自分が死んでしまったらどれほどの人が悲しんでくれるのだろうか。病んでいるわけではないが、これを僕の人生の主題としている。そんなくだらないことを考えた。自分は一億と三千万人の中の1であり、1でしかない。そこに価値を見いだせなかった。所詮人間なんてものはその程度なのだろうとやけに達観したフリを続けてきた。別に死にたいなんて思ってはいない。死ぬべき理由も見つからない。そして惰性のままに生きてゆく。
自分はどこへ向かっているのだろう。快晴の下、そう思いながら僕は行き先の決まっている鉄の塊に乗り込んだ。「一日一歩三日で三歩。三歩進んで二歩下がる」よく聞く歌詞だが結局のところ三日で一歩分しか進んでないじゃないか、と平凡なことをふと思い出した。実際は一日に三分の一歩なのだなぁと考えてもみたがやはり無粋なので止めた。
僕がそんなにことに思考を費やしている間も鉄塊は動き続け無数の乗客達は各々の手元に視線を集中させている。かくいう僕も同じであるのだが。僕が乗り込んだところから終点まで間に一回しか止まらない。今日のような忙しない朝ではそれは僕のストレスを多少なりとも和らげてくれているがたまにはもっとゆったりとしてもいいと思う。僕はもはや習慣と化しているさして楽しいとも思わないゲームを始め、時間を潰し始めた。このスマートフォンに付いていたイヤフォンを耳につけ誰にも邪魔されない世界に落ちたのだ。
降りる地点につくのがあまりに遅く感じられ多少不機嫌になってきた僕はガラス越しに外を眺めた。都会であった。そこでまた乗り換えのことを考えてウンザリする。そんな毎日を過ごしている。
鉄の塊を変える間の僕の脳内会議の議題はアイデンティティについてであった。アイデンティティとはあやふやなものであることは頭のいい馬鹿でも理解に苦しまずにすんだ。
有名な哲学者が「我思う故に我あり」と残したそうだがアイデンティティとは他人を認識することによって生まれるのではないか、とただの高校生は独りよがりな批判を思いついた。そろそろ学校につくと思うと高くもない気分がさらに低くなっていった。
高校生活は決して悪いものではないのだが全部を盲目的に肯定できるほど完璧でもなかった。自分だってカッコつけてはいるがあくまでも男子高校生なのだ。高校には青春を求めるし、ガールフレンドの一人は欲しい。そんな邪な気持ちからテニス部に所属している。テニスをやっていたわけでもないが、同学年の中では中の上程度の実力と認められている。ただ一度も大会で結果を残せていないので実質的には最弱であるが。
冴えない僕だが想いを寄せている人がいる。同じクラスの紅葉(もみじ)という人だ。彼女は僕とは対照的で成績もよくスポーツも達者であり、習字において何度も賞を貰っているまさに才色兼備以外のなんと形容すればいいのだろうか。同じクラスでなければとうてい接点など生まれなかっただろうし、話しかけられることさえなかったに違いない。彼女は誰にでも優しく、礼儀正しいため先生方も彼女のことを好ましく思っているだろう。
僕は彼女が視界に入ったら見蕩れていた。そして惹かれていた。彼女の持つ優しさと強かさに。
先日、部活の団体戦で僕のミスによりチームの流れを乱し敗退してしまった。チームメイトはみんなのせいだと慰めの言葉を掛けてくれるが、その心では何を思っているか分かったもんじゃない。きっと恨んでいるのだろう、その事を疑うことが出来なかった。
あぁまたか、と一人呟きながら学校を出た。塾に行っているため家に着くのは満月がのぼりきる少し前になる生活をかれこれ三年と今年続けている。この生活に文句はないがよく一人で残しておいてくれたご飯を貪る。今日もまた硬いソファーで眠ろう、そうしたら明日の朝起きられる。睡眠は自分が生物である以上避けられないことであるが、自分から寝たいと思うことは少なかった。それでも電気を消し横たわっていたらいつの間にか僕は寝ていた。
翌日、僕はいつも通りの日々を暮らしていた。親しく思っている男子と馬鹿みたいな話をして休み時間をすごし、昼休みには部活の練習に行く。彼女とは基本的に関わることがなかった。...皆さんくじを引いてください!一瞬静寂に包まれたクラスがまた動き出した。僕は寝ぼけた目を擦りながら体を起こした。そう言えば先週席替えをするって言ってたってけ。そんなことを隣席の友人に確認しながら自分がくじを引くのを待つ。こういうとき彼女の隣を引ければ大きいのだが、そんな邪な気持ちを持って引いたらどうせ無理に決まっている。僕はできる限り無心で引いた。どの席になるのか、意外と楽しんでいる僕がいた。
真ん中より一列だけ前の席で友人と隣になった。すると、後ろの方で彼女が見えないので代わってくれる人いますか?と発言した。あぁそういえば視力があまり良くないのだっけか。
やかましく「俺が代わる」と返答したのは友人であった。しかもめっちゃドヤ顔でこっちを見つめるのやめろ。しかし、友人の思惑通りに事は運ばず、彼女は別の人と席を代わった。僕が黒板を見ると彼女が視界に入るような席の配置となった。あぁ授業に集中できなくなる日々を過ごせるのかと嬉しくもあり、成績が悪い僕には悲しくもあった。
「起立、気をつけ、礼」ただの短い朝の号令だが、これと気前のよい快晴が合わさり一日のやる気を生み出すきっかけとなった。毎授業で2回ワンセットを合計7セットは聴けるのだ。みんなが立つよりワンテンポ早く僕は立ち上がった。そしてまばらに立っている中で座っている者もいた。確かに彼女の声は決して大きい部類には入らないだろう。しかし、しっかりとしていて凛としているとでもいうのだろうか。私は耳を澄まして彼女の声だけに意識を集めた。自分の声は悪い意味で特徴的であることも影響してか、私は再認識する羽目になった。大体のことにおいて彼女には敵わないだろう。唯一勝機があるのはコミュニケーション能力だけだろうが、彼女は自分からコミュニケーションを計る必要がないだけなのかもしれない。何をどう変えれば釣り合うのか考えることも少なくはなかった。だからひたすら部活に打ち込んだ。自分の体調など考えることなく、少しでも上達しようと闇雲に練習を繰り返している。変わりはしない。
世界が鮮やかに色づき始めた曇りの日、僕と彼女は放課後同じ図書室にふたりだけでいた。いや、重要なことを話すためにこのような状況を作ったのではなく、自然となっただけだ。先週僕が図書委員の仕事を忘れてしまい、代わりに今日働けとのお達しだ。僕は本の整理を始めた。彼女には本を貸し借りするためのカウンターを任せた。これから利用する者もいるのかもしれないが、今は二人だけだった。ただ退屈でいや、貴重な時間だ。他に誰もいないのならば彼女と話しても何も言われないだろう。
「今日雨降るかな」ただの世間話で深い意味を特に持つものではなかった。
「-君、降るみたいだよ。お母さんが傘を持たせてくれたもの」僕は驚いて窓の外を見た。曇っているだけかと思ったらまさかこれから雨が降るとは。盛大にやらかしてしまった。僕は傘を持ってきていないのだ。
「...まさか傘忘れちゃった?」
無言で頷いた。すると彼女はカバンの中をゴソゴソと探し始めた。
「やっぱり!-君!私折りたたみ傘持ってた気がしたんだ!」
彼女ははっとここが図書室であることを思い出して少し恥ずかしそうにしていた。まさかとは思うが僕に貸してくれるとでも言うのだろうか。その好意を無下にするわけではないが僕は丁重に断ろうとした時。ガラガラッとドアが開く音がした。先生だ。僕はいそいそと自分の作業に集中してるフリをした。
その後特になく先生は帰って行ったが、少し気まずい空気が流れていた。
そろそろ時間だ。幸運な時間も終わってしまう。結局その後話をすることはなかった。このまま何も無く帰れるな、と思いドアを開けたら
「-君!傘!」
「?」
傘は持ってきていないはずだが、どこに傘があるというのだろう。
「ほら!貸してあげる」
なるほど。そういえばそんな話もしてたっけ。
「今日は雨に濡れたい気分なんだ。運が良ければ明日風邪をひいて休めるかもしれないし。」
男子らしい考えなのか、それともたんなる馬鹿か。ただ負い目を感じたくなかったのだ。当然彼女は僕を訝しげな目で見た。
「んーならいいや。風邪ひかないようにね。」
この言葉を最後に僕はくるりと振り返って帰り出した。雨はやはり降っていた。
翌朝、彼女がいない。いつも登校が早いのに。寝坊でもしてしまったのだろうか。そんなことを考えながら朝のHRを迎えた。
「今日紅葉さんは風邪で欠席です。」
まさか彼女が風邪をひくとは思いもしなかった。同じクラスだからと交換したLINEを開きわずかな悪態と心配を送信した。青空の背景に短い白が2つほど増えた。不親切な機能に変わりはなくまだ見ていないのが分かった。
その日の授業はいつもとはうってかわって真面目に受けた。板書を書き漏らすことも無く、先生の話を聴き重要なことのメモを取った。ありえない話に夢を膨らませ用意だけしていた。友人には
「今日どうした?変なものでも食ったか?」と言われる始末。授業の合間にスマートフォンを開き、返信を期待していたが、結局返信が届いたのは3時頃だった。流石彼女だ。病人であるはずなのにこんな僕にも配慮を欠かさずに心配する文面を添えて返信が遅くなった理由もしっかりと書かれていた。電車に揺られながら。感慨深げにその画面を眺め、そっと閉じた。
冬の団体戦のメンバーから外された。望んでいたことだ。足を引っ張るものがいなければ皆のポテンシャルである程度の結果は残せるだろう。願っていたはずだがとてつもない喪失感に苛まれた。
『お前は必要ない存在なのだ』と
誰かがそう語りかけてくる。
次の日曜日。適当な目的地を決め僕は自転車をこぎ始めた。右、左と交互に足を踏み込みひたすらに進んでゆく。そこに自分の知ったものはいない。チェーンが軋む音と車が近くを通り過ぎる音と、風の音が聞こえる。少し先にコンビニを見つけたのでそこで一度止まった。軽い食べ物と飲み物を買い、イヤホンを耳につけたいして好きでもない音楽を流す。
かれこれ4時間ほど走っただろうか。ようやく目的地についた。目的とは言っても来ること自体が目的であるが。自転車を適当な所に停め、辺りをぶらぶらする。たいしてお金を持ってきていないのでさほどには楽しめないだろうが、景色を見るだけでいいだろう。ただ自分が小さかったころに来たことがある海だ。思い出がある訳では無い。泳げるわけでも、ましてや冬の今泳ぎに来た訳でもない。綺麗な海と空を写真におさめ、自転車を取りに戻った。やはりやみくもに体を動かしたところで気分は晴れなかった。目的こそ達成されなかったが暇つぶしにはなった。また長い道を走り出す。
自転車をこぎながらふと考える。
今まで好きになってきた女子はみんな優しい人だった。優しい人がタイプとしてしまえばそれで終わりなのだが、どうも違う気がしていた。相手のことが本当に好きなのだろうか、それとも相手の顔に映っている自分が好きなのか。分からなくなっていた。ピントがあっていない気がする。自分を自覚できないからこそ相手に映る自分を求めているとすれば好きでもなんでもないのだろう。どんどん考えが黒く染まるのを感じ、自転車のスピードを上げた。
翌週の金曜日。何の変哲もない日だ。変わってるとすれば冬にも関わらず曇っていることぐらいか。いつも通り授業を寝て過ごし、彼女の隣の人が教材を忘れ、彼女と一緒に見ているのをみて羨ましく思い。
そんな日の放課後に僕は彼女を呼び出した。特別に仲がよかった訳でもない。結果は見えている。ただ踏ん切りをつけたかったのだ。
流石に来るものはあった。分かってはいてもやはり悲しいものだと再認識させられた。涙がこぼれないように僕は空を見上げる。気持ちはさっぱりとしたものとは言い難いが、そう思い込む。駅までの帰りにファストフード店に寄り適当に空腹を満たした。
その日の僕は家に帰らず、電車でひたすら遠くまでいった。夕方から乗っていたが、今ではすっかり冷え込んだ夜だ。徐々に乗客は降りてゆき、最後には僕だけになった。誰にも知られないような場所へ。電車に揺られながら僕はたくさんの文字を打っていた。それとは別に彼女へLINEを送った。
「ごめん」と
あわよくば彼女の心に深い傷を残せますように