「ちーちゃん、こっち!」
ユーリはチトの手を引っ張り、廃墟の中へと飛び込んだ。チトはぜーぜーと息を荒くしながらも、脳に残った酸素をできるだけ回転させてもう一歩、一歩と奥に向かい、ユーリもまたチトをできるだけ壁の奥に押しこむと、自身は三八式を握って壁の向こうを警戒する。
ことを遡ると数十分ほど前、二人が探索中に遭遇し他浮浪者が襲ってきた事から始まる。
髭も伸び放題で目も虚ろ、まともに会話もできそうのない人間だった。
しかし、戦闘能力が異常なまでに高く、不意を突かれた二人はケッテンクラートのある方向とは逆方向に退避するしかなく、今に至る。おかげで二人は歯がゆい思いをさせられていた。
「はぁっ、はぁつ、ユー、だめ、走れない……」
「大丈夫? できるだけ静かにしててね」
ユーリは窓枠から顔をほんの少しだけ出す。八合わせてもいいように、その手にはナイフを握りしめている。
まずは右、次は左。一応上と下を見て安全確認完了。もう少しだけ頭を出して、さらに周囲を警戒する。
「……とりあえず撒いたみたい」
「っはぁー……何だったんだ、あいつ」
「もうまともに会話もできなさそうだったよね」
「……戦争の生き残り、なのかな」
チトはできるだけ音を立てないように水筒の蓋を開けようとするが、上手く開けられない。あれ、なんでだ。そう思っていると、ユーリが代わりに開けてくれた。よく見ると、自分の手はカタカタと震えていた。
「とりあえず大回りして、車両まで戻れればあとは簡単なんだけど……」
「見つかってないといいな……キーは抜いたけど、ちょっと不安」
どうにか水を飲み切ったチトは、ほうと息を吐く。安全確認を終えたユーリが反対方向を見つめる。
「あっちの方からぐるっと抜け出そうか」
「そうだな……あー、車両が遠い」
ユーリはチトの手を握ると、ゆっくりと立ち上がらせる。可愛そうに、まだ少し震えている。
「大丈夫だよちーちゃん。私が居るから」
「…………うん」
そうして二人はゆっくりと廃墟から抜け出す。ビルが入り組んでいて迷いそうだったが、周囲と比べてやたらと背の高いビルの下に止めたからわかりやすかった。
「あのビルだよね」
「うん。あそこまで行けば車両が置いてある」
ユーリは先頭に立ち、ぴりぴりとした雰囲気を彼女は出していた。チトはそんなユーリが少し怖く手、ごくりと唾を飲みこむ。
その後、右に、左に建物に入っては出てを繰り返し、二人はゆっくりとケッテンクラートの場所まで戻ってくることができた。
「っはぁー……助かった……」
チトはケッテンクラートのハンドルに突っ伏す。ユーリも辺りを見回すが、人の気配を感じないので自身も銃を下す。
「早くいこう、ちーちゃん。どっちみち急いではなれないと」
「ああ、そうだな」
がるる、とエンジンを始動させて、二人は出発する。いつもよりも少し早めの速度で進む。
そうして、浮浪者に襲われた場所から離れて二人が一安心した。
その時だった。
ごん、と突然ケッテンクラートが揺れた。チトは何事かと思って、後ろを見る。
ぞっとした。振り切ったと思っていたあの浮浪者が、荷台に飛び乗っていたのだ。
「う、うあわぁあああ!!?」
何が何だかわからないチトは、思わずアクセルを全開にしてしまう。荷台は派手に揺られ、浮浪者とユーリは転がり落ちた。
この時チトは気付かなかったが、ビルの上の階から男がケッテンクラートに向かって飛び降りたのだ。
そして男がチトに殴りかかろうとした時、ユーリがとっさに足を引っかけて注意を向けたのだ。
チトは急ブレーキを踏み、運転席から飛び降りる。
男とユーリは、アスファルトの上でもみ合っていた。だが、体格差と男の戦闘能力の高さで、ユーリはあっという間に馬乗りにされ、不利な立場に追い込まれていた。
「ユーっ、ユーっ、いやぁあああ!!」
チトは悲鳴の悲鳴が響く。その悲鳴を聞いた男がチトの方に向き直る。
「っひ!?」
チトは体が凍り付いたように動かなかった。男がずん、ずんと近づく。その口から発せられる言葉は、まるで獣の様だった。
「う、あ゛が……ぅあああ!!」
やだ。やだ、やだやだやだ!! くるな、くるな!!
「来るな、来るな!!」
チトはあまりの恐怖で完全に足が固まっていた。あと三歩で手が届く。殺される、死ぬ、死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない!!
「ちーちゃん!」
瞬間、ユーリが男にタックルをして地面に転がる。ユーリは拳を握って男の鼻先にそれを叩き落とす。
「がっ、うがぁああ!!!」
一瞬怯んだかのように見えたが、ユーリは腹に膝蹴りを入れられ、チトの聞いたことのないような呻きが響く。
あっという間にユーリは地面に転がされ、男が再び馬乗りになる。今度は男が拳を握り、振り上げる。
「やめてぇええーーーーっ!!」
チトの叫びもむなしく、その拳はユーリの腹に叩きこまれた。体がのけ反り、口から何かが飛び出る。チトはもう、頭が追いつかなかった。
男がユーリの首を絞める。その手を振り払おうと、弱々しくなったユーリの手が伸びるが、なす術がない。
チトはその光景がまるでスローモーションのように流れて居るように見えた。ユーリが、死ぬ。殺される。なんで? どうして? 誰か助けてよ。
なんで、誰もいないの? 武器は? 武器はないの?
近づかなくても、ユーを助けられるもの……。
「!!!」
体の全細胞が叫んだ。ある、ある。チトはとっさに荷台に置いてあった三八式をひったくると、男に向ける。
だが、がたがたと体が震えて照準が定まらない。どうしよう、ユーリに当たる。ユーリに当たったら、ユーリが死んじゃう。
どうしようどうしようどうしよう。
その時だった。
ユーリの、最後の抵抗をしていたユーリの手が。
どさり、と地面に落ちた。
「いやぁあああああああ!!!」
―パァンッ!!―
*
「あがぁあああああ!!!」
チトの放った弾丸は、男の脇腹に命中して、動きを封じ込めることに成功した
辺りには血がまき散らされ、積った雪とアスファルトを赤黒く染めていく。その光景を作ったのは自分だという自覚を持った瞬間、チトは思わず嘔吐した。
「う、ゲッホ、ヴ、ぇええ!」
頭が痛い、胸がグルグルする、気持ち悪い。
撃った、撃った。人を撃ってしまった。
すごく痛がってる。くるしそう。
私は、人殺しだ。
「ああぁああ、いやぁ、いやぁあああああ!!」
チトはうずくまる。誰かに怒られる。こわいこわいこわい。どうしようもなく怖くて、この場から逃げ出したかった。
「……ちーちゃん」
びく、と体が跳ねる。ゆっくりと頭を上げると、息を荒くし、顔が真っ青にしたユーリがそこにいた。
「ユー、ユー……わ、わた、わた、あぁ、ころし、ひと、ころし……」
「ちーちゃん……だいじょうぶだよ」
ユーリはチトの取り落とした銃を拾い上げる。その際、腹部の激痛で顔をしかめるが、歯を食いしばってどうにか立ち上がる。
そして悲鳴を上げてのたうち回る男の目の前まで歩み寄る。ガチャン、とコッキング。刹那。
パァンッ! 二度目の銃声。その銃口は男の頭に向けられている。
男は、もう動くことはなかった。
ユーリは銃を放り、チトの元に歩み寄る。そしてチトと同じ目線になると、言った。
「ちーちゃん。ちーちゃんは人を殺してないよ。殺したのは、私だよ」
「ゆ……ぅ」
「ちーちゃんは、私を助けるためにしてくれたんだよ。ちーちゃんは私の命の恩人だよ。だから、気にしなくていいんだよ」
「ゆー……ユーっ!」
「人殺しをしたのは、私だよ」
「っあぁあ、あぁあああああ!!」
チトはユーリの胸に飛び込む。ありったけの感情をぶつけて泣き叫ぶ。救われたような気がした。でも、救われていないのかもしれない。
怖かった。痛かった。罪悪感が胸を貫いて、痛かった。
すべての感情が体を破壊しそうで、どうにもできなくて。
チトは、ひたすらに泣きじゃくることしかできなかった。
*
「……っ、は!」
チトは目を覚ます。額はびっしょりと汗をかき、心臓の鼓動が異常なまでに早くなっていた。
「およ、ちーちゃんどうしたの?」
隣を見ると、銃の手入れをしていたユーリが不思議そうな顔でチトを見ていた。彼女の血色はよく、怪我もしていない。
ゆっくりと記憶をたどってみる。ああそうだ。あれは、夢だったんだ。
「ゆ、め……」
「大丈夫? 汗びっしょりだよ」
「……ゆめか」
「? 怖い夢でも見たの?」
「…………ああ、そんなところだ」
ユーリが水筒を手渡してくれた。チトはそれをありがたく受け取り、残りは少なかったが一気に飲み干した。
「ありがと……」
「どういたしまして」
水筒を受け取ったユーリは、銃の手入れを再開する。チトはその様子を見ながらさっきの夢を思いだす。
もし、ユーリがだれかに襲われたら。どうする?
銃の扱い方を、もっと勉強した方がいいのではないだろうか?
「……ねぇ、ユー」
「なぁに?」
「……もしさ、ユーが危ない目に遭ってさ、私しか銃を扱える人がいなかったら、危ないよね」
「えー? うーん、まぁそうかな」
「……じゃあさ。私に、しっかりした銃の扱い方、教えてくれないか?」
「え、ちーちゃんが?」
こくり、とチトは頷く。そんなに怖い夢を見たのだろうかとユーリは思っていたが、真剣な彼女の眼差しと、実際そう言う事態に陥ったときを少しばかり考えてみて、確かにその方がいいかもしれないと納得した。
「分かった。じゃあ、あとで広いところで練習しようか」
「ああ。ありがとうな」
了