あ、2話投稿しているのでご注意ください。
ジャポンのオウホク地方には天狐伝説があった。人が立ち入った事の無い山深い原始林の奥地に神通力を備えた狐、すなわち天狐が棲まい、人に知恵を授けるというものだ。
白銀の毛並みに燐光漂わせ、艶やかな着物を召した天狐は、ふらりと山から下りてきては、作物の収穫量を上げる栽培方法や寒さに強い稲の作り方、新しいお菓子や料理を人々に教えるのだ。天狐の加護を得たその地域は他のどの地域よりも豊かで、飢饉とは無縁であった。
しかし、飽くなき欲望に取り憑かれた人間は更なる知識を吐かせるために天狐を捕まえようとした。
それに怒った天狐は山に隠れた。
諦められない人間達は山狩りを行ったが、山に踏み行った人間は尽くが魔獣や山の動物達によって殺された。
それ以来天狐は人里に下りて来ることはなくなり、人々はようやく自分達の過ちに気が付いたのだった。それが140年前の出来事。
マシロはそんな伝説が伝わる村に生まれた。
しかし、生後すぐに親から引き離され、名前をつけて貰う事もなかった。天狐への生け贄とされたためだ。
過ちに気付いた人々の間で、天狐への謝罪と贖罪のために供物を捧げる風習が出来ていた。毎年奉じる供物とは別に、10年に一度赤子を生け贄に捧げるのだ。マシロはその生け贄に選ばれたのである。
真っ白な絹の産衣を着せられ、山葡萄の蔓で編まれた籠に入れられたマシロは断崖の上から湖へと落とし入れられた。
普通ならば、まず助からない。籠が転覆してしまえば溺れてしまうし、転覆せずとも湖を漂いながら数日もしないうちに衰弱死することとなる。
しかし、何の因果かマシロはそうはならなかった。
湖の対岸に流れ着き、そこを山の魔獣に拾われて天狐の元へと届けられたのだ。天狐は生け贄にされた赤子を憐れみ、自分の元で育てることにした。
真っ白な髪に真っ白な産衣を着ていたことから"マシロ”と名付けられ、マシロは天狐の愛情に包まれてスクスクと成長した。
マシロには前世の記憶があった。微睡みの様な曖昧な意識の中で赤子の頃から世界を認識していた。
子供の頃のマシロはよくもの思いに耽った。川辺の水や崖上からの景色をぼんやりと眺めながら、自分の事やこの世界の事を考える。
マシロの中にいつもあるのは、自分の異物感と疎外感だった。
生まれたことを祝福されることもなく、捨てられるように生け贄に出された事が強いショックとして心に根付いている。前世から続く自意識が無ければ、ありのままに受け入れられたのだろうが、生け贄にされた体験のせいで自分はこの世界から歓迎されない余所者なのだと感じるようになってしまっていたのだ。
天狐が持っている世界のあらゆる知識が書かれている本で、前世とは大きく違うこの世界を知る度にその思いは大きくなっていくばかりだった。
自分の心や身体との繋がり、世界の有り様を考える日々が続いていたある時、体が白い靄で包まれていることにマシロは気が付いた。自然のままに流れ出していたその靄を留めると衣に包まれたような温かさを感じた。そしてそれは厚い所と薄い所というように移動させられるようだった。
この靄の事を尋ねると天狐は"念”と呼ばれる力について語り出した。
以前打ち明けられた二度目の生というマシロに起きた不可思議な事も念に依るものなのではないか。前世の世界は今はもう痕跡も無く滅びた過去の文明だと考えれば一応の説明はつくと天狐は言った。
マシロは違うような気がしたが、それは自分がそう思っているだけで証明するものは何も無い。
次の日からマシロは天狐から念の扱い方を教わった。天狐も念が使え、いつも持っている本も念で作りだしたものだったのだ。その本は全世界の書物という書物からデータ形式の文書、遺跡の壁画、はては個人の日記まで、あらゆる情報が取り出せるようになっていて、念に対する文書にもアクセス出来、マシロの理論的な理解を大きく助けた。
マシロにとって念の修行は楽しかった。抱えた悩みも脇に置いて、ひたすらに熱中した。天狐も憂苦に囚われていたマシロが生き生きとし始めたのを見て胸を撫で下ろしていた。
心を覆っていた雲も晴れ始め、自分との折り合いがつく兆しが見え出した頃、マシロはふと自分が生まれた村に行ってみたくなった。自分が生け贄に出されてからそろそろ10年。次の生け贄が選ばれる頃合いだった。
マシロは険しい山道を通って、2日かけて人里へと下りていった。
そこそこの大きさの村だった。近くの里山の中から村を窺うと、大人は田畑で働き、子供はそこここで走り回って遊んでいる。
村の中で一際大きな屋敷へと見つからないように近づいて行く。中に居た老人は帳面を幾つか広げて仕事をしていた。他にも人の気配はあり、注意しながら屋敷を探る。倉の中の一角の蓙ござの上には、米俵や酒樽に数種類の野菜や果実に菓子が置かれていた。天狐への供物だった。
屋敷を抜け出し、山へ入って歩いていると、村からそう遠くない所で、きのこの入った籠を持った兄弟らしい子供二人が熊と対峙しているのをマシロは見つけた。
足がすくんで動けない兄弟を熊は獲物かどうか品定めしている。マシロは兄弟の前へ出て、熊を山奥へと追い返してやった。
真っ白の髪に天狐の毛を使った淡く光る装飾品を身につけたマシロを見た兄弟は、熊がいなくなったというのに呆然と立ち尽くしていた。
マシロは構わずに立ち去る。生け贄をどうやって辞めさせるかを考えなければならなかった。供物を揃えていたところからみて、数日中に執り行われてしまう。
途中出会った魔獣に村の見張りを頼んで天狐の元へとマシロは急いだ。
村人が行列を作って山の湖まで歩いていた。
提灯を持った男衆を先頭に、上等な絹の産衣を着せられた赤子を抱く女性を守るようにして列を成している。
湖への道は切り開かれ、人の手も入って整えられている。その道を通る村人達の前に立ちはだかる様に、突如として3体の魔獣が現れた。
村人達が騒然となる中、魔獣は声を揃えて生け贄を取り止めるよう言う。天狐は生け贄など望んでおらず、怒っている。お前達の行っている風習は迷惑だと。
魔獣に追い返された村人達は大騒ぎとなった。
伝説になっていた天狐が生きている。天狐の生存が真実味を帯び、高揚している者が多かった。
疑問を差し挟む者はいない。数日前に山へ入った兄弟が出会った白い髪の少年の存在が真実味を裏付けていたからだ。10年前の白い髪の赤子のことを村の大人達は憶えていた。その赤子が生きていたというのなら天狐の加護を受けたという事に他ならない。
その日から、半ばお伽噺と化していた天狐伝説は熱情と共に新たな息吹を得て、その村のみならず近隣の村々にも広がっていった。
生け贄という悪習が取り止められ、マシロはホッとしていた。
念の鍛練の方も雛鳥の殻が取れたように習熟し始め、"発”をそろそろ考えてもいい段階になっていた。
天狐との日々の生活の中で役に立つ能力がいいなとマシロは考えていたが、具体的なものは何も浮かんでいなかった。そんなマシロの考えを察したのか天狐は自分のための能力にするようマシロを諭す。自分はマシロをこの地に縛り付ける鎖ではなく、いつでも温かく帰りを待っている家でありたいと天狐は考えていた。だからマシロには異郷と呼べるかもしれないこの世界で一人でも生きていける力をつけて欲しいと願っていた。
マシロにとって、いつか山を下りる時が来るという実感は湧かなかったが、天狐のおかげなのか、いつも感じていた孤独感は和らいでいた。
念を鍛え、書見をし、天狐が作った菜園の世話や山の動物や魔獣と遊ぶ幸福な日々が続いていた。
ある日、マシロは魚の薫製を作るために釣りをしていた。家から離れた幅のひろい川である。
釣った魚は血抜きをし、魚籠に入れる。運がいい日だったようで、魚籠はすぐに一杯になった。
足取り軽く帰り道を歩いていると、ふと魔獣が倒れているのに気がつく。既にこと切れており、肩から腹にかけてぱっくりと切られていた。
注意しながら進んでいると、同じ様な傷を作って死んでいる魔獣が点々としている。その数は家が近づくにしたがって段々と増えていく。
マシロは胸騒ぎを覚え、魚籠を放り出して走りだした。
家の周りは悪夢だった。木組みの家は燃え、菜園は荒れている。天狐を慕っていた魔獣や動物の死体がそこここにある。
男が立っていた。
黒いマントを纏ったその男は強靭な、しかし薄汚れた様なオーラを発していた。
男は天狐の噂を聞き付けてやって来たハンターだった。山中に入ってから外敵の侵入を拒むように襲ってきた魔獣達を排除してここまでやって来ていた。天狐を守るために集まってきた魔獣も動物も駆除するように無造作に殺し尽くした。
その男の足元には天狐が倒れ伏している。
マシロは目の前が真っ赤になった。遮二無二男に突っ込む。男はその突進を軽くいなすと念で強化したマントで切りつけた。
オーラの防御で致命的な傷にはならなかったが、マシロは突進の勢いのまま地面に倒れた。
爆発した怒りで体を思うように動かせなかった。元より戦いの経験が皆無なマシロは、前世を通して初めての怒りの氾濫に我を忘れていた。
もがくようにして立ち上がったマシロは、ただただ感情のままに突っ込んでは男の攻撃をいいように受けた。何度も同じことをしていると、やがてマシロは立ち上がれなくなった。途中から幾らか冷静さは取り戻していたが、男には手も足も出なかった。
それでもマシロは男を殺意を持って睨み付ける。
男がマシロを殺そうと近づいていく。マントを纏った片腕が広げられる。そして蝙蝠の様な翼に変化した。それはとても力強く、マントを使った攻撃のような軽さは感じられない。
男がマシロの前で止まる。冷たくマシロを見下ろしていた。
翼が振り下ろされるという時、天狐が男に組付いた。着物は土に塗れていたが目には闘志があった。
男は振りほどき翼を打ちつける。
天狐の闘志は消えない。
何度打っても反抗的な態度を崩さない天狐に苛つき出す男。天狐は痣をつくり、血も流している。
止める事も出来ずに見ているしかないマシロの内にまた感情が渦巻き始めた。今度は怒りだけではない。それよりも強く、大きく━━
男の忍耐が遂にキレる。生け捕りを止め、持ち帰るのは死体でも良しとした。輝く毛皮を持つ天狐の剥製は、さぞや美しいことだろう。男の翼に殺意が篭る。
オーラが迸った。男の翼が壁のようなもので止められていた。壁はボロボロになって崩れて消える。
男が振り返ると、マシロが立ち上がっていた。マシロのオーラは今までになく澄んでいた。感情の暴走による乱れは無く、天狐を守らなければという強い想いが漲っていた。
うろちょろと目障りなマシロに、男の苛立ちは殺意に達する。翼をまたたかせて男は飛翔した。
上空を旋回し、勢いをつけて降下。マシロは避けることが出来ない。受け止めたものの膝を着き、地面に崩れ伏す。男が翼で殴る。
マシロは吹き飛び、木を幾つも薙ぎ倒して森の奥へと消えていった。
目的をようやく遂げられるというところで、男は天狐の姿がない事に気付く。逃げたかと辺りを見渡すと、燃え盛る家の前でその姿を見つけた。
天狐は何の気負いも感じさせない足取りで家の中へと消えていった。自分の200年の人生とマシロとの14年間の思い出を胸に自死を選んだのだ。天狐は悲しみと満足感を抱きながら、炎に包まれてその生を終えた。
あと一歩のところで全てを台無しにされた男の怒声が山中に響き渡った。
マシロが気がついた時には日が暮れていた。呻きを洩らしながら体を起こす。体中の痛みで立ち上がるのに苦労したが、自分の状態よりも天狐がどうなったかが心配で、よろめきながらもマシロは家へと急いだ。
森を抜ける。
隠れていたのであろう、山のあらゆる動物や魔獣が燃え落ちた家を囲んでいた。
その光景を見てマシロの心にじわりと絶望が滲み出した。
マシロに気付いた動物達が道を空ける。何かが倒れている。それを視線から外せずに呆然とマシロは近づいていく。
着物の切れ端が燃え残っている。マシロは膝から崩れ落ちた。
こんな理不尽があっていいのだろうか。昨日まで普通に笑いあって、食事が代わり映えしないから、じゃあ魚の薫製を作ってみようかとなって。それなのに、何の謂われも無く日常をぶち壊された。天狐はこんな形で死んでいい存在じゃなかった……。
マシロの慟哭はいつまでも止まなかった。
マシロは天狐の墓を作った。その周りは、天狐を守ろうとして死んでいった魔獣と動物の墓だ。
花の種も蒔いた。時期が来ればこの墓はたくさんの花に包まれるだろう。
傷を癒したマシロは山を下りることにした。
旅立ちへの希望も何も無く、一人きりになったマシロには、天狐との生活で鳴りを潜めていた自分の異物感と孤独感がまた頭をもたげ出していた。
それからのマシロは山を襲った男の情報を求めながら、力をつけるための研鑽を積んでいった。
有力者の食客のような事をしたり、名のある道場で寄宿させてもらったりと、ひとところには腰を落ち着けずに流れ歩いた。
理不尽な目に遭っている人達を助けたりしているうちに、そういう人達の護衛を仕事にするようになった。そんなある日、同業者が皆背を向ける仕事に出会した。
世界一の暗殺者から依頼人を守る仕事である。
自分の実力に自信の無い者は勿論、経歴に傷をつけたくない者まで、皆がその仕事を敬遠していた。
そんな中でマシロは躊躇せずにその仕事を受けた。
自分の力を測るために。そして何より自分かわいさに人を見捨てるなんてことをしたくなかったからだ。
結果として、仕事は成功した。どうにか暗殺者を退かせることに成功し、依頼人を守り抜くことが出来た。
自分が強いなどと自負を持てる程には強くないと思い知らされたが、より高みへ上るための道筋が見え、マシロは自分を鍛えあげた。
新たに自信がついた頃、山を襲った男の正体が判明する。
ハンター証ライセンスを使って各国の護衛官養成訓練プログラムを受講している時に、世界の有力とされているマフィアの情報を見ることが出来たのだ。
男は十老頭の懐刀である陰獣と呼ばれるメンバーの一人になっていた。名を「蝙蝠」。
遂に仇を見つけ出し、7年前に自分がやった事を思い出させてやろうと憎しみを再燃させた。
しかし、実際にその男の姿を肉眼で捉えて、マシロは言いようもなく失望した。
7年前に感じたあの自分を圧倒した強さを全く感じなかったのだ。自分より弱い者を従えて偉そうにしている様子に矮小ささえ感じた。
こんな小者に復讐するために自分はいままで生きてきたのか。
そう思うと苛立ちすらつのった。感情のままに拳を地面に打ちつけると、マシロはその場を後にした。
あの程度の実力で闇の世界を生きていくというのなら、そのうち必ずや身を滅ぼす事になる。
そしてその知らせはそれ程時を経ずにやって来た。
マフィアの依頼を渋々受けた折りに、陰獣が幻影旅団によって全滅した事を知った。やはりマシロが手を下さなくとも勝手に滅びる程度の男だった。
そのマフィアの依頼で、マシロは仕事仲間としてクラピカと出会った。
その中でクラピカの過去を知ったマシロは、その境遇に心を痛めた。だが、同時にどこか羨ましさもあった。
己の全生涯をかけても討ち滅ぼせるか分からない仇敵を抱えて、その相手に脇目もふらずに自分の全感情をぶつけることが出来るのだ。
歪んだ憧憬ではあるが、肩透かしのような形で復讐が決着したマシロにとっては、羨ましくもあったのだ。
前を向けるような終わり方になればいい。そう思って、マシロはクラピカの復讐の手助けをした。
マシロは護衛という仕事に誇りを持っている。これからも理不尽に襲いかかられて成す術の無い人のために力を貸していくだろう。