「なにか顔についてる?」
クロエの言葉にノエミは顔を横に振った。
「そう」
しばらくしてから、クロエは再び食事の手を止めた。
「その……あんまりじっと見られると食べづらいのだけど」
「ご、ごめん」
そういいつつもノエミはクロエから目線をそらさない。いや、そらせない。
クロエの白魚のような指が妬ましい。
健康的なハリのある腕が妬ましい。
頼り甲斐のある肩が妬ましい。
簡単に締まりそうな細い首が妬ましい。
美しい顎のラインが妬ましい。
みずみずしい唇が妬ましい。
小さく綺麗な鼻が妬ましい。
吸い込まれそうな瞳が妬ましい。
枝毛一つない艷やかな髪が――
「――エミ?ちょっとノエミったら!」
いつの間にかノエミの眼の前にクロエが詰め寄っていた。
「うわぁ!ちょっとクロエ!近いよ!」
「あなたがぼーっとしてるからでしょ?本当に大丈夫?」
「う……うん、大丈夫だよ」
ノエミは自分の顔が若干赤みを増していることを自覚していた。いったい自分は何を考えていたのだろうと自問するが、答えは返ってこない。ノエミはなんとか誤魔化して笑うことしかできなかった。
=*=*=*=*=
「よし、服を買いに行くわよ!」
朝のコーヒーを楽しんでいると、突然クロエが立ち上がってそう言った。
「服?たくさんあるように見えるけど」
「ああ、私のじゃなくてあなたのよ。その一着しかないのでしょう?」
ノエミはボロボロのパーカーを着ていた。丈夫な素材であるためか原型をとどめているが、そんなものをクロエの美的センスが許すわけがない。
「私はこれでいいよ」
「ダメよ。せっかく可愛いのだから着飾らないと迷惑よ」
「迷惑って誰に?」
「世界によ」
「ええ……」
やはり人並み外れた感性だとノエミは理解することを諦めた。
=*=*=*=*=
「会計をしてくるから少し待ってなさい」
「じゃあ外にいるね」
ノエミは店から逃げるかのように出る。長い時間着せ替え人形になっていたからか、伸びをすると身体がほぐれる気がした。その身はすでに新しい服に包まれている。化粧まで施しており、まるで今までとは違った自分へと生まれ変わったように錯覚していた。
「そこのお姉さん!ちょっとこっちに来て手伝ってくれないか?」
だからだろうか。若い男の言葉を疑うことなく、近づいてしまった。
「何を手伝えばいいの?」
無邪気に近寄ってきたノエミを見て、男は笑った。
「なーに、少し気持ちの良い気分になってもらうだけさ」
ノエミがその言葉を理解する前に、後頭部に衝撃がはしる。後ろから別の人物に殴られたということを、ノエミは理解した。彼女が人形でなければ、気絶していたかもしれない。
ノエミは少しふらついたが、すぐに戦闘態勢に入る。
「なるほど、てめえ自律人形か」
しかし、男は落ち着いた声でそう言った。ノエミの顔に絶望が浮かぶ。
「じゃあ……動くな」
ノエミの動きがピタリと止まる。腕を捕まれ、壁へと押し付けられる。男が手を離しても、ノエミは動くことはできない。
「へへへ、こりゃなかなかの上玉だ。まさか化粧までしてる人形とは」
二人組の男は慣れた手付きでノエミのコートを脱がした。そしてその手はシャツの裾へと伸びていく。もはやノエミに抗う力は残されていない。
誰か……助けて……!
パシャリ
シャッターを模倣した効果音が、路地裏で響いた。
「……っ!クロエ!?」
「ちっなんだ連れがいたのか」
男たちはノエミから離れる。
「あなたたち、いますぐどこかへ消えなさい。さもないとこの写真を街中にばらまいてやるわ」
「……ちっ、いくぞ」
「あっおいまてよ」
男たちは路地裏の奥へと消えていく。
「大丈夫?動けるかしら?」
クロエの言葉にノエミは首を縦に振った。どうやら命令の解除だと処理されたようだ。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。まったくいつの時代もあんなのがいるのね」
クロエは呆れきった様子でそう言った。
「本当助かった……」
「まったく、あまり心配させないでほしいわ。店の前にいなくて心配したのだからね?」
「ごめんなさい」
クロエは震えているノエミに抱きついた。
「怖かったのね。もう大丈夫よ、安心しなさい」
「怖い……?これが怖いっていう感情なの?」
「ふふっ。知らなかったのね。それが怖いって感情よ」
「そう、これが……。でも、悪くない。だってこんなに暖かい」
「それは恐怖が過ぎ去ったあとの安心感よ」
「安心……これが安心なんだね」
ノエミの腕がクロエの身体に抱きつき返す。その力はすこし強く、クロエはすこし呻きそうになった。
「まったく、手のかかること」
クロエは、ノエミの頭を優しく撫でた。
後日クロエはこのときの写真を元に絵を描くが、それが世に出回ることはなかった。
=*=*=*=*=
「あら、さっきの店に忘れ物をしちゃったわ」
「大丈夫?取りに行ってこようか?」
「じゃあお願い。あの店で買い物をしておくわ」
そういってクロエはスーパーマーケットを指した。それを確認してから、ノエミは先程までいた店へと走り出した。
「そんな急がなくても!……いっちゃった」
まったく、とため息をついて、クロエはスーパーマーケットへと向かう。久しぶりの長い買い物の疲れからか、それともただ単に勘が鈍ったのか、後ろから忍び寄る影に気づくことができなかった。
気がついたのは、その細い首がゴツゴツとした手に絞められたあとだった。
=*=*=*=*=
「あれ?どこにいるんだろう」
ノエミはスーパーマーケットの店内を一周したのちに、そう呟いた。クロエの姿がどこにも見当たらないのである。
「まさか外?」
つい先程自分にあったことを思い出す。彼らが報復するとしたら、一人でいたクロエは良い標的となっただろう。
「まさか……ね……?」
ノエミは走り出す。店を飛び出して、近くの路地裏へと飛び込んで、隈なく探す。
クロエの姿は思ったよりも簡単に見つかった。先程の男たちが彼女を押し倒しており、服は無残にも破り捨てられている。
「何してんのよ!」
ノエミは怒りのあまり我を忘れて男の片方へと襲いかかる。人形の彼女が力の限りを尽くせば、人一人など殺すことは容易だ。
しかし、あと一歩のところでノエミの身体は動かなくなってしまった。彼女は、人間を害せないようにプログラムされているのだ。
「ははは!無様だな人形ってやつは!」
男の片割れがそう笑ってクロエの柔肌に触れる。彼女の白い首には絞められた跡が残っており、意識を失ってしまっている。
「動いて……動いてよ!」
ノエミを何かが蝕んでいく。
「無駄だ!人形であるおまえには俺たちに危害は加えられない」
「そこで見て待ってろ。この女が終わってからおまえの相手をしてやるよ」
男がクロエへと触れる。彼女の柔肌は程よい反発を返すようで、男の顔が気色悪く歪む。
動いてよ……!なんで動かないの!?
ノエミの思いに反して、身体はピクリとも動かない。
否、ピクリとだけ動いた。
クロエに助けられてばっかじゃん!
ノエミは一歩踏み出す。幸か不幸か、男たちはクロエに夢中でこちらに注意を向けていない。ノエミのその一歩を、男たちは見ていない。
動け!私はクロエを守るんだ!
足が動き始める。男の片割れへと手が伸びる。
「その人に手を出すなぁ!」
男の首へと腕を回したノエミは、思い切り身体をひねる。変則的なラリアットをきめられた男は後ろへと吹き飛ぶ。自律人形が力を制御しなければ、人の体重など軽くふっとばしてしまう。
「ま、待て!」
もう片方の男がそう言うときにはすでに、ノエミの拳が顔の眼の前に迫っていた。そのまま拳は勢いを増して、男の顔面へと突き刺さる。頭ごと揺らされた男は、意識を保つことはできない。すぐに、意識のないクロエに並ぶようにして倒れた。
「くそっ、よくも!」
吹き飛ばされた男はポケットからナイフを取り出す。明らかに一般市民が許可されている刃渡りの長さを越えている。
「死ねやぁぁぁ!」
男は威勢よく叫ぶ。しかし、そんなものは人間相手に威圧できたとしても、いくつもの戦場をくぐり抜けた戦術人形に効果があるわけがなかった。
ナイフを避け男の手首を掴む。あとは本来曲げては行けない方向へ腕を捻れば、人間である男は痛みでナイフを手放してしまう。
ノエミを満たしていたのは男たちへの殺意だ。クロエを傷つけようとした彼らに、殺しても満たされないほどの憎悪を抱いていた。
ナイフを手放した男の腹部を拳で突く。男は胃の中が逆流し嘔吐するが、そんなことはお構いなしにノエミは男の首を掴む。そして、その手を上へと上げていく。
「あっ……がっ……」
人形の正確さで的確に頸動脈を絞められた男は、物の数秒で意識を失う。脱力した様子を見て、ノエミは男を横に投げ捨てた。
最初に拳をくらった男がフラフラと表通りに向かうのを見て、ノエミはその襟首を掴む。
「ひいっ!わ、悪かった!俺たちが悪かった!だから見逃してくれ!」
「人に危害を加えておきながらそれは虫が良すぎるんじゃない?」
ノエミは拳を握り、振りかぶる。
しかし、その手が再び男の顔面へと吸い込まれることはなかった。何者かの手が、ノエミの腕を掴んで止めたのだ。
「……クロエ!?」
「ノエミ、やめなさい」
「でも……」
「聞こえなかったの?私はやめなさいと言ったのよ。これは命令よ」
ノエミのシステムは、クロエの命令という言葉で本来の挙動を取り戻した。男への殺意の行き場がなくなり、ノエミはどうしていいかわからなくなる。
「私……クロエが……」
「落ち着きなさい。あなたが見つけてくれたおかげで私自身に害は及ばなかったわ。ありがとう」
「う……うぅ」
今にも泣きそうなノエミを抱きしめる。ノエミはクロエの体温を直で感じて、安心感を感じた。
「ノエミ、帰りましょう?」
「うん!」
ノエミは、クロエの言葉に元気よく頷いた。
予定と違って依存性質が入ってきた気がするのは気の所為だと思いたい。