DayDream 雨夜に見える月   作:Wolke

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03 トルネンブラが歌った日

「トルネンブラだろ? 裏で指揮棒振ってんの」

 

「アレにも、名前があったんですね……。いえ、それを知る貴女は一体何者ですか?」

 

「さぁな。私もいま断片的に思い出したところなんだ。ジャネーの法則っつーのかね。物心ついたときから、やることなすこと全部に既視感(デジャヴ)がついて回って、時間の流れも異様に早く感じて面白味のない人生過ごしてたんだけど、アンタのおかげでようやく取っ掛かりを掴むことができた。感謝してるよ」

 

「ならこの先どうなるかもわかってるんでしょう? 感謝してるなんて言うくらいなら、素直に歌ってくれませんか? それが一番穏便に済みます」

 

「まあ、だいたいは読めたけどね、私のことはどうでもいいんだ。何遍も言わすんじゃねぇよ。私は、アンタの話をしてるんだ」

 

「わたしの話こそ、どうでもいいでしょう」

 

「私にとってはよくねぇんだよ。答えろよ。こっからだと演奏が聞こえないけど、アンタが最後に音楽を聴いたのはいつになる?」

 

「――――――」

 

「ここは音楽家が集められる空間だろ。アンタだって最初は演奏する(こっち)側の人間だったはずだ。アンタが最後に音を奏でたのはいつになる?」

 

「――――――」

 

「アンタ、歌いたくはないのか?」

 

「―――それは進行役の役割ではありません」

 

「役割なんて聞いてねぇ。アンタの気持ちを聞いてるんだ」

 

「――――――歌えるものなら歌っています……っ」

 

「じゃあ歌いに行こう。ステージが待ってる」

 

 

       ◇

 

 

 ―――大人になれよ。

 

 メジャーバンドへ進んでから、幾度となく言われ続けた言葉だった。

 

 歌いたい曲と求められている曲が合致するとは限らない。わかっていたことだ。

 

 商売としての色が濃くなってしまうからこそ、より売れると思われる方向へ流れてしまう。仕方のないことだ。

 

 だからと言って、簡単に割り切れるものでもない。

 

 ―――大人ってなんだろうな。

 

 それこそ、いい歳した成人男性が考えるようなことではない。それでも湊は考えずにはいられなかった。

 

『普通にカッコイイ大人だと思うぜ』

 

 先ほど耳朶を打った少女の言葉が繰り返される。そう言われるのはやはり嬉しい。だから同じだけ悲しくなる。

 

 歌っている自分は、きっとカッコよくないのだろう。

 

 扉をくぐった先はステージの上だった。

 

 煌々とライトに照らされるステージは輝きにあふれ、対照的に観客席は深い闇が覆っている。

 

 アリーナ席にもスタンド席にも聴衆は一人たりとも居やしない。人影が闇に呑まれているということもなく、本当に人の気配がしていない。

 

 なのに。

 

 この見られているような感覚はなんなのだろうか。

 

 闇の中で、音が鳴った。

 

 湊には知覚できない何かが、そこにいる。不気味な、心胆寒からしめる威圧感が湊を襲う。

 

 進行役の少女が発していたものとは次元が違う。こちらの方がより恐ろしい。核から、根本から、何もかもが間違っているような。

 

 ソレが『歌え』と言った。

 

 声は無かった。わかりやすいアクションがあったわけではない。しかし、恐怖に突き動かされた結果だとしても、歌わなければならないと湊は思ったのだ。

 

「けど、いきなりステージの上に立たされてもな……」

 

 ヴァイオリンやサックスなら、楽器単体で演奏するのは当たり前だろう。しかし湊が持つ楽器はエレキギターだ。ほかの機材との調整が必要になる。湊が手にしていたのはギターだけ。(あきら)がやっていたように手遊びで音を出すだけならともかく、ライブで演奏などできるはずもない。

 

 しかし湊が気づいたときには、すべての準備が整っていた。

 

 ギターからエフェクターボードへ、エフェクターボードからギターアンプへシールドが繋がっている。

 

 アンプの真空管は十分温まっており、スタンバイスイッチはオンの状態。

 

 軽く弦を弾いてみれば、湊が理想とする歪みを持ったまま、ギターが世界へ向けて叫び始める。

 

 完璧だった。頭の中で流れる音が産声を上げた感覚。

 

 たったそれだけのことで湊は名状し難き聴衆を忘れた。かつてのような熱量は自分にはもう残ってないかもしれない。だけど今ならばどんな曲でも熱く歌える。惜しむらくは、ほかのバンドメンバーがこの場に居ないことくらい。

 

 湊は歌い出す。選んだ曲はバンドの新曲だった。

 

 後輩に『大人になれ』なんて偉そうな説教をしてしまった手前、昔の曲を弾く気にはなれなかった。

 

 それでも湊は童心に帰った心持ちで歌い続けた。音を出すのが楽しかった。声を出すだけで嬉しくなる。

 

 だから、弾けば弾くほど物足りなくなる。

 

 この想いを伝えるには、もっといいフレーズが、もっと歌詞と噛み合ったアレンジがあるはずなのに。

 

 もどかしさだけが募っていく。

 

 けれど、この想いはきっと、事務所の人間や偉い編曲家の先生に届くことは無いのだろう。

 

『子供みたいにわがままを言うな。売れる曲を歌え。「大人」として仕事をしろ』

 

 昔のように弾けていたからこそ、ふと思い出した言葉が心に刺さる。

 

 湊が想う最高の曲はほかにある。思いの丈をすべてぶつけられる歌はほかにある。

 

 ―――これで満足しろって言うのか。

 

 冷や水を浴びせられたようだった。

 

 想いが萎んでいく。

 

 先ほどまで楽しめていたはずの音楽が、先行きの無い音の羅列に変わった。高揚感が閉塞感に変わる。

 

 モチベーションはすでに底辺だ。歌い始めとは雲泥の差。けれど、一人のプロとして最後まで歌い切る。

 

 だが―――

 

「――――――――――――ぁ」

 

 唯一の観客が、湊から興味を失ったことを肌で感じた。

 

 演奏が止まる。気分を害した。食われる。掛け値なく直感した。闇の奥から音が這い出して来る。

 

 奇矯な音が周囲で鳴る。息すら止まった。そこに居る。何かが居る。姿が見えないのではない。周囲を取り巻いている一音一音が生きている。異形の『音』が湊を揺らす。ぞわぞわと肌が粟立つ。

 

 その『音』に晒される度、ミュージシャンとして大切な何かが吸い取られていく。

 

 跡形もなく食い尽くされる。湊は悟った。

 

 その刹那───

 

『控え室』と続いていたドアが悲鳴を上げた。

 

 大音量の破砕音を響かせて、暁と進行役がステージに立った。

 

 ギターで扉をぶち破った暁は、恐怖に慄いている湊に目もくれず、ずかずかとステージの真ん中に立つ。

 

 おぞましい『音』は未だ鳴り響いている。耳は閉じられない。彼女にも聞こえているだろうに、その目には一切の動揺がなかった。

 

「略取誘拐なんてくだらねぇぜ! 私の歌を聴けぇえええええええッッッ!!!!」

 

 暁は叫ぶ。彼女のギターも追従する。

 

 不思議と、彼女もステージに立つだけですべての演奏準備を終わらせていた。ギターで扉を破り開けたくせに、その音はまったく壊れていない。

 

 たとえギターが壊れようとも、たちどころに直るだろうという打算が透けて見えた。だからこそ、ギタークラッシュなんて暴挙を簡単に実行したのだろう。

 

 するすると『音』がほどけた。湊の捕食を中断し、暁の曲に聞き入っているようであった。

 

 崩折れた湊に進行役が駆け寄ってくる。進行役に支えられながら、湊も暁の歌声に聞き入った。

 

 素晴らしい歌声だった。

 

『熱いハートをぶつけてこその歌だ』

 

 彼女の言葉が頭の中で繰り返される。豪語するのも納得だ。彼女は本当に、ただそれだけのために歌っている。

 

 胸の内に湧くすべてを音に乗せてぶつけている。

 

 ───私の歌を聞け。

 

 ───私の想いよ届け。

 

 それが理解できてしまう。理解できれば、次に待っているのは共感だ。

 

 プロになる前、そこにあるのが当たり前だったはずの、若き日の熱量が蘇る。童心に帰るなんてものじゃない。あの頃抱いていた夢が、音楽に対する情熱が、湊の胸中から溢れ出す。

 

 久しく忘れていた激情を思い出した。

 

 無性に歌いたい。叫びたい。少しでも発散しなければ、身体の奥で熱く燃える炎が湊のすべてを焼き尽くしてしまいそうだった。

 

「……ですが、それじゃダメなんです」

 

 悲痛な声が耳朶を打つ。進行役だ。

 

「この歌の、いったいどこがダメなんだ?」

 

 訝しげに湊は聞いた。誇張でも世辞でもなく、胸の奥に火を灯す、素晴らしい歌だと思ったのだ。

 

「アレはこのステージで歌った人間を食べます」

 

 それは知っている。湊も今まさに食べられかけたのだから。

 

「アレの食事には二種類あります。大多数の人間は小腹が空いたときに食べるスナック菓子のように消費されます。けれどアレのお眼鏡に適った人間はアレに取り込まれ、アレの中で永劫歌い続けることになるんです。決して溶けない飴玉を、新しい飴玉が届くまでしゃぶり続ける。あのままでは彼女は食べられて、囚われてしまう……っ!」

 

「どうして、そんなことを知ってるんだ」

 

「進行役は食べかすだから。わたしの本体とでもいうべきものは今もアレの中で歌い続けてるから。だからわたしは知ってるんです」

 

 ───俺たちは、ただ歌いたいだけなのに。

 

 どうして歌うだけで暗い気持ちにならなくちゃいけないんだ。

 

 こんなにも胸を打つ歌なのに、こんなにも希望に溢れた歌なのに、その先に待ち受けるものは奴隷としての生き地獄だなんて、あんまりだ。

 

 湊は顔をしかめた。震える声で訊ねていた。

 

「どうにか、できないのか」

 

「できていれば、わたしはここにいません」

 

 それでも歌は止まらない。暁は知ったことかとばかりに歌い続ける。なおも気高く。なおも高らかに。

 

 ―――是は、叶えたい夢を応援する歌だ。

 

 ―――是は、音楽の力を伝える歌だ。

 

 ―――是は、宇宙の広がりに感嘆する歌だ。

 

 ―――是は、神秘の深淵に敬意を払う歌だ。

 

 先行きの無い閉塞感。湊が歌っていたときと同じ思い。むしろ曲が盛り上がるほど状況は悪くなっていく。

 

 なのに、繰り返されるサビ部分の歌詞を、湊は自然と口ずさみはじめていた。

 

「アレをどうにかしないと。歌ってる場合なんかじゃ……っ!」

 

 進行役が咎めるような声を出す。

 

 今ならわかる。進行役はステージに上る前の湊だ。そして湊はステージに立つ前の暁に近い。

 

 どうして、こんな面倒なしがらみを自分で作っていたんだろう、と今では不思議で仕方がない。

 

「俺たちはミュージシャンだ。できることは限られてる。歌いたいときに歌いたい曲を歌う。―――ああ、くそっ。こんなことも忘れてしまうなんて、いやな大人になってしまった」

 

 思い出せ。湊は思う。

 

 大人になってわかったことは、大人なんて居ないんだということを。

 

 二十歳になった瞬間に『未成年』というラベルが『大人』というラベルに張り替えられるだけ。

 

 そこに居るのはいつだって大人じゃなかった。等身大の自分が居るだけだ。

 

「歌うだけじゃ何も解決しません」

 

「食べ残しだか搾りかすだか知らないが、君はこれを聞いて何も思わないのか?」

 

 売れる曲。人気の出る曲。歌いたい曲。届けたい想い。正しいこと。間違っていること。大人としての模範。子供じみた信念。

 

 そのすべてが、()()()()()()

 

 ただ、歌いたい。

 

 等身大の自分を、偽りも装飾もない自分のすべてを、音に乗せれる。

 

「―――――――――ああ。そっか。これが、歌いたいって気持ちだった」

 

 ぽつり、と進行役が呟いた。

 

 それを皮切りに湊の指が踊る。即興で暁の音に合わせてギターを弾く。コード進行をなぞるだけの拙い伴奏だ。

 

 それでも、暁は驚いたようにこちらを見た。にやり、と湊は笑う。彼女にそんな顔をさせた自分が、どこか誇らしかった。

 

 暁もまた笑みを深めた。厚みが増したメロディに、三人の歌声が重なる。

 

 重なったのはそれだけではなかった。

 

「■■■■■ ■■ ■■■ ■■■■■」

 

 ―――歌って、いるのか?

 

 この世に存在するすべての物質が出しえない奇怪な音。それがメロディに合わせて鳴っている。蠢く闇。蠕動する『音』。まるで、歓喜を表しているかのようだ。

 

 ちら、と隣に目をやれば、進行役が驚愕によって目を見開いている。彼女にしても、これははじめての出来事らしい。

 

 曲が、間奏に入る。暁が笑った。

 

「なんだよどいつもこいつも! 意外とノリが良いじゃねぇか! そうだよ! 歌はどこまでも広がっていける! じいちゃんばあちゃん、大人も子供も、生まれた国だって、種族すらも超えて! 山よ! 銀河よ! 邪神よ! 私の歌を聴けぇえええええッッッ!!!!」

 

 魂すべてを燃やした歌声がどこまでも響いていく。

 

 ただ我武者羅に、心に湧き上がる衝動をそのまま声に出す。

 

 歌うことが楽しかった。この一曲が終わらなければいいのにと思ってしまうほど、充実感に満ちていた。

 

 けれど、なんだって始まれば終わってしまう。最後の一音が観客席へ溶けていく。

 

 余韻が消え去ったあと、暁と進行役が何事か言葉を交わしている。湊は荒い息を吐きながら、この充足感を胸に刻んだ。

 

 そして三人の頭に直接声が響く。

 

『至極であった。現へと帰るがいい』

 

 

       ◇

 

 

 湊は自室のベッドで目を覚ました。

 

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