それは、まだチトとユーリがおじいさんの家で暮らしていた時に、ユーリが熱を出してしまった時だった。
「ゆー、だいじょうぶ?」
とチトはベッドの上で顔を赤くし、ごほごほと咳き込むユーリを心配そうに見つめていた。
「あたまいたい……おはなむずむず……おなかすいた」
「おじいさん! ゆーは、ゆーはだいじょうぶ?」
チトはたまらず、傍にいたおじいさんに助けを求める。タオルを濡らしなおすおじいさんは「今は辛いだろうけど、すぐによくなるよ」と言ってくれた。
なんでも知っているおじいさんが大丈夫と言うのであるなら、きっと大丈夫なのだと思う。
けど、ユーリは初めて熱を出してしまったということは、チトが熱を出したユーリを見るのも始めてなので、不安はどうしても拭えなかった。
タオルを置かれたユーリは、少しばかり心地よい顔になるが、汗はびっしょりと流していて、鼻が詰まっているから呼吸が少し荒かった。
「おじいさん、ちとはなにをすればいいの?」
やはりいても立ってもいられないチトは、自分に何かできないかとおじいさんの服を掴んで訴える。そんなチトをおじいさんは優しくなだめ、しゃがんで同じ目線で優しく言う。「なら、ユーリの傍にずっといてあげなさい。私は薬をもらってくるから。お留守番を頼んだよ」と。チトは涙を流しそうだったが、自分がユーリを守るのだと決心し、力強く頷いて見せた。
おじいさんは上着を羽織ると、急ぎ足で家を出ていった。すぐにケッテンクラートのエンジン音が聞こえ、やや速い速度で発進して行くのをチトは窓から見送ると、ユーリの傍へと戻る。
「ゆー、どこかいたい?」
「うぅ……あたま」
そう言われ、チトはユーリに手を伸ばそうとするが、届かなかった。すぐそこにあった椅子を引きずってユーリの枕元に置くと、上に乗ってユーリの頭を撫でてやる。そうだ、おじいさんが体のどこかが痛い時に使える「まじない」というものを思いだした。たしか、こうだ。
「いたいのいたいの、とんでけー。ゆー、どう?」
「…………いたい」
「いたいのいたいの、とおくにとんでいけー、いけー」
チトは何回もユーリの頭をよしよししてやる。あっちいけ、ユーを苦しめる悪い病気はお空に消えちゃえ。そう思いながら何度もおまじないをしてあげる。
「ゆー、いたい?」
「……いたい……おなかすいた……おみずほしい……」
お水。それなら用意できる。チトは急いで椅子から飛び降りると、コップに水を入れて、転びそうになりながらも戻る。
「ゆー、おみず……おきれる?」
「けほっ、けほっ」
ユーリはどうにか体を起こそうとする。しかし力が入らないのか、途中でコテリとベッドに戻ってしまう。
「おきれない……」
「ゆー!」
どうしよう、このままじゃゆーがおきれなくなっちゃう。ゆーが大変なことになっちゃう。チトはどうしようどうしようと、部屋の中を右往左往する。
「……そうだ! おまじない、もっと!」
チトはうーんとおまじないを思いだす。おじいさんからはさっきの物しか教えられなかったから、次に本で読んだおまじないはないかと思いだす。
その中でチトはある本の内容を思い出す。たしか、何かのお話だった気がする。本の名前は、「しろゆきひめ」、だったかな? よく覚えていない。
本の内容はうっすらとしか覚えていないが、ユーリと同じように、女の人がベッドで眠ってしまい、ずっと起きなくなってしまったのだ。もしかしたら、ユーリもそうなってしまう?
その考えを起こした瞬間、チトは恐怖した。ユーリが、起きなくなってしまう。もう遊ぶことも、ご飯を食べることもできなくなってしまう。
やだ、やだやだやだ! 目に涙が浮かぶ。そんなの絶対だめ。ゆーはわたしがたすける。
チトは必死にその物語を思いだす。そうだ、最後に女の人は目が覚めたんだ。どうして目が覚めたんだろう? 確か、誰かが女の人にちゅーをして、それで目が覚めたんだ。
お話を思いだしたチトは閃いた。そうだ、きっとこれはおまじないだ。ユーにちゅーすればいいんだ!
「ゆー!」
チトは大急ぎで椅子によじ登り、ユーリの顔を覗きこむ。
「なぁに、ちーちゃん……」
辛いだろうに、それにも関わらずユーリはチトにしっかりと顔を向けてくれた。汗がびっしょりだ。チトはおでこのタオルを手に取ると、ユーリの顔をごしごしと拭いてあげた。
「ゆー、もっとすごいおまじないしてあげる。これあらすぐに良くなるよ!」
「そっかぁ……えへへ、ちーちゃんやさしい」
「いくよ」
むんず、とチトはユーリのほっぺを両手で覆うと、有無を言わさず唇を押し付けた。ユーリは思わず目を剥いたが、チトは構わず唇を塞ぎ続ける。あれ、でもどれくらいすればいんだろう。まぁいいや、いっぱいすればすぐよくなるよね。
「……ぷはっ!」
息が続く限り、チトはユーリの唇にキスをし続け、唇を離し、顔を真っ赤にしながら聞く。
「ゆー、どう? よくなった?」
「……わかんない」
「じゃあもういっかい!」
「えぇ!? ふぐっ!」
チトは再度ユーリの唇に自分の唇を押し当てる。何度も、何度も。繰り返しては「どう?」と聞き、よくならないのであればまたキスをする。
結局、チトはおじいさんのケッテンクラートの音が聞こえるまで、ユーリにキスをし続けていた。
*
(…………そんなこともあったな)
と、チトは体感では数世紀ぶりに風邪を引いたユーリを見下ろしながらそう思う。なんということをしていたんだろうか、あの頃の無知な自分をどうにか止めたい。あれだけ暴走したせいで、翌日にはチトが熱を出す羽目になったのだ。
でも、まるでそれと言われ変わるように、ユーリの熱は全快。「ちーちゃんのおまじないのおかげだよ!」とおじいさんに言いふらしていた。今思うと死にたい。
「うぅ……ちーちゃん、タオル……」
「はいはい」
チトは温くなったタオルを取って、雪に突っ込む。ひんやりタオルの完成だ。一応軽く絞って、ユーリのおでこに乗せてやる。
「ほらよ。もう山は超えているだろうから、しっかり治せよ」
「えへへ……ごめんね」
「普段の破天荒に比べれば、よっぽどましだよ」
そういってチトは日記を書きはじめる。ユーリが熱を出した、そしてついでに昔のことを思いだして恥ずかしかった、と。
「……ねぇちーちゃん」
「んー?」
「おまじない、してほしいな」
がりっ。思いきりペンの芯が折れた。もったいないぞ、どうしてくれるんだ。
「……おまじないって?」
「ほら、むかししてくれたやつ……」
こいつ、意味わかっていってるのか。ちくしょう、変なことだけ覚えていやがって。
「…………したら、治せよ」
「頑張る」
はぁ、とため息を吐いてチトはユーリの傍に近づく。熱を帯びて火照ったほっぺが可愛らしく見えた。もちもちのほっぺに、そっと手を置く。
「んっ」
ちゅ、と軽いキス。ほんの一瞬ではあったが、ユーリは安心した顔になって笑みを浮かべた。
「えへへ……すごくよくなりそう」
「そうか。じゃあ、早くよくなれよ」
そういってチトは日記を描く作業に戻る。隣でユーリがすぴすぴと寝息を立て始めた。まったく、二度目があるなんて思いもしなかった。
でも。キスのおまじないは、案外本当に効くのかもしれないな。根拠のない治療法。それを肯定する自分に苦笑いしながら、チトは日記を書き続けた。
了