黒曜石の軌跡が肉を抉り、千切り、潰す。
剛力をもって振るわれるマカナは、鋭利な刃物であり、重厚な鈍器でもある。
そこに、かの有名なキングメイカーの加護が重なれば、それはもはや武器の範疇を超えた破壊力を持つ、暴風の顕現である。
「まだ、まだ!止まりマセーン!!」
堪らず後退を選ぶ魔獣に肉薄し、マカナを振りかぶるケツァル・コアトル。高密度の魔力を纏ったその刃は、荒ぶる灼熱のように輝いている。
しかし、その一撃が必殺であることを理解した魔獣は、ある意味で冷静かつ的確な判断を下した。
玉砕覚悟か、捨て身の反撃に出たのである。
「姐さん!」
後方から立香の声が響く。思念に乗せられたマスターの指示は、瞬きほどのタイムラグもなく、ケツァル・コアトルに届いた。
踏み込んだ軸足に、一際力が込められる。ただし、その解放のベクトルに修正が為される。
一瞬の後、ケツァル・コアトルの身体は遥か上空に跳び上がり、魔獣の爪牙は空を切っていた。
相手の頭上を完璧に押さえた。ケツァル・コアトルの必勝パターンの一つだ。
それを知ってか知らずか、魔獣が高く吠える。血の色をした眼が、宙を舞う女神を凶悪に見据える。魔獣は未だ、背水の姿勢を解いてはいない。全霊をかけて、ケツァル・コアトルを迎え撃つ覚悟があった。
そしてーーそれが勝負の決め手となった。
「こういうの、柄ではないんだけどね!」
地を這うような低姿勢で、白い影が魔獣の懐に飛び込んでいた。
纏うのはフード付きのローブ。手にするのは古ぼけた呪杖。およそ近接戦闘には向かない出で立ちだ。
否ーーその右手には、輝く宝剣が握られている。それは杖に隠された裏の手であり、騎士王を育てた剣の腕が、それを致命の一撃へと変える。
支援に回っていたはずのキャスター・マーリンによる予期せぬ斬撃は、魔獣の胴体を深く切り裂いていた。
「ここまでね。アディオス・ル〜ド」
駄目押しとばかりに、魔獣の傷痕から紅蓮の炎が溢れ出す。こちらはマーリンの能力によるものではない。太陽をも司った女神の加護、善神の智慧の譲渡である。
空に跳び上がると同時に、アタッカーをシフトしたのだ。そのように力のやり取りを行った。
ケツァル・コアトルの着地を待たずして、魔獣は苦悶の断末魔を上げ、光の粒子へと消えた。
「オッケー!コアトル姐さん、マーリン、お疲れ様」
「ハーイ!お姉さん、上手にできていましたか?」
「バッチリ!」
「僕が手を出さなくても脳天から真っ二つにしそうな勢いだったね。くわばらくわばら」
戦闘演習を終えた二騎を、立香は笑顔で迎える。
そう、これは訓練だ。連携パターンを、実戦形式で試していたのである。
そして今回のタッグに選ばれていたのが、ケツァル・コアトルとマーリン。
共にバビロニアで縁を結んだサーヴァントたちだった。
「まあ、コアトル姐さんが前衛で不覚を取るってのも滅多にないだろうけどさ。もしもってことはあるし、二人ならスイッチもしやすいかなって。ほら、姐さんは前に出る割には味方の援護得意だし、マーリンはセイバー顔負けの剣技を持ってるわけだし」
「キャスタークラスの吶喊は、意表をつく意味でも効果的かもしれないわね。万が一返り討ちにあっても、マーリンなら仕方ないと諦めがつきマース」
「そこの女神が肉体言語の語り過ぎで支援の勘を鈍らせていても、僕の腕ならどうにかなるしね。うん、実に合理的な人選だ」
「うふふふふ」
「はっはっは」
「よ、よし!じゃあ今日はここまで!解散かいさーん!」
朗らかな殺気が拳に変わらないうちに、立香は慌ててシミュレータを停止させる。
電脳空間が閉じると、マーリンはすたこらと部屋から退散していった。この二人がぶつかる際、はじめに痛い目を見るのは大概マーリンなのである(最終的には痛み分けのことが多いが)。
「まったくもう!私、大抵の子とは上手くやっていける自信があったけれど、あれだけは駄目ね。敵を倒すためなら、平然と背中から突き刺してきそうというか……いいえ、そういう英霊は他にもいるのだけど……」
「面白がってる節があるからねぇ、マーリンの場合……善悪の意識が薄いから、コアトル姐さんも察知しにくいだろうし」
バビロニアにおけるマルドゥーク神罰事件については、今のケツァル・コアトルは記録で知るに留まる。しかし、下手すれば彼女の消滅すら有り得た暴挙を平然とやってのけた男について、彼女が警戒心を抱くのは当然といえた。
「そもそもマーリンは……」
「あはは……話は聞くからさ、ちょっと腰落ち着けよっか」
基本的に理知的で慈愛に満ちた彼女だが、こういう愚痴は長くなる。
立香は頬を染めて謝るケツァル・コアトルを伴い、いつものシミュレータルームを目指した。
〜〜〜
暮れなずむ空と涼やかな風。
晩夏の夕暮れを切り取ったタマモキャットの住処は、電脳上のものとは思えないほどに、立香の精神を癒してくれる。
「そら、ご主人。お茶が入ったぞ。くくるんもいるゆえ、マテ茶に挑戦してみたキャットなのであった」
「その呼び方、ジャガーを思い出してムズムズするわ……あら、美味しい」
「でしょ?疲れた時、心が荒んだ時は、キャットの部屋に限るよ」
「むむ?まさかキャットは良妻というより、都合のいい女枠なのでは?」
訝しげに首を傾げるような所作を取りながらも、そっと奥間に引っ込むタマモキャット。都合のいい女は言い過ぎだが、実際、この気配りには感謝が絶えない。
「えーと、それで。マーリンだっけ」
「そう、だったわね。けれど、今更陰口を叩くのも陰湿デスね……お姉さんのキャラクターではありまセーン」
「……それもそっか」
しばしの間、言葉が途切れる。
ズズズ、とお茶を啜る音だけが、二人の間を漂っていた。立香にとっては穏やかな時間だ。
彼女にとってもそうだろうか、と立香が隣に目を向けると、同じく立香を窺っていたケツァル・コアトルと目が合った。
「……けれど、やっぱり。本質的に噛み合わないのかなって、思うことはあるの」
とっさに目を逸らそうとした立香を、ケツァル・コアトルの言葉が引き止める。
彼女のエメラルドの瞳は、どこか遠くを見るような、それどころか世界を俯瞰しているかのようなーー得体の知れない距離を感じさせた。
「人間のハッピーエンドが見たいと、あの魔術師は言うでしょう?人間個々人には興味はないけど、その紋様に興味がある。本質的には、終わりを望む者。ただ、つまらないぶつ切りの終焉が気に入らないだけ。……人類の、味方ではないわ。心からの信は置けない」
「それは……」
それは、マーリン自身が公言していることだ。
彼は人理の防人として、曖昧な立場にいる。極端な話、マーリンが納得する終焉であれば、彼はその修復に手は貸さない。
そういう立ち回りをする男だ。
もっとも、それは夢魔との混血であるマーリンが、自身との問いかけの中で抱いた目的であり、彼という存在の根幹だ。立香は、その善し悪しを評価する気はない。
だからといって、彼女にも、立香の感性を押し付けるわけにはいかない。
自他共に認める人間好きな彼女である。生命と豊穣、陽と雨と風、遍く人間を祝福する神性として、ケツァル・コアトルは座に刻まれている。
無論、敵を排斥する戦いの神の一面も持つのがケツァル・コアトルだ。
それでも、「人類の終わりを楽しみにしている」というのは、一朝一夕で受け入れられる考えではないのだろう。
「ごめんなさいね、自分から溝を深めるようで。彼を敵だと言うつもりはないの。組んだ時だって自制はするけれど……本音は伝えておいた方がいいかなと思って」
そう言って濁すケツァル・コアトルの表情に、立香は決心する。
彼女のこの不安な顔に向けるべきは、一つ。
「ありがとう、コアトル姐さん。ちゃんと話してくれて。けどまあ、あれのやり方に姐さんが目くじら立てることはないよ」
「そうかしら……」
「むしろ、やり過ぎ。お節介」
「……え?」
虚を突かれたように、ケツァル・コアトルは目を丸くする。
「そもそも、二人とも凄く上から目線なんだよね。人の描く紋様とか言っちゃうマーリンもだけど、人間全員を愛して抱きしめちゃうみたいな姐さんも。一般人の俺からすると、なんて言うか、重い」
「オ……オゥ……」
目に見えてしょんぼりするケツァル・コアトルの姿に、立香は良心が痛むのを感じる。
そのせいか、続く立香の言葉は少し早口だった。
「もっとさ!……肩の力を抜いて、見守っていてほしい。人類史は、マーリンの意向でも、コアトル姐さんの意向でも、そう簡単に動くものじゃない。俺たち人間が、進む方向を決めるんだ。道を歩くのは、俺たちなんだ。……姐さんが、俺たちを大切に扱ってくれているのは、本当に嬉しく思うよ。でも、そこまで張り詰めなくても、俺たちは立ち続けるのを止めない。だから、安心して」
突き放してでも、強さを示す。それが立香の解答だ。
鳩が豆鉄砲を食らったような、ポカンとした顔。
次いで、豪快なくしゃみのように噴き出す美貌の女神。
その瞬間、晩夏の夕暮れは真夏の白昼となった。
「あは!あはははは!そうよね!過保護なのはいけませんネ!ふふ、だから私は人間が好き、マスターが大好きなの!あっははは!」
「わっ、ちょっ……抱きつかないでって!」
「マーリン如き、そして私如きの思惑を、呑み込んでこその人間よね。その無謀にも見える逞しさが、いつだって時代を拓いてきた。そんな姿を、私は愛したのに……ふふ、私もおバカさんデスネ〜」
「……ちょっと……きつい……」
「わかったわ、マスター。あの男を疑わしい目で見るのは止めにする。貴方の器を信じます。だから、これからも……って、あら?」
「…………」
「ミコーン(偽)!やらしい波動を感じて来てみれば、家政婦は見た、ルチャドーラ愛の圧殺事件ときた。これは迅速に171番!」
「それは……災害用……」
ガクリと意識を手放す立香と、力の抜けた彼の身体に慌てるケツァル・コアトル。タマモキャットはわんわん騒ぎながら右往左往している。
「これもまた、幕間としては良いネタかな。王の話は、新鮮なのが一番だ」
その顛末を軒裏で盗み聞きしていた男が、飄々と笑う。
非力な、しかし不屈のマスターを見つめる魔術師の目は、不思議と慈愛の女神の眼差しと、よく似通っていた。