さて。どうしてこうなった。ユーリは目の前に現れた謎の黒髪幼女を見て困惑した。
いや、正確に言えばチトとそっくりの幼女が現れた、と言ったほうが正しいだろうか。そして代わりにチトがいなくなった。それが何を意味しているのかというと。
この幼女は、つまりチトなのである。
それが起こったのは、とある研究所の跡地らしきものを見付けたのがきっかけだ。中で備蓄庫らしきものを発見し、その中に置いてあった水らしい飲み物をチトが飲んだ。そしてユーリが数回瞬きをすると。
「……ゆー?」
幼女が現れたのである。頭のねじが未知数抜け落ちたユーリでも、何が起きたのか理解できた。
「……ちーちゃんが、小っちゃくなっちゃった」
本当に一瞬だった。チトが水(?)の入った飲料を飲んで瞬き数回ほどをしたら、次の瞬間には幼女はいたのだ。どことなく懐かしい、故郷に住んでいた時のチトとそっくりだ。でも、それよりももう少し幼いような気もする。実際、
「ゆー、さむいよー」
少しばかり舌っ足らずで」
「ちとのふく、ぶかぶか……さむい……」
背丈もいっそう縮んで
「ゆー、さむい……だっこ……」
めちゃくちゃ甘えん坊で。
(…………やべぇ。めっちゃかわいい)
破壊力抜群だった。
「ゆー、さむいよ……」
よたよたと服を引きづりながら、チトがユーリの足にしがみつく。良くればズボンがずり落ちて、足元周りは素肌が晒されていた。
「あー、ごめんごめん。おいで」
ユーリはしゃがみ込んでチトの体を抱き上げる。あらあら、下着もぶかぶかだから簡単に落ちてしまった。
とりあえず寒いからできるだけ素肌を晒さないように、自分のコートのチャックを降ろし、その中にチトを入れて抱っこする。
「どう、これで寒くない?」
「うん!」
ここがある程度密封された場所で良かったとユーリは心底思う。吹雪いている時に飲んだら一体どうなっていたことやら。
「……にしても」
ユーリはチトを抱えて思った。
「ちーちゃん、超あったかい」
「ゆーも、あったかいよ!」
っべー。っべーわ。破壊力抜群だわ。カメラどこだカメラ。いやでも、抱っこしてるから、カメラ向けられない。少なくともこの場では。
ユーリは辺りを見回して考える。とりあえず、もうちょっとチトの衣服をどうにかしようと決め、床に転がっていたズボンと下着を拾い上げた。
*
とりあえず、ケッテンクラートに戻ったユーリは、使えるものを探しだした。針金でズボンの裾をどうにか上げることに成功する。ベルトが自由に長さを調整できるタイプで良かったと心底思った。
「ええへ、ゆーのかみのけおもしろーい!」
小さくなってしまったチトは、ユーリの髪の毛をゆったり、みょんみょんと伸ばしたりして遊んでいる。それは構わないのだが、冷静になってみれば異様な光景に、少なからず戸惑いも生まれてしまうわけだ。
「あー、これからどうしよう」
焚火に有機物を放り投げてユーリは考える。もし、チトの姿がこのままだったら、この先の旅に大きな支障が出るだろう。とりあえず、ケッテンクラートの運転は自分がやるしかない。やるなら、徹底的な安全運転だ。
加えて、最も不安なのが二人の旅に置いて欠かせない、チトの『思考』が失われてしまったことだ。試しに日記を見せたら「わかんなーい」と言っていた。
文字が読めなくなってしまったということは、今まで描かせなかった思考も失われているだろう。ユーリにだってそれは分かった。
「あれ、ということは。私は今ちーちゃんより賢いのか」
おお、なんたる素晴らしいこと。どうだちーちゃん、いま私はちーちゃんより賢いのだぞ。どうだ参ったか!
「……なんで、思ってる場合じゃないかな」
ユーリはアホ毛をはむはむとしゃぶり始めたチトを呼ぶ。「なぁに?」とチトはニコニコしながら来てくれた。
「お腹空いたから、ご飯食べよ?」
「うん!」
ユーリはレーションを一袋取りだし、その間にチトはユーリの膝の上にちょこんと座る。そのタイミングで袋を開けて、ユーリはレーションを一本チトに渡した。
「ありがと!」
しっかりとこちらに振り向いて、チトはお礼を言う。ああ、すごい。小さい頃からちーちゃんはこんなにしっかりしていたんだなーと、感心してしまう。
「おかわり!」
「はっや」
見ると、チトは口の周りにレーションのくずがいっぱいついていて、まだもぐもぐと口の中に含んでいた。
「いいよ。その前にお水飲んでね」
「ふぁい」
ごくごく、と水筒の水を飲み、満足そうな顔になるチト。やること言うことすべての仕草が愛らしくて、ユーリも口元が綻んだ。
「はい、どーぞ」
ユーは二本目のレーションを渡す。チトははむはむとレーションを一気に半分食べる。ああなるほど、ちーちゃんが前言ってた『食べ盛り』って言葉はこういうことを言うのだと納得が行った。
「んぐ、おいしい!」
二本目を食べ終えたチト。ユーリは余った一本を半分にして、チトに渡す。
「はい、それで最後ね」
いつもチトがしている配分だ。今日はこのペースを維持すればいいだろう。チトはまだまだお腹に入るそうで、一口で最後の一つを食べてしまった。
「おいしかった!」
「うんうん、よかったよかった」
ユーリはチトの頭を撫でてやる。えへへと嬉しそうなチトの顔。ああもう、本当に可愛い。頬っぺたぷにぷにだし、収めておきたい。
ユーリは自分の分のレーションを食べる。チトの様子を伺っていたからようやく一本目だ。うん、美味しい。ご飯は素晴らしいものだ。
そうして、二本目のレーションを手に取り口に運ぼうとしたところでチトがじっとこちらを見ていることに気が付いた。
「…………ちーちゃん?」
「………ごくり」
「……もしかして、まだお腹すいてる?」
こくり、とチトは頷いた。その顔はどこか申し訳なさそうで、でも食欲と空腹にはどうしても勝てなくて困ったような、そんな顔をしていた。
ユーリは自分のレーションとチトの顔を見る。ああ、食べ盛りって怖いな。でもどうしよう。子供って、たくさん食べ物を食べないと大変だっておじいさんが言っていた。
「……はい、あげる」
「ゆー!」
「ほんとにこれが最後の一つだよ」
「ありがと、ゆーだいすき!」
ぎゅー、とチトはユーリに抱きついてくる。結構な勢いに少しバランスを崩しそうになったが、しっかり受け止めてよしよしと背中を撫でてやる。
「ほら、大事に食べてね」
「うん!」
もぐもぐとチトは正真正銘、本日最後のレーションを食べる。本当ならもっと残念な気分になるんだろうなと自覚はあったが、しかしおいしそうに食べるチトの顔が本当に愛らしくて、かわいくて、それに比べたら自分の空腹など、あまり気にならなかった。
*
しかし。あれはあれ、それはそれ。結局のところお腹は空く。食には敏感なユーリの体は、レーション一本が来ないだけで胃袋がぐーぐーとクレームを押し付ける。おかげで寝ようにも眠れない夜を過ごすことになりそうだった。
「おなかすいた……」
ズボンを脱がし、万が一チトの体がいつでも元に戻っていいように服を脱がしたユーリは、チトが寒くないようにと体を密着させて寝かしつけていた。相当居心地がいいのだろう、チトはユーリが抱いた後、こてりと眠りに入ってしまった。うんうん、しかっり眠るのだよ。
そして、空腹で目がすっかり冴えてしまったユーリはチトを起こさないようにため息吐く。チトの笑顔は、ご飯を食べるときのようにお腹がいっぱいになったのになー、と思うが、やれやれ体は正直すぎて、空腹を訴え続けてくる。
一瞬、こそっと明日の分を食べようかと思ったが、チトの決めた食事配分を破ると大変なことになるというのは耳がタコになるほど聞かされたので、それはしてはいけないと肝に銘じていた。
「ん、にゅ……ん、ゆー……」
「あれ」
むにゅむにゅとチトが寝言を言う。何か夢でも見ているのだろうか。チトは少し寝返りを打って口を動かす。
「ゆぅ……だいすき……」
「!」
みょん、とアホ毛が飛び跳ねる。ああ、ずるい。そんな顔で、そんな愛らしい顔でそんなこと言われたらイチコロに決まってるじゃないか。
「……私もだよ、ちーちゃん」
ユーリはそっとチトの額にキスをする。ほら、胃袋よ。これが聞けたら満足だろう、寝ろ。私は寝るぞ、言うこと聞かないなら切り離してやる。
はて、その訴えが届いたのだろうか。胃袋のクレームはそれから一切合切鳴りを潜めてしまった。ふふふ、そうだろうそうだろう。ちーちゃんの可愛さは空腹をも超越するのだ。
「…………おやすみ、ちーちゃん」
程よい疲労感と眠気がやってくる。ぱちぱちと燃える焚火の音が心地よい。
そして、何よりもチトが温かい。体だけじゃない、心のそこまでぽかぽかして、とても気持ちよかった。
(夢の中でも、ちーちゃんと会えたらいいな)
その思考を最後に、ユーリは睡魔に自らの意識を手渡した。
*
「ほんとに覚えてないの?」
「ああ、覚えてない」
翌日。目が覚めるとチトは元通りの姿になっていた。ユーリは真っ先に体に異常はないか、どこか具合は悪くないかを聞いたがチトは全くの健康そのものであった。
「あの水を飲んでから私なにしてた?」
と、聞いてくるチト。ユーリは一瞬本当のことを話そうかと思ったが、話したところで信じてくれなさそうだし、「ふざけるのも大概にしろ」と言われそうなので適当にはぐらかしておいた。
「私も飲んですぐ寝ちゃったから、覚えて無いな」
「ふーん。まぁいいや、行くか」
ヘルメットをかぶり、チトはケッテンクラートのエンジンを始動させる。よかった、追及されなくて。聞かれたらなんて言ったらいいのか分からないもんね。
だから。
あのチトの笑顔は、自分だけの宝物にしよう。荷台の上でチトに背中を向けているユーリは、自分のこのにんまり顔を見られなくてよかったなと、心から思っていた。
了