もっと遊びたくならない? 実家が喫茶店をしていてその手伝いをやっている。そう言うと、逆に聞き返されることが多い。
別に嫌々手伝っているわけではない。店の場所は商店街に位置しているため、客もほとんど固定化されている。ほとんどが近所の住民であるし、近隣に女子校が二校あるおかげでふらっと立ち寄る女子高校生もそれなりに居る。中学生はお小遣いの関係か、あまり見ない。
向こうはつぐみが生まれた頃から知っている昔馴染みであるから特に気負う必要もない。女子高生にしても、つぐみが羽丘の中等部に通っていると知るとフレンドリーに話しかけてくる人が多い。
特に現役の羽丘生は見覚えのある人が多く、教師陣の失敗談や部活であった裏話なんかを面白可笑しく語ってくれる。「テスト過去問あげるからおまけしてー」なんて裏取引を持ちかけてくる猛者も偶にいる。その節は大変お世話になりました。
だから、遊ぶという行為が時間を楽しく過ごすためのものならば、羽沢つぐみは割りと結構楽しんでいるのだ。
でも、友だちといた方が楽しくない?
そう聞かれることも多い。しかし店のリピーター率上位に食い込むのが、つぐみの親友であったりするから特段そういった思いも抱いていなかった。
「どうする、ひまりちゃん。いつものケーキセットにしておく?」
今日もまた親友の上原ひまりが遊びに来ていた。
うーん、とひまりはメニュー表を睨んでいる。つぐみは人知れず、いいなぁ、と羨望の目を向けていた。
中学生になってから、巴はぐんぐん背が伸びたし、目前のひまりは制服を押し上げるほどに胸が育った。
発育の方向性こそ違えど、どちらも花があることには変わりない。
翻って、自分の身体を見下ろすと───どうにもパッとしない。特徴らしい特徴もなく、まさに『普通』という感じ。
自分が嫌いなわけでも強い不満を持っているわけでもない。しかし、こうして身近に華やぐ存在がいると、なんだかなぁと思ってしまう。腐ったところで良い方向に転がらないことは知っているので、ここは前向きに今後の成長に期待したいところだ。
「よし! 決めた!」
ぱたん、とひまりがメニューを閉じる。考え事に耽っていたつぐみは、その音で現実に帰還した。
「オレンジジュースお願い」
ひまりは言った。
「………………………………え、それだけでいいの?」
数秒待てど、追加のオーダーは無く、つい聞き返してしまった。スイーツ巡りが趣味の友人が甘味を注文しない日などあっただろうか。あったかもしれないがセピア色よりも色褪せている。
「大丈夫? ひょっとして体調悪いの?」
「違うってば。私いまダイエットしてるから」
「……間食しないのはいいと思うけど。大丈夫? 昼もちゃんと食べてなかったよね? 変なことしてない?」
えーなにそれ、とひまりは苦笑を浮かべた。
たしかに友人というよりも母親のような心配の仕方だ。しかし何事にも極端な行動をする人間はいるもので、知り合いが栄養失調で倒れたという話は最近耳にした記憶がある。
目前の友人はそんな滅茶苦茶な行いには走らないと信じたいが、一つのことにハマりだすと暴走気味に突っ走ることも否めない。
「大丈夫だよ。ここ最近まったく食欲が沸かないんだ。その分野菜ジュースとか飲んでるし」
「待って。食欲が無いって何も大丈夫じゃないよ」
「ウガア・クトゥン・ユフっておまじないを教えてもらったりしたし」
「な、なに? だれに?」
「そういうの専門のカウンセラーさん」
つぅ、と冷や汗がつぐみの背筋を這った。
───そういうのを変なことって言うんだよ!
叫び出したい気持ちを抑えながら、つぐみは何と切り出すべきか思案する。変に否定して意固地になられても困る。
妙なところで我が強いのが、親友たちの共通点だった。
「すごいんだよ。そのカウンセラーさん。SNSとかでちょっと有名な人なんだけど、
すごいよね! と語るひまりの声は危うげな熱を帯びていた。彼女の瞳には妖しい光が宿っている。
───これは、あれだ。
ひとつ、連想した。彼女は瀬田薫という先輩の追っかけをしている。そちらは単純にアイドルに憧れる少女然としたもので微笑ましいものだ。それでも、熱が入り過ぎているきらいがあった。
そのときと同じ顔を彼女はしている。いや、それよりもなお酷く、熱病に浮かされているかのようだ。
瀬田薫は芝居がかった言動で衆目を集めることこそあれど、気配りを絶やさず自分のファンを大切にする信用のおける人物だ。対して、そのカウンセラーとやらは一体どこまで信用できるのだろうか。
少なくとも、つぐみはいまの話を聞いた限り、好意的な印象を抱けなかった。
先入観とか、偏見のせいかも、とは思う。しかしそれ以上にひまりの話に耳を傾けるほど、自分が立っている場所がぐらついているような、不快感にも似た不安がこみ上げてくる。
「食欲が湧かないって大丈夫なの? そっちの方が病気っぽいよ……。効き目の強い薬とか使ってるんじゃないの?」
「つぐったら心配性だなぁ。大丈夫だって。韮崎先生のカウンセリングはそういう薬とか使わないの。本当にただ話してるだけで食欲が消えちゃうんだから。先生も美人で話し上手で、とってもいい人なんだー。それに食欲が無いって言っても野菜ジュースとかは飲んでるし。親知らず抜いたりしたとき、食べ物が噛めなくて飲み物だけで生活したーみたいな話だってあるでしょ。それと一緒だよー」
全然違う、と言うべきだろうか。つぐみは思案する。
食べたくて食べれないのと、そもそも食べる気が起きないのは別物だ。しかも薬物治療ですらなく、ただ話をするだけという体験談はにわかには信じがたい。
ひまりが熱くカウンセリングについて語れば語るほど、つぐみの気分は沈んでいった。友人が質の悪い詐欺商法に引っかかっているようにしか見えなかった。しかしただの詐欺とは違い、実積と評価が伴っているらしい。
知識がない。良いか悪いか、普通なのか異常なのか。その境い目がつぐみにはわからない。だから、調べようと思った。
ニラサキ。カウンセリング。過食症。ダイエット。
検索ワードはこのあたりだろうか。まずは正しい知識を身に着ける。色々と物申したいことはあるが、根本を理解していなくては説得力に欠けてしまう。
よし、とつぐみは頭の中のメモ帳に話の主軸となる単語を書き込んだ。
「ごめんね。つい話し込んじゃったけど、いまオレンジジュース取ってくるから」
「うん。お願いね」
一度ひまりのテーブルから離れる。店の中は適度に閑散としていて、忙しいというほどではない。長々と話してしまったが、父から制止の言葉が出なかったあたりまだ許容範囲内ではあったのだろう。
ちょうどよいタイミングで一組のお客さんが席を立つ。会計を済ませ、空いた食器類を下げる。それを皮切りに、つぐみは少しばかり溜まっていた雑務を順番に処理していった。
その後は、特に何事もなく時間が過ぎた。ひまりとも多少言葉を交わしたが、日頃から話しているような雑談ばかり。カウンセリングの話は終ぞ蒸し返されなかった。ひまりは運ばれたオレンジジュースをちびちびと飲みながら時間を潰すと、「また明日ね、つぐ。ウガア・クトゥン・ユフ」と謎の呪文とともに退店した。
モヤモヤとした感情が胸に募る。
つぐみは痩せるための努力を否定したいわけではない。身体を壊さないことを大前提とし、やりたいようにやればいいと思っている。聞く限り怪しさ極まりないカウンセリングも、つぐみが知らないだけで確立された最新技術だというのなら、どんどん活用すればいいと思う。
だけど。
───その目はダメだよ。
恋する乙女なんて甘い表現じゃきかない。もっと、なにか───心酔するような、崇拝するような。深い闇の傍らに添うような。
ふとした瞬間つぐみたちの前から消えてしまいかねない危うさがあった。ひまりの熱っぽい説明を思い返していると、そうした不安が拭えない。
テーブルを拭く手を止め、つぐみはかぶりを振った。
もう、かなり偏見に満ちてしまっている。調べ物をしたところで、情報を正確に精査できるだろうか。
「なにが、ウガア・クトゥン・ユフ、だよ」
意味わかんないし、とつぐみは悪態をついた。
「はぁい。うがあ・くとぅん・ゆふ」
その小さな毒づきに挨拶染みた返事があるとは夢にも思っていなかった。驚いたつぐみの身体が跳ねる。その拍子に椅子にぶつかった。呻き声とともに鋭い痛みが電流のように身体を駆け抜け、つぐみは涙目になった。
「ああ。ごめんごめん」
つぐみの惨状を見て、苦笑を浮かべながらその女性は謝罪の言葉を口にする。
一見さんだ。あとから車椅子の連れが来るんだけど、入れるかな? そう訊ねられたのはつぐみにしてもはじめてで、父に確認を取らなければならなかった。
彼女は羽丘女子学園高等部の制服に身を包んでいる。つまりはつぐみの先輩だ。くすんだ赤色の髪を短く切り揃え、左側の前髪だけ髪留めで押さえている。留めていない方の前髪は無造作に揺れ、彼女の瞳を隠していた。
「大丈夫?」
人懐こい、人好きのする笑顔。警戒心を抱くことが馬鹿らしくなるような朗らかな笑み。
「あ、はい。大丈夫です」
───すごい接客業向いてそう。
なんて感想をひとつ。そして───深い山奥で独り佇む姿が特に似合いそうだ、と脈絡のないことをつぐみは思った。
「や、突然ごめんね。聞き覚えのある言葉が聞こえたから、つい声をかけちゃった」
両手を合わせて彼女は謝る。
些細な悪戯が見つかってしまったような、バツの悪い、されど愛嬌のある笑みを浮かべて。
「……あの、さっきの言葉、知ってるんですか?」
「いいえ。ただごはん時に友だちが『うがあ・くとぅん・ゆふ』って連呼していてね。それ何? って聞いても、『オマエには絶対教えねぇ』なんてつれないことばっかり返してくるから気になってて」
つぐみは「あー」とどこか納得したような声を出した。
目前の先輩の立っている姿を思い返す。一言で言えば、モデルのような体型だった。
背は高く、手足はすらりと長い。顔だって小顔だし、引き締まった身体には余分な脂肪なんて一グラムも身に着けていないことが制服を着ていてもわかってしまう。
友人の中で照らし合わせると巴が一番彼女に近い。可愛いよりも綺麗。綺麗よりも格好良い。
つぐみとて彼女のような身体つきになれるものならなってみたい。そう思えるほどに、ダイエットとは無縁な体型をしている。
「ねぇ、よかったらその話、わたしに教えてくれないかしら?」
「えっと……少しだけなら」
店内を見渡しても、残っている客は根を生やしている人ばかり。多少の時間は作れそうだ。そう判断したつぐみは先輩の言葉に頷いた。
「わたしは
つぐみは快く頷くと、一杯のコーヒーとともに佳月が座るテーブルへ舞い戻る。勧められ、つぐみは佳月の対面に腰を下ろした。
佳月はカップを口元に近づけ、馥郁たる香りに身を委ねている。そして一口だけ口をつけた。
「悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い、か」
「なんですか?」
「褒め言葉。とても美味しいよ」
「それは、よかったです」
不思議な人だった。つぐみは人見知りする
そこに居ることが至極自然で、ずっと昔から知り合いであるかのように馴染みきった空気を醸している。
そしてそれを当たり前のようにつぐみは受け入れていた。
「それで緑先輩。私もついさっき話を聞いたばかりで詳しい話はできないんですけど───」
「───先輩?」
「あっ。すみません。私、羽沢つぐみといいます。羽丘の中等部生です」
「なるほど。それじゃあたしかに後輩だ」
ふふ、と佳月は笑う。染み入るような透明の笑み。窓から差し込む陽射しも相まって、一枚の絵画のようだった。ただし、人物画ではなく風景画。ひとりの人間として注目することがなぜか難しい。これまで様々な人たちと接してきたつぐみにしても、はじめての感覚だった。
けれど、彼女が放つ雰囲気には不思議な安らぎがあった。広大な草原で横になったような。日の出に煌めく海原を見たような。天に届かんばかりの山脈を見上げたときのような。そんな、感動にも似た安心感。
どれもこれも個人に対する評価ではないが。
「さて、羽沢後輩はどんな話を聞かせてくれるのかしら?」
彼女の言葉が呼び水となり、つぐみは先ほどひまりから聞いたばかりの話を繰り返した。
聞いた話だけではなく、不信感を主軸とした率直な所感なども添えて。
───しゃべりすぎちゃったな。
すべてを語り終えたあと、我に返る。初対面の人と話すような話しぶりではなかった。馴れ馴れしいというわけではなく、自身の胸の内を赤裸々なほどに曝け出した。
「す、すみません。ずっとしゃべりっ放しになっちゃって。耳障りなことも言ってしまって……」
つぐみは恐縮したように顔を伏せる。恥ずかしいというよりも、負の感情を表面化させてしまったことに申し訳なさを感じた。
「あなたはとても友達思いなのね」
善悪のない、透明な言葉がするりと心に溶けていく。つぐみは顔を上げる。穏やかな眼差しがこちらを向いていた。
「その友達がどれだけ大切なのかは、痛いくらいに伝わったよ」
「──────」
今度こそ、恥ずかしさのあまりつぐみは顔を伏せた。熱が顔に集中する。鏡を見るまでもなく、頬が紅潮しているのがわかる。耳まで真っ赤だ。
心の本質を、捉えらえた。
多大な不信感も、悪し様な言葉も、裏を返せば上原ひまりという親友に対する情の深さを示している。それを初対面の人に言い当てられた。面映ゆいなんてものじゃない。
「あ、当たり前です! 友だちなんだから!」
居直るようにつぐみは言った。
微笑ましいものを見るようなあたたかな視線がつぐみの居心地を悪くする。
「でも、まぁ、聞いてる限りだと合理的な感じはするね」
「どこが!?」
いよいよつぐみは声を荒げた。
「そう? プラシーボとかインプリンティングとか駆使してる感じがしない?」
「…………どういう意味ですか?」
「たとえばお茶会で出されたお茶。ハーブティーの中には食欲減衰の効能を持ったものがたくさんあるわ。出されたお茶請けにしても、同じ効能のハーブをベースに作られてる可能性だってある。一応これなら薬物治療とは言わないだろうし、効果がまったくないというわけでもない。
で、その友人ちゃんは初めから痩せれるとか、食欲を無くせるみたいな口コミを聞いてカウンセリングを受けたんだよね? もうその時点で刷り込みは完了してるし、食欲を抑えるお茶を飲みながらお話することで、その日の夕食とかはそんなに食べなくてもいいかなって思わされちゃう。
実際に効果が出れば『効いた!』って言って終わり。しかも特徴的なおまじないを継続的に言わせることで、ダイエットするぞっていう意気込みとか、食欲が無くなったときの体験を思い返しやすくしてるんじゃないかな。初心とか成功体験を思い出せれば、どんなものでも案外続けちゃうしね。まぁそこまで考えてるのかは知らないけど」
なるほど、とつぐみは頷いた。理路整然と説明されれば、本当にそんな気もしてくる。
───意外と、あやしくはない……?
いや、でも、しかし。
一度染まれば、猜疑という色は中々抜け落ちてはくれないものだ。思い悩むつぐみを見かねてか、再び佳月が口を開いた。
「そこまで思い詰めることはないわ。こんなものは所詮一過性の流行り物なんだから。一ヶ月も経つ頃には、誰も話題に挙げようともしないでしょう」
そうなること確信している強い口調だった。
ダイエット商法なんて、昔から手を変え品を変え、何度も繰り返されていることだ。本当にすぐ飽きてくれるなら、つぐみとしても安心できる。そして、ひまりの目を思い出す。
なおも言い募ろうとするつぐみを、ドアベルが押し留めた。来客だ。
「いらっしゃいませ!」
席から立ち上がり、反射的に声を上げる。
「あ。連れだ」
佳月がぽつりと零す。来店者は翡翠色の髪をベリーショートにした背の低い、花咲川の生徒。ひまり以上に肉感的な身体つきで、強い意思を感じる瞳をしていた。佳月に気づくと、彼女は一直線にこちらへ向かって歩き出す。
「ありがとう。羽沢さん。おかげでいろいろ詳しくなれたわ」
「いえ、こちらこそ私の話を聞いてもらってばかりで。私の方こそありがとうございました」
互いに礼を交わす。
「
そんな言葉を背に受けながら、つぐみは給仕を再開した。
少し不思議な人と出会い、不思議な話をたくさん聞いた一日だった。
けれど、胸の奥に巣食ったわだかまりは中々消えようとしてくれない。
他の親友たちに相談しようと、つぐみは決心した。