ポケモンマスター ワインレッド/アイスグリーン 作:備中の黒豹
人々は彼らを"ポケモン"と呼んで親しみ、鍛えたポケモンで勝負を競い合うことは、この世で最も名誉なこととされていた。
そんな華やかな舞台とはかけ離れたマサラタウンで、すべては始まったのである。
マサラタウンとは、まっさらな汚れなき白。
自然に溢れるこの町で、少年は育った。
「やーい、"弱虫"のレッド!」
僕は、とんがり頭のグリーンに追い詰められていた。
背には壁。ひんやりとして嫌な感じだ。
「おいおい、これだけ言われて言い返せねえのかよ」
グリーンの見下ろしてくる目は憎たらしかったが、言われるがまま黙っていた。
だって隣にはーーー。
「グルルゥ……!」
僕と同じくらいの大きさをした鳥ポケモン・ピジョンが唸っている。
とにかく悔しかった。グリーン一人ならどうにかなった。けれど相手がポケモンなら話は別だ。とても敵わない。
ああ、僕にもポケモンがいたらなあ……。
毎日のように、僕は母に訴えていた。
「僕、ポケモンを飼いたい」
その度に、母は疲れた顔をした。
「ダメって何度言ったらわかるの」
「みんな持ってるもん。生意気なグリーンだって持ってるんだ」
「あそこはポケモン研究家の家系でしょ? よそはよそ、うちはうち」
「なんで、僕だけ……」
ついに泣きだしてしまった僕を見て、ようやく異変に気付いたらしい。母は僕の肩に手をやって、痣をさすった。
「こんなことをポケモンにさせてる子が、本当にポケモンとお友達になれてると思う?」
「……お友達?」
「ポケモンはね、ただのペットじゃないの。一生をともにするお友達なのよ」
「……よくわかんないよ」
そのときの僕にとって、そんな建前はどうでも良かった。あのいじめっ子、グリーンを見返してやりたい。ただそれだけだった。
僕の気持ちを見透かしていたのだろう。母は首を振った。
「そうね、まだわからないと思うわ。だからレッド、あなたにはポケモンはまだ早いと言ってるの」
「……なんだよそれ」
涙を流すという行為が、子供とはいえ男にとってどれほどプライドを捨てたものか。それでも通らず、僕は見捨てられた気がして家を飛び出した。
「お母さんなんか大っ嫌いだ!」
雨の中突っ走る。逃げるように飛び出したのに、背中には追ってくる気配が感じられず、ひどく物悲しかったのを憶えている。
つらいとき、僕はいつもひとり木の下で体操座りをして、ただうつむいていた。そうするとなぜか気持ちが落ち着くのだ。
そのときも同じように特等席を向かい、息を整えていた。大粒の雨も、木々に遮られて僕には届かない。
ふと、何か鋭い音がした。刃が空気を切り裂く音だ。次いで人間の声が聞こえる。
「ピジョン! "つばさでうつ"!」
よく耳にする、ねちっこい少年の声。ただ、そのときだけはシビれるくらいにカッコよかった。
ピジョンの殴打で芋虫ポケモン・キャタピーが倒れると、グリーンは舌打ちをする。
「ちぇっ! またザコか。これじゃ特訓になんねえよ。なあピジョン?」
「グルルッ……!」
子は親に似ると言うが、このコンビについては特に的を射たことわざだと思う。憎たらしい顔は瓜二つだ。
しかし、そんな一人と一匹でも、獲物を倒す瞬間は漢そのものだった。二連託生、心を一つにしなければできない芸当を見せていた。
おそらく、毎日このような場所で実戦練習を重ねていたのだろう。それも、ピジョンではなく進化前のポッポのときからずっと。
「僕だって……」
グリーンに気付かれない程度に呟く。僕だって、ポケモンさえ手に入れればあのくらい……。
ひとりで妬んでいる一方、グリーンはまた良い稽古相手を見つけたらしく、ピジョンに指示を出していた。
「ピジョン……"こうそくいどう"!」
声音が変わったのが、遠くにいた僕にでもわかった。
ピジョンは攻撃をせず、"こうそくいどう"でそいつの周囲を回りながら、慎重に機会を窺っていた。
グリーンの顔からも余裕がなくなっていく。
いったい何を敵にしているのか。葉陰で全体を確認できない。僕は立ち上がって近づいてみた。
そしてその、長い者の正体に気付く。
「ギャラドス……!」
ポケモンに詳しくない僕でさえ、その存在を知っている。凶暴で獰猛。海における要注意指定ポケモン。その強さは恐れられ、同時に尊敬を集め、ポケモンリーグチャンピオンのエースにまでなっている。
どうしてこんなところに。グレン島に続く水道が近くにあるとはいえ、陸路にまで上がってくるポケモンなのか。
そういえば聞いたことがある。ギャラドスはこう見えて、ひこうポケモンだ。陸でも充分に活動できるのかもしれない。
考えを巡らせるうちに、目の前の勝負は決していた。ピジョンの"こうそくいどう"もむなしく、ギャラドスの"ハイドロポンプ"が翼を貫き、ピジョンは気絶してしまった。
グリーンは腰砕け、何もせずとも気絶寸前だった。絶体絶命の状況。ポケモンにも慈悲があるが、噂に聞くギャラドスに求めてよいかは怪しい。
ギャラドスが息を吸い、胸を反る。ハイドロポンプの準備に入ったそのときーーー。
「"サイコキネシス"」
どこからともなく声、いや波動が聞こえた。それはギャラドスに直撃し、一瞬のひるみを作る。
その一瞬で充分だった。女はもう一つ、技の名を呟いた。
「"10まんボルト"」
ほとばしる電撃がギャラドスを襲う。眩しさに目を閉じ、開いたときには、ギャラドスが地に倒れていた。
隣には一人の女性。長い黒髪を掻き上げ、泡を吹いたギャラドス、ピジョン、グリーン、それからーーー僕へと視線を滑らす。
「怖かったかい? もう大丈夫」
はっとして、僕は進み出た。怖かったというより、初めて見たポケモンバトルに呆気に取られていた。
「早速だけれど少年、この少年とポケモンを、町まで運ぶのを手伝ってほしいの」
目の前にすると一段と美しい女性に思わず頷いた。だが、あのグリーンをまじまじと見ると、途端に嫌な気分になった。
「……ほっといていいんじゃないかな」
つんとして、そっぽを向く。女は僕を、それでも睨みつけたりもせず、諭すように肩を握った。
「本当に、心の底からそう思っているのかい?」
「それは……」
「少年。このグリーンという子の悪い評判は聞いているよ。でもね、この凍えるような雨の中、彼らを見捨てたら死んでしまう。それを、きみは望んでいるのかな?」
正直なところ、死んでほしいとまでは思っていない。しかし少しお灸を据えるくらいよいのではと思ってしまう。
僕が言葉に詰まると、女は優しく笑った。
「少年。わたしは心を読むことができるんだ」
「え?」
「本当だよ。きみは、グリーンの強さに嫉妬している。だから弱い姿を見たいと思っている。違うかい?」
違わない……と嘘をつけばよいものを、彼女の瞳に圧倒されて言えなかった。
女はひとつ頷き、僕の頭をくしゃくしゃに撫でる。
「ダメだぞ。それじゃきみが強くなったとは言えない」
「じゃあどうすれば」
「強さは優しさ。優しさは強さだ」
「どういう……」
「それを意識さえしていれば、いつかわかる日が来るさ」
にっこりと笑みを浮かべて、女はピジョンを背負った。僕も嫌々ながら、グリーンを背負う。
それが、僕とナツメの出会いだった。
母に尋ねると、ナツメのことを語ってくれた。
元々はヤマブキシティの華族だったのだが、不慮の事故で大怪我を負い、自然溢れるマサラタウンに療養に来たという。それが数年前の出来事。傷もかなり癒えた今、じきに帰るのではないかと母は推測していた。
もう会えなくなるーーーそう思うと無性に会いたくなるものだが、僕の場合少し違った。
「強さは優しさ。優しさは強さだ」
この言葉が挑戦状のように思えた。わたしが帰る前に、この言葉の真意に辿り着けるかい?ーーー挑発されているとさえ感じた。
こうして、僕の初恋は一筋縄ではいかなくなった。
まず優しくなろうと、あのいじめっ子どもに笑顔を振りまいた。何をされても笑顔。ほとんどの人には気味悪がられるが、グリーンだけは面白がり、ピジョンを使ってちょっかいをかけてきた。
我慢しきれず、ついには手が出て学級裁判沙汰。早々に「優しくなる作戦」は頓挫する。
途方に暮れた帰り道、もう一度ナツメに会ってみれば何かわかるのではないかと、僕は山道に入っていった。
自然での療養が目的なのに相応しく、ナツメの別荘は山奥にあった。しかし山道は整備され、この前のようにポケモンに襲われる心配はなく、安心して進んでいられた。
そう思われた矢先、道端に一匹のポケモンが固まっていた。
人の手の入った道にポケモンが現れるとは珍しい。興味もあって近づいてみると、そこには。
「ニドラン♂?」
縮こまったニドラン♂が、僕を警戒して威嚇している。しかし悲しいかな、かなり身体が小さいせいで怖く感じない。
「きみ……何に怯えてるの?」
手を差し伸べてみるも、緊張は解けず後退される。普段ならおかしな奴だなと一瞥するだけだが、その震え方はどこか異常性を感じた。
「傷……?」
よく見れば細かい傷が残っている。ニドラン♂やその進化系はオス同士の争いが多く、身体の傷は絶えない。とはいえ、子供の割に傷が多すぎる気がする。
これは決して優しさなどではなかった。ただ単に、ポケモンの謎に対して無垢な関心が湧き起こった。
僕は通りすがるふりをして、ニドラン♂の意識がこちらからなくなった隙に、彼の後をつけて行くことにした。
ニドラン♂はしばらく、草むらを避け、道を歩いていた。本来、野生のポケモンは草むらがホームグラウンドなはずで、むしろひと気のある場所に逃げざるをえないほど草むらに対して怯えるのは、不思議としか言いようがない。ますます興味が湧く。
あるとき、ニドラン♂は意を決して草むらに入っていった。僕も見失わぬよう後を追う。すると岩肌の露出した、荒れた麓までやって来た。
ここが、ニドラン集団の巣だった。
出迎えたのは兄貴分のニドリーノらしい。彼はニドラン♂に何か問いかけ、苛立ったように足踏みをした。
ニドラン♂は常に弱気なようで、問いかけに対して口ごもった。突然、ニドリーノの角がニドラン♂の額を襲う。
「なっ!」
気付かれると僕が蜂の巣だ。口元を押さえて息を殺す。
ニドラン♂は傷を負いながら、精一杯の威嚇をしている。そんなものは見せかけだと、敵対するニドリーノも、おそらく当のニドラン♂すらわかっていながらも、ただ自分を大きく見せようと努めている。
なんでーーー僕は叫びそうになった。野生のポケモンなんてどれも闘争心の塊だと思っていた。それが、どうしてあれほど馬鹿にされても、ただ威勢が良いだけで実質的な無抵抗を続けるのだろう。
ふと、彼の姿が僕に重なった。
「試練の育児……と言われている」
びくりと振り向くと、ナツメが自らの唇に人差し指を当て、声音を静めていた。
「少年、せっかくならよく見ておくことだ。あれはニドラン系の習性だよ」
「習性……こんな酷いことがよくあることなの?」
「ある。一つの家族に生まれてきた子供、そのうち最も小柄な者に厳しく当たり、せめて精神だけは強く鍛えようとする」
「こんなの……意味ないよ」
ニドラン♂の中身は空っぽだ。僕にはわかる。怯えて、何もない強さをアピールする。わかるのだ。だって、今の僕そのものだから。
理不尽な厳しさは、ただ人を卑屈にさせる。それはポケモンにもいえる。愛情を持って接しないとーーー優しさというものを知らないと、強くはなれない。
ニドリーノが二度目の"つのでつく"を放とうとしたとき、僕の身体は勝手に動いていた。
腹にどすんと、重たいものを感じた。
やがて妙に暖かくなり、その気持ち良さからか眠たくなる。
「少年、しっかりしろ!」
ナツメの叫び声が遠くから聞こえる。その方向に目をやると、案外近くにいたナツメと、泣きそうなニドラン♂が僕の顔を覗き込んでいた。
最期に看取られるのが出会ったばかりのこの一人と一匹だとは思いもしなかった。何もない僕の人生にはちょうど良かったかもしれない。母と喧嘩したままなのが悔やまれるけれど。
「……こうなっては仕方ない」
意識が途切れる寸前、ナツメが何かを話した。正直まったく憶えていない。
しかし、その光景はぼんやりとだが憶えている。ナツメが何かを唱え、光が差した。天国のような温もりに包まれて、ナツメの身体は緩やかに丸みを帯び、縮小した。
「……ミュウ」
お伽話で聞いた伝説のポケモンに、それは似ていた。
どういうわけか僕は生きていたらしい。目を覚ますと母をはじめ、あのグリーンでさえ瞳を麗していた。驚いたものの、よく考えれば僕はあいつに貸しがあるわけで、このくらい当然だ。
ナツメに抱きかかえられたニドラン♂も泣いている中、当のナツメだけは微笑んでいるのもなんだか腑に落ちなかった。そういうキャラクターではあるのだが、ついぞ彼女だけは見返すことができなかった。
ナツメは予定を早めて、その年の春にはヤマブキシティに発った。理由は誰に尋ねてもよくわからない。ヤマブキシティのジムリーダー職が空いたため、試験を受けに帰ったという話はあるが、実際のところどうなのか。
とにもかくにも、ナツメが保護していたニドラン♂は、充分に育つ前に彼女の手を離れることとなった。
野生に帰すのはまだ不安だ。では誰が引き受けたかというとーーー。
「お母さん、僕ポケモンと一緒に暮らしたい」
母は疲れた顔をしなかった。
「いいけど、その子のご飯代はお小遣いから引くからね」
「え……」
母と再び仲違いしたのは言うまでもない。
▼レッド 手持ちポケモン
ニドラン♂ Lv.2
▼グリーン 手持ちポケモン
ピジョン ♂ Lv.18
▼ブルー 手持ちポケモン
???