「……これは夢?」
クロエは目の前に広がる大豪邸に、目をこする。紛れもなく、それは彼女の生まれ育った実家だった。
「ああ、なつかしいわね。10歳頃だったかしら」
手入れされた花々は彼女を歓迎しているわけではないようで、花びらが顔にまとわりつく。
花びらをはらって庭園へと目をむけると、そこではパーティーが開かれていた。きらびやかに着飾った人々は、みな笑顔で飲み物を片手に歓談していた。
人々の話題の中心は、ここに住む一人娘の話だ。
神は彼女に才能を与えた。武器をもたせれば成人相手に引けを取るどころか、逆に手玉に取ってしまう。ペンをもたせれば、一度ですべてを吸収して自分の知識にしてしまう。服を与えれば完全に着こなし、楽器をもたせればうっとりとするような音色を場に響かせる。
「皆様、本日は私の誕生会へとお越しいただきありがとうございます」
家から出てきた少女は優雅に礼をする。次々へと祝いの言葉を述べる者たちへ丁寧に対応しても、彼女の顔に疲労の色は見えず、笑顔を絶やさない。
「ああ、何もかもなつかしいわ。おじさん、おばさんに、こっちは大臣だったかしら。私の誕生会というだけなのによくこんな人たちが集まったわね」
クロエは懐かしげに参加者の顔を記憶と一致させていく。その中に、面白い少女を見つけた。
「ほ、ほ、本日はお招きいたきき」
明るい髪色をした少女は、緊張で口がうまく動かずに顔を真っ赤にしてしまった。
「そんなに緊張しなくてもいいんだよ。始めまして、私はクロエ。あなたは?」
「あ、ありがとう。私は、カリーナっていうの」
「カリーナ、いい名前ね!お友達になってくれない?」
「えっ良いの!?」
少女二人は楽しそうに笑う。そういえばこんな頃もあったと二人の様子を見てクロエも笑う。
「カリーナ、今はどうしてるのかしら。成人する前に家を出てしまったと聞いたし、今は名前も違うかもしれないから探すのは不可能ね……」
二人の少女は庭園から少し離れたウッドデッキの椅子に腰掛ける。
「ねえカリン!あなたは将来何になりたいの?」
「カリン?それって」
「カリーナっていうよりも親しみやすそうでしょう?私のことはクロって呼んで」
「うん、わかったよ!」
二人の少女は笑う。それはクロエにとって、この時代唯一の屈託のない笑顔だった。
時が倍速したかのように眼の前を過ぎ去っていく。
先程までの賑わいはすでにそこにはなく、聞こえてくるのは人の声ではなく炎の燃える音だ。そこに人間の姿はなく、武骨な人型のなにかが火炎放射器で庭や家を片っ端から燃やしている。
すぐ近くまで記者が来ているが、人型のなにかは彼らに危害をくわえる様子はない。
これは見せしめだった。それと同時に、正体不明のテロリストたちの悲痛な叫びでもあった。
=*=*=*=*=
「……まだ覚めてくれないのね」
クロエは空から地面を見下ろしていた。下に広がる廃虚群は、どことなく先日ノエミを拾った景色に似ていた。
「隊長、失礼します!」
軍服を着た男が部屋の中へと駆け込んで来る。入った途端に部屋に充満する死臭にすこし顔をしかめるが、そんな慣れたものによって吐き気で動けなくなるほどヤワな男ではない。
「どうしたの?」
「報告します!……南を防衛していた班との連絡が途絶えました!」
「そう……東に続いて南まで……」
隊長と呼ばれた彼女は気に病むフリをする。今の彼女には死者を弔う前にすることがあった。
「いますぐに動ける人員をあつめなさい。まだ持ってる北、西の班と合流して撤退するわよ」
「はい!すぐに!」
男が部屋から飛び出していく後ろ姿を見ながら、バッグの中に机の上に広がる金属プレートと紙の束を詰め込む。部屋の中には、すでに物言わぬ死体だけとなる。
「帰ったら絵描きにでもなろうかしら」
紙の束から抜け落ちた一枚を手に取る。そこには、部屋に転がる死体の一人の似顔絵が描かれていた。絵の中の人物は今にも動き出しそうなほどにリアルに描かれていた。現実ではもう二度と動くことはない彼らの生前の一部を、そのまま切り取ったような絵だった。
その隊は帰還後、英雄たちとして各メディアで大々的に宣伝された。奇跡の生還として本まで書かれる始末で、不謹慎だという声が少し聞こえるときもあった。
しかし、その奇跡の隊を率いた隊長である彼女のことは、いかにしつこいメディアでも追うことができなかった。異常なまでの情報統制は、その彼女が一枚の絵をオークションに出品するまで彼女の正体を隠し続けた。
=*=*=*=*=
彼女は自由だった。なにもない荒野を歩いたり、誰もいない廃虚街へと向かったり、さまざまなところへと行き筆を取った。その絵は驚くほど高値で取引され、彼女の口座には一人では使い切れないような額が度々舞い込んだ。
いつも絵を描く側の彼女だったが、その日は少しいつもとは違った。
孤児を保護しているその病院では多くの子供がサッカーをしていた。この中でサッカーがやりたかった子がどのくらいいたのか定かではない。訪問者のお土産であるサッカーボールを使ってみていただけかもしれない。しかし、そこには笑顔があった。子供特有の笑顔に混じって、心の底から笑っているクロエの姿も、そこにはあった。
「あなたも一緒にどう?」
「いいえ、身体を動かすのは得意ではないの」
「そう。それは残念ね……っとそれは?」
少女はスケッチブックを身体で隠した。
「な……なんでもないよ」
「お姉さん気になるな~」
「……下手だからって笑わない?」
クロエがうなずいたのを見て少女はゆっくりとスケッチブックを開いた。そこには子供たちとサッカーをするクロエの姿が描かれていた。
「驚いたわ……きっとあなたみたいな人を天才というのね」
「クロエさんのほうがすごいよ。私にはクロエさんのようには描けないよ」
少女は笑う。
「あきらめるのはまだ早いわよ。そうだ、今度私のアトリエに来てみない?いろんな画材が試せるわよ」
「えっ!いいんですか!ぜひお願いします!」
少女の目には期待と希望の色が浮かんでいる。
「それじゃあ院長に話を通しておくわ」
「はい!お願いします!」
少女は心から笑っていた。彼女の脳内は、今後のことでいっぱいになっていた。
その病院が戦闘に巻き込まれ全滅したことをクロエが知ったのは、しばらく後だった。
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「……ロエ、クロエ!」
「っ!」
クロエは飛び起きる。セーラー服を着たノエミが、心配そうな顔をしてこちらを見ている。
「大丈夫?うなされていたみたいだけど」
「ええ、昔の頃の夢を見ていただけよ」
「昔?つらいことがあったの?」
「その話はやめにして、こっちに着替えてくれないかしら」
そう言ってクロエがクローゼットから取り出したのはメイド服だった。
「ええ~」
「ほら、いいからいいから」
それからまた数時間後、ノエミをモデルにした絵がもう一枚できるまでクロエは一心に筆を動かし続けた。それは熱心なようにも見えるが、どこか現実逃避しているようにノエミの目に映った。
=*=*=*=*=
「かわいい~」
ノエミの目はアルバムに収められた写真で埋め尽くされていた。写真に映る幼い頃のクロエの姿は、まさに美少女だった。アルバムを本棚に置いていたことが仇となり、公開処刑のごとくクロエの眼の前でノエミはそれを広げた。
「なんか恥ずかしいわね……」
「それにしてもすごい家だね。あとこれは……海外の軍?」
「父親が軍のお偉いさんだったから、よく挨拶に来たひとたちに可愛がられてたのよ」
「ふーん……ん?この人って」
「どうしたの?誰か知り合い?」
ノエミの目が止まった写真には、ガタイのいい男に抱っこされているクロエの姿があった。
「たしかこの人って」
「今はPMCの社長をしてるって聞いたわ。もしかして上司かしら?」
「たぶんそう。……笑ってるとこ初めて見たかも」
幼女と戯れる若かりし頃の上司の姿を見て、ノエミは少し複雑な気持ちになった。
ページをめくろうとして、その手をクロエに止められる。
「今日はそれくらいにしておきなさい」
言外にその先を見てほしくないと言っているようだった。
もちろん、そんな言い訳でノエミの手は止まらない。むしろ着せ替え人形にした仕返しをしてやろうとページをめくる。
「もう……だから見せたくなかったのに」
クロエはやれやれと頭を迎える。それに比べノエミはその写真に釘付けになった。
「それはまだ幼い頃の絵のコンクールで入賞したときの……ノエミ?」
「あっごめん、あまりの情報量にすこし呆然としちゃったみたい」
「もう、写真越しの絵もダメなのかと思ったじゃないの」
「うん。それよりこのクロエもすっごくかわいいね。このゴシック風ってのが――」
「ねえノエミ」
ノエミの言葉をクロエが遮った。ノエミは少し驚いた表情をしたあと、首をかしげる。
「どうしたの?そんなに深刻そうな顔をして」
「あなた……なんで泣いてるの?」
「えっ?」
ノエミが急いで目元に手をやると、確かに涙が流れていた。
「なんで……私……」
「ちょっとノエミ!」
頭を抱えてうずくまるノエミにクロエは駆け寄る。
「私……この絵を知ってる……45姉と……一緒に……」
そんなはずがないとノエミは知っていた。彼女は戦場にしかいったことがない。オリジナルの9であればまだしも、彼女に45との記憶が存在するはずがなかった。
「私は……誰……?いったい誰の記憶なの……」
視界がエラーダイアログボックスで埋め尽くされていく。
突然糸が切れたように崩れ落ちるノエミをクロエは抱える。電源が切れたわけではないようで、苦しそうな表情をしていた。
「しょうがないわね……」
クロエは受話器をとり、番号を押す。電話はすぐにつながった。
「クロエ先生!?とつぜんどうしたんですか!」
「ディーラーさん、この街で一番の人形技師の住所を探してほしいのだけれど」
「は、はい。でもこのご時世に人形技師なんて数えるほどしか……そういえばうわさ程度ですが、最近引っ越してきたプログラマーが傍らに人形を従えているとか」
「その人の住所は?」
「さすがの私でもこれだけの情報からでは」
「わかったわ、ありがとう。次作は1カ月以内に送るわ」
「えっ!本当ですか!では展示会をしてその後に――」
「切るわね」
クロエは受話器を戻すと、今度は他の番号へと電話をかけはじめた。