DayDream 雨夜に見える月   作:Wolke

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05 魔眼に囚われて

 ───楽しい!

 

 初めて、身体を動かすことに日菜は喜びを感じていた。

 

 幾度も骨刀を振るおうとも、眼前の女を捉えることができない。

 

 日菜は───『式』を見た。

 

 止まない歌声を聞きながら、最適化を進めていく。がむしゃらに振るうばかりだった刃筋は、見違えるように鋭くなった。

 

 鋭さを帯びた斬線で十重二十重の檻の作る。

 

「──────」

 

 ついに、女の歌声を止めた。相棒を失ったギターが虚しく弦を震わせる。

 

 けれど、刃は最後まで女を捕まえることができなかった。

 

「あはっ!」

 

 笑わずにはいられない。斬る動作は最適化した。なのに届かない。見る世界が変わった途端、向こうから()()()()()()が来てくれた。

 

 ───すごい! すごいすごい!

 

 日菜の喜びを祝福するように、世界が脈動する。もっともっと深く沈む。

 

 女の───『式』を見た。

 

 視線の動き、重心の動き、筋の一本に至るまで、女のすべてを丸裸にする。

 

 けれどまだ足りない。ただ刃物を振るうばかりでは足りない。───どうすればいい? 日菜は何かに問うた。

 

 閃きが───見えた。

 

 どのタイミングで女が骨刀に視線を向けるのかを見た。何をすれば女が踏み込んでくるのかを見た。斬り込みを避ける際、どのように女が体捌きをするのかを見た。

 

 必要なのは、駆け引きなのだ。

 

 当たらないものを当てるようにする技術。

 

 斬撃の合間に、拳と蹴りが飛び始めた。自身と女の身体能力を比較する。隙あらば歌いだそうとする女の癖を暴き、二つ三つフェイントを混ぜ込んだ。

 

 女が呼吸を整えるタイミングで、日菜は骨刀を走らせる。

 

「──────ッ!」

 

 切っ先が腕を掠めた。制服の裾に切っ先が引っかかり、わずかな音とともに服が破れる。女は乱暴に腕を振るって刃先を逃した。その拍子に、骨刀が薄く皮膚を裂く。女の腕から血が滲む。目に見える成果に、日菜はさらにギアを一段上げた。

 

 日菜の哄笑が女を圧す。

 

 殴り合いすらしたことがないずぶの素人が、ナイフのプロフェッショナルに至るまで、わずか数分の出来事だった。

 

 ひとつひとつ丁寧に、詰将棋をする気軽さで、日菜は女の逃げ道を塞いでいく。

 

 ───難題ってヤツだ。

 

 刃が女の肌を滑る。その都度、骨刀は女の味を噛み締めた。致命傷には至らないが、負わせる傷は少しずつ深くなっていく。

 

 ───できないんじゃない。できるわけでもない。少しずつできるようになる。これが、()()ってヤツなんだ!

 

「もっと! もっと見せてよ!」

 

 心の昂ぶりを言葉に乗せる。応えるように眼球が沸騰した。

 

【観ロ】

 

 彼女の脳は膨大な情報に溺れることなく、あらゆる『式』を解き明かした。その視界はすでに未来予知と遜色ない。

 

 瞳の意思に従って、日菜は身体を踊らせる。地を這うほどに上体を倒し、女の真下から死に至る刃を振り上げる。

 

 瞳の中で骨刀が女の生命を捉えた。切っ先は女の股座から入り、正中線をなぞりながら、頸動脈を断ち出る。ぬらぬらとした赤をまとい、てらてらとした(ハラ)を晒す。この世界に相応しい化粧が成されるまで、あと二秒。

 

「──────っ♪」

 

 口端が釣り上がる。

 

 数瞬遅れて、解が現実と結びつく───

 

 ───その、刹那。

 

 世界を揺るがす踏み込みが、日菜の真横で行われた。

 

【見ロ】

 

 眼が叫ぶ。日菜の命令を離れ、眼球が震源を向く。

 

 それは───地仙であった。

 

 洋が変われば7=4(アデプタス・イグゼンプタス)と呼称される、人間が人間のまま至れる最高位。

 

 道教の(タオ)を身に纏い、不滅の真理をその身に負う。眼前の地仙は、すでに人間の枠を半歩だけ踏み外していた。

 

【───コレが魔法ダ】

 

 脳髄が加熱する。脳内の処理が加速する。日菜の自意識さえも圧迫される。

 

 踏み込みは震脚と呼ばれる中国拳法の技法。

 

 日菜は見た。

 

 震脚の際に生じたベクトルは地仙の足から腰へと伝わり、丹田で螺旋を描く。次いで、肩、腕とベクトルは流れ、掌底に合わせて撃ち出された。

 

 そのベクトルを───呪力と呼ぶ。

 

 呪力が乗った掌底が日菜の身体に刺さる。衝撃で、骨刀はいずこかへ弾かれた。風に遊ばれる枯れ葉のように日菜の身体が宙を舞う。優に二〇メートルは飛ばされた。痛みはあるが、怪我は無い。掌底に、重さが無かった。日菜自身からも重さが消えたかのようだった。二人を視界に収めたまま、日菜は地面に倒れ伏す。

 

 何が起こったのかを、瞳はすべて捉えていた。

 

 軽功。

 

 中国拳法において、高く跳ねたり速く走るための技。達人ともなれば宙を舞う木の葉を足がかりにし、水面を疾走することすら可能とする。地仙の技量は、その領域に至っていると見て取れた。

 

 そう。見たのだ。達人が生み出す『式』を、日菜は見た。

 

 ───演算を開始する。

 

「愚か者! これまで邪神どもが貴様の歌を聞き入れたのは、貴様の(たましい)が奴らの求めるものの代替品足り得たからだ! 聞く耳を持たぬ者に届くほど、貴様はまだ高みには至っていない!」

 

「うっせぇ! だったらいま日菜に届くサウンドを見つけりゃあいいだけだろうが!」

 

 地仙と女の視線がかち合う。苦しげに呻いて、女は自らの両目を押さえた。

 

「狂気に感染したな。症例はなんだ? どれ、診せてみろ」

 

 地仙は強引に女の手を剥がし、女の瞳を覗き込む。

 

「ほう。真理(ロゴス)の魔眼か。低級だが、強制的な魔眼の開眼とは恐れ入る。……ふん。惜しいな。時と場所を弁えれば、貴様の従妹(いもうと)は救世主に成れたろうに」

 

 地仙は女の双眸に息を吹きかけた。痛みを伴っていたのか、女は呻き声を上げた。

 

 息吹には神が宿る。

 

 この地仙にとって魔を祓うという行為は、呼気ひとつで事足りるものらしい。

 

「……違ぇよ佳月(かづき)。クオリアだ。魔眼の開眼なんてオマケにすぎねぇ。事の本質は日菜のクオリアを他人に押し付けることだ。魔眼はその過程で必要になっただけなんだろうよ」

 

(あきら)、何を見た?」

 

「邪神の腸を安住の地にする、クソッタレな光景だよ」

 

『あ。ひょっとして画面越しでもヤバい感じッスか? 暁サンの歌にも耳を傾けないなら、手早く済ませちゃいましょ?』

 

 空から、声が落ちた。

 

 音もなく、一台のドローンが浮かんでいる。軍用ドローンよりも静音性に優れた逸品。内蔵されたスピーカーから、剽軽な声が流れ出ていた。機械の羽虫は掌大の箱を抱えている。

 

 そして。

 

 ───演算を終了する。

 

 日菜は立ち上がる。目の高さまで高度を下げた羽虫が、抱えている箱から真白なガスを噴霧した。ガスの正体を日菜の瞳が教えてくれる。

 

 クロロアセトフェノン。

 

 涙腺を刺激し、視界を奪う。催涙ガスの一種であった。

 

 日菜は軽やかに肉と化した大地を蹴る。飛び上がった身体は、()()()()()()()()()()()、さらなる跳躍を見せつける。日菜が足を伸ばす先には一匹の羽虫がいた。羽虫の羽を圧し折りながら、再度日菜は地仙へ向かって一直線に跳躍する。

 

 軽功、であった。

 

『はぁッ!?』

 

「──────」

 

 足蹴にした羽虫から驚きの声が上がる。眼前の標的は静かに目を見開いた。

 

 その意識の間隙を縫い、日菜は地仙の首筋へ指を伸ばす。

 

「紗夜はどうする!? もう会えなくてもいいのか!?」

 

 女の叫びが、日菜の自意識を揺り動かした。鈍る指先は「───禁ッ!」という地仙の言葉に弾かれる。

 

 瞳は映した。言の葉に込められた呪力の塊を。

 

 言霊と、呼ばれるものだ。

 

 呪力の乗った言霊は容易く現実を捻じ曲げ、そこにあるはずのない境界を作り出した。才能ではなく、血筋によって行使できる理外の術。即ち───魔法。

 

 一生を費やしても、氷川日菜には()()()()こと。されど、不可能というわけではない。新たな難題が日菜の目に飛び込んだ。

 

 けれど、日菜の意識はそれどころではなかった。

 

「……さよ?」

 

 小さく、その名を口にする。

 

 ───おねーちゃん?

 

 心が動く。魔眼の従属処理機と成り果てていた脳髄に仄かな火が灯った。

 

 そうだ、と日菜は思う。

 

 難題に挑戦するのは楽しい。ずっとずっと挑み続けたい。けれど違うのだ。日菜が本当に望んでいたことは。剥き出しになった日菜の心が描くのは。

 

「あたしは、おねーちゃんとひとつになるんだ! もっときれーな世界を! おねーちゃんと一緒に見るんだ!」

 

 原初の祈りを高らかに叫んだ。

 

【見ロ。視ロ。観ロ】と、湧き上がる衝動を捩じ伏せるように、魔眼が吼える。

 

 二つに分かたれて生まれ落ちたことが間違いだった。その間違いを正すため、日菜は今まで生きてきた。決めたのだ。この想いだけは最後まで失くしてなんてやらないんだ。

 

 彼女の魔眼に意思はない。欲望はない。祈願はない。あるのただ『視る』という機能と本能だけ。魔眼とは、人体の一部であるものの、それ単体で独立した魔術器官になっている。日菜の埒外の処理能力によって抑え込まれていた魔眼は、望外と言える奇跡の結晶を立て続けに視ることで、際限のない暴走状態に陥っていた。

 

 己に課した使命があった。

 

 存在理由に等しい本能があった。

 

 二つの目的が日菜という身体の主導権を奪い合っている。

 

 対立は長く続かない。黄金色をした歌声が、日菜を正面から打ち据えた。

 

 心が疼く。

 

 魔眼が熱を帯びる。

 

「おねーちゃんに会わなくちゃいけないのに───邪魔しないでよ!」

 

 蜂蜜のように甘く優しい歌が胸に響く。足を止めてまどろんでしまいたくなるような、日菜にとってはつらく怖い歌だった。日菜は脳みそを掻きむしるつもりで、紗夜に対する想いを奮わせた。陽だまりへ続く道筋を、自ら拒絶する。

 

 魔眼はただ、歌の最奥を見極めるために加速する。

 

 眼前の障害物を排除するため、最高級の入力機器と最高峰の出力装置が噛み合った。

 

 再び、日菜は軽功を用いて突貫する。羽根よりも軽い身体に、刃よりも鋭い徒手空拳を以てして。空気を裂きながら、震脚と同時に女の胸へ掌底を放った。掌底は空を穿つ。横合いから伸びた地仙の手に逸らされた。

 

 進むべき道を塞がれる憎悪を噛みしめながら、日菜はなおも邪魔者を消すために動き続ける。掌、肘、背。すべてを駆使し、張り裂けるほどに心臓を酷使し、脳が煮凝っても構わないとばかりに魔眼の精度を上げる。

 

 自然と散打のように拳を交える形になった。けれど、地仙には届かない。致命を与える一手は、身体に触れる寸前で空を切る。いかに虚を突こうと試行錯誤しても、日菜が描く完璧な『式』に、意図しない外乱が入り込んでくる。

 

【見ロ】

 

 地仙の足跡に呪力が宿っていた。聖人は足跡すらも奇跡になる。文字通り、雲上に届こうとしている地仙から見れば、それは当然の帰結であるらしかった。

 

 足跡はひとつの陣を形作っている。その陣が成すのは───禁呪。『抱朴子』内篇を紐解けば、病魔を禁じれば、疫病流行の中で病人と寝床をともにできるとある。また虫を禁じれば、毒虫や毒蛇から数十里以上も害を避けたとある。白刃を禁ずれば、それを踏んでも傷つくことはないとある。目前の地仙は傷を禁じることで、自身と日菜の身を守っていた。

 

「うう……うぅぅぅ……」

 

 口惜しさが呻き声となって漏れる。子供が大人に遊ばれている。最後まで届くことはなく、また敵うこともない。一矢報うこともできない結末を、日菜は見た。

 

 だから。日菜は叫ぶ。

 

 ───見せろ!

 

 紗夜とともに幸せになる未来を。道を阻むものをすべて蹴散らす術を。あたしに見せろ、と、魔眼に命じる。

 

 そして、日菜は見た。最も有力な神に対して、最も気を引く呪句を、無意識の内に口にしていた。

 

「繝偵き繝ッ繧ェ繧ェ繝の二番目の姪が乞い願う」

 

 全身の血液が鉛に変わったような異物感。自分の中にあって然るべきものが消えていく喪失感。知ったことか、と日菜は覚悟を唱えた。

 

「──────にゃるら!」

 

 まず、右腕が二つに割れた。中指の先端から、肩にかけてパックリと。断面は磨かれたルビーのように滑らかで、血は一滴もこぼれない。左右に分かれた右腕は、次に上下へ分かれた。分かれて、分かれて、分かれて。一本の右腕は幾百もの触肢へと変じた。

 

 ゴルゴロスのボディ・ワープ。

 

 ニャルラトホテプに呼びかけることによって、自身の身体を変質させる呪文だった。

 

 イメージは剣山だ。人形の全身を、巨大な剣山で押し貫く様を幻視する。クロスレンジで行われる、点を束ねた面制圧。逃げ場は無い。先鋭化した触肢は地仙の全身に穴を空けた。

 

 同時に肉壁と化した大地にも同様の攻撃を加えた。星が悲鳴を上げるように血を吹き出し、地仙の足跡をぐちゃぐちゃに穢す。

 

 なのに。

 

 またしても。

 

 日菜の必殺は空を切った。

 

【視ロ】

 

 地仙は世界に溶けるように存在が希薄になっていた。位階を天仙へ押し上がるかのような自己の流出。しかし、そうではない。この瞬間に限り、地仙は日菜と同じ位相に立っていないことを見て取った。

 

 火眼金睛が笑う。

 

「今だ」

 

 ここに居るのに、ここではないどこかに居る地仙が合図を送る。

 

 ぽん、と可愛げのある音を立てて、何かが射出された。

 

 昆虫染みた反射で日菜は音の発信源へ魔眼を向ける。

 

 視線の先にあるのは羽を潰された羽虫の残骸。羽虫が抱えていた箱が開いて、別のパッケージを撃ち出している。

 

【観ロ】

 

 魔眼を通し、日菜は見た。そして───目を奪われた。

 

 パッケージの大きさは縦に三十二センチ。横と奥行きはどちらも五センチであった。パッケージの材質は透明なプラスチックで出来ており、内容物は丸見えだ。

 

 シリコンで作られた麻羅観音を模した道具。振動、スイング、ピストン機構を搭載したソレは、いわゆるひとつの───大人のオモチャ。

 

「やはり魔眼持ちを相手取るにはこの手に限る」

 

『ソレをドローンに仕込むために手渡されたときのアタシの気持ちを考えることができれば完璧な作戦ッスねェ~~~』

 

 邪視避けだ、と日菜は看破した。

 

 注目を集めやすいものは往々にして存在する。醜いもの、汚らわしいもの、そして卑猥なものには見られる力が強く働いている。

 

 魔眼や邪視といった力のある視線を強制的にそちらへ移すことによって、自身を呪いから守るまじないだ。

 

 平時なら、嫌な顔をひとつするだけで済んだ。けれど今は無理だ。日菜が持ち得るすべてのリソースを魔眼に注ぎ込み、魔眼は本能のまますべてを解き明かそうと加熱する。

 

 強すぎる日菜の見る力は、地仙が用意した性具と強く結びつき、瞬きすらも禁じていた。

 

【見ロ】

 

 日菜はパッケージに貼り付けられた黄色い呪符を見た。銀朱で綴られた文字は火を司る神獣を表している。

 

 暗黒を照らし、すべてを焼き尽くす、太陽に次ぐ威力をもった呪法。

 

「龍樹王如来、授吾行持、南方丙丁火、焚火大法。

 龍樹王如来、吾是南方丙丁火、収斬天下火星振、千里火星振必降。

 ───急々如律令」

 

 歌うように、地仙の口から口訣が流れた。

 

 見ちゃダメ! という日菜の悲鳴は、【見ロ! 視ロ! 観ロ!】という魔眼の絶叫にかき消される。

 

 釘付けになった視線の先で。

 

 ───太陽が、生まれた。

 

 

       ◇

 

 

 灼けた視界はすべてが白に染まっていた。

 

 何も見えない。真の闇すら日菜は見たことがない。何も見えないという状況は、日菜がこの世に生れ落ちて初めての体験だった。

 

 焼かれたのだと思っていた、それも灰すら残さずに。これが死だと言われれば、きっと鵜呑みにしてしまう。

 

 脳髄の奥から響くきしきしとした痛みと、ガタガタになった全身が発する鈍痛が無ければ、生きているとは到底思えない光景だ。

 

 眼の奥には、未だに火の呪術の残滓がある。眩いばかりの閃光が日菜の網膜に張り付いて、彼女の魔眼を灼き続けていた。

 

 喘ぐように息を吐く。萎んだ肺がすぐに膨らんで、空気を吸ったのだと思う。

 

 よく分からなかった。

 

 死に体と言っていいかもしれない。残りすべての寿命を燃料に、限界を超えて脳の処理能力を引き出して、身体の駆動限界を超え続けた。

 

 ───とっても、ぞんってするよ。

 

 息絶えていないのが不思議な惨状で、日菜はすべての細胞を犯す感情を知覚する。

 

 知識と照らし合わせれば、未知の感情に名を付けることは容易かった。

 

 その感情の名を───恐怖という。

 

 怖いものなど無かった。万象には原因があり、過程を経て、結果へと至る。そのすべてを正しく理解できる日菜に、恐れるものなど無かったのだ。

 

 けれど、今は耐え難い恐怖を感じている。

 

【見ロ。視ロ。観ロ】

 

 もう何も見えないのに。何も見えないからこそ、何かを見ようと魔眼はうぞうぞと蠢いた。擦り切れそうな脳や肉体の負担など慮外の外。身体の一部に、日菜のすべてが使い潰される。

 

 日菜の心が悲鳴を上げる。正気に戻った魂とは対照的に、魔眼はどこまでも暴走する。

 

 ───いやだ。もう見たくない。

 

 ───こんなの、『特別』じゃない。

 

 ───こわいよ。たすけて。おねーちゃん……。

 

 するり、と柔らかな布が日菜の顔を撫でた。なめらかな肌触りは、いつかの姉の長く長い髪を思い出させる。布は日菜の両目を覆った。視界が闇に閉ざされる。

 

【───魔眼、殺シ】

 

 この呟きを最後に、日菜の魔眼は沈黙した。闇の中で瞳が閉じる。

 

 真っ暗闇。本物の真の闇があった。生物としての原初の恐懼が日菜の胸を突く。

 

 ───こわい。会いたいよ。おねーちゃん……。

 

 か細くて、寒くて、震えが止まらない。どんなときも隣にあった温もりを夢想する。

 

 魔眼が機能停止したことにより、脳のリソースが大量に解放された。空いた領域で、日菜の頭は耳から入ってきた情報を処理し始める。

 

 団欒が聞こえた。

 

 耳を奪われる。しっとりとした胸をすく歌声が、すり減った活力を補ってくれる。スローテンポのバラードは、暴れ狂う日菜の心臓を根気強くなだめ落ち着かせた。

 

 姉が恋しい。片時も離れなかった双子の片割れが無性に恋しい。

 

 紗夜を思う声が、心に溶けて消えていく。

 

 紗夜だけが鳴らす足音のリズム。その『式』を思い返した。

 

 紗夜だけが発する囀るような愛らしい声。その『式』を思い返した。

 

 紗夜だけが持つ個々のパーツがバランスよく配置された顔。その『式』を思い返した。

 

 ───あれ? と日菜は思う。

 

 ───おねーちゃんって、どんな顔してたっけ?

 

 毎日見ていたはずの顔を思い出そうとしても、頭に浮かぶのは紗夜を構成する『式』ばかり。『式』に覆われた紗夜の顔は、どれほど『式』を掻き分けようとも像を結ぶことはなかった。

 

『こんな風にごちゃごちゃしてたら、肝心のお顔が見えないじゃない』

 

 紗夜に思いを馳せる中で、かつて、紗夜からかけられた言葉を思い出す。

 

 ああ、と日菜は嘆息した。

 

 ───バカだなぁ、あたし。もっとちゃんと、おねーちゃんの言うこと、聞いておけばよかった。

 

 そして感じていた団欒は微睡みへ変わり、微睡みは深い眠りへと日菜を誘う。

 

 双眸は覆われた。魔眼は閉ざされた。最後には日菜の意識も封じられた。

 

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