Fate/Grand Order第三章のキャラを題材にした短編です。
ネタバレあり、虞美人と項羽の二人がメインの話ですが、所々チョイ役でサーヴァントやぐだ男が出たりもします。

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愛とは、心とは、只人とは──

 人理焼却を防ぎ、亜種特異点四つを乗り越えたカルデアが新たに直面した世界の危機とは、すなわち地球それ自体の漂白化現象だった。異星より降ってきた謎の侵略存在により地球は白紙となり、この惑星(ほし)の生存者は絶望的となる。

 これまで行ってきたレイシフト及び特異点の修正という任務(オーダー)とは全く違う事態に、生き残った僅か数名のカルデアの者たちは当初こそ戸惑いを見せたものの、ついには果敢にこの未曾有の危機へと立ち向かっていく。

 

 それは剪定事象として消え去った世界のIF。あり得ざる世界が現代まで繁栄してしまった姿。

 

 第一の異聞帯、永久凍土帝国アナスタシア。凍土に生きるヤガたちと協力し、最後は獣国の皇女を打倒し一つの世界を剪定した。強く苦しい世界よりも弱く優しい世界がこれによって生き延びた。

 第二の異聞帯、無間氷焔世紀ゲッテルデメルング。紀元前一〇〇〇年の神々の黄昏(ラグナロク)から派生した緩やかな終わりの世界。神話の女王と巨人王の存在する世界を駆け抜けて、カルデアはさらに先へと歩を進めた。

 第三の特異点、人智統合真国シン。始皇帝が生き延びた秦国はあらゆる国家を平らげ世界の覇者となっていた。けれど徹底的に襦を廃した世界の在り方は平和ながらも歪であり、果てに最後のマスターは始皇帝より人理の未来を託される事となる。

 

 ここまですべてが尋常な戦いでは無かった。神代の特異点にも劣らぬ超常の数々、更にはかつてカルデア所属の人間だったクリプター達との戦いは熾烈を極めることになる。

 互いの意地と信念をぶつけ、言えなかった小さな真実を抱え、そしてある者は運命に再会するために更なる運命に身を投じた。それらすべてを受け止め、けれど道を譲ることだけはせずに、生存への一念だけで勝ち上がったのだ。

 

 これはそんなカルデア改め、彷徨海に新たに出来た”ノウム・カルデア”における一時の安息を切り取った話である。

 

 ◇

 

 カルデアを再現して作られたノウム・カルデア施設内は大量の空き部屋まで律儀に再現してしまっている。普通なら使い道に困ってほとんどが死蔵されたままになるのだろうが、ことカルデアにおいてそんなことはない。かつては召喚したサーヴァント達が各々で好き勝手空き部屋を使っていたし、今も少しずつ再召喚されたサーヴァントが着実に部屋を占拠し始めている。

 特に一部の英霊たちにとって、他者に干渉されないプライベートな空間というのは非常に有用なものであり──

 

「こうして項羽様と共に過ごせるだけで、私は誰よりも幸せなのでしょう。願ってやまなかったあなたとの平穏が此処にある、それだけで満ち足りた想いです」

「同意しよう。この躯体こそ戦闘に特化したものではあるが、戦を離れ汝と心穏やかに過ごすのは良きことだ」

 

 アサシンのサーヴァント、虞美人。かつて芥ヒナコとも名乗っていた、紛れもない正真正銘の真祖にして精霊だ。

 バーサーカーのサーヴァント、項羽。姓を項、名を籍、(あざな)を羽とする中国屈指の武人にして、数奇な事情で生み出された人造の人間である。

 中華異聞帯を越えたノウム・カルデアが呼び出した新たなる英霊たちは、いついかなる時でも二人で居る。いいや、正確には虞美人の方が項羽から離れようとしないというべきなのか。生前からの縁も深い両者はこうして共に過ごすだけでも満足だし、そこに男女だとか人外だとかの差異は一切ない。

 

 心地の良い静けさが二人の間に漂う。こういう時どちらも口数はそう多くないのだが、少しも不快ではないのだ。ただ寄り添って静かに時を過ごす、たったそれだけの事実が何よりも得難い宝であるのだから。

 

「しかし……やはり項羽様は、戦うのですか? この人の世を救うために、あの男と共に」

「然りだ。我が身は天下泰平の為に生み出されたものなれば、こうして人の営み全てが消えている現状を許容できるはずもない。主導者がそのために歩むというのなら、私は無謬(むびゅう)なる時の歯車として彼の道を切り拓こう」

「やはり、そうですか……あなたはそういうお方ですものね、項羽様」

 

 彼女の本音としては、もう項羽に戦ってほしくない。望むならばこうして共に、いつまでも平穏なまま過ごして欲しいと願うばかりだ。

 けれど項羽の本質は何処までいっても製造目的に忠実であり、その在り方だけは変わらない。ただそれ以外に唯一、虞美人のことを同じだけ大切に想ってくれているだけで。その事実が分かっているから我慢は出来るが、やはり愛する男が死地に赴く恐怖が彼女の脳裏からは離れてくれない。

 

 もしもまた、垓下の戦いと同じようなことが起きてしまえば──最悪の想像だと理解はしているが、その最悪を一度は経験しているから縛られてしまう。

 

「どうした、虞よ。あまり良い顔をしてはいないが」

「えっ、いえ……! 何でもありません、お気になさらないでください」

 

 不意に項羽から指摘されてしまい、慌てて虞美人は取り繕った。彼の炯眼は未来予知のごとき精度を持つが、それも数多の英霊や因果の交わるこのカルデアでは中々発揮しがたいという。だから先ほどの虞美人の想像もまだ知られてはいないはず、そうだと信じたい。

 だってこの幸せな一時の中で最悪の想像をしてしまうなんて、あまりに無粋にも程がある。知れば項羽は気を遣ってしまうだろうし、水を差すような真似をしたくはなかった。

 

「ふむ……他ならぬ汝がいうのならそうであるのだろうな。しかしどうか忘れないでくれ。私がこうして人理の為に戦うのは、天下泰平ともう一つ、汝との平穏を求めてこそにあるのだから」

「項羽様……そのお言葉だけで、この虞は果報者でござります」

 

 どこまでもどこまでも、虞美人が欲しい言葉をかけてくれる項羽がたまらなく愛おしくて嬉しい。

 けれどそれはつまり、やっぱり彼に気を遣わせているのではなかろうか。もしかしたら自分の身勝手な願いが彼にとっての足枷になってしまうのではなかろうか。天下泰平の為には戦うしかないのに、最も近き者からは戦いを否定されてしまえば一発で論理矛盾(ロジックエラー)が起きてしまう。苦しめるつもりは微塵もないのに、気が付けば自分の愛が縛鎖となっている可能性も、ゼロではない。

 

「項羽様は──」

 

 あなたに戦いを望まぬ私をどうお思いですか──そう言いかけて、しかしそれ以上は言葉にしなかった。項羽もまた続きを促したりはしない。今度ばかりは予期されてしまったのだろうか。もしそうであるのなら、いっそう心苦しかった。

 結局のところ、智慧ある生き物とは強欲なものである。つい数分前までこれ以上の幸福は無いと考えていた癖に、一度それに慣れてしまえば新たな幸福を求めたり、今の幸福に疑問を抱いたりしてしまう。分かっていても止まらない感情の本流はさながらナマモノのようで。本当に、ままならない。

 

 きっと一言、訊ねてみれば良かったのだろう。それだけで彼は答えを教えてくれたはず。

 それでも正面から相手の心にぶつかっていくのは、心というものに否定をされ続けた虞美人(しんそ)にとっては勇気の要る行為であり──だから彼女は敢えて、迂遠な手を取ってみることにした。

 

 ◇

 

 これまで仮拠点として扱っていたシャドウ・ボーダーではなく、ついに彷徨海という絶大なバックアップを手に入れた旧カルデアの面々は割と思い思いに施設内で過ごしていた。

 電気、資材、魔力、食糧、そのほとんどがボーダー内とは比べ物にならない。彷徨海の内部すらかつてのカルデアと同じように改装されたおかげで道に迷う心配もほとんどないし、居心地の悪さだって感じない。そうなれば数多の艱難辛苦を乗り越えてきたカルデアの精鋭たちのこと、危機感とは別にしてリラックスできる図太さくらいは培われていた。

 

「いや、何度見てもこれは図太すぎるでしょ。おかしいわ、前のカルデアはもっと魔術師の組織らしい厳格さがあったはずなのに……私が言えた義理じゃないけど、カルデア場数踏みすぎておかしくなったのかしら」

 

 そんな光景にたった一人異議を唱えるのは、即座に行動を開始した虞美人その人である。彼女はかつての記憶と照らし合わせて、こんなカルデアはあり得ないとばかりに目を剥いて驚いている。そして逸らした視線の先では再召喚されたサーヴァントに混じって何やらゲームをしている職員まで居る始末で、それが余計に非現実感を加速させて仕方ない。

 

「どうしたんです、ぐっさん先輩?」

「誰がぐっさんよ!? 人間風情が気安くあだ名で呼ばないでちょうだい!」

 

 とはいえそのような種族の違いも、無知故に恐れることなく距離を縮められる藤丸立香という少年には関係のない話だったが。清潔感のある白いテーブルを挟んで座る二人は、片や穏やかで片や爆発寸前である。

 両者の関係性を一言で表すのは難しい。色々と複雑な経緯があったが、要するにマスターとしては先輩で、けれどその後に敵対関係となり、そして今はマスターとそのサーヴァントとして主従の関係にある。なので立香が虞美人のことを先輩呼びするのは別に不思議じゃないし、彼女自身前に「カルデア所員の序列としては私の方が先輩なのよ」と真顔で言い放ったこともある。

 

 あるけれど、しかし……

 

「はぁ、なんで人間はどいつもこいつも変なあだ名を付けたがるのかしらね。先輩呼びして敬ってるのか馬鹿にして揶揄(からか)ってるのか、どっちかに統一しなさいよ」

「そんなこと言われましてもね……ほら、あだ名があると人間関係も縮むって言いますし。芥ヒナコって名前も結局偽名なんでしょう? だから芥先輩とかヒナさん先輩は違うかなと流石のオレも思いました」

「……ホントに怖いもの知らずね、お前って奴は。私の正体知ってるんだからもっと怖がっても良いでしょうに」

 

 怒りというより呆ればかりが感情の先に立ってしょうがない。自分と違う存在を排斥せずにはいられない人間の性に嫌気がさしたはずなのに、こうしてちっとも気にされなくともそれはそれで複雑な気分となる。今は眼鏡と三つ編みで人間らしい姿に擬態してるのが裏目に出ているのだろうか。

 深く重たい溜息を吐いてから、虞美人はテーブルに置かれた茶海に手を伸ばした。並々と中国茶で満たされた容器から自分の茶杯へと茶を注ぎ、とりあえずホッと一息。慣れ親しんだ故郷の味が喉を潤し頭を冷やす。どうして彷徨海に茶器(こんなもの)があるかは彼女どころか立香すら知らないが、有るなら有るでありがたく使わせてもらう二人だった。

 

「アレ、言ってくれればオレがお茶入れましたよ? これでもほら、後輩ですし」

「へぇ、中々気が利くじゃない。じゃあ次は──って、それは無いわね。こうしてお前と茶を飲んでること自体、はっきり言って不本意な状況なんだし」

「そんなー」

 

 だらけた声と共に自分の杯にお茶を注ぐ立香を、虞美人はややキツイ目線で観察する。

 馬鹿に見えて中々抜け目ない男だ。人間嫌いでこれっぽっちもマスターを好いてない虞美人ですら”次もまた”と言いかけたのだ。これを計算付くでやっているなら対策しようもあるが、ほぼ間違いなく天然だから性質が悪い。ノウム・カルデアに召喚されてから話こそ聞いていたが、”天性のサーヴァントたらし”とはこういうことなのか。

 

 ここまで来ると一周して感心までするが、本題はそこではない。いつの間にか話が逸れてしまったが、そもそもこうして立香と二人でテーブルに付いてるのだってちゃんと目的があってのことだった。

 

「こほん、なんだか妙な方向に話が転がってしまったけれど、さっさと元に戻しましょう。この彷徨海──いいえ、今はノウム・カルデアだったかしら、ともかくこの地にはかつて召喚された英霊達がまた呼び戻されていると聞いてるわ」

「そうですね。一緒に人理焼却に立ち向かってくれた心強い仲間たちですよ。ぐっちゃん先輩も誰か気になる英霊でも居ましたか?」

「だから変な呼び方は止めなさいって……そもそも私は項羽様以外はどうだっていいの。まずそこをちゃんと弁えなさいよ、()()

 

 敢えて拒絶の念を強くして釘を刺してみるが、まるで暖簾に腕押しだ。立香には堪えた様子が微塵もなく、それが癪に触ってしょうがない。これまでの虞美人としての生涯の中でこういう手合いは出会ったことがない。

 だが、立香の言い分も決して当たらずとも遠からずである。確かに虞美人は何人かの英霊にある話を聞いてみたくて、仕方なく彼らのマスターである藤丸立香とこうして一席設けているのだから。自分から他の英霊に話しかけにいく勇気はちょっと無かった……別にクリプターがどうだので気まずかった訳ではない。決してないのだ。

 

「それで、本題はつまり何ですか美人先輩?」

「……もう何でもいいわ、面倒くさい。まあ要するに、人の心の機微に詳しい英霊は誰かっていうのが知りたかっただけ。私だって一応はお前のサーヴァントになったんだから、あまりつまらない諍いを起こしてもしょうがないでしょう?」

「なるほど。なーるーほーどー」

 

 ある意味で虞美人らしくない()()()()()()()()()()()()()()を聞いた立香は、我が意を得たりとばかりにニヤリと笑った。何か温かいものを見るような視線が彼女からすれば不愉快であると同時、その裏に隠された本命すら見抜かれているかのようで心穏やかではない。

 人間嫌いだけどそれじゃ困るので、人間について最低限学んでおく──別に一つも悪い事じゃないだろう。むしろ歓迎すべきことである。だから言い訳としては良い塩梅だと考えていたのだが、さて。目の前の少年はどこまで察してしまったのだろうか。内心で気が気じゃない。

 

「何よその目は。人間らしく邪推でもしているのかしら? これだから嫌なのよ」

「いやいや、別にそういう訳じゃなくてですね。それなら何人か良いサーヴァントが居るので、是非ともオレに紹介させてくれませんか?」

「……その目がやっぱり腑に落ちないけど、まあ良いわ。さっさと私に教えなさいよ」

 

 そうして立香から何人かのサーヴァントを挙げてもらい、虞美人は早速彼らの下へと向かう事にした。何人か『それはどうなの?』と思うような名前もあるにはあったが、自分よりもサーヴァントに詳しい立香が言うのなら間違いはないだろう。それくらいの分別は彼女にもあった。

 目的はただ一つ、項羽の心をより正確に推し量るために。彼ほどの未来予測まで出来なくていいから、せめて好きな相手の心について何を言われずとも察せるようになりたかった。これまで『心』という目で見えないものに追い詰められ、疲弊し、倦んだ身の上からすれば中々の決断と言えるだろう。

 

「項羽様……あなたは私のことを、あなたに戦を望まぬ私のことを、本心でどのように考えているのでしょうか……?」

 

 全ては愛するあの方のために。その一念があるからこそ、虞美人は悩まないし止まらない。個人的嫌悪がなんのその、二千年もの間生き続けたことに比べれば全ては些事に他ならない。

 愛という形のない心の在り方は、ともすれば形あるものよりずっと強固となるだろう。それでも目に見えない事柄というのは否応なく不安にさせる。確信が段々と不安になり、不安はやがて恐怖と疑心に変化するのだ。

 

 その心情を何となく読み取った立香であるから、それ以上は何も言わずに席を離れた虞美人を見送った。秦国の最期でダ・ヴィンチちゃんが言っていたように、不老不死の存在が抱く苦悩や辛さは只人が推し量って良いものではない。察することは出来ても共感は永遠に出来ないし、してはいけないのだから。

 

「マシュや、もしドクターが居たらなんて言うのかな……」

 

 本当に難しくデリケートな問題である。藤丸立香という若輩ではとてもじゃないが答えを出すことなど出来そうにない。どれだけ普段おどけていようとそればかりは確信していた。

 だから自分が出来るアドバイスはこの程度であり、後は関与するべきではない。マスターとして気に掛けることはもちろんするが、誰でも踏み込んでほしくない部分の一つ二つはあるだろう。だから彼女の相談事について考えるのはこれで終わり──

 

「主導者よ、少々良いか?」

 

 というのには、まだ早かったようである。新たな来客を前にして、とりあえず立香は茶海に残っていた虞美人の入れたお茶を差し出すのだった。

 

 ◇

 

「人間の心の機微を知ってみたいと? なるほど、それは私の得意分野とは少し違うが、けれど本質的には非常に近い」

「能書きなんて要らないわ、さっさと重点だけ教えなさい。お前たちみたいな人間はどうしてそうまで勿体ぶろうとするのか、私にはてんで分からないわ」

「これはこれは、随分と根に持たれているようだな。私たちがあなたの異聞帯でしたことがそれほど気に入らなかったと見える」

「むしろどこをどう見れば気に入ると思うのか、こっちが聞いてみたいわよ。あの男の勧めだから来ては見たけど、やっぱり間違いだったみたい。さようなら、薬漬けの名探偵さん」 

 

 短く吐き捨てた虞美人はシャーロック・ホームズに背を向けた。こんな男と一秒でも同じ空間に居るのが絶えられない。よりにもよってコイツを紹介してきたマスターには後で先輩としてキツく言い含めておかねばならないだろう。

 一応立香の紹介というのもあり、半信半疑ながらホームズの書房に訪れてみたは良いものの……ハッキリ言って期待外れだ。自らの推理ばかりにかまけて他者の感情を理解しようともしてない。そう結論付けた彼女は足早に退出しようとして、

 

「それでは私を紹介してくれた立香君の顔が立たないな。では詫びのついでに一つ推理をしてあげよう」

 

 その言葉にひとまず足を止めた。ふり返ることはせず、背中越しに続きを促す。

 

「何よ、もし下らないものならこの場で八つ裂きにしてあげるけど」

「初歩的なことだ、グビジン君よ。君は人の心の機微を学びたい様子だが、そもそも項羽将軍は人ではない。人の心にごく近い演算回路を有してはいるが、彼の本質は心を搭載していない機構だろう。それを理解してない君ではあるまい」

「…………あまりあの方を馬鹿にするのも大概にしなさいよ」

「馬鹿になどしてはいない、ただの確認だ。ともあれ、彼と人間とではその情動に大きく差がある。これは紛れもない事実だろう」

 

 言われずとも、そのようなことは分かっていた。人間でない項羽だからこそ、彼女はここまで愛することが出来たのだ。共に人外であるからこそ、こうして寄り添うことが出来たのだ。

 しかし虞美人のそんな態度にこそ鍵はあると言わんばかりにホームズは一つ頷いた。彼の瞳にはいったい何が見えているのか、数千年を生きた彼女ですら及びもつかない。

 

「ではどうして君は心について学習をしようと考えたのか。ああ、愛する相手について暗黙の内に知りたいと願うのもあるだろう。けれどその裏で、君は()()()()すら抱いた。おそらくは自分自身でさえ気が付かない内にね」

「……ふん、そう。ヤキが回ったわね、探偵気取り。私に項羽様以外の目的がある? 笑わせないでよね」

 

 強がってせせら笑ってみるものの、内心では驚愕の方が多い。何故当たり前のように自らの内心を言い当ててみせるのか、それが不思議でならなかった。強がりで探偵気取りなどとは言ったが、僅かな情報や所作だけで言い当てたのなら確かにこれは名探偵だ。悔しいが認めるのもやぶさかではない。

 ではそんな彼の告げる別の思惑とはいったい如何なるものか。気にはなるが、やはりくだらないと一蹴した。名探偵だからといって全てが正しい訳ではない、自分の心は自分が一番よく分かっているとも。なればこそ、愛しい相手を除いたすべてに対して思惑などあるはずもないのだから。

 

「それじゃ、失礼するわ。もう二度とお前の所に顔を出すつもりは無いから」

「おや、それは残念だ。謎の多い仙女について色々と解き明かしてみたかったのだがね」

「あっそう。ならお前の望みは永遠に叶わないわ、ご愁傷様」

 

 それだけ言い残して今度こそ虞美人はホームズの下を後にした。確かに他者の心を推測するのに関しては一流なのかもしれないが、本人がこのような調子ではどのようにして参考にすれば良いのか。結局このやり取りは”くだらない時間の無駄だった”として記憶に残ることだろう。

 

「本当、不愉快ね……」

 

 呟きながら、ひとまず彼女は次の相手に接触すべくノウム・カルデア内部を歩き出した。

 

 ◇

 

 次の相手は、白状すればあまり気乗りのしない相手だった。先ほどのホームズの件と合わせてだいぶ立香のお勧めも疑わしいが、他に心当たりがないのもまた事実である。なので仕方なく彼女はその相手と向き合い、ひとまずの事情を話していた。

 その上でまず提案された結論は──

 

「自分の心に素直になって、恐れずにぶつかってみれば良いのでは? その果てに我慢が出来ず愛しい方を殺してしまうかは、あなたの心次第でしょうけども」

「まあ、そう言うとは思ってたわ。でもいざ聞かされるとやっぱりドン引きね」

 

 これだから愛に狂った戦乙女(ワルキューレ)はと嘆息してしまう。北欧における大神の遣い、愛する者を自らの手で貫き殺したブリュンヒルデの言葉は虞美人には到底理解できないものだった。

 自ら愛した者を殺してしまう? なんだそれは、あまりに理解不能で論じるに値しない愚行である。もしも虞美人自身が愛しい相手を手にかけることになるとすれば、ほぼ間違いなく発狂する自信がある。何が楽しくて好きな相手を傷つける必要があるのか、そう思わずにはいられない。

 

「誰かを好きだという感情と、戦乙女として強壮な戦士をヴァルハラへと連れていく義務。あまりにも皮肉ね、その果てに愛した人を殺さなければならない葛藤(ジレンマ)に襲われるのだから」

「ええ、ええ、そう言われてしまえばとても否定はできません。私自身、このような想いを抱いてしまう自らの在り方が異常だという自覚はあるのです。けれど、それでも、止めることが出来ない」

 

 好きだから傷つけてしまう。好きだから殺してしまう。相手の事を本当に想っているはずなのに、顕れる結果は全てが他者を害することばかり。そもそもこの様で本当にその相手を愛していると言えるのか、まずそればかりが疑問である。

 ハッキリ言って自らとブリュンヒルデは非常に相性が悪い、そう虞美人は結論付けた。ただ一人にひたすら愛を捧げるという点では同じなのだろうが、アプローチの仕方があまりに違う。愛しい相手の心を知りたいと願うのに、これではもはやどうしようもない。

 

 今回も先のホームズと同じような展開だったかと見切りを付け、その場を後にしようとしたのだが……やはりその前に、この場に居たもう一人の相手から声を掛けられた。

 

「一つ誤解をしているな、東の仙女よ。確かに彼女の愛は驚愕すべきものであるのだろうが、当方はそれを恨んだことは一度もない。愛するからこそ壊してしまう、それもまた在り方の一つだろう」

 

 まるで何でもないことのようにブリュンヒルデの狂愛を受け入れてみせたのは、彼女が恋焦がれる竜殺しの大英雄シグルドだ。カルデアに新たに召喚されてからこっち、戦乙女を深く愛しているのは誰もがよく知っていた。本人はいたって生真面目で愛を見せびらかすことも無いのだが、それでも普段の態度からお察しというやつである。

 

「当方が困っているのは、彼女に殺されてしまえば当方からの愛を証明できなくなるという一点きりである。大切に想い合うことだけが愛の証明ではないはずだ」

「……狂ってるわよ、そんなの」

「これは手厳しい。そも愛することは狂う事とあるように、互いに傷つけることなく愛し抜くことはどだい不可能なのだ。時にはままならないこともあるだろうが、それでも相手を愛し抜く覚悟もまた必要だと当方は考える」

 

 愛する事は狂気──そんな事考えたことも無かった。好きな人を想い、傍に在れることこそ幸せと信じて疑わなかった。故にこそ、まるで正反対のことを言っている癖に相思相愛だとよく伝わって来る眼前の二人が理解できない。

 そんな、互いに傷つけあうこともまた愛の一種なのか? 分からない、分からない、理解できない。ぶつかり合ってこその関係というのなら、そんな儚く脆いものに何の意味があるというのか。

 

 つまるところ、答えは見つからないまま。この二人の愛とはこの二人で完結しているだけのものであり、虞美人と項羽の関係性に参考と出来そうな箇所はちっともない。当初の目的である『好きな人の心を知りたい』という目的とは合致しないと見て間違いないか。

 

 結局人前で憚ることなくイチャイチャしだした二人を他所に、彼女はその場を後にした。

 

 ◇

 

 その後も何人かの英霊たちの下を渡り歩いてはみたものの、あまり有益な情報を得ることは出来なかった。

 愛に狂った果てに愛しい相手を焼き殺したヤンデレ二号。

 かつては絶世の美男子だったというふくよかな胡散臭い男を愛するこれまた絶世の美女。

 騎士王と何やら縁深いらしい無銘の弓兵。

 多くの男性を愛したという愛多きケルトの女王。

 同じ中華系ながら何処かで見た事のあるような拳法家、他にも他にも……ひとまず立香から紹介されたサーヴァントは全て巡ってみた。半ば以上目的がバレているとは察したが、こうなれば自棄とばかりにきっちりとだ。

 

 けれど皆が皆、決まってこう言うのだ。

 

「『お前はもっと素直に自分の気持ちを告げるべき』ですって……? それが出来たらこっちは苦労してないっての!」

 

 あくまでも『人間の感情の機微について教えて欲しい』と告げただけなのに、結局全員がそのような事をアドバイスしてくるのだ。まるで自分が愛する相手のことしか考えていないような認識である。

 ……別に何も間違ってはいないのだが、こうも明け透けに言われてしまうとやっぱり悔しい。あとちょっとばかり恥ずかしい。

 

「そりゃ私は誰より項羽様の事をお慕いしてるけど……なんでこうなるのよ。おかしいでしょう、そんなに私は分かりやすいの!?」

 

 食堂の隅っこで一人叫んだ。その勢いに近くに居た何人かが視線を寄越したが、すぐにそれらも消えていった。我の強い英霊に慣れている彼らのことだ、この程度の癇癪は見慣れたものなのだろう。気にされていないのが今はこの上なくありがたい。

 いったい自分はどうすれば良いのだろうか。話自体はどこまでも簡単であり、要は『好きな人の気持ちを知りたい』というただそれだけである。たったそれだけのことにこうまで難航しているのが馬鹿らしくて仕方ない。

 

「やっぱりいっそ項羽様にお尋ねするべき……? でもそれでもし、万が一にも拒絶されてしまった私は……そもそもここまで来て後に引くなんてできっこないわよ……!」

 

 思考の堂々巡りは終わらない。このままでは何も解決しないだろう。ではどうすれば良いのか、袋小路に陥ったまま頭を抱えている虞美人の下へ、まるで見かねたかのように誰かがやってきた。

 

「随分とお悩みのようですねぇ。良ければこの私が、相談に乗ってあげますよ? もちろん料金は応相談で」

「お前は……」

 

 気の抜けるような間延びした声を掛けてきたのは、褐色の肌を露出の多い服装で着飾った獣耳の美女だ。

 このカルデアに召喚されて以来、ひとまずサーヴァントの外見と名前くらいは一致させている。なのでこの女性が誰かは当然分かるのだが……いきなり金をせしめるようとする守銭奴だったとは。思わず面食らってしまったの無理はない。

 

「名前というか、称号だけは聞いた覚えがある。どこぞの女王だったかしら?」

「はい、そうですよ~。他の方のように”これぞ!”っていう真名は教えられませんけどねぇ。そこは有料ということで、一つ」

「別に興味ないから構わないわ。というか、お前に渡せる金なんて無いから大人しく帰りなさい。構うだけ損よ、損」

 

 思考が憂鬱な方へと傾いてしまったせいで、今は一人で居たい気分だった。それが例えただの現実逃避で答えの出ない迷路なのだとしても、それ以外に選択肢など思いつかない。

 その拒絶の強さを感じ取ったのか、女王の方もそれ以上強くは出てこない。代わりに彼女の宝石のような瞳と、虞美人の血のように赤い瞳が交錯した。年齢でいえば虞美人の方が遥かに歳月を重ねているはずなのに、まるで全てを見透かされているかのよう。ふんわりした軽い態度とは大違いの底知れなさを感じてしまう。

 

「……なによ?」

「ではお代は頂かないので一言だけ。善は急げ。言いたいことは全て言ってしまうべきですよ、悩めるお方。後から何を言おうとしても、聞こうとしても、全てが終わってしまえば残るのは後悔だけ。そのことを努々お忘れなきように」

 

 ではではごきげんよう、そんなふざけたような挨拶と共に女王は去って行った。後に残されたのは相変わらず悩めるままの虞美人だけだ。そこでふと、ポツリと言葉が零れた。自分でも意外なほどの熱が乗っていた。

 

「そんなこと、あなたに言われずとも分かってるわよ……!」

 

 ──かつて、愛する者が死地に向かうのを止めることが出来なかった。

 ──詩を送られ、剣舞を交わしたときのことを忘れはしない。

 ──彼が停止する様を見届けた直後の絶望など、思い出したくだってない。

 

 すべてすべて昔の話だ。語りたいことはたくさんあった。聞きたいこともたくさんあった。共に生きていたいと願ったし、出来るならばいつまでも平穏に暮らしていたかった。戦の誉など忘れ、天下など知らぬ存ぜぬと嘯いて。そんな未来を夢見たことも、確かにあった。

 けれどその果てに待っていたのは、うたかたの夢のごとき短い栄華の終焉であった。なればこそ願ったのだ、もう一度あの方に会いたいと。もし次に出会える因果があったのならば、その時こそ時の終わりまで共に過ごすと。

 

「なんだ、最初からやるべきことなんてたった一つだけなのね」

 

 本当に単純な事実だ。初めから分かっていたことですらある。こんな簡単なことに目を背けていた自分が滑稽で笑いだしてしまいそう。

 勇気、たったそれだけが足りていなかったのだ。話を聞きに行った英霊全員が口を揃えて『素直になれ』と告げていたのも頷ける話でしかない。今ある幸福がまるでガラスのように感じられて、万が一でも壊れることに臆病だったから。一歩を踏み出すことが出来ず、まるで前に進もうとしているようにも思える”逃避”の道に走ってしまったのだ。

 

 だってそうだろう。相手の本心を知ってしまうことが怖かったのに、一方で言われずとも相手の本心を知ろうと躍起になるなんて、道化でしかない。つまり自分は本気で『心の機微を知りたい』と願った訳じゃなかったのだ。ホームズが指摘してたのもズバリこの真実だったと今なら分かる。

 

「本当に莫迦みたい……私は至らぬ女ですね、項羽様」

 

 道は定まった。ならばもう、やるべきことなど一つだけだろう。

 

 ◇

 

 虞美人が項羽と共用の自室に戻ったとき、生憎と室内には誰もいなかった。意気込んで戻ってきた割には肩透かしを食らってしまう。

 そこまで広くはない部屋なのに、異形の体躯がないだけでやけに広く感じる。窮屈が好きではないのだが、彼と共に過ごせる窮屈さは何にも代えがたい幸せだ。だから無意識のうちにベッドに腰かけていたのも、寂しさを紛らわせるためだったのだろう。

 おそらく彼はマスターである立香に呼び出されているはずだ。きっと戦いのための連携確認だとか、性能チェックだとか、彼女からすればちっとも面白くない目的のために。

 

 このまま一人で待っているのも時間の無駄だし自分から探しに行くべきか──ベッドに腰かけそのような事を考えていたところで折よく扉が開いた。

 

「虞よ、やはりここに居たか」

「項羽様……!」

 

 入って来たのは誰よりも愛おしい巨躯の異形を誇る武人だ。彼は立ち上がろうとする虞美人を手で制しつつ、安心したかのように目線が優しくなった。きっと他の誰も見分ける事など出来ぬだろうが、彼女にだけはそれが出来る。密かな自慢だった。

 

「それにしても項羽様、『ここに居たか』とはつまり、私を探していたという事ですか?」

「その通りだ。本来なら私の演算回路は容易く汝の居場所も把握できるのだが……このカルデアは面白いところだな。こうして直に確認せねば、汝が何処に居るかも把握できない」

「それはまた……このような愚かな女のためにお手を煩わせてしまい申し訳ありません」

「良い、謝るな。汝に関する事柄ならば如何なる事とて苦にはならぬ」

 

 つまり『お前のためなら何でも出来る』と公言されてしまった訳で……そう理解した途端、一瞬で虞美人の脳がオーバーヒートした。

 あらゆる事柄に対して文字通り機械の如く臨む存在が、たった一人自分のために合理性も整合性も無視するような言葉をかけてくれるなど。駆け巡る幸福感で足元から溶けていってしまいそうだ。

 

「わ、わた、私をそのようにまで想ってくださるとは……! ありがとうございます、虞はまさしく世界で最も幸せな女でございましょう……」

 

 顔の火照りが止められない。頬が勝手に緩みそうになる。ほんの些細なことでこうまで喜べる自分のことがちっとも嫌じゃない。むしろ沸き上がる嬉しさに心がショートしないかが不安になってしまうほどだった。

 そんな彼女の様子に満足したのか、一つ頷いて項羽は四肢を折って床に伏せた。虞美人に目線を合わせようとしているのだろうが、それでも座ったままの彼女よりもまだ高い。見下ろすような視線にはしかし、むしろ自虐のような色があることに仙女は困惑した。

 

「項羽様……? どうされたのですか?」

「私は至らぬ身の上だと痛感してな。愛する者の気持ち一つ汲んでやれないとは、あまりにも度し難い」

「そんなことは──」

「無い、などとは天が裂けても言えぬだろう。我が望みはそのまま汝の望みに反していると、その事実はよく知っているとも」

 

 淡々と告げられた言葉に思わず息を呑んだ。やはり、この方は知っていたのだ。虞美人が戦いを望まぬことを、項羽が天下泰平の為に戦うことを厭う事実を。すべて承知だった。

 なればこそ、彼はそんな虞のことをどのように考えているのか。今こそ勇気を出して踏み込んでみる時だった。先ほどの幸福感が嘘のように消え去り、握った拳はじっとりと汗に濡れている。

 

「私は、項羽様に戦ってほしくありませぬ。天下泰平の夢を忘れ、ただ安寧の世で笑ってほしい。そのような欲求を抱いているとしれば、あなたは私を軽蔑しますか?」

 

 ──ああ、言ってしまった。ついに言葉に出して言ってしまった。この答えを聞くのが怖くてしょうがなかったはずなのに、一度決心してしまうと不思議なくらいするりと口から飛び出してしまっていた。

 自らの願いこそ無謬の機構たる彼を悩ませているのは承知済みだ。彼が他の何よりも虞美人という女を優先してくれるから、原初に入力(インプット)された命令と軋轢を起こしているということも。

 

 答えを聞くのが恐ろしい。けれど知りたくもある。その矛盾を理解して、ただ無言で返答を待った。

 

「否、そのようなことは決してない」

「あ……」

 

 だから力強く端的に否定された途端、まるで魂が抜け出たような安堵に身を包まれて呆然としてしまった。

 やはりこの方は、自分の卑小な考えなどより遥かに素晴らしいお方なのだと。どうしても拭えない不安に苛まれていた一人の女性は、ここにきてようやく心の安寧を手に入れることが叶ったのだ。もはや恐れることは何も無い。

 

 様々な不安に駆られて大幅に回り道をしてしまったが、こうして今の幸福は継続できると知れたのだ。これ以上の幸福など、もはや世界中の何処を探しても見当たるはずがない。

 他の誰にも見せられないような表情のまま幸福を噛み締めている彼女を前に、項羽はさらに言葉を続けた。

 

「私は愚かな存在だった。自らの存在意義の方にばかり力を入れてしまい、汝のことを真に想ってはいなかったのだ」

「そのようなことはありません! 項羽様は十分に私のことを──」

「いいや、これもまた無いとは言い切れぬのだ。確かに今の私はかつてほど汝の想いを読み解くことが出来ない。しかしだからといって、汝の心を知る努力を怠って良い理由にはならなかった」

「それ、は……」

 

 別に項羽が自らのことを蔑ろにしていたなどと、虞美人は欠片も思わない。彼は真実自らとの再会を寿ぎ、喜んでくれた。この事実に嘘はないと確信している。

 だから驚いたのはむしろ、彼が何処かで聞いたような言葉を口にしたからに他ならない。心を知る努力だなんて、それはまるで──

 

「だから主導者にも話を通し、そうした機微を知るには誰に学べば良いと教えてもらった。新たな感情のデータを多量に識ることが出来れば、確実に汝の感情もまた理解できると結果が出たからである」

 

 まさか汝もまた、同じような結論に達していたとは予期していなかったが。

 そう締めくくられた項羽の発言に、彼女はただただ驚いてばかりだった。この方もまた、同じ結論を抱いて行動に移していた。その結果は真逆かもしれなくとも、愛する者と同じことを考えていただけでもやはり嬉しいもので。

 

「多くの英霊より情報を得た。中にはまたしても来客かと呟いた者も確認できたが、彼らは皆一様に親切だった。そのおかげで今の私はこうして、汝の心を知ることに成功した」

「愛する者の心を知りたいと願ったのは……私だけでは無かったのですね」

「その通りだ。今の私は未来に縛られることもなく、故に時には”不安”という最も機構とは縁遠いものに襲われることもあった。もしや何気ない一言が、行いが、汝を傷つけてしまうのではないかと考えた事も一度や二度ではない」

 

 その上で、項羽は言うのだ。

 

「愛とは時に誰かを傷つける形で発現してしまうこともあると知った。故に私はこのように演算した。すなわち、傷つき傷つけることを恐れてばかりでは、前に進むこともまた出来なくなるのだと」

「そんなものを愛などと……呼んでしまって構わないのでしょうか?」

「いいや、これはもっと小さな視点で考えれば良いだけの話なのだ。人は誰でも、それこそ友情を育んだ者や愛を誓った者同士ですら喧嘩をすることがあるだろう。我らはそんな簡単な事実を見落としてしまい、足踏みしてしまっていただけである」

 

 好きな相手とは喧嘩をせず、傷つけることもなく、失望されたりすることもせず良好な関係を築き続ける。これ自体は誰にも否定できない理想だし、確かにそうなれればきっと悩みとは無縁な関係となれるのだろう。

 だが現実はそうではないのだ。心という不確定なものがあるから喧嘩はするし、傷つけてしまうし、失望したりされたりも当然ある。只人の生き方とはそんな矛盾したものであり、それでも矛盾を乗り越えてなお愛や友情を貫き通すから美しいのだ。

 

 人は誰かの奴隷ではない。ただ一方的に尽くすだけじゃないし、ただ一方的に愛するだけじゃ終わらない。例え人でないとしてもこの原則は変わらないのだ。

 

「私もあなたも、最初の始まりからして人ではありませぬ。それが今更こうして、只人のように振舞うことなど……」

「ああ、汝ならばそのように言うと予期していたとも。答えは既に決まっている、汝と共に居る限り可能だと私は確信した」

 

 実のところ、それは演算でも何でもない。計算された結果では断じてなく、ただ項羽に蓄積された無数の記憶(データ)と経験から弾き出された()()()()()に過ぎなかった。

 けれど、これで構わないのだろう。このカルデアに来てから彼は、己の未来予知が機能しない場面に幾度となく遭遇した。それで構わないのだ。だって只人が未来を予知できない事なんて、なんて事のない当然の事実なのだから。

 

「私はこれから先も主導者と共に、現代の人の世を取り戻すべく戦い続ける。その過程で幾度となく汝を悲しませてしまうこともあるだろう。それでも、私は戦う。汝の想いを蔑ろにすることも決してしない。そしてすべての戦いが終わったその時こそ、その果てにこそ──汝との平穏を掴み取ってみせるのだと」

「項羽様……勿体なき、私ごときには本当に勿体なきお言葉です。今日この日の事を虞は、決して忘れないことでしょう。例え幾星霜の時が経とうとも、永久に」

「互いに得られなかった人並みの幸せを、今度こそ知ってみよう。他愛のない話で笑い、共に何処かへと出かけてみよう。私も汝も人並みからは縁遠かったからこそ、今生でこそ人並みとなってみようではないか」

 

 虞美人は人間が嫌いだ。弱くて脆くて儚いくせに、諦めないし図太いし排他的。長い時を生きる間に醜い部分なんて幾度となく目にしたし、只人の流されるばかりの矛盾した在り方は唾棄すべきものだったと言っても良い。

 けれど、そんな彼らの生き方にこそ大切なものが隠されていたのかもしれないと。認めるのは癪だがこうして愛すべき男に言われてしまえば頷く他に無かった。時には大切な相手を傷つけてしまうこともあるかもしれないが、それも込みで愛とは成り立つものだから。

 

 人外には人外の愛し方があるのかもしれない。けれど彼女は人外と呼ぶにはあまりに繊細な心を持っていて、項羽もまた人外と呼ぶにはあまりに人間に与しすぎている。であれば、このような結論に落ち着くのも当然の展開だったのだろう。

 

「例えどのような苦難があろうとも、汝を想う我が”心”に一片の曇りも浮かびはしない。あまりにも華の無い言葉なのだろうが、どうか受け取ってはもらえないだろうか?」

「はい──はい……! 私もまた、如何な障礙があろうと項羽様のことをお慕い続けます。この世の果てが訪れようと、全てが終わる時が来ようとも。いつまでも、必ず……!」

 

 かつて人外としてその歴史を歩んだ両者は、ようやく当たり前の在り方を模索できる機会を得た。誰もが知っている普通の幸福を目指し、その歩みを止める事は決してないだろう。

 虞や、虞や、汝を奈何せん──無念の言葉を胸に秘めての終わりなど、二度と訪れることはない。



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