一枚の絵【完結】   作:畑渚

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三枚目 普段の街

 夕刻になり片付けをしている市を横目に、クロエは帰路につく。ump9-3は不安そうな表情をしながらクロエについていく。彼女の足は問題なく動作しており、自立歩行に支障はなかった。

 

 平和だ

 

 ump9-3はそう思った。街は活気に溢れており、人々はいきいきと暮らしている。彼らの瞳に宿っているのは殺意ではなく生気である。

 

 ではこの女はどうかとump9-3はクロエを見つめる。整った容姿と人を惹きつける声、そしてまだump9-3は見ていないが絵を描く才能を持っているらしい。天は二物を与えずという言葉の判例がそこに存在しているかのようだ。

 

 しかし、クロエの瞳が街の人と同じようには見えなかった。

 

 「そういえばあなたのことをなんと呼べばいいのかしら」

 

 クロエが突然ump9-3の方へと振り向く。しばらく言葉の意味を考えたあと、ump9-3は口を開く。

 

 「私にはump9-3という名前しかないよ?」

 

 「そう。それならあだ名か何かほしいわね。そうね……」

 

 クロエはump9-3を見つめる。

 

 「9(ヌフ)……しっくりこないわ、よくある名前から取ったほうが良さそうね」

 

 しばらく額をおさえて考え込む。

 ようやく顔が上がったのは数分後だった。

 

 「ノエミっていうのはどうかしら?」

 

 「名前なんて――」

 

 「おっと、いらないと言うのは駄目よ?」

 

 ump9-3(ノエミ)の言葉を遮る。

 

 「私に毎回ump9-3と呼ばせるつもり?それに街で生活するときに必要になるわ」

 

 「わかった。ノエミ……か……」

 

 ump9-3は不思議にも自分がうれしく感じているらしいことを知った。今までump9-3であることに疑問を持たなかったのに、今ではノエミと呼ばれることを期待してしまっている自分がいた。

 

 「じゃあ帰るわよ、ノエミ!」

 

 「……うん!」

 

 二人で軽く話しながら家へと帰る。先程までよりも、二人の距離が若干近づいたことに気づく者はいない。

 

 

 =*=*=*=*=

 

 

 「いらっしゃいノエミ、我が家へ!」

 

 「……せっま!」

 

 思わずノエミが叫んでしまうくらいに、クロエの部屋は狭かった。低い天井には傾斜があり、柱が各所にあり、さらに絵の道具が部屋の半分を埋め尽くしていた。

 

 「散らかっててごめんね。これでも少しは片付けたんだけど」

 

 そういうクロエはダイニングキッチンに荷物を置いた。そういった生活に必要な部分には無駄な荷物は一切なく、支障なく生活は送れそうだった。

 

 「というよりもここ屋根裏部屋だよね!?本当にここがクロエの家なの?」

 

 「そうだけど。何か変?」

 

 「屋根裏部屋に?」

 

 「ええ、一度は憧れるものじゃない?こういう生活」

 

 戦うために作られた人形にそれがわかるはずもなく、ノエミは言葉を濁した。

 

 「さて、ノエミは料理できる?」

 

 「ひととおりはインプットされてると思うよ?」

 

 「……信用ならないわね。作ったことは?」

 

 「ないよ」

 

 「……座ってなさい。すぐに作るから」

 

 「ごめん」

 

 「謝る必要なんてないわよ。今後できるようになればいいわ。ああそれと好きにくつろいでいいけど奥のキャンバスには触らないでね」

 

 「うん、わかった」

 

 ノエミは椅子から立ち上がって本棚に向かう。部屋の奥にあるそれには、ぎっしりと本が詰められている。作家やジャンルで分類されているあたり、クロエの本来の几帳面さが見え隠れしている気がした。

 

 「そういえば本を読むのは初めてかな」

 

 適当に一冊取り出してパラパラとめくる。それは恋物語のようで、よくある男が女に告白する展開ではなく、その逆で女が大胆に告白して終わっていた。

 

 面白いとは感じなかったが、いつの間にか熱中していたようでキッチンからは野菜を切る音ではなく火をつける音が聞こえてきた。

 

 さらに部屋の奥へと行くと、クロエの言っていたキャンバスがあった。それには布がかけられており、あたりには画材が散乱していた。

 

 「見るだけならいいよね?」

 

 ノエミは布に手を伸ばす。クロエがいったいどんな絵を描くのかが気になっていた。ただそれだけだ。

 誰にも止められることなく、布はめくり上がっていく。そこに描かれていたのは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 しばらく呼吸が止まり生体パーツから悲鳴が上がり始めた頃、やっとノエミは自分が呼吸をするものだと思いだした。

 

 急いで布をかけ直す。クロエに見たことがばれることではなく、もう絵を見なくてすむようにだ。

 

 「ノエミ~?」

 

 エプロン姿のクロエが部屋の奥へと入ってくる。そしてノエミの顔を見るなり急いで駆け寄った。

 

 「どうしたの!?顔色が悪いわよ?」

 

 ノエミはまともに受け答えすることすらできず、そばにあったソファーへと座り込む。

 

 「何が原因かしら?とにかくそこで休んどきなさい」

 

 ノエミはクロエの言葉に頷いた。

 

 「いったいどうしたのかしら。歩いてる時はそうでもなかったけど……」

 

 ソファーに横になって目を瞑るノエミからキャンバスの方へと目が向いた。

 

 「これを見たから?でも具合が悪くなるほどかしら」

 

 クロエは布をためらいなく取り払う。

 

 

 そこに描かれているのは戦場だった。廃虚となった街を死骸が埋め尽くしている。死骸には人間が多く、多少であるが人形のものもあった。そして、そこには兵士や戦術人形以上に、民間人や民生用人形の数が多かった。

 

 

 「結局未完成のままね……もう捨ててしまおうかしら」

 

 クロエがそう呟くと、抗議するかのようにキッチンから湯が沸いたことを知らせる音が聞こえた。

 

 「とりあえずコーヒーでも淹れますか」

 

 クロエはノエミの寝ているソファーを再び見る。すると、ちょうど窓から街を見下ろすことができた。

 

 

 クロエは無言でコーヒーを淹れて再びノエミの側へと戻る。そして、もともとイーゼルに載っていた絵を脇に置いて、新しいキャンバスを用意する。

 そして、気の向くままに筆を走らせ始めた。

 

 

 =*=*=*=*=

 

 

 ノエミは何かの香りを感じて再起動する。しばらくしてシステムが安定したあと、それがコーヒーと絵の具の香りであることを検出した。

 

 「あら、やっと起きたのね」

 

 すぐ側には、椅子に座ったクロエがコーヒー片手に本を読んでいた。

 

 「私、寝ちゃってた?」

 

 そんなわけないと分かっていながらも、ノエミはそう口に出したかった。

 

 「人形を眠らせることができる絵って売り出したら売れるかしら?」

 

 クスクスと笑いながらクロエはそう言う。ノエミはそんなことをしなくても十分に売れるだろうにと思った。

 

 なんて言ったって、夢に出てくるくらいの影響力だ。

 

 

 

 

 夢……?

 

 

 「あ……え……?」

 

 ノエミは手で口をふさいだ。押さえたにもかかわらず、声にならない声が口から漏れ出た。

 

 「まだ具合が悪いの?無理はしなくていいからね?」

 

 「違うの……私、さっきまで夢を見てた……」

 

 「夢?それがどうかしたの?まさか怖かったとかじゃないわよね?」

 

 「……私たち人形は夢ってものを見ないの」

 

 「どういうこと?」

 

 クロエは理解できずに聞き返した。

 

 「言葉どおりだよ。本来、夢を見るようには設計されてないのに、なぜか夢を見てしまったの」

 

 「原因に心当たりは?それか民生用人形のパーツで不具合が出ているとか」

 

 「たぶん……違うと思う」

 

 そう言ってノエミはイーゼルの方を指さした。

 

 「ごめんなさい、触るなって言われてた絵を見ちゃって」

 

 「それはいいんだけど。じゃあ私の絵のせいでってこと?」

 

 「わからないよ……でも、でも確かに絵を見たあとから何かおかしかったんだよね」

 

 「そう、私の絵ね……じゃあこれはどう?」

 

 クロエはイーゼルに載っている新しい絵を見せてみようと、掛け布を取り払った。

 

 「これは……私?」

 

 ソファーで横たわるノエミと、活気ある街が対比的に描かれている。そしてやはり、ノエミはいままでにないような感覚に陥っていた。

 

 「えっ?エラー?視覚デバイス?」

 

 突然ノエミの目の焦点がブレ始めたのを見て、クロエは急いで布をかけ直す。

 

 「だ、大丈夫?」

 

 「えっうん……大丈夫」

 

 エラーダイアログが全部消えたのを確認して、ノエミはそう返す。やはり、クロエの絵には何かしらあるようだと確信した。

 

 「と、とりあえず今後は絵を見ないようにしておくね」

 

 「ええ、それがいいでしょうね。私も気をつけておくわ」

 

 少し沈黙したあと、キッチンのほうからアラームが聞こえてくる。

 

 「おっと煮込み終わったみたいね。すぐにできるから」

 

 クロエがそう言ってキッチンの方へと小走りでかけていく。その後美しくも可愛い姿を見てノエミは――

 

 

 

 

――妬ましいと思った。

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