雨が降る。街行く人が傘をさす中、私はずぶぬれになりながら走る。どこへ? 宛てはない。でも、そうせずにはいられないのだ。
息が切れそうだ。目がくらくらする。でも、でもでも、それよりももっと大事なことがある。
「ユー!」
ユーが……ユーが居ない、今なんて。
全然いらない!!
*
私は月本チト。日本のごく一般的な家庭に生まれて、普通に学校に通って、普通に友達と過ごしていて、進路も決まってそれなりに満たされた生活をして。
その中で、不思議な夢を見るようになった。
夢の中で、金髪の女の子が私に声をかける夢。『ちーちゃん、ちーちゃん』と。
最初はなんてことのないただの夢だと思っていた。けど、その夢は次第に頻度を増していき、夢の中の女の子はいつもさみしそうだった。
お前は誰だ? なんで私を呼ぶんだ? 何度も、何度も問いかけた。でも、その子は答えてくれない。ただ寂しそうな笑みを浮かべて消えていく。
そんな夢を見た回数が、そろそろ三ケタに行こうとした時だった。
その夢はいつもと違っていた。何か廃れたような街の真ん中に私は居て、そしてやたらと寒かった。
すると、目の前に緑のコートが落ちていた。フードがモフモフと、温かそうなもので包まれている。これを着よう。そうした瞬間、私の頭の中に電流が走り、目が覚めた。
「…………ゆー、り?」
私は目を剥いた。あの夢でコートを着た瞬間、走り抜けた電流を注意深く思いだす。それは記憶の断片。私と、私たちの、大切な生きた証。
「ユー!」
私はベッドから飛び起きた。急いで目についた衣服を着て、家を飛び出した。飛び出したところでどこに行けばいいのか分からないのに。
でも、ユーは私を呼んでいる。夢の中で、あんな寂しそうな顔で、私を呼んでいた。
呼ばれたなら、行くしかないだろう。
「ユー!!」
雨の中、私は必死に彼女の名前を呼ぶ。なぜだ、なぜ私はこの世界にいる? 私たちは、あの階層都市の一番上で、二人で一緒に眠ったはずだ。
なのに、なんで私だけがここに居る!? ユーは、ユーリはこっちに来ていないのか!?
そもそも、なぜ私は今までユーのことを忘れていたんだ!?
「いっ——!?」
私は何かに躓いて転がりこむ。最悪だ、服がびしょぬれだ。いや、もうこれだけ濡れていたら関係ない。それよりもユーを探さないと。この雨だ、もしかしたら一人で寒がっているかもしれない。私が一緒に居て、火を起こして温めないとダメなんだ。
「っっはぁ、はぁ……ん、ぐ。かはっ」
でも、体は限界を訴えていた。普段からインドアの私は、急激な運動には向いてない。なんでだ、あの世界だったらもう少しは動けたはずなのに。
「ユー、どこ! どこにいるの!?」
ざー、と降る雨の音に、私の叫びは消し飛ばされる。なんで、なんでなんで。どうしてなの? ユーはどこにいるの、なんで私だけ、この充実した世界に飛ばされてしまったんだ!?
なにか、なにか心当たりはないかと私は必死に探す。ユーリが行きそうな場所、待ってそうな場所……そうだ、きっとユーリはお腹を空かしているに違いない。あいつが好きな食べ物……そう、魚だ。
「う、海!」
私は立ち上がって走り出す。そうだ、海だ。海に行けばユーリが居るかもしれない。魚が好きなあいつは、海辺でどうやって魚を捕ろうか考えているかもしれない。
そんなわけないのに。でも、私にとってそれは一筋の光だった。それにすがるしかなかった。頭も、体も、何もかもがすべて必死だった。
たとえ見えている光が幻だったとしても、走るしかなかったのだ。
雨が強くなる。まるで、私の行く手を阻むかのように。雷が鳴る。近づくなと怒り狂うように。黙れ、邪魔だ。私は行くんだ。
体の疲れはすさまじかった。でも、止まることはしない。すべての細胞が大騒ぎしている。そうだ、その通りだ。
ユーリが居ない日常なんて、私はいらない!!
*
どれくらい走っていたかは分からない。でも、骨や筋肉、血管までもが悲鳴を上げていて、相当体に鞭を打ったのだと理解できた。
でも。まだだ。まだ倒れるわけにはいかない。ユーが、お腹を空かせて私を待っているかもしれない。
「っはぁ、っはぁ、……ぁぐっ」
私は海岸を歩く。ユー、ユー、どこ。どこにいるの? ほら、私がきたよ、チトだよ。夢で私を呼んだじゃないか、だから来たんだぞ。
「ユー……」
ざざぁ、と波の音が鼓膜を叩く。ユーの声は聞こえない。私はユーの名前を呼ぶ。ゆー、ゆー。どこにいるの?
雨はいつの間にか止んでいた。ただ、鉛色の空が私をじっと見降ろしている。その空がとても気に食わない。なんだ、なに見てるんだ。お前らがユーリを隠したのか?
「ゆー……!」
返せ、返せ、ユーを返せ!
「かえして……」
「返してよ!!!」
*
まるで体の全てが鉄になったかのように重くなり、私はどさりとコンクリートの上に倒れ込む。
「はぁっ、はぁつ……ゆ、ぅ」
だめだ、動かない……何も考えずに飛び出してきたせいで、全身が嗚咽を吐きだすような気分で気持ちが悪い。
酸素が、酸素が全然足りない。目の前が真っ暗だ。寒い、体が冷たい。まるで、あの世界にいるかのようだ。
ここはどこ……ユーはどこ? ねぇ、ユー……待ってよ。
私は海にせり出した桟橋の上にいた。風がごうごうと吹きつけて、体がとても冷たかった。
一体何をしているんだろう。私は薄く開いた目で、灰色の空と海を見つめる。
こんなことしてもユーリが見つからないのは知っていたはずだ。なのに、なんでこんなところに来たんだ。なんでユーを探しに来た。なんであいつはどこにも居ないんだ。
なんで……私は思いだしてしまったんだ……。
「ゅぅ……」
蚊が鳴くよりも小さい声だったと思う。私は朦朧とした意識で海を見つめる。
それなりに充実していたはずの世界が、一気につまらなくなった。今まで自分がしてきた事、成し遂げてきた事、生きてきた事。その全てが、何もかもがくだらないものに見えてくる。
だって。ユーリのことを忘れてしまっていたんだぞ……。
ユーリのことを忘れて、今までを生きてきて……そんなの、最低だ。
だからいらない。ユーが、ユーが居ない世界なら。私は、いらない。
だからまってて。今、そっちにいくから。
ずるずると私は体を引きずる。もう少し、もう少し。荒れた波しぶきが私に降り注ぐ。冷たい、冷たい。でも、いいんだ。
ゆー。お前は独りぼっちで、もっと寒いに決まってるよな……。
だから……。
ざぶん。私の耳を、水の音が包む。冷たい……いや、痛い。痛くてたまらない。
荒れる波が私の体をもみくちゃに揺らす。たまらず、肺の酸素がすべて海中に溶ける。しょっぱい、辛い、つらい、冷たい。
でも、もういいんだ。心臓なんて止まっちゃえ。私はもう、生きることなんてしなくていい。
ユーがいないこの世界に、意味なんてないんだから。
*
—ちーちゃん—
……ゆー?
—ちーちゃん、おいで—
ゆー……ユーなのか!?
—ちーちゃん、ほら。—
真っ暗だった視界に光が飛び込む。ああ、なんて温かいんだ。それにこのぬくもり……ユーだ。ユーが居るんだ。
「ユー……」
私はその光に追いつこうともがく。進め、すすめ、私の体。届け、届け、私の手。
ユーリが居た。来てくれた。その事実が私の体を目覚めさせる。なら、なら行くしかない。ユーリ、ユーリ!!
手を伸ばす。足をばたつかせる。光の中から手が伸びる。知っている、私はこの手を知っているんだ!
「ユーリ!!」
声を張り上げる。その手を掴む。次の瞬間、私の目に飛び込んだのは――――
自分が、さっきまで歩いていた海岸だった。
「…………ぇ」
なんで。私は、確かに海に飛び込んで、死を認識したのになぜ。
なぜ……
なぜ……
なぜ生かされた!?
「……ぁ、ぁあああ……」
「悪魔めぇぇええ!!!」
私の絶叫は、空へと消える。
「なんでだっ……なんで、なんで!!」
「なんで死なせてくれなかった! ユーのいない世界で生きろって言うのか!!」
それは、私に取って死よりも残酷なことだ。死への誘いに等しいことをして、なぜ生かした。この世の神は、髪の皮をかぶった悪魔なのか。
「殺してよ!! なんで、ユーのところに逝かせてくれないの!!?」
—いいや、それはだめだよ—
刹那、私の世界が真っ白に染まる。冷え切っていたはずの体が温かい。まるで、誰か、抱かれているような……
『ちーちゃん、こんなに冷たくなっちゃったね』
「…………ゆー?」
『ごめんね、ちーちゃん。私のわがままのせいで、こんなことになって』
「何言ってるんだ……わがままだなんて、そんなことないだろ! 一緒に行こう、私と一緒に今の世界に!」
『ごめんね。それはできないんだ。神様にお願いしちゃったから』
「なにを!」
『ちーちゃんを、もっと別の世界で生かせてくださいって』
そんな……じゃあ、私が、私だけ今この世界にいるのは、お前の願いだったとでも言うのか?
「そんなの、私は望んでいない! それならユーと、ユーと一緒に死んだ方が……それに、お前もこの結末を望んでいないから、私を呼んだんだろう!」
『うん。だから、ちーちゃんは私のことを思いだして、こんなことになっちゃった。だからね、もうしないって決めたから』
ユーリが私の目を両手で塞ぐ。なんで、せめて、せめて顔だけでも見せてくれないのか!?
『だめなんだ……見たら、ツラくなっちゃうよ』
「まって……そんな、まって!」
『もう一度神様にお願いしたからさ。ちーちゃんは安心して元の世界に戻ってね』
「やだっ、やだっ!! ユー、ユー!!」
『バイバイ、ちーちゃん。元気でね』
「ユーリぃーーーーっ!!」
*
「……っ」
睡眠から引っ張り上げられる不愉快。私は目を覚ますと、自分の部屋の中に居た。
「…………?」
なにか、とてつもなく長い夢を見ていた気がする。おかげで少し頭が疲れている感覚だ。
でも、なんの夢だったかは思いだせない。なんだろう、すごい、なんていうか……。
「ま、いっか」
私はベッドから起き上がり、身支度をして家を出る。今日は楽しみにしていた本の発売日だ。上機嫌で街に繰り出し、適当に店を見て回って本屋に向かう。
「……ん?」
ふと、私の目に洋服屋さんが目に入った。冬用のコートを着た、金髪のマネキンだ。そのコートは緑色の少しミリタリーチックな雰囲気で、フードや襟の周りが白いもモコモコで覆われていて、とても温かそうだった。
「へー。温かそう」
私は値札を確認してみる。げ、割と高い。いやまぁそうだな、こんな暖かそうな服なら、これくらいの値段は余裕でするだろうな。
「……ま、私には似合わないか」
服への興味を無くし、私は本へと急ぐ。今日はたっぷり読書の日に当てよう。こんな何の変哲のない日常も、幸せなものだなと、上機嫌で私は歩みを進めていった。
了