東京の夜は、ネオンがきらびやかだ。
銀座の一等地に店舗を構える、高級イタリアン料理店。ガイドブックには、三ツ星レストランとして紹介されている為、平日でも客足は途切れない。
「……こういうお店は初めてかしら?」
ワイングラスを手に持つ川越清美は、実に優雅で良く似合っている。
「…………ええ。全く馴染みがない物で……」
対に座る内田孝は、委縮している様子だ。ちなみに、飲んでいる物はレモンティーである。
川越は一口白ワインを味わってから、言葉を出した。
「あなたが、次の出番なのよ?
だから景気付けに、こんな美女がご馳走してるんじゃない」
(……それを自分で言いますかね)
内田は、口元まで出てきた言葉を、パスタと共に飲み干した。
「ねぇ……。貴方、次のバトルに勝算は有るの?」
川越の質問に対して、内田の表情は少し強張っていた。
「……どうですかね。ここまでの状況を見てる限り、相手も中々の実力ですし」
イマイチ頼りない返答に、川越は反射的に頭を抱えるしかなかった。
「まったく……。もう、このバトルは終盤戦なのよ?
ゾディアックにも名を連ねた“嘆きのプルート”が、そんな弱気でどうするのよ……」
そうぼやく川越だが、内田の実力はよく分かっている。
「……最善は尽くしますよ」
それが内田の口からでた答えだった。
蔵王山。山形県に位置するこの峠は、東北の走り屋達の聖地であった。
この蔵王山も、街道サーキットに生まれ変わり、多くの走り屋達が詰め掛けるようになった。
元々多くの走り屋達が腕を競いあっていた峠だけに、全国でも屈指のハイレベルな街道サーキットであるのだ。
“アブッソルートエンペラー”の称号を得ている“イエティファング”こと、今泉恭一は街道でも十本の指に入る実力者だ。
その彼が走りを見定めているのは、一台のパールホワイトに染められたJZX100のマークⅡである。
「……アイツはふざけてんのか?」
今泉の言葉は、吐き捨てる様だった。
何せ、マークⅡはどのコーナーも普通に曲がらず、深いアングルのドリフト走行を決めていた。白煙を立ち上らせ、ブラックマークをアスファルトに擦り付ける。
テクニックの裏付けには間違いないのだが、この走りがキングダムトゥエルブの刺客とあれば、別問題の話になる。
キングダムトゥエルブのツアラー使い、“ライオネル”の異名を持つ永友神保は、ピットエリアで、2セット目のタイヤ交換を終わらせていた。
「流石にあんだけケツ振ってりゃ、新品でも三本走ったらボウズだな……」
溝の無くなったタイヤを見て永友は呟いた。
「アンタ……どういうつもりだ?」
今泉はいら立っている様子で、永友に声をかける。
「……どうって。俺なりに蔵王を攻略しようとして、攻めてるんだけど?」
永友は、当然とばかりに答えた。
「あの派手なドリフト走行でか? バカバカしい……」
その答えに、今泉は呆れ果てた。
「そうか? カッコいいだろ?」
永友はニヤリと笑い、自慢げに言い放つ。
「……確かに、その腕前は認める。あれ程見事なドリフトを出来る奴は、蔵王どころか街道全てでもそう居ない。
だが十三鬼将と戦う上で、速さを無視したドリフト走行に何の意味がある?
そんな走りなら、俺が走った方がよっぽど速い」
今泉は、断言した。
「まぁー、そう思うかもしれないけどさぁ。とにかく見ててくれよ。
十三鬼将に一泡吹かすのは、俺に任せとけって」
自信満々に、笑みを見せる永友。
「……フン。好きにしろ」
今泉はそう告げて、ピットエリアから立ち去った。
しかしだ。
(……あの男の異常な余裕はなんだ?
十三鬼将の実力は、ここまでのバトルで理解してる筈だろう……。大物なのか、只のバカなのか……?)
その永友の態度に、奇妙な違和感を覚えているのも事実だった。
バトル当日の夕方。
これまでのバトル同様に、早めの時間帯から蔵王山にも多くのギャラリーが詰め掛けている。しかし、今泉は空を見上げ顔を険しくした。
(……風は湿り気が強いな。恐らく、天候は荒れるだろう)
長年走り込んできただけに、今泉にしてみれば天候を予測する事は、造作も無い事だ。
それ故に、今回のバトルを一層分からなくする要因だ。
その予想は見事に的中し、蔵王山に厚い雲がかかると、空からは大粒の雨が降り始めていた。
パーキングスペースには多くの傘の花が咲き、今宵のバトルの主役達に視線を注いでいる。
向かい合うのは、パールホワイトのJZX100マークⅡツアラーVと、ワインレッドのJZX110のヴェロッサVR25。
どちらも、トヨタを代表するセダンである。そして、多くの走り屋。特にドリフト野郎に愛されるマシンである。
「……いい天気になりましたね」
内田は、空を見上げながら言う。その顔つきには、余裕さえ伺える。
「ホントだな。こういう天気だと……燃えるな」
永友も、自信を漲らせている。
「100系のマークⅡ……。良いクルマに乗ってますね」
「そういうアンタも、ヴェロッサじゃねえか。良い趣味だぜ」
お互い、同種のマシンを駆るもの同士で、シンパシーでも感じ取ったのか。
「……でも、負ける訳には行きませんから、全力で戦わせてもらいます」
穏やかな表情の中に、闘志を見せる内田。
「ああ……。そいつは俺も同じさ。本気で行くぜ」
口元は笑うが、永友の目つきは鋭く研ぎ澄まされた。
同種のマシンだからこそ、負けられないバトルになるのだ。
スタートラインに、二台のセダンが整列。
固唾を飲んで見守るギャラリー達。傘を差しながらそこに混ざっているのは、“ブラッドハウンド”の佐々木だった。
(……まさか、あの永友がキングダムトゥエルブとはね)
佐々木の胸中は、気が気では無かった。
「アンタは……十三鬼将のアリスト使いだろ?」
声を掛けられ、佐々木は振り返る。
「……そうだが、アンタは?」
「この蔵王を仕切らってる、今泉ってモンだ。今日はギャラリーなのか?」
声をかけたのは、蔵王の主だ。
「まぁな。付き添いも兼ねててな」
佐々木は、少しだけ今泉を見て、視線をスタートラインへ戻した。
「アンタは、どっちが勝つと思う?」
今泉の問いに、佐々木は少し頭を掻いた。
「……内田って答えたい所なんだが。
相手が中々厄介な野郎なのさ。あの永友って男は……」
佐々木の口調は、少し硬い物になっていた。
「あのドリフト野郎がか?」
今泉は、首を傾げる。
「ああ……。グリップ派じゃ知らないかもしれねーが、あの永友は……“幻”のD1ドライバーだ」
そう告げると、1JZのエキゾーストノートが、蔵王山に響き渡っていた。
雨の降りしきる中、レッドシグナルが灯った。そして、ブラックアウト。
ハイパワーな1Jを搭載するFR同士だけに、スタートで上手くトラクションをかける事は必須。
上手く頭を押さえたのは、ヴェロッサだ。
(スタートで前に出れましたね……)
このまま逃げるべく、内田は愛機にフルスロットルをくれる。特に、雨等によって視界が悪い時は、先行する方が遥かに有利となる。
そして、追走する永友。
(さーて……追いかけっかな!!)
どっしりと腰を据えて、朧げに見えるヴェロッサのテールランプを睨みつける。
二台のJZX系のマシン。型式こそ違うが、基本コンポーネンツに共通点は多い。
JZX110のマークⅡと、兄弟車であるヴェロッサ。その特徴の強い見た目からは、想像もつかない程チューニングベースとしての素性は高い。
その前モデルとなるJZX100マークⅡも、チューニングベースとして人気を博したマシンである。
この二台は、特にドリフト界での評価は非常に高い事は著名だ。
ハイパワーの1JZを搭載し、重さをカバーできる。その上でホイールベースが長いために、安定感の高さが光る。特に、深いアングルのドリフトを決めた時、限界付近の動きがマイルドでコントロールしやすい事が言われる。
これはJZX90以降のツアラーV系のマシンに言われることで、これこそがドリフト界で代々ベースマシンとして選択されてきた理由だ。
それ故に、二台ともチューニングの方向性はよく似た物になり、パワーも重量もそれ程の大きな差は無い。
ただし、内田のヴェロッサと永友のマークⅡに大きな差異があるとすれば、足回りの仕上げ方にある。
(前半の高速区間で逃げたい所ですが……)
内田がそう思うのも無理はない。
新たにニューマシンとして仕上げたヴェロッサは、これまでのマシンと同様に首都高速をターゲットにしている。つまり、高速域で実力を発揮できるように、足回りは比較的固めに締め上げている。あまり柔らかいサスペンションでは、高い速度域でのロールやピッチングが大きくなり、挙動を乱しやすくなる為だ。
しかしだ。
(このウエットコンディションじゃ、トラクションが……)
ハードなサスペンションは、低ミュー路でのグリップは期待できない。サスセッティングが、思いっきり裏目に出てしまっているのだ。
対して、追いかける永友。
(……首都高仕様のマシンは、雨じゃ辛いようだな)
攻めきれないヴェロッサの挙動を見て、ほくそ笑んでいた。
永友の走りから分かる通り、基本的にドリフトコントロールのし易さを優先したセッティングを施している。
近代のドリフトマシンは、グリップ走行でも通用するレベルのトラクションを必要とする。それに加え、ドリフトの場合は荷重移動を積極的に利用できるように、サスペンションを柔らかめに仕上げて、しなやかな動きを求める方向性にある。
(それに……俺はウエットコンディションが大好物でな!!)
このコンディションに加えて、街道と言うテクニカルなステージ。永友にとっては、絶好の舞台だったのだ。
山頂のパーキングスペースで、今泉は佐々木に改めて聞きただす。
「あの永友って奴は、D1ドライバーって事なのか?」
「ああ……。しかも飛びっきりのな」
一呼吸置いて、佐々木は言葉を続ける。
「あの永友は、たった一度だけ参戦したD1グランプリで3位に入賞してんだ。
だが……それ以来一度も、D1はおろかローカルイベントのドリフトコンテストも出ていない。当然、雑誌の取材にも出なかった。
それ以来、あの男は“幻のD1ドライバー”って謳われてるんだ」
「……そりゃ確かにすごい。だが……それと街道のバトルに、関係あるのか?
まして、速く走る事とドリフトのテクニックと関係あるとは思えないが……」
今泉の疑問は消えない様だが、佐々木はこう答える。
「……D1には追走があるんだよ」
「追走?」
「二台が先行と後追いでドリフトを競うんだよ。それこそ、接近した状態でドリフトで並走するからな。テクニックも大事だが、それ以上に駆け引きも必要だ。
上位に入賞するなら、その追走で勝ち上がらなきゃいけねぇんだが……当然、競う相手は追走に慣れてるドライバーばかりだ。
初参戦して、まぐれで3位まで勝ち上がれるものじゃないぜ……」
佐々木の解説を聞き、今泉は納得が出来たようだ。
「そこまでの実力があるのなら、確かにテクニックは有るようだな」
「……それによ。
その時のD1は……今日と同じくらいに雨が降ってた」
そう呟き、佐々木は空を見上げた。
ヴェロッサって、マニアックなイメージがありますが、中身は110マーク2と同じなんですよねー。
結構好きですが、周囲は理解してくれません(笑)。