「フランさん。先輩……”ブラッド”隊長はミッション中ですか?」
カウンターで忙しなく業務をこなす受付嬢に、少女が問いかけた。
金髪をボブカットにした涼やかな女性は、その少女に微笑みかけながら答える。
「ええ。彼らは現在、旧チャイナの内陸部で難民移送の警護中です。本日一五〇〇には目的のハイヴに到着予定ですので、帰還は明日の昼頃になるかと」
「そうなんですね。うーん、ミッション付き合ってもらおうと思ったんだけどな」
白のベレー帽を被る少女は不服そうに頬を膨らませた。
見た目はまさに育ちの良い令嬢で、鉄板の床や仰々しいモニタが並ぶこの場所には少々そぐわないようでもあるが、不思議と馴染みのある雰囲気でもあった。
当然のように、フランと呼ばれた受付嬢――フラン=フランソワ=フランチェスカ・ド・ブルゴーニュも、手を止めないまま自然に会話をしている。
「あの辺りは最近になって感応種の観測報告も増えています。対抗し得る神機使いも極東支部の面々に限られていますからね。そういうエリナさんも、これから出動予定では?」
「そのメンツが足りてなくって。単純な掃討任務ですけど、コウタ隊長とエミールは別任務に行ってるし、防衛班の人達に頼るわけにもいかないし。……よく考えたらどうして私だけ別行動なんだろ」
「彼らも護送任務中でしたね。エリナさんは、もう単独でのミッションでも充分活躍できる実力者ですから。コウタさんも安心してここの留守を任されているんだと思いますよ」
「いえ、まだまだです。先輩とか”ブラッド”の人達に比べれば」
「あの方々はあまり比べる対象にしてはいけないような……」
二人が話に花を咲かせている間にも、フランの持ち場であるカウンターには人の往来が絶えず、オペレーターといくつかの事務手続きを済ませてはエントランスを離れていく。その全てが一様に、男も女も隔たりなく、右手首に仰々しい赤の腕輪を着けていた。
「ともあれ了解です。テキトーに暇そうな人を捕まえます」
「アサインは一時間後ですので、よろしくお願いします。それと、もう少しで私も交代なので、ご一緒にランチでもいかがですか?」
「はい、是非! また後ほど!」
会釈を交わして、エリナはカウンターから離れた。すぐ脇にある階段を駆け上がり、フローリングの敷かれたデッキに上がってターミナル端末に向かう。支部内システムのメールで、暇な知り合いをどうにか探さなければならない。とはいえここ最近の慌ただしさでは、なかなか手が空いている人間も少ないだろう――。
禍々しい狼の意匠を掲げる旗のもと、今日もフェンリル極東支部は多くの人間で賑わっていた。
東の果てに浮かぶ島国。海の近い地方の一角こそ、少女が身を置く人類最後の砦である。
●
人類史上最大にして最悪の発見である”オラクル細胞”によって、過去の歴史は無意味になった。
この細胞は、プラスチックから果ては核爆発まで、とにかく「何でも喰う」。それそのものは単細胞生物に過ぎないが、ある時を境にそれらが群体として結集し、一個の生物の形を取った。特質である無差別な食欲をそのままに、自由闊達に動く脚を得て、より多く大きく万物を捕喰する口を得た群体生物が、世界中に溢れ返った。
細胞そのものが接触物に対して浸食するような機能を果たすため、例え口腔ではなくとも皮膚に触れた物は捕喰される。つまり、攻撃目的で叩き込まれる刃や銃弾も飲み込むかのように無効化される。それまでの戦闘手段が一切通じない怪物を相手に、人類は次第に為す術を失っていき、遂には八方塞がりになった。
尋常な攻撃を意に介さない肉食動物と、牙も角ももがれた草食動物が相対すれば、結果は目に見えているだろう。
人類のカーストは瞬く間に地に落ちた。武器を喰われ、家を喰われ、家族を、友を、恋人を、最後には己を喰われた。何もかもが無惨に喰い散らかされた。
単細胞分裂で無限に増殖する怪物は食欲のままに蹂躙を続けた。最悪なことに、オラクル細胞は捕喰を繰り返すことによって、対象の性質や特徴を自身に反映するという能力があることも、この頃になって発見された。
禍々しく進化していく正体不明の天敵。無慈悲にして手を付けられない暴虐ぶりから、人々は怪物に名前を付けた。
世界に終焉をもたらす使者、荒ぶる神――”アラガミ”。
そういった文明の崩壊、新たな激動の時代が始まったのが二十年前。
間もなく発足した世界最高指導機関”フェンリル”は、やがて多くの犠牲の上で一つの成果を得る。
オラクル細胞で構成されるアラガミに対し、通じるのは同じオラクル細胞による捕喰行動だということ。これはアラガミ同士が共食いをしている光景を偶然に観測したことから、研究を進められていった。
毒を以て毒を制す。オラクル細胞をオラクル細胞で喰い破る。滅びかけた技術の粋を集め開発されたのは、アラガミと同じ性質を持つ”神機”と呼ばれる武器。長き絶望の時代の中、人類がようやく垣間見た光だった。
試作機は単に丸め込んだオラクル細胞をピストル型神機に詰め込んで撃ち出すだけの粗末なものだったが、それでもアラガミには通じるという成果を得た。反撃というにはあまりにも小さく、しかし確かな希望を確信し得る成果だった。
比較的小型のアラガミを集中的に攻撃し、どうにか討伐まで至り、そこから採取した素材を基に、神機は
あの怪物と戦うにあたって、攻撃を担う
アラガミの細胞群の中でも指令塔の役割を持つ器官――コアを基に疑似的なアラガミを製造し、幾重もの安全装置で雁字搦めに縛り付ける。これを本体の制御機構とする。
肉体を喰い千切る刃も、蜂の巣のように射抜く銃弾も、全てオラクル細胞を実用化する技術で作られた。戦術的見解から近接用と射撃用に分けられ、本体制御機構と組み合わせた結果、余りのアンバランスさにそれこそ異形と呼ばれかねない仕上がりになってしまったが――これこそ人類の新たな武器、その基本型として確立される”第一世代神機”だった。
時代を経るごとに、近接と射撃のどちらも一機で運用できる可変型第二世代、新種のアラガミにも対抗し得る第三世代と開発されていく。その頃にはアラガミに対して為す術の無かった時代とは違い、有効に戦えるだけの力を得ていた。
何より特徴的なのは、討伐したアラガミの素材を回収するための機構。神機の制御機構が変形して露出する、獣の顎のような異形そのもの。
生命活動を停止したアラガミは細胞片となって塵のように霧散してしまい、手作業で解体するということが至難だった。これを解決するため、肉を噛み千切りコアごと摘出するために開発されたのが、
神とすら揶揄された怪物を討ち果たし、その屍肉を喰らう彼らの姿は、やがて別の俗称を用いて呼ばれることとなる。
それが新たな救世主の名前だった。
そうして、幾度となく侵略と反撃が続いた、二〇七五年。
何の因果か、様々な策謀と強力なアラガミに悩まされ続けてきたフェンリル極東支部は、相も変わらずアラガミの討伐に追われる日々を送ってはいるものの、ほんの僅かながら平穏と言っても良い期を受け入れていた。
二〇七一年、極東支部近海に浮かぶエイジス島を中心に勃発した『アーク計画事件』。
二〇七四年、触れる者全てに不治の病を植え付ける『赤い雨』。同年、極致化技術開発局”フライア”の支部責任者を含む最高幹部らによるクーデター。それに併せて発生した『終末捕喰』の完成として象徴化しつつある”螺旋の樹”。
世界中に
多くの人々が思うように、この極東では色々なことが有り過ぎた。事件の裏は多分に隠蔽されているとはいえ、知らされている事件はいずれも世界を丸ごと滅ぼしかねない規模のものだった。文字通り、歴史を何度かやり直せるほどに濃いものだ。
ここらで少しぐらいは安寧があっても良い。
無論、日々の暮らしを脅かすアラガミは絶滅などしておらず、一切の油断を許さない状況には変わりないが、そうであろうとも、ルーチン通りの生活がどれだけ有り難いことか、特に極東の住民達は痛感している今日この頃だった。
●
”螺旋の樹”を取り巻く事件が収束し、世界が一度滅びかけてから、あっという間に一年が経った。
極東支部第一部隊に所属するエリナ・デア=フォーゲルヴァイデの日常も、少しずつ変化が現れ始めていた。
彼女が配属された後にやってきた新世代の部隊”ブラッド”の面々、特に現在の部隊長と出会ってからというもの、エリナは以前よりも己の実力というものを冷静に見極められるようになりつつあった。
かつては
未熟さを痛感しては歯噛みし、訓練と実戦を積み重ね、しかしエリナは成長を実感できずにいた。同僚のエミールは無闇に腹の立つ奴だし、直属の藤木コウタ隊長もなんだか甘ったれているように見える。自分にも他人にも苛立ちながら、苦悩する日々が続いた。
そんな中、ただでさえ脅威判定の高いアラガミが数多く観測される極東支部に”感応種”と呼ばれる新手が現れ、加えて無差別に死者を生み出す忌々しい『赤い雨』が発生した。
アラガミだけならともかく、異常気象は神機使いでもどうしようもない。未曾有の脅威を前に、対抗し得る力を持つという部隊が極東に合流した。
極致化技術開発局”フライア”が擁する新世代の神機使い達、”ブラッド”。
曰く、神機使いの内に眠る潜在的能力”血の力”を引き出し、これまでの神機使いよりも高度な戦果を実現するという、新進気鋭の部隊。
彼らの活躍は目覚ましいものだった。現行の神機を機能停止させる特殊な磁場を発生させる感応種に対して、後に”ブラッド”部隊長となる人物の”血の力”はその磁場を払いのける能力を覚醒させた。効果は周囲の神機使いにも、潜在的能力を”喚起”させる力を持っていた。それこそが鍵となり、最前線である極東支部所属の神機使いはかの人物と作戦を共にし、まるで迷い道にある自分の手を引かれるように、感応種を撃退する実力を身に付けていった。
エリナもその一人である。己の実力が足りないばかりに苦渋を重ねていた自分を導いてくれたのが、あの人だった。以来エリナは親しみを込めて「先輩」と呼んでいる。かの人物と共にした任務は、変わり映えしない戦闘ばかりであるはずなのに、肌で感じ学ぶことが多かった。
否、それはエリナ自身の視点が変わったからこその収穫だった。
神機使いは基本的に四人以下の小隊を組んで任務に当たり、そのためにはチームとしての戦術が不可欠となる。
それまでのエリナは自分の実力を向上させるための利己的な行動ばかりだった。だからこそ、己の主義を至上とするエミールとは食い合わず、全員が生還するための戦術を組み立てようとするコウタ隊長とは対立することになっていた。
一方で”ブラッド”は元からチームワークを重視した立ち回りを意識しており、統率の取れた作戦行動は、知識としては解っていてもなかなか実践できない感覚だった。他部隊との共同作戦は想像を超える収穫を皆に与え、エリナもまた、尊敬に値する人物をまた一人得ることとなる。
視野は広く、思考は深く、それよりも手と足を早く動かす……言葉にすると滅茶苦茶な行動原理だが、かの人物はそれを見事に実践していた。おいそれと真似できることではないが、それこそが神機使いとして目指すべき一つの目標なのだと、エリナは思う。
極東において、もっとも濃密と言っていい一年間……それを過ぎて、エリナは今に至る。
あの時は自分のことばかりで気遣う余裕もなかったが、後になって振り返ってみれば”ブラッド”も思うところの多い一年を過ごしたことだろう。彼らの功績は大きく、しかし代償も大きい。それでも彼らは、この道を選んだ。あの「先輩」は、変わらずエリナの前に立ってくれている。それがとても誇らしくあった。
現在、エリナの所属する極東支部第一部隊は、主戦力としての役割である支部周辺のアラガミ討伐任務をメインとする傍ら、極東全域の気候変動に関して調査を依頼されている。依頼主はお馴染みの、極東支部長ペイラー・
極東支部を悩ませていた『赤い雨』の発生は、螺旋の樹発生と同時に観測されなくなった。榊とソーマ両名の見解によれば、『赤い雨』は俗説でしかなかった世界終末論『終末捕喰』の初期段階であり、引き金である”特異点”を精製するためのシステムの一部である、という。
詳細な話はオカルトじみた部分も含むためエリナも完全には理解していないが――『終末捕喰』とは、惑星の環境全てを、自らリセットするためのエコシステムであるらしい。
文字通り、人や動植物などの生命、自然や建造物など一切合切を完全消去し、初めから作り直す、惑星規模の自浄作用とも呼ぶべきもの。
その先触れであるのが『赤い雨』。あの不気味な赤い雲の起こるところに雨は降り、滴を浴びた生命は分け隔てなく死滅する。凶兆が再び起こることを、少なくとも見逃すことだけはないように、各支部の主力部隊に観測任務を預けているということだ。
エリナが本日この後に出発するのは、その依頼によるものである。通常の討伐ミッションのついでで良いが、余裕があれば散歩がてら空を見てきてほしい、とは榊博士の言だ。現在の通信技術やモニタリング機材の性能があれば、目視での確認にはそれほど重きを置かないというのが一般的ではあるが、あの支部長はその限りではない。もとは技術開発の研究室出身であるらしい彼は、オラクルを応用する技術をここまで引っ張り上げた第一人者であると共に、現場主義の一面もあるようだ。
とはいえ、外部居住区のさらに外、オラクル装甲壁の向こう側――怪物の闊歩する無法地帯へ出征するわけだ。丸腰で歩くなどとんでもないことであり、神機を携行していても単独行動はあまり褒められたことではない。エリナ自身は別に構わないと思うものの、進んで規範に背くのも気が引けるし、自分を兄と豪語してはばからないエミールは特に口喧しい。余計な面倒ごとを避けるためにも、快く付き添ってくれる誰かが必要だった。
「とはいえ……どうしよっかな」
ターミナル機器を立ち上げ、展開したメールソフトを前にして、エリナはしばらく唸っていた。
神機の扱い、戦場での立ち回り、そういうものに慣れつつあっても、人付き合いというのは未だに難しいものがある。普段はエミールと馬鹿騒ぎをしていれば気は紛れるし、自分に良くしてくれる神機使いや職員などはいるが、特別仲の良い友達というのは未だに少なかった。特にツーマンセルを組めるほど、信頼の置ける神機使いとなると、もはや片手の指で数えられるほどかもしれない。そのメンツもほとんど不在だ。
こういう時、あの「先輩」は便利だ。いや、尊敬する人物にそんな言い方も失礼だが、あの人は自分が困っている時には何であれ手を貸してくれた。エリナの特訓にも根気強く付き合ってくれたものだ。向こうも最近は特に忙しい身だが、久しぶりに二人で組んでみたいとも思う。
しかし、それは他の同僚達も同じなようで、通常任務の他にも雑用まで押しつけられるという、常に引く手数多の引っ張りダコ状態である。まったく、極東の危機を救った英雄様々というわけだ。
「……それも、甘えかな」
やはり多少の無理は承知で単独出撃するべきだろうか。エミールの説教は覚悟するとして、携行品などの準備を怠らず、いつも以上に警戒を緩めさえしなければ何とかなることではあるだろう。
腹を括ることにしたエリナは伝を当たることを諦め、さてフランと食事をするまでどこで暇を潰すか考え始める。出撃前の準備はほとんど済ませているし、一足先にラウンジでお茶でも飲んでいようか……。
ぷらぷらと足の赴くままに歩き出し、ランチメニューの魅力的な香りを漂わせるその場所へ移動し始めた。
だが、
「――ふ、フランさぁん!」
「うわぁっ!?」
ラウンジに繋がるドアが目の前で開き、艶やかな黒髪を振り乱す女性が突然飛び出してきた。
ぶつかりそうになるのを慌てて回避し、その結果、女性は数歩たたらを踏んで、転びそうになるのを危うく止める。それからエリナの姿に気付き、
「あっエリナさん! すすすまんですお怪我はないですか!?」
「え、ええ、私は大丈夫ですけど……どうしたんですかウララさん、そんなに慌てて」
否、この女性……
だが、その表情は見比べるまでもなく蒼白で、血の気が引いていた。これは自分がよほど大きなミスをした時か、オペレーター業に着任して間もない彼女でも解るほどの異常事態があった時に見せるものだ。どちらにしても、見る者の背筋に強制的な悪寒を走らせる。
「え、ええと、それどころじゃなくて、は、はやぐフランさんに教えねど、とととにがぐ来てください!」
「え? あっちょっ!」
脂汗を浮かべるウララも自分で自分が解っていないようで、普段は隠そうとしている田舎訛りも隠せずに、とにかくエリナの手を反射的に引いて駆け出した。突然の連行に訳が分からず、もつれそうになる足をどうにか保ちながら、エリナもそれに追従することとなった。
階段を跳ぶように降り、つい今し方まで雑談していた受注カウンターに到着――するなり、ウララは自分の先輩でもあるフランへまくし立てた。
「フランさん! たたたいへんです、テレビが! じゃ、じゃっくされて!」
「……ウララさん、落ち着いてください。何かあったんですね? では、正確な報告を」
まくし立てられたフランの方は対照的に冷静なもので、ウララの教育係でもある彼女の厳粛な言葉一つ一つに、ウララは条件反射的に背筋を伸ばした。お見事、とエリナは思う。
そうして深呼吸を一つ、自身を落ち着かせて、それでもなお悲鳴のような声を上げた。
「……も、モニター、見でください。あっちのテレビの方です! FBSが、ジャックされてます!」
「……FBSが、ジャック?」
フェンリルが管理運用するTV放送局のことだ。報道、娯楽、神機使い募集のプロパガンダを目的としたもので、今や世界唯一の正式な放送チャンネルである。上司のコウタなどはよくアーカイブ放送を見るのに耽っており、そうでなくとも大多数の人間が数少ない娯楽として視聴している。
もちろん、フェンリルの提供である放送局なので、世界で最も信頼できる管理運用体制を敷いている。地方のアンテナで受信しているならまだしも、極東の中心でもある支部に外部からの割り込みが起こることはそうそう有り得ない。よほどの機材を使ってハックしているのか、そんな大仰なものを入手できるルートが民間に開放されているものだろうか。
エリナの疑問と同時に、その後ろから別の声がした。
「ただのジャックじゃありません。お二人とも、手元のモニターでもチャンネルは合わせられるでしょう。業務は中断して構いません。ともかくすぐに確認を」
赤毛を緩くまとめた、この中で最も先輩のオペレーターの女性。竹田ヒバリが、彼女もまた緊迫した表情でフランの顔を見た。
穏やかな人柄かつ仕事には厳格なヒバリまでもが深刻な顔をして言うものだから、ギャップに少し面食らったフランは、しかしすぐにコンソールを操作して地上波番組に画面を切り替えた。
エントランスにも、ラウンジにも、波の寄せるようなどよめきが、少しずつ広がっていく。
「4ch……そう、それです。もっと音量上げて」
ヒバリの指示に迅速に従うフランの操作で、エリナもカウンターに身を乗り出すようにしてその映像と音声を認識した。
それは、録画された映像だった。
『――そう、お前達が神を喰い殺す狼だというならば、俺達はお前達の顎に右手首を差し出す者、そしてその図体ごと切り裂く剣の持ち主だ。神話の悪魔を名乗るぐらいなら――』
紅々と燃える瓦礫の町で、平坦な男の声が何の気なく響いていた。
声色は若く、背景の騒々しさに対して余りにも冷静だった。
周囲から拾われるノイズの主張が激しい。目にも痛い赤は火災の色、土も岩も人工物も見境なく焼き弾ぜる音。遠く木霊するように響くのは、ドップラー効果で曖昧になっているものの、喉も裂けんばかりの悲鳴だった。画面の端にちらちらと蠢く黒は、今まさに焼かれている人の影だろうか。男が腰掛けている大きな噴水の縁も半分以上が砕かれ、枯れているようだった。
そんな背景を、特に気にする様子でもない男は、
『端的に言おう、フェンリル。お前達からすれば、俺達の扱いは現時点を以て反逆者、背任行為を犯した大罪人ということになるだろう。それで構わない。それでこそ、お前達には俺達を誅する大義名分が与えられる。そして俺達は、それすら望むところだと笑い飛ばせる大馬鹿者の集まりだ』
明るすぎる火の手のせいで男の人相は逆光に隠れている。身じろぎもせず、ただ語るだけだ。火焔揺らめく映像の真ん中で静止する男の姿は、それそのものが燃え盛る最中を描く絵画のようだった。
だが、画面中に動きが加わる。炎の揺らぎの向こうに影が近付き、それは他の彷徨うような千鳥足ではなく明確な歩調で進み出てくる。ひとつ、ふたつ、――大小合わせて六つ。その内には、明らかにヒトではない形も含まれていた。
神機使い一人とオペレーター三人は、その人ならぬ形を瞬時に見抜いた。巨大な
その首根を掴む、剛腕がある。やはり逆光に照らされて真っ黒に映るシルエットは、しかしその型が人間として規格外だった。隆々と盛り上がる筋肉は相当な鍛錬を思わせ、八十㎏近いアラガミを片腕で持ち上げている。
偉丈夫は逆側の手にも何かを提げているようだったが、声の主である男が目配せをすると、その両方のモノをカメラの目前に放り投げた。オウガテイルと、もう片方は――、
「……神機使い?」
煤に汚れ、服のあちこちが破けている見窄らしい格好だったが、それは成人男性だった。しかし一般人ではないと、右腕の手首に馴染みのあるシルエットが告げていた。
赤い腕輪だ。
神機こそ持っていないが、その人物が神機使いであることは誰の目にも明白だった。
投げ出されたヒトもアラガミも、息も絶え絶えといった風に身じろぎしない。消耗しているというよりは、傷ついている。エリナは神機使いの腹部に赤黒い染みがあることに気付いた。オウガテイルも無数の裂傷や火傷の痕を生々しく残している。
……これを見せつける意味は何か。
「まさか」
ヒバリが声を漏らした。
同じ推理、そして恐らく同じ結論に達したらしい。
そして、
『解りやすく説明するなら、――こういうことだ』
最悪の予想図が、画面に映る。
画面端から出てきた二つの新たな人影が、その手に携えた異形の武器――その刃を、それぞれの獲物に勢いよく降り下ろす。
音はノイズに紛れて届かなかった。
ただ画面には、ヒトとアラガミが文字通り半ばから両断され、溢れ出す流血を軌跡に残して斬り飛ばされる、その様が克明に映った。
ひ、と、ウララが口元を覆い後ずさり、ヒバリがそれを支えた。
辛うじて息が残っていた生き物を無惨に殺す、そんな映像。アラガミを倒すだけであれば、ショッキングの加減としてはまだマシだったかもしれない。だが、その中には事もあろうに神機使いがいた。まるで家畜でも扱うかのように、同胞が簡単に殺された。
異形の武器の持ち主――まさしく、同じ神機使いに。
エリナは頭上にその存在を思う。厳めしい狼の記章、人類秩序の象徴。それはかつての神話において最強の軍神を殺した最凶の怪物。
荒れ狂う炎が風に煽られ、その明るみで男の肩を照らした。縫いつけられた紋章は、紛れもなく全く同じものだった。
『俺達は、アラガミを殺す
平坦な、しかし聴く者に一際響かせる声が、堂々の宣言を述べる。
『これより俺たちは世界各地に点在するフェンリル支部及び各拠点を襲撃し、物資を略奪、防衛に当たっているゴッドイーターを軒並み殺して廻る。無理も無茶も承知の上、それを可能にするための力が俺達にはある』
いつも何かとざわめきの途絶えない受付ロビー一帯は、不気味なほどに静まり返っていた。恐らくこの極東支部内でこの映像を流している空間は大体が同じ有様だろう。誰もが画面に食いつくように見ていた。殺人者の
その違和感にいち早く気付いたのは、カウンターの中のフランだった。すぐさま自分の為すべきことを思い出し、迅速に手が動き出す。
『これから始まる殺戮は前座に過ぎない。この光景すら余興、デモンストレーションの一環だ。これからこんな地獄が世界各地に広まる。だが、俺達はお前達に何も求めていない。殺したいから殺す。殺さなければならないから殺す。シンプルに、ただそれだけだ』
妙に耳心地の良い声を聞くともなしに聞きながら、フランは迅速にコンソールを操作する。少し遅れてヒバリがカウンターに入り、同様に己の作業を始めた。
程なくして、フランがいかにも業腹といった表情を見せた。
エリナはそれらに、そして映像と音声に、ただ身を任せて見聞きしていることしか出来なかった。
『ただ、ひとつだけ。――俺達の望みは、かつての平和。この世からアラガミを滅ぼし、穏やかな日常を取り戻すために戦っている。その血を受け入れた同胞も含めて、俺達は全てを、この地獄から救う』
「ウララさん! 遠征中の第二班に連絡を! ――ウララさん!!」
先輩の一喝にようやく我に返ったウララは、それでも困惑の納めどころが解らないような表情だった。渡された無線通信用のヘッドセットを被り、半泣きになりながら周波数帯を合わせる。
『さて、全国各地の同僚諸君、特にその中でも選りすぐりの『魔人』ども。俺達を止めたければ最大の策略と火力を用意しておけ。チンタラしてても死人が増えるだけだ。無抵抗のまま殲滅されたいってんならこっちとしても気楽で有り難いもんだが、お上の連中はそれを許さんだろう。情報管理局は今頃大慌てかな? どうあれお前達は、俺達と一戦交えることになる。まだ見ぬ友よ、互いに顔も知らない間柄だが、殺し合える時を楽しみに待っていてくれ。足りない己を自覚している奴はせいぜい腕を磨いておくことだ。それら全て悉くを俺達は凌駕し、殺し、勝利し、その度に望みへ近付くことだろう』
映像と同じく再生される環境音の中に、僅かにプロペラの駆動音が混じった。よく注意しなければ聞き取れないほどだったが、映し出される男はその方向へ首を振り、端から出てきた仲間らしき人物に耳打ちされた。
『……始末に追われる役人が早速お出ましか。いいだろう、今日はここまでだ。これから世界は多少混乱するだろうが、心配は要らない。敵がもう一つ増えるだけだ。アラガミに対して自衛してきた今日これまでの順応性があれば、すぐに慣れる。それと、断っておくが俺達は無益な殺生は好まない。必要な飯は貰っていくし、邪魔する奴は殺すだけだが、それ以外は基本的にノータッチだ。そこを踏まえて、俺達の処遇に頭を捻るがいい』
よっこらせ、というような調子で立ち上がる男には、何の緊張感もなかった。無人とはいえフェンリルの手先が近付いているというのに、気負うことも焦ることもなく、ひたすらに淡々と自らの演説を締め括る。
『また会おう、フェンリル諸君。俺達は”ヴィーザル”、死を厭わない
古き神の名を残して、男はいつの間にか傍らに立て掛けていた神機を銃形態に切り替え、暗い銃口をレンズに向けて、躊躇いなく発砲した。
オラクルの銃弾は当然ながら物理的な破壊力も伴う。一連の凶行を映し続けたカメラは呆気なく壊されたのだろう、鼓膜を突き刺す嫌な破砕音を最後に、モニターは何も映さなくなった。
「…………」
「……ひ、ヒバリさん。フランさん……」
「落ち着いて。今必要なのは事実確認と対応要請。それが私達の仕事です。現場はずいぶん遠いみたいですが、私達が呆けているわけにはいきませんよ!」
絶句するエリナと、怯えるウララに対して、ヒバリは毅然と返した。
そこから先を、エリナは惚けたまま何となく聞き流していた。
広域帯の電波をジャックされているおかげか、いずれの支部も既に対応を始めていた。最寄りの支部からは可能な限り最速で現場に駆けつけられる無人偵察機を複数発進させたとのこと。すぐに救助部隊も編成されるだろう。極東近隣を哨戒していた第二班も、ウララが涙声で訴えた甲斐あって至急帰還の準備を始めた。
しかし、エリナは映像の中の男の言葉を反芻し続ける。
神機使いを殺す、神機使い。
本来であればアラガミに対抗するための、人類の守護者たる彼らが、同胞を殺すと宣言した。証明するかのように、確かに映像の中で神機使いを一人、殺してみせた。
平和を
「ヒバリさん、北欧の支部から速報です。支部から離れたハイヴの一つが炎上していると確認。無人機の映像のみですが、確認できるだけでも死傷者多数。偵察隊の到着まで一時間はかかると」
「詳細確認し次第、各支部宛に逐次状況を連携してくれるでしょう。第一部隊と”ブラッド”隊の現在地は!?」
「先ほど護送完了の通知が入ってきました。すぐさま帰投するよう申請しますか?」
「このまま戻ってきてもらった方がいいでしょう。指示があってからの出動にはなりますが、準備を整えるようにとだけ伝えてください。榊支部長は?」
「それが、先ほどからアラートを送っているのですが、一向に応答が……。今日は研究室で久々に趣味に没頭するとか仰ってましたので、気付いていないのではないかと」
「ああもう! 緊急連絡用の端末を何だと思ってるのかしら!」
「ウララさん、すみませんがひとっ走り行ってきてくれませんか? たぶんラボにいると思いますので、ドアを叩けばさすがに気付くかと」
「は、はい」
エリナはそこでようやく自失から立ち直った。カウンターから出ていこうとするウララを引き留め、
「わ、私が行きます!」
「エリナさん?」
「ウララさんはここでオペレーティングに集中していた方がいいと思うんです。それに私、走り回るのは慣れてますから」
「……すみません、お願いできますか? この後のアサインはキャンセルとなりますが、恐らくすぐに
「了解です。フランさん、ランチはまた後日ということで。それでは!」
そう言って、エリナはカウンター横の階段を突っ走り、デッキ右手側にあるエレベーターへ突っ走った。安全用の鉄格子が填められたドアの前まで十秒と経たずに駆け抜け、その扉が開くのをジリジリと待つ。
困惑が収まったわけではない。それでも、身体を動かしてでもいなければ、平静ではいられなかった。雑用でも何でも、とにかく動いていなければ、自分の為にならなかった。
理解できない。神機使いが神機使いを殺す、その動機が。
歴史の座学で受けた課目の中では、人類は過去に幾度となく戦争をしていたという。
国家間の境目、あるいはその境目を決めるために。思想や宗教が食い違い、我こそが唯一絶対の存在であると証明するために。あるいは、長く続きすぎた戦争そのものを終わらせるために。
陸海空と場所を選ばず、技術の粋を集めて暴力の塊である兵器を造り、多くの命を散らし、蝕み、その果てに一時の平和を掴んだのだと。それから百年と少しでアラガミが台頭し、あらゆる国も思想も崩壊して今に至るわけだが、逆を返せば、たったそれだけの昔まで、人類は互いに殺し合っていた。
だが、この時代において人類同士の戦争は起こっていない。大小様々な陰謀によって歴史の裏側に消された者は多くいるだろう。しかしそれ以前に、現在はアラガミの脅威こそが最優先の懸念事項であり、対策を迫られている。オラクルを応用した技術の発展によって人類の版図は徐々に広がり続けているが、それでも犠牲者が格段に減ったかと言えば、大きく頷くことは出来ない。
要は、生き残った人間同士で小競り合いをしている場合ではないのだ。
だからこそ、こんなことが起こると予測した人間は、どれほどいたことだろう。
冷や汗が伝うエリナは、その行く末を朧気にもイメージした。
神機使い同士の戦争。人類の共食いの果てに、残るものは何なのか。