人類は衰退してきました。   作:虚弱体質

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壊れた街と、囁く彼ら

「ううん」

 

 突然の覚醒でした。

 はて、いったいわたしは何をしていたんでしたっけ。

 起きしなのふわふわとした頭の中から曖昧な記憶を……、ってなんだかとっても既視感溢れる独白なんですが、良いのでしょうか? いろいろと。

 ともあれ、随分と長い間寝ていたようで、さっそく頭の奥の鈍痛がずくんずくんと自己主張を始めております。気鬱になる前に少しでも頭痛を和らげないと。米神をくにくに指圧するべく腕を持ち上げると、そこにはなんだか見慣れないものがくっついていました。

 識別救急、最優先の赤。

 えーと、「移送に担架が必要な重傷者」でしたっけ? ちょっと違うかもしれませんが、まぁ、茶々を入れてくる親友達も、無駄に張り合う強敵と書いて友人と読む間柄のYも、厳しく採点する教官もいないことですし、問題無いでしょう。

 

 いない。もう誰もいない。

 そうでした、みんな死んでしまったのでした。

 

 昨晩、何日寝ていたかわからないので仮に昨晩としておきましょう、嵐山第二小隊が消滅し、“私”が叩き潰されたあの夜。

 Yが噛み砕かれたあの夜。

 そうですね、あの後の話を少ししましょう。自分を大人だと思い込んでいたお子様の精神を容赦なく打ち砕いた、往々にしてありがちな平凡なる戦場の悲劇が一段落し、わたしの意識が途切れるまでの短い間の。

 それは、一言で言ってしまえば血と肉の記憶でした。

 ご丁寧にも戦車級は、わたしに見せ付けるかのごとく目の前に来てからYを噛み砕いたので、瑞々しい果実のごとく弾けた彼女のもろもろが、びしゃりと頬に張り付いちゃったこととか。

 その後、解体を盛り上げるためにかさかさぱからと集まってきたべーたさんたちが、天から襲った突撃砲弾の一斉射によってこれまた柘榴のように弾け飛び、硫黄臭かったり金属臭かったりする体液その他一式を、これでもかというくらいどばどばと浴びてしまったこととか。

 身体から滴り落ちるべーたさんの体液の中に、元Yらしきものを含めた、人だったものの断片を見つけてしまったこととか。

 突撃砲の至近弾の余波で、肉片と共にゴム鞠のように跳ね飛ばされたこととか。トリアージが赤に分類されたのって明らかにこれのせいじゃないでしょうか、まぁ、過ぎたことなんですけど。

 短いながらも、あれだけの血だったり肉片だったり体液だったりに塗れるという碌でもない経験は、脳裏にこびりついて一生離れないことでしょうね、なんといまいましい。

 

 そんなことを考えていたせいでしょうか、風に当たりたくなってしまいました。風通りの少ないテント内ですから、なかなかに血臭がきついのですよ、ここってば。そう思って声を上げ、

 

「あのぉ、すいませーん」

「後にしてくれ!」

「ごめんなさい」

 

 怒られてしまいました。

 医療関係者のみなさんが修羅場真っ最中なのはわかりますが、重傷者の意識が回復したんですよ、もっと丁重に扱ってしかるべきなのでは? 呻き声と血臭溢れる仮設テント内にあって、ぼんやりと気の抜けた、いえいえ、平和的かつ牧歌的な声色だったのは認めなければいけないところですけど、それにしてもひどい扱いです。

 でもまあ、相手が忙しいというのならこちらにしても好都合、寝台に縛り付けられる前に気軽にお散歩と洒落込むのも悪くありません。思い立ったがなんとやら、恐る恐る体を動かしてみます。ふむ、身体は重いですが痛みは思ったほどではありません、ゆっくり動けば問題無し。

 ですが、さすがに脱走はいただけません、メモの一つも残しておくことにしましょうかね。腕のタグを引き千切り、裏にささっと言伝を書き残します。

 さぁ、作戦開始です!

 

 至極あっさり抜け出すことが出来ました。凄まじいまでの肩すかし感です。わたしってここまで影薄かったでしょうか。そういえば、小型種の対人感知も掻い潜りましたし……。

 

 仮設テントを出ても、気分はあまり晴れませんでした。

 理由は単純、臭いんです。

 大柄なべーたさんたちがどばどばと垂れ流した体液諸々が夏の日差しにじりじり焼かれて、これでもかと異臭を放っているのです。彼らも炭素生物の端くれと聞きますし、腐敗したりもするのでしょう。そんなものにも喰らい付く微生物さんたちを尊敬してしまいそうです。

 不快感に眉根を寄せつつきょろきょろ辺りを見回します。間近に見えるは仮設テントの密集地。その先には栄華を誇った古都のなれの果てが寂寞と広がっています。遠くに立ち上る黒煙は野辺の煙でしょうかね、ただしべーたさんの。

 人間さんは死体袋に入れられてそこかしこに転がされたまま、その上を戦術機がべーたさんの死骸を持って歩き回るというシュールな光景が繰り広げられています。

 べーたさんの死骸というのはなかなか厄介な代物だと、教官は何度か零したことがあります。曰く、臭気を放ち、視界を遮り、射撃を惑わせる。小型種の浸透を易くする要因の一つだとも言っておられました。

 そんな厄介者の処理は優先、英霊含めた遺体は後で。現実はいつも残酷なのです。

 独特な戦場跡の臭気に辟易しながら、破壊された街並みの中をゆっくり歩いていきます。

 どの建物も傷だらけ、弾痕、砲痕、衝突痕、選り取り見取り。たまに一筋の線のように建物が押しのけられているのは、突撃級の侵攻跡でしょうか。

 そんな傷跡露わな街並みに、意外なほど多くの人が行き交っています。

 車両を入れるために重機で道を整備する人、擱座した戦術機を掘り起こすために動き回る人。怪我人を担いで急ぐ人、死体袋を運ぶ人。知り合いの手を取って涙する人、ぼんやりと座り込んだまま動かない人。

 人、人、人。

 ……軍属や宮仕えはわかります、ですが一般市民の割合がちょっと多すぎじゃありません?

 確かに、帝都への艦砲射撃は良手だったのでしょう、状況から察するに東進は中断され、防衛線をかなり押し上げることに成功したようです。

 ですけど、それはあくまで一時的なものです。

 小型種の浸透や地中侵攻、いえ、そんな小細工がなくても押し返されるだろう砂上の楼閣、なのにこれだけの民間人が留まっているということは、もしかして大本営発表でも炸裂しちゃったのでしょうか?

 小粋な冗句のつもりでしたが、顔が引き攣るのを止められません。

 あり得ることなのです。なにせ今回の侵攻で面子を傷つけられたお偉方が多すぎました。それを取り繕うためにあらゆる物事の手順が曲げられ、それでも満足出来ずに更なる横槍が飛び交う。さすがに大本営発表は言い過ぎかもしれませんが、緊急かつ的確な対応が、お役所仕事の曖昧な対応に早変わりしても可笑しくは無い状況なのです。

 考え過ぎでしょうか、考え過ぎだといいですね。

 

 溜息一つ。

 陰々鬱々、思考はより暗い方へと転がり落ちていきます。

 

 いつからでしょう、生者は死者の数を数えるのを止めてしまったのです。

 ですが、それは何故?

 絶望に囚われないように、深淵を覗き見るのを止めたからでしょうか、それとも。

 栄光にしがみつく亡者が、己が威信を糊塗するために隠蔽したからでしょうか。

 

「ねぇ、どこー」

「こちらのかたなどどないで?」

 

 ――この世界は滅びの道を歩んでいるのだ。

 そんなことを仰った方がいるそうです。彼は何を見て滅びを導き出したのでしょう? もし、敵ではなく味方を見てそう悟ったのなら、この世界は本当に滅びへと進んでいるのでしょうね。

 いえ、案外それは痛快なことかもしれません。べーたさんに貪られて、人間さんは清濁併せて腹の中。地球は晴れて彼らのものとなり、そしていつかは、彼らも誰かに押しのけられるのです。これ生滅流転なり、なんて。

 

「にんげんさん、にんげんさん」

 

 あぁ、もうちょっと待ってくださいね、今盛り上がってきたところなので。

 

 あの時圧し折れてしまったわたしの心は、廃都と化した帝都の光景を見ても、至る所にある血糊とそこかしこに転がされている死体袋を見ても。べーたさんに一矢報いるべく奮闘する人々を見ても、熱が灯ることなどまったく無くて。

 故にわたしは、滅びへの肯定を、すんなりと受け入れてしまったのです。

 

 なのでわたしはこう言いましょう。

 

「人類は衰退するでしょう」と。

 

 ふぅ、心に溜まった泥は諦念溢れた負け犬のそれでしたが、纏めて吐き出したのですっきりしました。充実の吐息を一つ。汗など全く出ていませんが、とりあえず額を拭う仕草をしてみました。お約束の動作、というやつですね。

 

 ところで先程から呼びかけていらした方々はいったい何処に? きょろきょろとあたりを見回してみましたが、それらしい人の姿はありません。

 なんでしょう、誰かにからかわれているのでしょうか? それとも京の都に散っていった人々の断末魔の叫びなどを受信してしまった、とか。真昼間から心霊現象はさすがに勘弁していただきたいところなんですけど、御経の一つでも上げればいいんでしょうかね。子供でしたらおびえて逃げ出すでしょうし、一石二鳥の良い作戦かもしれません。ただし、わたしが経文を知っていれば、ですが。

 

「もう、おはなししても?」

「ねぇってばー」

「でばんまだです」

 

 はいはいお待たせいたしました、出番ですよ。なので姿を見せてくださいな。

 きょろきょろと辺りを見回し、転がった瓦礫の裏を覗きこんで、あげくは着ている寝衣の裾をめくってみたり。

 はて。やはり見当たりません。

 

「おためしせいこうかも」

「いぶんかとふれあいのよかん?」

「いだいないっぽでは」

「こえはすれどもすがたはみえず?」

「いじわるしないでー」

 

 不思議な声の言う通り、声はすれども姿は見えず。

 しかも、足元で声が聞こえたかと思ったら、遠くだったり耳元だったり、挙句に頭の奥で聞こえたり。なんというか、幻聴でなければ超常現象、つまりは魑魅魍魎幽霊諸々も範疇になる感じなのですが、もしかして本当に幽霊さんなんでしょうか? 聞いてみてそうだと答えられても嫌ですし、どうしましょう。

 

「でばんまだでしたか?」

「うわーん!!」

「なんと」

「かなしすぎがとまりませぬ?」

「えらいこっちゃー」

 

 あらあら、そうこうしているうちに一人泣き出してしまいましたよ。頭の芯まで響く声でわんわん泣かれるのは弱っている心身的に少々厳しいものがありますので、迅速かつ早急に泣き止んでいただきたいところなんですが、

 

「なんだかぶるーです」

「てんしょんさがりまくり」

「だうーん」

「わてもなきとー」

 

 お仲間の方々は当てになりそうにありません。どうやらわたしがこの場を納めなければいけない流れのようです。

 かといって、姿が見えないのでは頭を撫でたり抱っこしてあやすこともできません、口先だけでこの危機を乗り越えられるかどうか……。むむ、とりあえず当たって砕けろ、南無三!

 

「ほらお嬢さん、泣くのはおよしなさいな。良い女は滅多に泣かないんです、涙は彼氏のために取って置くものなんですよ」

 

 キメ顔で恥ずかしい台詞を言ってみました。これは記憶の底に封印しなければいけない系統の行動ですよ、二級黒歴史確実です。

 じわじわと頬に朱が上ります。あまりの恥ずかしさに耐えかねて次の行動を起こそうとしたその寸前。

 

「ぅう……。ぐっす」

「ころしもんくでいちころだた」

「しとめられます?」

「かれしってなんぞや」

「えるとあまあまらしい」

「なんというとうげんきょう」

 

 なんと、泣き止みました! 台詞は養成学校の誰かからの又聞きだったのですが、いやはや言ってみるものです。

 というか、女の子で合っていたんですね。そうと分かれば、どんな年ごろの女性も即座に食いつくという伝家の宝刀が一振り、恋愛トークで心をがっちり掴んであげましょう! そう意気込んで頭の中の引き出しを開けて――

 即座に閉めました。

 まさか何も入っていないとは。驚愕の事実です。

 たまに前線勤務の彼氏からもらった手紙を読み返しては赤くなっていたI、それを弄りつつも甘々な空気を堪能していたA、二人のやり取りを微笑ましそうに見守り、かつ余裕をもって接していたS。

 そしてわたしは戦術機のことで頭がいっぱいで、桃色のキャッキャウフフのほとんどを聞き流していたのでした。なんという灰色の学生生活、まるで教官の暑苦しさが伝染してしまったかのようではありませんか。

 あぁ、ちなみにYもわたしと同類項でしょう、強敵と書いて友人、団栗の背丈を比べるのが生き甲斐みたいになってましたもんね、わたし達。それだけが心の救いです。

 

 驚きのあまり微妙な体勢でピシリと硬直したわたしを尻目に、彼らはなにやらこしょこしょと話し合っているようでした。

 そして、わたしの現実逃避が、「このー」「まけるかー」という言葉だけで形容できてしまう実機訓練を経て、夕日を眺めながら肩を組んで友情を確かめるYとわたしという、なんともしょっぱい場面まで行き着いたころに、再び声をかけてきたのです。

 

「にんげんさん、よろしいです?」

「おてをだしてほしいかも」

「いぬやんけそれ」

 

 お手? 突っ込みが入っているというなら、お手の動作じゃなくてただ手を差し出せばよいのでしょうか。はい、どうぞ。

 

『おー』

 

 感心されてしまいました。

 そんなに感心されるとむず痒いというか、照れてしまいます。えへへ。ではなくて。

 なんですかね、彼らなりの接触方法でもあるのでしょうか。ふと気が付けば、感心したりひそひそ話をする声は消えて、まるでなにかを待っているかような静寂に包まれていました。

 そして。

 ふわりと、指の先に暖かいものが宿ったのです。目には見えませんでしたが、それは指先からふらふらと揺れて、やがて手のひらにぽすんと居着いたのでした。

 もしかして幽霊さんが乗っかった、とか? 唐突の気付きにぎょっと身を強張らせます。幽霊に触れると冷たく感じるのだと、怪談好きのどなたかから聞いた記憶がありますが、わたしの手が感じたのはぽわぽわとした、温かくも儚い何かのようです。例えるなら小動物的な、何か。

 

「てーとじてーな」

 

 おや、握って良いのですか。

 手のひらの温かみを包むように手を閉じると、なんだかころりとした硬いものを握った感触がありました。おぉ、幽霊さんとの物理的接触を果たした人類が、いまここに。

 恐る恐る握ったものを確かめてみると、赤みがかった桃色がなんとも美しい、水晶でしょうか、真珠ほどの大きさの宝石が一つ。

 

「それ、さしあげます」

「ずずいとおさしあげー」

「はだみはなさないのがきち?」

「おまもるです」

 

「まぁ。これはこれはご丁寧に、ありがとうございます」

 

 残念、幽霊さんではありませんでした。

 先ほどの子を宥めた御礼ということでしょうか、それにしては若干豪勢な気もいたしますが、まぁ、幽霊さんと分かり合った記念ということでいただいておきましょう。

 丁寧に御礼を言った後、もう一度宝石を眺めます。陽の光に照らされる宝石は、星のような光を内包してきらきらと輝いています。わたしも乙女の端くれ、光物はそれなりに好物なんですよ。

 でも、肌身離さずはちょっと無理かも知れません、すぐ失くしてしまいそうです。そう思いつつ宝石を持ち上げると、しゃらりと細い鎖がくっついてきました。

 なるほど、首飾りでしたか。

 というか、こちらの心を読んだようなタイミングで鎖が生えてきた気がしないでもないですが、もしかしてわたし、化かされちゃってます? 幽霊さんではなく狐さんだったり。

 

 ですが、その問いかけをするよりも早く、

 

「そろそろおいとまです」

「おとどけできました?」

「でばんまだでした」

 

 彼らのほうからお別れを告げられました。用事は済んだので、ということでしょうか。なんというか、非常に自由な方々のようです。

 見事なまでに出鼻を挫かれたわたしは、そのまま雰囲気に流されてもごもごと別れを口にして――

 

「たかむらさん!」

 

 びくーん! びっくりしました。

 いきなりの大喝に振り返ると、そこには鬼の形相をした看護師さんが、目を爛々と光らせながら仁王立ちしておられました。お散歩時間終了のお知らせです。

 彼女はわたしを舐め回すように上へ下へと凝視した後、ふっと相好を崩してこう仰いました。

 

「紛らわしいメモ置いていかないでくださいね」

「……はい」

 

 教官を彷彿とさせる、稲妻のような青筋を額に浮かべながら。

 殺気立った現場に一服の清涼剤を。無理に捻りだしたユーモアは黒すぎて、ただただ彼らの神経を逆なでしただけのようでした。

「さがさないでください」、ちょっとばかし不謹慎過ぎましたね。

 

 看護師怒りの簡易診察が炸裂する中、わたしはぼんやりと彼らのことを考えていました。

 先ほどの不思議な声達、わたしは始終振り回されてばかりでしたが、彼らとのやりとりはなにかしっくりくるというか馴染むというか、とても居心地が良いものだったのです。

 わたしは未だ壊れたまま、ですが心に溜まった毒は流され、心はほんわり温まりました。

 ふむ、もうすこしだけがんばりましょうかね。

 

 ちくちくと小言を頂戴しながら、看護師さんの肩を借りてゆっくりとテントに戻ります。途中、名残惜しくなって振り返ろうとしたのですが。

 やっぱりやめました。

 

「またいずれー」

「きせつうつろい、であうかんじ?」

 

 楽しみは先にとっておいたほうが良いでしょうから。気長に待つことにいたしましょう。




2013.11.09 若干の修正

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