ジャック・ザ・ハーレム   作:サイエンティスト

10 / 15
 めでたくアリスの部屋に泊めてもらえることになったジャック君。これで今夜は安心して休める――わけがないんだよなぁ。アリスからすればカモがネギ背負ってやってきたようなものじゃないか……。


積極的な恋人達(中)

「はぁ……何だかやっと落ち着いた気がするよ……」

 

 アリスの部屋に通され、椅子に腰かけたところでやっと一息つけたジャック。積極的な女の子たちの猛攻により、精神的にはもうへとへとであった。

 別に嫌な気はしないのだが、ジャックも男。どうしても邪な気持ちを抱いてしまい、それに対しての罪悪感やら気恥ずかしさやらで胸が痛んでしまうのだ。精神が磨り減っているのはそれが主な原因である。

 

「ふふっ。ジャックにはたくさんの恋人がいるものね。気疲れするのも当然だわ」

 

 構わないで良いと言ったのに、わざわざお茶の用意をしながらそんな言葉を投げかけてくるアリス。

 しかし口では笑っていたものの、声音はほんの少しだけ冷たい感じであった。見れば表情もどことなく面白く無さそうだ。

 

「……アリス、何だかちょっと怒ってない?」

「ご、ごめんなさい。そんなつもりはなかったのだけれど、どうしてもヤキモチを抑えられなくて……」

 

 無意識のものであったのか、指摘した途端にアリスは罰が悪そうな表情を浮かべる。

 まあアリスはヤキモチ焼きなのでそれくらいは仕方が無いだろう。むしろ自分の恋人が他に五人もの異性と付き合っていると考えれば、ヤキモチを焼くだけならまだマシというものだ。

 

「ううん、いいんだよ。その、ヤキモチを焼かれるっていうのも、結構嬉しいからね……」

「ジャック……」

 

 それに決して悪い気はしない。ヤキモチを焼くということは、それだけジャックのことを大切に思い、愛してくれているということ。その事実に喜びを感じこそすれ、忌避する理由などどこにも無い。

 アリス自身もそれを理解してくれているらしく、お茶の準備を進める姿は先ほどまでよりも上機嫌に見えるほど軽やかであった。

 

「お待たせ、ジャック。紅茶が入ったわ。あなたはそれを飲んで、ゆっくり休んでいて?」

「あれ? アリスは一緒に飲まないの?」

 

 しかしお茶の用意を済ませたアリスがテーブルに置いたのは、ジャックの分の紅茶だけであった。アリス自身の分が無いばかりか、対面に座ることもない。不思議に思って尋ねた所、アリスは若干頬を赤らめながら答えた。

 

「できれば私も一緒にお茶をしたいところだけれど、まだ入浴を済ませていないの。ジャックはもうすぐにでも休みたいようだから、早く入浴を済ませて一緒に休んだ方が良いと思ったのよ」

「あ、そっか。ごめんね、アリス。気を遣わせて」

「ふふっ。いいのよ、ジャック。だって今だけはあなたと二人きりでいられるんだもの」

 

 そんな攻めた言葉に若干ドキリとするジャックであったが、幸いアリスは行動として表わしてくることはなかった。さすがにアリスまで赤ずきんたちのように積極的に攻めてきたら、ジャックもどうすればいいのか分からない所だ。

 

「……そうだね。それじゃあ僕はゆっくり待ってるよ。いただきます」

「ええ。どうぞ召し上がれ。私はお風呂に入ってくるわね?」

 

 にっこりと笑い、アリスは洗面所へと去って行った。覗かないように念を押すこともないあたり、きっとジャックを信頼してくれているのだろう。

 もちろんその信頼に応える云々の前から、ジャックには覗きをする気など欠片もなかった。というか女の子との混浴から逃げてきたのにわざわざお風呂を覗くわけがない。

 

「ふぅ……暖かいな……」

 

 なのでアリスの言葉に甘えて、紅茶を啜りながらほっと一息つく。肉体的な疲労はともかくとして、精神的に疲れていた身体にはその暖かさが染み入るように気持ち良かった。身体を外から暖める入浴とはまた違った心地である。

 

(アリスも僕の恋人だけど、あんまり距離感が変わらないせいか僕もいつも通りに過ごせるみたいだ。こういう時はそれが本当に嬉しいなぁ)

 

 さほど普段と様子や接し方が変わらないというのは、それだけでジャックにとってはありがたい。何せ憧れであった赤ずきんはお風呂にまで入ってきたし、大人しい白雪姫でさえベッドに潜り込んでいた。あまりの変化に戸惑いを覚えてしまうのは仕方の無いことのはずだ。

 

(でも、やっぱりアリスも記憶を持ってるんだよね? 僕と、その……色々と、した記憶を……)

 

 とはいえそんな記憶を持っていれば変わってしまうのもまた仕方ない。逆に普段とほとんど変わらないアリスの方が、むしろ少数派なはずだ。

 

(それでもあんな風に落ち着いていつも通りに接することができるなんて、アリスは凄いなぁ。僕だったら絶対そんな風にはできないよ)

 

 もしもジャックがアリスたちと致した記憶を持っていたら。きっと面と向かって話をすることはできないくらい狼狽してしまうか、あまりの羞恥に逃げ出してしまうことだろう。あるいは理性を放り投げて襲いかかるか。

 

(でも、いつかはちゃんと向き合わないとダメなんだよね。いつかはきっと、僕もそういうことをしないといけないわけで……それが嫌ってわけじゃないんだけど、最初に誰を選ぶかがまた問題なんだよね……)

 

 ファーストキスを眠り姫に奪われた時の反応を見るに、どうやら皆ジャックの初めてというものを非常に価値があるものと思っているらしい。男であるジャック自身はさほど価値を見出していないが、それはこの際関係ない。向こうがどう思うかが問題なのだ。

 

(……やっぱり、最初はアリスが一番なのかな?)

 

 かなりのヤキモチ焼きであることが判明したため、特別気を遣わなければいけない相手。 しかし恐らくはジャックが最も変わらず接することができる相手だ。他の子が相手だったならジャックは羞恥心やその他の感情に耐えられず直前で逃げ出してしまうかもしれないが、アリスが相手ならもしかしたら大丈夫かもしれない。逃げ出さず、お互いに全てを曝け出して身体を重ね――

 

(う、うわっ! うわっ! 何を考えてるんだ、僕は!?)

 

 思わずそんな光景を想像してしまい、咄嗟に嫌らしい妄想を振り払う。それでもアリスの艶姿と、それに襲い掛かる自分の想像は否応無く胸の鼓動を高鳴らせていた。もちろんもっと別の身体的反応も引き起こして。

 

「はぁっ……やっぱり僕にはまだそういうのは早すぎるよ……」

 

 そもそもアリスたちと恋人になってからまだ何日も経過していない。今考えるべきは愛情を深めあい最後に辿り着き行う行為ではなく、これからどうやって恋人としてみんなと過ごしていくかだろう。

 昂った精神を鎮めるために再び紅茶に口を付け、その味わいと暖かさに浸り直すジャックであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人でのお茶を終え、それでもまだアリスはお風呂から上がってこなかったので片付けも終えて一人休んでいるジャック。

 精神的に疲れが溜まっているせいか、椅子に腰掛けて休んでいるだけでも眠気が襲ってきて仕方が無かった。思わずこくりこくりと何度も舟を漕いでしまうが、アリスを待たなければいけないので頑張って堪えていた。

 

「――お待たせ、ジャック。時間がかかってしまってごめんなさい」

 

 ぼんやりとした意識のまま待っていると、やがてアリスの声が聞こえてきた。幼馴染の柔らな声に薄れ掛けていた意識が引き戻され、ジャックは顔を上げる。

 

「あっ、アリス。もう上がった――!?」

 

 しかし瞳に映ったのは、ただの幼馴染の少女の姿ではなかった。女性を意識してしまうくらい、妖艶な格好をしたアリスだった。

 とはいえ妖艶と言っても途方も無く露出度が高いわけではないし、非常識な格好をしているわけでもない。むしろ露出はかなり低めだし、見た感じではパジャマというかゆったりとしたネグリジェだ。

 ただ色合いが妖しい黒な上、身体のラインが透けて見えるほど薄かった。幾ら幼馴染とはいえそんな格好で目の前に来られると、否が応にも女性を意識してしまうのは仕方が無かった。おまけにお風呂上りなせいか肌も赤みがかかってしっとりしているため、余計にその手の感情を刺激される。

 

「ええ。疲れているのに待たせてしまってごめんなさい。それじゃあそろそろ休みましょう?」

 

 しかしアリス本人はその格好の危険性に気付いていないのか、まるでいつもと変わらない様子でジャックの元に歩み寄ってくる。うろたえているのはジャック一人であった。

 

「あ、アリス……その格好……!」

「えっ、これ? これは、その……記憶の中で、ジャックが褒めてくれた格好なのだけれど……やっぱり、ただのお世辞だったのかしら?」

「そ、そんなことないよ! 凄く可愛いよ、アリス!」

「そう、可愛い……ふふっ。その言葉を聞いただけでこんなに嬉しさを感じるようになるだなんて、私自身も驚きだわ」

 

 微かに沈んだ面持ちを見せたアリスだが、ジャックの言葉に嬉しそうな笑みを浮かべる。そしてまるで嬉しさに舞い上がったかのように、あるいはジャックに見せ付けるようにその場でくるりと回ってみせた。

 

(可愛い……可愛いんだけど、ドキドキするなぁ……)

 

 身体のラインが見えてしまう格好なため、その場で回られるとアリスの全身のラインがばっちり見えてしまう。その上スカート部分の裾が翻り真っ白な太股が曝け出され、下着すら見えそうになってしまう。もうこの時点でこれがアリスでなければジャックは逃げ出しているところだ。

 

「それじゃあもう休みましょう、ジャック。暖かい紅茶のおかげで、適度に眠気も出てきたはずよ?」

「そ、そうだね。それじゃあ僕はこの辺で寝ようかな?」

 

 安全だと思っていたアリスの部屋だがちょっと危ない気がしてきたので、なるべくアリスのベッドから離れた床を指し示す。

 ちょっと自意識過剰な気がしないでもないが、恋愛に興味どころか言葉の意味すら知らなさそうなハーメルンでさえも積極的に迫ってきたのだ。幼馴染だから大丈夫、と無条件に信用できるかどうかはちょっと怪しくなってきていた。

 

「えっ、何を言っているの? あなたを床に寝かせたりなんてしないわ。一緒にベッドで寝ましょう?」

「えっ!? い、いや、でもさすがに一緒にはちょっと……」

「嫌なの? 私はできたら、あなたと一緒のベッドで眠りたかったのだけれど……昔のように、一緒に……」

「うっ……」

 

 凄く色っぽい格好で、とても悲しげな顔をされてしまう。悲しいことにそんな様子で迫られてもきっぱり断れるほど、今のジャックは経験を積んではいなかった。

 

「……わ、分かったよ、アリス。一緒に寝よう?」

「ええ! もちろんよ、ジャック!」

 

 頷いた途端、喜びに溢れた笑みを返してくるアリス。何だかちょっぴり不安はあったものの、幸せいっぱいのまばゆい笑顔を浮かべさせることができていた。ジャックとしてはそれで充分であった。アリスが幸せなら大抵のことは些細な問題だ。

 そんなわけで多少の不安はあったが、ジャックはアリスと共に一つのベッドにもぐりこんだ。

 

(う、うわ……なんか、アリスの匂いがする……)

 

 ベッドの中は暖かく、そして女の子特有の良い香りがこれでもかというほどに染み付いていた。相手がアリスだったから何とか我慢できたジャックだが、もしこれが他の血式少女のベッドだったならすぐに逃げ出すか不埒な行為を働いたかもしれない。

 

「はぁ……夢みたいだわ。またこうして、ジャックと一緒に眠れるだなんて……」

 

 そんな風に戦々恐々としているジャックの目の前では、どこか恍惚とした様子のアリスが見つめてきている。

 また一緒に眠れるというのは自らが得た記憶の中の再現か、あるいはメルヒェンに捕まっていた牢獄での日々か。まあさすがに牢獄でのことを幸せそうに語りはしないはずなので、恐らくは前者に違いない。

 

「アリスは大袈裟だね。君に頼まれれば恋人になる前でも、一緒に寝るくらいはしてあげたと思うよ?」

「そ、そうなの!? それは……もっと前に、知りたかったわ……」

 

 感情も露わに、心底悔しそうな顔をするアリス。そんなどこか子供っぽい様子を目にして、ジャックは思わず苦笑した。

 

「でも知っていたとしても、一緒に寝ようなんて言い出せなかったんじゃないかな? 少なくとも僕は恥ずかしくてちょっと口に出来ないかな?」

「それは……そうかもしれないわね。そんなことを口にしたら、ジャックに子ども扱いされてしまいそうだもの」

「子供扱いかぁ……ハーメルンならともかく、アリスを子供扱いはできないなぁ。だって僕よりしっかり者だし、いつも落ち着いてるからね」

「そんなことはないわ。私が今の私でいられるのは、ジャックがいるからだもの。もしもジャックがいなくなってしまったら、きっと私は狂ってしまうわ」

(……あながち、間違いじゃないんだよね。アリスには言えないけど)

 

 前の世界の出来事を知っているジャックとしては、そんなことはないと否定してあげることはできなかった。さすがにあんなことがあればアリスがジャックに深く依存しているということくらい、嫌でも理解させられてしまう。それこそ失ってしまえば本当に狂いかねないほどに。

 

「だけど、確かに子供扱いはして欲しくないわね。ジャックにならそれも悪くはないのだけれど……できればジャックには、女の子として――いえ、恋人として扱ってもらいたいの」

「アリス……」

 

 それほどに自分を深く想っている少女が、吐息さえ感じられる距離から熱く見つめてくる。その金色の瞳に秘められた熱と強さに、ジャックは胸が高鳴るのをはっきりと感じていた。

 

「だけど、今のジャックには少し難しいことなのも理解しているつもりよ。だから少しずつで構わないわ。少しずつ、あなたのペースで私を恋人扱いしてくれると、私は嬉しいわ……」

「……うん。ありがとう、アリス」

 

 優しさに満ちた言葉を微笑みと共に向けられ、同様にジャックも笑みを返す。

 正直なところ、自分のペースであろうと非常に難しいことは分かっていた。相手がアリス一人だったならともかく、他に五人も恋人がいるのだ。その上皆が皆、その場の勢いや雰囲気に飲まれて過ちを犯しそうなくらいに魅力的なのだから始末に負えない。それでも抵抗や拒否を示してくれるならまだ良かったのだが、赤ずきんやハーメルンの積極性を見る限り期待はできそうになかった。自分のペースで関係を進めようにも、それを許してくれないのが恋人たちなのだ。

 男としては大いに喜ぶべき状況なのかもしれないが、残念ながらジャックはそれを素直に喜べるほど図太い性格ではない。そのため喜びと困惑が入り混じった複雑な感情がどうしても拭えず、余計に心労が積み重なっていく日々であった。

 

「……ジャック。その手始めに一つ、お願いをしても良いかしら?」

「うん、いいよ。どうしたの?」

 

 ほんの少しだけこれからの日々に落ち込んでいたジャックだが、アリスの言葉に引き戻される。

 しかし引き戻された瞬間、目の前のアリスの様子にまたしても胸がドキリとしてしまった。何故ならぽっと頬を染めて、上目遣いに可愛らしくジャックを見上げてきていたから。

 

「お……おやすみのキスを、して欲しいの。ダメ、かしら……?」

 

 そんな途轍もなく可愛らしい姿を見せながら、可愛らしいお願いをしてくる。

 この時、ジャックはアリスが幼馴染で良かったと心の底から思った。もしも小さなころから一緒に過ごしてアリスという女の子に対する耐性を得ていなければ、襲い掛かっていたかもしれないくらい可愛かったから。

 

「……それくらいなら、お安い御用だよ」

 

 そんな欲望を押し殺し、努めて平静を装って笑いかける。正直こんな状態でキスなどしたら自分を抑えられなくなりそうだが、アリスが相手ならまだ大丈夫なはずだ。

 というか浄化にさえやきもちを示して直に血を舐めさせる習慣さえ作っていたほどのやきもち焼きなアリスに対して、キスしないという選択はさすがに存在しなかった。

 

「――っ」

 

 動作的には段々と慣れてきたものの、心象的には未だ慣れない口付けを躊躇いがちに行うジャック。アリスの唇に優しく自らの唇を押し当て、感触と温もりを微かに感じ取ったあたりで遠ざける。

 もちろん中途半端になったのははっきり感じ取れるほどにキスしてしまうと色々まずそうだという理由からである。

 

「……おやすみ、アリス」

 

 そんな不安を覆い隠すような会心の笑みで以て、アリスへおやすみの挨拶を口にした。

 何にせよ色々と悶々とした気持ちを抱えることになった一日もこれで終わりだ。恐らく明日も今日と似たような一日になるのだろうが、その前に睡眠という束の間の休みがある。気持ちを切り替える意味でもゆっくりと休もう。ジャックはそう考えていた。

 

「………………」

「……あれ? アリス?」

 

 しかしキスと言葉でおやすみの挨拶をしたのに当のアリスが何故か無反応であり、首をかしげてしまう。

 とはいえ無反応と言っても無表情というわけではない。頬を朱色に染めて、どこか夢心地の表情で固まっている感じだ。期待通りのキスであまりの幸せに放心しているのかと一瞬考えてしまうジャックだが、昨日の今日でさすがにそこまで技術が培われたなどとは思っていない。ならば一体何故アリスは固まっているのか。その理由を直接本人に尋ねようとしたその瞬間――

 

「じゃ、ジャック……ジャック……!」

「うわっ!? ちょ、ちょっとアリ――っ!?」

 

 ――突如としてアリスが襲い掛かってきた。熱に浮かされたように頬を上気させつつ、ジャックの名を口にしながら。

 驚いて距離を取ろうとするも間に合わず、アリスに抱き着かれそのまま唇を奪われた。しかもおやすみの挨拶にしては明らかに情熱が籠った、大変激しい口付けであった。

 

「ちゅ……ぁ……ジャック……! 好き……好き……ジャックぅ……!」

 

 しかも口づけの合間に、ぞっとするほど甘い声でジャックへの好意を口にしてくる。

 当然ジャックは離れようとしたものの、アリスはかなり力強く背中と頭の後ろに手を回して決して離してはくれなかった。そんな状態で甘い声音と咥内を侵食してくる湿り気を帯びた温もりに、段々と理性を溶かされていく。

 

(も、もしかしてアリスも危なかった!? 僕は間違ってたってこと!?)

 

 そして薄れていく理性の中、自分の考え違いを理解する。とはいえ今更気が付いても後の祭りであった。非力なジャックには力強く抱擁しつつも、熱烈な口づけを捧げてくるアリスから逃れる術はどこにもなかった。

 もうこのまま流されても良いのかもしれない。そんな手遅れ一歩手前に近い思考が浮かび上がり、意図せず身体が勝手に口づけを返すようになってきたその瞬間――

 

「――っ!?」

 

 口の中に微かな鉄の味を感じると共に、アリスが小さく呻きを上げる。同時に素早くジャックから離れると、口元を押さえながら眉を顰めていた。

 色々と急展開過ぎてすぐには状況が呑み込めなかったものの、舌の上に広がる鉄の味わいと痛みを堪えるようなアリスの表情に、数秒もすればさすがに状況を理解できた。どうやらジャックはアリスの舌を噛んでしまったらしい。

 

「ご、ごめん、アリス! 大丈夫!?」

「い、いえ、良いのよ……今のは、私が悪いんだもの。それに今の痛みで、私も正気に戻れたわ……」

 

 すぐさま近寄って誠心誠意の謝罪をするも、逆にアリスはジャックから距離を取っていく。心底ばつが悪そうに顔を赤くして、自分の取った行動を恥じ入るように。

 あまり褒められることではないが、どうやら舌を噛んでしまったのは結果的には良いことだったらしい。少なくとも再びアリスが襲い掛かってくる気配はどこにもなかった。

 

「と、突然どうしたの、アリス?」

「ごめんなさい。あなたのために色々と我慢していたのだけれど、抑えられなくなってしまって……あなたへの、気持ちが……」

「僕への、気持ち……」

 

 さすがにジャックもそれがどんな気持ちなのか分からないほど鈍くはなかった。というかあれだけ熱烈な口付けと抱擁を受ければ誰でも分かる。

 一見普段と変わらないクールな様子を見せていたアリスも、その実心の中ではジャックへの想いが燃え盛っていたということなのだろう。

 

「ジャック、私から誘っておいてこんなことを言うのは心苦しいのだけれど、私の部屋に泊まるのは止めた方がいいわ。その……あなたを、襲ってしまいそうだから……」

(お、襲うって……まあ、そういう意味だよね……?)

 

 耳の先まで真っ赤になりながらも、非常に恐ろしいことを口にするアリス。先の様子や行動から考えるに、確かにその可能性は高そうだ。思い返してみるとジャックを部屋に上げてくれた時のアリスの瞳は、獲物を狙う肉食獣もかくやという光を放っていたような気がしなくもない。

 何にせよ本人もこう言っている以上、今夜アリスの部屋に泊まるのは止めておくべきだろう。ジャック自身、もう一度熱い抱擁と口づけを受けたら耐えられる自信がなかった。

 

「う、うん。それじゃあ、僕は出てくよ。でも、泊めてくれてありがとう」

「ごめんなさい、ジャック……もっと私の意志が強ければ、あなたを困らせることもなかったのに……」

「それは仕方ないよ。だってそういう気持ちは抑えるのが難しいだろうし……」

 

 アリスは別世界の記憶を得る前から、ジャックのことが好きだったらしい。それなら記憶を得て更にジャックへの好意が増したと考えるべきだろう。むしろよくおやすみのキスをするまで普段通り冷静でいられたものだ。仮に立場が逆だったならジャックは自分を抑えられる気がしなかった。

 

「ありがとう、ジャック……おやすみなさい……」

「うん。おやすみ、アリス」

 

 お互いに言葉のみのおやすみの挨拶を交わし、ジャックはアリスの部屋を出た。アリスが酷く気に病んでいる様子だったので渾身の笑顔で口にしたのだが、そのせいか去り際に見えた金色の瞳はまたしても獲物を狙うような恐ろしい輝きを放っていた気がした。

 

(……もしかして、アリスが一番注意しないといけない子だったのかな? 一応ハーメルンたちは僕を襲ってきたわけじゃないし、白雪姫たちもどちらかと言えば受身だったし……)

 

 アリスには悪いと思っているものの、ジャックは心の中で恋人たちの危険度の振り分けを変更せざるを得なかった。まあ誰が一番安全かと聞かれても、即答はできないのが辛いところであったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリスの部屋に泊まるという予定の変更を余儀なくされたジャックは、自分の部屋に戻ることもできずに居住区の廊下を彷徨っていた。仮に戻ったとしても眠り姫がベッドで寝ている可能性が高いので、自分の部屋で休むのは論外だ。

 ならば他の恋人たちの部屋に泊めてもらうのが賢い判断かもしれないが、赤ずきんでさえお風呂に突入してきたし、白雪姫でさえベッドに潜り込んでいたことを考えるに、むしろそれは悪手だろう。下手をすると先ほどのアリスの時と同じ運命を辿りかねない。

 何だかもう廊下のその辺で眠るという選択肢さえ浮上してきたものの、さすがにそれは最後の手段にしたかった。なのでジャックは考え抜いた末に恋人たちの中で安全度が最も高いかもしれない少女の部屋へと向かっていた。

 

(何か嫌な予感がしなくもないけど、他に行く当てもないし仕方ないよね。というか一人だけ仲間はずれにしたらそれこそ怒られそうだよ)

 

 そんなことを考えながら、部屋の扉をノックする。

 すでに時刻は深夜と言って差し支えない時間帯であるため、部屋の主はもう眠っているかもしれない。だとすればあまりしつこくノックするのは止めておくべきだろう。そう思ったジャックは三セット目のノックはせず、二セットで止めておくことにしたのだが――

 

「あー、うっさいわね! 人が気持ち良く寝てたってのにこんな時間に誰――って、じゃ、ジャック!?」

 

 幸いと言って良いのか、部屋の主である親指姫が出てきてくれた。眠たげに目を擦りつつ、怒り心頭といった様子で。ただしジャックをの姿を認めた瞬間、怒りは驚きに塗り潰されていた。

 

「ご、ごめん、親指姫。休んでたのに起こしちゃって」

「ま、全くよ。それで何の用? くだらない用事だったらぶっ飛ばすわよ?」

「うん、実は――って、その格好……」

「な、何よ?」

 

 ジャックがその服装に視線を向けると、親指姫は頬を赤らめながらもどこか警戒した様子を見せてきた。

 親指姫はついさっきまで眠っていたらしいので、今の服装はネグリジェの類であった。しかしそれはアリスが身に着けていたような、薄くて身体のラインが見えてしまうものではない。赤色を基調にフリフリのレースで彩られた、大変可愛らしいものだった。

 

「……うん! 凄く可愛いね、親指姫! とっても似合ってるよ!」

 

 だからこそジャックは何の躊躇いもなく、会心の笑顔で褒めることができた。実際には親指姫の可愛らしさが半分、扇情的でない可愛らしい格好である安堵に半分といった具合の誉め言葉だ。

 

「あ、あっそ。まあ、悪い気はしないわね?」

 

 誉め言葉の中に含まれる可愛らしさ以外のものに気付かれたのか、親指姫は特に喜んだ様子もなくそっぽを向いてしまう。

 ただ微かに見える口元がどこか緩んで見えたため、もしかすると照れ隠しなのかもしれない。尤もそれを確認しようとすれば怒られるのは間違いないので、ジャックは特に追及しなかった。

 

「それでこんな時間に君の所にきた理由なんだけど、実は君に頼みがあるんだ。もちろん無理は言わないから、断ってくれても良いんだけど……」

「内容聞いてみないと分かんないわよ。良いから話してみなさい」

「うん、それじゃあ……今夜だけでいいから、君の部屋に泊めてくれないかな?」

「はあっ!? ちょ、何で私の部屋に泊まるのよ!? 自分の部屋があるでしょ!?」

 

 誉め言葉が効いていたのか幾分柔らかい態度で続きを促してきた親指姫だが、答えた瞬間に顔を真っ赤にしてしまう。

 とはいえここで断られたらジャックはもう行くところが無くなってしまうので、可能な限り粘るつもりであった。何より親指姫のこの反応からすると、他の恋人たちと違って襲い掛かってくる確率は極めて低そうなのだから。

 

「それが、僕の部屋は今ちょっと危なくて戻れなくて……」

「……どういうことよ、それ?」

 

 若干心配そうな様子を見せて恥じらいを収めた親指姫に対し、ジャックは全てを話した。全てというのはもちろん風呂での出来事からアリスの部屋であったことも含めてだ。ベッドに親指姫の妹二人が潜り込んでいたことを話すのには若干抵抗があったものの、逆に話さず後でバレた時のことが怖かったので洗いざらい話したわけである。

 

「――っていうわけなんだ。だから今夜だけで良いから、泊めてくれると嬉しいな……?」

「……あんた、馬鹿でしょ?」

「うぅ……」

 

 冷たい声と蔑みのこもった瞳を向けられ、思わずたじろいでしまうジャック。

 やはりアリスの後に親指姫の元を訪れたのがまずかったらしい。とはいえ親指姫は他の恋人たちにしたことは自分にもその三倍しろというお願いをしてきたのだ。そこを考えると順番が最後になっても問題ないと言っているように聞こえるのだが。

 

「よりにもよってアリスの部屋に泊まるとか、自殺行為も良いとこよ。あいつ一番危ない奴じゃない。ていうかあんた、アリスに部屋に引きずり込まれたわりにはよく無事だったわね……」

(あ、怒ってるのはそれが理由なんだね)

 

 しかしどうやら親指姫を苛立たせたのはアリスの部屋に泊まったことが原因らしい。自らそう口にしながら、先ほどとは打って変わって感心したような表情を浮かべていた。

 

「別に引きずり込まれたわけじゃないよ。それにアリスも必死に自分を抑えようとしてくれて、最終的には部屋にいない方が良いって僕を帰してくれたしね?」

「あっそ。で、アリスの部屋もダメだったから最後に私の所に来たってわけ。最後に、ねぇ?」

(あ、やっぱり怒ってる……)

 

 一見可愛くにっこり笑っているように見えるが、親指姫から感じられる圧力は明らかに笑顔のそれではなかった。どうやらアリスの部屋に泊まったことは別としても、最後に頼られたのは癇に障ったらしい。

 

「……そうだね。ごめん。やっぱり、自分で何とかするよ。起こしちゃってごめんね、親指姫」

 

 言い訳などできないしするつもりもないジャックは、諦めてその場を後にしようとした。もう行く当てもないのでその辺で寝るくらいしか選択肢はなかったが、背に腹は変えられない。

 なので一つ謝罪をした後、踵を返して去ろうと思ったのだが――

 

「あっ!? ちょ、待ちなさいっての! 誰も泊めないなんて言ってないじゃない!」

「えっ……泊めて、くれるの?」

 

 部屋から飛び出してきた親指姫に上着を掴まれ、引き留められた。それも何だか酷く必死な表情で。尻を蹴飛ばされて追い返されることも覚悟していたジャックとしては、心底意外な反応だった。

 

「ま、まあ、あんたは妹たちに手を出さなかったみたいだし、そのご褒美として床でなら寝させてあげなくもないわよ?」

 

 そして顔を赤く染めながら、恥ずかしそうに視線を彷徨わせつつそんな提案をしてくれる。ジャックとしては床だろうと何だろうと部屋の中で眠らせてくれるなら願ったり叶ったりであった。

 

「わぁ……! ありがとう、親指姫! 助かるよ!」

「よ、喜ぶのはまだ早いわよ! 部屋には上げてあげるけど、もし私に夜這いでもかけようものなら叩き出すからね!」

「うん、それで構わないよ! ありがとう、親指姫!」

「あっ、あー……! もうっ、そんな笑顔で迫ってくんじゃないわよ……!」

 

 最後に救いを得た嬉しさのままに笑いながら、親指姫の小さな手を握って何度もお礼を口にする。

 そこまで喜ぶとは思っていなかったのか、それともジャックの喜びようが異様すぎてついていけないのか、親指姫はとても迷惑そうな顔をしていた。ただその顔は、耳の先まで真っ赤に染まっていたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、あんたは床。私はベッドだからね。もし私が寝てる間に何かしようものなら、命は無いものと思いなさい」

「うん、分かってるよ。本当にありがとう、親指姫」

 

 部屋に上げてもらい、めでたく温かい室内で休めるジャック。板張りの床は多少冷たいがカーペットが敷いてあるし、親指姫もそこは理解しているらしくシーツだけでなくちゃんと敷布団代わりの毛布も与えてくれた。

 枕はクッションのひとつを使って良いとお許しが出たし、ジャックとしてはむしろ至れり尽くせりの状況である。床で寝ることなど大した問題ではない。

 

「わ、分かれば良いのよ、分かれば……」

 

 それでも親指姫自身はベッドの隣に敷布団を用意したジャックに対し、多少複雑そうな表情を向けてくる。まあ仮にもジャックは親指姫の恋人である。何だかんだ言いつつも恋人を床で寝かせるのには抵抗があるのかもしれない。

 

「それじゃあおやすみ、親指姫」

「お、おやすみ……」

 

 その気持ちは嬉しいのだが一緒のベッドで寝ても良いと言われると逆に困ってしまうので、ジャックは手早く寝床の準備を終えるとそのまま横になって瞳を閉じた。少し遅れて部屋の明かりが消され、瞼越しの明るさが消える。

 

「ふぅっ……」

 

 アリスの部屋以来の安心感に、自然とジャックは暗闇の中でため息を零した。床は固くて朝になったら身体の節々が痛んでいそうだが、今までの問題に比べれば極めて些細な問題である。

 

(これでやっとゆっくり休めるよ。思ったとおり、赤ずきんさんと一緒じゃないと僕に甘えられない親指姫なら、他の子たちとは違って早々積極的にはならないからね)

 

 

 想定通りの展開になったことに対し、心の中でほくそ笑む。

 確かに親指姫も恋人になってから積極的な姿を見せてきたことがある。ジャックにいきなり熱烈なディープキスをしてきた挙句、他の恋人に恋人らしいことをしたならその三倍は自分に同じことをしろ言ってきたり、膝に乗って甘えてきたりしてきたのが正にその具体例だろう。

 とはいえ前者に関してはジャックが眠り姫に襲い掛かろうとしている光景を見た後でのことだし、後者に至っては赤ずきんと一緒にいた時のこと。つまり何らかのきっかけがなければ、親指姫は変わらず素直ではない女の子のままである可能性が高いのだ。ジャックが恋人たちの積極性に辟易しながらも恋人の一人である親指姫の元を訪れたのは、その可能性に賭けたからである。

 

(親指姫も結構なヤキモチ焼きだからちょっと心配だったけど、アリスとは違って素直じゃないから大丈夫そうだね。はあっ、親指姫が素直な子じゃなくて本当に良かった……)

 

 アリスと同じく、親指姫もジャックの血を直接舐める習慣を作っていたくらいにはやきもち焼きなところが唯一の不安材料であったが、結果的にはジャックは賭けに勝利したわけである。これが素直な子だったらこうはいかなかったに違いない。。

 何にせよ親指姫が天邪鬼なおかげで、ジャックはこうして快適な寝床を手に入れることができたのだ。明日は何かお礼をするべきだろう。

 

「……じゃ、ジャック。起きてる?」

「うん。まだ起きてるよ。どうしたの?」

 

 どんなお礼をするべきか考えていたところ、不意に親指姫が話しかけてくる。思わずそちらに視線を向けたジャックは、こちらを覗き込んでいる親指姫とばっちり視線があってしまった。灯りの消えた室内でも分かるくらいに顔を赤く染めている親指姫と。

 

「やっぱり、その……ちょっと気が変わったわ。特別にあんたも、私と同じベッドで寝て良いわよ?」

 

 そしてあたかも興味なさげに、自分はどちらでも構わないと言いたげな様子でそんな言葉を口にしてくる。表向きにはどう振る舞いつつも、やはり親指姫も一緒のベッドで寝たかったらしい。

 

「え、っと……へ、変なこととか、しないよね?」

「な、何で私が変なことすんのよ!? てかそれ私の台詞じゃない! 変なことするのはあんたの方ででしょ、このケダモノ! あんま変なこと言うと部屋から叩き出すわよ!」

「ご、ごめん! じゃあ、えっと、お邪魔します!」

 

 一緒のベッドに入るのは正直まずい気もしたが、これ以上機嫌を損ねて部屋を追い出されても堪らない。やむなくジャックは頷き、親指姫のベッドにお邪魔することにした。

 何だかアリスの時と同じ間違いを犯しているような気がしなくもないが、天邪鬼な親指姫ならきっと大丈夫なはず。そう固く信じながら。

 

「も、もうちょっと離れなさいよ。これじゃ近すぎよ……」

「あ、ご、ごめん……」

 

 身体をベッドに横たえた瞬間、お互いの吐息さえ感じられるほどの距離に近づいてしまったため、咄嗟に端まで動いて距離を取る。親指姫も一定以上の距離を求めているあたり、やはりアリスの時のような出来事は起こらないと考えて良いだろう。危機を乗り越えられたジャックはまたしても安堵の吐息を零してしまった。

 

「全く。六人も恋人なんて作るから、こんなことで悩む羽目になんのよ。少しは反省しろっての」

「ごめん……だけど、あんな状況じゃあ誰か一人を選ぶことなんてできないよ」

「それは……まあ、そうかもしれないけど……」

 

 何度もため息に似た吐息を零すジャックの様子に呆れを見せていた親指姫だが、そう答えるとどこか複雑そうな表情で言葉を濁してしまう。

 仮にあそこで誰か一人を選ぶなら、確率で考えても親指姫が選ばれる確率は六分の一だ。全員恋人にしてしまうという言語道断な行いが無ければ六分の五の確率で恋人にはなれなかったのだから、複雑な気持ちを抱いてしまうのも仕方のないことだろう。

 

「だけど親指姫からすればきっと誰よりも複雑な気持ちのはずだよね。何でか君達三姉妹の全員が僕の恋人になってるから……」

「まあ、そりゃあね……」

 

 どこか困惑した様子に眉を顰めながら頷く親指姫。自分だけでなく妹二人までもジャックと恋人になっていた世界があるということなのだから、三姉妹の長女としては色々と思うところがあるに違いない。

 

「あんたはロリコンだって思ってたけど、今考えると何か違う気がするわ。白雪はまあ、ギリギリそうだとしても、ネムはちょっと、ね……」

(う、うーん。白雪姫もだいぶ無理があるんじゃないかなぁ?)

 

 親指姫は小柄で身長も低い上に体型も子供のようなので、俗に言うロリと断定して差し支えないだろう。しかし眠り姫はもちろんのこと、白雪姫もロリと断定するには無理がある。少なくとも以前に見た姉のおさがりの服を身に着けた白雪姫の身体のラインは、ロリと言うには失礼なほど豊かであった。

 尤も長女の親指姫にはある種のプライドがありそうなので否定の言葉は口にしないでおいた。

 

「正直、僕も自分の好みなんて分からないよ。ただ皆が皆魅力的で、どうしようもなく可愛いってことだけは嫌でも分かっちゃうんだけどね。もちろん、親指姫も可愛いよ?」

「つ、付け足しみたいに言われたって私は騙されないわよ! ……ち、ちなみに、どの辺が可愛いのか言ってみなさい?」

 

 顔を赤くして怒ったかと思うと、より赤みを深めながら探るような眼を向けてくる。その瞳の中には若干の期待が見え隠れしていた。どうやら今のは照れ隠しだったらしい。

 となると親指姫も自分がどう思われているのか気になっているのだろう。答えるのはやぶさかではないため、ジャックは親指姫の魅力を一つ一つ思い浮かべながら答えていった。

 

「そうだね。まずはこう、小柄な所かな? 何というか、抱きしめるのにちょうど良さそうなサイズで良いよね。あと小さくても本当は凄くお姉さんらしい所もあることとか、恥ずかしそうに赤くなって怒る所が可愛いとか、今の僕でもたくさん思い浮かぶよ」

「ふ、ふーん、そう……」

 

 一見興味なさ気な反応を示しながらも、口元をしっかりと緩ませる親指姫。小柄や小さいといった怒られそうな言葉も混じっているのにこの反応だ。

 それならこれも口にして大丈夫だろう。そう考えたジャックは、今一番親指姫の中で魅力に思っていて助かっている部分を口にした。

 

「あと一番なのは素直じゃない所かな。本心とは逆のことを言っちゃったりしちゃうのも可愛いし、そのおかげで君はアリスたちみたいに積極的に迫ってこないから、一緒にいても僕は安心して過ごせるよ」

 

 親指姫はかなりの天邪鬼である。だからこそ本心ではアリスたちと同じように積極的にジャックと触れ合いたいと思っていても、それを実行に移すことはない。仮に移すとしてもそれには何らかの後押しが必要なはずだ。かなりのやきもち焼きであろうと、恋人の中で最も安全な子なのは確かであった。

 

「あっ、ごめん。親指姫は素直になれないことをいつも気にしてたよね? でもちゃんと君の気持ちは分かってるから安心して良いよ。まあ他の子に比べると、あんまり僕のことが好きじゃないんじゃないかなって感じたりはするけど……」

 

 しかし怒られるかもしれないのでしっかりフォローはしておく。とはいえ他の子に比べると相対的にジャックへの好意が薄い気がするのも事実であった。

 何せあの大人しい白雪姫さえジャックのベッドに潜り込んでいたのだから、ジャックへの他の恋人たちの好意は推して知るべしだ。一応親指姫も積極的にディープキスをしてきたことはあるものの、よく考えてみるとあれは妹たちを守るために親指姫なりに身体を張ったのかもしれない。ジャックが眠り姫に襲い掛かっている現場を目撃した直後のことなのだから、妹たちが襲われないように自分が犠牲になるという自己犠牲的な考えでの行動だったに違いない。

 それなら天邪鬼な親指姫があんなに積極的な行動を取ったのにも納得である。きっとジャックのことが好きなのは確かだが、他の恋人たちと同じくらいでは無いのだろう。

 

「はーん……つまり、私のあんたへの気持ちは、アリスや赤姉に負けてるって言いたいのね? 所詮私の気持ちはその程度って言いたいわけ?」

「えっ? べ、別にそこまでは言ってないけど……」

 

 答えた親指姫の声は、ぞっとするほどに冷たかった。見れば真っ赤だった顔の色も完全に引いており、途方もない怒りを覚えているのかぴくぴくと頬が引きつっている。

 もしかするとジャックは何かを間違えてしまったばかりか、逆鱗に触れてしまったのかもしれない。しかし今更それに気づいても最早手遅れであった。

 

「ふーん、そう。なるほどねぇ。あんたはそういうこと言うのねぇ……」

(ど、どうしよう。何か今まで以上に怒ってるように見える!)

 

 何度も一人で頷きながら、ゆらりと身体を起こす親指姫。取り分け怒りや恥じらいに対する感情表現が豊かであるにも拘わらず、今は極めて静かに冷静に振舞っている。ジャックとしてはそれが嵐の前の静けさに思えて、無性に恐ろしかった。

 

「ちょっと気が変わったわ。いいわよ、素直になった私が見たいっていうなら特別に見せてやろうじゃない? もう嫌だって言いたくなるくらいに、たっぷりとね。覚悟しときなさい、私の本気を見せてやるから」

「……えっ?」

 

 今にも爆発しそうな雰囲気を漂わせながらも、あくまでも冷静に穏やかにベッドを出て、ゆっくりと扉まで歩いていく。そしてそこでツインテールを揺らして振り返り――

 

「絶対こっからどこにも行くんじゃないわよ。期待して待ってなさい、ジャック? あははははははっ」

 

 ――鳥肌が立ちそうになってしまうほどに悩ましい笑みを浮かべ、いずこかへと去って行った。

 何故親指姫があんな反応を示し、恐ろしいほどに色気に溢れた笑みを零したのかは分からない。素直になった自分を見せると言いながら、部屋を出て行った理由も分からない。しかし確実に分かっていることは二つだけあった。

 一つは何か親指姫の気に障ることを口にしてしまったこと。恐らくは想いの強さで他の恋人に負けている、と取られても仕方ない言葉を口にしてしまったことが原因だろう。確かに親指姫が表面上はどうあれジャックを深く愛しているのなら、それを軽く見られた発言は許せないはずだ。どうやらジャックは自分がどれだけ恋人たちから愛されているかを過小評価していたらしい。

 そして二つ目。実はこれが一番肝心なことだが――

 

(な、何だろう。僕の本能が今すぐ逃げろって警鐘を鳴らしてる……!)

 

 この場に留まっていてはならない。可及的速やかに、しかし決して悟られないように逃げ出さなくてはいけないということ。ジャックは何故かそれを本能に近い部分で理解していた。

 尤も仮にこの謎の警告が為されずとも、間違いなく逃げ出すことを考えただろう。何故なら去り際に親指姫が向けてきた色っぽい笑顔、その瞳に映る輝きはまるでほんの少し前に見たアリスの瞳と同じだったから。ジャックを獲物として狙いを定め、食らおうとしているかのように。

 

「……よし、逃げよう。親指姫には後で土下座をして精いっぱい謝ろう」

 

 異常とも言える危機感に晒され、ジャックはしばし逡巡しながらも結局は自分の予感に従うことにした。親指姫を怒らせてしまったことには罪の意識があるものの、後でしっかり償うしか道はない。

 そんなわけで速やかに部屋を出ると、なるべく足音を立てないように廊下を歩いて行った。もちろん行く当てはどこにもないため、とりあえずは親指姫の部屋から離れることが目的である。

 そうして廊下の目立たない場所を見つけ、更に積まれた資材の影に隠れて一息ついたところで――

 

「あははははははははははっ! 待ってなさいよ、ジャックうぅぅぅぅぅぅぅ!」

 

 ――髪を真っ白に染め、瞳をピンク色に光らせた親指姫が駆けていく姿を目撃してしまった。異様に興奮した面持ちで、熱くジャックの名を叫ぶ姿を。

 例え一瞬でも見間違えることなどない。親指姫は明らかにジェノサイド化していた。

 

(うん。逃げて正解だったね。もしもあのまま部屋に留まってたら、僕は一体何をされたんだろう……)

 

 ジェノサイド化した血式少女は大抵激しく好戦的になり、そしてやること為すことに容赦がなくなる。素手でメルヒェンを引き裂いたりもするあたり、性格もだいぶ乱暴になる。

 だからこそ、今の親指姫はきっと愛情表現に躊躇いなど微塵もないはずだ。もしもジャックがあのまま部屋に留まっていた場合、襲われて何か大切なものを失くしていたに違いない。あるいは実際に何か大切なものを失くした世界があったからこそ、先ほどの予感が働いたのかもしれない。

 

「はあぁぁぁっ!? ジャックの奴逃げたわね!? 上等じゃない! 見つけ出して滅茶苦茶に愛してやるから覚悟しなさい!」

「はぁ……これからどうしよう……」

 

 親指姫が遠くで危険な台詞を叫んでいるのを羞恥と恐怖から聞き流しつつ、ジャックはこれからどうするべきか頭を抱えて悩むのであった。恋人が六人もいる癖に行き場所がどこにもない自分を、心底情けなく思いながら。

 

 




六人も恋人がいるのに自分の部屋にすら戻れない可哀そうなジャックくん。まあ大切なものをその場の流れで捨てる覚悟と、初めての相手に拘らないなら行き場所は幾らでもあるんだけどね……。
 ちなみに中編なので次回も続きます。ちょっとだけ趣向が変わるけど。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。