるように言う筈もないし、それに困ったような顔している筈もない。

 しかし、基本的に弱気になるのは茉子の事か自分の事なだけのオレが、たかが飴一つにそんな顔をしているのがとても珍しいのもまた事実。

 そして何より、飴にビビる魔人だ。普段のオレを知る人からすれば──

 

「あは、怖いんだー?」

「オマエは気楽だな」

「レナさんがそんなヘンなの持ってくると思う? 大したことないに決まってるじゃん」

「言ってくれるなァ」

 

 ヘラヘラっと笑いながら「ヘタレー」と言外に告げてくる愛しい彼女。付き合う前にふざけていた頃の、イジワル姉的な雰囲気を感じる。最近マウント取れないからこういうところで取ろうとしているのか?

 そんなところが可愛いのだが……サルミアッキを食すには勇気が必要だ。

 

「馨さん、馨さん。たまには茉子にカッコいいところ見せたら?」

「え、芳乃ちゃん? ちょっと?」

「どんな飴かわからないけどいいじゃない。チクっとするくらいだと思うわ。だから犠牲になって」

「キミは相変わらずひでぇな……!」

 

 ニッコニコの笑顔。この人本当にそういうところだぞ。将臣にそういうところ見せてるのか? 見せてないとキミの恥ずかしエピソード沢山言ってやるぞ?

 チラリと視線を移そうとして、肩に手を置かれた。置いたのは──廉。コイツもニッコニコだった。

 

「ま、飴だしいいんじゃね?」

「オマエ切り替え早いな」

「いや冷静に考えればお前が常陸さん以外を好きになることなさそうだし、冗談だなってなっただけだ」

「それもそうさな」

 

 ……まぁ、好きになったのがどちらかであれば、どちらかになっていたのだろう。あり得ないIFの話だが。

 しかしオレと廉……ならばあと一人、来てもらおうじゃあないか。

 

「将臣、オマエもだ」

「そんな気はしてた。まぁ、うん……もし馨の言う通りだったとしたらその時はその時。貴重な体験をするよ」

 

 諦めた声。

 ただし割とビビってるようだが、それを咎めることはできまいて。オレも色々後手に回っているのだから。

 

「では、どうぞ〜」

 

 笑顔で差し出されるサルミアッキを貰って、それぞれ口に放り込む。

 

「うん? 少し癖のある味──」

「しょっぱくて苦い、なんか薬みたいな──」

「………………」

 

 味は……確かに苦くてしょっぱい、独特の味。

 しかし──

 

「──────グゲェッ!?」

「廉兄!? 廉兄ぃーっ!?」

「──────ア゛ッ!?」

「将臣さんっ!?」

 

 二人が倒れたが、オレはそれに反応することすらできなかった。

 

 な、なんだこれは──ッ!?

 

 清涼感と共に腐乱臭が全身を駆け巡る! 不味いんじゃなくてこれ臭いがヤバいんだ! ミント味やハッカ飴みたいに鼻にスーッと来るあの感覚に、なんでアンモニア臭が乗ってくるんだよ!? 世界一不味いどころの騒ぎじゃねぇ! 不味くないがヤバいだろうが!

 

「……ぅぷ……」

 

 ヤバい。ヤバいぞ。幼少から慣れているならともかくこれは慣れてない人間に食わせるには段階を踏む必要がある……! それこそ納豆や山葵と同じ立ち位置だ!

 だ、だがオレとてその昔捨てられた冷蔵庫を好奇心で開けて大惨事を起こした人間──こ、この程度……!

 ……いや、なんか……アレらに比べたらだいぶマシか? 何せ視界に広がる暴力は無く、そういうものだと理解しているのだから。そう考えると案外……悪く……悪く……悪いわ! てかこれ後味も最悪だな! 清涼感は結構口に残るのにそれと共に腐乱臭が残るのかよクソが! あぁちくしょう! これ腐乱臭さえなければ結構良いのに!ちくしょう!

 

「……か、馨くん? 馨くんってば」

 

 茉子が心配そうに覗き込んできた。

 ……可愛いな。見ているだけでなんか気分良くなってきた。

 

「馨くんっ!」

 

 口が慣れてきた。

 ので、ゆっくりと。

 

「飲み物、残ってる?」

「へ? あるけど」

「くれ。あと廉と将臣の分も。金は後で。出来るだけ味と臭いの強いやつ」

 

 と言いながら茉子の持っていた水筒をひったくって中身を飲む。……お茶か。

 別に今更恥ずかしがることでもないのに、なんでか少しそんなオレの口元に視線を落とすと、茉子はトタトタと購買に急いだ。

 

「お、オーロラが見える……あれ? なんでひい祖父さんが? 祖母さんは? おーい、どうなってるんだー?」

「オーロラ、オーロラがすごいぃ〜……」

 

 倒れた二人はまぁ……うん。

 あ、将臣は芳乃ちゃんから往復ビンタ食らってる。廉は小春ちゃんにガクガクとゆさぶられている。

 その内帰ってくるだろ。

 

「……レナ。これさ、喩えて言うなら山葵とか抹茶みたいなポジションだよね」

「それだけ馴染み深いと!?」

「違う、そうじゃなくて……オマエがほら、山葵食べたらキツかったって話を前にしてたじゃないか。あんな感じ。慣れれば大丈夫だけど……ってヤツ?」

「あ、あぁ。なるほどであります。確かにそう言われればものすごく納得ですね」

 

 うんうんと頷くレナ。覚えがある分とてもわかってくれるだろう。

 馴染みが無い分強烈だが、馴染んでしまえばさして気にならない。まさしく各国が誇る変な食べ物とそう変わらない。ただ飴、という点においては確かに世界一変な味だろう。

 

 購買から戻って来た茉子が飲み物を介抱している二人に渡した頃には、ダウンしていた男連中は一応立ち上がった。

 

「……すげぇな、世界……」

「……正直甘く見てた……芳乃がいなかったら帰って来れなかったかも……」

「味そのものはさして、だ。苦みが強いくらいで。が、後がすごい。清涼感と共に生臭さが鼻に来て舌に残るんだよ」

 

「そんなに……!?」と戦慄し愕然とする小春ちゃんとは対照的に、芳乃ちゃんは──

 

「そんな筈ありません! 大袈裟なだけです!」

 

 と言ってから貰って放り込み。

 

「……オーロラがキラキラしてきれいでしゅぅ〜……おじいちゃん、おばあちゃん……あははは……」

「芳乃様ァッ!? 帰ってきて下さい! ワタシたちにとって洒落になってませんから! お願いします!」

 

 見事にオーロラを見ることになり、茉子に往復ビンタされていた。

 往復ビンタをする茉子、可愛い。

 

「……あ、あれ? 茉子? 私、オーロラが見えて……あれ?」

「よ、よかったぁ〜……洒落になってないからやめてください、そういうの……」

 

 洒落になってないどころか笑えないので勘弁して欲しい。なにぶん、オレはあの時何が起きていたのかなまじ知っている分、余計に。

 

 ──私を救済者と崇めて欲しいものだな──

 

 黙ってろ。

 

 ──つれないなァ──

 

 ……で、アイツは。

 

 ──いやまったく。お前から行くか──

 

 そろそろ。

 

 ──ふむ。まぁ、鬱陶しいだけだしな──

 

 そろそろ落ち着いたろ。

 ……なら、一人だけ安全地帯にいるヤツに、コッチ来てもらおうか。

 即断即決、オレは茉子の手を引っ張り寄せた。

 

「さて、茉子。オマエも食べようぜ」

「えっ!? い、いやワタシは遠慮しておこうかなー……なんて」

「人には怖いのかとか言いながらいざ自分の番になると怖がるのかぁ。ひどいなぁ、オマエ」

 

 と、ニヤニヤしながら言ってみたが。

 

「それは……あ、あは〜……」

 

 誤魔化すような「あは」。

 そういうところも好きだが、オレは生憎とここで引き下がるほど聞き分けの良い男ではない。

 背に空いている手を回し、顔を寄せると頬を赤らめて逸らされる。なので甘い声を作って耳元で囁くことにした。

 

「大丈夫だよ、茉子──怖くなんてない」

「それでも、その……ね?」

「茉子」

「う、うぅ……ズルいよぅ……」

 

 茉子を喰べて以来、彼女が耳元で囁かれるのに弱いのは知っている。ズルいと言われたところで、別にオレはズルをしていない。単に弱点を突いただけだ。

 ズルというのは口移しとか、そういうことを指すんだ。ていうか一番ズルいのは茉子だぞ。何がズルいってオマエの甘え方めっちゃズルいんだぞ。

 ここはオレが攻め。茉子が受け。故に主導権を渡さない。

 

「ダメ?」

「ダメ……じゃない、けど……」

「ならほら、口を開けて──」

 

 ちゃっかりくすねていたサルミアッキを差し出しながらそう言うと、諦めたように口を開けてくれたので。

 

「ほいっと」

 

 なんか普通入れてやるのも癪なので、ちょうど口内のいいところで止まる位置に飴玉を指で弾いた。倒れることはないだろうと手を離して離れる。

 そうしてしばらくの沈黙の後、茉子はしっかり味わってくれたようで──

 

「…………………………………………ぅぇっぷ…………ひどいよ、馨くん……」

「人をけしかけたんだから甘んじて受け入れろ」

 

 恨み言を言われたところで、オレをけしかけた報いだとしか思わない。

 ただ鞭の飴をあげたのに、飴の鞭をあげないのも不公平か。ジト涙目で睨みながら抗議する茉子の頭をくしゃくしゃと撫でると、気持ち良さそうに、猫のように目を細めたのも束の間。一瞬でキリッとした表情に戻り、手を退けて名残惜しそうな視線を投げた後、オレから離れた。

 

「手慣れてるなぁ。あんなに上手に常陸さんを手玉に取るなんて」

「ナンパの時とは大違いだなあいつ。まぁ、相手が常陸さんだからだろうけど」

「つまり馨はやっぱりヘタレか」

「誘い受けだな」

 

 しかし。

 そんなオレたちに珍獣か何かを見るような視線を投げる男が二人。何をぅ、と反論しようとしたが言いくるめられそうなので放っておこう。

 勝手に言わせておけばいい。別に何と言われようがオレは魔人。人間の評価など──

 

「ただの飴なのに……すっごくエッチだったわね。なんであんなにやらしいのかしら」

「すごくオトナって感じのやり取りでしたもんね、先輩。本当に馨さんって不思議な人だなぁ。へなちょこなのか廉兄みたくガンガンなのか」

「あ、あわわわわ……アダルティなやり取り……カオルってばプレイボーイ、ハレンチですぅ……」

「待って」

 

 なんで?

 なんで??

 なんで???

 いや待ってよ。なんで? は? エロい? なんで? いや待って。

 

「……そんなにおかしかった?」

 

 呆然とするオレは間抜け面を晒しているのだろう。

 そ、そんなにこう……取り立てて騒ぐほどのことなのか?

 いやそりゃ「ホントいつでもどこでもイチャついてオタクらさぁ」くらいは覚悟してたのにまさかオマエ、エロいって……なによ。

 エロ? ……エロって……えー。

 

「茉子さんや」

「知らないもん。馨くんのバカっ」

「あっ、はい」

 

 プイッとそっぽを向かれてしまう。

 ……参ったなぁ。そんなつもりなかったのに。いやでも……まぁ、うん……? オレ、悪い……のか?

 

「え、えっと……あー……えーっと……」

 

 おかしい。

 何も言えない。別に言い澱むようなことではないし。単なる感想なのだから適当に対応すればいいのに、何故かそれができない。思い返して恥ずかしいとかじゃないけど、なんでか茉子にバカと言われて動揺している。

 な、なんだよ。なんでだよオレ。そんな恋愛弱者みたいな──恋愛弱者だったわ。

 

「おっとそうでした。サルミアッキだけじゃなくて、他にも色々あるんですよ〜。例えばクッキーでしたりとか」

 

 そんなオレを見兼ねてか、それともただ単になんとなくなのかはわからないが、とにかくレナが色々と違うモノを見せてくれる。

 助かったと言えば助かったが……なんでだろうな。負けた気がするのは。

 

「あ、ベリーソースもらえる?」

 

 しかしパンケーキに合う、と聞けば黙っていられない。

 気を取り直して、色々と楽しむことにした。

 

 

 

 

 

 ──人間、不思議と可愛いものを見ると一時、心が沸き立つものだ。

 

「のぅ、虚絶よ」

「如何にした、ムラサメよ」

「何故、吾輩を膝に乗せる?」

「理由がいるのか」

「いや……お主……お主なぁ」

「そなたを愛でて、何が悪い」

「……やれやれ、馨の妙なところも引き継いだか」

 

 何故かムラサメは膝の上に乗せられていた。

 ……虚絶の膝の上に。

 

「おい」

「なんだ」

「頭を撫でるでない」

「ダメか」

「ダメというわけではないのじゃが」

「……嫌か?」

「そうではないのじゃが!」

「では何故だ?」

 

 はぁ、とため息を吐く。

 ……流石に困った。困ってしまった。

 "こうしたいから、そうする"。至って普通の考えで、至って普通の理由。馨の裏側に相当するこの存在は、些細な理由で自分のやりたいことをほとんどやらない馨と違って、本当に何か特別な理由でもない限りやりたいことをやるという素直ちゃんになっていた。

 それがなまじ分かるものだが、ムラサメも強くは言えない。

 

「虚絶よ。お主はどうするのじゃ」

「消えるべき時が来たら、消えるまで」

「それで良いのか?」

「そなたが生きるように、我らは消える。それだけのことだ」

「じゃろうな。しかしその時、吾輩が戻らねばならんか──」

 

 ……それを知っているのだろうか?

 

「馨は知っておるのか」

「当然だ」

「そうか」

「なんと?」

「そうしなければ芽は消えぬと」

「……そうか」

 

 会話をした時間も僅かだが、しかし彼女もまた馨の一側面を持つ存在。ムラサメから見れば親戚の叔母のような──あるいは、親戚の子供の姉か。彼女という存在を知れば知るほど、何とも言えない独特な間柄を実感する。

 

「その時は、寂しくなるのぅ」

「元よりありはしない者、そう思うならば──む、そういえば彼奴はどうするのであろうか。あれ以来静かだが……」

「犬神のことか? 確かに茉子からも何も聞いとらんな」

「……もしや、いや……とかく、この一件に関しては向こうからの行動があるだろう。気にしても仕方あるまい」

 

 薄々とは読めるが、実際にどうするかは彼自身の意志だ。静かに朽ち果てるのか、それともまた永き時を歩むのか。

 しかし虚絶にはわかる──彼は朽ち果てる道を選ぶのだと。今の彼は確かにかつての面影を強く見せているが、本質的には恐るべき祟り神である。狂った生死の輪廻があれば魔人として覚醒する稲上同様に、現在穂織に潜む危険であることには変わりない。

 

 古くにあった悲恋より生まれた、悪しきモノを真に滅ぼすには。

 穂織を蝕み脅かす脅威を、根本から取り除く為には。

 

 虚絶に眠る怨恨の魂たちを完全に祓い、そして茉子の中にいる祟り神を祓わなければならない。

 

 深く姉を愛していた彼が、自らが姉の愛を否定する存在となってしまっているのであれば、狂気に身をやつした状態ならば呪い続けるし、ある程度の正気を取り戻したのであれば、潔く眠りを選ぶだろう。

 

 似たような精神構造をしている存在と深く繋がっている虚絶には、なんとなくではあるが、ある種の確信めいたものがあった。

 

(貴公は……死を望むのであろうな。"俺"もわかるよ。だが"私"にはわかる。常陸茉子は貴公の死を望まない。"私"と"私"と"俺"は彼を眠らせるべきだと思うが──オマエはきっと、それに対して心の底から反対して、心の底から『生きて』と祈るのであれば……)

 

 どうしたものか。きっと馨は困るだろう。それでも彼はその首を落とすことを選ぶ。選べてしまう。他ならぬ自分がそうした存在だから。

 

(……さて穂織よ、どう選択する? 過去と未来、どちらに重きを置くのか)

 

 だが虚絶は何を問うわけでもない。

 黙々と主の定めた終末へ向かうだけ。既に終わったモノなのだから。そしてもうすぐ終わるモノなのだから。

 

(馨……そなたのような愚かしい者が、最期の主人になろうとは。クククッ、我は好きだったよ、そなたのことを──実に、冥府の住人らしい思考でな)

 

 ──はてさて、馨という存在と共鳴したのは、ある種の運命と呼べるものだったのか。

 元来ならばただの怨恨に過ぎない一本の妖刀が、ここまで不可思議な因果と内面を持つことになった由縁を考えて、虚絶は一人、静かに笑った。

 

(さて、では……我もまた、"私"を起こすとしようか)

 

 そしてその為にも。

 愛しさのある愚かしさではなく、呆れしかない愚かしさを持ち引き篭もり癇癪を起こしている女に、彼女自身も対処してやろうと動き出すのであった。

 

 

(……なにしてるんだろうなぁ、ワタシ)

 

 自分でもバカなことをしている自覚はある。

 

「……はぁ」

 

 この身の内で疼く欲求なんて、自分で自分を慰めてしまえばそれで済む話なのに、「それだと何か違う」という理由だけで何もしないで、貰ったシャツだけを羽織って布団で寝転がるだけ。

 有り体に言えば。

 茉子は、別段性欲に流されることもなく、ただそれはそれとして悶々としながら何かを求めるわけでもなく、ただただ普段通りの日常を送っていた。

 

「……ホント、何してるんだろう」

 

 どっちつかず。自分で慰めるのか、あるいは抱かれに行くのか。どちらもせずにどちらかを求めている不思議な心。

 ちょっと誘えば馨は建前を失うだろうことはわかっている。だと言うのにそれができない。

 ──何かが違う。そういうのじゃない。

 

(予想もしてない時に馨くんに押し倒されたい……なんて、うぅ……我ながらなんて倒錯した考え)

 

 いやまぁ本音なんてこんなある種の性癖なのだが。

 

 ──人間とは、実に度し難いものだな──

(起きてたんですか!? というか最近黙りっぱなしで心配しましたよ。もう)

 ──心配とは。お前は本当に変わった奴だ。手前勝手な呪いを、苦しみを、当人ではなく一族に押し付けた私の心配など──

(しちゃダメなんですか?)

 ──お前の愛する男が魔人である原因でもあるぞ──

(それは違うでしょう)

 ──私があの時、首を縦に振らなければ……──

(本気の恋をしていたアナタのお姉さんに、大切な人の幸せを心から望めるアナタがそんなことできるワケなんてないんじゃないんですか?)

 ──……自己嫌悪くらいさせろ──

(して欲しくないですよ、ワタシは。だってアナタは自分が正しいと思ったからそうしたんでしょう? 見守ることも、呪うことも)

 ──……──

 

 恨む恨まないというのは話が違う。

 そうもなるという理由がわかっていて、そうなってしまったのだから、これでその話は終わりだ。

 今は、未来に目を向けて進むべきだ。

 

(これからどうするんですか?)

 ──知るべきことは知れた。理解はできないが納得はした。私がこうしてお前の中にいる理由は無くなったのは事実だ──

(もしかして、消え──)

 ──答えは出ていない。しばらく考えて、その上で言う──

(……ワタシは、アナタに消えて欲しくないですよ)

 ──ふん、勝手に言っていろ……──

 

 しばらく二人の間を沈黙が包む。

 困ったのはどっちやら、と思いながらため息を一つ吐いて。

 

(ホント腹立つくらいに、黙っていれば顔はいいよね馨くん……)

 

 いくらサルミアッキを食べさせるためだけとは言え、あぁしてくるバカはそういまい。魔人としての運命なのか、見てくれだけは非常にいい。喋り行動すれば途端にヘタレのゴミカスだが。

 

(黙ってれば綺麗な人。でも喋ればどうしようもない人だし、何かをする度になんかズレてる。それが悪いわけじゃないし、むしろ大好きだし、愛おしいし……もっとして欲しいとか思ってるけど……可愛いし、カッコいいし、甘やかしてくれるし、意地悪だし……)

 

 モヤモヤとして思いを抱えながら丸くなる。

 

(ああもうっ、なんなの馨くん。馨くんなんなのっ。好き、大好き、愛してる)

 ──……まぁ、わかるぞ──

(!?)

 

 悪態なのか、それともただの惚気なのか。自分でも訳が分からなくなって、それでもただただ好きで好きで仕方なくて……そう思い考えていれば、思考が流れ込んだのだろうか。犬神は珍しく茉子に同意した。それも、完全にだ。

 

 ──向こうはまったくそんなつもりがないのだろう。だがこちらとしては、それどころではない。その一挙一動に心が揺さぶられ、ふざけているとわかっているのに声を聞けば考えが止まり、顔を見れば何を言おうか忘れてしまう……──

(わかります……!)

 ──こちらの気を知らないでと思いながらも、しかし何故か許してしまう。おすわり、などと言われてもする筋合いがないのに、どうしてかやってしまう──

(ええ、ええ! わかります! 自分で取ればいいのに取ってと頼まれると、文句とか色々考えしまうけれどしてしまう……わかりますよ!)

 ──わかるぞ。何をとか思いながら結局はしてしまうし、されてしまう──

(で、内心に不満を持ってるとそれを見透かしたようにこっちの心をくすぐるようなことをしてくる。たまったもんじゃないですよ)

 ──本当にたまったものではない。どれだけ鬱陶しく思おうにもその人との時間が心地良くて何も言えなくなる──

(ほんっっっとわかります……!)

 ──あぁ、本当にそうだ。本当に……──

 

 それがたまらなく愛おしい、と二人は言葉も無く同意した。

 

(ホント、どうしようもないですね。お互い)

 ──まったくだ。どうしようもない──

 

 惚れた弱みという奴なのだろうか。いやまったく、互い身に覚えがあるどころの騒ぎではないので、クツクツと笑い合う。

 本当に、愛してしまうということは大変だ。狂気に等しい感情だから理屈なんてどこにもない。

 

「……どうしようかな」

 

 さてはて、こっちもこっちで好き放題やらせてもらおうかなと。

 茉子は楽しげに微笑んだ。

 

 

 帰宅後。

 

「馨、我が半身よ」

「なんだ」

「ムラサメに取り憑き、外殻の役割は果たせるだろうか」

「……それ難しくねぇ?」

 

 ──相応に無茶な話だ。

 そもそも基本構造の違いから始まる。アンドロイドにぬいぐるみのガワを被せたところでどう足掻いてもアンドロイドなのと同じように、人間に虚絶を重ねたところで、普段人間がやることの難しいことができるようになる程度ことでしかない。

 言うなれば、松葉杖とかそういう立ち位置だ。ガスマスクにはなれない。

 

「わかっているが、なんとかしたい」

「駒川から許可出たら普通に出歩かせて差し上げればいいだろ?」

「先日、外へ出たいと」

「無理の無い範囲でなら駒川だって認めるだろうけどさ」

 

 そもそも医学的に見て安静にしていろ、と言われているのだから安静にしていて欲しい。それに加えて元々が神力などという訳の分からないモノで維持されていたのだ。いささか無茶というものだろう。

 

「ダメなものはダメだ。大人しくしてろ、オマエも」

「むぅ……」

「むぅ、じゃない」

「しかしだな」

「オレならわかるだろ」

「だが我は我、汝は汝。半身であるというだけで同一個体ではあるまい」

「屁理屈捏ねるな! 往生際悪いぞ」

 

 しかし虚絶、オレの発言に対して何を感じる訳でもなさそうに。

 

「──正直なことを言えばな。我は、朝武秋穂の一部を宿している以上、我がいつ朝武安晴の前で"私"の言動をしてしまうか心配なのだ。我らの契約内容、忘れてはいまい」

「あー……つまり顔を合わせたくないと」

「有り体に言えばそうだ」

 

 ──そう言われてしまえばオレとて黙らざるを得ない。

 

「考えておくよ。ただ流石に安定を取らないってのは病人に失礼な話だ。難しくなるな」

「然り。まぁ、我とて解している。故、不可能であったとてさして気にせん」

「頼むよ。……まぁあれか、交渉そのものは終わったし、あとで駒川に聞いておくとするか」

 

 流石に許可無く外出させるのもいかんだろう。

 

「……しっかし、減ったなあ」

 

 具体的に言うとオレのワイシャツが。

 なんでかと言うと茉子が部屋着にすると言ってもう着てないヤツを何着か持って帰ったのだ。

 ……一部はオカズ用だとか聞こえたような気がしたが忘れておいてやろう。彼女を愛する彼氏としての優しさだ。

 正直を言えば別に構わないしな。オレを想って慰めてくれるなら、そりゃ嬉しいってもんだし。

 

「……けどあれだな、待たせるのは……あれか」

 

 聞いてたのは知ってる。

 誘ってたのも知ってる。

 ……彼女が欲しいというの気持ちに偽りなどないのだから。

 

「……切っとけよ」

「わかっておる。近々、だろう?」

 

 茉子を、滅茶苦茶にしたい。

 彼女を、喰らい尽くしたい。

 

 ──茉子、愛おしい茉子。

 

 キミが、欲しい──

 

 待っていてくれ、茉子。

 必ず、絶対に、オレはオマエを、喰らうから。




色々な事情が重なって今後の投稿は更に不定期になります。
申し訳ありません。

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