人類は衰退してきました。   作:虚弱体質

4 / 6
てぃーゆー、はじまります

 101教育大隊はどのようにして成立したのか、そのことについてお話しましょうか。

 斯衛軍は昨年の本土侵攻に前後して、早急な戦力拡充を目的として衛士養成学校の教育課程を短縮し、訓練生の任官繰り上げを実施した、というのは皆さんご存知のことかと思います。

 わたしは夏季任官、そして横浜にハイヴが確認されるより前、第一帝都で激しい防衛戦が繰り広げられていた頃に冬季任官が実施されて、伸びしろの多い若人は実戦を経ることによって精強さを増し、戦力はより充実するだろう、そのように期待されていました。

 さて、実際わたし達の戦績というのはどのようなものだったのか。

 夏季任官十名中、死亡九名。

 冬季任官十五名中、死亡十一名、衛士復帰不可の重傷、二名。

 損耗九割弱。目を覆いたくなる惨憺たる結果でした。

 そして、精鋭揃いと謳われる斯衛軍が練度を数字として示したことによって、事態はますます拗れてしまいます。本土侵攻から今までの斯衛軍衛士の死者数、その約三割を繰り上げ任官の新人が占めてしまったのです。

 衛士というものは極めて過酷な兵種です。死の八分などという言葉が示す通り、初陣における死亡率は極めて高く、その後も作戦を通しての損耗率が三割であれば御の字なんて言われてしまうような、死と隣り合わせの職業。

 ですが、斯衛軍にあってそれは許されていないのです。

 曰く、将軍家と帝都を守護する不屈の精兵として、そして日本帝国を象徴する最精鋭として、最後まで戦場に立ち軍属の心の支えであり続ける使命がある、とかなんとか。

 まあ、ぶっちゃけてしまえば金食い虫である城内省の威信と、武家社会を形作るお偉方の面子を保つために、ということなんですけど。

 そういう視点から見ると、わたし達は汚点とも言うべき記録を叩き出してしまったのです。上層部はさぞかし頭を抱えたことでしょうね、きっと。

 わたし達、1998年任官衛士。いわゆる“98卒”は死の八分を乗り越えた人数こそ多かったものの、初陣を無事に越えたのが夏冬併せてたったの六名。出撃三回になるとそれが半数になり、五回以上出撃をこなしたのが、わずかに一名のみ。

 もっとも、その一名は何故だかしぶとく生き残り、なんだかんだで大陸帰りも真っ青なほどの出動数を記録するに至るわけなんですけど、それはまあ、追々話すことにして。

 要するに、未熟な戦力を無理矢理抽出した挙句、むざむざ磨り潰してしまったに等しいのです。夏季は、まあ、運が悪かったと強弁することも出来るでしょう。しかし、それを踏まえての冬季ですら、一般的な衛士と同等かそれ以下の生存率だったのです。

 一度ならば偶然、二度ならば必然。もし三度目があったとしたら、それは故意を疑われようとも仕方がありません。それを防ぐため、城内省は多大な熱意をもって究明に励みました。

 ここで着目されたのが、斯衛軍という特殊な環境でした。

 斯衛というのは主に武家と、各所より引き抜かれた熟練兵によって構成される独立した組織です。

 そして、その武家は封建社会の名残を未だ色濃く残していたりします。誰某という殿様とその家臣団、倒幕派大名何某の流れを汲む一派、次代将軍を狙うとある摂家とそれを支持する集団等々。新旧大小様々な派閥が寄り集まる云わば武家社会の縮図。斯衛軍はそのような側面も持ち合わせているわけです。

 それは元枢府采配の下、城内省によって摩擦が起こらないように緻密に管理されていましたが、それがある弊害を生み出してしまうのです。

 人員の異動や即時配置といった行動が極めて難しいのです。パズルの如く精密に配置されたそれは、迂闊に入れ替えたりしようものならどのようなとばっちりが飛んでくるのかわからないほど、複雑怪奇の様相を呈していました。

 普段は別にそれでも良かったのでしょう。城内省も慣れたもの、根回しなどに多少時間はかかるでしょうが、確実に調整してきた実績がありますから。

 けれども、降って湧いた繰り上げ任官に対応できるほど柔軟ではありませんでした。彼らは短い時間で苦慮した結果、一旦新人を一纏めにして配置、あわよくば実戦を経験させて、その間に根回しを行い振り分け先を探すことにしたのだそうです。

 もうお分かりでしょう、嵐山守備中隊のことです。その末路がどうなったのかは、今更語ることではないのでばっさり省略。気分も沈みますし。

 時間は進んで冬季任官。

 城内省はさすがに夏季任官の轍を踏む気は無かったようで、事前にしっかりと根回しを行い、派閥力学的な均等をもって新人達は各連隊へと振り分けられました。その頃になるとぽつぽつと死傷や後送で空きが目立っていた隊もあり、穴埋めの形で配属されたそうです。

 この時期斯衛軍が任されていたのは、各地の防衛線の中でもべーた本隊に近い、非常に圧力の高い一角でした。それでも彼らは阿吽の呼吸で連携を保ち、べーたさんを退けていたわけですけど。

 名を呼ぶだけで的確に行われる援護、べーたさんの頭を掠めるかのように低く鋭く跳び、僅かな隙間を縫うように突き進む。そして、長い修練に裏打ちされた鬼神の如き近接戦闘。

 精鋭の名に恥じない極めて高い技量、しかも実戦を経て更に研ぎ澄まされたそれは、しかしながら繰り上げ任官の新人達にとって毒でしかなかったのです。指揮官は気付いていたでしょうが、それでもべーたさんの圧力を前に手を抜くことなど出来ず、結果、彼女達はぽとりぽとりと命を散らせたのです。

 この二度の失敗を教訓に導き出されたのが教育隊の設立でした。

 城内省及び斯衛軍上層部は訓練と実戦の齟齬が原因であると判断し、それを解消する為、教育隊という如何にもな名前で練成期間を捻り出し、その間に古参衛士に教練を任せて経験を伝播させようと考えたのです。

 数年前に実戦経験の取り込みを目的として招聘された大陸派遣軍帰りの熟練衛士を助教役に、新人と同数の実戦経験者を混ぜた教練の為の部隊。

 調布基地所属、斯衛軍第101戦術機甲教育隊。通称101教育大隊はこうして誕生したのです。

 

「――わかりました? 犬さん」

 

 あ~ふ。大欠伸で返されてしまいました。うふふ、所詮は犬、わかるはずがありませんか。

 

「grrr!」

 

 ひぃ、ごめんなさい、お犬様! 貴方はとても賢くていらっしゃいますから、小難しい話もきっと理解されたことでしょう。おお、なんと素晴らしきかな。

 そうやって無理矢理褒め上げてみれば、呆れたようにふんすと鼻息をひとつ。まるで本当に話を理解しているかの如く。まったく、可愛げのない態度だこと。

 さて、なぜわたしが深夜、犬相手に愚痴を零さねばいけなくなったのか。話は幾日か前に遡ります。

 

――――

 

 眠い。

 起床はいつも憂鬱です。何時も砲声轟く多摩川付近で、安眠を貪れる方というのはそう多くありません。防音ばっちりな寝室をお持ちの上級士官様か、はたまた神経が鋼でできている戦場育ちのゴリラ達か。そのどちらでもない人間さんなわたしにとって、起床ラッパは忌むべき敵なのです。

 睡魔に抗いながらのろのろ起き上がろうかとした、その時。奇跡は訪れました。付近で喧しく響いていた砲音がぱったりと途絶えたのです。もし掃討が終わったのなら、べーたさんを再び誘引してくるまで一時間ほどは静かなはず。もしかしてこれは普段の行いがもたらした、神の恵みなのでは?

 起床ラッパが鳴ったことなどすっかり忘れて、欲望の赴くままに微睡の中へと――

 ごんごん。

 

「うぉーい、副長。起きれー」

 

 ごんごん。がごんがごん。

 ……あぁ、いまいましいゴリラです! 人の部屋の扉をドラミングするのは止めてくださいよ、起きます、今起きますから。

 寝ぼけ眼をこすりつつ扉を開けると、目の前にはいたずらっぽい笑顔が特徴的な、小柄な青年が立っていました。

 ちび先輩。わたしが心の中でそう呼んでいる、第二中隊の小隊長です。

 

「そのほうき頭を見ると、また眠れなかったみてーだな、ったく」

「ちび先輩はいつでも安眠できるようで。羨ましい限りです」

 

 心の中だけではなく、たまに口にも出します。ですが先輩はにししと笑って流しました。この程度のやり取りが許されるくらいには、わたし達の付き合いは長いのです。

 京都の後の再配属先。大隊長、当時は小隊長でしたが紛らわしいのでそう呼びます、ちび先輩、武家出の先輩が二人いて、そしてわたし。その小隊で下がり続ける防衛戦線を戦い抜いてきたのです、そりゃ親しくもなろうというもので。

 過去に意識を飛ばそうとしたわたしを、先輩の声が引き戻しました。

 

「なんか朝一で会議っぽいのするらしいぜ。頭回すために腹に物入れとけって、おやっさんがなー」

 

 朝も早よから会議だなんて。

 今のわたしはさぞかしやる気の無い顔をしていることでしょう。ああ、さらば平穏の一時間。がっくり。

 

「……はぁ、わかりました。先輩は先に行っててくださいな」

「あん、お前は?」

「女性には身支度というものがあるんですよ」

 

 それにまだ寝間着なんです。

 

「ふーん、まあいいや。んじゃ、伝えたかんな。二度寝すんなよ」

 

 釘を刺されてしまった……。神はいない、そういうことです。

 

 

「おう、来たな」

 

 手早く支度を済ませて執務室に入ると、そのような声に出迎えられました。

 ちらりと室内をうかがえば、大隊長と、中隊長、ちび先輩に、第一中隊小隊長。既に先輩方四名は揃っている様子。これにわたしと、後は冬季任官組の二人が来れば、101教育大隊の幹部が揃い踏みとなるわけです。

 

「ん、始めるか。副長、こっちに来い」

 

 おや、冬季の二人は抜きですか。

 招かれるままに進んでは見たものの、先輩方は四人そろって神妙な顔。とりわけ、丁寧に剃り上げた禿頭に睨み付けるかのような鋭い眼光、そんな面相の大隊長が真面目な顔をなさいますと、非常に威圧感溢れるとでも申しますか。正直、怖すぎ。

 なんでしょう。このような圧迫を受けたりする覚えなんかは、なんかは……。

 咄嗟に思い出すのは、青筋を浮かべた教官の笑顔。いえいえ、まだ青筋は浮かんでいませんし、お叱りってわけじゃあ無いでしょう。大丈夫なはず。ですよね?

 否応にも高まる緊張の中、大隊長が厳かに口を開きます。

 

「篁少尉! 本日付で貴官は中尉へと命じられる。これからも斯衛の一口として粉骨砕身、一命を賭して尽力せよ、いいな!」

 

 予想外でした。

 わたしの記憶が確かであれば、中尉への昇進というのは大抵二年は必要だったかと。しかもわたしってば正規教育を繰り上げてるんですよ? それをたったの一年で昇進だなんて。

 厄介事の気配に嫌な汗が止まりません。つい耐え切れず口を挟もうとして――

 

「返事ぃ!!」

「謹んで拝命いたします!」

 

 軍隊方式に全て吹き飛ばされてしまいました。ああ、背筋を伸ばし、びしりと敬礼してしまった自分が恨めしい。

 しかつめらしい顔をしていた大隊長は、わたしが反射的に返事をしてしまったのを見てにやりと笑います。見れば他の方々も笑みを浮かべて、思惑通り、悪そうなお顔がずらりと。

 とりあえず説明を要求します! そう思って声を絞り出したのですが。

 

「……なぜに?」

 

 片言でした。どこからどう見ても一杯々々、精神的余裕は遠い彼方へおさらばのよう。

 そんな様子を哀れに思ったのか、先輩たちは苦笑い。大隊長は椅子に深くもたれかかり、顎を摩りながらこう仰いました。

 

「少し込み入った話になる。座って、あーいや、先に茶でも入れてくれ」

 

 はぁ、長くなりそう。

 

 

「まずは、中央評価試験隊、知ってるだろう? あそこが98卒を一人欲しいと言っていてな。JIVESの件で借りがある、断れん」

 

 もちろん知っています。白い牙中隊、目指していた目標の一つだったのですから。父とおじ様を追いかけていた“私”の、夢の第一歩。

 過去形です。今となっては同じ基地所属程度の認識しかありません。それはそれで少し寂しいことですけど。

 大隊長もそういった事情は認識しているはずなのですが、これは多分確認だったのでしょう。わたしに未練が無いと悟ると、こう言葉を続けました。

 

「高遠か辻平。どちらかは未だ決めておらん」

 

 おや、即断の大隊長にしては珍しいことで。なんだか不穏な気配がじわじわと。

 

「加えてだ。教育大隊は今夏中に再編されるだろう。隊の正式名称は変わらんが、規模は一個中隊ほどとなるはずだ」

「んま!」

 

 思わず声が漏れてしまいます。何故教育隊が出来たのか、それを知っているなら到底納得できないだろう話なんです。第一、稼働してからひと月も経っていません、あまりにも早すぎます。

 視線を移せば先輩方は渋面ばかり。何か理由がありそうです。

 

「唐突に思えるだろうが、まあ聞け。最近噂になっている、例の大規模反攻作戦。あいつが八月の頭に決まったそうでな。俺ら古参は招集されて連隊に再配属されるそうだ」

 

 今は大体二個中隊強の規模ですから、先輩方が抜けるとちょうど中隊一個に収まります。そういう数字上の話は理解できるんですけど、実際のところ先輩方抜きで戦線のどこかに割り当てられるとなると、結構厳しいことになるのでは。

 そういった疑問をぶつけてみたところ、

 

「そこらへんは心配いらん。101は二線扱いにするとのお達しだ」

 

 お達しということは、上の意向が働いているのでしょうか? まあ、流石に出来たばかりの教育隊をすり潰したくはありませんか。

 

「今回は大東亜連合と、それに国連軍も戦力を出すそうだ。極東はおろか、世界有数の作戦規模となるはずだ、というのが上の触れ込みでな。まあ、話半分であってもそうそう出番とはならないはずだが……」

「なに、ひよっこ共は後方でお留守番だ、悪い話じゃない」

 

 重くなってきた場の空気を中隊長がかき混ぜます。しかし、渋面は晴れません。

 

「うむ。だが一応、後方とはいえ京都撤退戦程度は想定しておかんとなあ」

「それじゃ結局修羅場っすよ、おやっさん」

「あら、それでも煉獄よりはましでしょう?」

 

 小隊長が綺麗な声で怖いことをさらり。ですが、斯衛の精兵をしてそう言わしめる作戦となると。

 

「ハイヴ突入、ですか」

「ああ。結局、無茶な間引きでもハイヴ拡大は抑えられん。想定よりも状況は悪い、俺らが急遽招集されるくらいにな」

「昼夜ぶっ続けでバカスカ撃っても、半年でフェイズ2だかんなー」

「間引きを適度にして物資の集積を優先するべきだった、なんて今更言う奴もいるらしい。阿呆か、先に言え、先に」

 

 中隊長も眠れない組。荒れています。

 

「ともあれ、98卒と新人だけで中隊を組まねばならん、ということだ。作戦がどう転がろうと戦力不足はどこも変わらん、俺達の復帰は無いだろう」

 

 あぁ、ようやく理解できました。これは厄介事そのものです。

 

「だが、お前らは少尉ばかりだからな。それで昇進というわけだ」

 

 あーあー、聞きたくなーい。

 

「お前が中隊長だ、篁中尉。お前は戦場経験だけなら一端の斯衛衛士より上、腕もそこそこ良い方だ。何より俺らがみっちり仕込んであるからな、隊の方針も理解しているだろう。こいつらも同意見だ」

 

 信頼が、重い。

 

「ほらほら、しゃきっとしろよ、ほうき頭ちゃん」

 

 わたしが怯んだのを感じたのか、ちび先輩が発破をかけてきます。

 あまりのことに停止しかけていた思考は、ほうき頭という言葉に反発して再び動き出しました。この人は本当こういった気遣いが上手です、本人には言いませんけど。

 しかし、中隊長ですか。ぬるま湯では無い、戦場で行うようなスパルタ式の訓練を施して、わたしが指揮をして実戦を経験させる。大隊長や先輩方がわたしを導いてくれたように、出来るのでしょうか、こんなわたしに。

 ……とりあえずそこは考えないでおきましょうか、袋小路に入り込みそうですから。

 しばし黙考。そして口を開きます。

 

「とりあえず、問題点が」

「ん、言ってみろ」

「わたし、中級指揮課程を修了していないんですけど」

 

 空気が凍りました。

 大隊、もしくは独立隊を預かるときには、中級指揮課程の修了が必須とされています。もちろん今は火急の時ですから、そんな決まりは有名無実と化して久しいわけですが、それでも由緒正しき斯衛軍の、しかも教育隊。蔑ろには出来ませんよね。

 旧来の正規教育課程には含まれていたはずなので、先輩方は簡易講習を受ける程度で済んだのでしょうけど。

 

「……繰り上げか。くそ、見落としていたな。確かに戦術機を動かすだけの新米に戦術単位の指揮はいらんだろうが、ううむ、そこを削ったのか」

「いえ、削ったというか勝手に削られたというか」

「しかし、何度か指揮を任せたこともあったが、全く気が付かなかったな」

「えぇ。視野が広いか、もしくは向いているのでしょうね」

「ほうき頭は覚えはいいんだよ。やる気はねぇけどさ」

 

 もう! 何度もほうき頭言わないでくださいよ。これでも気にしているんですから。

 足りない乙女力を補う為に伸ばした髪は、日々の睡眠不足に負けて手入れを怠った結果四方八方散らかり放題。Yのような流れる黒髪を目指しているのですが、道のりは険しいみたい。

 

「基礎は出来ているんだろう。概論程度は講義されたのか?」

「小隊指揮のついでに少しだけ。後は教本を読み込んだ程度です。

 ……友人と競い合ったりしておりまして、それで」

「ははは、青春だな」

 

 恥ずかしい。Yのことを思い出していたせいで、言わなくていいことまで洩らしてしまいました。向けられていた視線が瞬時に生暖かくなります。ああ、根掘り葉掘りな予感がひしひしと。

 

「ふむ、とりあえず城内省に問い合わせるか。あちらさんもお前が隊長に就任する方向で決定している、なにか知恵を出してくれるだろう。山吹の家格で、その上派閥的に無色に近いからな、ちょうど良いらしい」

 

 いきなり生臭い話を聞いてしまった。

 

「こんなところか。あぁ、試験隊の件だがな、どちらを送るかはお前が決めろ」

「私達の方ではどうも意見が割れてしまうんだ」

「二人とも一長一短なのよねえ」

 

 うんうん頷く先輩方。

 

「残った方はお前の補佐だと考えればいい、近日中に決めておけ。以上だ」

「了解です」

 

 ぴしりと敬礼してくるりと回れ右。きびきび歩いてするりと退出、戦略的撤退、成功――

 

「まぁ、待ちなって。そんなに急ぐこたぁねえだろうさ」

「訓練組が合流するまでまだ時間がある。あれだな、親睦を深めるために少しお話でもしようじゃあないか」

「うむ。良い提案だ」

「副長の青くて切ない青春の一ページについて、ね」

 

 逃げられませんでした。

 兵士というのは常に娯楽に飢えているもの、目の前にぶら下がった餌をみすみす逃すはずが無かったのです。嗚呼、哀れ仔羊は部屋へと連れ戻されて。

 後は各々の想像にお任せすることにいたしましょう。

 

 

 調布基地には一匹の犬がいます。

 基地に堂々出入りして、しかし誰も咎めない。いつもどこかで見かけるのに、誰かと戯れるところを見たことが無い。そんな犬です。

 わたしは、彼に多少好かれているようです。もっとも、近寄ってくるのは一人の時だけ。しかもそっと歩み寄って来て、ぷいと離れる、その程度。

 ……なんでしょう、おひとりさまにやさしい性質だったりするんでしょうか? あーいえ、決しておひとりさまを拗らせているってわけではないんですよ、念のため。名誉のため。

 さて、悪夢の尋問部屋と化した執務室から這う這うの体で抜け出したわたしは、精根尽き果てて幽鬼の如く廊下を彷徨っておりました。

 あまりに疲れていたせいでしょうか。視界は波打ちぐらぐらと揺れて、思考は霞んで朦朧と定まらず、ふわふわと、何か益体もないことを考えていたような。

 わたしは、なにかを掛け違ってしまったのではないか。

 そんな感じのことです。ただ天啓のように閃いて、“なにか”が何なのかすらも分からずに、思考はからから空回り。そのうち世界までもがぐるぐる回り、現実的感覚というものが端からぼろぼろ崩れ落ちて、まるで世界に一人取り残されたかのような心細さに、縋るものを求めて辺りを見回すと。

 犬が、目の前にいたのです。

 彼はやる気というものが欠片も感じられない無機質な瞳で、じとりとわたしを睥睨して。

 

「bow!」

 

 世界が、色付きました。

 はっとなって時計を見れば、集合時間はもう間近。先に部屋を出たにも関わらず集合時間に遅れようものなら、どんな罰を下されるか分かったものではありません。具体的に言うなら、仕入れたばかりの汗臭い青春の御開帳、とか。

 不吉な予感に背筋を振るわせ、慌ただしく廊下を駆けようとして。おっと、忘れていました。

 

「時間を教えてくださってありがとうございます。犬さん」

 

 ぱたり。尻尾一振り、さながら無気力を体現したかのような彼にしては大盤振る舞いです。自然と顔に笑みが浮かびました。犬さんと少し仲良くなった、ささやかな幸福感。

 いけない、遅刻!

 そしてわたしは日常へと舞い戻り、その記憶は押し流されていくのです。

 

 

 後日、城内省から返事が届きました。格式張った言い回しで長々と綴られた書状をざっくり要約いたしますに、集中講習を受けろ、以上。

 流石は城内省。現場の雑事など微塵も考えない、なんとも杓子定規なお役所的回答です。

 既にわたし達は、激しさを増した訓練と、編成の変更に伴う連携の摺り合わせで大忙し。加えてわたしらは、隊運営に関わるあれこれの引継ぎやらに、先輩方が主催する“How to レッスン~鬼教官のすべて~”などと題した怪しげな講義まで受けているというのに。

 更に、指揮課程講習を受けろと。

 助けを求めて大隊長を見やると、彼は重々しく頷いて一言。

 

「やれ」

 

 逃げ場はどこにもありませんでした。

 こうしてわたしは睡眠時間を削りに削って、深夜まで資料や教本に埋もれて過ごすこととなり。

 たまにふらりと部屋に紛れ込む犬さんを相手に、眠気覚ましの独り言を披露したりしながら、積み上がる課題を切り崩すために奮闘する日々が始まったのです。ええ、最初の場面、あれはそういうことなんですよ。

 

 時は誰しもに平等に降り積もり、ですが、それを効率的に活用できるかは人それぞれです。

 この時期のわたしは、その点優秀だったと称賛されてしかるべきでしょう。

 僅か半月余りで中級指揮課程を修了し、並べて隊運営のノウハウを覚え、加えて短期間で教官としての自覚を芽生えさせ、更には隊の掌握にまで着手する。これほどの“デキる女”というのはなかなかいないはずです。

 まぁ、はりぼてなんですけど。

 真面目にやったのは講師が来ていた指揮課程講習くらい、他は要点を押さえてほどほどに。その要点を的確に押さえて、急造ながらも中隊長として及第点を出せるまでに育て上げる、先輩方の手腕は凄まじいの一言に尽きます。

 やられる方からしてみればたまったもんじゃありませんでしたが、それでも新兵教育における古参兵の重要性というものを改めて認識した次第でありまして。ああ、誰か残っていただけないでしょうかね、ほんと。

 そんなことをしているうちに七月も半ばを過ぎ、101教育大隊が101教育中隊として再出発する日がやってきました。

 折しも、数日前に“本州奪還作戦及び横浜ハイヴ殲滅作戦”、すなわち“明星作戦”の詳細が各軍へ示されたばかり。どこもかしこも慌ただしくて、別れを惜しむ暇すら捻り出せそうにありません。

 結局、少々の言葉のやり取りと、向かい合っての敬礼を挨拶に代えて、彼らはさばさばと任務地へと向かったのです。

 

 八月に入り、作戦はいよいよ動き出します。さりとて作戦が実行されようとも、わたし達は相も変わらずの日々でして。

 恐らくは大隊長たちも後押ししたであろう、二線級配備。一応、調布近隣の哨戒と後方に位置している砲兵師団の護衛を命じられはしましたが、多摩川よりも前に防衛線を押し上げているのです、大方出番はないでしょう。戦術機に乗ってひたすら待機するだけの簡単なお仕事、そのはずでした。

 べーたさんとの戦いにおいて、楽観というのは否定されるために存在しているのかもしれません。作戦も折り返しを過ぎただろうといった頃合いに、突如けたたましくスクランブルが発令され、気が付けばハイヴ殲滅戦に関わる攻防の渦中へと引き摺り込まれていたのです。

 それからはとにかく必死でした。大隊長達と共に下がり続ける戦線を生き抜いた、その経験を駆使してべーた群を撹乱することに専念、その合間を見計らって各所に砲撃支援要請を乱れ打ちます。

 それらの判断は正しかったのかどうか。ともあれわたし達はただひたすらに、血みどろになって身を削りながらも死線を踊り続けて。

 そして、その時を迎えたのです。

 八月五日。良く晴れた夏空に、射干玉の闇を塗り固めたかのような巨大な球形が二つ、横浜ハイヴ直上に現れ出でます。それは有効半径内の全てを根こそぎ壊滅させ、効果範囲外周の多くをぞぶりと吸い込んで、そして何事もなかったかのように消えていきました。

 五次元効果爆弾、通称G弾。

 この攻撃でハイヴの地表構造物を消し飛ばされ大打撃を受けたであろうべーたさんは、ハイヴ再建を諦めたのかわき目も振らずに離散、撤退。

 こうして横浜ハイヴ殲滅作戦は、ほとんどが予想し得なかった方法で終止符が打たれ、誰もが願ってやまない成果を勝ち取ることに成功したというわけです。

 その後、帝国は背を向けるべーた群を掃討するのに躍起になります。彼らは何かを振り払うかのようにひたすらその作業に没頭し、べーたへの追撃という戦史初の狂騒が繰り広げられていくのです。

 

 自室へと戻ったわたしは、ぼんやりと天井を見つめていました。

 死亡二名。同期や先輩ではない、後輩の部下。そしてたった数週間ではあっても教官役を務めた教え子でもありました。突きつけられたその事実に心の中は暗く沈んで、しかし、涙は一向に出てきません。

 まったく、先輩方はとんでもないものを押し付けてくれたものです。

 こんなに。こんなに心が痛むなら、手を抜くことなんて出来ないじゃないですか。

 

 ――辛いかもしれんが、お前が導け。命令だ。

 

 別れ際の大隊長の台詞。いつかはこうなるだろうと予期していたのでしょう。彼もそうだったのでしょうか。誰かを死なせて初めてこの重責に気付いたのでしょうか。

 思考はぐちゃぐちゃ入り乱れて、とても眠れそうにはありません。ですけど、いつの間にか手にしていたネックレスの心地よい温かみに誘われて、気付かないうちに眠りの縁へとふわりふわり。

 ぼんやりと霞む意識の中、誰かの声を聞いたような。

 

 ――ふん、焦るこたぁねえさ。精々がんばんな、ほうき頭ちゃん。

 

 ああ、本当、気遣いが――

 

 後日、問い合わせて知ったことですが。

 大隊長達は、未だ帰投していないそうです。今もどこかで任務を果たしているのでしょう、数多の英霊と共に。




2013.11.27 前話に沿う形での修正 文章の補強

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。