前作(上)の続編です。小説家になろうというサイトからの転載。
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嫌がらせにも耐え、それから2年の月日が過ぎようとしていた。
さすがにそれだけの年月があれば政情はめまぐるしく動く。
今までイゼリア王国と対立し続けてきたオーゼンバーグという国から使者が渡って来て、まもなく同国とイゼリアは同盟を結ぶまでに至った。
最近ではそのせいかオーゼンバーグ訪問の公務が増え、同国の貴族を迎えての舞踏会や晩餐会を行ったりもする。
私はある日、ジルの妃として同盟1周年を記念する式典の舞踏会に出席することとなった。
「今宵は僕と踊らないか?」
どういう風の吹き回しか、珍しくそう誘ってきたジルに私は「アゼンダさまの方がお似合いです」と一蹴してやった。
別に誘われたり声をかけられたりして久しいわけではない。
今日みたいにジルが気に掛けてくれるようになったのは、私がとある男性と恋をしてからだった。
一か月ほど前になろうか。
公務によるオーゼンバーグ訪問の際、公武を交えての食事会があった。
国家間による厳かな式典のあと、王族の娘たちと笑顔を交換するだけのつまらない食事会。
そんな中、私はラウルという一人の騎士団長と出会ったのだ。
会ってみればとても気さくな人でしゃべりやすく、公務での逢瀬を重ねる内に私達は惹かれあう仲になった。
そんなラウルは私より20ほど上。
身分でも年齢でも結ばれることは難しい。
それでも、いつも苦しい立場に立たされている私の味方をしてくれる彼を心から慕っている。
財も無い。人望も無い。地位も事実上無いようなもの。
そんな私を他国から支援してくれ、時には舞踏会で纏うような純白のドレスやネックレス、そして手紙を送って来てくれる。
私の体調や境遇を心配してくれるラウルにせめてものお返しがしたいと、私はジルに私的な文通であることを隠し、公務と偽ってやり取りを続けている。
ジルに手紙のことを話しても「好きにしろ」と告げられたから、私はやけくそになって本当に好き勝手してやった。
勝手に公務と称してラウルに逢いに行ったり、酷い時にはジルに告げず『私用』と偽って二人でオーゼンバーグの自然保護区や巨大瀑布を見て回ったくらい。
でもラウルからブルーダイヤの指輪が送られてくると、ジルの私に対する態度があからさまに変わり始めた。
オーゼンバーグにおいてブルーダイヤは結婚を申し入れる際に使われるものなのだ。
「お願いだ。今日は君と踊りたい」
私はそっぽを向いて何も返さなかった。
気付けば結婚して3年。
一緒に寝たことはあれど子供は望めず、ただ『正室』という二文字の役職に据え置かれる従順な人形を演じ続けてきた。
今まで私のことなんか気にもかけなかったのにどうして――
「色んな女性を見て想った。やっぱり君が一番だったと」
「やめてください、そんな言い訳」
聞く気にもならない。
やり手の男に私が魅了されているのをやっと知って右往左往しているんだろう。
私を3年も放っておいたあなたが悪いのよ。
だからラウルとの関係を簡単に終わらせるつもりは微塵もない。
「フィーネ!」
私は逃げようとしたけれど、ジルの懇願する姿に根負けして一曲だけ踊ってあげた。
普段は主に側室や他の女と一緒に踊る彼が、なぜ私を指名してきたのかは分からない。
単なる気まぐれか、それとも――
私はそれ以降の舞踏を断り、ジルもそれを快諾してくれた。
「ジル様ときたら、今日は珍しく正室さまと一緒じゃないか」
「アゼンダさまやリーフェお嬢さま以外の方と踊られるとは」
「明日は雨でも降りますぞ」
そんな陰口に似た言葉を背に受けながら私は舞踏の場から身を引いた。
かといって勝手に退出するわけにもいかないため、王子の妃でありながら部屋の片隅でグラス入りのワインを喉に流し込む。
舞踏が催されている場の外側では食事会も同時に行われており、私は会が終了するまでそこに居続けるつもりだった。
召使の持つワインを一つ手にし、王族専用のテーブルと椅子に向かう。
テーブルの前に来て使用人が引く椅子に座ろうと腰を曲げたときだった。
急に背中でじわっと冷たい何かが広がり、私は思わず背に手をやった。
「あら~、わたくしったらついうっかり」
嫌らしいこの声には聴き覚えがあった。
いつにも増してカール髪を盛り上げたアゼンダは、私の背に垂れる紫色のワインを見て冷笑する。
「ごめんなさいね。わざとじゃないのよ、わざとじゃ。すぐに代わりのお召し物を用意させますわね」
「いえ、結構です」
私は咄嗟に笑顔を繕って首を横に振る。
「お気遣いいただきありがとうございます」
「あら、そう?本当に大丈夫ですの?」
アゼンダは口の端をつり上げてあからさまに笑んだ。
どうせ別の着替えを持ってこられたって、良くて安物のドレス。悪ければ農民が着るような麻布の服に決まっている。
そんなものを着せられるくらいならいっそこのまま――
ちょうどいい口実ができた、と舞踏会を御暇(おいとま)しようとした私の背に硬い何かがぶつかった。
ふと身を反転させると、そこには恐ろしい剣幕のジルが立っていた。
目をカッと見開き、私のドレスを力強く握ったまま正面のアゼンダを睨んでいる。
「こ、これはジル様。ごきげんよう」
その形相はアゼンダでさえ鼻白むほど。
一歩、また一歩と後退する側室を前に、ジルは召使の持っていたワイングラスのすべてを奪い取って彼女に放り投げる。
(うそ……)
優雅な音楽が流れていた舞踏の場で突如、ガシャーン!! とあまりに場違いな音が響いた。
踊っていた貴族らの視線もアゼンダ一点に釘付けになる。
同時に音楽もピタッと止まり、「何事か」と外を歩いていた歩哨まで飛び込んできたほどだ。
「悪いね。僕もついうっかり」
私にもアゼンダにも一体何が起きたのかすぐには理解できなかった。
ピチョピチョと髪から垂れる酒のニオイを嗅ぎながらアゼンダはペタンと床に尻をつく。
「どうだい、フィーネが受けた嫌がらせよりもまだまだヌルいだろう。これくらいは」
ジルは彼女に向かって鼻を鳴らした。
当初ポカンとしていたアゼンダも、愛する夫の口から「離縁」という言葉がでた瞬間に声を上げて泣きだした。
ジルは私の方に身を反転させ、私の体を抱いて耳元でこう呟く。
「気付いてやれなくてすまなかった」
――何で今になって――
ジルが私になにを言いたかったのかは言うまでもない。
必死に耐え、どんなことがあっても夫の前では笑顔を振りまいてきた生活。
そんなある日、ジルが私の部屋に入った際に荒らされていた室内を見て、近くにいたアゼンダのメイドに尋問したと後で聞かされた。
「――っ」
「フィーネ!!」
気付けば私はジルから逃げ出していた。
――☆――☆――
結局、行きついた先は見慣れた自室だった。
輿入れする際にローヴエルトから持ってきた嫁入り道具と、ベッドやテーブルをしつらえただけの質素な部屋。
将来の王妃となろう私には財宝をはじめ置物の一つすらない。
頼めば何でも手に入れられるアゼンダと違って私は傍から見れば貧乏娘に見えるだろう。
それでもいい。
今ではこんな生活にむしろ居心地の良さを覚えていたのに、今日はどうしたことか少しも落ち着かない。
――気付けなくてすまなかったですって?
気付こうとしなかったのは誰よ。
今まで好き勝手してきたくせに。
彼の言葉を心の中で反芻すればするほど鼻孔の奥にじわっとした痛みが広がる。
その時だった。
「フィーネ!!」
突然ノックも無く開かれたドアに向かい「きゃっ」と甲高い声を放つ。
ドキッと震える心臓に両手を当て振り返った時には、私はジルの胸の中におさめられていた。
「本当にすまなかった。僕の知らない間に君があんな仕打ちを受けていたなんて」
仕打ちですって?
アゼンダからの嫌がらせなんて子供の悪戯くらいにしか思ってない。本当の仕打ちはあなたにずっと無視され続けたことよ。
私は心の中でそう言い放った。
ジルは私を抱く腕にさらに力を込めて言う。
「もう一度やり直そう、フィーネ」
私はすぐに首を縦には振らなかった。
当然だ。さんざん自由に振る舞っておいて、私が他の男に気があると知った途端に手の平を反すような相手に笑みを見せるほど耄碌(もうろく)していない。
――つれない女だ。
そう思いたければそう思えばいい。
そもそも国家間の政略に染め上げられた結婚なんか最初から破綻している。
それでも私はどんなことにもめげず、ジルからの頼みや仕事の依頼は笑顔で「はい」と言い続けてきた。
嫌だとか無理だとか弱音を吐いたことは一度もない。
時には数週間城に戻れない長旅の公務もあったけど、その時でさえ快諾したくらいだ。
だけど、ここに来て私は生まれて初めてジルに「ノー」を突き付けた。
「僕が悪かった!今までフィーネを放っておいた僕が全て悪いのは分かってる!」
「いいえ、旦那様は何一つわかっていらっしゃいません」
きっぱりと言い切った後で矢継ぎ早に言葉を射る。
「言葉を変えましょう。私がオーゼンバーグの騎士団長さまと懇意にしていることは旦那様もご存じのはずです」
「手紙のやり取りをしているのは承知している。ただし、公務の範囲を逸脱しない程度のみ許可しているつもりだが」
私はあえて言いよどんだ。
「……まさか私的なやり取りだったというのか?」
表情がみるみる曇っていく。
絶望した顔をするジルをみて私は心底喜んだ。
「ええ私的でしたとも。旦那様は私におっしゃいました。『好きにしろ』と」
「いや、だがあれは節操を――」
「側室にも満たない女と毎晩過ごしていたのは旦那様でしょう。それに、もし私のお腹に旦那様以外の子を身籠っていたとしたらどうなさいますか?」
「まさかフィーネ!!!」
私の細い肩を掴むと同時に腹部に視線を落とす。
もちろんラウルがそんな早まったことをするはずがない。
お互いの身分や境遇は我が身のように分かっているはずだ。
でも私はわざと言葉を濁す。
男には女が身籠っているのかどうかわからない。だからこうやって感情を揺さぶってやればすぐに動揺するのだ。
――私はいつの間にかジルを嫌いになっていた。
3年前は彼が傍にいないだけで寂しくなるほど慕っていたというのに。
またどこかへ走り出そうとする私を今度はしっかり抱きしめ、ジルは荒い吐息で口早に嘆願する。
「もしそうだとしても構わない。だから僕とやり直して欲しい、この通りだ!」
王子らしくない低頭を見せつけられ、私は心の中で嘲笑ってやった。
そして同時に声を上げて慟哭する。
――あまりに遅すぎた。
溜まった水が堰を切って溢れ出すかのごとく、私は顔に両手を当てて絨毯の上に座り込んだ。
「今まで傍に置いた女もアゼンダのことも全て忘れ、今後一切フィーネだけを妻として傍に置くと約束する」
ジルは最後に「だから」と付け加えた。
「――もう一度僕らだけの結婚式を挙げよう」
その後、間もなくしてアゼンダは国に帰された。
あれほど周囲から大切にされていた彼女は、城を出る頃には「王子妃を汚す悪魔」とまで罵られていた。
以来、私の部屋が荒れるようなことは無くなり、彼女に付いていたメイドは自らその職を辞して国元に帰っていったという。
その後のアゼンダについて、私は何も知らない。
「フィーネ・エル・ローヴエルト」
聖書に手を乗せ優しげな笑みを浮かべる神父がその名を呼ぶ。
私が28の結婚記念日、ジルと私はとある地方の小さな教会で二度目の結婚式を挙げた。
当初ジルから「君にサプライズを用意した」と言われ、思わず式に誰か来るのだろうかと身構えていた。
だけど来たのは私たちの結婚を祝う客じゃなかった。
王族?貴族?
いいえ、違う。
「はい。ラウル神父さま」
私たちが本当の式を挙げると知り、国内の軍事演習そっちのけで駆けつけてくれたのだ。
ラウルは自ら私とジルの愛を繋ぐ瞬間の立会人となることを申し出てくれたのだという。
彼も一生私と結ばれないことは分かっていたと告白した。それでも今日駆けつけてくれたのは、私のことがずっと好きだったからとも。
「あなたは病める時も健やかなる時も、ジル王子の妻として愛と忠実を尽くすと誓いますか」
今日は違う。
今までのような身に痛みを覚えるような生活とは違うのだ。
もう恋い焦がれて涙を流す必要はない。
私はすぐ隣に立つ夫の腕を抱き、笑顔でこう告げた。
「ええ、誓います