はねバド!~On Your Mark~ 作:STORICKS
「本校の特待制度には三段階のランク分けがあり──」
視界の多くを占拠している中年の男が、テーブルに置いた数枚の紙を綺麗に並べながら話している。
旭海莉はなんとなく上の空で、彼の話を聞き流していた。
(……はぁ)
早く終わらないかな、とつまらなさそうな顔をした彼女には一瞥もくれず、その男は話を続ける。
海莉は彼に気付かれないように、テーブルの上に置いた、さっき受け取った名刺を手に取った。
──横浜翔栄高校。
その名前は、海莉も良く知っている。
今年出たジュニア関東大会でも、その高校の部員と当たった。
試合結果は、その記憶を反芻した彼女が心の内で苦笑するほどの惨敗だったが、まあ高校生と中学生の勝負だし、横浜翔栄と言えばインターハイの個人戦でも、たまに上位に名前が出てくるほどの強豪だ。
団体戦の方は、とんと聞かないが……。
「──それで、今回旭くんは『Cランク』でお誘いさせていただこうと思っています──」
海莉は首を傾げた。
Cランク、というのはABCのCなのか、それとももっと段階が多くあるのかを聞き逃したからだが、その仕草を見て、目の前の男は何とも言えない表情を浮かべる。
(……あんまり、獲る気なさそうだなぁ)
もちろんそんなことを口に出すほど、海莉は子供ではないし、自分の実力に照らしても、妥当あるいは過分な評価だと思える。
ランクがいくつだろうと、『横浜翔栄から特待の誘いが来る』というのは、ある一定のレベル以上のプレイヤーにしか訪れない出来事だ。
「海莉、あなたはどうしたいの?」
特待の誘いのあとに、忙しい両親のせいでずれ込んだ三者面談をこなして、海莉はもういい加減眠かった。
母のおだやかな運転によって、眠気はなおさら増幅される。
「うーん……バドは続けるよ、とりあえず」
「そう……」
我ながら、当たり障りのない返事だ。
単身赴任でほとんど家に帰ってこない父と、職業柄夜勤などもあり、娘と時間帯が合うことの少ない母の間に産まれた海莉は、誰にそう躾けられたわけでもなく、『手のかからない子供』に育っていった。
特別人見知りと言うわけでもないが、だいたい一番遅くに迎えに来る親を待っている間も、独りで練習が出来るバドミントンにのめり込んでいったのは、自然の成り行きだったのだろう。
「あなたがやりたいことをすればいいと思うけど……横浜翔栄、ほんとに行かないの?」
「行かないよ、遠いし」
別に、C特待が気に入らないわけじゃない。
特待が付かなくたって、私立高校に入れるだけの蓄えは家に充分あるだろうし、なんなら横浜で一人暮らしだって、言えばさせてもらえるかもしれない。
ただ海莉には、そんなわがままを通してまで、『バドミントンをする環境』を追求する気にはなれなかった。
勝っても負けても、強いヤツと試合をするのは楽しいし、今度は勝とうと思って練習をするのも、全く苦にならない。
身長だってそこそこに伸びてきたし、少なくとも栃木の同世代には、勝てない相手はいない。
関東圏の中学三年生で序列をつけたなら、二桁の前半には入るだろう。
でも、それだけだ。
(ん?)
マナーモードにしておいた携帯電話が振動する。
「──えっ」
画面に表示されたメッセージと、その差出人を見て、旭は小さく声を上げた。
「どうしたの?」
「いや、ミィが携帯買ったって」
「楢嵜さんとこの? あそこの子、まだ二年生でしょ」
長ったらしい文面を読んでいくと、どうやら海莉も出場したジュニア大会の戦績が良かったので、そのご褒美として買ってもらったということらしい。
まだデフォルトのアイコンに苦笑しながら、海莉はメッセージを返す。
──おめでとう。翔栄の特待来たけど、たぶん蹴るわ。
「海莉さん、翔栄って横浜翔栄っスよね?」
「そうだよ」
楢嵜と海莉は、同じバドミントンクラブに所属している。
たまたま家もそう遠くないが、楢嵜の方は中学から私立に通っていて、そこはいわゆる『ミッション系』のお嬢様学校らしいのだが、そうは思えない角度で足を開いて座る彼女を咎めつつ、海莉は話を続ける。
「考えたけど、横浜は流石に遠いわ」
「そりゃぁ……けど横浜翔栄っスよ? 勿体ねぇって──」
他の学校からもいくつか『誘い』は来ているものの、それには金銭的な優遇はなく、結局それも海莉は蹴るつもりでいる。
「ま、フレゼリシアとか栄枝クラスなら行ってやってもいいかな」
「つよ。海莉さん、つよ」
ケラケラと笑っていると、楢嵜に迎えが来た。
「一緒帰ります?」
「ううん、もうちょっと練習してくよ。あと一時間ぐらいで来ると思うし」
「そうすか……お疲れっス」
「お疲れ」
遠ざかっていくテールランプを見送って、海莉は練習場に戻る。
さっきまで彼女たちを指導していたコーチたちは、今度はヒマと金を持て余しているらしいご婦人方に囲まれて、どうにもやりづらそうだ。
それを横目に、海莉はノックマシンのスイッチを入れる。
ご婦人方──コーチ陣は全員の名前を憶えているが、海莉や楢嵜には見分けがつかないので、おおむね『ババァ』に分類している──のウォームアップは随分と時間がかかるらしいから、一ゲーム分ぐらいは打つ時間があるはずだ。
仮にも有望選手の端くれである彼女なら、言えばコートをずっと空けてくれるだろうが、そこまで我を通すのは角が立つと思って、海莉は所属しているクラスが終わったあと、帰りの遅い母の迎えを待つ空き時間にだけ、自分の練習をしている。
唸るようなモーター音のあと、乾いた音と共に弾き出されたシャトルに反応して、海莉はステップを踏む。
(──バック奥、バック奥……)
今使っている安物のマシンでは、コースは振り分けることが出来ないが、球足は数段階にランダムで打ち分けられる。
海莉はその一つ一つを、丁寧に右利きプレイヤーのバック奥へと打ち込んでいった。
コートの角に、シャトルの集まりが出来上がっていく。
先日の、楢嵜が携帯電話を買ってもらった大会で、海莉はくだんの横浜翔栄の選手に敗れた。
相手は高校生だから仕方ない、というのは当然分かっているが、それでも今後は自分がその高校生になるのだから、弱点は解消していかなければならない。
そのために今は、身長の高い選手を前に出させないための長いシャトルの精度を、この居残り練習で高めている。
もう十日ぐらい続けているが、だいたいどんな球が飛んできても、狙ったところに『置く』ことは出来るようになった。
ただし、お互い走り回っているラリーの最中に、同じことが出来るかどうかはわからない。
やがてノックマシンは全てのシャトルを吐き出し、短いブザー音とともにモーターを停止させた。
「……うん」
全てのシャトルを上手くコントロールすれば、拾うのも楽ちんだ。
海莉は独り得意顔でシャトルを一気にかき集め、マシンに備え付けの箱に入れる。
ちょうどマシンに全てのシャトルが戻ったところで、練習場の扉から母親が顔を覗かせ、今日の練習はお開きとなった。
「そういや結局ミィはどこまで行ったの?」
「ベスト8っス。志波姫にやられた」
志波姫──。
益子泪と並んで、おそらく来年からインターハイを席巻するだろうと囁かれている選手だ。
関東ジュニアの大会に、本来宮城の選手が出場することはないのだが、数年前の大震災の翌年から、『復興希望枠』だかなんだかという特別枠で、東北六県から何人ずつかが出場するようになった。
「あいつ、やっぱり強い?」
「ヤバいっス、全部『消され』る。たぶん向こうが風邪ひいてても勝てない」
特別枠とは言え、その選考基準は通常の関東の枠と同じだ。
つまり、県の中学大会で最上位クラスの選手。
福島から来ていた友野は、県大会を二年生から連覇しているし、志波姫に至っては関東どころか全国ジュニアでも上位に入っている。
いくら楢嵜が強いと言っても、さすがに勝てないだろう。
もちろん自分も、いや猶更無理だろうな、と海莉は思った。
クラブ内での対抗試合でも、一番戦績が悪いのが楢嵜だ。
一つ一つの試合を覚えているわけではないが、割合にしたら十のうち三つ勝っていれば上出来だろう。
ここ一年半ほどは、彼女と海莉が栃木のシングルス代表に収まっている。
幸いにして、大きな大会では『先輩の威厳』を損なう結果にはなっていないが、それはそもそも手合わせがないためだ。
やれば負けるだろうし、それが自分の才能の限界だと、海莉は認めている。
「そういや、海莉さんは?」
「ん? 私は三回戦でサクッと負けたよ。名前忘れたけど、その翔栄の選手にね」
「はー……海莉さんでも勝てない奴いるんスね」
嫌味かよ、と海莉は彼女の頭をこづいた。
ひとしきり笑い合った後、海莉はため息をつく。
「……どうしよっかなぁ」
「何が?」
「高校。翔栄は遠いからヤだし。監督顔でかいし」
後のほうは関係ないだろうと思いつつ、楢嵜も自分の『一年後』を彼女に重ねる。
「ウチは海莉さんと同じ高校でやりたいっスけど……」
「──じゃあ、ちょっといいトコ選ばなきゃじゃん?」