数年の月日が流れた。
ライブハウスからの帰り道、湊はバンド結成からこれまでのことを思い返す。なんだか感傷的な気分だった。
自分たちのバンドの来歴は『第一期』、『第二期』、『第三期』といった風に分けられているらしい。
湊自身特に意識したことはなかったが、確かに言われてみると節目に当たる出来事があり、その後にバンドの方向性が大きく変わっている。湊もバンドの変わり目を答えろと言われれば、二つの出来事を挙げるだろう。
『第一期』はインディーズ時代の話だ。我武者羅に、メジャーデビューを果たすことを夢見て歌うために歌っていた。
ひどく懐かしく、原動力に溢れていた時代。
『第二期』はレコード会社と契約し、夢だったメジャーデビュー果たした頃。一言でまとめてしまえば、苦悩の日々だった。
レコード会社が呼んだ有名な編曲家との意見が合わず、衝突を繰り返していた。会社側としても新参である湊たちの意見よりも実積のある編曲家の意見を尊重するのは至極当然であり、湊たちが煮え湯を飲んで話が終わったことが多々あった。
唯々諾々と従うことに嫌気が差していた頃だ。それでもなんとか歩み寄ろうと他ジャンルのメロディを学んだ。ソウル、ボサノヴァ、ジャズ。色々なものに手を出したが、結局湊自身も商業的な成功を収めなければいけないという強迫観念に取り憑かれていたのだろう。編曲家やレコード会社の考えは肌に合わないと言いながら、同じ道を歩もうとしていた。
迎合したわけでも、変化を認めたわけでもないのに、そんなことをしたところで上手くいくはずがないのに。
いまだからこそ、そう思える。
いまならば、プラスの思い出として笑い語れる。
結果として、音楽の引き出しが増えたのは間違いなくこの雌伏の時があったからだ。愉快なことは少なかったが、それでも得難いものはあった。
そして『
どこからを『第三期』とするかは、ファンの間どころかメンバー間でも少し意見が分かれていた。
レーベルの移籍。バンドメンバーの入れ替わり。曲調の変化。ヒット曲を世に出したとき。挙げようと思えば、色々と挙げられる。
湊にとってはあの『夢』だった。
つい、湊は苦笑を浮かべる。
無論、誰にも話したことはない。バンドの進退を決める大事な決断が、一夜見た夢に支えられていたと知られれば、さすがに十年来の友人からも縁を切られてしまうだろう。
だから、サウンドで説得した。
あの夜。あの夢のステージで弾いた曲をメンバーの前で歌ったのだ。
そこから先はあっという間だった。周囲の反対を押し切って、これ以上ないくらい強引に新曲を発表した。
このバンドの軌跡をすべてぶつけた最高の一曲。誰の意見にも耳を貸さない、自分たちだけの音。それが───ヒットしてくれた。
「遺言にならずに良かった」とはメンバーの談だ。湊もまったく同じ心境だった。インディーズに後退するどころか、最悪、妻から離婚届を突きつけられることすら覚悟していた。
妻も娘も最後まで応援すると支えてくれたが、もう少し低迷の期間が長ければ、間違いなく湊はバンドから脱退していただろう。あの頃の湊は家庭の重荷にしかなっていなかったのだから。
本当に自分にはもったいないくらいの良縁だ。しみじみと湊は感慨に耽る。
そしてその頃からアニメやドラマのタイアップの話が舞い込んできた。他のバンドと対バンをする機会も増え、ファンや親交のあるミュージシャンとも数多くの縁を結んだ。
最近では、自分たちのトリビュートアルバムが製作されたほどだ。
音楽界の最前線を駆け抜けるバンドが『第三期』への変換点となったヒット曲を歌ったときは、ファンの間で『お前らが歌っていい曲じゃないんだよなぁ』なんて物議を醸したりもした。
そのすべてが湊には愛おしかった。
自分の声が、自分たちの音が、誰かに届いて、影響を与えて、広がっている。それを実感できた一幕だったから。燃えないように火消しをする傍らで、自分たちの決断は間違っていなかったと確信することができた。それがどうしようもなく嬉しかったのだ。
そして、また、変革の足音が迫っている。
長年の目標だったFUTURE WORLD FES.への出場。いまはそのオーディションに落ちてしまった帰り道であった。
◇
『聞く者の胸を熱くする、とても素晴らしい音楽だと思います。ただ、湊さん。あなたは一体誰のために歌っているのですか? 自分のためという閉じた世界は感じませんでした。かと言って、不特定多数の人に聞かせたいわけでも、ファンや親しい人に聞いてもらいたいわけでもなさそうでした。
いえ、悪いと言っているわけではありません。私個人での話なら、いますぐ次のシングルを予約しに行きたいと思えるほど良かったです。ただ、審査員として聞くと、どうしてもフェスの趣旨から外れているような気がしてしまって……。
すみません。空きがもう一枠あれば、あなたたちを推したんですが』
自分が良いと思う曲を落とさざるを得なかった、気づかわしげな審査員の顔を思い出す。
「さほどショックなわけじゃないんだよなぁ……」
落選したことにショックを受けていない。そのことが逆に湊にとってショックだった。
バンドメンバーと共有した夢のひとつ。また次の夢を叶えるために切磋琢磨した日々。
ここでショックを受けないということは、今まで本気で取り組んでなかったような気がして。メンバーを裏切ったような気になってしまって。
ため息をつきながら、湊は自宅に帰ってきた。
日頃の習慣として、郵便受けの中身を確認する。中にはピザ屋やスポーツクラブのチラシの山。まとめて引っ掴んで、家に入る。ゴミ箱に捨てる前に一応一通り目を通す。チラシの間に一通の封筒が挟まっていた。
切手は貼られていない。宛名書きすらない。ポストにそのまま放り込んだようだ。
首を傾げながら、湊は封筒を裏返す。差出人には───
『氷川
進行役』
と、書かれていた。
───夢が現実に追いついてきた。
もう顔も思い出せない。翡翠を溶かし込んだ、長い長い髪の少女。少女が、記憶の中で笑みを浮かべる。
チラシはすべて捨てた。急いでリビングへ向かい、愛用しているペーパーナイフで慎重に封筒を開ける。
中の便箋を取り出すと、一度大きく深呼吸をしてから、三つ折りにされた便箋を広げた。
『お久しぶりです。湊さん。覚えていらっしゃるでしょうか? あのとき、進行役と名乗らせてもらった者です。記憶になければ、この手紙は捨ててしまってください。これから綴るのは泡沫の夢であった戯言です』
こんな書き出しで、丁寧な筆致が綴られていた。
どうやら、あの夢は現実に起きたことであったらしい。湊が巻き込まれてしまった概要なども書かれてはいたが、現実離れした内容は荒唐無稽としか言いようがなく、湊には飲み下すことも困難であった。進行役という役割を与えられ、意図的に不快な思いをさせるよう立ち回ったことについては、何度も何度も謝罪の言葉が並べられていた。
ただ、『わたしが歌いたいという気持ちを思い出せたのは───業腹なことに暁が元凶ですが───湊さんのおかげです。いまも歌い続けていてくれることが、本当に、本当に、嬉しいんです。ありがとうございます』この感謝の言葉がどうにもむず痒く、湊に暖かなものを宿らせた。
『「怪を語れば怪に至る」いまも少々面倒事に首を突っ込んでしまった最中でして、直接お伺いできる機会は無いと存じますがご容赦のほどよろしくお願いいたします』
進行役からの手紙は、そんな言葉で締められていた。
そして、その下に一行。
丁寧さが際立つ進行役の文字とは対照的に、乱雑な文字が踊っている。
『響いたよ、私のハートに。熱いサウンドだった』
「────────────」
この胸を詰まらせる想いに、なんと名前を付ければいいだろう。どんな理由で、目頭は熱を帯びているのだろう。
「───ああ、そうだ」
『あなたは一体誰のために歌っているのですか?』
そう聞いた人がいた。そのときは答えられなかったが、いまならば答えられる。
「俺は、感謝を伝えたかったんだ」
在りし日の自分を取り返してくれた彼女に向けて、ありがとうと言いたかったのだ。
───歌は届いた。
───想いが、届いたのだ。
便箋に綴られた文字が滲んだ。
◇
また、時間は流れる。
湊友希那は思い出す。あの日、父がFWFのオーディションに落ちた日のことを。
ファンからもらった手紙を読んで、晴れやかな笑顔のまま、涙を流していた父の顔を。
父親がプロのバンドマンだったから、幼い頃から友希那の夢はミュージシャンになることだった。
本気も本念もない。ただ親と同じ職業に憧れただけの子供の戯言。
高校受験が差し迫って、進路について色々考え出した頃に『私も父さんと同じ道に進もう』と決意できたのは、あのときの父の顔が忘れられなかったからだろう。
ああ成りたい、と。あんな風に笑いたい、と。あんな風に泣いてみたい、と心から思えたのだ。
この湊友希那には夢がある。
そしていまは、夢に向けて最初の一歩を踏み出したところだった。
バンドメンバーの勧誘である。
ライブハウスに併設されたカフェの一席で、友希那はたどたどしくも対面に座る少女の技量を讃えた。
高校生とは思えない卓越した技量に惹かれたのは確かだが、ライブ会場では彼女の持つやけに年季の入った深い蒼色のギターが友希那の目に留まった。そのギターはとても丁寧に手入れされていることがわかったから。
───この人は、音楽が好きなんだな。
否応なくそれが理解できたから、友希那は目前の少女に話しかけることができた。
少女は翡翠を溶かし込んだような綺麗で長い髪をしていた。
視線は鋭く、表情は硬く怖いまま。腕を組む姿はこちらへの拒絶を表しているようで、一見すると取り付く島もない。
「それで何が仰っしゃりたいんですか、湊さん」
棘のある声が友希那に向かって放たれる。
「FWFへ出場し、最も尊敬するアーティストを越える。それが私の夢。この夢を叶える力を私に貸してはくれないかしら、氷川紗夜さん」
真っ直ぐに友希那は自分の思いを紗夜へ伝えた。
ふと、彼女の表情に翳が差す。
「
憂うような、不安のような、物寂しく、どこか切なそう。
その表情を見て、少しだけ友希那は動揺した。
───何か、声をかけるべきだろうか。
そう逡巡してしまうほど、刺々しい態度を貫いていた彼女が弱々しく見えてしまったから。
しかし瞬く間に翳は消え、彼女は鉄面皮を被り直す。
「いいでしょう。貴女の歌を聴いてから判断します。しかし、私の望むレベルに達していなければ、この話は無かったことにさせていただきます」
「構わないわ。失望はさせないから」
紗夜の傲慢とも取れる言い方に、友希那は挑発的な笑顔で頷いた。
これが、はじまり。
―――青薔薇の、種が芽吹いた。
『旧支配者のキャロル』と『Power to the Dream』と『ストレンジ カメレオン』聞きながら書いた。