オルタンシアサーガ~物語の終わったその後で~ 作:宮橋 由宇
ここへ来てから、涙を流すのは何度目だろうか。
自分はこんなにも涙もろい人間だったのかと、呆れ返るやら、情けないやら。
そんなことを考えては自己嫌悪に陥って、しょうがないじゃないかと自分自身を無理矢理納得させることはや数回。
衝撃的なことが続けざまに起きすぎて、すこし混乱しているらしい。
なんて益体もないことを考えてる間にも、こつこつ、と一定のリズムで足をならして俺たちはオーベルの屋敷の中を進んでいた。
「着いたわよ」
と、不意に足音が途切れて前を向くと、母さんが扉の前で足を止めてそう言っていた。
ドアノブに手をかけ、ガチャリと引き開ける。
ここが俺の知るオーベルなら、この部屋は談話室だったはずだ。
そんな事を考えながら俺たちは部屋の中へと入って行く。
入ったそこは、記憶と違わず談話室だった。
父さんが中央に置かれたソファに座り、母さんが扉続きになっているリビングの方へと歩いて行く。恐らく、台所に行ったのだろう。
マリユスはどうするべきか迷っているのか、辺りをキョロキョロと見回している。
「とりあえず、座ろう。マリユス」
「あ、あぁ、わかった」
俺が声をかけるとマリユスは素直に返事して、二人で父さんとは向かいに当たる席に座った。
「さて、それじゃ落ち着いたことだし、改めて話をしましょうか」
と、そこにちょうど母さんがカップをのせたトレイをもって帰って来た。
父さんの横に座って、紅茶の入ったカップを全員に渡す。
「ありがとう。母さん」
「どういたしまして。……なんだか感慨深いわね。アルに紅茶を出すのなんて何年ぶりかしら」
「そういえば……確かに」
母さんの紅茶なんて、それこそ18年ぶりぐらいだろう。
俺もまだまだ小さかったし、もうどんな味だったかも覚えていない……と、思ったのだが──
「ぁ……」
一口飲んで、自分の中の記憶が甦る。
いつかの雪の降る冬の日、母さんと二人談話室で父さんの帰りを待っていた時、母さんが入れてくれた紅茶。まだ幼かった俺は紅茶の苦味が苦手で途中で飲むのをやめた。そんな俺を見て母さんは苦笑いして──そしてホットミルクを作ってくれた。…………そんな他愛ない子供の頃の掠れた記憶が。
「美味しい……」
横でマリユスがポツリと呟く。
それを聞いて父さんも母さんも、そして俺も顔がほころぶ。
「それじゃ、そろそろ聞かせてもらいましょうか。……貴女の名前を教えてくれる?」
一段落ついて、母さんがマリユスに門で聞いたことを再度訪ねる。
「あ、えっと、私は……」
マリユスは急に言葉に詰まり、こちらをちらりと見た。
(……?)
……あぁ、いや、そうか。「マリユス」か「マリエル」か。どちらで言うか迷っているのか。
なら……
「彼女はマリエル王女だ。オルタンス」
と、俺が言うまえに父さんがそう告げた。
「そう、マリエル王女──マリエル王女!?」
優雅に紅茶を飲みながら流そうとした母さんが、言葉を途中で止め、驚き振り返る。
「え、えーと……はい……そうです……」
そんな母さんをみてマリエルが驚き固まりながら小さく告げる。
「ちょっと待って!あなたいまマリエル王女って言った!?」
「あぁ、そう言ったが……」
「マリエル王女って……マリエル王女よ!?国王様がここにいる今、今国を支えて率いているのはマリエル王女のはずでしょ!?今のオルタンシアの王族はマリエル王女……いえ、そうかシャルロ王子も居たわね……いえでもシャルロ王子はまだ幼かったはず……オルタンシア王国は!?」
「お、おちついて母さん!口調が変だよ!」
「そうだ、オルタンス!一度落ち着いて──」
「王女様がここにいるのに落ち着いてなんていられますか!──と言うか逆に貴方たちはなんでそんなに落ち着いてるのよ!」
『だって知ってたし……』
「なんなの貴方達!?」
──ん?
「ちょっと待って、なんで父さんがマリユスの事を?」
そうだ、よく考えたらおかしい。マリユスが俺の従者になったのは「父さんが死んだ後」だ。
普通なら知ってるわけがない。
「あぁ、それか……私には、聖権奪還戦争の時の記憶が残っているのだ。……バルデブロン教皇に呼び出された時の記憶がな」
「な……」
それは、今日何度めかもわからない衝撃だった。
聖権奪還戦争の記憶が残っていると言うことは、つまり──
「だから……お前の誓いも、思いも、私は知っている。……よく頑張ったなアルフレッド。お前は、私の誇りだ」
「……ありがとう、父さん」
どうしようもない気持ちが溢れそうになるけれど、今ここでそれを溢れさせるわけにはいかない。もうこれ以上尊敬する両親に、弱いところは見せたくないのだ。
「……私はその話を聞いていないのだけれど、あなた」
「……そ、そうだったか?」
恨みがましそうな目で、父さんを見る母さんに、父さんが慌て、目を逸らす。
母さんはひとつ大きなため息をついて、顔をあげる。
「……まぁ、いいです。その話はまたあとで聞きましょう……それよりマリエル王女」
「あ、はい!」
「まず、こんな内輪の雑多なやり取りを見せて申し訳ありません」
「いえ!……私も、アルフレッドの家族の事を知れて嬉しいですから」
改まって謝罪する母さんにマリユスが少し慌てて返す。
「……それに、ここは王城じゃないですし、別に敬語にする必要はないですよ」
「……感謝を。それじゃあ、望み通り、一人の少女として対応させてもらいますね」
「ええ」
母さんとマリユスが笑い合う。
色々あったが、これでようやく話が最初に戻ったようだ。
「では、改めてマリエル。貴女はなぜここに?……いえ、違うわね……なぜアルと共に?」
母さんの問いに、マリユスが口を開こうとしたその時、
「そこから先は俺が話そう」
後ろから、そんな声が聞こえた。
慌てて振り返る俺とマリユス。そこにいたのは、俺たちもよく知る人物だった。
「ルギス公!それに──」
「レオン公!?」
そこにいたのは、王国の英雄達。──父、フェルナンドと共に神殿騎士として王国を守ってきた二人だった。
2,
「──って訳だ。王女は、マリユスって名前を変えて、アルフレッドの従者として過ごしてたってことだな」
ルギスが母さんにカメリア反乱から終戦までの話をかいつまんで話す。その間母さんはなにも言わずに真剣に話を聞いていた。父さんと、レオン公、そしてマリユスの三人も黙って二人を見守っている。
「……一応、話はわかりました……アルフレッドとマリエル王女が一緒にいる意味も……」
もう冷めきった紅茶の最後の一口を飲み干して、母さんがそう小さく言った。
そして、「ただ…」と続けて、
「王女がアルの従者で、アルの主が王女と言う状況だけがちょっとよくわからないわね」
『あぁ……』
あー、なんか、ごめんなさい。
「……まぁ、いいわ。それじゃあつまりオルタンシアは今シャルロ王子がトップに立ってるということでいいのね?」
「ええ……今の国王はシャロです」
「まだ12,3歳でしょう?」
「……大丈夫ですよ。シャロは強いですから」
心配そうな母さんに誇るようにマリユスは笑う。
……けど、シャルロ王子を誰より心配しているのはマリユスのはずだ。誰よりもシャルロ王子の強さを知っていて……同時に誰よりも弱さを知っている。
けど、だからこそ、か。マリユスはシャルロ王子の強さを誰より信じているんだ。
「その事なんですが……マリエル王女。俺が死んだ後、やはりダーイラと戦争に……?」
ルギスがマリユスにそう問いかける。
「えぇ……あれからも本当に色々ありました。……そうですね。それでは、ルギスの話したあとの事も私が話しましょうか」
マリユスが改めて、といった感じで佇まいを直した。
「ああ、いえ、すこし待っていただけるかしら。話すまえに紅茶を入れ直してくるわ」
「私も手伝おう、オルタンス」
「ありがとうあなた」
と、話始めるまえに、父さんと母さんが席を立つ。
すこし空気が弛緩したような気がした。
暫くして、二人が帰ってきて、母さんがまた同じようにカップを全員に配っていく。今度はルギス公とレオン公の分も増え、計6つのカップが机に並べられた。
そして、マリユスの口から俺たちが体験してきた全ての出会いと別れと出来事が語られる。
カメリアとの戦争より後はマリユスは、ほとんど『王女マリエル』としてではなく『アルフレッドの従者マリユス』として生きてきた。
つまり、マリユスの語る人生(物語)はほぼそのまま俺の人生にも当てはまる。
(……思えば、長かったな)
ルギス公の反乱から始まった『マゴニア』を中心に起きた数々の騒動、事件、戦争。
マリユスと言う、その事件の中核を担う人物と共にいることで、気づけば俺も事件の中心近くには潜り込んでいた。
教皇を打ち倒し、王国を取り戻して、
カメリアとの戦争を経て、ルギス公の思いを受け継いで、
北方と同盟を組んで、スレヴィ王子と共に戦って、
ダーイラ皇帝との決着をつけて……そして、
マゴニアの力をこの世界から消して。
全体でみればとても短い間だったのだろう。だけど、俺の人生において、一番濃密で、長い時間だった。
多分それは、マリユスも同じで……だから、俺たちはここにいるのだろう。
マゴニアを消して俺たちにとっての
(寂しくはあるけれど)
後悔はない。……それは門のところでも父さんに言ったことで、俺の本心だ。
(と、……そろそろ話も終わるか)
マリユスの語りをBGMに物思いに耽っていたら、気づけば話も終盤に差し掛かっていて、もう終わるところだった。
「そして、アルフレッドが最後にマゴニア自身の願いの力でマゴニアの力を消して、マゴニアの力で生き延びていたアルフレッドも消えた……そうですよね?」
「ええ、それで間違いありません」
すべて話終えて、一口紅茶を口に含むマリユス。
顔を上げれば、俺とマリユス以外の4人はみな一様に難しい顔をしていた。
「まさか、そんなことになっていたとはな……」
最初に口を開いたのは、いままでずっと黙っていたレオン公だった。
「バルデブロンに呼び出されたときも、状況のすべてがわかっていたわけではなかったからな……ただ、今自分は教皇の駒で、オルタンシアの敵なのだと言うことしか」
やはり、レオン公も記憶は残っているのか。
「………私はあの夜、国王様がルギスを人狼に変えるのを見ていた……逆上したルギスが、国王を殺すのも」
「…………」
ルギスはなにも言わない。ただ静かに俯いて、レオン公の話を聞いている。
「おかしいとは思っていたんだ。国王の態度も、ルギスがあんなに簡単に王に牙を向いたことも。バルデブロンが裏で何をしていたのかは知らなかったが、なにかよくないことを企んでいるのだろうとは思っていた」
落ち着いたよく通る声で、レオン公は淡々と続ける。
「そして、その事に気づいていながら私はなにも出来なかった。……国王陛下も、フェルナンドも、そしてルギス、お前も。私は誰一人守れなかった」
「そんなこと!」
「私は神殿騎士だ!……仕方がなかったなど、口が裂けても言えん」
「っ……!」
騎士が一番悔いるのは、自分自身が守ると誓ったものを、力及ばず守れなかった時だ。俺は、それをよく知っている。だからこそ、レオン公に安易な慰めの言葉はかけられない。
「結局私は、神殿騎士などと謳われながら、国を守ることもできず、終いには敵にすらなった愚か者だ……アーデルハイドにも顔向けできんな……」
影を落としてそう嘆くレオン公。その言葉に俺とマリユスはギクリとする。
実はマリユスの話のなかでひとつだけ伏せられた部分がある。
アーデルハイドがどうなったのか、ということについてだ。
これだけは、アーデルハイドの父であるレオン公がここにいる関係上、伏せた方がいいだろうと判断してマリユスがあえて言わなかった。
レオン公が一人の時にまた個別に伝えようと思っているのだ。
今の話の流れから、レオン公が気づいて訪ねてこないかと心配したが──それより前に、ルギス公がレオン公の言葉に被せ気味に言った。
「お前が自分の国に敵対する愚か者なら、俺は自分の国に戦争をしかけた大罪人だな……いや、事実そうか」
「ルギス……」
自嘲気味に笑うルギス公に複雑な目を向けるレオン公。
そして、ルギス公がひとつ小さく深呼吸してから、
「すまなかった。レオン、フェルナンド」
そう言って、深々と頭を下げた。
「俺は、お前らをこの手にかけた。……それはどれだけ時間をかけても決してなくならない俺の罪だ。……お前らには俺に復讐する権利がある」
頭を下げたまま、そう言いきって、それでも顔をあげずに続けるルギス公。
「レオンとフェルナンドだけじゃないか。……今ここにいるすべての人に、俺に復讐するだけの理由も権利もある」
「……」
まぁ、事実そうだろう。レオン公と父さんは実際にルギス公に殺されて、俺と母さんは父さんを、マリユスは父である国王陛下をルギス公に殺されている。
俺も、少なからずルギス公に思うことはあるし、それは他のみんなも同じだろう。彼自身が言うとおり、彼の罪は消えることはない。
だが、だ。
「顔をあげなさい。ルギス公」
マリユスの……いや、マリエルの声で、ルギス公が顔をあげる。
いつの間にかルギス公の真正面に立っていたマリエルは、その凛とした瞳でルギス公をしっかりと見据える。
「確かに、貴方は国王、神殿騎士二人、そして不死身の英雄を手にかけ、さらには反乱を起こしてオルタンシアに戦争をしかけた。過去に類をみないほどの大罪人です。その罪は未来永劫……それこそ、死んだあとでも消えることはないでしょう。」
「そして、それを貴方はよくわかっているはずです」
「…………ええ、その通りです」
マリエルの声はまるで鈴の音のように響いて、俺達の耳に届く。
自然と、ひれ伏してしまうような力のある声で、──だけど、とても優しい声。
「けれど、それでも──
「それでも……貴方は、紛れもなく王国の英雄です」
マリエルの言葉に、驚きからかルギス公が顔をあげる。
「ルギス公、貴方の尽力がなければ、私もアルフレッドも、皇帝を打ち倒すことは出来なかったでしょう。貴方は、誰より王国の未来の事を考えて行動していた」
「歩んだ道が正しいものだったとは言えないでしょう。選んだ選択が悔いなきものだったとは言えないでしょう。何度も道を違えて、間違えて、けれど『それでも』と、愚直にみんなが笑って暮らせる未来のために歩んできた貴方を、私は誇りに思います」
王女として、国を背負うものとしての力のある言葉だった。
すべての真相を知るマリエルだからこそ、ルギスの思いを知る彼女だからこそ、本当の『英雄』を知っている。
ルギスは、何度も道を間違え、騙され、苦悩してきた彼は、それでも民の安寧を願い動いてきた、オルタンシア一の英雄なのだ。
「…………感謝を」
最早飾り立てる言葉などいらなかった。
父さんも、レオン公も、母さんも、俺も。
なにも言葉を挟むことはなかった。
マリエルはオルタンシアの王女だ。そして、俺たちはオルタンシアの民であり、王国に剣を捧げた騎士だ。
なら、王女の決定に異を挟むことなどあり得なかった。
仕える王に裏切られ、望まぬままマゴニアの力をその身に宿して、真相を知っても尚悲観せず、それを正そうと奔走し、最後に俺にすべてを託して生涯を閉じた。
そんな波乱万丈の人生を送ったルギス公も。
彼の物語も、ここで終幕を迎えたのだ。