おそらく次話で完結です。
人が人を愛すること。人が人を憎むこと。それはどちらもありふれたものだ。
もし、そのどちらも一度に失くしてしまった場合、人はどうなるのだろう。
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朝、おそらく六時ごろ。ばしゃばしゃと水音を立てながら私は顔を洗っていた。
ここはマイケルの倉庫にあるトイレだ。幸いにも水道は通っていて水もまだ出るため、私は手洗い場を洗面所として活用している。
やや襤褸になったタオルで顔を拭いて鏡を見る。そこには私のかつての妻が映っていた。
ぺたりと自身の顔に手を当てると鏡の妻も頬に手を当てる。艶のある黒髪も大きな瞳も生前の頃そのままで、だからこそ彼女が見せた事のない仏頂面が酷く違和感を醸し出していた。
これこそが私が死ねない理由だ。私は妻を二度も死なせることなどできやしない。たとえそれがガワだけの偽物であってもだ。
かつての彼女は笑顔が素敵でおしゃべりな女性だった。一方で私は口は上手くなく不器用で、笑うのもヘタクソ。つい妻の笑顔を観ようと思って鏡に笑いかけてみたが、ぎこちない笑みが返ってくるだけだった。
「なあ相棒。何で朝っぱらから暗い顔をしているんだ?」
「笑顔の練習をしていた。それで自分の才能の無さに気落ちしているんだ」
「笑顔ねぇ」
こんな感じか?とマイケルが画面越しにニカッと笑う。悔しいが満点かそれに近い笑みだ。私は抗議するように視線を向けた。
私は今、STファルコンのコクピットのガンナー席に座っている。目の前にはブラウン管のディスプレイが置かれていて、外の景色である割れたアスファルトとマイケルの顔、それと自身のSTの予想耐久力が表示されている。右腕の操作レバーを動かすとこの機体のメイン武器であるエネルギーハンドガンが視界の中に入ってきた。
「体調は大丈夫か?」
「心配いらないよ」
「基本戦法は覚えているか?」
「相手の弾を相殺したいときは連射の効くターボショット、相手の装甲を撃ち抜きたいときはチャージしてからスーパーショット」
「そうだ、合ってるぜ。…そういやトイレは済ましたか?」
「済ましたよ。君は私の親か」
「ホーッ!人をほったらかしていちゃつくとはいい度胸じゃねえか」
ドシン!と大きな地響きがした。視線をマイケルの顔から前に移すと今回戦う敵、STガラムが目の前に立っていた。
一目見た印象としては緑のゴリラだ。大きな上半身に貧弱な下半身。あまり強そうには見えない。
それにディスプレイに映る敵パイロットも文明人というよりは野人と言った方がよさそうだ。清潔感は感じられず、身に纏っているタンクトップの色はくすんでいる。さらに筋骨隆々の体と伸ばし放題の髭もあいまって、たとえゴリラと共に生活していてもなんら違和感を覚えないであろう見た目をしていた。
「野人のような男だな。とてもパイロットには見えない」
「ヘッ。お前たちの方こそ戦い方もしらねえようなただのガキじゃねえか。オレ様もずいぶんと甘く見られたもんだ」
私の言葉にグイドーがそう返すとSTガラムが戦闘姿勢をとった。私とマイケルもSTファルコンに戦闘姿勢を取らせ、ハンドガンを敵に向ける。
「しかたねえ。このバトルゲームで本当の強さを見せてやらぁ!ホ!ホーッ!」
グイドーが野人のごとく叫ぶ。その瞬間、お互いのSTが円を描くように動き始めた。バトルゲームの始まりだ!
STガラムが地面を削りながら疾走する。そして奴は両腕をこちらに向けて腕のロケットエンジンに点火した。
「ホーッ!食らいな!」
一瞬のうちに迫る二つのロケットパンチ。大質量のそれをまともに受ければいかにSTと言えども大損害は免れない。
それに対して私が取った行動はとてもシンプルなもの。それは左腕に握っていたST用ボムを投げるという事だった。
そのボムは先頭を飛ぶ左腕に命中し、爆炎をまき散らす。
「くっ!見えねえ!」
マイケルがそう愚痴をこぼした。視界は炎と粉塵で覆われ、とても敵を捉えることはできない。
ST用ボムとはいえ所詮は手投げ弾。直撃でも無ければSTを破壊するのに至らないはずだ。ならばまだ右腕が残っている。
「ハハハーッ!そのまま死になぁ!」
グイドーのその言葉と共に爆炎の中から残った右腕が飛び出してきた。明らかにコクピット直撃のコースだ。
このまま食らえばSTファルコンは胴体をペチャンコにされて大破することだろう。そして新米ガンナーである私には高速で飛来する腕に射撃を当てられる腕前などない。
すわ万事休すか。もし私がただの人間であればそうだっただろう。
「
ハンドガンから放たれたスーパーショットが
側面から撃ち抜かれたそれはバラバラになりながら転がり、ひょいと避けたSTファルコンの近くにあった駐車場に突っ込むことでようやく動きを止める。
「グイドー。本当の強さとやらはさっきの手品で終わりか?」
マイケルが皮肉気に言い放つ。
爆発の後に残っていたのは地面に散らばる緑の腕と、その両腕を失くしたSTガラム。翻ってこちらのSTファルコンはボムを消費したものの、無傷のボディにチャージの終わったハンドガン。この後の展開など、推して知るべし。
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「やったな相棒!」
「ああ。快勝だった」
私たちはグイドーを降し、そのSTと地位を奪い取った。
今は奴の拠点である廃墟の中でやつが溜めに溜めていた酒やベーコンを戴いている。
「まさかまたベーコンを食べられる日が来るとは思わなかった」
「これも勝者の特権さ。まあ、コイツはやりすぎてるみたいだが」
廃墟の中には貴金属が所狭しと積まれており、さらにビールの空き瓶が散乱している。なんとも言えないような汚い部屋だ。
そしてそこに転がされているグイドー。惨めな姿だ。
「さて…マイケル。一応聞いておくがグイドーの始末はどうする」
玉座から転がり落ちたST乗りの末路は決まっている。即ち死だ。
ロープで簀巻きにされて口を塞がれたグイドーは逃げようとしているのか、必死に体をよじっている。
そうだな…とマイケルが顎に手を当てた。
「何もしない。そのまま放り出そう」
「マイケル…その考えは甘いぞ」
私はマイケルを咎めた。人の恨みとは恐ろしいものだと、誰よりも知っているからだ。
しかし彼は澄んだ瞳で私を見返す。
「俺の目的はコイツをどうにかすることじゃない。それに、世界を救おうってのに殺さなくてもいい奴を殺すって、なんかおかしいだろ?」
やはり、こいつは馬鹿だ。世界を救うという大きな目的があるなら敵になりかねない奴は全員殺しておくべきだ。
だが…それが私とマイケルの決定的な違いなのだろう。私はフゥとため息を吐く。
「分かった。マイケルの言うとおりにしよう」
「ずいぶん聞き分けが良いじゃないか。腹でも痛いのか?」
「うるさいよ」
私は私のやり方で失敗をした。なら、今回はマイケルのやり方に任せてみよう。ただ、そう思っただけだ。
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マイケルはやはり正しかった。
私とマイケルは世界中のST乗りと矛を交えた。空を飛ぶST、装甲の厚いST、私たちと同型のST…。
個性豊かで、しかし強く、それでも私たちは勝ちを重ねてきた。そして彼ら彼女らにも事情があることを知った。
人質を取られた者、自身の研究のための者、洗脳されていた者、はたまたただ支配が好きな者。
マイケルはその誰にも手をかけることはなかった。そして私はそれに倣った。
だからこそ奇跡は起きた。
「こんなところで諦めちゃだめよ!私のエネルギーを分けてあげる!」
「貴様らは気に食わんがわしの研究の成果を試す絶好のチャンスじゃ!」
「お前たちに世界の未来が掛かっている!立て!」
かつて打倒したST乗り達が私たちのピンチに乗り込んできてくれたのだ。
タナトスは強敵で、私の魔法があってもどうにもならないほどの性能を持つSTサナトスを駆っている。今日まで戦ってきたSTのいいところだけを取ったような出鱈目な性能だ。
それに宇宙という今までにない戦闘条件も相まって勝ち目はまるでなかった。しかし、これならば。
「マイケル。やはり君は正しかった」
「正しい正しくないじゃない。俺はやりたいようにしただけだぜ」
「時たま凄く羨ましく感じるよ。君は本当に…」
馬鹿で愚か者で、それなのに一緒に居たいと思わせてくれる。
今、STファルコンにはMADな科学者がくれた特別なボムが握られている。
そして満身創痍だったボディには応急装甲が貼り付けられ、破損したハンドガンは同型のSTバーロンのスペアガンと取り替えられた。
STサナトスとの間に入り込み、盾を構えて壁として立ちはだかっているかつての強敵STバーロン。やつの背中がこうまで頼もしく見えるとは、人生とは分からないものだ。
「ここまでされて負けちゃカッコ付かねえぜ、相棒!」
そう言って笑いかけてくる
正直、勝つとか負けるとか今はどうでもいい。彼にだけは死んでほしくないと、心からそう願った。
満身創痍のST、不器用女と熱血漢、宇宙空間で二人きり。何も起きないはずがなく…。