DayDream 雨夜に見える月   作:Wolke

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もっと食べたい 下

「は? 詐欺でしょ」と蘭が言った。

 

「あー、まー、ひーちゃんらしいねー」とモカは言葉を濁した。

 

「ひまりがそういうの悩んでるっていうのはわかったからさ、とりあえずそのカウンセラーのこと教えてよ。本当に疚しいところがないかとっちめに行く」と巴は初めから喧嘩腰で話を聞いた。

 

 以上が親友たちにひまりのことを相談した返答だった。

 

 えんえんとひまりは羽沢珈琲店の一席で泣いている。

 

 とは言え、親友たちの辛辣なコメントは関係なく、カウンセラーが失踪したという理由でひまりは涙を流している。

 

 ひまりからカウンセリングの話を聞いた翌日のことだ。予約していた診察時間になってもカウンセラーが現れなかったといった旨の発言がSNSに投稿された。同じ意味合いの投稿が続々と呟かれ、カウンセリングが受けられないことが受診者の間で確信に変わった。

 

 診療所には彼女の自宅であるマンションの一室が使われていたため、マンションの入り口を取り囲むように異様な人だかりができたらしい。マンションの住民からの苦情で事態の収拾に警官まで出動したほどだ。

 

 警官がいくら説得しようとも、受診者たちは頑として譲らずマンション前から消えようとしない。仕方なく騒動の中心人物である件のカウンセラーに事の収拾を図らせようとしたのだが、すでに行方知れずとなっていた。

 

 カウンセラー───韮崎(にらさき)孝江(たかえ)と最後に言葉を交わしたのはマンションの大家であった。電話口の韮崎は錯乱気味であったという。

 

『神は私を見放した』

 

『もうここには住まない。お金は振り込んだから、あとは全部好きにして』

 

『──────あぁ。魔法使いが、私を罰しにやってきた』

 

『やめろ。見るな、見るな、見るな見るな見るな……見るなぁああああああッッッ!!』

 

 韮崎はとても正気とは思えない言葉をのべつ幕なしに捲し立てた。最後には誰かと言い争うような荒立った声が聞こえ、通話は途切れたそうだ。

 

 後日口座を確認すると三ヶ月分の家賃が振り込まれていた。マスターキーを使って部屋へ入ると、家具や家電はそのままの状態。大家から韮崎へは連絡が取れないようになっており、どうしたものかと大家も思い悩んでいたらしい。

 

 そして、韮崎孝江が行方を眩ませたと受診者たちに知れ渡ってからが大変だった。皆が皆、神の不在を知ってしまった敬虔な信徒のように崩折れたのだ。泣き、叫び、喚き、事態は混沌の一途を辿る。その異質な有り様はニュースにも取り上げられたほどだ。

 

 不思議なことに、収束するときは一瞬だった。住宅地のド真ん中にも関わらず、ちょうど近くで路上ライブを行うパフォーマーが現れたそうだ。その歌を聴いている内に狂信染みた熱量は立ちどころに下火になったという。

 

 マンションの住民たちはいい迷惑だっただろう。普段のつぐみなら、気の毒に思ってそれでおしまい。しかし今回は違う。いまだ悲嘆に暮れる少女が目前で目を腫らしている。

 

 よりにもよって、少女はつぐみの親友だった。

 

「元気だしてよ、ひまりちゃん。私も摂食障害について調べてみたけど、ちょっとお話した程度で克服できるような、軽い病気じゃなかったよ。そんな療法も確立されてないみたいだし、患者さんに内緒で何か違法なことをしてたんじゃないかって噂されてる。───正直、ひまりちゃんが変なことに巻き込まれなくて安心したよ」

 

 ───ああ。届いてないな。私の声。

 

 ひまりは目元にハンカチを押し当てたまま微動だにしない。一体いつまで、そうして俯いているつもりなんだ。

 

 泣き腫らす彼女を見ていると、ふつふつとつぐみの中で激情が湧き上がる。後先なんて考えず、つぐみはひまりの腕を掴んだ。

 

「来て」

 

 強引にひまりを立たせる。

 

「つ、つぐ……?」

 

 涙に濡れた、戸惑う声。今日はじめてひまりに意識された。その事実が、さらに胸を逆なでる。

 

 ───私たちの友情って、よくわかんないカウンセリングひとつで曇っちゃうようなものなの?

 

「お父さん! ちょっと抜けるから!」

 

 返事は聞かない。身につけたエプロンを外しながら、つぐみはひまりを連れてバックヤードに引っ込んだ。

 

 そのまま家族が生活する居住空間に足を踏み入れる。自室にまで友人を招き入れるのは久しぶりな気がする。そう思いながら、つぐみは自分の部屋のドアを押し開いた。

 

「ど、どうしたの? つぐ?」

 

 連れ込まれたひまりは戸惑いの声を上げるばかり。そんな彼女をつぐみはキッと睨みつけた。なよなよとした彼女はたじろぐように目を伏せる。

 

「ひまりちゃん」

 

 つぐみの静かな呼びかけに、ひまりは覇気なく応じた。

 

「もういい。たぶんきっと、これは時間が解決してくれることだってわかってる。だけど、もう私が我慢できないの。いい? ひまりちゃん。いまから私、()()()()()

 

 誰のためにもならない八つ当たり。ただ自分の感情を吐き出したいだけの自己満足。何を言ったところで、楽になるのはひまりではない。わかっている。わかった上でそれを堂々と、一歩も譲るつもりはないとばかりに宣告する。

 

「えっ? つぐ? ちょっと、どうしちゃったの?」

 

「どうしたの───? それは、それはこっちのセリフだよッ!!」

 

 自分での驚くほど大きな声が出た。溜まっていた感情が爆発する。構うものか。もう分水嶺は越えたのだ。後戻りはできない。するつもりもない。ぜんぶ、吐き出してやる。

 

「カウンセラーがひとり居なくなっただけで、警察が出張るような騒ぎになったんだよ!? 集まった人みんな得体の知れないものを信じて、それで崇拝対象が消えたら慌てふためいて騒いで! そんなのカルトと一緒でしょ!? 普通じゃないってわからなかったのっ!?」

 

「───だって、効果はあったし。ほかに通ってる人だって、みんな優しかったし……」

 

「……私たちじゃダメだったの? 私じゃなくたっていい。蘭ちゃんでも、モカちゃんでも、巴ちゃんでも。誰かに、相談してほしかったよ。……それとも、私たちじゃひまりちゃんの助けにならなかった?」

 

「違うよ! そんなことない! そんなことない……けど、みんなと一緒なら、私は変われないと思ったの……」

 

「変わらないといけないの? ずっと言いたかったんだけど、ひまりちゃんは別に太ってないよ。むしろ、プロポーションとかとってもいいよ」

 

 友人としてのフィルターがかかっているわけではなく、純然たる事実として上原ひまりは抜群のプロポーションを誇っている。

 

 出るところは出て、引き締まるべきところは引き締まっている。自分でもなんだかなぁ、と思ってしまう体型をしているつぐみから見れば羨ましい限りの話。

 

 それをひまりは自嘲的な笑みを浮かべて聞いている。やめて、とつぐみは叫びたかった。上原ひまりに似合わない表情が、つぐみの胸を締め付ける。

 

「そうだね。女の子らしい身体つきになったねってみんな言ってくれるよ。───でも、私は嫌い」

 

 ひまりは乱暴に自身の胸を鷲掴む。

 

「育ちたくて育ったわけじゃない! 成りたくて成ったわけじゃない! こんな───こんな身体……ッ!! 私は、私が嫌いなんだよ!」

 

 親友の慟哭を、初めて聞いた。

 

 胸を刺す声を聞く前に、力になりたかった。歯を食いしばる顔をさせる前に、助けになりたかった。だから───

 

 だから。

 

 心が沸騰する。

 

「……つぐ? どうして、つぐが泣くの……?」

 

 戸惑いを隠しきれない、ひまりの声。ぽろぽろと大粒の涙が自身の眦からこぼれ落ちていることに、彼女の言葉でつぐみは気づいた。

 

「泣いてないよ。怒ってるんだよ」

 

 流れているのは悲しみではない。頬を伝うのは───激情だ。

 

 一歩、前へ出る。広くもない部屋。それだけでひまりとの距離はなくなった。つぐみは彼女のたおやかな肩を掴む。

 

「ひまりちゃんなんだよ。私に、女の子が可愛く着飾るのは自分に自信を持つためだって、そう教えてくれたのは、ひまりちゃんなんだよ。

 だったら! その過程で、自信を無くさないでよ! 私の知ってる上原ひまり(しんゆう)は、本当に困ってるとき誰よりも頼りになって、妬ましいくらいに女の子らしくて、可愛くて、優しくて、芯のある、素敵な人なんだから! それを! あなたが貶さないでよ!」

 

「──────」

 

「ひまりちゃんは、砂糖みたいに幸せをくれて、スパイスみたいに刺激をくれる、童話の中から出てきたような素敵な女の子だよ」

 

「……やめてよつぐ。いま、そんなこと聞くの、つらいよ」

 

「やめない。ひまりちゃんがどれだけひまりちゃんのことを嫌いになっても、私はひまりちゃんのことが好き。ファッションとかアクセとか詳しくて誰に似合うか見立てるのも上手なところ、尊敬する。ひまりちゃんの元気な笑顔を見てると、こっちまで勇気づけられる。いつも私たちを引っ張って行ってくれる背中を見て、私はひまりちゃんみたいになりたいって憧れた。……なんかもう、大好き」

 

「さいご、雑すぎだよ」

 

 ひまりの口元が緩く弧を描く。けれど瞳にはまだ悲しみが溜まっている。知ったことかと、つぐみは想いをぶつけた。

 

「私はひまりちゃんが好き。良いところも好きなところもずっと言い続けてやるんだから。どんなにひまりちゃんが変わったって、その度に好きなところを見つけてやるんだから。だから、最後まで私の大好きな人を嫌ったままでいられるなんて思わないで。───だからね、お願いだよ、ひまりちゃん」

 

 つぐみはさらに半歩踏み込んだ。肩を掴んでいた手をひまりの背中に回す。互いの心音が重なる距離で、つぐみはひまりの肩に顔を埋める。そして、そっと呟いた。

 

 ───私の大好きな人を、これ以上泣かせないで。

 

 息を呑む音が、間近で聞こえた。

 

「ずるい。ずるいよつぐ」

 

 嗚咽がひまりの喉からあふれる。

 

「私のことは嫌いになれても、つぐのことを嫌いになれるわけないじゃん。大好きな人のお願いなんて、きくしか、ないじゃん」

 

 つぐみの背に、ひまりの腕が回される。迷子が母親を見つけたときのように縋り付かれた。声を上げてひまりは泣いた。胸の内に溜め込んでいたものを吐き出すように。そのすべてをつぐみは抱きとめる。

 

 独りで頑張ったね、偉いね。と、つぐみは彼女の柔らかな髪を撫で続けた。

 

 独りで悩み疲れたら、二人で悩もう。二人でも答えが出せなかったら、次は五人で考えよう。

 

 五人揃った私たちに、できないことなんて無いんだから。

 

 そう、ひまりが泣き止むまで、つぐみは彼女の頭を撫で続けた。

 

「つぐ、聞いてくれる?」

 

「うん」

 

 ひまりが落ち着くと、二人はベッドの縁に腰を下ろした。密着して座ったせいで、むき出しの腿と腿が擦れ合ってこそばゆい。どちらともなくはにかんで、互いの手を重ねて握り込んだ。

 

「かわいい服がね、着れなかったの……。そもそも着れるサイズがあんまり置かれてないし。これなら大丈夫だと思うって店員さんに勧められて絵がプリントされてるシャツを着たら、胸の部分のイラストが変形しちゃったんだ。『あっ』って顔した店員さんが次はすごいゆったりした服持って来て、着たら着たで本当に太って見えたし……」

 

 当時のことを思い出したのか、「ううぅ……」と再びひまりは涙ぐむ。

 

「つぐともね、学校の帰りにウィンドウショッピングとかしたでしょ。そのとき、つぐが服を勧めてくれたのに思っちゃったんだ。『どうせ着れない服なんて、私に勧めないでよ』って。

 自分でもびっくりした。すぐにこんなんじゃダメだって思ったの。この身体が嫌いになったし、徹底的に変えてやるって決めたんだ」

 

「……やっぱり、ひまりちゃんは優しいね」

 

「──────どう、して?」

 

「だってそれだと、かわいい服を着れなくなった体型が原因っていうよりも、友だちを傷つけることを口走りそうになったから変わろうって思ったんでしょ?」

 

「──────うん。そう、だね」

 

「ほら。ひまりちゃんの好きなところ、また一個見つけたよ」

 

「もー! やーめーてーよー! つーぐー! ─────────惚れちゃうよ」

 

 ひまりは額をつぐみの肩に押し付けた。つぐみからひまりの顔は見えなくなったが、だんだん熱くなる掌から、彼女がどんな顔をしているのかは手に取るようにわかってしまった。

 

 助けになりたい。

 

 ずっと思っていたことだ。いじらしい彼女を見て、またその気持ちが強くなる。

 

 しかし、つぐみはそういった方面の知識に明るくない。しかも胸の大きな人を対象とした中学生でも馴染める店なんて知る由もない。

 

 ───誰か。誰か知ってそうな人は……。

 

 嫌というほど、人だけは見ているのだ。ひまりと似た体型で、年が近くて、できれば話しかけやすそうな、そんな都合の良い人。───居るわけが……、と考えたところで「あっ」と声が漏れた。

 

「居たよ」

 

 

       ◇

 

 

「おーばーいー?」

 

 ひまりがはじめて英単語を目にしたような発音で、スマホの画面に映ったブランド名を読み上げる。ひまりの悩みをすべて解決してくれる持つ者のみが利用できるブランドだそうだ。

 

 ギャラリーに目を通す度、ひまりの目がきらきらと輝き始めた。

 

「つぐー! 私! ケーキ食べる!」

 

「うん。良かったね」

 

 少し前まで号泣していたとは思えないひまりの晴れやかな笑顔を見て、つぐみもまた笑顔になった。やはり上原ひまりには笑顔の方が良く似合う。あの太陽のような笑顔を取り戻せて良かったと、心から思う。

 

 店のエプロンを身に着け、給仕に戻ったつぐみは早速入ったオーダーを父に伝えた。

 

「お父さん、ケーキセットひとつ。…………あと、勝手に飛び出してごめんなさい」

 

「ひまりちゃんはもう大丈夫なのかい?」

 

「うん。もう心配いらない」

 

「そうか。ならいいさ。むしろ友だちの一大事を知らんぷりしてお店の手伝いなんてしてたら、そっちの方を叱りつけなきゃいけないところだったよ」

 

 父は苦笑を漏らし、仕事に戻ろうとした。ふと、つぐみの背後へ視線を向けると軽く会釈をする。

 

「つぐみ。お客さんだよ」

 

 と、告げて、今度こそ仕事に戻った。声をかけられたつぐみは振り返る。そこには(みどり)佳月(かづき)が小さく手を振っていた。

 

「や。ちょっとぶり」

 

「今日はすみません。突然相談事を持ちかけちゃって」

 

「構わないよ。相談に乗ってるのは(あきら)のやつだしね」

 

 相変わらず、不思議な人だ。約束をしていたわけではなかった。予定を聞いていたわけでもない。ただ、今日来てほしいと思っただけだ。そして、そういった間を目前のこの人は絶対に外さないと信じられた。

 

 ちらり、と彼女たちが座るテーブルを流し見る。

 

 今日は佳月の友人が揃っている。花女の制服を着ている人が二人。もうひとりは車椅子に乗って来店した。着ている制服は近隣の高校のものではない。しかも制服の上からケミカルレッドのジャージを肩で羽織っているため、それはもう珍妙な格好になっている。

 

 類は友を呼ぶというか、不思議な人の友人はみんな不思議な雰囲気をまとっている。けれど、全員年下の扱いに慣れているのか、ひまりのオーバーなリアクションにも煙たがらずにノッてくれている。

 

 むしろ高校生の一団に紛れ込めてしまうひまりの胆力と人徳を褒めるべきだろうか。

 

「気になる?」

 

 おどけるように佳月が言った。口角が少し上がっており、揺れる前髪の奥で目が笑っていた。変わり者の集まりであることを自覚している聞き方だ。

 

「……少しだけ」

 

 失礼のないよう返事に困りながらもつぐみは応えた。

 

「それで、どうしたんですか? 何か追加しますか?」

 

「ええ。でもその前に少し話をね。ダイエットとかもうどうでもいいみたいだけど、一応(しゅ)のかけ方を教えておこうかなって」

 

「しゅ……?」

 

 どういう字を書くのか、つぐみにはわからなかったが、それは些事とばかりに佳月は話を進める。

 

「やり方は前に説明したのと大体同じなんだけど、そうだね……携帯のストラップなんかを用意して、『ダイエット成功させるぞ』とか誓わせてから携帯に付けさせるの。そうすると、携帯見る度に誓いのことも思い出して、常にダイエットを意識させるっていう手法ね」

 

 ああ、とつぐみは頷いた。たしかにそういう話をしていたのだった。こうして聞くと、意外と手軽に実行できるものだ。

 

「教えてくださってありがとうございます。……って言っても、当分は活躍しなさそうですけどね」

 

 元気よく暁に話しかけるひまりを見て、つぐみは苦笑を漏らした。

 

「そうでもないわ。だって、いまからわたしがあの二人にケーキセットを三つずつ食べさせるもの」

 

「わかりました。じゃあ五つ追加ですね」

 

「うん。いい加減巨乳談義が鬱陶しいから、ぶくぶくと太らせてやろうかなって」

 

 透明な笑顔の奥に底意地の悪さが垣間見えた。ぱちくりとつぐみは目を瞬かせる。初めて、この先輩の人間らしい感情を見れた気がした。

 

「ちょっと意外です。緑先輩もそういうことするんですね」

 

「根っこのわたしはこういう感じよ。むしろここまでわたしの色が出なかったのなら、それは羽沢さんのせいね。相性が悪いのよ、わたしにとっては」

 

 予想だにしていなかった理由が佳月の口から飛び出した。彼女との関係は、相談というか、愚痴を一方的に聞いてもらった間柄だ。たしかに避けられる要素ではあるが、目前の女性はそれこそ軽く受け流してしまいそうなのに。

 

 つぐみがそう言うと、佳月は「いつもならそうするわ」と頷いた。

 

「羽沢さんが『普通』だったから。友人が喜んでいるときは一緒に喜んで、悲しんでいるときは悲しみを分かち合いながら励まして。そんな当たり前のことを当たり前にこなせる普通の人だったから。───なんとなく、そういう人に弱いんだよね」

 

「──────」

 

 少しだけ、息が止まった。言葉が肺腑に満ちたようだった。どうしてこの人の言葉は真水のように沁み入るのだろう。これが彼女の言う相性の悪さであって、相性の良さをも表しているのかもしれなかった。

 

 そう。良し悪しなんてものは簡単に反転する。

 

 なんだかなぁ、と自分でも思ってしまうくらいに『普通』すぎる人間。それが羽沢つぐみが思う羽沢つぐみ像だ。

 

 だけど───『普通』って悪い意味だけじゃないもんね。

 

 自分のことが嫌いなわけではなかった。けれど、好きだったわけでもない。

 

 この瞬間までは。

 

「やっぱり、緑さんは良い先輩だと思います。先輩のおかげで、私、今、ちょっとだけ私が好きになれました」

 

 改めて、店の手伝いをするのは楽しいと思った。こういう出会いがあるのだから。

 

 性別も年齢も職種もバラバラな人たちが一堂に会して、各々の時間を過ごしていく。

 

 気難しい人、話しかけられるのを嫌がる人。色々な人がいるのはわかっている。それでも、ちょっとした挨拶とか、小さな親切を見つけたときとか、新しい発見があったときなんかは───楽しいと思うのだ。店を手伝っていて良かったと思えるのだ。

 

 再発見。

 

 再確認。

 

 だから、それを行わせてくれた目前の先輩に向かって、

 

「ありがとうございます」

 

 と、つぐみは告げた。

 

「そういうところよ。───でも、それがあなたの美徳なのよね」

 

 困り顔のまま佳月は友人たちのもとへ戻っていった。つぐみも自分の仕事に戻る。差し当たって、追加オーダーされたケーキセットを父に告げた。

 

 つぐみが計六つのケーキをテーブルに並べると、奢ってもらえるとわかったひまりは大喜びし、花女の先輩は怪訝な表情を浮かべ、佳月は裏を悟らせない素敵な笑顔でケーキを勧める。

 

 三者三様の反応に、つぐみは声を上げて笑ってしまった。楽しかった。楽しい集まりだった。

 

 

       ◇

 

 

 幼い頃は自分のことが嫌いだった。

 

 けれど親友のおかげで嫌いじゃなくなった。

 

 そして、不思議なお客さんのおかげで好きになれた。

 

 いまなら自信を持って、いつも通りの日常を楽しめる。

 




『overE』実在するブランドなので創作クラスタのみなさんは何かと参考になると思いますよ(熱い宣伝)
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