ヨークシンのビル群を眼下に見ながら一隻の飛行船が雨の夜空に浮かんでいた。
通路に佇む二人の人間。マシロとパクノダは窓からヨークシンの街並みを眺めていた。
「時間が来るまで部屋で待機しますか?」
「……結構よ」
気を使ったつもりだったが、一瞥もされず、取り付く島も無い様子にマシロは肩を竦める。
パクノダは後ろ手に手錠をかけられていた。念を使える者にとっては脆弱な拘束と言えたが、クラピカによって念と言動の両方を縛られており、通常取るに足らない拘束も甘んじて受けなければならない状態だった。
リンゴーン空港がある方向に視線を向ける。
スクワラを病院へ連れていく車中でセンリツからの電話を受けたマシロは、スクワラを病院で降ろしクラピカ達と合流した。そこでクラピカ達が現在陥っている状況と事情を説明され協力を請われたが、まずマシロが考えたのは現在受けている仕事のことだった。
果たしてネオン=ノストラードの安全に利するか。ボディーガードの任を受けている身でそれを忽せにすることは許されない。
クラピカから、依頼という形で報酬も支払うと言われたがそれは押し留めた。契約期間中に別の仕事を受けることは、マシロの職業倫理から外れることだからだ。
結果的には、マシロはクラピカに協力することにした。敵が幻影旅団ならば、その勢力を削いでおくこともネオン=ノストラードの安全に繋がると判断したためだ。一度ネオン=ノストラードは幻影旅団に狙われており、昨夜の旅団の半壊が嘘ならば今一度狙われてもおかしくない。今受けている護衛任務の延長という形でマシロはクラピカへの協力を了承した。
本来は、護衛対象に危急の事態が迫っているわけではない現状、攻めの護衛方法を取る時間ではないが、仕事仲間の誼でマシロは妥協することにした。
なにより、マシロにはクラピカの復讐に身を焦がす激情がよく理解出来た。
一般論として復讐からは何も生まれないというというが、その身から溢れ出る洪水のような感情の行き場は必要で、言ってみれば復讐は当事者が前を向いて歩けるようになるための儀式なのだ。復讐は死者のためではなく生きている者のために必要な事だとマシロは考えていた。
ヨークシンの外れの空から点滅する灯りが近づいてくる。それは飛行船の灯火類で、雨の中徐々に大きく見えてくる。
「時間ですね。もう少し辛抱してください。話がまとまれば、あなたも自由になれますから」
「……そもそも、あなたに気絶させられなければ捕まる事もなかったのだけれど」
2隻の飛行船の速度が合わさり、並んで飛び始める。
対面の飛行船から見えるようにパクノダを窓際にしっかりと立たせた。安全を期して、人質の確認方法に相手の手が届かないよう飛行船を分けたのだが、対面の飛行船に乗っているコートの男が後ろ手に本を出したのを見て、マシロは背筋が凍る。
異変はすぐに起こった。
向こうとこちら、両方の飛行船に突然旅団の団員達が姿を現したのだ。
こちら側には男が4人。いずれも並みの使い手達ではない。
「……あー、マジかー」
マシロの口からそんな乾いた感想が零れる。
その
ボディーガードとしての本能か、マシロはパクノダを射線から突き飛ばし、自分は
慌てること無くマシロはサッカーボール大の念弾を2つ放つ。それは気嚢に命中し穴を開けた。
漏れ出るガス。内側からのガス圧によって穴は少しずつ大きくなっていき、さっきまで乗っていた飛行船の高度は徐々に落ちていく。
マシロは空中に作った念壁の上を跳び、もう一方の飛行船へと向かった。
油断したつもりはなかった。
何が起きてもいいような心構えは出来ていたし、センリツには傍で相手の心音を聴いて貰っていた。それでも、気づけば敵に囲まれていた。
センリツでも異変を見逃す程の早さと自然さで、旅団にとってこれは、心にさざ波が立つ程のことでもない日常の事なのかとクラピカは戦慄した。相手を嵌めるのも日常なら、相手への害意も日常。
幻影旅団とは人の血で浴し、人の肉で腹を満たす。獣以下の悪魔のような集団だ。
クラピカの憎悪は、ますます昏く激しく、音を立てて燃え上がる。
しかし、その心とは裏腹に闇雲に戦闘状態には移れなかった。転移してきた旅団員の中にゴンとキルアの姿があったためだ。
ゴンは猿轡と共に手を縛られ、キルアは気を失っているようでスパッツを穿いた着物の女に抱えられていた。
「ッキサマ、人質には手を出すなと言った筈だ!」
「そんな約束、守って貰えると本当に思っていたのか?」
ここに至ってクラピカは自分の過ちに気が付いた。
自分の秘密を盗み出せるパクノダを最大の脅威と考えていたが、パクノダを拉致したホテルベーチタクルでのあの場面、まず第一に標的にすべきは
自分の整えた盤面をひっくり返せる頭脳と冷酷さを持った
だが、気づいたところで最早遅きに失した。
「命を絶て」
コートのポケットに片手を入れたまま
「人質を解放して欲しければ、自ら命を絶て」
「ッ!?」
冷然と告げられる宣告。
死ぬことは出来ない。だが、仲間を見捨てることも。
クラピカは、この場を打開する方策を考える。追い詰められた頭で必死に考えるが何も見えない。
戦うか? 否だ。自分と支援を主とするセンリツの2人では、人質が害されるより先に4人のA級首から奪還することは難しい。
撤退? 否だ。自分は助かっても、ゴンとキルアは恐らく殺される。
時間を稼ぐ? 否だ。先の展望が無いのに時間稼ぎをしたところで状況は変わらない。
「どうした? あまり待たせるな」
追い詰められるクラピカ。前にも後ろにも道が無い。
八方塞がりだった。
その時、何かが飛行船の窓を突き破って入ってきた。
マシロだ。
どうやったかは分からないが、マシロは向かいの飛行船から難敵を退けてこっちに移ってきたのだ。
旅団の虚を突いて、ゴンが逃げ出す。それに気付いて駆け寄ったクラピカだが、ゴンを背中側にやって守ろうとしたところで、脇腹に走った激痛と共に体勢を大きく崩す。
直前にマシロが何か言った様だったが、クラピカの頭には届いてはいなかった。
窓を破って入った飛行船の中の空気は張り詰めていた。
クラピカ達と旅団、両者は睨み合ったまま剣呑な雰囲気を醸し出していたが、マシロが入ってきたことでそれも壊れる。
まず動き出したのは人質の少年だ。旅団の拘束を振りきってクラピカの元へと走り出した。
その後ろ姿を見てマシロの中で警鐘が鳴り響く。
「その子の首の後ろに何か刺さってますよ!!」
マシロが警告するも遅かった。少年に殴られクラピカは壁際まで吹き飛ぶ。
仲間に攻撃されるだなんて微塵も考えていなかったのだろう、防御が何も出来ていなかった。少年が念能力者として未熟とはいえ、あれでは大きなダメージを受けてしまっただろう。
センリツが少年の首に刺さっていたものを抜き取って壊した。少年は意識を取り戻したようで、周りをキョロキョロと見渡して首を傾げている。
マシロは一瞬、もう一人の少年とクラピカ達どちらをまず助けるか逡巡したが、小柄な男がクラピカ達に向かって走り出したのを見て、銃を撃つ。
3発は男へ向かい、1発はクラピカ達の方へと向かう。
男は自分へと向かう銃弾を軽々と避け、クラピカへの攻撃を続けようとするが念の壁がそれを阻む。クラピカ達に向かった銃弾から
これで壁のこちらには旅団が4人にマシロが1人。教えてもらったクラピカの能力は、「束縛」「探索」「戒律」そして「回復」。クラピカが復帰するまではマシロ1人で4人を相手取らなければならない。
「……まったく、つくづくオレ達の邪魔をしてくれるよ。お前は」
「あぁ、どこかで会ったことがあると思ったらクロロさん。あなたが旅団の
「意外だったのか?」
「いいえ、安心しました。あなた程の使い手が下っぱだったら、これから旅団の相手をするのに先が思いやられるところでしたよ」
「団長」
クロロの隣に居たジャージの男が、腕を回しながら自信たっぷりの笑みを張り付けて歩み出てくる。手配書で面と名前が割れている一人で、フィンクスという名前だった筈だ。
「ああ。殺せ」
フィンクスが猛然と向かってくる。マシロは降り下ろされる右腕をとって人質の少年を抱えている着物の女の方へと投げ飛ばす。
それがどうなったか見る前にフェイタンが斬りかかってきた。
"硬”を纏った右腕で受ける。折れる刀。がら空きの胴体。
"硬”を纏わせた蹴りを放つ。
フェイタンはしっかりと"堅”をしているが、マシロの"硬”からすれば紙でしかない。小手調べから入るような人間は、大抵マシロの神速の"流”から作られる"硬”によって初手で敗れ去る。埒外の速さに追い付けないのだ。
しかし、蹴りが当たろうという瞬間マシロの前からフェイタンの体が消えた。
マシロの横に膨大なオーラが現れる。フィンクスだ。マシロは壁を生み出し、いなして避ける。
壁は粉々になって消えたが、フィンクスの右腕の膨大なオーラも霧散して消え去った。どうやら一度何かを殴らせれば消えるらしい。
フィンクスとフェイタンの二人を相手にしながらクロロをチラリと一瞥する。右手の本が開かれている。やはり先程から二人が消えたり現れたりしているのはクロロの仕業だった。
まるで指揮者の様に二人を思うままに導いている。
敵の攻勢を突破するには、まずクロロから対処したいところだが、狭い船内ではフィンクスとフェイタンの二人を振り切るのは難しい。静観している着物の女も今の形を崩そうとすれば動き出すかもしれない。
リスクをとって本腰を入れるかとマシロが考え始めたその時、船体に穴を開けて奇術師風の男が現れた。
「んー、面白そうなことやってるね♥️ ボクも交ぜてよ♣️」
「ヒソカか。パクノダはどうなった?」
「無事さ♦️ 飛行船はそこの彼に落とされちゃったけど、心配は無いさ♥️」
「そうか」
クラピカから聞かされていた動きの読めない協力者。果たしてこの場面で現れたのは、クラピカとクロロどちらの側につくためか。
マシロは戦いながらも注意深くヒソカに意識を向けておく。
「あぁ、今夜は勃けって我慢出来ない♥️ ボクらもパーティーをはじめるとしようか♥️」
ヒソカが自分が今さっき入ってきた穴から消える。続いてすぐに、クロロが何かに引っ張られたかのように穴へと消えていった。
「団長!!?」
着物の女も脇目も振らずマシロ達の横を抜け、クロロを追って穴へと躍り入った。
どうやらヒソカはこの場面をクロロを分断する好機と捉えたようだった。
人質の二人は解放され、ヒソカの介入によって事態は一転マシロ達の優勢に傾いた。
そして、クラピカの怪我も回復していた。
「!!?」
念壁と船体の隙間から伸びた鎖がフェイタンを縛り上げる。
マシロとの戦闘の中、ヒソカの奇行で注意が散漫になっていた隙を突いたのだ。
「フェイタン!!」
鎖で首を絞められ、フェイタンは気を失う。
マシロは仕切りの念壁を消した。これで状況は多対一。
攻撃のギアを上げるマシロ。フィンクスは念での防御が間に合わなくなっていき、ダメージを受け始める。
「しまッ……!!」
そして、遂にはフィンクスもクラピカの鎖によって拘束される。
マシロがフィンクスを気絶させる。戦いはここに終結した。
「やったわね、クラピカ!」
「…………ああ。礼を言う。マシロ。センリツ。ゴン」
「ううん、オレの方こそごめん、クラピカ。まんまと敵に操作されちゃって、それでクラピカにも怪我をさせちゃって……」
ゴンが泣きそうな顔でクラピカに謝る。友達の手助けが出来ずに、それどころか大事な場面で害することになってしまったことを相当悔やんでいるようだった。
「気にしないでくれ、ゴン。元はと言えば私の暴走が招いたことだ。君とキルアには迷惑をかけた」
二人の会話をマシロは眩しいものを見るような眼差しで見ていた。
マシロにはクラピカとゴンのような深く繋がり合った仲間と呼べる者はいなかった。自分の本音を言葉にするのが苦手で、いつも他人との間にある距離から線を引いてしまっていた。
それは生まれと生い立ちから来るもので、マシロの心にはいつも孤独と疎外感があった。
「キルア君も大丈夫そうよ」
センリツがキルアを抱えて戻って来る。外傷は無く、センリツの言うとおり問題は無さそうだった。
クラピカとゴンは見るからにホッとした様子だ。
「それで、この二人はどうするんですか?」
捕らえた旅団員の処遇を訊ねる。
「……ハンター協会と世界刑事警察機構に知らせて身柄を引き取ってもらおうと思う。悪いがセンリツ、迎えの人員が来るまで監視を手伝ってくれないか?」
「ええ、勿論いいわ」
囚われの旅団員が行き着く先は、念能力者専用の最高レベルの刑務所だろう。そこから脱獄出来た者は表向き一人も居ないという。
雨はまだ降り続けていたが、大都会の塵を洗い流したのか船体に開いた穴から入ってくる空気は澄んでいた。
ヒソカとクロロの戦いがどうなるにせよ、今回の騒乱で幻影旅団は大きく戦力を落としたことは間違いない。
暫くはその傷も癒えることはないだろう。
ちなみに、飛行船内に現れた旅団の振り分けは、
クラピカ側にクロロ、マチ、フィンクス、フェイタン
マシロ側にボノレノフ、フランクリン、ヒソカ、シャルナーク
留守番はノブナガ、コルトピ、シズク