インプレッサの鮮やかなオーバーテイクシーンを、中継モニターが映していた。
「あー……」
内田は力のない声を上げてしまう。
「意外と呆気なく抜かれちまったな……」
顔を顰めながら、兼山も呟いた。
他の十三鬼将の面々も、同じ心境だったに違いない。
約一名を除いて。
「……まだ、中間地点だぜ。バトルは終わってねぇよ」
内藤は、まっすぐにモニターを見つめ続けている。
「だが……」
「いいから見てろ。このまま、あいつが終わる訳がねぇんだ」
魚住の言葉を遮る様に、内藤はそう断言した。
インプレッサに前を譲った所で、緒方に諦めの色は無い。
(……このまま逃げられると思わない事よ)
ハイチューンドの1JZのエキゾーストノートを、箱根峠に響かせる。
(……いつ以来かしらね。こんな気分でバトルするのは……)
緒方は、先行する赤いテールランプを、あるマシンに被らせていた。
緒方が70スープラに乗り換えたのは十年以上前になる。
元々はサイバーの通称で親しまれる、EF8のCR-Xで首都高を攻めていたのだが、よりハイパワーを求めて比較的手に入りやすい値段だった70スープラにマシンをチェンジした。
多彩なグレードを持つ70スープラの中でも、緒方が選んだのは最もスポーツ度の高い、最終型の2.5GTツインターボだ。
トヨタで初めて280馬力自主規制を設けた車両で、同時期のFRスポーツカーの中でもずば抜けてリーズナブルだった。
しかし、ベース車の設計自体は古い上に、重量のカタログ値は1550キロと極めてヘビー級。
とは言え、頑丈でハイブーストに耐えうる1JZに物を言わせ、R32GT-Rには及ばなくとも、首都高速の主力マシンとして選ばれる事が多かったのも事実だ。
何よりも、80年代の車両特有の武骨なデザインと、往年のスポーツカーの特権であるリトラクタブルヘッドライトが、緒方の心をくすぐったのであった。
スープラを進化させ続けて、緒方の名前が首都高に知れ渡る頃。
宿命とも言える好敵手に出会う事になる。
――数年前。
「……そんなに速いの? 噂の赤いFCって……」
「ああ。週末には姿を見せねぇんだが、火曜の夜になると確実に大黒にいるぜ」
「俺も見たぜ。しかも、そのFC……あのアマミヤの従業員が乗ってるらしいんだ」
「って事は、アマさん直伝の走り屋か……」
「面白いじゃない……。私のスープラで撃墜(おと)してみせるわ」
緒方と内藤が出会う最初のきっかけは、噂話から始まったのであった。
そして……双方が相見える日は遠くなかった。
「……アンタが最近噂になってるFC乗りね?」
「そうなのか? どう噂になってるかは知らねぇが、おねーちゃん相手でも俺は手抜き無しだぜ?」
「……貴方こそ、私とスープラを舐めてると大怪我するわ?」
この時、双方の名を初めて聞くこととなった。
「内藤健二だ……」
「……緒方明子よ」
―――その時のバトルは、緒方に取って生涯忘れられないものになったのだった。
(……内藤。アンタと何度バトルしたか数えきれないわね……。
そのアンタが見てる以上……情けない走りは出来ないのよ!!)
緒方がテールランプを被らせているのは、幾度となくバトルを交えてきた“追撃のテイルガンナー”なのだ。
そして、その想いに答えるかのように、スープラのエキゾーストノートは高鳴っていく。
(……離れない)
ミラーに反射するヘッドライトの距離は、着かず離れず一定の距離をキープしている。オーバーテイクさえ決めてしまえば、そのまま逃げ切れると言う劔の目論見は、見事に崩れていた。
(……箱根の後半セクションはかなりハイスピードになる区間だから、確かに差を広げるのは難しいけど……)
そう考察するものの、劔は相手が首都高の走り屋である一点を見逃していた。
箱根のダウンヒルの後半セクションは、極めてスピード乗る高速コーナーの連続である。
それ故に、インプレッサの最大の武器である、立ち上がりのトラクションを生かせる場面が少なくなる。
しかし、それ以上に重要なのは、緒方明子のホームステージだ。
(……二車線で高速コーナーの連続。横羽線を彷彿とさせるわね)
緒方自身が、高速コーナーを得意としている事だ。
旧型の70スープラで、現代のマシンと渡り合う為には、マシンメイキングが重要なファクターとなる。
その為、緒方はスープラで普段走るのは湾岸や横羽等の為、極端な高速型のセッティングを施している。完全な最高速仕様の為、トップスピードでは十三鬼将でも一、二を争う程の伸びを見せるが、反対に環状線などのテクニカルなエリアには全く向いていない極端な作り方をしている。
内藤の様に自分でマシンを作り上げるのなら、コースによって細かく仕様変更をする事は多いが、緒方はそこまでする事はしていない。
逆に言えば、高速エリアだけを極めて、十三鬼将の四天王にまで上り詰めたのである。
それほど最高速仕様にこだわった緒方が、あえて仕様変更する程に、今回のバトルに賭けているのだ。
(……内藤。貴方の仕上げたセッティングは最高よ。箱根でも、思いっきり踏んでいけるわ!!)
抜群の仕上がりをみせる1JZと、見事に仕上げた足回りで、インプレッサに食い下がる。
(……バカな。高速コーナーは向こうの方が上という事なのか!?)
高速セクションで、ここぞとばかりにスパートをかける緒方に、劔は初めてプレッシャーを感じていた。
(湾岸線は、道だけ見れば直線だけど……本気で走る時はそうじゃないのよ。
法定速度で走る一般車を縫う様に交わしていくっていう事は、必然的に200キロオーバーの超高速域で、コーナーリングしていく事と同じになるわ。
まして、狭くて路面の有れた横羽線ならば尚の事よ!!)
セッティングを街道向けにしたと言っても、基本は最高速仕様だっただけに、マシンもドライバーのテクニックも、高速コーナーの速さは特筆すべきものだった。
箱根のダウンヒルも、いよいよ終盤セクションに突入する。
Rのきついコーナーは殆ど無く、中速コーナーを三つクリアすれば、後はパワーの勝負になってくる。
(……厄介な事になったな。まさか、あのスープラがここまで高速コーナーに強いとはね……)
劔にしてみれば、計算が思いっきり狂っている状態だ。
(とは言っても……ハードブレーキングする程のコーナーはもう無い。
ならば……抑えきってみせる!!)
しかし、パッシングポイントが無いと踏んで、このまま前をキープする考えだ。
対して、追走する緒方。
(……高速コーナーじゃ抜き所は限られるわね)
しかし、手が無い訳では無い。
(うまく立ち上がって……ロングストレートで勝負よ!!)
その狙いは、パワーに物を言わせた加速勝負だ。
右の複合コーナーで、インプレッサはセオリー通りに、二つのクリッピングポイントを通過するベストラインをトレースする。しかし、スープラは一つ目のクリッピングポイントを捨てて、極端な大外回りのラインを選んだ。そして、二つ目のクリッピングポイントを奥に取って、立ち上がりを重視。
複合コーナーをクリアし、3速に入った。ここで、二台の差が縮まっていく。
(パワーは向こうの方が上だな。だけど……次のヘアピンの進入を抑えれば、立ち上がりで引き離せる!!)
劔は、インプレッサの加速力に絶対の自信を持っていた。
そして、ミラーを見た時だ。
「……消えた!?」
思わず口走ってしまう。そこには、何も映しだされていないのだ。
(まさか……ライトを消したのか!?)
そう。緒方が仕掛けたのは、ライトを消して相手を追走するブラインドアタックだ。
(……首都高じゃやるけれど、峠でやるのは初めてね)
漫画にも書かれた事のある裏技だが、本当に実践する人間は中々いない。
とは言え、首都高の様に一般車が多いステージで、ライトを消すのは有効な手段の一つだ。
一般車がヘッドライトが近づいて来る事に気が付いて、下手な動きをされると、大事故に繋がりかねない。そこで、ライトを消して存在を無くしてしまえば、一般車に気づかれる事無く、悠々と抜いていく事が可能なのだ。
また、相手の意表を突く事も出来る為、リスクは有るが一石二鳥の裏技なのだ。
緒方が良く使う手の一つなのだが、街灯の並ぶ首都高ならまだしも、ここは街道だ。危険度は比べ物にならない位高いのだが、あえて慣行したのだ。
しかし、劔は冷静に状況を読んでいた。
(相手の動きが分からなくとも……ヘアピンでインを取らせなければいい話だ!!)
トレースできるラインの少ない低速コーナーならば、ブロックでしのげると踏んでいる。
そして、インベタのブロックラインでヘアピンにアプローチをかけた。
(よし……インは抑えた!!)
インプレッサは、イン回りでヘアピンを立ち上がった。
そして、立ち上がった瞬間、スープラのヘッドライトが再び光を放った。
(ブレーキング勝負じゃなかったのか!?)
ミラーに光が反射した時、緒方のスープラはアウト側から並びかけていたのだ。
(……そのラインじゃ、4WDでも立ち上がりでアクセルを踏めないでしょう!!)
緒方は、劔の裏の裏までかいていたのだ。
緒方がブラインドアタックを仕掛けた最大の狙いは、インプレッサがインベタのブロックラインを走らせる事にあったのだ。
相手の動きが見えなければ、必然的にブロックを優先して、ブレーキング勝負をさせない事を考える。
しかし、ブロックを最優先するライン取りをすれば、立ち上がりの加速がどうしても苦しくなる。そうなれば、インプレッサ最大の武器である、立ち上がりの加速力を鈍らせる事になるのだ。
(……ここからは、私の物よ!!)
緒方の右足に呼応するように、スープラのエキゾーストノートが響き渡る。パワーを下げたと言っても、500馬力近く発揮する1JZが吠える。
3速シフトアップ。一気に伸びてくるスープラのノーズが、インプレッサをとらえた。
(……このままじゃ負ける)
二台がサイドバイサイド。
「こうなりゃ……頼む!!」
劔は、ブーストコントローラーのスイッチを押して、スクランブルブーストをかけた。
そして、4速へシフトアップ。
1JZとEJ20のサウンドが、箱根峠に木霊した。
(……お願い!!)
(……もってくれ!!)
二つの閃光は、並んだままゴールラインを駆け抜けていった。
その時だ。
「……ッ!?」
インプレッサの、ボンネットから白煙が巻き上がった。
そして、電光掲示板に、二台のリザルトが表示された。
結果は、コンマゼロ5秒だけの差で、インプレッサが逃げ切っていた。
この薄氷を踏むような勝利は、箱根峠を熱狂の渦に巻きこんでいた。
劔は、文字通り身を削って勝利を収めたのだった。
激闘を終えた両雄。健闘を称える訳では無いが、お互いが向かい合う。
「……派手にイったわね」
皮肉交じりに、緒方はそう告げた。
「あそこで負けたら、絶対に後悔するからね。意地でも抜かれたくなかったから、スクランブルブーストを使ったよ……。
確かに勝ったけど……懐は痛いね」
勝者の劔だが、その顔つきはかなり固い。もっとも、エンジンブローと引き換えにした勝利なら、当然の事だ。
「だけど……自分がそれ以上に驚いたのは、貴女の精神力さ。
普通、一回抜かれたら大体は諦める事が多い。だけど、もう一度抜き返そうとしてきたんだ……。
ここまで痺れるバトルは……初めてだよ」
勝者だが、劔は緒方を賞賛した。
「……そうね。私も……久しぶりに痺れるようなバトルが出来たわ。
負けたけど、悔いは無いわ」
緒方は箱根に来て、初めて安堵の息を漏らした。
劔は改まった表情で、こう切り出した。
「エンジンが直ったら……またバトル出来ますか?」
そう言われ、緒方は答えた。
「そうね……。気が向いたら……ね」
少し、いたずらっぽい笑みを作って緒方は答えた。
箱根決戦。四天王の一角、緒方明子はまさかの敗北。
頂上のパーキングスペースは、いまだ冷めぬ熱気に包まれている。
「やっぱすげえな……あの人は」
ギャラリー達に混ざっている佐々木は、そう口走る。
「……四天王の肩書は伊達じゃないね」
その見解に、竹中は同調した。
「だけど、スペアパーツ一式持って来た意味無かったなぁ……」
兼山は、口をとがらせながらぼやいていた。
「……ま、ここまで走ったんなら、仕上げた甲斐があったってモンだぜ」
安心した様子で呟いた内藤。
そんな中、一人だけ鋭い目つきでリザルトを見る男が居た。
「……どうした?」
魚住は、そう声をかけた。
「……いえ。
次は……僕の番ですからね」
内田考。“嘆きのプルート”の目には、溢れんばかりの闘志がみなぎっていた。
実は、パソコンが壊れました……。
スマホからサイトに直接書いたんですが、とにかく書きにくい!!
早い所、新しいパソコン買わなきゃなぁ…。