一枚の絵【完結】   作:畑渚

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六枚目 雷雨

 その日の始まりは、クロエとノエミの朝食の時間を遮った一本の電話だった。

 

 「ごめんなさい、ノエミ。今日はお留守番していてもらえないかしら」

 

 「うん、いいよ」

 

 「良かった。もし雨が降ったら洗濯物お願いね」

 

 そう言いながらクロエは食器を下げると、慌てて出かける用意を始めた。

 

 「それじゃあ行ってくるわね」

 

 「いってらっしゃい」

 

 玄関でクロエを見送ったノエミはソファーへと身を沈めた。しばらくボーッと天井を眺めたあと、サイドテーブルに置いてある読みかけの本を手に取る。

 

 ふと気になって表紙を見てみる。そこには、雷雨の日におきた殺人事件という本の内容に合わせた絵が描かれている。

 表紙をめくると、下の方に小さくイラストを描いた人物の名前が記されていた。

 

 そこにあったのは、クロエの名前だった。

 

 

 

 

 ノエミは急いで診断ツールを起動する。クロエがいつ帰ってくるかもわからない現在、異常が出てしまっては止めてくれる人は誰もいない。

 

 

 異常なし

 

 

 瞳に映るその文字に安堵する。ノエミはコーヒーを一口飲み、しおりを挟んだページから読み始めた。

 

 ノエミは気づかない。異常なしと表示されること自体が異常であることに気づけなかった。

 

 

 =*=*=*=*=

 

 

 ノエミは異音に気づき、本から視線を上げた。窓の外を見ると雨が降り始めていた。

 

 「あっ洗濯物!」

 

 ノエミはいそいでベランダに出ると、洗濯物を部屋の中へと取り込み始める。幸い雨脚が強まる前に入れ終わったので、あまり濡れずに済んだ。

 

 「まさか本当に雨が降るなんて」

 

 新聞の天気欄には、一日晴れだとでている。その天気予報は外れることで有名ではあったが、まさかここまで真反対のことを堂々と書き連ねるとはノエミは思っていなかった。

 

 「クロエ……大丈夫かな」

 

 その独り言に呼応するかのように、電話の呼び出し音が響いた。

 

 「はいもしもし?」

 

 「ノエミ、洗濯物は大丈夫だった?」

 

 「クロエ!そっちは大丈夫?」

 

 「ええ、ミーティング後の帰り道で雨宿りをしているところよ」

 

 「そう、良かった」

 

 「それでノエミにお願いしたいことがあるんだけど」

 

 「なに?」

 

 「傘を持ってきてくれないかしら?」

 

 「お安い御用だよ!どこにいるの?」

 

 「えっと――」

 

 クロエが述べた喫茶店には覚えがあった。脳内で道順を検索しながら、ノエミは出かける準備をした。

 

 「えっと……傘はこれか」

 

 靴箱のすぐ横には、傘が数本刺さっていた。ノエミはその一本を手に取り、部屋を出ていった。

 

 

 =*=*=*=*=

 

 

 ノエミはフードを被りながら街道を駆け抜ける。車通りも少なく雨の日ということで通りにはほとんど人がいなかった。

 

 

 突然、ノエミの視界を光が埋め尽くす。そのすぐ後に、聴覚デバイスがエラーを吐き出す程の爆音が響き渡る。

 

 

 

 

 「おい君!大丈夫かい!?」

 

 近くの店から男が出てきてノエミに声をかけた。ノエミはようやく、自分の身体が硬直していたことに気がついた。まだ視覚デバイスの映像は揺れており、聴覚の方もノイズがはしっている。

 

 「ええ、うん。大丈夫」

 

 「まったく、今日は不幸な日だよ。まさかうちの店の上に落ちるとはね」

 

 そういって男は自分の店の上を見上げた。そこには避雷針が立っている。

 

 「そうか……私雷が落ちたので……怖くて……」

 

 ノエミは現在吐き出すエラーの原因に察しがついていた。

 

 「ほんとうに大丈夫かい?よかったら僕の店で雨宿りを――」

 

 「結構です。それより行かなきゃいけないので」

 

 「ああそうかい。それなら気をつけて」

 

 軽薄そうな男は案外簡単に引き下がった。

 

 「ちょっと!女の子口説いてないで店に戻ってよ~」

 

 「わかったよノーヴェ。良かったらこれ使ってね。それじゃあ」

 

 そういって男はノエミにタオルを投げ渡す。

 

 「ありがとう!今度店に寄るね」

 

 ノエミはタオルを握りしめ、再びノエミの待つ場所へと走り出した。

 

 

 =*=*=*=*=

 

 

 「クロエ、おまたせ!」

 

 「あらノエミ、早かったじゃ――なんでずぶ濡れなの!?」

 

 カフェの店主にタオルを持ってこさせると、急いでノエミの身体を拭き始める。

 

 「そういえば、これ」

 

 ノエミがクロエに傘を差し出す。その顔は悪気のない笑顔だ。

 

 「……どうして一本しかないのよ」

 

 「えっ?」

 

 「自分の分という考えはなかったわけ?」

 

 「……ごめん」

 

 「まったくもう……謝る必要はないわ。マスター、この子にもコーヒーを」

 

 寡黙なマスターは頷くと、豆を挽き始めた。

 

 「そういえば雷もなっていたでしょうに、大丈夫だったの?」

 

 「それが……」

 

 ノエミが気まずそうに顔をそらした。クロエはその見慣れない態度を不思議に感じた。

 

 「どうしたのよ」

 

 「私、雷が怖くなっちゃったみたいなの……」

 

 店内を静寂が包み込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぷっ」

 

 最初に吹き出したのはクロエだった。笑いは伝染し、他の客、終いにはマスターでさえも笑い声を上げていた。

 

 「ええちょっと!そんなに笑わなくてもいいじゃん!」

 

 「雷が怖いって子供みたいじゃない!はーおかしい!おかしくて笑い死にしそう!」

 

 「もーう」

 

 「じゃあ雷からは私が守ってあげないとね」

 

 頬を膨らませたノエミをクロエは抱きしめる。まだ吹ききれていない髪がクロエの服を濡らした。

 

 「おお!いいぞお嬢!」

 

 「そのままお持ち帰りしろー!」

 

 周りの客からはそんな野次までとんでくる始末だ。

 

 「そうね……私も濡れちゃったしどこかで雨宿りしていきましょうか」

 

 クロエはそう言うとカウンターに少し多めにお金を置き、外に出てノエミの持ってきた傘をさした。

 

 「何をぼーっとしているの?早く行くわよ」

 

 「ああ、うん!」

 

 ノエミはクロエの隣に立って、同じ傘の中に収まった。

 

 マスターは用意した傘を後手に隠しながら、一礼して仕事に戻っていった。

 

 

 =*=*=*=*=

 

 

 「えっと……クロエ、ここって」

 

 「えっ何?」

 

 クロエとノエミの眼の前には男女で入る目的で作られた宿がある。

 

 「ここならお風呂もベッドもあるから休憩にちょうどいいでしょう?」

 

 「それとしても何か別の方法が……それに家に帰るっていうのも」

 

 「あなたは平気かもしれないけど私は無理よ。こんなに濡れてたらすぐに風邪を引いてしまうわ」

 

 そういって問答無用でクロエは中へと入っていく。ノエミにはクロエがすこしウキウキしているように見えてしまっていた。

 

 

 部屋の中は意外にシンプルだった。ビジネスホテルとちがうのは、やはりガラス張りのお風呂だろう。

 

 「先にお風呂に入りましょうか」

 

 そういってクロエはノエミの手を引く。人形とはいえ生体パーツからの老廃物があるので、シャワーを浴びる事は決して無意味ではない。しかし、シャワーを浴びるのは一ヶ月に一回でも多すぎるくらいだ。ましてやダミー人形ともなれば、シャワーを浴びる事なく命を終える者も少なくはない。

 

 「やっぱり不思議ね……製作者は何を考えていたのかしら」

 

 ノエミは終始無言だった。何も言わないまま服を脱がされ、風呂場へと連れ込まれ、シャワーとともに注がれるクロエの視線に耐えていた。

 

 「このハリとかまさしく人間のそれよね」

 

 クロエの指に押されてノエミの柔肌が変形する。そのくすぐったさで、ノエミはおかしくなっていまいそうだった。

 

 ぼーっとしている間にシャワータイムは終わっていた。バスローブを着て風呂場をでる。ベッドの方を見ると、そこには一着の服が、未使用と書かれた紙とともに袋に入っていた。

 

 「これは?」

 

 「ああ、入るときに頼んでおいたのよ」

 

 そう言って袋を破き、中から服を取り出す。それはセーラー服だった。

 

 「さあ、これを着て?」

 

 「えっ?私?」

 

 「他に誰がいるのよ」

 

 クロエはさも当たり前であるかのようにそう言い放った。

 

 「えー」

 

 「ほら、早く着替えなさいよ。帰りに好きな本を買ってあげるから」

 

 「……しょうがないなあ」

 

 渋々と着替え始めるノエミを横目に、クロエは画材を用意し始める。

 

 

 それは数時間後、クロエの集中力が途切れベッドに突っ伏すまで続いた。

 




女同士、密室、数時間、何も起きないはずがなく

をやろうとしたんですけどね。クロエでは無理でした。あとこの小説は全年齢版ですし。
それと、ノエミが傘をささなかった理由は、人形には自分が濡れないように傘をさすという思考がないためなんですが書ききれませんでした。

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