はねバド!~On Your Mark~ 作:STORICKS
もう、何度もやりあった仲だ。
海莉は丁寧に、楢嵜の急所を突いていく。
間合の開いたラリーでは、どうしても球威に劣る楢嵜が受け身になってしまう。
ジュニア大会で志波姫にやられたドロップを早速取り入れたのか、フェイントを仕掛けて得点を奪い返すシーンもあったが、概ね試合は海莉のペースで進み、五点差で最初のインターバルに飛び込んだ。
(……なんだよ)
ベンチに座って汗を拭いている海莉はふと、件の高校の監督がこちらを見ているのに気付く。
今日の主役を喰ってやろうなんて気は、サラサラ無いのに。
それに──今のところ楢嵜は、本調子ではない。
もっと脚を出せば取れたシャトルもあったし、一つ一つのショットの精度も甘い。
ウォーミングアップが足りないということは無さそうだが、『判断』に使う頭の方はまだ温まっていないようだ。
審判役のコーチに促され、二人は再びネットを挟んで向き合う。
ロングサービスを打ち、海莉はホームポジションに戻った。
楢嵜の返球は球足の速いドリブンクリアだが、重心をニュートラルに保つことを心がけていた海莉は、難なく追い付いてヘアピンを返す。
いいところなしではあまりにも可哀そうだから──というわけではないが、自分の選択が少し甘かったと彼女は後悔した。
『ネット前』は上手いのだ、楢嵜は。
絶品のクロスネットを返されて、海莉は慌てて身体を反転させて追いかけるが、なんとか拾い上げたシャトルは遠くに逸らしきるまでは至らず、楢嵜に叩き落される。
ここで一気呵成に、とばかりに早い間合いでショートサービスを放った楢嵜は、前掛かりになった海莉の頭上を通過するクリアーを上げた。
「く──」
海莉が打ったラウンドザヘッドのロブは、アーチを目いっぱい高く上げた守備的なショットだ。
時間的な余裕は得られたが、それは相手も同じだ。
ネットぎりぎりの高さから切れ込んでくるカットスマッシュを再びロブで返球しながら、海莉は楢嵜のプレイスタイルについて再検証を始めていた。
オーソドックス、と言えばオーソドックスなのだろう。
彼女には大きな身長やパワーといった武器はない──少なくとも、今のところは。
中学生の女子として著しく発育が悪いというわけではないが、海莉のように手足が長いわけでもない。
どちらかといえば手、つまりウイングスパンは短い方だ。
それが楢嵜の粘り強さにも繋がっているし、また逆に、それほど強打を打てないという弱点にもなっている。
ただ、『走り』に特化したプレイヤーを志すのならば、それは徐々に利点になっていくのだろう。
身体に近いところ──懐でシャトルを捉えて、相手に的を絞らせない球出しが出来れば──。
クリアーの応酬から、海莉は楢嵜のボディに一発、ドライブを差し込む。
(……まあ、決まらないよな──)
楢嵜は器用に肘を抜き、バックハンドで短い羽根をネット前に落として来た。
ただ『逃げる』だけではない。
海莉にスマッシュを連打されると苦しくなるのは、楢嵜も理解している。
そして今日は、あえてそうした戦術を彼女が採ってきていることも。
二十点を窺う手前で、スコアは同点になった。
楢嵜は持てる武器を活かす戦術──すなわち、海莉を左右に振り回しつつ、ここぞで裏をかいてバランスを崩させている。
(ううん……)
表情は変えないままで、海莉は心の中でもがいていた。
ショットの正確性に然程の差はないが、楢嵜の方はより多くのリスクを背負って打ち込んできている。
シングルスの狭いコートを目いっぱい幅広く使っているのはなにも、自分の長所を矢板とか言う高校の監督にアピールするためだけではないだろう。
まして彼女の場合は、シャトルに触れる位置が海莉と同等に高い──身長は低いのにもかかわらず。
つまり、楢嵜の方が先に反応し、シャトルに追いついているということだ。
一歩先んじた彼女が打ったロングサービスを、海莉は思い切り遠くへ叩き返す。
ほとんどコートの真ん中だ。
オーバーか──一瞬だけ迷った楢嵜は、シャトルがラインに向かって落ちていく寸前でラケットを振り上げた。
「っ──」
見送るものとラケットを下げていた海莉は、慌ててそのシャトルを追う。
油断ではない。
そもそも自分もアウトだと思っていたし、本当はそうだったかもしれないのだから。
虚を突かれたせいで反応が遅れた海莉は仕方なく、サイドアームで楢嵜のバックサイドへドライブを打ち込む。
ほんのわずかにスピードを殺し、その分丁寧にミートして。
『軽量級』の楢嵜にとって、それに追い付くことは容易かった。
捩れた弾道のシャトルがネットのぎりぎりを越えて、こちら側に飛んでくる。
同じくヘアピンで返したところに素早くプッシュを差し込まれ、海莉が空振ったところで第一セットはマッチポイントを迎えた。
点差は僅かに一点だが、中盤までは優位に進めてきたはずなのに──と海莉は焦燥感を覚えている。
バドミントンは言うまでもなく、点の取り合いのスポーツだ。
ゼロスコアでゲームが終わる可能性すらある他の、例えば野球やサッカーとは違う。
まあ、そのあたりの競技は女子よりも男子の方が人気があるが、ともかく、点数を取られること自体はそれほど気に病むことはない、と海莉は自分に言い聞かせた。
最後の一点を『自分の形』で奪うべく、楢嵜はロングサービスで海莉をコート奥へと押し込む。
(これを普通に返しても厳しい……)
海莉は一瞬だけシャトルから目を切り、楢嵜の動きにピントを合わせた。
ホームポジションからやや前に──海莉のコースを切るように、少しだけ前掛かりに立っている。
ストレートはコースを閉められているが、少し急いたステップでのラウンドザヘッドからクロスに打つのは、ミスしてネットに掛けてしまう危険もあるし、海莉の打球速度では抜けない公算が大だ。
(──『落とし』は拾われる、一回逸らすしかないか──)
先刻打ったクロスロブよりもずっとアーチを低くして飛距離を稼ぎ、海莉は楢嵜のバック奥へとシャトルを飛ばす。
何度もやりあった仲だ。
こういう時、『守り』に入った海莉がどこに打ち込むかを、楢嵜はよく理解している。
海莉がラケットを振り抜くよりも先にバックステップを踏んでいた彼女は、サイドへ二歩踏み込み、大きく身体を撓らせてスマッシュドライブを打ち返す。
だが、コースは甘い。
お互いにネットから離れたポジションで、相手に与える時間的猶予を最小限にとどめる選択をした。
大きく空いたクロスサイドを埋めるべくダッシュする楢嵜の逆を突くように、海莉は低く構えた姿勢から縦にラケットを振り抜き、わずかに変化を付けた。
「ち──ッ」
楢嵜は慌てて方向転換するが、ネットを越えて急速に沈み込んでくるドライブカットを打ち上げることが出来ず、白帯に引っ掛けてしまう。
だが、幸運にも──海莉にとっては、そのポイントでセットを奪われたのだから、不運と言うべきだったが──ほんの一瞬ネットに絡んで動きを止めたシャトルは、力なく海莉のコートに落ちた。
「あ……さーせん、海莉さん」
「──いいよ」
表情を変えず、海莉はネット前まで歩き、落ちているシャトルをラケットに乗せる。
それから楢嵜のコートにそれを戻すまでの間、彼女はずっと立ちすくんだままだった。
ハードラックだ、どう見ても。
短いラリーを通じて、少ない手数で相手を崩したのは海莉の方。
それでも、こういうことは往々にして起きる。
ドライブカットが多少長かったせいで楢嵜が追い付けたのかもしれないし、あるいは逆に、もっと緩く、変化を多くした方が得点にはつながったかもしれない。
海莉にとってはそうした原因を考えることの方がよほど重要で、ネットインだからと言って、全く気にするようなことでもなかったのだ。
気分は良くないが、それはおそらく、楢嵜が無事に一セットを獲れたことに安堵した自分に対して、何とも言えない怒りが心の中にあるのだろう。
インターバルの間、楢嵜はもうさっきのことは忘れたように、捩れたガットを指で整えている。
海莉の方も、やることは同じだ。
もつれ込んだとはいえまだ一セット目で疲れはないし、どちらかと言えば海莉の方がカット系の打球を多く選択した分、ガットのズレは大きくなっている。
(……ん、切れそうだな)
いつから使っているだろう。
このラケットは、最初に買ってもらった入門用では物足りなくなって、親に買ってもらった『いいやつ』だ。
コーチのアドバイスもあって、同じものを二本揃えてある。
決して安くはないが、普段あまりモノをねだることのない娘が珍しくせがんだのだ。
母も嫌な顔一つせずに、海莉にそれを買い与える。
同じ仕様のラケットを複数揃える──それはつまり、『習い事』の範疇を越えて、競技の世界に足を踏み入れる、ジュニアプレイヤーとして戦っていくということの意思表示でもあった。
海莉はふと、ラケットを買ってもらった頃のことを思い出していた。