「君は10という数字は完璧だと思うかね?」
彼女はまるで役者が科白を楽しむかのように、言葉を発した。
それは会話というよりも、言葉に酔ったような話しぶりであった。
「なんですか?いきなり」
「10は完全な数字かと問うているのだよ」
彼女の話し方というのは、いつもこうであった。
こういった時代がかった喋り方のほうが『教養がある』と思っているらしい。
「僕には分かりませんね。それは分かります」
「なるほど、無知の知だね」
彼女は僕と会話をしたいのだろうか?それとも自分の知識をひけらかしたいだけなのだろうか?
「10というのはだね、ピタゴラス教団では神聖な数字とされてだね――」
生半可の、聞きかじりの知識をこうまで自慢げに話せるというのは、一種の才能ではないだろうか。どうせインターネットで調べた程度の、底の浅いものだろうに。
「ねえ、聞いているのかな?それとも知らないことを恥じているのかな?」
「どちらでもないですよ、聞いてますよ。10というのは神聖な数字なんですね。」
「君は十を聞いて一を知るタイプの人間だね」
僕は彼女に嫉妬しているのだろうか?しかし、それ以上の感情が、僕にはある……。
僕と彼女の出会いは、この部活――文芸部でのことだった。
僕が高校生活を楽しもうという気概もなく、何らかの義務感から文芸部に入部したのは、この部活が緩いからであった。
参加するもしないも自由、ただ籍をおいているだけの幽霊部員も大勢いた。僕も彼女と出会わなければ、その大勢の一人であったろう。
気に食わないことだが、僕は彼女に惹かれていた。もっとも、彼女は二学年上の部長に興味があったようだが。
この部長、正確に言えば元部長は端的にいって容姿に優れていた。それでいて、教養趣味の甚しい鼻持ちならない人間でもあった。
彼女はその両方に惹かれていたのだろう。彼の気を引こうと、彼女も『教養』とやらに入部して間もなく、精を出していた。あの傲岸不遜な話し方も彼ゆずりのものである。まるで彼が二人いるようなもので、当時は大変に気苦労した。まあ、教養人を自称する人間が二人居れば、どちらも自身の方がより教養あるように見せかけようと、知識をひけらかすのが常である。僕はもっぱら聞き手に回らなければならなかった。それが部活での役割であった。
なぜ、彼女に惹かれてしまったのだろう。容姿?それとも性格だろうか?振り返れば、あの日のことが始まりだろう。
入部してからまだ日の浅い、それでいてある程度は高校生活にも慣れてきたある日。僕は、彼女に会いに行かねばならなかった。
というのも、文化祭に向けて、文芸部もある種の作品集を出さなければならなかったからだ。僕が彼女の教室へ出向かねばならなかったのも、その打ち合わせのためであった。
教室での彼女は、部活での雰囲気とは全く異なっていた。いわゆるスクールカーストの上位の女子といった雰囲気で、部活にいるときの彼女なら軽佻浮薄といって嫌ったであろう連中と慣れ親しんでいるようであった。
「それでさあ、この前カラオケ行ったじゃん?あのあと、ガチでナンパされた!」
「マジ?やべえな」
彼女は武勇伝のようにナンパの経緯を語っていた。僕は彼女に話しかける勇気はなかった。一通り話を終えた彼女は、今更ながらにぼうっと突っ立ている僕に気づいたようであった。
「あー、なんかよう?」
「あの、ちょっと部活の件で、顧問からプリントもらってきたんだけど・・・」
僕は彼女にプリントを押し付けるようにして、そそくさと教室から出ていった。正直にいって彼女がそういった立ち位置にいるとは思わなかったからだ。ああいった人たちは僕の苦手なタイプである。
その後、部活であったときには、いつもの彼女に戻っていた。――戻っていたという表現は正しくないだろう。アレが本当の彼女なのだろう、そう思って、僕は彼女を避けようとしていた。
「この前の教室だけどね、プリント届けてくれてありがとうね」
彼女は面映そうに、ぎこちなく話しかけた。彼女も僕を避けようと思っているようだった。
「いや別にいいけど……」
彼女の、隠そうとしている一面を見てしまった。そのことは、ある種の背徳感でもあって、彼女の姿を蠱惑的にした……。有り体にいえば、僕は彼女に恋をした。
人に見せたくないモノこそ、見たい。それは罰せられるべき悪徳だろうか?彼女に惹かれてからというもの、僕は聞き役を忠実に勤めた。全くの無知で、彼女の自尊心を擽らせるような質問をする。それが僕の役割だった。この役割というのは、思ったよりも大変であった。率先して愚者を演じるというのは、賢者を演じるよりも苦労する。彼女が答えられる範囲で質問をし、それでいて彼女を満足させるように振る舞う。彼女の『教養』について行くために、僕も色々と読書をしなければならなかった。でも、それが楽しい。彼女の自慢げな顔を見ると嬉しい。これがずっと続けばいいのに・・・。
しかし、万物は変化を免れない。部長は卒業し、彼女がそれを継ぎ、僕らもまた卒業する。僕と彼女の関係もこれで終わってしまうのだろう。だが、そんなことは許せない。僕の懸想が叶うかどうかは分からない。彼女の記憶に残れば、恋破れたとていいのだ。
「あのさ、話があるんだけどさ」
「なんだね、急に。まだ話の途中なのだけれど?」
「君のことが好きだ。付き合ってほしい」
彼女は押し黙ってしまった。唐突だったからだろう。だが、この二人きりの場面を逃せば、一生告白できないような気がした。それが怖かった。
「あのさ、ごめんムリだわ」
「……一応だけど理由を聞いていい?」
「そんな目で見てなかったいうかさ。なんていうか、今の関係のままでよくない?」
彼女は、僕が率先して道化を演じたことを知っているのだろうか。それは虚しい努力に過ぎなかったのだろうか。それとも、やはり突然すぎて彼女の気持ちを無視していると思われたのか。それとも……。
感情と考えは周転円のように回っていく。分からない。分からない。
「君がさ、私よりも知識があるっていうかさ。私に合わせてたのは分かってたよ?でもさ、好意があるのは知ってたけど……」
「全部、ぜんぶ分かってたのか……」
「私は、君の思っているような人間じゃないんだよ。取り繕っているだけなんだよ」
「部活とクラスとで違うのは分かってる!それを含めて好きなんだよ!」
僕は感情に任せて、声を張り上げた。彼女を糾弾しているような物言いだった。
「それを含めてだよ。全部ぜんぶ取り繕った、紛い物だよ!君が見ているのは誰なのさ!私はそんな人間じゃない!」
感情と感情のぶつかり合い。僕は思った、彼女の言っていることは本当なのだろうと。彼女はプライドが高いくせに、自分を根本的には信頼していないのだ。結局、彼女は出ていってしまった。
「紛い物だっていい!そんなところも好きなんだよ!」
彼女の居なくなった部室で、ひとり叫んだ。
だけれど、本当はどこに惹かれていたのだ?彼女の秘部を知ったからではないか?ならば僕の愛したのは彼女自身ではないのでは?
僕は、僕は何を見ていたのだ……?
それから、彼女と会うことはなかった。
「私さあー、この前告られたんだよねー」
「マジ?誰?」
「部活のさー、同級生」
「えー、てかどういうヤツ?」
「なんかさあ、媚売ってくるようなヤツでさあ。嫌いじゃなかったんだけどさあ、いきなり告ってきてマジ引いたわ」
「あれか、ぬいチンくんじゃん」
「ぬいチンって何さ」
「ぬいぐるみにチンコが生えてきたみたいな?」
「それなー、ガチで無理だわ」